問題提起3:家族と福祉から排除される若者
若者問題への接近 ~誰が自立の困難に直面しているのか~
第39回労働政策フォーラム (2009年6月6日)

問題提起(3) 家族と福祉から排除される若者

岩田正美 日本女子大学人間社会学部教授

私は、労働政策というより貧困や福祉政策を専門にしています。若者を貧困との関係で見ると、日本では90年代初めにバブルが崩壊して、社会が大分変わりましたが、その頃の貧困は、中高年男性のホームレス化に象徴されるような問題でした。当時、「若者の貧困」という感覚は、貧困論のなかにはあまりなかったのです。

いま、路上のホームレスは、数としては減っていることになっています。厚生労働省の調査でも減少傾向にあって、今秋の世界的な恐慌状態のなかでも減っています。ところが、それと同時に、例えばネットカフェとかファミリーレストランで夜を過ごす人たちが増えてきています。そこを調べると、半分は路上と同じ中高年者たちですが、残りの半分が若い人たちであることがわかってきたわけです。こうした現状をどう捉えるかは、貧困問題とか福祉政策にとって、大変大きな問題です。今日は、そういう角度から若者の貧困と福祉国家、それと家族の関係についてお話ししたいと思います。

対象外だった貧困になった若者の事後救済

若者と福祉国家の概略を図1のように考えてみたいと思います。そもそも、福祉国家では貧困になった若者を後から救済することは基本的に想定されていません。若者は職場を介し、もしくは地域(家族)を介して貧困予防の仕組みのなかに組み込まれることが前提になっています。これは社会保険とか一般サービスがそういうふうに組み込まれていくという意味です。

図1 若者の貧困と福祉国家

ところが、欧米では80年代以降、先ほど太郎丸先生からお話があったような背景のなかで、若者の長期失業が非常に大きな問題になってきました。日本は中高年男性のホームレスが最初に問題になりましたが、ヨーロッパ、アメリカは、若年のホームレス化が注目されました。ここでの問題意識は、職場を通した福祉国家の予防ネットワークから落ちてしまう人が多くいること。雇用保険があっても、最初から失業しているため、雇用保険によりカヴァーされないことが典型的な問題として出てきました。

しかし、若者はそもそも稼働能力があって職を得やすいので、貧困の事後救済についてはほとんど考えられていませんでした。稼働年齢にある元気な若者は、日本の生活保護のような制度の対象にしない国は非常に多いのです。

ところが、こういう若者の問題が出てきてしまったので、例えばフランスでは新たに若者向けの公的扶助と就業訓練をプラスしたような制度をつくりました。

可視化された単身化する若者たち

では、日本の場合はどうして欧米のような若者のホームレスではなく、中高年だったのか。仮説に過ぎませんが、よく言われてきたことは、日本の場合、職場を介したネットワークに組み込まれなくても、家族がパラサイトさせておけば、社会保険の予防の仕組みは職場と地域の二重構造になっているので、予防のネットワークから完全にドロップアウトしないで済むといった構造を持っていました。「パラサイトシングル」といわれたりしていましたが、家族が30歳になっても40歳になっても子供として置いておく。「高齢核家族」というか、福祉の世界では「高齢母子」という言い方もありますが、そういう状況があったわけです。

ところが、今起きてきているのは、例えば若い人たちがネットカフェに寝泊まりして事実上ホームレス化していたり、去年の秋から暮れにかけて派遣切りで寮にいた人たちがパラサイトする家族もなければ住む家もないような状態です。多いか少ないかはまだよくわかりませんが、家族から弾かれて単身化してしまう人たちが、相当数出て可視化されたのだと思います。

単身化の3つのパターン

私は今、3つぐらいのパターンでこの単身化の問題を考えています(図2)。1つは家出です。例えば、30歳過ぎてアルバイトで暮らしている男性などは、パラサイトしていても、20代の間は何も言われなかった。それが30歳を超えた途端、「このままでどうするの?」というようなことを家族が言い始める。そこで揉めた挙げ句にキレてしまい、家を出るパターンです。

図2 日本の場合

逆に、家族自体がものすごく不安定なケースも考えられます。先ほど、小杉先生から中退のお話がありましたが、中退グループで特徴的なのは、家族全体がとても不安定で、家出するまでもなく追い出されちゃう。あるいは、高校に通っている時から、もう既にアルバイトをして自分で食べていたりする子もいます。

「自分で食べていた」というのは、経済的にもそうですし、ご飯も本当につくっている。例えば、家はあって台所には冷蔵庫もあって食品も入っているのですが、食材を買ってきたり調理したりするのは家族が個々でやっている事例が実際にあります。こういう家庭にいる子供たちは、比較的早くそこから出ざるを得ない、あるいは家族全体が解体してしまうことが起こります。

