オランダ パートは「非正規」と見られない
フレキシブル雇用とのバランスが課題:
第51回労働政策フォーラム

非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―
(2011年2月25日)

アルヤン・カイザー氏(マンチェスター大学講師)/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

アルヤン・カイザー氏(マンチェスター大学講師)

1 はじめに

オランダの非定型雇用は、発展の経緯と特徴面で他国と異なっている。それは、「パートタイム雇用」と「フレキシブル雇用」の両方に当てはまる。第一にオランダの労働市場は、パートタイム雇用が労働人口全体に占める割合が、とくに女性労働者のなかで非常に高く、「世界で唯一のパートタイム経済の国」と評されている(Freeman)。また、ここ数十年間、さまざまな「正規化」への取り組みが行われ、パートタイム雇用が、賃金、雇用の安定、社会保障などの面でフルタイム雇用と均等な待遇を獲得した。その結果、パートタイム雇用はもはや「特殊な」または「非正規の」就労形態とは見られない。

フレキシブル雇用に関しては、1990年代後半に新たな法的枠組みがつくられた。その中心にあるのが、99年に制定された「雇用の柔軟性と保障法(Flexibility and Security Act)」である。同法に加え、労働協約による代替条項が、フレキシブル雇用の就労者に大きな影響を与えてきた。

こうした進展が近年、幅広い称賛を集めている。パートタイム雇用の増加が、90年代から、好況を維持した「ポルダーモデル」経済に、大きく貢献したと考えられている。フレキシブル雇用に対する規制や、柔軟性と保障を両立させるための試みも、称賛の的になっている。「雇用の柔軟性と保障法」と、同法から生まれたより幅広い枠組みである「フレキシキュリティ(柔軟な保障)」は、EUの「労働市場、労働組織、労使関係の柔軟性の向上と、雇用と収入の安定を、より弱い立場にある集団のために同時に、かつ意図的に図ることを目指した政策戦略」の優れた例として知られるようになった。オランダにおける進展が、EUが現在掲げているフレキシキュリティ政策の重要なインスピレーションとなっている。

2  オランダの経済と労働市場に関する基本データ

国内総生産(GDP)の変遷をみると、目を引くのは1980年代前半の停滞である。こうした景気低迷が背景となり、労使間でワッセナー合意が締結されることになった。

仕事量と従業員数の変遷を見ると、90年代に激増している。ここでは、パートタイム雇用が重要な役割を果たしていた。オランダ統計局(CBS)のデータは、週12時間以下を含めないことが多いことには注意が必要であるが、雇用の増加は(労働)参加率、とくに女性参加率に重大で肯定的な影響を与えている(図1)。

非定型雇用が雇用全体に占める割合は、図2にあるとおり、女性パートタイムでは重要性を示している。オランダではパートタイム労働が「正社員として契約し、規定された1日または1週間の労働時間より短い就労時間で合意している仕事」と定義されている(CBS)。従業員の50%以上、女性では75%以上がパートタイムで働いている。

図1 就業率

図1 就業率/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

資料出所:オランダ統計局(CBS), Statline

図2 パートタイム雇用の割合

図2 パートタイム雇用の割合/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

資料出所:オランダ統計局(CBS), Statline


図3 フレキシブル雇用就労者の絶対数

図3 フレキシブル雇用就労者の絶対数/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

(注)オランダ統計局は2001年にデータの測定法を改定しており、新しい測定法による 2001年の数はそれ以前の方法による場合より、柔軟な働き方をする人の総数で 17,000人減、派遣は4,000人減、その他のフレキシブル就労者は14,000人減とな っている。
資料出所:オランダ統計局(CBS),Statline

