コメント1 不可視化される女性の「若者問題」:
第39回労働政策フォーラム

若者問題への接近
~誰が自立の困難に直面しているのか~
(2009年6月6日)

金井淑子 横浜国立大学教育人間科学部教授/パネルディスカッション:コメント1

パネルディスカッション

出席者

コメンテーター
金井 淑子
横浜国立大学教育人間科学部教授/日本学術会議連携会員
渡邊 秀樹
慶應義塾大学文学部人文社会学科教授/日本学術会議連携会員
大津 和夫
読売新聞東京本社編集局社会保障部記者

パネリスト
岩田 正美
日本女子大学人間社会学部教授/日本学術会議連携会員
太郎丸 博
京都大学大学院文学研究科准教授/日本学術会議特任連携会員
宮本 みち子
放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員
小杉 礼子
JILPT統括研究員/日本学術会議連携会員

コーディネーター
直井 道子
東京学芸大学総合教育科学系教授/日本学術会議連携会員

直井
パネルディスカッションを始めます。まず、3人のコメンテーターから第1部の議論についてコメントをいただき、その後に、会場からの質問に対して、ある程度まとめた形でパネリストから答えてもらいます。その際、コメンテーターへの反論などのパネリスト同士の議論も一緒に行う形で進めたいと思います。最初に金井先生、よろしくお願いします。


金井淑子 横浜国立大学教育人間科学部教授

金井
私は、倫理学研究を背景にして女性学あるいはジェンダー研究に入ってきた者です。ですので、「若者問題への接近」と題した今日のテーマについても、まず「若者問題」という課題設定が写し出す現代社会の価値観のゆらぎといった思想的な課題として「若者」という存在のあり方の「生きがたさ」の内面といった問題に関心軸があります。もう1つが「若者問題」とされるところの問題についてのジェンダー視点からの問いです。限られた時間ですので、後者の「ジェンダーの視点」からのコメントをさせていただきます。

シンポジウム副題の「誰が自立の困難に直面しているのか」、この「誰が」のなかでは若い女性の自立の困難について必ずしも顕在化するような形での議論がされていないのではないか?ここに私自身のコメントの中心的な課題を設定しました。もちろん、これまでのご発言のなかで、「女性の問題が顕在化しづらさ」への貴重ないくつかの示唆は出ています。ですが、今後の議論として掘り下げられていくためにも、あえて私は「生きがたさのジェンダー非対称性」に問題の焦点を当ててみたいと思います。

生きがたさのジェンダー非対称性

「社会的な意味でのひきこもり状態にあるのは、男性が約8割である」といわれますが、このような「若者問題」の現実認識において議論の焦点になるのは、常に若者の「労働への自立をどう促していくのか」ということでしょう。つまり学校から労働への移行での男性のひきこもりの人たちの挫折をどのようにしていくのかで、そのための社会的・包括的な支援の議論が中心になっているわけです。しかし、今日の「若者問題」には実はその陰にもう1つ、女性の自立の困難について、とくにそれがメンタル系の危機として表出しているという問題があるのではないかと思います。女性にも多様な生き方の選択肢が開かれつつあるがゆえの、それと逆説的な形で起きている若い女性のアイデンティティ・クライシスです。実際、女性の高学歴化のなかで、女性のキャリアパスやマルチキャリアパスといった言葉が流通するほど、女性を上に押し上げる風のなかで、女性のライフサイクルも射程に入れたキャリアパスモデルの開発も進んでいます。しかし実際には、私が若い女子学生たちと話すなかで感じるのは、このようなキャリアパスへの非常に強い躊躇があるという事実も否めません。これは何だろうということがあります。

もう一点が、現在の「少子化問題」に象徴的なように、女性たちが出産(再生産)からも退却しているという現実もあります。社会的場面での自己実現や自立といった課題や労働の忌避、さらに女性としての子産み子育てといった再生産役割からの退却、消費社会を浮遊しているような女性たちの姿があります。他方、キャリアで仕事ばりばり自己実現しているように見える女性たちが、じつはリストカットを繰り返したり摂食障害でメンタルクリニックに通院したりしているという実態も臨床現場からは報告されています。ですからこのような問題状況を通しては、女性たちの自尊感情、セルフリスペクトの自己肯定感のあまりの低さが、さまざまな自傷行為、アディクション等のメンタル系の危機の問題を現出させているということにもっと社会的な関心が向けられるべきではないかということです。

非正規職女性のさまざまな問題

図1は、そのことを理解しようと試みたものです。問題は、この象限の下方にある非正規職に位置づけられた男性と女性です。非正規職の男性の問題は既に多くが語られました。私が着目しているのは、女性の側の非正規、家事見習い等の形で正規職から落ちている女性たちが今どういう形で問題を抱えているのかということです。

図1/パネルディスカッション:コメント1

非正規の側に位置づけられた女性たちに対しては、「いずれ男性と結婚し、その妻となることで結婚という就職があるのではないか」といった社会通念がいまだに根強くあり、当の女性たち自身もそうした価値観を内面化してしまっている。そのため労働を通しての自らの自立のライフデザインを女性たちが描きにくい状況がある。まさにジェンダー問題です。そういった女性であることのアイデンティティのゆらぎというかクライシスの煮詰まった表出が、メンタル系の危機の問題として、つまりうつやアディクション、リストカット、食べ吐きなどの摂食障害の問題なのではないかと思うのです。

