はじめに・基調報告
個別労働紛争の解決制度を考える—労働審判制度をめぐる検討会報告を踏まえて—

開催日:平成16年1月14日

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

配布資料

はじめに

岩村正彦 東京大学教授

皆様ご承知のように、この何年かの間に司法制度改革の議論が行われており、現在その最終的な局面を迎えております。その司法制度改革の中では労働法関係での動きも見られるところであり、労働検討会による議論が進行してまいりました。そして、昨年末に労働審判制度、つまり、裁判所に附属した形での一種のADR(Alternative Disputes Resolution:裁判外の紛争処理制度)というものの提案がなされたところです。

他方で、行政が関与する形でのADRも、2001年10月から個別労働紛争解決促進法による仕組み~ 地方労働局による相談・指導、または紛争調整委員会による斡旋という仕組み~も動き出しています。

このほど労働検討会によって提案された労働審判制度は、おそらく来年度中には制度化されるものと思われますが、そうなりますと、労働紛争に関する紛争解決のあり方、あるいは紛争解決の制度というものが新しい展開を迎えることになります。

そうしたことから、本日の労働政策フォーラムでは、個別労働紛争の解決制度をテーマとしてお三方のご見解を伺い、それを基に議論を深めていきたいと思います。

お話をいただく3人の先生をご紹介させていただきます。まず、筑波大学の山川隆一先生は、今申し上げました司法制度改革推進本部の労働検討会のメンバーで、また中央労働委員会の公益委員としてもご活躍中であり、労働紛争についての幅広いご経験と識見をお持ちでいらっしゃいます。労働紛争の解決についての論文も多数お書きになっており、この分野における第一人者と言ってよろしいかと思います。

パネリストとしておいでいただいているお二人の弁護士のうち、まず木下潮音弁護士は、経営法曹会議のメンバーで、また、著名な労働事件、例えばスカンジナビア航空の変更解約告知事件、それから大星ビル管理の労働時間に関する事件の代理人として活躍されており、特に使用者側の立場から、労使紛争について、実務上、非常に詳しいご経験と識見をお持ちでいらっしゃいます。

次に水口洋介弁護士は、日本労働弁護団の全国常任幹事でいらっしゃいまして、労働側の立場から労働紛争に長年かかわってこられ、多くの経験と知識をお持ちでいらっしゃいます。「労働参審制導入の問題点」という論文を『季刊労働者の権利』という雑誌にお書きになられておりますが、そうした業績もおありです。

今日は、このお三方により、以下、基調報告、それからパネリストのお話、その上でパネルディスカッションを行い、最後にフロアからのご質問をお受けするという順序で進めてまいりたいと存じます。

基調報告 ~個別労働紛争解決システムの新たな展開~

山川隆一 筑波大学教授

岩村先生からお話がありましたように、この数年間、労働紛争解決システムが盛んに議論されております。個別労働紛争解決促進法などが立法されましたし、現在では司法制度改革一般がおおむね仕上げの時期に来ておりまして、労働紛争についても労働審判制度が創設される方向でございます。

このフォーラムでは、最初に私のほうから概括的なお話をさせていただきたいと思います。レジュメ(PDF:10KB)を用意いたしましたが、まず、制度改革の背景として労働紛争をめぐる状況変化を確認したいと思います。 次に、労働紛争解決システムの整備あるいは改革の動向をご紹介します。そこでは、個別労働紛争解決促進法の運用状況等や、労働審判制度案の概略等についてお話しいたします。そして最後に、各システムの課題、役割分担、その他についてお話をしたいと考えております。

1.労働紛争の状況変化

まず、労働紛争をめぐる状況変化一般についてご説明いたします。やや古くなりますが、配布資料「日本の労働関係紛争処理制度等の概要」(PDF:68KB)新しいウィンドウをご参照ください。

(1)集団紛争

集団紛争、つまり労働組合と使用者との紛争は、量的にはオイルショックの頃をピークとして、かなりの減少傾向が見られます。労働争議については、オイルショック前後には年間約1万件の届け出があったわけですが、現在ではその10分の1程度に減少しております。労働委員会への争議調整の申し立て、斡旋や調停などの申し立ても、オイルショック頃には年間2,000件前後あったものが現在では約500~600件になっております。ただし、最近、若干増加の傾向が見られます。不当労働行為事件の救済申し立てについても、オイルショック前後は1,000件ほどでしたが、現在ではその3分の1の年間300件程度で、こちらも最近の状況を反映して若干増加が見られるところです。

