基調講演:第9回労働政策フォーラム
共に働き、共に生きる社会づくりをめざして
—障害者の就労支援に関する有識者懇話会
「共働宣言」が伝えたいこと—
(2004年12月3日)

開催日:平成 16 年 12 月 3 日

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

配布資料

堀田力 (さわやか福祉財団理事長)

「共働宣言」の反響

こんにちは。静かですね。私はボランティアを広める活動をしておりますので、彼らが集まるとわっと熱気があって、笑顔と「こんにちは」という元気な声が返ってきます。けれども、きょうはちょっと腰が引けて、「『障害者の雇用率を上げろ』なんて言われて帰るのもつらいな」という感じのお顔が半分以上あるようにお見受けします。帰られるころには、「よしっ」という気分になりますことを心から願って、話を始めさせていただきます。

「障害のある人の『働きたい』を応援する共働宣言」が配付されております。きょう初めてご覧になりましたでしょうか。すでにご覧になった方もありますでしょうか。 10月頃、全国にこの共働宣言のパンフレットを配っていまして、何人かの人たちから「いいですね」と言ってもらいました。私が座長を務めた懇話会のメッセージをまとめたものですから、ほめてもらうと大変うれしいので、大いにこれが役立ち、障害者の雇用が進むように願っています。

ただ、ほめてくれる人は障害者の団体の方ばかりなのです。できれば企業の人事担当者あたりから「なかなかいいのが出ましたね」、「あれはわかりやすいですよ」なんて言ってもらえないかなと思っています。きょうはぜひこの共働宣言をご覧になり、企業のトップにまで上げていただきたい。役所がつくったにしては結構やわらかい文章で、メッセージがはっきりしていますし、わかりやすいと思います。

最初のところは、後でパネルディスカッションのコーディネーターを務められるNHK解説委員の小宮さんが書いたやわらかい文章ですし、中のほうも、お役所の方が一生懸命、固い頭をやわらかくして書かれたもので、なかなかいい文章になっています。後でパネリストから「このメッセージはこういうことだ」とか、それぞれ思いがこもっていますので、いろいろな話が聞けると思います。

すぐれた能力を持つ障害者は多い

本論はそちらのほうに譲りまして、私は皆さんと一緒に、「障害者の雇用」について考えてみたいと思います。「もうそんなことはわかっているよ」という方が大半だとは思いますが、大体、「障害者の雇用」というと企業は腰が引けてしまう。「この忙しいときに、なかなかもうからないときに、リストラで、欲しい人まで涙をのんでやめてもらっているときに、どうしてわざわざ効率の悪い人を雇わなきゃいけないんだ」なんて、知らない方からはそういう反応が多いです。

しかし、障害者の方で、できる人は結構おられます。むしろ健常者で、一人っ子、二人っ子時代に甘やかされて育った根性の入っていない人たちや、半年ほどしごいたらすぐに辞めてしまう人たちに比べれば、ずっと情熱も、集中力も、思いもある。そういった方が結構多いのです。全部とは言いませんけれども、そういう方はむしろ健常者の方々以上に高い能力を持っています。これは雇わないと損ですよね。知恵がある、あるいはパソコンが得意、それから、深く物を考え、説得力がある、社交性が一般の方よりもあるという方も結構おられます。

もちろん障害者も健常者もいろんな方がいるわけですけれども、障害者の中で「社会に出よう」という意志を持っておられる方は、社会に出ることについて、一般の健常者の人たちよりも大変なわけです。それでも出てこられる、その意志だけでもすばらしいのです。人間だれでもそうですが、人の世話になって生きるというのは、基本的にあまりうれしいことではありません。人が世話をしてくれるのはありがたいことですが、やはり人のお世話をして生きた方が気分いい。

自分の力でつくりだす喜び

私は高齢者の分野でいろいろな施設を回ります。体がほとんど動かない、あるいはいろんな不自由があり特別養護老人ホームで、いつもは静かに、人のお世話になって暮らしている方のところへ、ボランティアのお母さんが幼い子どもでも連れていこうものなら、これはもう大変です。

よくお母さんで、「うちは子供がまだ1歳にもなっていませんので、もう少し大きくなってからボランティア活動に参加したい」などとおっしゃる方がいますが、「いやいやぜひ連れていらっしゃい」と言います。幼いお子さんを連れたお母さんが、ほかのお母さん方、女性の方々と施設にボランティアに来られると、その来たグループの中でだれが一番ボランティアをするのか。これはもう間違いなしにその幼子です。これがみんなうれしいんです。

いつも世話になってばかりですから、その幼子を世話したいんでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんはその幼子のところへ来て、顔をしかめて笑わせようとします。しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、何とかその赤ちゃんを笑わるのに一生懸命です。

