コメント 就職支援政策のあり方
教育から職業へ—欧米諸国の若年就業支援政策の展開—

開催日:平成16年2月19日

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

配布資料

堀 有喜衣 (労働政策研究・研修機構 研究員)

坂野先生と藤田先生からご説明がありましたドイツ、アメリカの就業支援政策についてコメントさせていただきたいと思います。その際に比較の軸として、当機構の前身であります日本労働研究機構が行ったスウェーデンとイギリスの事例及び日本の現状を確認し、4ヵ国の政策の共通性ということを特に意識しながら、日本の就業支援政策についてどういった示唆が得られるのか考えていきたいと思います。

大抵の国では包括的な移行システムというのがあります。ドイツではデュアルシステムがありますし、アメリカは長い間なかったと言われてきましたけれども、近年ではその重要性が認識されつつある。しかし、どんなすぐれた移行システムであっても、そこからこぼれ落ちてしまう若者は必ずいるわけです。今回、対象とした国では、何らかの就業支援政策を必ず設けております。その予算は、報告書をお読みいただければわかると思いますが、驚くほどの金額を費やしています。

ここでは、より不利な立場に置かれた者として高校生の就職を取り上げますが、日本では長い間、実績関係がうまく機能してきたために、移行できなかった若者が利用できるようなリソースというのはほとんどありませんでした。ここに来て実績関係というのが十分に機能しなくなり、その重要性がようやく認識されつつあるのでないかと思っております。

1.スウェーデン、イギリス、日本の就業支援政策

(1) スウェーデンの支援政策−発達保障プログラム

スウェーデンの政策は、労働政策、ここで言う就業支援政策に加え、教育・余暇・社会・住宅の5本柱からなる包括的な「青年政策」であるというのが大きな特徴だと言われています。これは若者の移行というものが労働の側面だけではとらえられないのではないかという認識によっています。ここでは就業支援政策のみご紹介いたしますが、背景にはさまざまな方面から若者に網をかけているということがあります。

こうした方針のもと、スウェーデンでは近年、政府が目標を提示し、その枠に沿って若者のニーズや地域の労働市場の状況をよく知る地方自治体の権限を高める方向に政策を転換しております。資料に書いておりますが、地方自治体が主導権を持ってやり、しかしプログラムに要する費用は政府が地方自治体に支払っているというシステムになっております。

ここでご紹介する発達保障プログラムというのは、主に20代前半の若者を対象としております。このプログラムの内容は個人によって異なるのが特徴で、プログラムを決める際には、失業中の若者に労働市場とのつながりを与えるような行動計画を、地方自治体、職業安定所、参加者という3者協議も行った上で、詳しい内容を決定していきます。ただし、活動への参加を断った場合には、支援がなくなるという特徴がございます。

スウェーデンでもアメリカと同じように、国際競争に生き残っていくためにはより高い能力や知識を身につけていく必要があるということで、職業教育から大学準備教育や職業の準備教育への転換が図られつつあります。

(2)イギリス−ニューディール政策

イギリスについては最近話題になっている2つの政策をご紹介したいと思います。イギリスもアメリカ同様、あまり包括的な支援政策が見られなかった国ですが、不利な立場にある若者、例えば労働者階級の男性は学校を早く離れて製造業の仕事に入っていくという移行のあり方がかつてはありました。しかし、1970年代から、製造業の衰退により低学歴でもある程度安定した雇用が得られるということがなくなり、若年失業率が上昇しました。こうした若年失業への対策として、政府は訓練計画の策定と失業手当の給付という方向でいろいろ支援を行ってきた。けれども、政府の訓練計画を修了しても実際は就職が難しかったため、若者に敬遠されていくようになりました。また一方では、失業手当に依存する若者も増加していくという傾向にありました。

こうした金銭的な援助は、サッチャー政権下でカットされたんですが、失業率は改善されず、新たな政策が模索されていたところで、若年者向けニューディール政策というのが導入されました。このニューディール政策というのは、詳しくは資料をごらんいただきたいんですが、最大の特徴は個人に配慮した継続的な支援サービスという点にあります。パーソナルアドバイザーと求職者のいわば個人的な結びつきが非常に有効に機能されたと言われております。