進む女性間格差

こういった女性たちの問題について、私はフェミニストという立場と思想研究の場の臨床哲学的な関心から向き合ってきまして、そのメンタルな問題の深刻さを強く感じつつ、問題の背景となっているであろうと思われる今日の格差社会の暗部に目を向けざるをえないのです。もともと格差といえば、これまでは貧富の格差や男女格差でした。が、今日の格差化社会の特徴は、女性内部の階層分解による「女・女格差」「女性間格差」や「男性の非正規化」による「男性間格差」として進行しているのですが、再三申し上げているように若者問題はもっぱら男性の非正規化やひきこもりに焦点化されて、女性のなかで起こっていること―女性の貧困化や若者問題のメンタルな問題―には目がむけられていません。

女性の側で起こっていることでいえば、まず1つは、社会が女性の社会参加や参画を促し女性活用に向けて女性を押し上げる方向にある、ある意味で女性には追い風が吹いているということです。とくにそれは高学歴層にむけて、女性の中の大卒あるいはそれ以上の学歴を有する女性たちを、何とかして落ちこぼれさせないよう雇用の場に専門職、キャリア職として吸収していくという政策が幅広く行われています。背景には、科学技術立国をめざす日本社会の産業振興政策が高度な専門職技術者に理系女性研究者の育成を図りはじめたこと、また男女共同参画社会推進の政策においても女性の管理職等の参画率を挙げていくことが、数値目標を挙げて課題となっている状況があるでしょう。産業界・国家挙げて女性の社会的戦力化を図ろうという動きは顕著です。大学にも男女共同参画の波が押し寄せつつある。そうしたなかでの女性のキャリア育成、それは大学におりますと非常に強く感じるところです。

雇用均等法以降の女性の働き方は、総合職か一般職かの二本立てでしたが、現在は女性のキャリアパスモデルを、女性の出産や子育てというライフサイクルをある程度組み込んだ形での「マルチキャリアパス女性モデル」として開発していこうという動き、専門職性を生かして女性のライフサイクルに見合った職業生活をデザインするという方向を社会が推奨しつつあり、このように働く女性への上への圧力が追い風となって、女性内部の階層分化は進んでいます。

キャリア女性を上に押し出し、その下に一般職で正規職についた女性、さらにその下に非正規職の女性たちが大量に登場している。これは、小杉先生のご報告でも言及されたように、女性のなかで高卒女性たち(低学歴層というのだそうですが)のところの2006、07年の数字でみると非正規化が極端に進んでいるのに対して逆に、大卒女性は正規職の割合が若干上がっていることをみても、いわゆる女性間格差が明らかに進んでいると言えます。男性間格差をみると、男性の方は正規職から押し出される形で「下方への圧力」がかかっていることが読み取れるかと思います。

こういう格差化社会の全体的な背景のなかで、生きがたさを抱える若者達の問題が「ジェンダー非対称的に現象している」ことを認識した上で、この若者問題の兆候のジェンダー非対称に留意した取り組みについて改めて留意いただきたいと考えた次第です。

企業と家族の中間項になるものの追求を

雇用が全体として劣化していることともう1つ、先ほど来の話に出ているように社会から排除され、家族から排除されているといった状況があります。家族のもっていた親密圏としての機能も急激に不全化し、人々のセーフティーネットの基盤が極めて劣化している現実のなかで、ワーキングプア化するいまの若者たちは、雇用の劣化と親密圏の劣化の両側から「難民化」していると言っても過言ではない状況にあるのです。

そうしたなかでも、女性の若者問題が顕在化しにくい、あるいは隠されてしまうのはなぜか。「女性の自立の困難」の問題を考えていくと、私は失業や貧困問題を捉える視点としての社会的な排除、あるいは社会的包摂の概念、あるいはその問題の枠組み、設定が取り落としているものはないのかと思うのです。図2は、今までの社会の枠組みの公と私に対して、新たに「公共圏」と「親密圏」という2つの概念を通して、さまざまな企業と家族の中間項になるものを追求していくシステムを模索してみたものです。私は、もう1つの問題意識として、家族を共の側に開く形での親密圏のあり方が構想されていくべきではないのかと考えています。

図2 公共圏/親密圏 人間存在のセイフティネットの多元的な組み換え:パネルディスカッション:コメント1

具体的なことを一点だけお話しますと、家族に対しさまざまな形で傷ついてアディクションなどの問題を抱えている女性たち、これは必ずしも女性だけの問題ではないのですが、あえてここでは女性に限定しておきますが、その人たちがつくる親の会や当事者の会や支援者の会などといったさまざまな自助グループがあります。私はそういった動きに注目していて、ここにも社会的なセーフティーネットの可能性を考えていきたいと思うのです。

社会的包括支援にメンタルヘルスケアの観点を

ぜひこの「社会的包括支援」のなかにメンタルヘルスケアの観点を踏まえた包括的な支援を課題として欲しいということと、もう一点は、女子の教育・雇用の対応関係が相変わらず曖昧であることに着目してその是正を図る思索の展開をして欲しいということです。女性はいずれ結婚して誰かの被扶養者になれば、というジェンダー観に基づく女性教育のあり方が今どうなっているのかということをもっと調査して実態把握しながら、女子のライフデザイン教育あるいはそのエンパワーメント教育を大学より下の高校レベルまでのなかに浸透させていくことが必要なのではないかと思います。

しかもその自立課題を、労働だけではなく女性が自分の性と体に対するセルフリスペクトを持って生きるという文脈のなかにも引き入れたい。女性が自らの産む身体を持つ存在であることを自己否定せずに、社会的な主体化も図ることができるような労働と生活のあり方。女性の自立課題を、キャリア志向の自己実現という方向付けだけでなく、女性の身体と性への自尊感情の育みの視点からも見ていく必要がある。最後、少し抽象的な問題提起にも受け止められるかも知れませんが、女性のメンタルな危機の深さへの危機認識ゆえの、自立支援への課題としてコメントさせていただきました。