パネルディスカッション:第66回労働政策フォーラム
震災から2年、復興を支える被災者の雇用を考える
(2013年3月13日)

写真:壇上の講演者の様子

パネリスト

本多 則惠
厚生労働省職業安定局雇用政策課長
永松 伸吾
関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科准教授
渡邊とみ子
かーちゃんの力・プロジェクト協議会会長/
元イータテベイクじゃがいも研究会会長
鹿野 順一
NPO法人@リアスNPOサポートセンター代表理事
小野 晶子
労働政策研究・研修機構副主任研究員

コーディネーター

玄田 有史
東京大学社会科学研究所教授
写真:玄田教授

玄田教授

玄田 パネルディスカッションをはじめます。みなさん、前半の報告を聞いて、思われるところも多かったと思います。改めて感じたことなどがあれば伺いたいと思います。

永松 鹿野さんの報告であった撤退戦略については、私も記者の方から、キャッシュ・フォー・ワークをやって撤退はどうするのかと聞かれます。

玄田 撤退とは、緊急対策が終わった後のことですか。

永松 そうです。つなぎの時期はまだまったく終わっていません。キャッシュ・フォー・ワークにしても緊急雇用にしても、つなぎだから、いつまでも続けていくことはできません。それはそのとおりです。しかし、今はまだ、出口が見える状況ではありません。

今回の東日本大震災の復興の規模はあまりに大きいものです。阪神・淡路大震災とは比べものにはなりません。たとえば、防災集団移転の対象は2万7,000戸に達しますが、3・11以前での実績は、たった1,800戸しかありません。土地区画整理にしても、阪神淡路の面積の10倍のことを一気にやろうとしているのです。しかし、それを担う建設業の市場規模は今、阪神淡路の頃の半分まで縮小しています。

雇用面での下支えの覚悟が必要

写真:永松准教授

永松准教授

永松 今回の復興には、ものすごい時間がかかることを覚悟しなければいけません。時間のかかる復興を、われわれは選択肢として選んだわけです。それだけ時間がかかる復興を、雇用面でもしっかりと下支えする覚悟を持たなければいけません。時間のかかる復興を選んでおきながら、被災者を長期にわたり雇用するのはよくないとして、やめてしまうのは、すこし違うと思います。復興には時間がかかるので、雇用面でもしっかりと支えるという覚悟を、政府には持っていただきたいと思います。

お金の性格と事業のゴールにタイムラグが

鹿野 これまでローカルなNPOとして、緊急雇用創出事業を5つくらい、手がけてきました。できる範囲で無理をしないで、こなしてきました。しかし、震災後は、自分たちができることではなくて、今この場所に必要なことを無理してでもやる形になっています。

震災前は、ふるさと雇用再生特別基金を使っていました。消費税適用事業者になりそうなくらいの予算がつきました。では、緊急雇用対応事業が始まり、どのぐらいの規模になったかというと、4億3,000万円程です。もともと平時のNPOは4人で運営していました。4人で4億近くのお金を回すのは、すごいなと思いました。でも、商売屋の感覚からいうと、入ってきた分、全部出ていくのですから一緒だと思いました。

その中で、これは反省点でもあるのですが、緊急雇用創出事業のお金の性格は、突然のどうしようもない事情によって仕事を失った方の収入を確保するものです。何もしないで毎日事務所で新聞を読んでいる人に給料を払っていいかというと、そうではありません。では、僕らはどうしたかというと、緊急雇用創出事業で雇用を確保した上で、今この場所に必要な、これを達成するための事業を考えたわけです。お金の性格と事業のゴールにはタイムラグがあります。事業のゴールは復興するまでで、5年も10年もかかります。でも、お金はここまでしか出ません。その後、どうするかを僕たちも考えてきましたが、ある意味、収入を確保する、被災失業者を保護する目的があったために、事業を仕事としてきちんとやってもらうところが、すこし緩かったのかもしれません。

玄田 悩ましいところですね。

鹿野 例えば、車も流され、住む場所も遠く離れてしまったので、仮設住宅の近くで勤務できるようにと、いろいろ工夫しました。結果的には、プラスの成果もあります。しかし、こういう場なので、あえて悪かったところもお伝えすると、仕事としての意識がすこし薄い面がありました。

玄田 そこまでなかなか気持ちが行かないということですか。

鹿野 ひとつには、僕らの説明不足もあるかもしれませんが、国が用意してくれたお金で僕らにお給料がもらえるという感覚が、もしかしたらあったのかもしれません。その辺のバランスは、すこし難しかった印象があります。

ビジネスとして一緒に仕事ができるように

写真:鹿野代表理事

鹿野代表理事

出口戦略で言えば、これはあくまでもつなぎの仕事だから、将来にわたる自分の仕事を探す必要があります。ある時、「次の仕事が決まったら、いつ辞めてもいいから」と言いました。その時、連絡員事業とは別の、少しコアに仕事をしている仲間からは、「じゃあ、俺たちは要らないのですか」と言い返されました。このあたりのバランスはとても難しかった。