質的には、制度発足当初はおそらく、不利益取り扱いや単純な支配介入が多かったと思いますが、昭和40年代頃から、いわゆる労働組合間差別の事件が増え始め、特に近年では駆け込み訴え、つまり労働組合に入っていない個人が不利益取り扱い等を受けた後に組合に入り、それが集団紛争に発展するというケースが目立っております。

(2)個別紛争

次に、個別紛争、つまり労働者個人と使用者との紛争です。正確なデータはありませんが、労働関係の民事裁判の大部分がおそらく個別紛争になっていると思いますが、平成3年当時では、通常訴訟と仮処分を合わせても1,000件程度でした。ところが、最も新しいデータの平成14年では、合わせて3,120件になっています。つまり、労働裁判は3倍に増えたということです。紛争に至らないものも含めた労働相談の件数は、配布資料「平成14年度個別労働紛争解決制度施行状況」新しいウィンドウのデータによれば、平成14年度で62万件あまりという膨大な数に及んでいます。

質的には、従来から見られた賃金不払いや解雇の紛争が今でも多くなっています。先ほどの相談件数のデータを見ますと、解雇が一番多く全体の28.6%を占めています。賃金不払いは労働基準監督署の管轄なのでここに直接出ていないと思いますが、2万件あまりの申告があるということです。それから、最近の状況としては、リストラ等を反映して労働条件の不利益変更の相談が多く、16.5%と第2位になっております。

その他に新たな紛争類型として、例えば雇用差別、それからセクシャルハラスメント、あるいはプライバシー侵害、さらに、数は多くないと思いますが、外国人、派遣労働者をめぐる問題や、労働者性そのものが争われる問題など様々な紛争類型が出てきております。

(3)変化の背景と今後の予想

それでは、今後、どうなっていくのでしょうか。配布資料「図:労働紛争の増加をめぐる構造的要因」(PDF:13KB)をご覧ください。

まず、集団紛争に関しては減少傾向が続くと思われます。その要因として、最近若干の変動がありますが、労使関係が安定化していることが挙げられます。また、組織率が低下していることも減少要因になっています。

個別紛争に関しては、増加あるいは多様化の傾向が進むと思われます。図(PDF:13KB)の左に幾つかの要因を書きました。不況という循環的要素もありますが、国内外での競争の激化により企業の行動も変化を余儀なくされていくでしょう。リストラ、あるいは労働条件や人事制度の変更は今後も続いていくと思われます。

労働市場における供給側の変化については、女性、高齢者、外国人等の増加、雇用形態で言えば非典型雇用の増加により多様化が進むと予想されます。そうすると職場での利害が非常に多様になり、利害対立も増えていくでしょう。これまでの伝統的な人事管理の下で行ってきたことが、今後はいろいろ摩擦をもたらすであろうことが予想されます。また、労働者側の意識変化、あるいは流動化ということも紛争の増加要因になると思われます。その他、外的要因としては、法規制が非常に複雑化して、新たな規制・法律の遵守をめぐる紛争も出てくると思われます。

さらに、図(PDF:13KB)の上に書きましたように、予防機能の低下も影響を与えると思います。というのは、従来は仮に職場で不満があっても紛争として表沙汰にならずに済んでいたことも多かったと思われますが、それが変化するのではないかという予測です。例えば、労働組合のあるところでは、労使協議という形で予めかなり綿密な利益調整を行って紛争が生じないようにしてきたものが、組織率の低下等により、そのような機能が減少してくることなどが挙げられます。それから、これまで労働者が不満を持ったときの相談相手として一番多いのは職場の上司ですが、上司もいわゆるプレイングマネジャーになり忙しくなっていますし、例えば年俸制や人事考課の査定においては、上司がまさに対立の相手方になる場合もあります。

長期雇用と年功序列の世界では、不満を持ったときに一番典型的に見られる対応は何かというと、我慢をするということです。我慢をしていれば、長期雇用と年功序列の社会ではいつかは取り返せたり報われたりします。逆に、そこから抜け出ることは非常に損失が高いということですが、長期雇用と年功序列が揺らいでくると、そうした我慢のもつ経済的合理性が減少し、その結果、紛争あるいは不満が外に出やすいということになります。

このような機能の他に、環境整備、つまり、法曹の増加を含めて紛争解決システム自体が整備されてくれば、その受け皿が増えてくるでしょうから、紛争自体は、短期的な景気循環とは別に増加していくのではないかという予想をしております。

2.労働紛争解決システムの動向

(1)従来のシステムの問題点と課題

従来のシステムの概要、現状等については、配布資料「日本の労働関係紛争処理制度等の概要」(PDF:68KB)新しいウィンドウ「日本における主な労働関係紛争処理制度等」(PDF:23KB)新しいウィンドウをご参照ください。