この場合は、まだティーンエージャーのときに家を出てしまうことがあるのですが、隠されているのでわかりにくい。若い人は友達ネットワークがあり、友達の家を泊まり歩いたりすることで隠されます。それから、日本の場合は、企業が若い人たちを非正規雇用でも寮の中にかき集めるので、そこがまたわからないことにつながります。

もう1つは、さきほど小杉先生がおっしゃった地域格差の問題です。まず、高度経済成長以来の伝統的な地域移動があって、このときは家族と何か揉めたりしなくても、職を求めて一人で出ていきます。より自立しよう、職を求めようとすれば、単身化は当然進んでいくわけです。

わかりにくい単身化した若者の実態

では、その子たちはどこに行くのか(図3)。繰り返しになりますが、若い人の場合、友人、この友人というのは似たような友人と思っていただくと一番いいと思いますが、友人同士のささやかな助け合いがあって、そこを転々とすることがあります。また、会社がいろいろなタイプの場所を用意して労働募集をかけるので、そういう住宅と仕事がワンセットで手に入るところに行くのが一番手っ取り早いのです。それから、レンタルルームのようなビジネスとしての宿泊所とか福祉の宿泊所など、恐らくは皆さんのあまり知らないような場所があって、そういうところにも行くわけです。

図3 家族から離れた若者はどこへ行くのか

そして最後にネットカフェなど。ただし、これにも序列があります。例えば、まだお金がある時にはカプセルホテルやビジネスホテル、ちょっと下がるとネットカフェ、さらにファストフードのお店へ行ってコーヒー1杯で夜を過ごすような状態があって、本当に何もない場合は野宿になりますが、若い人が路上に行くのはとても少ないです。数日、路上で過ごすといったようなことはありますが、大体それ以前のどこかで保たれるので、中高年の人ほど見えてこない。それ故に実態がわかりにくいのです。

社会保険加入者もいるネットカフェ難民

図4は、厚生労働省が2007年、ネットカフェに暮らしている人たちの社会保険の加入状況について調べたものです。雇用保険、健康保険、年金保険の加入状況について、単身化した若年の非正規労働者の1つの典型である「ネットカフェ難民」への東京での面接調査の結果です。これをみると、もちろん圧倒的には未加入ですし、わからないという人もいますが、完全に何も加入していないわけでもなく、少しは加入しています。わからないというのは、「家族と一緒に健康保険に入っていた気がするが、家出してしまったのでわからない」とか「免許証も置いてきちゃった」などのケースです。

図4 単身化した非正規労働者と貧困予防ネットカフェ生活者の社会保険加入

他方、地域移動して単身化した人たちなどは、社会保険のネットワークを実家に置いたまま実家がステーションになって、「社会保険事務所から連絡があったよ」と連絡が行くとそこできちんと手続きをやっていたり、社会保険完備の期間工しか応募しない人もいます。家出して健康保険証を家に置きっぱなしにしてある人でも、「なくしちゃった」と言って遠隔地用のものを再発行してもらう人もいます。生きていくための方策はいろいろあって、若干の人は何らかの形で社会保険が切れずに保たれています。

なぜ予防の制度から落ちてしまうのか

とはいえ、7、8割の人は社会保険が切れているのが実態です。ではどうして、予防の制度から落ちてしまうのでしょう。まず、非正規雇用の場合の社会保険のカバー率が非常に低いことがあげられます。これは制度的な問題ですが、同時に、国民健康保険、国民年金の保険料は高いので、若者もその支払い負担から制度を敬遠していくのです。それでも、健康保険はやむを得ず払う人が若干いますが、年金は彼らにとっては遠い先の話なので、今の生活費と住宅費で手一杯であれば払いません。加えて、地域移動をしたら、その都度、手続が必要で、これは非常に煩雑です。

家出の場合は、家族との関係悪化による単身化のため、家族経由が閉ざされることが多いですし、たとえ雇用保険や労災保険がカバーしても、その保障には当然時期的な限界があります。

このように社会保険などからドロップアウトしているのに、非正規雇用労働者は、日雇い派遣も含めて寮にいることが少なくない。派遣先だけではなく、派遣元会社が寮を用意するという伝統的なある種の労働募集スタイルと寮がセットになって、完全に企業から自由とも言えない状態にある、という摩訶不思議な状態が出現しています。

混乱する若者の貧困救済の捉え方

こうした状況のなかで、日本で若者の貧困救済をどう考えたらいいのか。私は、若者の救済があくまでも雇用対策であり、その枠内を一歩も出られないことが非常に大きな問題だと思っています。昨年末からの緊急雇用対策の中でいろいろな政策が出ました。それ自体、大変結構なことですが、全体から言えば「自立訓練」とか「就業の枠の中での生活住宅政策」がちょっと入った。基本的には貸し付けが基調で、かつ臨時的なものです。