今年の3月31日で、僕らが抱えているさまざまな事業のうち、連絡員事業以外はすべて終了します。

玄田 今後はどうされるのですか。

鹿野 借金もあり、生活が成り立たないので、ほかで仕事をしなければいけません。そうなると、うちのNPOは3月末で活動を停止するかもしれないと、外では言っています。それでいいのかということを、さまざまな場面でお伝えしています。僕が今、企業にお伝えしているのは、ビジネスとして一緒に仕事ができる相手として育ててくれないかということです。

居場所ができたことがプラスに

玄田 渡邊さんから、「諦めない」というすてきな詩がありました。鹿野さんにとって今、諦めないでやり続けたいことは何ですか。

鹿野 本業のお菓子屋さんをやりたいのです。お菓子屋さんをやるためには、お客さんがいなければ成り立ちません。瓦礫のなかに、お店だけ1軒ポツンとつくっても、しょうがありません。街全体を復興させないといけません。10年先か15年先かわかりませんが、もう1回、同じ場所でお菓子屋さんを再開したい。そのために、今があります。

玄田 それが根っこにあるわけですね。

写真:渡邊とみ子会長

渡邊とみ子会長

渡邊 活動するにあたり、ブレない軸が一番重要だと思います。例えば、お菓子屋さんを再開したい。その軸があっても、今は腰折れしてしまうような厳しい状況にあります。先を走るフロントランナーに保障がないのは、人材的にも経済的にも続けるのが難しいと思います。緊急雇用をするためリーダーになるのであれば、別枠で何か保障ができたらいいと思います。

原発と津波で被害の状況が違いますが、私たちの立場で言えば、もともと地域資源を生かして、気候を生かしてやってきました。本当に貧困な村、貧困な地域でありながら、知恵を絞ってやってきました。それが原発事故でまったくできなくなってしまいました。葉っぱビジネスやユズなど、各地でいろいろ盛んにやっているところをめざしてがんばってきたのです。それがもうできなくなってしまいました。

原発で自分の居場所がなくなってしまうのは、たいへんつらいことです。飯館に戻って、自分の加工場を見たとき、畑がイノシシの楽園になり、大事に育てた「いいたて雪っ娘」のフリーズドライが、ネズミに食い荒らされていました。そうした状況を見ると、再生は厳しいのではないかと思ってしまいます。

一生懸命やってきた人に限って、現実とのギャップがありすぎて、なかなか立ち直れません。しかし、この緊急雇用事業で、かーちゃんたちが12人雇用されたことは、居場所ができたということで、すごくプラスになったと思います。

就業や自営の支援ができるように

玄田 今日のタイトルは、「被災者の雇用を考える」ですが、「雇用」に限定せず、「被災者の就業を考える」のほうがよかったかもしれませんね。震災から2カ月後、福島の労働局長さんにお目にかかりました。そのとき局長さんは、職員さんに「震災後は何でも屋さんになりなさい」とおっしゃっていたそうです。「うちは雇用対策が専門なので、それ以外は関係ない」では駄目だ。とにかく、ありとあらゆることをしないと。

小野 玄田先生もおっしゃるように、雇用という言葉では、小さいと感じました。渡邊さんも鹿野さんもNPOの代表であり、立ち上げた方です。いくら頑張って働いても、生活の糧となる収入が得られない状況になっています。こうしたところは、悔しい部分でもあります。

そもそもNPOなどの非営利組織やサードセクターが表れてくるのは、国や行政の手が回らない部分なのです。その状態を補完するために出てくるという背景もあります。震災においても、ある意味、国や行政では手が回っていないところに、NPOや社会的な企業などが立ち上がっています。しかし、国や行政は、それをうまく応援できているかといえば疑問です。そのあたりも含めて、就業や自営という支援ができるような形が望ましいのではないかと考えています。

玄田 さきほど紹介があった、「日本はひとつ」しごとプロジェクトでは、みんなでいろいろ考え、いろんなところに目配りしてきました。しかし、まだ行き届いてないところはあるのか、その検証も大事だと思います。

雇用と復興支援に一定の効果が

写真:本多課長

本多課長

本多 皆さんからいろいろご指摘をいただきましたが、総体的には、緊急雇用創造事業については高い評価をいただいていると感じています。足りないところもあったかと思いますが、被災地で事業を活用していただいて、被災者の雇用機会を確保するだけでなく、被災地の復興に向けても一定の効果を果たせたことについて、今日は現場の方から大変ありがたいお話を聞かせていただけたと思っております。

みなさんの報告を会場でお聴きになっている方が、この基金事業の仕組みに疑問を持たれているところもあるのではないかと思いますので、補足します。おそらく、渡邊さんのところでやっていらっしゃるのは生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業、鹿野さんのところは緊急雇用対応事業ではないかと思います。

どちらも県や市町村からNPOや民間企業への委託事業です。委託費の2分の1以上は、新しく雇い入れた被災者の人件費である必要がありますが、あとは事業に必要な経費を委託費としてみています。たとえば、民間企業が事業を受託した場合、もともと雇用されている社員の方が事業の運営に携わっているのであれば、その従業員の人件費は、「新しく雇い入れた被災者の人件費」ではないので、「2分の1以上」の中には入りませんが、その他の経費として委託費から支出できます。

この委託事業では、原則として事業からの収入は返還することになります。ただ、委託事業終了後に自立していくためには、厳し過ぎるという意見もあり、若干、要件を緩和して、事業の3年目からは一定の要件を満たした場合には収入を返還しなくてもいい仕組みになりました。

相手を認めることからスタートする

鹿野 僕は震災があってから、こういうふうに考えたほうがいいと思うことがあります。それは、相手を認めてしまうことです。

玄田 相手とは?

