基調講演
生涯現役社会の条件:第40回労働政策フォーラム

高齢者の本格的活用に向けて
(2009年8月26日)

慶應義塾長 清家 篤/労働政策フォーラム(2009年8月26日)開催報告

慶應義塾長 清家 篤

今日のテーマでもある「生涯現役社会の条件」とは、働く意思と能力がある人ができるだけ長く働き続けることができる社会のことである。なぜ、これが必要かと言えば、日本は世界に類を見ない高齢化を経験しつつあるということに尽きる。

日本ではすでに65歳以上の高齢人口の比率が22%を越えており、5人に1人以上が65歳以上になっている。2013年ごろには総人口の25%が65歳以上の高齢者、すなわち人口の4人に1人が65歳以上の高齢者になる。不特定多数の人が集まるところで目をつぶって石を投げると4回に1回は65歳以上の人の頭に当たる、そのぐらい高齢者が多い社会がもうすぐやってくる。さらに2030年代の前半になると日本の人口の33%、つまり3人に1人が65歳以上の高齢者になる。また、2050年代の前半くらいになるとこの比率が40%を越えるので、なんと人口の5人に2人は65歳以上の高齢者になる。

高齢者の人口比率がどんどん増えていくことに伴って、年金制度や医療保険制度、介護保険制度、あるいは今日のテーマである雇用などさまざまな問題が出てくる。ただ、ここで最初に押さえておきたいのは「高齢化は果たして問題なのか」という点だ。終戦直後には男性50歳、女性54歳だった平均寿命が今や男性は79歳、女性は85歳を越えて世界一になっている。ここまで平均寿命が延びたのはそれだけ生活水準が向上した、つまり、日本の経済社会が成功した結果である。これを本当に喜べるようにするためには社会の仕組みやわれわれの行動様式を変えていく必要がある。若い人がたくさんいて、歳をとった人が少ない、いわゆるピラミッド型の人口構造のもとでつくられた制度が、歳をとった人が多くて、若い人が少ない逆ピラミッド型の構造になってきたときに実情と合わなくなってきた。逆にいえば、逆ピラミッド型の人口構造にうまくフィットするように社会の仕組みやわれわれの行動様式を変えていけばいいということなのである。

年齢基準変更の必要

その象徴が、社会保障制度や雇用制度の中にある年齢基準だ。高齢者が増えてきたときに60歳までが現役で、60歳以降は引退世代という基準で制度を区切ることはもはや現実的ではなく、人口構造との整合性を欠くことになる。もし、寿命が延びて、高齢者がものすごく増えたなかで、昔どおり60歳から年金を支給するということになれば、若い人の負担は非常に重くなってしまう。あるいはもっと長時間労働しないと日本の経済がもたなくなってしまう。逆にそういうことを起きないようにしようと思えば、高齢者に対する年金給付や介護のサービスを削っていかなければならない。人口がピラミッド型から逆ピラミッド型に変わるなかで、従来の年齢基準を維持しようとすると、若い人たちもどんどん貧しくなり、年をとった人たちもどんどん生活水準が下がってしまうということになってしまう。

そういったことが起きないよう、もう少し現役の期間を長くしましょう、少なくとも65歳までは現役で働いて、社会保険料を納める側、すなわち日本の経済社会を支える側にいてもらいましょう、そのかわり、65歳を過ぎたら引退したい人には引退できるオプションを確保しましょうと。そんなふうにすれば、現役の期間が長くなるので、現役一人あたりの、社会保険料負担とか、あるいは労働時間という面での負担もそんなに過大なものにならなくて済む。一方、比較的短い引退期間であれば、それなりの年金が支給できる。それが年金制度で言えば、老齢厚生年金の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳に引き上げられるということの意味だ。それにあわせて、高年齢者雇用安定法も改正されて、企業の雇用確保義務は60歳という基準から65歳に引き上げられつつある。最終的には65歳までの雇用確保が雇い主に求められるようになったわけだ。とりあえず、人口構造の変化に合わせて、年金をはじめとする社会保障制度の面においてもあるは雇用の面においても年齢基準を変えていきましょうということだ。

今、65歳以上の人の平均余命は男性の場合、18.6歳、女性の場合、23.64歳だ。つまり、男性なら生まれてから高等学校を卒業するまでと同じくらいの期間、女性なら生まれてから大学院修士課程一年を修了するのと同じくらいの期間高齢者として生きることになり、これはちょっと長すぎるかもしれない。65歳現役雇用の先には、働く意思と仕事能力のある人は年齢に関係なくいつまでのその能力を発揮できるような社会にしていくことが必要になってくるかもしれない。そのことが冒頭に申し上げた「生涯現役社会」の意味である。