施設の職員がびっくりしたと言います。「あの人はどんなに世話をしても、何をしてあげたって笑いもしない。ここに入って3年になるけれども、あの人が笑うのは初めて見たよ」と。その人が赤ちゃんを見て笑う。赤ちゃんは正直だから、おもしろくないものには笑いません。「ほんとうに笑っているな」と思うと、にこっと笑う。そのにこっと笑ったときの喜びはすごい。「私に笑ってくれた」と思うと、ほんとうにうれしい。いつも職員やボランティアなど、いろんな方々のお世話になっていて、それはそれでうれしい、ありがたいとは思っておられるでしょうが、やはり自分の力で何とかして、この赤ちゃんの笑顔を生み出したことがうれしいのでしょう。

自分の力で何かをつくり出していく喜び。これは人間の一番基本的な、根源的な喜びだと思います。ですから、障害者の方も学校でお世話になる、家でお父さん、お母さんにお世話になる、それはそれでうれしい、感謝しているけれども、やはり自分で生きていきたい。だから外へ出て暮らそうと考える。自立です。

でも、これが大変です。障害はいろいろありますけれども、例えば身体障害者の方が車いすで外へ出て、1人で暮らしていこうとすると、何人ものボランティアの仲間たちが手伝ってくれるにしても、ボランティアですから「その時間はオーケー」という人のほうが少ないわけです。何十人、人によっては百何十人ぐらいの「声をかけたら助けてくれる仲間」をつくらないと、1人で自立してやっていけない。その仲間をつくるのは大変です。

もちろん相手はボランティア精神を持った人たちです。このごろは「役に立ちたい」という人が大分増えていますが、そうは言っても、「あいつはおもしろくない」、「やったって何も言わない」、「役に立っているかどうかわからない」となると自然に遠ざかっていきます。世話になりながらも、「彼は、彼女はこんなに感動してくれている」、「こんなに喜んでくれている」、「一緒にいたことでこれだけ学んでくれている」といった交流があり、やっているほうも「やってよかった」と感じる状態でないと、最初はボランティアに来てくれた人も次第に遠ざかってしまう。

障害者の能力を活かさないのは損

「彼は楽しい」、「彼女は楽しい」と、たくさんの仲間たちが支えてくれる人はとても魅力的です。話が上手、あるいは、普通にはしゃべれなくても一生懸命話す。そこが非常に感動的で、すばらしい魅力があります。そういった魅力は仕事でも当然生かせるわけです。仲間と携帯で話す、「話すのも面倒くさい」と言ってメールする、そういう仲間しかいないような若者に比べればずっと深い、すばらしい魅力を持っておられます。これは一例ですけれども、ほんとうにそれぞれすばらしい、むしろ障害者でない方よりもっとすぐれた能力を持つ方がたくさんおられます。その能力を見つけ出して活かさないのは、これは社会にとって損ですし、企業にとっても損だと思います。

これからは人の時代ですから、いかにすぐれた人物、かつ意欲のある人物、もう少し言えばその職場に合っている人物を見つけ出すかが大事です。3年以内に辞めてしまう人がどんどん増えている。これは雇うほうも悪いですが、適材がうまく見つかるというのは、なかなか難しい。だから昔の雇い方では、今の企業は続かない。健常者であれ、障害者であれ、自分の会社の仕事に「よしやろう」と情熱を燃やし、かつ能力を持った人物を見つけ出す広い視野が要る。ぜひ障害者の方々にも広く目を向けて、すばらしい能力を引き出してほしい。そうしている企業も若干ですが出てきています。後のパネルディスカッションでも報告があると思いますが、そういうふうにしてまず広い視野で、いろいろな能力を活かしてほしいと思います。

ただ、すべての障害者がその能力で、障害のない方と同じように、同じ条件で働けるかというと、やはりそうはできないハンディキャップを持っておられる方も数が多い。そういった方々については福祉的な就労、雇用ということになります。これがなかなか数字が上がらないのですが、経済的には見合うようにちゃんと行政が支援しているわけです。

「さわやか福祉財団」の場合は就労ではなく、もちろんお金ももらいませんが、高校生ぐらいの障害者の方、知的障害の方、精神障害の方をいわば「就労の訓練」ということで受け入れ、お迎えして、仕事をしてもらっています。

そういった方が来ると職員の目つきが変わってきます。何とか彼、あるいは彼女がしっかりやれるようにリードしたい、手伝いたい、そういう気持ちがあふれてくるんでしょう。さりげなく注意して、何とか上手に教えながら、自分で積極的にやっていけるよう役立ちたい。そんな「みんなで支えてやっていこう」というオーラが、そのセクションに漂ってきます。ただ、教え込んだりしてはプライドを損なう。自発的に、「自分でこうしたい」と思ってやっていけるように何とかもっていきたい。そして、できたら、「よくやった」、「次はもっとやれるよ」と言う。すると、うれしそうに反応してくれます。これがうれしい。

「この子は今まで養護学校しか通ったことがない」、「ほかに行けるような子ではないので、仕事に出すなんて」と、最初は学校の先生だけではなくお母さんも心配そうについてきます。「大丈夫ですからどうぞお帰りください」と引き取ってもらうと、ほんとうに不安そうに帰っていかれます。しかし、二、三日すると、「何でこんなにしっかりするのか驚きました」というお母さんが多いのです。任せて、一人前扱いをするとぐんぐん力をつけ、みんなもそれをうれしく感じる。