フレキシブル雇用に関するデータは、解釈が難しい。図3は、フレキシブル雇用を「固定的関係がない、もしくは特定の期間を定めない雇用契約」としているCSBの定義に基づいている。フレキシブル雇用で就労する人々を「人材派遣業者(TWA)に登録している派遣労働者」、「オンコールワーカー」、「その他」に分類している。データを見ると、フレキシブル雇用が景気動向に依存し、2000年代前半は不況で減少している。しかし、絶対数で見たフレキシブル雇用の就労者数は安定しており、09年度では、7.75%がフレキシブル雇用となっている(表1)。ただし、CSBが週12時間以下を含めていないことから、数が過小評価されている可能性が高い。

表1 無期契約労働者とフレキシブル(柔軟な働き方をする)就労者

表1 無期契約労働者とフレキシブル(柔軟な働き方をする)就労者/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

資料出所:労働者保険事業団(UWV)(2010:32)

オランダにおけるフレキシブル雇用を調べた研究では、1年間を通した「フローデータ」と呼ばれる数値をとりあげ(Wilthagen et al.,2005)、この定義を使うと、派遣労働者の数は73万4,000人に達する。これ以外にも、雇用保険を管理する労働者保険事業団(UWV)のデータによると、09年度のフレキシブル雇用の割合は34%に高まる。数値が高いのは、「従業員なしの個人事業者」 (ZZP-ers)と呼ばれる労働者も含めている可能性もある。彼らの約3人に1人が1、2件の得意先とだけ取引しており、個人事業主と呼べない状態にある。

3 労使関係の重要な側面

労働市場の進展を決定付けてきた重要な要因は、「ソーシャルパートナーズ」と呼ばれる使用者組織と労働組合の代表者が、諮問機関を通じて協議・協力してきたことにある。オランダでは、労使双方が3つの連合によって、国家レベルで組織化されている。労組団体は、オランダ労働組合連合会(FNV)、オランダキリスト教労働者全国同盟(CNV)、中上級職員組合連合会(MHP)、経営側の団体は、オランダ産業使用者連盟(VNO - NCW)、オランダ中小企業連盟(MKB)、オランダ農業園芸組織連合会(LTO)である。

業界レベルでは、労使が労働協約(CAO)の交渉を行う。団体交渉のプロセスは、1927年制定の「CAOに関する規則」と37年制定の「労働協約規定の一般的拡張に関する法律(Wet AVV)」の2つによって規定されている。政府は、後者の法律に基づいた協約の一般的拘束力を宣言することができる。こうした法律があるため、組合組織率が約20%にとどまっているにもかかわらず、雇用契約の80%以上に労働協約が適用されている。組織レベルでは、従業員50人以上の全企業に従業員協議会の設置を求める「オランダ従業員協議会法(Work Councils Act)」が71年に制定されて以来、同法に沿った労使協議が行われるようになった。

政労使間の協議で中核的な役割を果たしてきた組織が2つある。社会経済委員会(SER)は、政労使が参加して50年に設立され、政府と国会の社会・経済政策に関する重要な諮問機関となっている。労使各11人の代表者により、構成されている。もう1つの諮問機関には45年に設立された労働財団(STAR)がある。労使各10人の代表で構成され、重要な協約、とくにワッセナー合意とニュー・コース合意の交渉の舞台となったのがこのSTARだった。

(1)ワッセナー合意

1982年に締結されたワッセナー合意は「すべての合意の母」と呼ばれ、労使関係の分岐点となった。合意では賃金の上昇を抑制する代わりに、労働者全員の労働時間を縮小すること(ワークシェアリング)を決めた。その目的は企業の収益力を回復させ、(若年者の)失業を減らすことにあった。このとき、雇用を再分配する手段として、パートタイム雇用の促進が提案された。

ワッセナー合意締結の経緯と影響については、VisserHamerijck によるオランダの「ポルダーモデル」に関する独創的な分析に詳述されている。この合意は困難な経済状況の中で締結された。オランダ経済は1979年の第2次オイルショックの影響をまともに受け、深刻な不況に陥っていた。労使はともに、何らかの策を講じねばならないと考えていたが、有意義な合意に達することができないでいた。政府はすでに数回にわたって賃金の支払いの一時停止、賃上げの制限といった措置をとっていた。また、キリスト教民主党(CDA)と自由民主国民党(VVD)による新政権が本合意締結のほんの2日前に、財政緊縮政策を発表したばかりだった。こうした状況下で、組合側は一刻も早く合意に達する必要に迫られていた。使用者側も、政府による直接介入をできるだけ回避するため、合意の締結を強く望んでいた。