鹿野 企業や行政関係者など、さまざまな人たちです。なぜかというと、「何でそうなのか」と言ってしまうと、頭にきて、それで終わってしまうからです。例えば釜石の行政の皆さんは、釜石市民に雇われているのです。僕らがいいと言って、議会で決められたことしかやってはいけない人達です。よく、行政の職員は融通がきかないといいます。しかし、全員が融通をきかせたら、行政は崩壊します。そうしたことを、やってはいけないといっているのは僕たちです。それが、相手を認めてしまうという意味です。

緊急雇用創出事業も、それを認めることからスタートすればいいと思います。先ほど申し上げた、緊急雇用事業についても、これがちょっとまずかったという批判ではなく、こういうことがありましたという報告程度に聞いていただけたらと思います。

地方分権と地方の自立がネックに

震災時における緊急雇用創出事業もそうですが、地方分権と地方の自立が邪魔をしたのではないかと感じています。権限を地方に出したはいいが、後は地方にお任せとなりました。国は直接地方に手を出さない流れがありますので、すべては岩手県にお任せしました。岩手県は配分した市町村にお任せしました。誰も悪い人はいません。お金がどう使われるか、あるいは仕組みがこうあればいいとの議論はありませんでした。

例えば、緊急雇用創出事業に使われる交付金の使い道を、民間にもワンクッション入ってもらうような、中越地震や阪神・淡路大震災のような仕組みがまったくありません。復興交付金についても取り崩し型で、使い終わったらおしまいです。3年、5年、10年の中で、どうあればいいかというそもそもの部分が、それぞれの地方に委ねられてしまいました。とはいえ、役所の方々が、夜も寝ないで頑張っているのを見ているので、あまり文句はいえません。

本多 先ほど、撤退戦略というか出口戦略のお話がありました。緊急雇用事業は国の予算としては1年延長したので、この3月末ではなく、2014年の3月末までに始めていただければ、2014年度末、つまり2015年3月まで実施できます。国ではそういう仕組みにしたのですが、そこを県のほうでどういう運用をされているかというところはあるかと思います。金額的にも、これまで震災等緊急雇用対応事業だけで累計3,000億円の予算がつきました。雇用対策としては、かつてない規模の予算だと思っています。使い方も、一部にご批判もありますが、かなり裁量の余地が広いものになっています。

大切な災害時の経験

基金を今後の災害に備えた対策にすべきではないかというお話もありましたが、確かに今回、震災後に比較的迅速に対応できたのは、そもそもリーマン・ショックのときに創設された基金制度が存在していたこと、さらに阪神・淡路大震災のときの経験が労働行政の中に蓄積されていた点が、大きかったと思います。災害時にはとにかく迅速に対応することが重要だという点は、今回さらに教訓として強化されたものとして受け止めております。あらかじめ基金を設けておくというのも1つの方法ですし、今回の基金の使われ方も含めて、こうした経験を意識的に蓄積していくことが重要だと思います。

玄田 どうすれば行政は経験を蓄積し、継承していけるのでしょう。

本多 阪神・淡路大震災のあと、地方自治体でも国でも、当時の経験を整理して残す努力をしましたので、そこから多少なりとも学ぶことができたと思います。

玄田 震災直後は、奥尻の経験等も政策の参考になったと聞いています。経験の蓄積は大事です。

鹿野 東日本大震災は、阪神・淡路大震災と比べられます。この前、神戸に行ったときに、ある方が、「今回は、奥尻の大震災が5,000キロにわたって起きた」といいました。この表現のほうがピンときます。1つの行政圏域ではなく、広域で市町村もバラバラです。では、奥尻のときは、どういう支援策が行われたのか。それが5,000キロ範囲で起きたものと比べないと、厳しいのかなと思いました。

民間とのコンフリクトの解消が課題に

本多 もう1つ、出口戦略とも絡むのですが、被災地では、求職を諦めてしまった人も含めて、まだほんとうに自分が望むような働き方ができてない人も多いと思います。一方で、企業が人手不足という声もだんだんと大きくなっています。それはたんなる一企業の問題ではなく、地域の復興のネックにもなりえます。中には基金事業を人手不足の原因の1つにあげる方もいます。望ましいのは、被災者の方に本格的、継続的な仕事についていただくこと、そのために、地域の産業の中核となる事業がちゃんと復興していくことです。今後の被災地の雇用対策の方向性としては、事業復興型雇用創出事業などを活用しながら、タイミングを見計らいつつ、緊急的な雇用から本格的な雇用へとシフトしていくことだと思います。