このニューディール政策によって、若年失業率が大幅に低下した。一方で、ただ単に好景気だったという指摘だけではなくて、教育、雇用、職業訓練、いずれにも参加しない若者層(NEET)を置き去りにしたんではないかという批判がなされています。というのは、このニューディールによって得られる仕事の多くはあまり継続性がない。回転ドア状態という表現があるんですが、非常に不安定な仕事であるということや、失業手当をカットされてもこのニューディール政策には参加したくないという若者が少なからず出てきました。こうした若者の多くはAt risk とよばれていますが、もともとニューディールで支援されるべき人たちだったわけです。

(3)イギリス−コネクシオンサービス

そこで、ニューディールの次にコネクシオンズサービスというサービスを立ち上げました。これまでの政策がNEETの若者を参加させられなかったという反省に立って、利用者である若者の声に基づいたというのが大きな特徴です。また従来、政策にかかわっていた省庁や機関はかなりばらばらに活動していたんですが、それらを幅広くつなぎ、また民間組織やNPOも取り込んでパートナーシップを形成する。そのパートナーシップがコネクシオンズサービスをつくっていくという形で、新しいサービスを始めています。

コネクシオンズサービスというのは、どちらかというと若い層をターゲットとしています。すべての若者がいいスタートを切れるようにするためには、早くから働きかけをしなくてはならないということで、 At risk層には手厚い支援がなされる予定なんですが、そのサービスを利用した人が問題のある人であると見られてしまうということを避けて欲しいという意見が若者から寄せられましたので、特にすべての若者への支援を行うということを前面に掲げているわけです。

このサービスについては、まだ十分な評価は行われていない。どうしても政策評価にこたえる必要があるということですが、若者の将来への働きかけであるということから、短期的な評価にはなじまないのではないかと既に懸念されております。

(4)日本−実績関係

よく知られていますが、日本においては高校の教員が生徒の進路選択に深くかかわるだけではなくて、就職希望者に直接仕事をあっせんする機能を持っています。

ここで実績関係というのは、学校と企業の間の生徒の採用をめぐる信頼に基づいた取引関係とでも申せましょうか。企業は職業安定所に受理された求人を選択的に特定の高校に送付します。いわば指定校的な制度が行われているわけです。求人を受けた高校は、就職希望の生徒に対して一時点で1社のみ推薦を行う「一人一社制」というのが、長い間慣例として続いてまいりました。これは平成15年から複数応募・推薦になったんですが、まだ一人一社制をとっているところが多いようです。以前の大学生の就職協定とは違い、高校生の採用は9月16日開始というのが守られる傾向にあります。生徒側は、学校に寄せられた求人の中から希望企業を選択して学校推薦を受け、受験するという仕組みになっています。

この高卒就職で特徴的なのは、ある企業が特定の高校に継続的に求人を出し、企業側は学校が選んできた生徒を必ず採用するということであったわけです。こうした継続的な信頼関係を実績関係とびまして、高卒で就職する若者をスムーズに移行させる装置として高く評価されていた。

現在、高卒者は割合としてかなり減っております。また、高卒からより高い学歴の人たちへの求人のシフトというのもあり、学校推薦の基準に達しない生徒、例えば欠席日数が多かったり成績が悪い生徒というのは推薦してもらうことは難しく、就職するのが難しいという状況に陥ってしまうという負の側面も見られます。その結果として、進学もしない就職もしない、いわゆるフリーターになる人たちが多い。こうした人たちに対して最近、非常に社会的関心が高まっております。このフリーターの人たちに職業能力を蓄積してもらって、大人になってもらおうということで始まったのが、厚生労働省、内閣府、経済産業省、文部科学省からなる「若者自立・挑戦プラン」の一環で、このプランの中心となっているのが日本版デュアルシステムです。