ワッセナー合意は、FNVとVNOの間で締結された。合意そのものは2ページしかない。「現在ある雇用をより効率的に再分配するための長期的なアプローチ、すなわち労働時間の短縮、パートタイム労働の導入、若年者の失業率を減らすための取り組みなどいくつかの手段を通じて雇用の再分配を行うことが必要である」と主張。同時に、「現在ある雇用をよりうまく再分配することで、コスト上昇は避けねばならない」と論じている。これらの目標を達成するために、労使は互いに「『独占交渉権を持つ団体交渉のパートナーとして、労働協約で定める賃金協定の再交渉を行う』必要性を訴え、『国会に対して、団体交渉の参加者たちが、前述した提言に基づいて、互いに自由交渉できるようにするため、あらゆる手を尽くす』よう求める」とした。

この合意に対する反応は早く、労働協約全体の3分の2が更新された。これがきっかけで、賃金抑制と団体交渉の分散化が始まり、集団的な時短が導入されることになった。また、パートタイム雇用の増大により、協議・調整にもはずみがついた。ワッセナー合意がもたらした結果が、合意の名声を高めることになる。第一に、組合による賃金抑制が、投資や雇用拡大を促進するための重要な手段となった。第二に、合意がきっかけで団体交渉の分散化が始まり、93年のニュー・コース合意によって一層強化されることになった。

第三に、ワークシェアリングについても進展があった。労使間で長らく意見の対立が続いていたこともあり、合意は大きな進歩だった。ただし、時短で達成できることは限定的だと考えられていた。使用者側は賃金抑制と引き換えに、従業員全員の労働時間を週40時間からから38時間に減らすことを受け入れたが、組合側は、集団的に労働時間を短縮しても、雇用が拡大しなかったこともあり、時短の有用性を以前ほど認めなくなった。

その代わり、合意はパートタイム雇用を「雇用の再分配を図る手段のひとつ」として含めたことにより、それが増加するきっかけとなった。組合側はパートタイム雇用に対し、労働条件が正社員より劣ることを理由に、長く否定的だった。ところが、ワッセナー合意が締結され、パートタイム雇用が著しく成長し始めると、彼らの態度が少しずつ変わっていく。「仕事の再分配のほぼすべてがパートタイム労働の形をとって現われ、パートタイム雇用は1980年代のオランダ経済において『雇用の牽引力』になった」(Visser)からだ。

ワッセナー合意は、労働市場の問題に対処する手段として、全国協議を使う姿勢が大きく強化されただけでなく、その後のポルダーモデルの成功・名声により、「協調組合主義の復活を世に知らしめたシンボル」とも表現されている。

しかし、時短による成果は期待外れだった。真の成功はパートタイム雇用の増加によってもたらされたが、数年かかったため、合意の影響は直接目に見えなかった。だが、一旦成果が現れ始めると、合意はオランダ労使関係上の決定的瞬間として称賛されるようになり、その名声は現在も続いている。

(2)ニュー・コース合意

ワッセナー合意の影響は、労働財団で93年に締結されたもう1つの重要な合意であるニュー・コース合意に表れている。この合意は、90年代前半の停滞で、賃金抑制に対する圧力が再び高まったことを背景に結ばれた。正式名称は「ニュー・コース(新しい方向性):中期的な視点から見た団体交渉のための1994年度の議題」である。合意が成立したのは、労使双方が、より自由にさまざまな分野の要求に対応できる体制が必要になってきたからである。