永松 先進国も途上国も含めて、これだけ長く公的に雇用を創り出すことをやった事例は、戦後の失業対策事業を除けば、災害の文脈ではおそらくないと思います。今、本多課長が言われたような、民間とのコンフリクトをどのように解消していくかということは重要な課題だと思います。

復興のための補助金としての機能

僕は、この緊急雇用という名前がよくないと思います。もっと言うと、厚労省が持っているのも駄目だと思います。というのは、先ほど鹿野さんが、雇用が目的で雇ってしまったから、後で大変だったという話をしました。私も雇用が大事ということで突っ走ってきましたが、小野さんと一緒に現地をまわると、雇用が目的という感覚で緊急雇用を使っている人は少数だと感じました。むしろ、自分たちがやりたい事業で人手が要る。こんなお金がある。それなら、使おうという人が圧倒的に多い。そこで行われている事業で、無駄な事業というのは、われわれが見る限りでは、ほとんどありませんでした。被災地はそんなに暇ではありません。雇用を創るために人を雇うのは、ほんの一部の人たちに過ぎません。ほとんどの人は自分たちの事業をやるために必要な人を雇っているのです。

そう考えると、緊急雇用の名のもと、あたかも不要な雇用がばんばん生まれている印象があるから、批判されるのではないかと思います。現実に、被災地では何をしているのか。先ほど、南三陸の話がありました。水産庁に助成金をもらうための資料をつくるため、事務補助に人が必要だと緊急雇用を使っているところがあります。これを厚労省の人にいうと驚かれます。被災地では今、彼らの助けを借りないと復興が回らないところまできています。それを、求人倍率が上がって企業が人を採れないから、基金を切る議論になるのはおかしいと思います。

玄田 縦割りの弊害のことをおっしゃっているのですか。

永松 縦割りの弊害は感じません。厚労省が持っていた制度を他の省庁がうまく利用しているわけですから、縦割りの弊害ではありません。むしろ、ここにきて、名前と実態が乖離し始めていると思います。直後は確かに雇用を創ることが目的だったかもしれませんが、今は被災地の復興を支える補助金としての機能、人を雇う補助金として機能し始めていることへの理解があまり進んでいません。ですから、もう撤退、やめたらどうだという批判が起きるのではないかと思います。

玄田 緊急雇用ではなくて、緊急地域創造などの名称のほうがいいということでしょうか。

永松 いえ、復興のための予算ですから、復興庁がつくるのです。実際、今、復興庁の一括申請になっていますから、復興のための予算と見たほうがいいと思います。

諦めずに前を向いて歩く

写真:小野研究員

小野研究員

小野 震災前から、飯舘村は非常に地域コミュニティが充実している地域でした。内発的に住民が動いて村づくりを行うことに非常にたけたところで、いろいろな賞をもらっています。福島大学の先生方が、その辺の飯舘村のすばらしい地域づくりについて綿密に調査研究されて本を書かれています。そのなかでも、渡邊さんが地域づくりに取り組んでいらっしゃる姿が克明に書かれています。

私はその本を読んだとき、涙がとまりませんでした。その本が出たのは、震災後です。中身は震災前の飯舘村の地域づくりのことが書かれているのですが、冒頭の「はじめに」のところで、原発事故で美しい村が壊されてしまったことが書かれています。今日の渡邊さんのお話は、最初、飯舘村の地域づくりから始まりましたが、これは、こんなにすばらしい地域だったところが原発によって失われてしまった悲しみの部分だったと私は受け止めております。けれども、皆さんも聞いていて感じられたと思うのですが、諦めない。涙が流れるけれども、前を向いて歩むのをやめない。村の人同士がつながって、飯舘からは離れているけれども、アイデンティティ、コミュニティを残しながら、前を向いて歩んでいく。その後ろ支えとして基金が役に立っているのであれば、こんなにすばらしいことはないと思います。

鹿野 岩手と宮城と福島では状況は違っているので、たとえば渡邊さんがあの場所でもう1回やるといって、できる、できないという状況が違うのは重々承知の上で、以前からやっていたことを何で諦めなくてはいけないのかという思いは通じるものがあります。言葉ではうまく表現できませんが、今この建物に震度7の揺れが襲い、皆さんがご自宅に帰れなくなり、お家が火事で全部燃えることは十分にあり得るのです。

渡邊さんがおっしゃっているのは多分、その活動だけではなく、一瞬にして、昨日まで当たり前だったことがすべてなくなることを、誰も許容することはできない。昨日までの自分を否定することも、忘れることもできない。でも、今は間違いなくここにいて、嫌でも明日しか来ない。だったら、歩くしかない。多分そこは、通じるものがあるのではないかと思います。

渡邊 地域づくりをやってきた方というのは、同じような感じだと思います。止まったら終わりです。私も何度もやめようと思いました。もういいと投げようと思ったこともありました。でも、土に触れて、飯舘の土が何でこんなにふかふかでよかったのか、なのにこっちに来て、何で私はこんな思いをしなければいけないのか。本当に悔しさがこみ上げました。でも、植えなければならないときには、確実に植えないといけないのです。種をつなぐには、ちゃんと植える時期に植えないといけないのです。そういうときに、私はやめるという選択肢を選ぶことはできませんでした。ですから、進むしかないのです。しかし、進めば進むほどぶつかるものも大きくなります。

玄田 何がそうさせるのでしょう?