生涯現役社会の条件に恵まれた日本

実は日本は生涯現役社会を実現する条件に恵まれている。まず日本人はただ長生きであるだけでなく、健康で長生きである。WHO(世界保健機構)が行っている健康寿命という推計によれば、健康な状態で生きられる平均年齢は男性72歳、女性は78歳で世界第1位だ。

有名な聖路加病院の日野原重明先生など、90歳代の半ばを過ぎてもまだまだかくしゃくとして仕事をされており、なお数年先まで仕事の日程が決まっているそうだ。森光子さんも90歳近くなってなお現役の女優として舞台狭しと活躍しておられる。こうした日野原先生や森さんなどは特別としても実は皆さんのまわりにも60代はもとより70代でもまだまだ元気に働いている方は多いわけで、日本人は単に長生きだけでなく、健康で長生きだということがわかる。

もうひとつ重要なことは日本の高齢者は同じように生涯現役が求められているほかの先進国に比べて、歳をとってからの就労意欲が高い。

人口に占める勤労意欲を示す、最もよく使われる指標は労働力率だが、ちょうどいま雇用が延長されようとしている60歳から64歳の男性でみると、なんと日本の労働力率は75%を超えている。60代前半の男性の4人に3人は働く意思をもっているということである。

これを他の先進国と比べると、日本に次いで高いアメリカ、イギリスのアングロサクソン諸国で60%ぐらいだ。ヨーロッパ大陸に行くとぐっと下がって、ドイツが40%台の前半くらい、フランスなどはまだ20%にも達していないという状況で、日本の高齢者の就労意欲が抜群に高いということがわかる。実際に日本の高齢者の就労意欲の高さは、ほかの先進諸国の人たちの驚異の的であり、ぜひこれを活かすべきだ。

高い能力を活かす

今、日本の高齢者、特に団塊世代の方々が次々と60代になっているが、彼らは高度成長期に就職し、「ジャパンアズナンバーワン」と言われた70年代の後半から90年代の初めくらいの日本経済の黄金期に働き盛りの時期を過ごし、技能や人脈を蓄積してきた。この人たちの能力を活かすことができるなら社会への人材のボーナスだ。

残間里江子さんという有名な女性評論家がいる。彼女が『それでいいのか蕎麦打ち男』という本を書き、団塊世代の男性に対し、「蕎麦打ちで老後を過ごすにはちょっと早いんじゃないの」というメッセージを送っている。もちろん、蕎麦打ちもいいのだが、持っている能力を活かすことができれば、それは本人にとっても社会にとってもすばらしいことではないか。そういう意味では日本は生涯現役を推進しなければならない必要性が高いと同時に高齢者の就労意欲の高さという面で、そして高齢者の持っている仕事能力という面でも生涯現役を進めるのに恵まれた条件を備えている。これは大切なポイントだ。

生涯現役社会のための雇用変革

そのためにはせっかく働く意欲と能力のある高齢者がたくさんいるのにそれを十分に活かし切れていない雇用の仕組み、社会の仕組みを変えていく必要がある。

その典型が定年退職制度である。厚生年金給付は二階建てになっているが、一階の定額部分の支給開始年齢が段階的に引き上げられ、最終的には2013年度に65歳支給になる。二階の報酬比例部分もやはり段階的に支給開始年齢が引き上げられ、最終的には2025年度に65歳の支給になる。つまり、1960年度以降に生まれた人は一階、二階含めて、すべて65歳にならないと年金がもらえないということになる()。

図 厚生年金の支給開始年齢の引き上げスケジュールと 高齢法の雇用確保義務年齢

図 厚生年金の支給開始年齢の引き上げスケジュールと 高齢法の雇用確保義務年齢 /労働政策フォーラム(2009年8月26日)開催報告

年金の支給開始年齢が65歳になるのに定年が60歳のままでは困るので、2013年度までに少なくとも65歳までは雇用確保措置を講じることが、企業に義務づけられた。定年を延長できれば一番いいのだが、継続雇用制度も認められており、日本企業の多くはこの制度で雇用を確保しようとしている。いきなり定年延長をしようとしても賃金制度の抜本的な改革などが必要になるので、当面は継続雇用制度で雇用を確保するということはやむをえないと思う。

日本の労使はルールを決めるまでは色々と議論をするが、いったん、「双方ぎりぎりこれなら守れる」というラインを妥協しながらでも決めると、日本人は遵法精神が旺盛なのでしっかりとそのルールを守る。そのため、今のところは65歳までの雇用確保措置が有効に働き、60歳代の就業率は顕著に高まっている。

その上で先ほども言ったように最終的に年金の支給開始年齢が65歳になったときに定年もそこに合わせないと社会の仕組みとしては整合性を欠くかもしれない。そういう意味では長期的にはやはり年金の支給開始年齢に合わせて定年もそこまで引き上げることを労使双方で考えていただきたい。