つまり、中央で締結するのは大枠の合意だけにとどめ、具体的な内容は各業界で決定するということだ。「雇用主らはさらなる分散化と柔軟性を手に入れ、組合は中央の使用者組織から時短に対する全面的な抵抗を止めるという約束をもらい、地方の代表者らは地方の問題の解決策についての交渉に参加できることになった。双方が就業率を高める必要性を強く訴え、仕事と子育てを両立させるための解決策のひとつとして、パートタイム労働を提案した」(Visser and Hemerijck)と、合意を評価している。

本同意がもたらした結果は、ワッセナー合意と似ている。第一に、労使交渉が中央から離れ、さらなる分散化が進んだこと、第二に、賃金抑制がもたらされたこと。集合的な時短も、組合がまだ雇用創出の手段に使えるという考えを持っていたため、団体交渉の議題に戻ってきた。しかし、ニュー・コース合意がもたらした結果は功罪相半ばする。雇用増加の大部分は、パートタイム労働によるものだった。従業員グループの多くで、労働時間が週36時間まで短縮されたが、この措置が全体に行き渡ったわけではない。この合意は労働市場に対処する手段としての協議の重要性を裏付け、ワッセナー合意後、11年間に渡って労使が信頼関係を構築した結果、登場しており、ワッセナー合意を土台としただけでなく、方向性を認め、継承したものだった。

4 パートタイム雇用

パートタイム雇用が増大した頃は、自律的な動きだったが、労働市場政策、ソーシャルパートナーズからの支援、新しく制定された法律などによって補完され、強化されていった。

(1)パートタイム雇用の増大と「正規化」

パートタイム雇用は1950年代女性の労働力不足を補うために、企業が既婚女性向けに導入して始まったが、それほど目立つ規模ではなかった。1970年代前半の女性就業率は30%以下で、OECD加盟国の中でもっとも低かった。しかし、70年代から、保育施設の不足と根強い「子どもは家で育てる」という文化的な背景のために、パートタイム雇用が就業率増加の大部分を占めるようになる。その後、重要な社会変化として、「結婚しても労働市場に残る女性が増えたこと」「女性の教育レベルが上がって就業率が向上したこと」などがあり、潜在的な要因として、「出生率が低下したこと」「女性の社会的解放が進んだこと」などで、女性就業率は上昇する。

この流れは70年代に労働力が不足し、既婚女性の採用を増やしたことで、さらに強化される。73年、結婚や妊娠を理由に女性を解雇することを禁止した法律が制定されたほか、税制改正によって妻による「副」収入に対する課税率が引き下げられた。政府の政策は当初、パートタイム雇用を、失業者を減らす手段や、女性解放を促進する方法と捉えていた。

ソーシャルパートナーズは、この時点ではまだパートタイム雇用に関する議論に参加していない。しかし、80年代に締結されたワッセナー合意で、状況が変わっていった。使用者らはパートタイム雇用を、集合的な時短に代わる理想的な選択肢だと考えた。さらに、パートタイム労働を望む女性公務員の増加で、人員削減が可能になり、結果的に国家予算の削減にもつながったからである。

労働組合は当初、他国の労働組合と同じく、組合に加入していない労働者の市場が生まれることを心配していたが、ワッセナー合意とその影響で、考え方が変わっていく。パートタイムの組合参加率も高まっていった。

質の高いパートタイム雇用を育てる必要性についての新たなコンセンサスにより、1990年、FNVはフルタイム雇用を基準とする方針を廃止した。いくつかの法改正が行われ、例えばパートタイム従業員も失業給付金を受給できるようになるなど、パートタイム従業員の立場が強化された。93年には、政府が正規の週労働時間の3分の1以下の従業員を法定最低賃金の適用外とすることを定めた法令を廃止。96年には、パートタイム労働者に賃金、残業手当、ボーナス、職業訓練などについて、フルタイム就労者と均等な待遇を受ける権利が与えられる。さらに、1990年と2001年の税制改正で、短時間のパートタイム労働への就労を阻んでいた要因がいくつか取り除かれた2000年には、ついに労働時間法(WAA)が制定され、従業員が特定の状況下で、労働時間を自分で変更(減らすか増やす)する権利を手に入れる。