渡邊 責任感と義務感かもしれません。実際にやってみると、リーダーはお金とかではなく、達成感があってできるのものだと感じました。ひとりではできない。多くの方とのつながりがあって、はじめてできるものです。そういうつながり、達成感が自分の中にあるから、続けられるのではないかと思います。これは本当に財産だと思ってやっています。

自立的なビジネスへのステップに

永松 私はキャッシュ・フォー・ワークが必要ということでやってきて、ネットを通じてたまたま鹿野さんと出会いました。釜石に行ってお会いして、いろいろと議論をしたのが、確か2011年のゴールデンウイーク前ぐらいでした。地元の中で雇用の場を創っていかないとだめだということに関しては、私自身も神戸の経済復興を研究してきて、思ったことでした。そういう部分では、いろいろ応援したいと思い、仮設の支援員事業などでは私の法人と一緒にやっています。今はそれだけではなくて、いろいろな民間企業と一緒に組んで、ある意味、ビジネスの起業のようなことまで取り組んでいるのはすごいと思います。つまり、緊急雇用だけではなく、自立的なビジネスを起こしていくところもやっている。緊急雇用があることにより、自立的なビジネスへのステップにつながっていく。それは緊急雇用のひとつの利点ではないかと思います。

それから、先ほど鹿野さんが言われていたのですが、われわれは次のことを真剣に考えないといけないと思います。首都直下型地震の被害想定が間もなく出ると言われています。南海トラフ地震ですと、従来の想定の数倍の被害が出るとも言われています。人の命を守ることは防災や減災の最大のミッションですが、それだけではなくて、われわれの暮らしそのもの、尊厳ある暮らしを守っていくことを含めて、これからの防災対策を考えていかなければならないと思います。

被災者のための支援のあり方は

小野 コミュニティの話は先ほど出てきましたけれども、NPOや社協は、その辺の考え方にたけています。コミュニティをどう支援するか、手を出すべきか手を出さないべきか、どういうふうに支援すべきか、ということにはたけています。

一方、NPOや社協以外で受託している人材会社や民間企業は、当然、通常の事業と変わらず、できる限り、一生懸命やります。例えば、宅配便は、不在だからとっておいてあげようとか、掃除を進んでやってあげようとか、草刈りをきれいにしてあげようとかです。これらは、人間の行為としては非常にすばらしいものです。しかし、それをやったがために、コミュニティの人は何もしなくなることがあります。そういうことが起こり得るということを、民間業者はなかなか想定できません。最初にやってしまうと、もう引けません。最初やってくれたのに、何で次からやってくれないのかとなり、不満が蓄積します。

そのあたりの、震災独特の仮設支援という新たな事業には、こういうやり方があることを記録しておかないといけないと感じました。やるのであれば、北上市のようにコラボレーションしながらやっていくのがいいと思います。

永松 小野さんの話に付け加えるならば、おもしろいエピソードがあります。

北上市の仮設支援事業で、雇用された人たちに対して、現地でやっているNPOは、「仕事しないでください」と言いました。やり過ぎてしまうと、コミュニティがだめになってしまうからです。何もしなくていい。ただそこにいればいい。困ったときに手を差し伸べるよう指導しています。ところが、この事業で実際に人を雇用しているのは人材派遣会社です。彼らは「仕事をしないでください」とは言えません。むしろ、被災者のために、目いっぱい働けと指導します。人材会社は雇用とか法令に関してはプロですが、コミュニティ支援のノウハウはありません。とはいえ、今回の震災で、いろいろなNPOとの協働の中で、新たな雇用の形が生まれていったことは、大きな財産ではないかと思います。

サポートする役割の理解を

鹿野 僕らは、仮設住宅に対しての支援という形で入ります。仮設住宅団地は、すべてではありませんが、自治会が自発的に運営されています。今はなくても、いずれできてくるわけです。仮設住宅団地の自治会は、自主自発的な活動によって運営されていくのが本来の姿です。僕らはいい意味で自治会と戦っているというか、苦労しているというか、話し合いを続けている部分はあると思います。自治会と連絡員の関係はどうあるべきか。これは、自治会のサポートではあるが、お手伝いとか小間使いではないと言っています。

僕らがよく行政に言われる言葉があります。「NPOさん、市民の皆さん、まず自分たちで一歩踏み出してください。そうすれば、行政はお手伝いできるのです」。これと同じ図式だと思います。まず自治会が、「これをやりたいんだ」といって、そこで、「こういうところが、すこしわからない」という話があったときに、それをサポートする役割だと思うのです。ここを理解していただくことは非常に重要だと思います。