(5)日本版デュアルシステム

 デュアルシステムについては、先ほど坂野先生から詳しいご紹介がありましたが、問題点といいますか懸念されることは、ドイツとは違い日本では産業界からの関与というのがほとんど得られていない。そのために、果たしてうまくいくだろうかという不安が既に指摘されています。これとあわせて、若年者のためのワンストップセンター、ジョブカフェというんですが、就職相談から能力開発、あっせんまで全部1ヵ所でできる。そこに行けば、職業に関することは全部済ませるようなセンターを各都道府県との連携によって進める予定になっております。

2.日本へのインプリケーションを考える

日本へのインプリケーションを幾つか考えたいと思います。まず、高学歴化していく中で就業支援政策をどう考えていくか。坂野先生のドイツのお話で、かつては高い教育を受けなくてもマイスターになればある程度将来に報われるということが、産業構造の変化によってあやしくなってきているというご指摘がありました。また、アメリカでも職業教育がかえって社会階層の再生産につながってしまった、あるいは職業教育を受けてもよい職につけなくなっている。高卒以下の学歴で学校を離れるということは不利であるということが、だれの目にも明らかになりつつあるわけです。アメリカでは進学を支援するという方向にかじを切ったというように、私は藤田先生のお話をお聞きしたんですが、ドイツはどちらかというとデュアルシステムの維持に努力しているという感じがいたします。

日本では6割の者は進学します。残った4割の人たちに対して、政策としてどちらの方向に向かおうとしているのか、非常に議論があるところではないかと感じております。

2番目からはかなり実務的な話で、イギリス、スウェーデンの事例を見ますと、かなり地域に任されています。日本でも、先ほどのジョブカフェなどはこうした方向で進みつつあるんですが、若い人たちのニーズをどうやってつかまえたらいいのかという問題は残されているわけです。雇用能力開発機構のヤングジョブスポットなどは、NPOなどを取り込んでそのニーズを把握しようとしているようですが、ドイツやアメリカではどういうふうに若い人のニーズや労働市場の状況を把握しているのか、教えていただければと思います。

次に、ジョブカフェというのはまさにワンストップサービスであり、その相談機関の対象となったこと自体が問題であるという烙印効果にならないよう、間口を広げて多様な相談が1ヵ所でできるような機関ですが、アメリカではワンストップサービスが先行していると聞いておりますので、そこで予想される問題点とは何かご存じだったら教えていただきたいと思っております。

また、若者に利用されやすい政策のあり方とは何か。これまで若い人たちの職業訓練というと、職業訓練の担当者が勝手に設定して、そこに若い人たちを集めるというような感じなんですが、そういった講座にはなかなか人が集まらない。スウェーデンやイギリスのように、若い人の希望を考慮した個別のプログラムを検討してもいいのではないかと思われます。

さらに、アメリカとドイツというのは、政策評価の用い方についてはかなり対照的だと感じました。先ほど藤田先生は、結果至上主義に対してどうかという見方が最近出てきているとおっしゃっておられましたが、今のところは評価をそのまま政策に反映している部分があるんではないかと思います。これに対して、坂野先生がご紹介くださったドイツではかなり懐疑的で、どうするのかなと感じられる部分もあります。若い人たちへの支援というのは、かなり長期的に見た働きかけなので、すぐに結果が見えるものなんだろうかという疑問がイギリスやスウェーデンでは表明されています。日本において政策評価を行っていくというのは、かなり義務づけられたものになるのではないかと思うんですが、どういった形でその政策の評価というか、結果を政策に生かしていくのかということを一段置いて議論していく必要があるのではないかと思います。

最後に、4ヵ国の若者就業支援政策を検討する中で私が重要だと感じた点は、政策の継続性です。これら4ヵ国というのは、70年代から様々な支援を行ってきているにもかかわらず、特効薬がどうやら若者就業政策にはないのではないかということを感じるわけです。日本ではようやく始まったわけですけれども、こうした支援の動きが途切れることなく続いていくということの重要性を強調して、私のコメントを終わらせていただきたいと思います。

【小杉】 幾つもの論点が出ていましたが、私が一番印象に残るのは、基本的に高等教育で吸収するのかしないのか、その方向性を日本は出していないんではないかと思うんですが、そこから議論する必要があるということ。それから、特効薬がない、これから行う政策というのは、継続性を考えながらやるしかないというところはすごく共感します。

