基調報告 若者の変化の意義と育成すべきスキル:
第49回労働政策フォーラム
変化する若者へ向きあうキャリア・ガイダンス
(2010年10月21日)

二村英幸/労働政策フォーラム開催報告(2010年10月21日)

文教大学人間科学部心理学科教授 二村 英幸

私は大学で主に産業・組織心理学を教えています。つまり、キャリア・ガイダンスの専門家というわけではなく、むしろ門外漢のような立場にあります。しかし、門外漢であるがゆえの視点を提示させていただくことにも意味があるかもしれない、また教員としては、門外漢を決め込むこともできない立場かと思い、お話させていただきます。学生、つまり若者と接するなかで見聞きしている経験をお話しすれば、ここにお集まりの皆様が何かをお汲み取りいただき、新しいものを生み出していただけるのではないかとも考えました。

お話ししたいことは、若者がどのように変わったのか、そしてその背景にあるものは何なのかということです。そのうえで、若者のどのような能力やスキルをどのように育成すべきかについて整理してみたいと思います。

若者の変化に戸惑う

まず、大学で若者の変化に対して戸惑った例を個人的な経験を中心にお話します。たとえば、ある学生は午後3時を過ぎた頃、「寝坊した」と言い訳しながらのこのこと講義にやってくる。また、別の学生は研究室で講師の指導を受けている最中に携帯メールで友人とやりとりしようとする。講師に対して友達と話すようにため口で話しかけてくる学生もいます。また、最近マスメディアなどで取り上げられている例ですが、ランチをトイレの個室で食べる学生もいると聞きます。

企業でも戸惑いの例が報告されています。ある有名大学卒の社員は明るく元気な性格で学生時代は運動部に所属していました。将来を嘱望される有望株だったのですが、入社後、研修の一環として、寮をあてがったにもかかわらず、そこにはほとんど寄りつかず、自費で借りたワンルームに住んでいる。同僚とも交流しようとしません。会社としては社員同士の連帯を深めるために全寮制の寮をあてがっているのにそれになじもうとしないというのです。

別の新入社員も有名大学卒で能力も性格も申し分ないのですが、上司や先輩がつきっきりで1から10まで教えてやらないと仕事が進められないそうです。

大学院卒ですぐれた技術をもっている社員が「先輩と同じような成果をあげられない」と落ち込み、会社に出てこなくなってしまった例も伺いました。そうかと思えば、職場で周囲から頑張れ頑張れと励まされ、頑張りすぎて過労で倒れてしまった新入社員の話もあります。仕事が思うように進まないことを自分の責任として受け止めず、「先輩や上司がきちんと教えてくれないからだ」と怒りを爆発させる新入社員の例もあります。

また、社会では先日、報道されましたが、中学生がホームレスに熱湯をかけるなど、切実な問題も聞かれるようになりました。

こうした従来とは異なる若者がここ5年から10年の間で多く見かけるようになり、戸惑うことが多くなりました。

若者の変化は社会の変化

若者が変わった背景には、社会の変化があると気づかされます。この5年、10年において、技術革新やグローバル化が急激に進みました。さらに無人化が進んだ生活空間が増えてきました。ジュースや切符を買うにも自動販売機にお金を入れさえすれば誰とも言葉を交わさなくともよく、生身の人間とふれ合う機会が少なくなっています。核家族化が進み、近所づきあいも希薄になりましたし、おじいさんやおばあさんと接する機会も少なくなっているのではないでしょうか。

また、最近、3Dテレビが出てきましたが、バーチャルな世界をリアルに近づける最たる技術革新だと思います。3Dテレビを批判するわけではありませんが、バーチャルがリアルに近づけば近づくほどリアルがバーチャルに見えてくるという実態があることを理解しておく必要があると思います。

技術革新が進み、雇用のパイを海外の労働者と争う一方で、一部の優秀な人が海外に流出するという状況も起こっています。「勝ち組」「負け組」で世の中が色分けされたり、努力しても報われない社会になりつつあるのです。

教育現場では、いわゆる「PISAショック」で揺らいでいます。PISA(OECDによる国際的な生徒の学習到達度調査)型の学力で日本は他の先進国より遅れをとってしまいました。

これまでは社会の流れで自然に育成されてきた社会人に必要な能力が育たなくなってきたのです。これからのキャリア・ガイダンスは、こうした社会の変化を前提にしてガイダンスに臨む姿勢が求められていると思います。

育成すべき能力・スキルは?

では、具体的にどういう能力を育成すればいいのでしょうか。これまでの育成方法が通用しなくなったときに、指針となりそうな1冊があります。最近出版された門脇厚司先生の『社会力を育てる』(岩波新書)にはコアになる能力として「社会力」という概念が打ち出されています。「社会力の豊かな人間のイメージ」として、「人間が大好きな人間」「どんな人ともうまくコミュニケーションができる人間」など15項目が掲げられていますが、先生はこうした能力は自然の成り行きでは育たなくなっているので、知恵を結集させて育てる仕組みを構築すべきと述べておられます。「人類社会の将来に常に思いを馳せながら行動できる人間」など少し遠い目標のように感じられる項目も中にはありますが、確かにこういうことが自信を持って言える人間を育成すべきなのかもしれません。そのことが健全な社会人を育て、豊かな社会につながるからです。

若者にどのような能力が必要とされているのかもう少し整理してみましょう。心理学では、実践的能力・スキルの概念として、「実践的知能」という言葉があります。また、「情動的知能」、いわゆる「EQ」の議論は、一般の関心を呼ぶところとなりました。これらはいわゆる偏差値で測れるものではありません。

