基調講演:第10回労働政策フォーラム
キャリア教育に求められるもの
(2005年3月18日)

開催日:平成 17 年3 月 18 日

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

配布資料

基調講演 「児童・生徒・若者を社会に対応できる大人に育成するには」

ディビッド・ジャプセン アイオワ大学教授

本日の講演には2つの目的があります。ひとつは、キャリア教育推進施策におけるキャリア教育の位置づけについて理解を深めていただくために、キャリアの今日的解釈に関する私の意見を述べること。もうひとつは、キャリア教育の目的・目標をめぐる議論を活性化するための比喩(メタファー)を用いてキャリア概念を提示することです。

それでは、今日のキャリアの理解についてお話しさせていただきます。全国的なキャリア教育に対して指導的な立場にある方々の考えは、そのまま日本全体のキャリア教育の位置づけに直結します。そのような指導的立場にいる方々の考えは、個々人のキャリアと国としての全体的な労働生産性をどのように捉えるべきかを方向づけるものです。キャリア教育推進施策のあり方は、キャリア及びキャリア教育概念をどのように捉えるかに大きく左右されます。このような見方から、私はキャリアを今日的にどのようにとらえるべきかについてお話をしたいと思います。

このようなキャリアの概念ですが、非常に多くの意味を含んでいます。アメリカでは、社会科学分野の研究者が提唱するところによると、少なくとも 11の異なるキャリアの定義があります。しかし15年ほど前、社会科学の研究者がキャリア教育活性化のために何ができるかということを話し合った際、一つの大きな広い意味での定義にたどり着きました。それは、キャリアとはある個人が時の経過とともに体験する一連の仕事経験(work experiencesの翻訳)、働くことの経験の展開・発展であるという定義です。

このキャリアの捉え方には3つの重要な特徴があります。第1に、このとらえ方は1人の人間の彼あるいは彼女がキャリアの中で出会う、一生の中で出会う仕事、働くことの経験の総体を見せているということです。このようなとらえ方をすると、すべての人間一人一人がキャリアを持つということになります。2番目は時間に関係することです。これは一連の時間の経過によって働くことの経験、仕事の経験が展開していくというところに力点をおいたものです。これはキャリアというのが、ある一時点におけるある1つの出来事ではなくて、時間の経過によって起きる様々な一連の行動からなるということを意味しています。また、キャリアはその一つの職務経験あるいは職務上の役割を示すのではなく、さまざまな役割、さまざまな行動の一連のパターンを示しているということが言えます。3番目は、仕事の経験、働くことの経験の中で特に、賃金を得て働くことだけにとどまらない広がりを持っているという点です。この場合、賃金を得ない仕事、すなわちボランティアのような活動がキャリアの概念に含まれることになります。

ハンナ・アレント(ドイツ生まれのアメリカに亡命した哲学者)は、仕事や働くことは人間にとって不可欠なものだと言っています。仕事の経験・働くことの経験は、一人一人が自らの才能と関心をものづくりやサービスの提供において体現させることを意味しています。サービスの提供やものづくりが社会に深く根を下ろせば下ろすほど、そのキャリアは文化と不可分な関係になっているということが言えると思います。

それではここで、仕事について、働くことについて、ワークということについてお話ししたいと思います。ワークという概念は価値と不可分なものです。そして同時に歴史的な展開とも不可分なものです。すべての社会が、あるいは社会に生きているすべての人間がワークをどのように理解するかということについて意見が合致するとは限りません。その仕事をどのように理解するか、どのように捉えるかというのはキャリア教育を推進・実践するときに非常に重要な要素になってきます。

ここで1つ事例を申し上げます。学校、特に教室の中で起きる出来事を思い浮かべてください。ここではワーク、働くことということを学校のスクールワークすなわち勉強も、学習も含むことにします。ここで、学校におけるさまざまなワーク、働くことを単なる単調な骨折り仕事や、ノルマとしてとらえる場合と、ある教師が仕事、ワークを生徒一人一人の興味や関心・能力を発揮する場としてとらえる場合とではそのワークの意味が大きく異なってくるということがおわかりになるかと思います。手短に申し上げますと、このようなキャリアの概念、キャリアの定義というのは、一人の人間がその時の経過とともに経験する一連の仕事の経験ということが言えると思います。このような解釈というのは、キャリア教育の施策や実践において幾つかの重要な点を示唆すると私は考えます。

このように明確な言葉でキャリアを定義することは、キャリアとキャリア教育に関するコミュニケーションを促進するという大きな働きを持ちます。このコミュニケーションは異文化間、特に本日のようにアメリカと日本という異文化を超えてコミュニケーションが成立する、また学問的な領域を超えてコミュニケーションが成立するといった力を持ちます。それにより理論の発展、研究の発展が促進されるわけです。