玄田 それが支援とは何かの1つの答えかもしれません。復興対策もそうですが、あらゆる政策は、立場の違う人たちが率直に議論し合う中で見出すものだと思います。

就職を諦めた人へのアプローチ

本多 心配しているのは、失業給付が終わって、求人も一通り見たけど、やっぱり希望する仕事がなさそうだと、求職を諦めてしまう方がいらっしゃることです。そういう方に対して、例えばコンビニエンスストアに求人情報を置くとか、つながりが切れないような手立ては講じていますが、十分ではないかもしれないと思っています。特に高齢者の方です。無理に働けと言うわけにはいきませんが、でもやっぱり仕事に就いていただくほうがご本人のためになる方もいらっしゃると思うので、そういう方にどんな形でアプローチをして、どんな支援をしていったらいいのかと考えています。そういう方の現状と今後の支援の方法について、お知恵をいただけたらと思います。

鹿野 知恵というほどのものではないのですが、前政権の厚生労働大臣が釜石においでになって、お話させていただく機会がありました。「ハローワークでは、ちょっと厳しいのです」と言ったら、「どんどんやれば」とおっしゃいました。どういうことかというと、ハローワークですることはきちんと決まっているので、ハローワークが苦手とする、正規以外のパート、アルバイト、期間雇用、内職などの求人を紹介することです。仙台あたりだと民間の求人情報誌も仕事としてできるのですが、もう少し北にいくと、難しいところがあります。

宮城のパーソナルサポートセンターでは、仮設住宅の見守りと、出口としての就労支援をうまく融合してやっています。僕らも仮設住宅の連絡員では、地域に対する見守りや就労支援をする仕組みを考えています。そこで、いろいろ勉強しました。無料職業紹介所や有料職業紹介所の免許を取るには、かなりのお金を必要とし、いろいろ難しい面があることもわかりました。そういう部分を、例えば民間企業と地元で活動しているNPOがコラボしているところに、厚労省が就労支援という形でかかわりを持っていただくと、お墨付きを得ることもでき、信用も高まると思います。

もうひとつ言えば、緊急雇用事業は1年延長になりましたが、金額的には難しいところもあって、被災者に直接かかわる事業に、ある意味、優先順位がついていると思うのです。でも、これはあと1年です。それが終わったあとは、それぞれの自治体が単費で、自分の予算でやることも可能ですが、現状では難しいと思います。その意味、この1年が勝負だと思うのです。出口戦略をどうしていけばいいのか、どういうアクターがいて、どうつくればいいか、あと1年の猶予をもらった感じです。被災者の就労支援も、今だったらできる状況だと思います。

希望を失いかけている人に必要なこと

玄田 先日発表になった総務省「就業構造基本調査」の速報を見ると、震災のときまでは働いていたけれども、震災を機に働くのをやめた人のうち、まだ4割ぐらいの方がまだ仕事に就いてない状況にあります。働くことに希望を失いかけている人たちに今、何が必要なのでしょうか。

渡邊 人に喜ばれる仕事をすれば、生きがいにもつながると思います。私たちはいろいろな方から支援をいただいてやっています。その中で、サポーター制度も取り入れながらやっています。それが最初のひとつの仕事づくりと思って始めたことです。やっているうちにすごく人に喜ばれる仕事があります。たとえば、お弁当事業です。糖尿病の方から、結果がよくなったと言われたり、私たちをモデルに宮城県でふたつの組織が立ち上がったことなどです。そういう団体と連携しながら、復興コラボ弁当ということで、その方たちがやっているものを取り入れたり、同じ福島で頑張っている人たちのものを使って一緒にやっています。

出口にはいろいろな出口があると思います。今は、つくったものを売る出口がすごく厳しいです。福島でやっていると特にそうです。けれども、そうやって人に喜ばれる仕事をしていくと、そこからだんだん大きくなっていくと思います。残念ながら、福島県では、かーちゃんの力・プロジェクトに続く団体はなかなか出てこないのが実情ですが、他県とはいえ、私たちをモデルにふたつ団体が立ち上がったことは、大きな成果と思っています。  

県外避難者と県内の人に溝が

玄田 永松さんのご指摘の中で、すごく印象的だったことあります。被災失業者に対する蔑視的な態度や扱いがあってはならないことです。福島は、東電からの賠償金の問題があり、働こうとしていないのではないか、怠けてパチンコばかりしているのではないかと思っている人もいます。ただ、先の「就業構造基本調査」を見ると、福島の就業希望率は全国と比べても特に低いわけではないのです。希望が持てる被災地域の就業を考えるとき、何がポイントになるでしょう。

永松 いま気になっているのは、福島の現状です。県外避難者と県内の方の間に少しずつ溝というか、分断ができつつあると感じています。例えば、県内にいる方にしてみれば、県外に避難した人は、福島が危ないと身をもって証明しているようなもので、風評被害をまき散らしていると見る人もいます。