こうした変化が重なって、パートタイム雇用の正規化がもたらされたのである。Visser は「パートタイム労働」を「非定型な形態でもなければ、フレキシブル雇用でもない」と結論づけており、「非定型な就労形態」の性格を失った(Plantenga)。

(2) 現在のパートタイム雇用の特徴

図4 週労働時間(%)

(注)図4 週労働時間(%)/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

1.上のグラフは女性、下は男性を対象。

2.数字はそれぞれ無業(no work),1-11時間、12-19時間、20-27時間、28-34時間、35-40時間のもの。

3.データは オランダ統計局(CBS)のデータを Netherlands InstituteがSocial ResearchSociaal en Cultureel Planbureau, CPB)用に処理。

資料出所:Portegijs et al.( 2008:33)

Portegijs らの最新の研究によると、幼い子ども(0~11歳)のいる女性といない女性の間にほとんど差がない。子どもがより年長で、フルタイムで就労している女性の割合はわずかしか高くなく、子どもがいない若い女性さえ、40%がパートタイムで就労している。パートタイムで働く女性の中で、幼い子どもがいるのは41%に過ぎない。

パートタイム雇用の浸透ぶりを示す点で興味深いのは、労働時間が長めのパートタイム労働が増加をしていることだ。図4は、全般的に労働参加率が高まっていることと、中時間(20~27時間)および長時間(28~34時間)の参加率が、とくに女性労働者で高まっていることを示している。一方、フルタイムで働く女性の割合が、全体的な労働参加率が上昇しているにもかかわらず、91年からほとんど変化していない。

現実の労働条件をみると、EU加盟5カ国の労働条件を調査した結果、オランダの状況が他国よりよかった。女性の間で、パートタイム労働者の12%が有期契約で働いているが、これはフルタイム就労者の14%より低い。男性においては、パートタイム労働者の18%、フルタイム就労者の8%が有期契約である(表2)。

しかし、パートタイム雇用がすべての面で正規化しているわけではない。例えば、パートタイム労働者が就いている職務レベルは、依然として下位に多い。職務レベルが上になるほど、パートタイムよりフルタイム就労者の割合が増えているが、この割合の差がもっとも大きいのは英国とスウェーデンで、もっとも小さいのはフランスとスペイン。昇進可能性の点では、オランダの状況はとくに優れているわけではない。

表2 有期雇用契約のフルタイム及びパートタイム労働者の
割合(学生を除く)

表2  有期雇用契約のフルタイム及びパートタイム労働者の割合(学生を除く)/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

(注) EC統計局 (Eurostat), Labour Force Survey 2005

資料出所: Portegijs et al.( 2008:57)

パートタイム従業員の労働時間に対する満足度を見ると、ほとんどの従業員が現在の労働時間に満足しているといえる。ただし、例外は24時間以下のパートタイムで働く男性と女性フルタイムである。前者は何割かの人たちがより長時間働きたいと答えており、後者では可能なら労働時間をより短縮したいと回答している。それは、女性がパートタイム労働を選んだ理由を見ても分かる。女性たちがあげた理由には「子育てのため(38%)」、「家事をしたいから(21%)」、「プライベートな時間が欲しいから(17%)」、「社交や趣味の時間が欲しいから(13%)」(複数回答)などが多い。フルタイムの仕事に就けなかったからパートタイム労働している女性は3%に過ぎなかった。

印象的なのは、週32時間が基準の労働時間になっている組織や職務が出てきている。週32時間が基準になりつつあることがその一因だろう。もうひとつ、この認識の変化をもたらした大きな懸念事項は、労働時間の短い働き方では経済的自立は難しく、社会の高齢化を補うことはできそうもないことだ。このため、08年から長時間パートの女性を増やすことをめざしたタスクフォースが設置された。

5 フレキシブル雇用

近年、フレキシブル雇用の就労形態が増加している背景には、90年代後半に制定された「雇用の柔軟性と保障法」と「仲介者による労働の割り当てに関する法律(WAADI)」がある。