2点目に、このようにキャリアをとらえるということは、教員あるいはキャリアカウンセラーの中で、そのキャリアを人間の発達の一つの類型としてとらえることを可能とします。このような仕事の経験、働くことの経験を一類型としてとらえる場合、例えば社会経験、認識の経験あるいは情緒的な経験、さまざまな類型の経験と相互に関係し合うものとしてとらえ、このキャリアにおける人間の成長・発達を人間の全人的な発達と同時にとらえることを可能とします。そして、教員やカウンセラーたちはこのようにとらえることによって包括的な教育活動の一環にキャリア教育を位置づけることが可能になるわけです。

キャリア教育あるいはキャリアを一連の毎日行う仕事、働くことの経験としてとらえた場合、キャリアが一連の経験であるとするならば、生徒・若者たちはある一つの限定された職業やある時点における仕事の選択ということにはならずに、一連の選択を前提としたキャリアの選択、つまり連続した鎖のような選択の中でのキャリアをとらえるということが可能になるかと思います。

ここで、キャリアを一連の経験として理解いたしましたが、そうなれば、生徒・若者たちは単に一つの職業に対して適合する技術・スキルを身につけることに集中することはなくなるはずです。それより、むしろ新しい技術・スキルをどのように身につけたらいいのか、どのように学んだらいいのかということに力点が置かれるはずだと思います。また、特定の仕事に対して準備をするということではなく、会社が変わることを前提とした一連の仕事に対する準備や、仕事と仕事の間の移行、移り変わりに対しても関心が向けられると考えます。

このような意味合いでのキャリアに対し、生徒・若者たちを向き合わせる、準備させるということがキャリア教育であると理解するならば、私たちは新たなキャリア教育推進施策の課題に直面します。特に、このような一連の仕事経験、働くことの経験としてのキャリアに対して、果たして若者たちを準備させることができるのだろうかという問題です。

キャリア教育推進施策についての話に移ります。既に 21世紀に入り数年経ちましたが、私たちは、この間に大きな施策上の転換を経験しました。社会的な変化も経験いたしました。10年前には考えることができなかった状況の変化に、学校から送りだされる若者たちは直面しています。このような変化は多くの先進国に共通して見られます。ここで、私は、このような社会の変化に見られる重要なポイントを幾つか挙げて、キャリア教育そしてキャリアについてお考えいただきたいと思います。

まず第1点として、安定した雇用の減少あるいは弱体化が挙げられます。例えば、かつて私たちが前提としていた職業の安定性は今や見出すことはできません。職を失うことも珍しくなくなってきました。また、仕事を頻繁にかえることも将来、大いに起こりうる可能性がありますし、キャリア・パスの不鮮明化も顕著に現れています。例えば、ある一つの職場で昇進が明らかになっても、その中で自分の将来像をつくることが難しくなっております。確かに職業の変化――職業を変えることは起き得ることではありますが、どのようにそれが変わっていくのか、どのように職業を変えていくのかということは必ずしも事前に予言できるものではありません。また自己責任性が強まっていることも一つの特徴です。すべての勤労者は、ある意味で自分を自分で雇う自由業のようなところがあります。そして自分のキャリアに対しては自己責任を負うという変化が求められています。

そして職務責任がより包括的になり、より顧客のニーズを充足させることを目標としたものに変わってきました。一人だけではなくチームを組んで働くことも要請されますし、上司の要求に的確にこたえていくことも求められています。このような社会の変化に伴い、キャリア教育推進施策も変わらざるを得ません。学校は、子供たちに対し、このような複雑な社会に適応できる柔軟な勤労者として彼らを育てることを要請されているわけです。

このような柔軟性のある適応性の高い勤労者となるためには、まずは変化に対応することが重要になってきます。その変化というのは職務責任の変化、労働市場の変化の両方を含みます。そして、頻繁に起こる職業の変化あるいは転職に対して十分に備えのある、また顧客や上司からの要求にも的確にこたえることができる勤労者の育成が求められているわけです。したがって、 21世紀に求められるキャリア教育の定義とは、児童・生徒・若者たちに対し、勤労者及び学習者としての自らのキャリアを構築する上で必要な諸能力を身につけさせるものである、ということになるのではないでしょうか。

私は現場の教員として、またカウンセラーとしての経験を積んできましたが、その経験に基づいて申しあげますと、どのようなキャリア教育を日本が採用するにせよ、それが大きく現場の実践に影響を与えることは疑いないものだと思います。ですから、キャリア教育推進施策に対して教員が強い関心を持つことも疑いないことでしょう。次に、これらのキャリア教育の定義が、教員やカウンセラーによる教育実践に対してどのような意味を持つかということをお話ししたいと思います。

