<研究報告1>
被災地域の復旧・復興過程における産業・雇用政策:
第59回労働政策フォーラム

震災から1年、被災地域の復興と労働政策を考える
(2012年3月19日)

JILPT特任研究員 伊藤 実

伊藤 実 労働政策研究・研修機構特任研究員

被災地の現状

私からは、統計データの背後にある実態についてお話します。東日本大震災は想像を絶する甚大な被害をもたらしました。被災直後に現地に行くと、言葉を失いました。震災から1年が経ち、被災地の現状はどうなのでしょうか。沿岸部では復興があまり進んでいません。お金は相当流れているはずなのに、なぜ復興は進まないのでしょうか。

先日も被災地に足を運び、現地で話を聞きました。いろいろな要因が絡んでいることは確かですが、最大の要因は人材不足です。確かに国の補正予算などでお金は流れ始めましたが、それを消化できる人がいないのです。被害の大きかった沿岸部は、漁業と水産加工業が集積していますが、ほとんど復興していません。なぜなら、港が使えないからです。護岸工事はほとんど進んでいません。ところが、大規模な港のブロックは復旧しています。復旧しているところは国土交通省の直轄事業なのです。逆に、全然復旧していないのは、市町村が担当しているところです。市町村で復旧作業が進まないのは、建設関係の専門人材が不足していて工事の積算作業ができないため、予算がついてもほとんど前に進めません。こういうことが、被災地のあちこちで起きています。

仙台空港

仙台駅

東北地方の現況をみると、仙台は光り輝いています。仙台の有効求人倍率をみますと今年の1月で1.1倍になっています。経営者の方から話を聞くと、求人を出しても人が集まらないと言っています。これは、被災地の将来図をかなり的確に示唆しています。今後は仙台一極集中がさらに加速する一方、沿岸部はかなりの確率で人口減少が進みます。

奥尻島の経験

1993年に北海道南西沖地震で大津波に襲われた奥尻島で、同じようなことを経験しています。昨年、調査に訪れたのですが、まちは完全に復興していました。町役場は5年で完全復興したと宣言しています。細かな資料も出して教えてくれたのですが、国と北海道が乗り込んできて、瞬く間に復興計画を進めてしまったそうです。

では、町役場は何をしたのでしょうか。津波で仕事を失った漁業関係者には高齢者が多くいました。彼らは、仕事から離れると即、引退に追い込まれます。国交省の護岸工事を待っている訳にもいかないので、2カ月くらいで、番屋とよばれる作業小屋を海岸に建て、仕事を失った漁業関係者に、網の補修などの共同作業に従事してもらいました。その結果、高齢化が進んでいた漁業関係者の引退をなんとか食い止めることができたそうです。

奥尻島では共同体の方が同じところで作業したため、孤立することはありませんでした。ところが、東日本大震災では、仮設住宅をみても、いろいろな選定基準を設けた結果、集落ごとに入居することができませんでした。その結果、地域の共同体はずたずたになり、孤立する高齢者が出てしまいました。一方、奥尻島では、一部の漁業関係者を除き、短期間に集落ごと高台に移転し、村落共同体を維持することに成功しました。完全ではありませんでしたが、ここまでは復旧が順調に進みました。

復興計画の欠如による長期的衰退

ところが、10年、15年が過ぎ、奥尻島では人口が3割減少し、漁業関係者は半減しました。町役場が反省しているのは、復旧政策はあったけれども、復興政策がなかったことです。では、何をやったかというと、島の外周に光ファイバーを張りめぐらせました。ところが、私が泊まったペンションは、近くまで光ファイバーが来ているのに、客が使えるようにはなっておらず、ネットに接続することができませんでした。フェリー乗り場なら無線LANに接続できるかもしれないと思い試してみましたが、やはり接続できませんでした。

このように、観光業や漁業などの基幹産業は復旧はしたものの、復興していないのです。復興という政策概念がほとんどなかったからです。とくに漁業関係者は不幸な結果となりました。地元の漁業協同組合はひとつの組合として維持できなくなり、函館などの八漁協と合併しました。その結果、奥尻島で獲れた魚介類をわざわざ函館に持っていくことになりました。地元のガソリンスタンド経営者がアワビなどの海産物加工場を立ち上げても、海産物を地元で買うことができず、北海道まで買い付けにいくことになりました。

さらに役場も手を焼いたのが、漁協の閉鎖性の問題です。今でも年に3、4件は、一家そろって奥尻島に移住し、漁師になりたいという人があらわれます。役場は漁協に取り次ぐのですが、新参者や外部者は入れてくれません。閉鎖性を守り続けた結果、漁業関係者は半減しました。

人口減を前提に復興計画を策定

復旧から復興に舵を切るとき、やってはいけないのは拡大再復興です。人口が縮小するのを前提に、まちづくりや産業構造を考えなければいけないというのが、奥尻島からの経験です。過剰な設備をつくってしまうと、メンテナンスに膨大な維持費がかかり、大きな財政負担がのし掛かってきます。復興には一時的に、お金がつきます。どさくさに紛れて、いろいろなハコモノをつくってしまうと、バブル経済の後遺症と同じことが起きてしまいます。

政治の混乱で、復旧・復興政策が大幅に遅れてしまいました。私が懸念しているのは、沿岸部の漁業や水産加工業の復旧が進まないことです。政府系のお金の流れをみると、ほとんどがサプライチェーンの製造業に回っています。漁業関係のところには、ほとんど融資していません。漁師さんは、零細でひとり親方も多く、複雑な復興支援の書類を書く能力が十分に備わっていません。「こんな面倒くさいことはできないよ」というのが漁師たちの本音です。港が地盤沈下で水浸しになってしまい、水産加工業の復旧も遅遅として進みません。福島県の中小企業連合会の調査によると、いち早く実施した県の融資が被災後の開業率を高めたという調査結果がありました。復旧は時間との勝負です。にもかかわらず、漁業は復旧の流れから完全に取り残されてしまっています。