一般的に言いますと、従来の労働法では、集団紛争、つまり労働組合が絡む紛争については、労働委員会の不当労働行為救済制度、それから争議調整の制度という特別な労働法上の仕組みが用意されておりました。しかし、その他の個別紛争については、一般的な紛争処理機関である裁判所しか用意されてこなかったということがあります。もちろん労働基準監督制度等で行政による取り締まりや指導が行われ、是正勧告や行政指導を通じた間接的な紛争解決は多かったと思いますが、それは紛争解決自体を直接的に目的とした制度ではないと言えます。その他、地方公共団体によっては労働相談等を行ってきましたが、これも地域によってかなりの違いがあるというのが実情でした。

したがって、個別紛争に関しては裁判所が中心的な位置づけを持っていたわけですが、ご承知のとおり、裁判は時間と費用がかかるという問題があります。ただし、最近は裁判制度も改革の動きが進んでおり、例えば、以前は労働事件の平均処理期間が2年ぐらいであったのが、現在では1年ほどに短縮されております。しかし、それでもなお長いという指摘もあり、また、裁判例等を見ると必ずしも労働関係の特殊性を十分に考慮していないのではないかとみられる例も散見されます。

このように、労働法制では、集団紛争についての労働委員会制度が従来からありますが、個別紛争の増加に照らして新たなシステムが必要になってきたという背景があります。

(2)外国の制度

外国の制度との比較も若干申し上げますと、労働紛争については、いわば労働法の枠内で特有の解決システムを持っている国が多く見られます。ドイツの労働裁判所では年間60万件の紛争を取り扱っておりますし、イギリスの雇用審判所では年間7万件ぐらいを取り扱っています。こうした外国の制度では、かなり簡易・迅速な紛争処理が行われており、ドイツの場合は3カ月以内で7割ぐらいを処理していますし、イギリスもニ十数週間で労働紛争を処理しているという数字が出ております。

また、これら外国のシステムのもう一つの特色は、調整的な、つまり当事者の自主的な解・フ仕組みとの連携・接合をとっていることです。ドイツでは正式な審理に行く前に、まず裁判官だけによる和解弁論で紛争を解決する試みがなされるというプロセスがあります。イギリスでも、雇用審判所に持ち込む前に、「ACAS」という調停・斡旋を取り扱う機関を経る取り扱いになっております。

(3)個別労働紛争解決促進法

個別紛争の増加に伴い新たなシステムが望まれていたなか、平成13年に個別労働紛争解決促進法が制定されました。主たる制度の内容は、(1)総合労働相談コーナーにおけるワンストップサービス、(2)都道府県労働局長による助言・指導、(3)紛争調整委員会による斡旋、以上の三つです。

運用状況は、先ほど申しましたとおり、平成14年度については、上記(1)の相談件数は62万件ぐらいに上っており、(2)の「助言・指導」の受付件数は2,300件あまり、(3)の斡旋は3,000件あまりとなっています。

処理状況をみると、斡旋の場合、手続きが終了したうちの三分の一強(37%)で合意が成立しており、斡旋申請を受理したうちの96%が三カ月以内に処理(不成立の事案も「処理」として含まれますが)されております。助言・指導については、受理件数の73%で実際に助言・指導が実施されておりますし、こちらも3カ月以内に96%が処理されているということで、非常に迅速な解決がなされていると言えるかと思います。

そのほか、都道府県による紛争解決策の促進として、地方労働委員会で個別紛争の斡旋も取り扱っている都道府県がかなりの数に上っております。具体例として、個別労働紛争解決促進方による助言・指導をみますと、解雇の事例の場合、解雇権濫用用法理に照らすと本件解雇は再考すべきである、あるいは撤回すべきであるという助言・指導が挙げられております。以上が、行政による紛争解決制度の概略です。

(4)司法制度改革と労働審判制度案

1.労働検討会による検討経緯

次に、裁判所における解決システムですが、先ほど来お話にありましたように司法制度改革の一環として労働審判制度が提言されております。司法制度改革審議会が平成13年に意見書を発表し、高木剛委員が加わられていた影響かと思いますが、労働訴訟も検討対象として取り上げられ、裁判所の審理期間の半減という目標のほかに、労働調停の導入、それから雇用・労使関係についての専門家が裁判に関与する制度、例えば労働参審制等の是非を検討すること、あるいは労働委員会の命令に対する司法審査のあり方、労働事件についての固有の訴訟手続の整備の要否が検討課題として挙げられました。その結果、司法制度改革推進本部のもとに労働検討会が設置され、議論がより具体的に進められたわけであります。

