コメント2 家族社会学の立場から:
第39回労働政策フォーラム

若者問題への接近
~誰が自立の困難に直面しているのか~
(2009年6月6日)

渡邊秀樹・慶応義塾大学文学部人文社会学科教授/パネルディスカッション:コメント2

渡邊秀樹・慶応義塾大学文学部人文社会学科教授

渡邊
家族社会学の立場から、私がかかわった調査から少しコメントさせていただきます。先ほどから家族の問題等が出ておりますが、近代家族の特徴の1つとして、家族と社会との間に壁ができていることがあると思います。

そのなかで、子供を社会につなぐものとして学校という制度が用意されたのだと思いますが、現代家族を考えますと、我々が成長して働く社会と、そこへ行くまでの社会との間に、あまりにも大きな隔絶があるように思います。かつての近代以前であれば、例えば農村では、あぜ道で遊びながら手伝いもして、というように育つ社会と生きる社会、働く社会が連続していました。そのなかで連続的に準備をしながら我々は大人になっていったと思うのです。前提に、そういう大きな時代的な構図を考えておく必要があるのではないか。「誰が自立の困難に直面しているのか」の「誰が」を探すのではなく、そういう人たちを生み出す背景を話すのが私の役割かなと思います。

国際調査で見えてくる家族の性格の相違点

図1は、国立女性教育会館が2005年、日本、韓国、タイ、アメリカ、フランス、スウェーデンの6カ国のゼロ歳から12歳の子どもを持つ親に聞いた国際比較調査で、「おたくのお子さんが15歳のときにできると思うものは何ですか」と聞いたものです。どの社会においても家族というのは、基本的には消費的なシステムになり、生産的なシステムはもう外に追い出されたので、職場と家族の性格は非常に大きく違っているのは確かなのですが、それでも日本や韓国などは国際比較で見ると、違うところもあることが見えると思います。

図1 15歳のときに一人でできると思うもの/パネルディスカッション:コメント2

例えば、アメリカなどは、ベビーシッターとかペンキ塗りとか芝刈りといった、家族を中心にして子供たちが自立していく環境がありますが、日本は自立への期待は低い傾向が見られます。こういうことを我々は一応確認しておく必要があるだろうということです。

家族文化で対比的なスウェーデンと日本

図2も同じ国際比較調査で、「ゼロ歳から12歳のお子さんの親に、「将来、あなたのお子さんAちゃんにしてほしくない家族ライフスタイルがあったらすべて○をつけてください」と尋ねた設問です。それを、左側に示した11のライフスタイル像について、日本の結果でパーセントの多い順に並び変えてみました。

図2 将来子どもにして欲しくない家庭生活像/パネルディスカッション:コメント2

今日の関連では、下の方の「配偶者の親との同居」、「自分の親との同居」をみると面白い結果がでています。これは要するに子供のAちゃんが結婚した後、Aちゃんの結婚相手の親と同居すること、それをしてほしくないかどうか、あるいはAちゃんが結婚した後、自分と同居することをしてほしくないかどうかというようなことを聞いているわけです。

すると、特に際立つ対比的な結果はスウェーデンと日本です。岩田先生のお話にもありましたが、日本の文化は世代連続的な家族文化ですから、「一緒にいてもいいよ」というのが調査結果です。一方、スウェーデンでは結婚したら出ていくというか、一緒に暮らさないのが当然で、一緒に暮らすことに対する忌避感が非常に強いわけです。

ですから、スウェーデンでは家出は褒めるべきことで、家出するのが当然なのですが、日本では家族が抱えるという前提の中で若者を見てきたので、社会が困難に直面した若者に対する用意が遅れたというか、何か問題があれば、「親は何しているんだ」「親の問題でしょう」という話になります。背景にこういった我々の今生きている意識や家族の文化のようなものがあるのではないかということが、この調査からちょっと見えるのではないかと思います。

グラフの面積と形から見える家族規範の強さ

図2は、あと2つの見方で見るとわかりやすいと思います。11本でできる棒グラフの面積が家族規範の強さになります。韓国はある意味で、この設問にあるような生活はして欲しくないと見ることができます。つまり、法律婚をして子供を産み、実子を育てる。離婚も養子もだめということです。それに対し、フランスなどの面積が小さい国は、多様な家族ライフスタイルを許容する社会ということになります。

もう1つは、11本でできる形で見る方法です。韓国と日本の形は似ていますから、日韓は文化は似ているけれど、規範の強さは韓国の方が強いといえます。また、文化はスウェーデンなどと日韓とでは全然違いますが、だからといってスウェーデンの家族の文化が壊れているわけではありません。しっかりした特徴のある文化を持っているのです。どういうことかといいますと、「一生独身でいる」ことはして欲しくなくて、パートナーを持つ経験をして欲しい。それから「子供を持たない」というのもして欲しくなくて、親子の経験をして欲しいのです。けれど、その際の夫婦というのは法律婚じゃなくてもよく、同棲でもいい。それから、親子も実子じゃなく、婚外子でも血縁関係がなくてもいいのです。

そういう多様なライフスタイルを認めるなかで、少子化との関連で言えば、その因果関係はわかりませんが、多様なライフスタイルを認める社会の合計特殊出生率は比較的高く、南欧とか日本、韓国のような婚外子割合の非常に低い画一的な家族の生活を求める社会は少子化傾向にあります。

自立を期待しない家族文化が若者の困難の要因に

まとめると、1つは、自立を期待しない家族の文化があるということです。家族依存、家族次第という状況のなかでは、家族依存ができない人々にとっての困難はより一層倍加する。逆に、家族に依存しないでいい文化がある社会においてはそれほどの格差も出ないわけです、家族次第という文化は相変わらず自立を期待しなかったり、あるいは家族次第という意識に対して、現実は「なかなかそういうわけにはいかない」状況が進んでいる。そのズレが今の若者の困難の1つの理由なのかなと思います。

そのなかで具体的な理由を考えてみると、まず、経済的な要因として、家族が抱えていた、あるいは隠してきた子供の困難を隠し切れなくなった。そして、文化的要因として、家族が子供の困難を抱えなくなった。それから、流動化要因とは、要するにグローバリゼーションとか地域流動性の中で親子の空間的な距離が広まり、頼ろうと思っても頼れない状況。あるいは、地方が疲弊して、昔だったら失敗したら田舎へ帰る汽車賃ぐらいはあって「まあ」というときがあったのかも知れないけれど、いまは地方が一層疲弊していてそういったことができにくくなっている気もします。ただ、これは裏づけはありません。

多様な学校の仕組みづくりを

2つめは、家族を閉じ込めておくのではなく、少し開いた議論をする必要があるのではないかということです。宮本先生から家族以外の中間的なものの提案がありましたが、特定した新しい施設などをつくった場合に、若者が本当にそこに行くのか?ということです。いまはかつての職業高校が普通高校になるなど、かつてあった多様な学校の仕組みが画一的な序列化の中に組み込まれていますが、それを何とか多様な学校ということに持っていけないかという気がします。これを言うと学校の先生方は「大変だ」と言うのですが、かつて週5日制になったときに、例えば部活をやめて地域スポーツとかにつなげようという提案がありましたが全然成功しなかった。だけど、やはり部活とか学校の負担を増さない形で何とかできないかと思います。それから、公立図書館とかコンビニとか、いまあるものから若者を排除するのではなく、若者のスペースをつくったらそこに補助を出すような形で何か中間的な施設を活性化できないかと考えました。

直井
ありがとうございました。では、最後に大津様、よろしくお願いします。