(1)フレキシブル雇用の増加

派遣労働が主な就労形態になった80~90年代にかけて、フレキシブル雇用の就労者が大きく増加した。この間、重要な役割を担った法律は、65年制定の「労働者の配置に関する法律」(本格施行は90年)と90年制定の「労働力の提供に関する法律」(96年改正)である。両法律とも、人材派遣業者に対する営業免許制度を取り入れている。この時期、オランダの労働市場で派遣労働が市民権を得るようになった。この変化を「オランダの人材派遣業界は60年代には悪名高かったが、70年代にある程度の正当性が認められるようになり、80年代前半には、労働市場の硬直性を一時的に解決するための便利な道具として、一定の支持を受けるようになった」(Houwing)としている。

(2)法律面における重要な進展

99年に「雇用の柔軟性と保障法」が制定されるまで、フレキシブル雇用に関しては、「有期契約の理由を述べる必要はない。しかし、こうした理由を労働協約に明記することはできる」「最短契約期間および最長契約期間は記載しない。これらの期間も労働協約に明記することができる」「有期契約が終了しても雇用を継続する際は、無期契約に関する話し合いをするが、1カ月の空白期間を設ければ、新たな有期雇用契約を結ぶことができる」などのゆるやかな規制があるだけで、成文法による制約がほとんどなかった。

そのため、80~90年代にかけて、フレキシブル雇用が大幅に増加し、雇用全体の10%を占めるまでに成長。労働市場の二重構造を招くのではないかという懸念や、「回転ドア構造」と呼ばれる就労形態(派遣労働と社会保険給付の間を行き来する働き方)を指摘する声が多かった。当時の法律は、いかなる有期契約も、更新する際は自動的に無期契約になると明記されていたため、企業は有期契約が終了した派遣労働者を人材派遣業者に一旦戻し、それが新たな雇用関係だという解釈が可能になるように、1カ月の空白期間を設け、再雇用する策をしばしば使っていた。

こうした懸念に対し、政府とソーシャルパートナーズが行動を起こす。最初の大きな成果が95年に社会・雇用省による「(雇用の)柔軟性と保障」と呼ばれる覚書で、これは、雇用の柔軟性と社会保障を両立させ、フレキシブル雇用の急激な増加とその保障の少なさに対応することをめざして作成された。しかし、政府内で合意に達することができなかったため、労働財団に公式な助言を求め、その内容を96年に「雇用の柔軟性と保障に関する覚書」として発表した。この覚書によると「柔軟化は、適切な環境で実施され、使用者側の利益だけでなく、労働者が自らの環境の中で、よりよいバランスを得ることができるなら、肯定的な変化と捉えることができる」、「通常のフルタイム雇用とは異なるが、それなりの保障、安定性、規則性があり、従業員が仕事を中心に私生活を構築できるような就労パターン」が必要であるとした。

こうした合意により、従業員側にパートタイム雇用を選択する人や、共稼ぎ家庭が増えるといった新たな姿勢が芽生え、企業も組織を柔軟化させるように努めるといった状況が生まれた。その結果、政府はこの提言を含め、新たに「雇用の柔軟性と保障に関する法律」案を作成。本法は99年1月に施行された。

「雇用の柔軟性と保障法」のさまざまな条項を、表3にかかげる。第一に、有期契約の回数と継続期間がいわゆる「拘束」条項 (「3・3・3ルール」)によって規制されている。この条項によると、雇用開始から3年間、もしくは契約更新を3回行った後は、3カ月以上の空白期間がない限り、無期契約に移行しなければならない。もう1つ、人材派遣業者と労働者が結ぶ契約を正規の雇用契約と定義した重要な条項もある。ただし、雇用開始から26週間の「代理権条項」が適用される期間は、派遣業者からのあっせん期間が終了すると雇用関係も終わる。

表3 「雇用の柔軟性と保障法」の重要条項

表3 「雇用の柔軟性と保障法」の重要条項/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

資料出所:Houwing (2010) , Pot et al. (2001) , Van den Toren et al. (2002) , Wilthagen et al. (2005)