求人・求職のミスマッチの問題

被災地に特徴的なのは、建設やサービス業からの求人が多く出てきていることです。ただ、問題は仕事の中身です。ハローワークのデータを調べてみると、パチンコ屋の求人が目立ちます。先日も石巻に足を運びました。夕方から夜になり、光り輝いているのはパチンコ屋と居酒屋で、あとは暗闇です。

また、建設業からの求人があるからといって、漁業や水産加工業からの失業・求職者は、なかなか再就職しようとしません。元の仕事への復帰を最優先しているからです。

さらに、政策的なものも絡み、一概に悪いとは言えないのですが、原発避難者が制度的に働かない、働けない問題があります。原発避難者にはひとり月10万円くらいの手当が出ますが、働いて収入を得ると削られます。ハローワークに仕事があると言っても、働くと手当が減るので、仕事に就きません。これは制度的な問題であり、被災された方が怠け者で働かないということではありません。働くと損する制度になっているのです。こういう制度上の問題もあり、ミスマッチはなかなか解消しません。

需要を考慮した職業訓練が不足

公共訓練もさまざまなメニューが進んでいます。ただ、被災者が多いので、全員が職業訓練を受けるのは難しい状況です。被災地に足を運ぶとわかりますが、現地の交通機関はずたずたになっています。沿岸部から仙台に行くのは、地図で見る以上に大変です。車で行こうとすると大渋滞に巻き込まれます。一般道には、瓦れき運搬のダンプが走り回り、高速道路は無料化されているため、車が殺到して、身動きがとれません。簡単には行けないことがデッドロックになっています。職業訓練を受けたくても、受けられない人がたくさんいるのです。出先に簡易の職業訓練施設をつくって実施するなど、小さな工夫が必要です。

失業者のモチベーションを維持

被災地に限ったことではありませんが、仕事を失い失業状態が長引くと、3の倍数ごとにやる気を失っていきます。失業して3カ月ぐらいは何とかやる気を維持していますが、3カ月過ぎるとだんだん衰える人が出はじめ、6カ月過ぎるとそうした人がかなり増えてきます。9カ月過ぎると、被災地以外のハローワークでは、給付切れが迫ってきますから、就職する人が増えてきますが、それを超えると長期失業者になります。長期失業者になると、健康状態も落ちてきて、働く意欲が失われてしまいます。

被災から1年が経ち、そろそろ長期失業者の領域に入ってきます。いっときも早く仕事に復帰することが重要です。特に沿岸部では、早急に護岸工事を進め、漁業を復活させないと、どんどん失業者が増えてしまい、最悪の場合、生活保護に回ってしまうこともあります。

過度な製造業重視政策からの脱却

産業政策的に言えば、やはり産業が先に立ち上がらないと雇用政策は機能しません。ところがひとつ、ネックがあります。政府関係の補助金は、設備投資にお金を使わないと助成金は出ません。現在の枠組みでは、ハードの製造業はいろいろな支援を受けることができますが、ソフトの産業はほとんど支援を受けることができません。

今回の特区構想をはじめ、助成金の流れをみると、いまだに製造業中心のスキームになっています。客観的にみると、日本のものづくり産業は縮小傾向にあります。特に量産型のエレクトロニクス産業の誘致にはリスクを伴います。ところが自治体では、相変わらずエレクトロニクスメーカーを誘致しようと真顔で考えている地域もあります。

東北地方の自治体をしらべると、エレクトロニクス産業よりも、食料品加工業のほうが、雇用を生み出していることがわかります。ハイテク産業に将来性がないとは言いませんが、中小も含めて食品加工業の生産性を向上させて付加価値を高めるスキームをつくりあげていくことが重要ではないかと考えます。

さらに、実際に雇用を増やしているのは、介護、商業、IT産業などの第3次産業です。こうした実態を考慮した産業政策が必要です。

期待される市民ファンドの役割

全体から見れば非常に小さいのですが、市民ファンドによる支援も注目されます。これは、市民から集めたお金を、選定した事業者に融資するものです。横文字のユニークな名前の会社が、被災企業を支援しています。ほとんどが、30歳代が代表を務めるIT系の企業です。市民ファンドのおかげで、国や県から融資を受けられなかった地元企業が再開にこぎ着けています。

これはまったく新しい動きで、被災地における新しい芽です。こういう芽を大事に育てていくと同時に、国の予算がおりたら、ゼネコンOBを使うなど、人材不足を解消していけば、復旧が加速するのではないかと思います。

再生エネルギー活用計画の見直し

仮設住宅

最後にもうひとつ。市町村に行きますと、あちこちで立派な再生計画が立ち上がっています。ただ、よく見ると非常に似ています。自然エネルギーや再生エネルギーを使いスマートシティーをつくる、あるいは植物工場をつくる計画などです。ほとんどコンサル会社が作りあげたものです。東北地方のあちこちで、似たようなコンセプトの復興計画が出回っています。震源地は東京のコンサル会社です。このまま行くと、ずさんな復興計画にお金がつぎこまれる可能性があります。

復興交付金では、宮城県知事が復興庁を査定庁と言って怒っていましたが、国と地方は協業が必要です。ともに知恵を出し合い、合理的な復興計画を立てる必要があります。いずれにせよ被害は甚大で、現場は非常に混乱しています。1日も早い復興を進めていくことが重要です。