自信がつき出すと、これがまたすごい。1週間ぐらいたってみんなの前で感想を言ってもらうと、「もうこれで私は大丈夫です。どんな仕事でも引き受けてやれるようになりました。私はもうどこへでも就職してできます」なんて話します。ちょっと待てよと。そこまではいっていないよと。あんたができるのはやっと封筒の中に紙が入れられるようになっただけで、まだのりづけだってあてにならない。表書きはまだ任せられない。それで「私はどこへ行っても、どんな仕事でもできます」なんて、そこまで自信をつけるのはまだ早いよと思うんですけれども、そのようになるのは、やはり楽しいことです。

本人がそう思うことは大事なのです。そうやっていると、ほんとうに次の1週間、さらに進歩する。最初はみんなの前で何も話せなかったのが、3週間もすればひとかどのあいさつができて、仲間を褒めたりします。「あの人もなかなか仕事ができる」なんて。待て待て。あっちはあなたの大先輩で、あなたはあの人にずっと面倒見てもらって、やっとここまで来たんじゃないの。それが偉そうに、「あの人は仕事ができる人」なんて言えるのかと。聞いていればそう思うんですけれども、そこまで自信がついてきているんです。そうやっているうちに、ほんとうにそれぐらいのものになっていきます。

そういうのを職場で見ていると、「封筒に紙を入れる仕事なんておもしろくない」と思っていた人が、それをきちんとやれるのは大事なことなのだと気付く。平素は内心に不満を持ちながら仕事をしていた人が、仕事をすることの意味に目覚めてくるのです。

ですから研修で引き受け、若干の手間はかかりますが、効率は全然落ちない。他の人たちが、むしろ来た彼、彼女以上に仕事の意義に目覚めて生き生きとやるようになる。職場の雰囲気が明るくなる。そういう効果はすばらしいと思います。

すべての人が自分を活かせる社会に

今までは、ひどい言い方をすれば、できる人を雇って絞り上げ、持っている能力を全部吐き出させ、その吐き出させたものよりは少し安めの給料を払い、しかし辞めないよう退職金でつって何とか最後まで働かせてもうけるというのがルールだったと言えます。これからもそういうルールでいたのでは、若い人たちがどんどん辞めてしまう。健常者、障害者を問わず、「自分を職場で活かしたい」という思いが強いのです。楽しく仕事ができ、自分が活かされていれば、「給料はたいしたことはないけど勤めていこうか」となります。逆に給料をどんと上げても、上から言われたとおりやることにやりがいを感じることなく、「こんなのはおもしろくない」と思う人たちはどんどん辞めていく。そういう時代になっています。

ですから、障害者の方の能力を活かして伸ばしている会社は、これから勤めようという人にとっても魅力的です。「この会社はそれぞれの能力を生かして使ってくれる会社なので、自分もそのように働けるだろう」と考える。このごろの若い人たちの働き方は、そういうふうに変わってきています。

社会全体で言いましても、ともかくできる人が働いてたくさんもうけ、その分け前を日本中みんなに分けて、経済的豊かさ、レベルを上げていくのが幸せという時代は去りました。日本はもうそのレベルではありません。どんどん少子化していくこの社会では、すべての人がそれぞれ幸せに生きているのがすばらしい。エリートが引っ張って、そういう人たちの能力を絞り出し、もうけをみんなに分けて幸せになるというのではなく、どんな能力の人であろうと、どんな状態の人であろうと、皆が幸せになっていることが社会全体にとっても幸せであるというふうになってきています。成熟社会ですから当然のことです。

そういう社会になっているかどうかが、私たちが住みやすい日本であると感じるかどうかの1つの大きな基準になってきます。できる人がいい学校に行き、いいところに就職して、たくさん月給をもらって引っ張る。そのおこぼれをほかの者があずかるという国、社会の築き方ではない。どんな状態の人であろうと、それぞれの幸せをみんなで実現していくのがすばらしいという社会に変わったのです。これは日本が成熟してきた、文化国家になった証拠です。

それが一番典型的にあらわれるのが障害者の方々です。障害者の方々が自分の能力を活かすことができ、「自分も社会に役立っているんだ」と実感を持って生きていける社会になっているかどうか。それが実は障害者の方だけではなく、すべての人にとって、「それぞれの能力が活かされる幸せな社会になっているかどうか」の判断基準になると思います。そういう社会では、自分だけ幸せになることはあり得ない。障害者を含め、すべての人が自分を生かして幸せになる。このことが一番、新しい日本、住みやすい日本、みんなが幸せだと感じる日本をつくるのに大切なことだと思います。ぜひ、その一番大きなあらわれである障害者の方々をみんなで受け入れ、その能力を生かし、そして彼、彼女が自分に自信を持って可能な限り自立して生きていけるような社会をつくり出していきたい。心からそう願っております。