こういう話を経営者の方にするとそれまで「生涯現役社会、結構ですね」とおっしゃっていたのが「65歳まで定年延長は無理ですね」と反応されるケースがまだある。そんな時、私は「皆さんは65歳まで定年延長をするなどとんでもないと顔をしかめられますが、そういう皆さんの中にも65歳ぐらいの方はたくさんいるじゃないですか。自分らは元気に65歳で経営者をやっているけれども普通のサラリーマンは65歳では無理だというのはちょっとおかしいんじゃないですか。経営者が65歳でできるのなら、普通の担当者レベルのサラリーマンも65歳でできると考えてください」と申し上げることにしている。

年齢を基準としない賃金、処遇制度

もちろん経営者が65歳までの定年延長導入に顔をしかめるのには理由がある。一番大きな理由は年功賃金だ。年齢や勤続に応じて、賃金が上昇する仕組みのまま定年を延長すると企業にとってコストの高い従業員がたくさん増えてしまう。

私は若い人が一人前になるまではむしろ年功賃金がいいと思う。入社10年目ぐらいまでは先輩から仕事を教えてもらって一人前になっていくが、そういう時期は必ず仕事を教える先輩のほうが教えてもらう後輩より賃金が高いという仕組みではないと能力形成はうまくいかない。

ただ、その後は各人の持っている仕事能力、あるいは会社に対する貢献度に応じて賃金を支払う仕組みにしていく必要がある。歳をとっても管理職の椅子に座って仕事をするのではなく、培った能力を活かして担当者として仕事をしていくという仕組みの賃金、処遇制度にしていけば、定年を延ばしても必ずしも企業にとってコストが高くならない。そういう意味では、定年を本格的に延長するためには、賃金、処遇制度を定年の前、おそらくは40代のころから少しずつ見直していくことが課題だと思っている。

実はこれが実態としてかなり進んでいるのが、日本の中小企業だ。中小企業には柔軟な賃金体系をとりながらも実は歳をとった人たちの能力を60代になっても、場合によっては70代になってもうまく活用している事例がたくさんある。

もちろん、歳をとってからしっかりと仕事をするためにはそれなりの能力の蓄積が必要だ。従来のように定年が短いときには、若いときに集中的に能力開発をして、あとは惰性で定年まで突っ走るという短距離競走型の能力開発でもよかったかもしれない。しかし、少なくとも60代の半ばまで、あるいは場合によると70歳近くまで現役で働くということになれば、常に新しい知識だとか技術だとかを生涯にわたって身に着けていく長距離競走型の能力開発、キャリア形成が必要になってくるだろう。別の言い方をすれば生涯現役社会というのは生涯能力開発社会でもある。

豊かな超高齢社会に向けて

生涯現役というのは引退の自由を認めないということではない。昔は誰にも引退の自由はなく、一部の有閑階級を除き、多くの人は死ぬまで働いていた。近代社会ではごく普通の労働者にも人生の最後で引退生活を送ることができる社会であって、この点は非常に重要である。

問題は、引退の自由がある一方で、一定の年齢になると本来、働く意思がある、あるいは能力があるにもかかわらず、その能力の発揮が妨げられてしまうことだ。そういう意味では、一方で引退の自由もそれなりに確保しながら、他方で年齢を理由に働く意思や仕事能力の発揮が妨げられないような社会をどのようにつくっていくかをこれから労使でじっくりと考えていただきたい。

同時に生涯現役というのは、先ほど申し上げたように最後には引退生活が待っているのだから、生活者としても生涯現役ということだ。よく企業や労働組合では、定年前に定年後の生活セミナーなどを開催している。年金のもらい方や退職金の運用方法などを夫婦で学ぶのだが、そこでの定番のプログラムの一つに定年後の生活、あるいは引退後の生活の一日の時間割をつくるというものがある。女性の場合、すぐに一日の予定が埋まってしまうが、男性はなかなか埋まらないそうだ。そういう男性は奥様方が地域社会などで活躍の場を広げている勉強会とか文化サークルとか、ボランティア活動にくっついていく。

私の大変尊敬している慶應義塾大学の名誉教授の岩男寿美子先生の著書の中にこんなことが書かれていた。昔は「亭主元気で留守がいい」というキャッチフレーズが奥様方の間で使われていたが、最近は奥様方の活躍の場にくっついていきたがる亭主がいるので、それは邪魔だ、ということで新たに「亭主丈夫で留守番がいい」というものが出てきたそうだ。亭主は丈夫で家で留守番でもしていればいいということだが、こうなってしまっては寂しい。

そういう意味では生涯現役で働けるような働き方を考えていただくと同時に仕事を離れても家族の一員として、あるいは地域社会の一員として現役で活動できるようなそういう働き方、まさにこのへんがワーク・ライフ・バランスではないかと思うのだが、それを若いころからやっておかないと、いきなり定年後に地域社会デビュー、家族デビューはできないので、このへんも含めて労使でじっくりと考えていただきたい。