ここで報告者からのリプライが必要なところなんですが、時間の関係で先にフロアの方からご意見をいただいて、それをあわせてお2人方からコメントをいただきたいと思います。それでは、フロアの皆様のほうからご意見を伺いますが、意見の陳述というよりは今回の議論を踏まえた上でのコメントということでお願いいたします。


フロアとの質疑応答

【質問者A】 藤田先生に質問でございますが、日本で30年前に行われておりました、例えば日本化学とか積水化学などの企業内訓練というのは、コオペラティブ教育に該当しますでしょうか。それから、先ほどお小遣いのことがありましたが、この年代の者が普通に就業した場合、どのくらいの賃金がもらえるものでしょうか。

【質問者B】 坂野先生に質問ですけれども、ドイツの総合大学でもインターンシップをやっていると聞いたんですが、今までのデュアルシステムでやっている実習と目的の違いは何かわかりますでしょうか。それから、アプレンティスシップとか種類分けをして適宜学年別に適正なという調査があったんですが、この分け方は仕事効果のための分け方のような気もしていたんです。例えば、大工さんが間違ったらたたく、あるいは高度な仕事に対しては見るだけで自分で考えてやれというような分け方とか、それと学年別の分け方との接点がちょっとわかりにくいので教えていただきたい。

夏目先生に伺いたい。日本の場合、仕事の中に埋没していて、仕事人間をつくったり企業戦士をつくったり、そのような感じを受けるわけです。だからこそ仕事は身につく、自分をつくるという考え方がある。そうしますと、キャリア教育をしなくてもいい。昔の人たちの、白いハンカチで来たほうが自分の色に染められていいという考え方にもつながる。

ただこれからは、個を持ち、仕事をするときには仕事人間になるという両方の要素を持っている人間をつくっていかなくちゃならない。その教育をどうやったらいいのかということが最大の関心でして、それをお聞きしたいと思います。

【質問者C】 夏目先生は領域主義は可能か、むしろ機能主義のほうが現実的ではないかとお書きになられているんですが、大学で授業をしている者として、既存教科の枠内でこういうキャリア教育ができるか、現状では非常に難しいのではないか。先生のご意見をお聞かせください。

【質問者D】 日本では実業補習学校というのがあって、デュアルシステム的なシステムを持っていた。日本の過去の学校教育で行われたものを振り返ってみるということも重要じゃないかと思います。

【質問者E】 36年間、高校で教師をやっており進路指導にかかわってきました。生徒を送り出す立場で考えてみますと、企業と生徒両方に問題があると思うんです。企業のほうの問題としては、低賃金の労働力として使い捨て、育てようという気がない。そういうところでは生徒は希望を持てない。生徒側の問題としては楽な仕事でいい給料をもらいたい。非常に職業観・人生観の甘い、未熟という問題なんです。

それで、日本版デュアルシステムというのは、このことにどういうふうに切り込んでいくのか。根本的に変わらないことがあると思うんです。これを通してきた場合、こういう仕事しかできないとか、出世も終わりというふうな袋小路にはならない、そこで働いていれば向上心や希望がわいてくる、努力すれば上位目標を達していけるんだという保証というか信頼が持てる、それができれば人間としての成長、発展ということにもなるし、労働力を有効に活用するということにもなるはずなのです。そのことに日本版デュアルシステムはどういう目を注いでいるのかお聞きしたい。

【藤田】 大学進学者向けに対するキャリア教育をどうとらえるか。アメリカの場合、学校内におけるキャリアガイダンスとして、大学進学者も就職希望者も差別なく全員を対象としたキャリア教育が必要だという理念がとられており、理念のレベルで分断しているわけでは決してない。ただ、実際それが運用されているかといった場合に、確かにAt riskのほうに焦点がいきがちであるということは現実問題としては指摘せざるを得ない課題と思います。