では、県内に残っている人がみな安全だ、何も心配していないかというと、そんなことはありません。県内に残っている方の中にも、心配な方はいますし、それなりにできる限りの防護策をとられています。他方、避難された方の中にも、避難というのか、移住というか、もともと福島にそんなに縁のない方は、この際、他県に出ていかれた方もいます。つまり、福島にいるか、いないかということとは関係なく、放射線から自分の身を守るのは1つの権利として最大限尊重されなければならないことです。

緊急雇用を被災者をつなぐものに

私は緊急雇用というのは、被災者の福島の中と外をつなぐものとして使えるのではないかと思っています。というのは、県外避難者の方々は、現地の自治体の緊急雇用で雇われているケースが多いのですが、福島県は県内でしか緊急雇用をやらないのです。だから僕は、福島県にいうのです。「何で県外に避難された方々を、福島県のお金で雇用しないのですか」。そうしたら、「それは避難先の自治体がやっています」と言われました。確か、緊急雇用は、被災地以外は今年度で終了するのですよね。

玄田 そうですか。

本多 そうですね。

(注)被災地域以外の震災等緊急雇用対応事業は、平成24年度までの事業開始が必要。ただし、重点分野雇用創出事業等は別途存続しており、被災地域以外では、平成25年度も県外避難者のためにこうした事業を活用することが可能。

永松 例えば、西日本に避難されていらっしゃる方の中には、緊急雇用が切れて、避難生活を支えられない、仕事がないという方がいっぱいいらっしゃるのです。そういう方々を、ぜひ私は福島県の緊急雇用で雇ってあげてほしいと思います。福島県としては、県外に避難されている方を、県内の人と同じかそれ以上に支援するのは難しいと思いますが、同じ被災者として、同じ福島県民として、支えていくことが必要だと思います。

たとえば、県外避難者の方々は、現地の復興状況がわかりません。こうした情報交換する事務局的な機能を緊急雇用で雇うことは可能だと思います。そういったことにより、被災者同士の統合をもたらすことが可能になります。知恵を出せば、もっともっといい使い方ができると思います。

渡邊 農業についてもそうですが、やはり福島県にいる方には補助はあるけれども、同じ仕事をやりたくても、ほかに行った人には助成がでないから、自己資金でやらないといけないとは聞いています。永松先生がおっしゃったようなものがあれば、すごくいいなと思いました。

雇用創出は丁寧にやるしかない

小野 雇用や就業は、極めて大量に、マジックみたいにぱっと生まれるものではありません。それを数字だけ見て、何万人創出できたとか、もっと大きい企業を誘致すればたくさんの雇用が生まれると考えるのは、安直すぎると思います。雇用を創出するには、丁寧にやるしかないのです。石巻に調査に行ったときに、ある人材派遣会社が拠点を持っていて、人材育成を使った緊急雇用をやっていました。足を使って地元の企業を回り、「おたくで正社員は必要ありませんか。うちで半年間、教育訓練します。例えば、ネットに強い人材が必要なら、ネットに強い人材を育てるためにカリキュラムを組み人材を育成します」。そういう小さなことを積み上げていき、トライアルの期間を経てようやく正社員になっていくのです。足を運んで開拓することを熱心にやっています。プロだからできるのです。人材派遣会社は、「悪者」のように言われがちですが、実は被災地でひそやかに活躍しているのです。彼らはあまり言いませんが、そこは記録に残しておかないといけないと思います。ですから、雇用を創出するには、丁寧にやるしか道はないのです。

本格的な雇用の復興をめざす

玄田 最後に、一言ずつお願いします。

本多 雇用対策の本筋として、めざすべきなのは本格的な雇用の復興だと思います。一方、今日改めて、緊急事業等でいわば「応急処置」を一生懸命してきたつもりでしたが、まだふさがっていない傷口があることも教えていただきましたので、そのことも忘れずに、ちゃんと見るべきものを両方見ながら進めていきたいと思います。

渡邊 現場の本当の声を、こういった場で聞いていただいたとことは良かったと思います。なかなか言いづらいこともありましたが、実際の現場を知っていただいてよかったと思っています。

中間的な支援を支える仕組みを

鹿野 震災前からその地域が抱えていた課題と、震災によって引き起こされた課題というのは分けて考えるべきだと今日、強く思いました。緊急雇用はあくまでも震災の緊急雇用なのであって、それ以前の課題までをリカバリーするものではないのです。もともと仕事はなかったし、若い人たちは外に出ていった地域が多いのです。

あとは、これまでは行政がほとんどを担ってきましたが、そうではなくて、自発的に、中間的に支援をしようとする人たちがいます。これはNPOもそうだし、さまざまな支援企業も含め、個人もそうです。でも、この人たちを支える仕組みがまったくありません。ですから、ここは考えていかないといけない部分だと思います。

永松 震災や災害の後に、公的に雇用をつくり出して、その雇用を維持したり、被災地の経済復興に役立てたりするのは、実は関東大震災のときから失敗しているのです。関東大震災では既に、肉体労働では被災者の雇用はつくれないということで、職業婦人、知的労働者をどうするかとか、そういうことが議論された記録があります。阪神・淡路大震災でもそれほど効果的な対策がとられなかった。それが90年たってようやく、防災分野における雇用対策が大きく踏み出したと感じています。このことの歴史的な意味の大きさは、すごいものだと思います。今日こういう形でシンポジウムが行われたことは、本当に意義があるものだと思って、大変うれしく思います。