物語としての、あるいは小説としてのキャリア。ここで皆さんのイマジネーションの力を少しお借りしたいと思います。ここでは、比喩(メタファー)を使い、小説・ストーリーとしてキャリアを捉えることを提案したいと思います。私たちがコミュニケーションをするとき、言葉は非常に重要です。ですので、文化の違いを超えて日本の皆さんに理解していただくストーリーとしてのメタファーを使いたいと思います。

キャリアは小説のようだと言われます。私自身のキャリアもそうですし、あなたのキャリアも、そして子供たち、生徒たちのキャリアもそうです。そしてそれらのキャリアはちょうど小説のような形態を持っています。例えば、ここであなたのキャリアについて話してくださいとお願いすれば、きっと皆さんは小説や物語のような方法で話をするだろうと思います。

小説には必ず著者がおり、主役となる登場人物も出てきます。キャリアもまた同じようなことが言えます。おそらく、皆さんのキャリアの物語では、ある時期区分をつくって話をしてくれるでしょう。子供の頃のこと、青年時代のこと、大人になってからのこと、そして現在のこと、そうした時代の区切りをつくる、これがまず一つの共通点です。そして、物語には、話が起こる舞台も重要になってきます。例えば、どのような職場で働いたのか、いつ転職したのか、あるいはいつ会社をかわったのか、そうした話が出てくるでしょう。そして、皆さんは自分以外の登場人物をストーリーの中に登場させると思います。その登場人物は皆さんにとって、ある意味を持った人物のはずです。ストーリーの中には筋書きも入り、直面した問題やそれをどのように解決したかということについて話をするはずです。

皆さんの物語の中心には、主人公がどう行動したかが据えられます。主人公が遭遇する重大な事柄、例えば病気、事故、天変地異、あるいは経済的な問題など、どうしようもない大きな問題がそこに加わってきます。いちどきに完全なキャリアの物語を話す人は数多くありません。大抵の場合、皆さんも何かを話さずに残しておくでしょう。そして、きっと皆さんの良き友人が質問を投げかけ、ストーリーを完全なものにしていくのだと思います。特に、青年期にある若者たち・子供たちは非常に短い話をするに違いありません。教師はそうした場合、欠けている部分、物語の中に表現されていないものを質問しながら引き出す役割を担っているわけです。子供たちは働いた経験が十分にありませんから、彼らのストーリーはたいてい短いものが多いけれど、子供たちは教師に自分たちのストーリーを話したがっていると私は感じています。

キャリアのストーリーというのは、いわばノンフィクションの仕事経験、働くことの経験小説だと考えます。それは多分に自嘲的なストーリーのはずです。ストーリーにはほかの物語と同じような6つの共通した特徴、要素が含まれていると考えます。それらは、学校や教師が子供たち・生徒たちの仕事経験、働くことの経験に対するストーリーをどのように育てていくかということに対して示唆的なものです。まず、キャリアには作者、語り部がいるということです。著者・書き手は自らのストーリーを組み立てていく。語り部のように一連の時間の中で一連のキャリアの経験を語っていくわけです。キャリアは時の経過とともに進展します。初めがあり、中間部があり、終局部があるわけです。次に、キャリアはある場所を舞台として展開します。ここでいう舞台とは、私たちが頻繁に「職場」と呼ぶところです。どのような職場で働くかということは、キャリアがどのように満足を持って迎えられるかということに大きく影響を及ぼします。そして、キャリアには主役のほかにさまざまな脇役が登場します。その脇役というのは家族であったり、教師、友達、同僚、あるいは顧客、上司といった登場人物が含まれます。そうした様々な人との関係がどのようにあるかというのは、キャリアの生産性と満足に大きく影響を及ぼすわけです。さらに、キャリアには筋書きがあります。働くことの経験、仕事経験の小説においては、筋書きが時として著者自身にも明確になっていないことがあります。しかし、筋書きがだんだんに明らかになることによって、キャリア全体の見通しが立ってくるという性質を持っています。そして、このキャリアの筋書きには3つの重要な要素があると考えます。

筋書きの第1の特徴は、問題の発生です。その問題はいつか解決をしなくてはならない。そして、それらの問題のうち幾つかは予測することが可能でしょう。それは多くの人々も同じような問題を経験するからです。逆に、幾つかは全く予測することができない問題もあります。