また、学力向上政策の中でいかに教科学習のいわゆる系統性を確保していくかということについては非常に強い議論があり、その中での領域主義への再傾斜ということだと思います。スクールカウンセラーの存在というのも非常に大きくて、教科から離れた領域の中で実践の専門家がいるという状況にもあるかと思います。

次に、そういったキャリアガイダンスが大学進学者に対するクリーングアウトになる、要するに頑張らなくてもいいよということになってしまうんじゃないか。これはどんなに制度を整えても永遠の課題として残るだろうと思います。しかし、アメリカにおいて社会階層の再生産の認識が深まるにつれて、例えばテックプレップのような、そのままにしておけば大学進学の機会から閉ざされていた生徒に対して、いかに高等教育の機会を開いていくかという新たな施策が見られることも事実だと思います。

ワンストップサービス、ジョブカフェの話ですが、アメリカにはワンストップ・キャリアセンターというのがあります。これは烙印効果の話ですが、2つの理由からそのような烙印効果は薄いのではないかと私は見ております。1つは、過去の人種差別政策の結果として劣悪な経済状況が生じたのであり、そういったサービスを受けるのは当然の権利であるという認識がまずある。もう1点は、生涯学習や成人学習そのものがアメリカの場合、趣味・教養的なものではなく、職業技能訓練を中心として行われております。また、転職が一般化している中で、ワンストップ・キャリアセンターを使う層というのは必ずしも低所得層ではなく、一般に転職を必要とする人にとって非常にメリットの高いセンターである。そういった意味で、烙印効果がそれほど顕在化していない、ということは言えるかと思います。

フロアからいただいたた質問にできる限りお答えしたいと思います。まず昭和30年代の実践ですが、これはまさにコオペラティブ教育として認識することが可能かと思います。ただ、外国の定義ですので、そういうふうにみなすこともできるというお答えが一番近いかと思います。

次に、高卒者の賃金ですが、これは大体週6ドルぐらいが平均かと思います。ただ、小遣いですけれども、結局、彼らは労働しているわけではなく学習をしているとみなしますので、無償での学習と食事、あるいは宿泊施設の提供プラス小遣いの支給とご理解いただければと思います。

職場での学習の体系化の観点ですが、アメリカでは理論的には職業発達理論にのった体系化だと言われております。つまり職業に対するアウエアネス(気づき)の段階から探索を経て職業選択に至る、そういった段階的な職業発達論を基礎とした体系化というのが、少なくとも建前上は言われております。

次に、実業補習学校のご指摘ですが、まさにそのとおりかと思うんです。唯一、現在の制度と違いますのは、実業補習学校といった戦前の制度が、顕在型の社会的再生産、すなわちエリートの子供はエリートに、労働者の子供は労働者にというような再生産機能の中に位置づけられていた。そういった問題性は確かにあったと思います。それを克服し、かつて有していた充実した職業訓練制度あるいは就職支援制度をどのように復活させていくのかというのが課題になるのではないかと思われます。

【坂野】 ノルトライン・ヴェストファーレン州総合制学校の例ですが、大学へ行く子供もそうでない子供も含めて、家庭・仕事・社会における活動という形で、AからEまで枠がつくられております。この中でAとかBについてはほぼやらなきゃいけない、夏目先生にご指摘いただいた領域評価というのがありましたが、こういった形の中で領域が入っていて、あとキャリア教育の部分ですね。実際、アメリカで行っているような例えば履歴書を書くといったことについての中身もこういう領域とは別の中にセットで入っています。実際に子供たちが履歴書の書き方であるとか、見習い訓練というのは一種の労働契約ですのでそのために必要な知識であるとか、そういったこともこの中に入っています。したがって、労働科というのは別に領域主義という形ではなくて、いわば方法論のほうも入っている。つまり両方入っているということをご理解いただければと思います。

もう1つは、ドイツの学校体系図をもう一度見ていただければわかるんですが、実はこのデュアルシステムから専門大学に進む道も開かれております。あるいはデュアルシステムから、この専門上級学校で専門大学資格をとって専門大学に入る、さらに専門大学から総合大学に進むといった枠も開かれております。したがって、先ほどフロアから将来展望がなくてドロップアウトするんじゃないかという考え方がありましたけれども、実はそういった形で自分で資格を、とにかくキャリアアップしていけばできるというシステムになっているとお考えいただければと思います。