小野 JILPTで震災記録プロジェクトが始まって今年で2年目になります。まだあと3年あります。雇用はおそらく、今後、復興とともにどう形を変えていくか、雇用であったり就業であったりということですけれども、まだまだ記録しなければならないことがあります。私のテーマは、民間事業や自発的・自主的活動などで、緊急雇用を使ってないような自主的な活動にも目を向けながら、雇用と就業というものを今後も追っていきたいと思います。

忘れない粘り強さが大切

玄田 被災者が今一番心配していることは、被災地が忘れ去られることです。警察庁のホームページをみると、震災による行方不明者の数が毎週更新されています。今でも2,668人のお帰りになるのを待っているご家族がいるのです。そういう方は、いまも震災の真っただ中にあるのです。忘れないことがすぐ対策につながるかはわかりませんが、それでもみんなが忘れずに考え続ける粘り強さが、小野さんの言った「丁寧さ」や人と人とがつながることになるのだと、改めて思いました。今日はありがとうございました。

プロフィール ※報告順

本多則惠(ほんだ・のりえ)

厚生労働省職業安定局雇用政策課長

1987年労働省(現、厚生労働省)入省。長崎県職業安定課長、労働政策研究・研修機構情報管理課長、内閣府高齢社会対策・仕事と生活の調和担当参事官、厚生労働省大臣官房参事官(賃金時間担当)等を経て、2012年9月より現職。

小野晶子(おの・あきこ)

労働政策研究・研修機構副主任研究員

2003年日本労働研究機構(現JILPT)に入職、2010年より現職。専門分野は、NPOの労働、非正規労働(パート、派遣労働)、労働経済。NPOやボランティアに関連した最近の研究成果として、「東日本大震災復興過程のボランティア―調査結果からみた今後の災害対策への示唆―」(ビジネス・レーバー・トレンド、2012年7月号)、『高齢者の社会貢献活動に関する研究―定量的分析と定性的分析から―』(労働政策研究報告書No.142、2012年)などがある。

永松伸吾(ながまつ・しんご)

関西大学社会安全学部・大学院社会安全研究科准教授

中央大学法学部政治学科卒。1996年大阪大学大学院国際公共政策研究科に進学し、経済学に基づく公共政策理論を専攻。博士後期課程を2000年に退学し、同研究科助手。神戸・人と防災未来センター専任研究員、独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員などを経て現職。専門は防災・減災・危機管理政策および地域経済復興。主著に『減災政策論入門』(弘文堂、日本公共政策学会著作賞)、『キャッシュ・フォー・ワーク』(岩波ブックレット)。一般社団法人CFW-Japan代表理事。

渡邊とみ子(わたなべ・とみこ)

かーちゃんの力・プロジェクト協議会会長/元イータテベイクじゃがいも研究会会長

1954年福島市生まれ。1993年から飯舘村第4次総合振興計画地区別策定委員に就任し、地域の女性リーダー育成に取り組む。飯舘村第5次総合振興計画農村部会の委員として計画に携わる。その経験から平成の市町村大合併で法定協議会委員となる。2005年「イータテベイクじゃがいも研究会」会長として、飯舘村オリジナル品種のじゃがいも「イータテベイク」、カボチャの「いいたて雪っ娘」の生産、販売に取り組む。2007年「までい工房美彩恋人」を立ち上げ、「イータテベイク」、「いいたて雪っ娘」の商品開発、生産、加工、販売に力を入れる。2010年馬鈴しょ植物防疫補助員として「イータテベイク」の種いも生産に取り組む。2011年以降、東日本大震災、原発災害により避難生活を強いられるが、「あきらめない」心と、たくさんの応援により、かーちゃんの力・プロジェクト協議会代表として活躍中。

鹿野順一(かの・じゅんいち)

NPO法人@リアスNPOサポートセンター代表理事

1965年釜石市生まれ。釜石市で本業4の菓子店を営む傍ら、まちづくり活動を経て、2004年に特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンターを設立。以降、さまざまな活動を行ってきたが、2011年東日本大震災により事務所を含めて被災した。それ以後は被災地のNPOとして「被災者が主役の復興」をめざして活動を再開している。震災後に岩手県内の中間支援NPOが連携し、設立された岩手連携復興センターの代表理事を務める。

コーディネーター

玄田有史(げんだ・ゆうじ)

東京大学社会科学研究所教授

1964年島根県生まれ。東京大学経済学部卒業。経済学博士(大阪大学)。東京大学社会科学研究所教授。専門は労働経済学だが、2005年より希望学という新しい学問を始める。著書に『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、サントリー学芸賞他)、『ジョブ・クリエイション』(日本経済新聞社、エコノミスト賞他)、『希望のつくり方』(岩波新書)他。日本経済学会・石川賞受賞(2012年)。