次に、問題を解決する方法が筋書きの中には必ず含まれます。それは主人公自身の知識であったりするほかに脇役の助け、脇役の行動もあります。そして、最後にキャリアは主役の行動なしには展開しないということです。主役の行動しない小説というのは想像することができません。その主役の行動こそが小説、物語の中心になるべきです。そしてキャリアは小説ですから主役の行動が単に受け身的な観察であってはならない。そうでなければ物語として成立しないからです。そして6番目の共通点ですが、ここには主人公やその他の登場人物ではどうしようもできない大きな力が働く、甚大な災害や病気、それから最愛の人を亡くすなど、物語の結末に大きな影響を与えるような力が働くということも共通性として挙げられると思います。このように、キャリアをノンフィクションの仕事経験小説としてとらえた場合、私たち専門家はキャリア教育をより創造的にクリエイティブに考えることができると思います。また、いかに生徒たちに、生産的でエキサイティングで強力なストーリーを書かせるか、それを支援するかが重要です。

そこで、キャリア教育において、どのような目的を設定し、子供たち・若者たちが何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。まず、キャリアの著者として考えた場合、自らの責任で自ら行動し、自らのキャリアをつくっていくことを学ぶ必要があります。もし、生徒自身がそのような自立性を発揮しなければ、他の誰かがその生徒の代わりにキャリアをとって変わり作ってしまうという状況すら起こり得ると思います。

次に、生徒たちは時の流れの重要性を認識する必要があります。特に、将来の時間に対して関心を向ける必要があります。そして、自分の行動とその結果の一連の関係についても知っておくべきです。もし、子供たちがその時の流れに関心を持たなければ、非常に近視眼的にキャリアをとらえることになり、自分の行動とその結果に対して責任を持たない、あるいはその行動と結果に対して関心を持たなければ、その将来予測は多くの間違いを含むことになるかもしれません。

次に、円滑に人間関係を構築することを学ぶべきです。指揮命令系統、また性別、年齢、能力、関心等による職務分担などが職場ごとに異なることを理解する必要があります。そして、職場ごとに異なるもののうち、どれが自分にとって適当なのかを理解する必要があります。もし、そのような職場による違いについて全く知ることのないまま仕事をすることになったら、不満足な結果を招く可能性が高くなります。

そして、人間関係のスキルも重要です。特に、自分が重要だと思う人たちに対してどのように誠実に行動するか、そうしたことを学ばなければ競争の激しい労働社会の中においてなかなか成功をおさめることができません。そのような将来が子供たちを待ち受けているのです。そして、自らのキャリアの筋書きを立てる上で、起こり得る問題を予測することが必要になってきます。どのような問題に自分が直面しているのかということを特定する力も必要です。問題を予測し、特定する力が欠けていれば、仕事経験、働くことの経験は単に先送りされ、不満足な結果に終る危険性にさらされます。

次に、どのようにその問題を解決するかという解決方法を特定し、それを探していく力を身につける必要があります。もしその解決方法を見つけることができない、あるいは自分のために助けになってくれる人を捜すことができなければ、若者たちは孤独感を味わい、キャリアの中でも成功をおさめることができず、失敗に対して強い落胆を感じる経験を持つことになります。

次に積極的に行動を起こし、その行動に責任を持ち、その行動に対する批評に耳を傾ける力を養う必要があります。でなければ、やはり子供たちは一人残され、さまざまなキャリアの要求から孤立する状況に陥ってしまいます。

そして最後に、自分ではどうしようもない大きな力、甚大な力に対しての対処を学ばなくてはなりません。もしそれを学ばなければ、子供たちは悲しみにくれ、絶望に明け暮れる、そのような将来を味わうことになってしまいます。

それでは、きょうの話をまとめさせていただきます。私は本日、皆さんのキャリア、そしてキャリア教育推進施策に対しての考えをより深めていただくために話をしました。そしてキャリアをどのようにとらえるかということに関してもお話しいたしました。それは、一連の時の流れの経過に従って起きる仕事経験です。このようにキャリアをとらえた場合、キャリア教育推進施策は子供たち、若者たちを学習者・勤労者として十分に育てていくことが求められます。

次に、私はキャリアをストーリーとしてとらえることを提案いたしました。そうすれば、皆さんのキャリア教育実践はより創造的になるはずです。キャリアをノンフィクションのキャリア経験、仕事経験の物語としてとらえた場合に、キャリア教育の目的、その目的に従って行われるキャリア教育の実践も明確になってくるのではないでしょうか。

最後に、皆さんがキャリア教育の専門家として今後ますますご活躍されることを祈っております。また皆さん一人一人のキャリアストーリーに楽しい結末が待っていることをお祈り申し上げます。ご清聴、ありがとうございました。