また、正規従業員とフレキシブル雇用に就く従業員との交換を認めた「覚書」に従って、解雇手続きがいくつか改正された。オランダの解雇手続きは公法と私法が適用されており、二重構造になっている。無期雇用契約を解除するためには、使用者は雇用保険の管理組織であるUWVに許可を申請するか、裁判所に訴えを起こさなければならない。使用者らは前者の手順を、「拘束が無駄に厳しく、経営に負担をもたらし、不確実性の原因になっている」と批判。後者の手順は、裁判所が所内でつくった計算式に基づいて、使用者が支払うべき解雇手当を決めるため、コストが嵩む。こうした規制が不均衡をもたらしており、「雇用の柔軟性と保障法」は正規従業員に対する解雇規制法令の緩和で、この解決を試みた。

同法を補完するものとして「労働者派遣に関する法律(WAADI)」が制定され、88年から施行された。この法律は人材派遣の免許制度を廃止し、禁止されていた建設業界への労働者派遣を解禁した。これ以外にも、派遣労働者には原則的に派遣先企業で同様の職務に就いている労働者と同程度の賃金を支払うことを決めた規定といった重要な条項が含まれている。この他にも、フレキシブル雇用の増加に貢献した法律がある。96年に制定された「営業時間に関する法律」で、営業時間の延長が可能になり、それを補うためにフレキシブル雇用の必要性が高まった。

(3)労働協約を通じた代替条項

「雇用の柔軟性と保障法」は、「4分の3以上の賛成」がない場合は適用せず、 労使協議によって代替手段を許可する条項がいくつかあるため、ソーシャルパートナーズに自由裁量の余地が与えられている。これは拘束条項、派遣会社との合意、試用期間、解雇予告期間、給与支払い停止条項に適用されている。よく見られた代替条項は「試用期間(52%)」、「解雇予告期間(39%)」、「拘束条項(32%)」である。

とくに重要な労働協約は、人材派遣業界内で締結されたものである。この協約は、労働財団が作成した「雇用の柔軟性と保障に関する覚書」の中で提案されていた。こうした協約への使用者側の主な参加者に、オランダ人材派遣協会(ABU)やオランダ経営者協会(NBBU)があり、組合側では、FNV、CNV、LBVである。「雇用の柔軟性と保障法」施行後、3件の労働協約が結ばれ、いずれも同法の条項の適用に影響を与える「段階(フェーズ)方式」と呼ばれるシステムを導入しており、同法を補完する性格が強い。

最初の労働協約により、人材派遣業者は同法の規定に従うか、あるいは段階(フェーズ)方式に従って労働者を雇用するかの2つのシステムのうちどちらかを選べるようになった。後者のシステムで、企業は代理権条項が適用される期間を26週間から1年間まで延長することができるようになった。一方、26週後の労働者の権利や労働条件が、年金受給権などの面で向上した。その後の2件の協約は、最初の協約を踏襲しているが、この段階(フェーズ)方式に重要な変更が加えられた。第一に、最初の2つのフェーズを1つにまとめた。また、第1フェーズの最長期間が78週まで延長され、無期契約に至るまでの最長期間が3年間から3年半に延びた。

(4)現在のフレキシブル雇用の特徴

年長の派遣労働者が全体に占める割合と、派遣労働者が一家の稼ぎ手である割合が増加している。また、派遣労働者に社会的弱者(45歳以上、少数民族、長期失業者、就労を妨げる障害を持っている人)が占める割合が増えている。

派遣労働者の分布を、段階(フェーズ)ごとに見ると、フェーズが上がるほど労働条件は向上し、フェーズCでは無期契約を結ぶことができる。ところが表4を見ると、派遣労働者全体でフェーズBまたはCにいる人は7%しかいない。

派遣労働者が無期契約に移行できる可能性としては、2割弱(図5)となっている。


表4 フェーズ毎の派遣労働者の分布(%)

