報告3:「日本版フレキシュリティ・アプローチ」の導入を目指して
雇用問題を考える —雇用の安定と創出に向けて )
:第38回労働政策フォーラム(2009年3月6日)

「日本版フレキシュリティ・アプローチ」の導入を目指して

鶴 光太郎  経済産業研究所上席研究員

世界的経済危機の下での労働・雇用問題

今の景気情勢をみますと、やはり予想以上のスピードで景気の悪化が進み、雇用情勢の悪化も予想を上回る早さで進展してきています。今回の大きな特色は、やはり非正規に非常にしわ寄せされる形で雇用調整、雇用調整圧力が非常に高まっていることだと思います。

「派遣切り」とか、ワイドショー的な扱われ方をした部分はあるのでしょうが、それでもこういう危機のときは、やはり何とかしなければいけない。政治的にも「とにかく何かやらなきゃいけない」と右往左往しがちになるのだと思います。そういう中で、ある意味でわかりやすい政策が取られていて、でも実はそういう政策は一番取ってはだめな政策だということも多分にあり得るのだろうと思っています。

こういうときに何が重要かというと、緊急避難的にまず何をやらなければいけないのかと、整合的かつ長期的に見てどういう制度設計をやっていくのか。二つのしっかりしたビジョンを持ちながら政策をやっていかなければいけないのではないかと思っています。

今日のフォーラムの大きな目標は、雇用の安定・創出だと思いますが、中でもやはり正規・非正規問題、とくに非正規労働者の問題が非常に深刻化しています。その問題を解決する視点を、きちんと織り込んでいかなければなりません。とくに申し上げたいのは、資料1に書きました「社会的一体性」(social cohesion)と言われるものが、日本の強みとしてこれまでの経済、政治社会すべてにわたって安定や高い成長を支える根幹にあった。それなのに、今の雇用問題を放置してしまうと、この「社会的一体性」が本当に崩壊してしまうので、これは絶対に避けなければいけないという観点が必要だと思うのです。

資料1

今日の私の話のメーンポイントは、資料1の一番下にあげています「日本版フレキシュリティ・アプローチ」で、キーワードは「安心」「育成」「柔軟」になります。

「安心」というのは、とにかく緊急避難的にセーフティネットをしっかり拡充しましょうということ。そして「育成」は、詳しくは後で説明しますが、積極的労働政策、質の高い人的資本の蓄積を進めていく。三番目の「柔軟」というのは、労働市場とか働き方の柔軟性を拡大していくことです。「安心」「育成」だけでは、労働市場は非常に硬直的になってしまう場合もありますので、これは後で実例を交えてお話ししたいと思っています。

「安心」とは

まず「安心」からご説明します(資料2)。セーフティネットの問題は、もう随分議論されていることですが、政府の方針として例えば、非正規問題に対応する施策ということで、雇用契約期間見込みを半年まで適用拡大していこうという方針だと思います。ただ、やはりそれで十分かな?という感じがしています。むしろ、期間にかかわらず、すべての雇用者に適用していくような発想が重要です。そして、社会保障関係のセーフティネットも有期雇用を中心とした非正規雇用の人々は、やはり中途半端な扱いになっていますので、かなり包括的なセーフティネットを体系としてつくっていかなければいけないということです。

資料2

ただ、そこで一つ重要な問題となるのが短期就労と保険受給の反復です。労働者がちょっとだけ仕事をして、すぐに辞めてしまい、雇用保険だけ受け取るというものです。こういった労働者モラルハザードの問題を避けるために、受給要件を厳格に運用していく方法があると思います。例えば、半年を振り返ってみると3カ月はちゃんと働いているとか、そういう要件を定めて適用していくことです。

こういった問題を考えるときに非常に心配になるのは、1970年代以降、ヨーロッパが石油危機というとても大きな危機を迎え経済が悪化するなかで、福祉国家に邁進してセーフティネットも非常に充実させました。でも、そこで何が起こったかというと、労働市場が非常に硬直的になって長期失業が増えてしまった。日本はヨーロッパと同じ失敗を繰り返してはいけないと思うのです。