あと、実際に大学に進む子供たちの実習はどうなのか。1つはギムナジウムの8年とか9年というほかの学校と同じにやるパターンと、12年でやるという、いわゆる上級段階でやるというパターンと2通りあります。希望者を募ってそれをやるという形は、大体どこの州でもやっています。義務を課しているのは16ある州のうちの2州だけです。

以前、大学に進んだ者たちが実習をどうするのか、先ほど大学のインターンシップはどうなっていますかというご質問をいただきました。そこである理科系の電気工学科の事例なんですが、大学に入る前にまず8週、どこかの企業で実習し、その上で基礎学習いわゆる前期2年の課程でさらに5週、つまり予備試験までに13週やりなさいということが決まっている。さらに専門学習いわゆる後期課程に入って13週の企業実習をやりなさいということで、トータルで26週分が規定されております。ほとんどの理科系の学部専攻においては、こういった26週という規定があります。人文系ではない専門もかなりありますし、社会科学系は8週間ぐらいとなっています。大学に入ってから実習をするということがカリキュラム上位置づけられているということになります。

さらに、専門大学の場合には大体7ゼメスター(学期)、3年半というのが標準学習なんですが、その中の1ゼメスター、すなわち6ヵ月間は企業で実習をするという実習学期があります。そういった形で、卒業する段階で実際の能力を持っている。チーフとしてのポジションに入ることができるだけの能力開発を大学にいる間にやるというのが、ドイツの大学のシステムと言えるかと思います。

【夏目】 領域主義か機能主義か、ほんとうに機能主義でやっていけるのかというご指摘でした。そのご意見は私もごもっともだと思います。もちろん機能主義でなきゃいけないということではありませんし、それなりの時間を設けてきちっと指導していくということは、場合によっては必要だろうと思います。ただ、日本の、特に学校教育の現実からすると、領域を設けることも大事かもしれませんが、その前の段階として機能主義の考え方をもう少し深めるということではないでしょうか。そういった点から、アメリカの70年代のキャリア教育が機能主義から領域主義に移ったその発展過程も突っ込んで研究してみるとおもしろいと思います。

この点に関連して次のような問題があります。生徒に自己責任で進路選択をできるようにしていく、そういう自己選択能力を身につけさせていく大前提として、きちっとした情報を提供するということが非常に重要だと私は考えます。レジュメの2ページ、3の情報提供の重要性というところで、自己責任による進路決定の前提条件としての情報の提供として、少なく見ても3つぐらいの課題がある。1つは情報の質と量という問題です。それから、情報提供の方法と手段、そして情報提供機関の整備という問題です。とりわけ問題にしなくてはいけないのは、生きた情報をどうやって生徒に獲得させていくかということです。進路選択を促すために情報を与えなくてはいけない。しかし、与えればいいという問題じゃないんです。変な話で恐縮ですが、生命保険の証書の裏側にある約款ですね。めちゃくちゃ細かい字で膨大な量があります。これは情報を与えている、読まなかったあなたが悪いんですよということかもしれませんが、そういうやり方は学校教育、特にこれから発達していく生徒に対しては許されることではない。やっぱり十分理解できるような形で提供していかなくてはならないと思うんです。きちっと時間も確保できる教科の中で行うという方法もあるのではないでしょうか。

実際に学校の勉強を見ておりますと、職業というところから非常に遊離した形で授業が展開されがちです。また、大学入試をやっている私自身の反省の念もあるんですが、問う知識もそういう現実と結びついた知識になっていない。ですからこういう機能主義という考え方をもう1度深めてみることが大事なのではないかと思います。