表4 フェーズ毎の派遣労働者の分布(%)/労働政策フォーラム開催報告(2011/2/25)「非正規雇用の国際比較―欧米諸国の最近の動向―」

資料出所:オランダ人材派遣協会(ABU)
(2009 : 20)

 

図5 派遣労働者が無期雇用契約に移行する可能性

資料出所:労働者保険事業団(UWV)
(2010:35)

 

(5)新たな法律と成果に関する評価

「雇用の柔軟性と保障法」と「労働者派遣に関する法律(WAADI)」による影響については、01年と06年に実施された調査がある。

第一に、フレキシブル雇用の就労者は、期待されている保障の向上をそれほど肯定的に見ていない。保障の向上は、フレキシブル雇用だけでなく、さまざまな就労形態の間で実現する。第二に、フレキシブル雇用から無期契約への移行は難しい。この評価は、結果を期待外れとしている。この原因は、企業がフレキシブル雇用を選んで採用していることにあるとしている。企業には有期雇用契約のみ(フェーズA)の派遣労働者だけを選ぶ自由があり、無期契約や後半のフェーズに移行させる義務はない。「雇用の柔軟性と保障法」も人材派遣業界の労働協約も、雇用契約の転換を促す監視の手段を提供していない。フェーズBおよびCの数の少なさが、この状況を明確に示している。

最後に、フレキシブル雇用の別の形態が成長してきたことに注目したい。これは「雇用の柔軟性と保障法」というよりは、既存の枠組みがもたらした結果だといえる。「従業員なしの個人事業者」についてはすでに解説したが、彼らの多くが従業員と同じ立場の個人「事業主」であり、雇用の柔軟性の実現に大きく貢献している。もう1つの変化は、「ペイローリング(雇用代行)」の増加である。このシステムでは、重役が労働者の提供を受け、採用・選抜・待遇を行う。人材派遣とよく似ているが、採用活動は行わず、大抵は顧客である企業ですでに働いている労働者を譲り受ける形をとる。雇用代行業者が契約を失ったことを理由に、労働者を解雇しやすくなった傾向が見られる。ペイローリングによる就労者は07年には約7万人、09年には14万4,000人と増加の一途をたどっている。12年には18万人に達すると予想されている。ペイローリング業界は、使用者組織(VPO)や労働協約がある。

6 現在の懸念事項

CBSのデータによると、フレキシブル雇用が雇用全体に占める割合は長くほぼ一定を保ってきたが、UWVが最近発表したデータでは、フレキシブル雇用が全体の34%になっている。多くの企業では、無期契約で雇用されている正規従業員のグループは縮小の一途をたどっている。もう1つの大きな問題は、フェーズAからまったく前に進めない派遣労働者が多数いることだ。労働組合の訴えを受け、オランダ人材派遣協会(ABU)と合同で実態調査に乗り出した。

こうした進展について組合では強い懸念の声がある。組合は当初、派遣労働受入れの条件を 1.病欠している従業員の代替要員もしくは繁忙期の臨時要員 2.労働市場への参入と無期雇用契約への手がかりを提供するため 3.労働者に人材派遣会社が規定した無期契約を得られるようにする――の3つに定めていた。第一条件は現在も適用されているが、無期契約への移行は、望ましい数に達していない。

7 まとめ

この間の進展を見る限り、経済的事情が何よりも重視されている。段階(フェーズ)方式がフェーズCの無期雇用契約の達成につながっていない事実に、このことが最もよく表れている。労働協約では当初、無期契約につなげることをめざしていたが、期待はずれの結果しか出ていない。

正規雇用とフレキシブル雇用の間の柔軟性と保障のバランスを取り戻すための取り組みは、不足していると結論せざるを得ないだろう。ソーシャルパートナーズは正規雇用、フレキシブル雇用の双方において、バランスを取り戻す取り組みを強化する必要があるだろう。フレキシブル雇用が柔軟性の向上以外の目的のために増加している現状を踏まえれば、ここから始めるのが賢明なように思う。