社会政策においては、「キャリア」だけではなく、「ライフ」に焦点を当てた「人間力」という概念が内閣府の人間力戦略研究会で打ち出されました。世界的には「キー・コンピテンシー」という概念が有名で、PISAもこの概念に基づき、つくられています。また、教育界では「学ぶ力」として「ジェネリックスキル」という概念も注目されています。

産業界ではこれまでかなり長い間教育界に対して「こういう人を育てて欲しい」という要望は寄せられてきませんでした。1950年代は、産業の復興の必要から技術の向上が目指されましたが、大学教育の中で専門性を強化して欲しいという表立った要請はありませんでした。1960年代末から1970年代後半になると、大学の大衆化に対する批判や学力格差への懸念が表明されましたが、教育内容への要望は直接的ではありませんでした。1980年代は、いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という風潮のなか、創造性・独創性が強調されました。しかし、90年代、いわゆるバブルがはじけた後、ここにきて初めて学校教育に対して、汎用性リテラシー・スキルを強く求める声があがりました。社会人として基礎となる力をなんとか学校教育の中で身に付けさせて欲しいという意見が高まってきたのです。

この産業界からの要請を飯吉弘子さんは、「クリティカルシンキング」と「キャリアデザイン力」の2つに要約しておられます(『戦後日本産業界の大学教育要求』東信堂)。先ほどのキー・コンピテンシーの中の科学的リテラシーに相当するのがクリティカルシンキングで「与えられた情報や知識を鵜呑みにせず、複数の視点から注意深く、論理的に分析する能力や態度」と定義されています。さらにクリティカルシンキングを主体的かつ豊かな人生やキャリアの創造のために用いるキャリアデザイン力が必要だとしています。

キャリア教育の重要性

今までの学校教育の中では育成されてこなかった能力やスキルをどのように育成していくかが今後の課題となってくるわけです。そのために必要なキャリア教育を社会の中に組み込んでいこうということです。

図 学生の層構造とキャリア教育・支援のコスト/労働政策フォーラム開催報告(2010年10月21日

このキャリア教育という用語ですが、1999年の中央教育審議会答申で初めて用いられました。2004年は「キャリア教育元年」とされ、新聞記事では、この年以降、急激に「キャリア教育」という言葉が頻出するようになりました。

これまで学校教育のなかでは、親や教師が「勉強しろ、偏差値を高めろ」といういわばアウトサイドインのかたちで、子どもに対して目標を与え、単元的・絶対的な価値による教育を行うのが一般的でした。これに対し、多元的・相対的な価値の中で、意思を決めインサイドアウトで自律的に行動するパワーの涵養が求められるようになったわけです。そして、こうした転換への橋渡し役となるのが、キャリア教育と考えてよいのではないかと思います。

しかし、日本のオピニオンリーダーの一人である鶴見俊輔先生はこうしたアプローチの難しさに触れ、「決まった答えを出すことを学問と考え、自分は学問ができるという自信をもって大学に入ってくる生徒に、大学は、その態度をうちくだいて、自分で問題をつくる方向にむけて馬首をたてなおすことができるのだろうか」(『教育再定義への試み』、岩波書店、P.15)と懸念されています。確かに容易にできることではなく、相当な努力とコストが必要になります。

キャリア教育には努力とコストが必要

学生の層構造をみると、社会の変化に伴い、これまで特別なケアが不要だった層が図のように下に降りてきています。ケアを求めるものが増えればそれだけ社会的なコストがどんどん高まります。それを覚悟したうえでキャリア教育を進めていく必要があります。

では、こうした能力・スキルを育成するためにどのような努力が払われているかをみてみましょう。経済産業省では、社会人に求められる能力の育成を全国の大学で競う「社会人基礎力育成グランプリ」を開催することによって促しています。

大学教員の立場では、私自身、学生に「ちゃんと朝食を食べているか」などと声をかけてみたり、自律的に目標を設定させ、達成に向け課題を解決させるプロセスを経験させる、人間関係を広げるため、異性や異なるタイプのメンバーと交流させる、あるいはグループ活動に参画させることで自分の意見をアピールしたり、他のグループのメンバーへの貢献や相互支援をする場を提供するといったことを心がけています。

これまで試してきた中で私たちが比較的うまくいったと思っているのは、産業・組織心理学の一環として展開している「ビジネス心理学実習」という必修科目です。学生を企業に連れて行き、そこで働いている人に仕事の内容や働く意識などについてインタビューさせる。そしてインタビューの逐語録を作成させた上で、グループでディスカッションを通じて分析し、結果をポスター形式で学内外に広く発表させています。この実習では、グループとして自分の意見を主張しつつ、どこかで折り合いをつけて、まとめていくことになります。さらに、見知らぬ学生、教員や学内外の一般人へのプレゼンテーションが求められます。

この実習の結果、学生はさまざまな緊張や葛藤を経験しつつ、新しい学びを得ているように思います。日頃学生に接するなかでは、戸惑いも少なくないのですが、場を提供すれば、それぞれ学びや気づきを獲得する力は十分にあることに気づかされました。

以上、いろいろお話してきましたが、若者の変化は社会の変化だとはっきり認識した上で、その変化する若者ではなく、変化する社会へ向き合うキャリア・ガイダンスの視点を大切にして地道に努力することが我々には求められている、ということかと思います。

一朝一夕に効果が見えるものではありませんが、若者にそれなりの機会や経験を与えた時に発揮される「学ぶ力」は間違いなくあると信じて、それを感じつつキャリア・ガイダンスに取り組むべきではないかと思います。こぞって、若者を育てて支援する努力、これを積み重ねていくことが大切だと思います。