それから、2点目の日本人の仕事観との関係。つまり日本人は仕事というと、非常に熱中してしまう。かつて欧米人から、ワーカホリックだと揶揄もされるような部分があったわけです。しかし、おもしろい問題が含まれておりまして、仕事というのは頭の中で、ここから仕事、ここからはプライベートな時間というふうに割り切れるかどうかという問題です。仕事というのは、ある人は麻薬の部分があると言いますけれども、薄っぺらなものじゃなくて非常に深いものがある。例えば企業戦士に、あなたは企業の奴隷ですねなんていう言い方をしたらまず間違いなくその人は怒り出すでしょう。

個性というか、自分の持っているものを1回捨てて没入してみる。そのことによって逆に個性を発揮するという、そういった契機というものがある。加えて、仕事の中には遊戯性といった契機も含まれていると思うんです。そういったいろんなものを含めて、仕事というものの実像をなるべくリアルな形で伝えていくということがキャリア教育の重要な課題になっていく。言うのは実に簡単なことなんですが、その方法や内容はどうあるべきかという問題は実は残された大きな課題であって、すぐ答えが出るようなものではないと思います。

【堀】 日本版デュアルシステムの問題点についてご指摘いただきましたが、1つは低賃金の使い捨てになってしまうのではないかというご意見でしたが、日本版デュアルシステムではそうならないようにコーディネーターを入れて、いろいろカリキュラムをつくるという方針であります。いずれにしても正社員経験のない若者が利用できる支援というのは極めて限られております。

ですから、日本版デュアルシステムが成功するかどうか今後見守るしかないんですが、若い人に対する支援をどう行っていったらいいかという議論をできる機会としては、高く評価できるのではないかと思っております。

【小杉】 どうもありがとうございました。最後に私にもちょっとだけ時間をください。きょうはドイツとアメリカを中心にして、キャリア教育という視点と就業への移行が特に困難な層への対策という2つのポイントを取り上げて議論してきました。最初に申し上げことに重なりますが、日本の学校から職業生活へのこれまでの移行のシステム、卒業すれば当然企業に正社員で就職できるという事態が大きく変わってしまった。実際に15歳から24歳の若者の雇用形態を見ますと、4割までが正社員ではなくなってしまった。こういう時代なんです。この時代を念頭に置いたときに、今までの移行の仕組みを大きく変えなくてはならない。そこで出てくるのがまず学校在学中のキャリア教育という視点です。これまでは、一括採用だから要らないという議論さえできたわけですけが、一括採用から落ちる若者に対してはどうやってエンパワーメントしていくか、学校在学中に力をつけるということがどうしても重要な要素になってくると思います。そういう意味では、一括採用がなかった各国の事例はとても参考になるのではないか。キャリア教育をいつ、どこで、どのように入れるか、それぞれの国の事情を背景にしながら考えていくことだと思います。

第2に移行が困難な層。一方で、日本では確かにまだ新卒でうまくいく人がいる。それがあるために一旦外に出てしまった人たちは、逆に2度目のチャンスがなかなかない。こういう事態に陥っています。

各国それぞれの歴史的・経済的な背景の中で、At riskとか移行が困難な層というのはそれぞれ違う背景を持った人たちであると思います。現在の日本では、だれが最も失業の危機にあるのか、あるいはキャリア形成や能力形成ができないのか、そういうところから議論すべきではないかと思います。海外の事情がそのまま入るわけではない。しかし、マイノリティの問題は日本には関係ないという話ではない。日本にとってAt riskはだれかということをきちんと分析した上で、そういう人たちに届き得る政策を考える。既に幾つか動き始めていますが、そういう政策が最も効率的であるためには、彼らのニーズをどこでどう把握して対策していけばいいのか。これを考えるという意味で、各国がどういうところに配慮して政策を展開しているのかというのは、とても参考になるのではないかと思います。

そういう変化の中の全体デザインですが、日本社会の中で若者を一人前にするにはどういう社会像を描くのか、あるいは新しい労働力、日本経済をどういう産業が引っ張っていくのか、そういうことも含めて教育を考えなければならない。あるいはその教育と連動して労働を考えなければならないという意味で、非常に総合的な政策が必要であり、かつ一定限の継続性を持った政策がこれから大事なのではないかと思った次第です。長い時間ありがとうございました。

(文責:事務局)