生活保護などの対応についても、日本は生活保護に珍しく年齢制限を設けていません。だから理論上、生活保護にかかることは可能ですし、事実、派遣村からたくさんの人が生活保護にかかっています。それでも、生活保護の現場からみたら、これはものすごく違和感があることだと思います。これまで、そういう若い人を扱ってこなかったので、いま現場では大変な混乱があると思うのです。

さらに言えば、さきほどお話した家出タイプの若者に住宅保障を本当にしていいものなのか。私は30代の子が家出して、それが親の責任だとはならないと思っているのですが、行政などではどうも違和感があるらしいのです。

特に、生活保護や福祉政策の立場から見ると、福祉制度というのは、高度経済成長以降、「労働できる人は労働市場」を前提に、職場とセットになった予防ネットワークがあるので、どうしても「福祉は弱者」の枠組みが強い。だから今、若い人たちが生活保護の申請に来ると担当者は本当にびっくりして、お説教して帰してしまうこともないわけではないし、家族がいれば家族扶養を優先してしまうこともあるわけです。

障害があるのに放置されてきた人も

一方、大阪・釜ヶ崎や東京・新宿などの地域で若年層の失業者や非正規労働、不安定就労者を支援している人たちが最近言い出しているのは、彼らに軽度の知的障害のようなものがあるのではないか、ということです。ただ、これは非常に難しい問題で、言い出した人たちも言った途端に後悔しているような部分も見受けられる状況にあったりもします。それは、何を知的障害というかは非常にデリケートな問題で、きちんとしたスケールがあるようでないからです。でも、コミュニケーションを取れなかったり、自分をしっかり表現できない「生きづらさ」のようなものを抱えている人が多いことは盛んに言われているのに、そういう問題は放置されている。

支援者の思いとしては、「何で20歳過ぎてから、障害が釜ヶ崎で発見されなければならないのか?」となります。通常、障害は、学校に通っている時期に家族と学校によって発見されるはずです。それがかなり後になって発見されたということは、「家族が不安定で解体していたか、学校からも完全にドロップアウトしていたかのどちらかだ」というのが支援者の言い分です。

ゴールのイメージが希薄な人への支援のあり方を

障害の有無はともあれ、何らかの「生きづらさ」を抱えて社会の周辺でしか生きてこなかった、あるいは家族自体がもうそういうなかにいた若者への支援に対しては、支援者がゴールのイメージを持てません。彼ら自身が「働くとはどういうことか」とか「結婚して普通に暮らすというのはどういうことか」といったゴールのイメージを持っていないし、そういった若者は自分の親を見てきてもそういったイメージを持てなかったわけです。

ホームレス支援も同様ですが、社会の真ん中で暮らしていた人たちは例えドロップアウトしても一般社会へ帰るイメージを持ちやすい。ですが、周辺に暮らしてきた人はイメージが希薄なので、同じ支援をしてもだめだと私は思っています。そういった支援の仕方と制度の仕組みを、もう1回考えていく必要があるのです。

要保護女子の実態把握と支援も必要

今日は女性問題もテーマの1つになっていますが、女性についてはもっとわかっていません。私はこれまで、生活保護施設についての非常にレアな領域の研究をしてきました。東京にある2カ所の女性用の生活保護の更生施設に近年、若い女性がかなり入ってきていて、その入所者が何らかの障害を抱えていることが指摘されています。女性のこうした問題はしばしば「婦人保護」の分野として扱われています。これは、売春防止法に基づくもので、その枠内の「要保護女子」カテゴリーのなかで扱われているわけですね。この部分は今後、小杉先生がおっしゃったような労働の問題も含め、きちんと実態を把握したうえで、どういう支援や制度的な枠組みが必要なのかを議論すべきだと思っています。

現在、就労を起点とした第二のセーフティーネットというか、稼働層のセーフティーネット論が出てきていますが、私にはまだどちらがいいのかわからないところがあります。ただ、その議論は今日お話した貧困の問題をきちんと見据えてなされるべきだと思っています。

プロフィール

いわた・まさみ/中央大学大学院経済研究科修了。日本女子大学博士(社会福祉学)。東京都立大学人文学部助教授、教授を経て1998年より日本女子大学人間社会学部教授。2001年より現在まで厚生労働省社会保障審議会委員、同福祉部会長。08年より現在まで文部科学省大学設置学校法人審議会特別委員。日本学術会議連携会員。主な著書として、『戦後社会福祉の展開と大都市最底辺』(1995年、ミネルヴァ書房、第4回福武直賞、社会政策学会学術賞受賞)、『ホームレス/現代社会/福祉国家』(2000年、明石書店)、『現代の貧困』(2007年、ちくま新書)、『社会的排除(2008年、有斐閣)などがある。