「育成」とは

そこで、そういった失敗を繰り返さないための二点目の大きな柱としての「育成」です(資料3)。これは、セーフティネットの拡充と同時に、失業者の入職を高めるような積極的な労働政策を行う。「積極的な労働政策」の内容は、訓練、トレーニングのことです。それから、雇用調整助成金のような形で民間企業に補助金を与えるようなこと。あとは、ハローワークといった公的職業紹介を活用して雇用のマッチングを高めていくことも含まれます。

資料3

この資料の最後に書いた「アクティベーション」は、ヨーロッパでかなり着目されている手法・考え方です。新たな職を見つけようとする失業者のインセンティブを高めていくために、いろいろな飴と鞭を組み合わせるやり方です。

相対的にみて、日本は諸外国に比べて、こういった面にお金を使うことをこれまではあまりしてこなかった。でも、これからこういうところを少し強化していかなければいけないと思います。ただ、ここで非常に重要なのは、例えば、OECDも評価しているのですが、訓練等の施策を実施して非常にお金を使ったからといって、結果もうまくいくかというと必ずしもそうではない。ヨーロッパの経験では、なかなか成功しない政策もあるわけです。こうした政策は、相当注意深く運営していかねばならないということです。

そこで、資料に「アクティベーションの重要性」と書きましたが、これは雇用カウンセラーが定期的に失業者にインタビューをして、訓練等のプログラムをちゃんと受けない人は失業給付を減らすということです。こういった厳しいやり方と組み合わせていくと、それほどお金をかけずに政策効果は非常に発揮されるということが、ヨーロッパの研究でも紹介されています。

「育成」の具体的な分析事例

図表4

資料4に具体的な分析例をあげています。一言でいいますと、政府が前面に出てきて教育訓練をやることは非常に必要な部分はあるのですが、だからといってそれが魔法の杖のように、すぐにもの凄い効果が出るかというと必ずしもそうはいかないということです。アメリカのように、いろいろやったけどうまくいかないから少し予算を削っているような状況もあるわけです。

それから、スウェーデンのケースも書きましたが、ヨーロッパの研究でも非常に中心的に出ている結果としては、公的セクターが雇用することが、その後の失業者の状況を考えるとあまりプラスにはなっていないということです。一番プラスになっているのは、民間企業が常用雇用するような形で経験を積ませた人が、実はその後、非常にうまく入職していくという結果もあります。

「柔軟」とは

三番目の視点は「柔軟」(資料5)。これは労働市場の柔軟性のことです。失業者と就業者、それから正規労働者と非正規労働者の間には非常に高い壁ができてしまい、今、その二極化は非常に深刻になっているわけです。一旦、失業者になったり非正規労働者になると、そこから抜け出せなくなる。

図表5

この問題もヨーロッパで綿密に分析されました。インサイダーとアウトサイダーの二つのグループが明確に分かれるようになって、一旦、アウトサイダーになってしまうと労働市場に影響力を及ぼすことはなかなかできなくなってしまう。すると、インサイダーの既得権はどんどん大きくなっていくわけです。これは大きな問題なので、やはり正規・非正規間の雇用保障や待遇のアンバランスというのを同時並行的に解決していく必要があるでしょう。

正規・非正規雇用問題への対応

最後に正規・非正規問題で触れておきたいのは、冒頭申し上げたように「派遣切り」が非常に話題になっているわけですが、一番の大きな根本はやはり有期雇用契約の問題だと思います。有期雇用がとてもいい働き方だと言えるのは、なかなか少ないのではないか。相当なバーゲンパワーを労働者側が持っていないと、良い働き方と言うのはなかなか難しいと思っています。

図表6

だから、使用者が有期雇用を選ぶということであれば、それはそれで構わないのですが、雇用保障がされていない分、賃金や雇用保険料などの形で何らかのプレミアムを上乗せすべきではないでしょうか。あと、これも制度的な話になりますが、有期雇用者の雇用保障を若干高めるために、もう少し長期間の有期雇用も原則として考えていけばいいのではないか。これは、成果や能力をより評価しやすくなる点で非常にいい効果があるし、また、正規雇用者に対しても良い刺激を与えていくことになるのではないかと思います(資料6)。