一つの焦点が、雇用・労使関係における専門家が裁判に参加するシステムを導入するか否かということでした。かなり議論が分かれまして、相当の回数をかけて議論を重ねました。一方で、日弁連(日本弁護士連合会)に労働法制委員会が設置され、労働側・使用者側がメンバーに加わり、シンポジウム等が開催されるなど議論が進められました。

平成15年8月に労働検討会が中間取りまとめを発表し、そこで雇用・労使関係の専門家の参加するシステムとして労働審判制度を導入するということで一応のコンセンサスができました。ここで、労働調停を組み込んだ裁判所による新たな紛争解決システムというものが提案されたわけであります。

その他、例えば労働委員会命令の司法審査のあり方については、取消訴訟における新証拠の提出制限が具体的な検討課題となりました。これは厚生労働省の労働政策審議会の部会において更に検討され、本日はこの点については細かく触れる余裕がありませんが、新証拠提出制限を含めた労働組合法の改正の提案が建議としてなされた、そういう次第であります。

労働審判制度については、労働検討会でさらに具体的に検討が続けられ、平成15年11月26日に菅野和夫座長(東大教授)から骨子案が出され、これが承認された上、12月19日には本日の配布資料「労働審判制度の概要」(PDF:16KB)新しいウィンドウが提出され、検討会の了解を受けております。現在、1月19日から始まる通常国会での審議に向けて法案を作成中とのことです。

2.労働審判制度案

審判制度の中身について、かなり技術的な面もありますが、ごく簡単にご紹介させていただきます。

まず、そもそも労働審判制度とは、個別労働関係事件について、3回以内の期日で、裁判官と雇用・労使関係に関する専門的な知識・経験を持つ者が、調停による見込みがある場合にはこれを試みつつ、合議によって権利義務関係を踏まえて事件の内容に即した解決案を決する手続です。通常の訴訟ではなく、基本的には非訟事件という位置づけになっていますが、権利義務関係を踏まえる判定手続きであることが大きな眼目になっております。いずれにしても、裁判所の中での新たな労働紛争の解決手続です。

評価にかかわる部分もありますので私見になりますが、労働審判制度の特色は、おそらく4点くらいになるのではないかと思います。1つは、裁判所における簡易・迅速な紛争解決手続であるということで、具体的には3回以内の期日を予定しているということと、裁判所での手続であるという点が第一の特色です。

第ニの特色が、雇用・労使関係の専門家が事件の審理と合議に加わるということです。ここでの専門家とは、例えば組合役員として労使関係の運営に携わってきた方や、企業で長年、人事管理を行ってきた方、つまり、労働関係のいわば当事者として知識・経験を積み重ねた方を主として想定しております。

三番目の特色が、審判手続に調停をビルトインしていることです。これは日本経団連の矢野(弘典)委員の表現が非常にぴったりくるので使わせていただいているのですが、権利義務関係を踏まえた判定を下す審判手続の中に、調停という自主的な解決を促す作用を組み込んでいるというものです。先ほど申しましたように、外国でも、そうした形で判定と調整を組み合わせているシステムはよく見られるところです。ただ、従来の民事調停ですと、以降聴取が延々と続く傾向が時として見られ敬遠されていましたが、3回で審理を終えるということですから、従来型の調停とはかなり違ったものをイメージできるのではないかと思います。

四番目の特色は、訴訟手続との連携ということで、これは若干技術的な面もありますので後で詳しく説明いたします。

次に、個別的な項目について簡単に申し上げていきます。

労働審判手続は、裁判官が労働審判官として手続を主宰しますが、労働者としての知識・経験を有する審判員と、使用者としての知識・経験を有する審判員の三名による合議体になります。労使の審判員について注意が必要なのは、ここでは労使の利害を代表するという位置づけではないということです。諸外国でも同じように、出身の背景は違っても、判断をする際には中立・公正な判断主体として審理して合議を行うという位置づけになっております。ですから、この点では労働委員会の参与委員とは、やや位置づけが異なっていると思います。

それから、問題になりますのが、労働者として、あるいは使用者としての知識・経験とは何かということです。言うまでもなく、自然科学のような専門性でもありませんし、それから法律の適用・解釈の専門性でもありません。言ってみれば、雇用・労使関係の制度や慣行に関する専門性ということで、そうなりますと、雇用・労使関係の特色とは何かということを考えなくてはなりません。

また、手続の対象は、個別労働紛争であるとともに権利義務関係をめぐる紛争ですから、権利紛争とは何か、あるいはこれと対比されるものとしての利益紛争とは何かということについても議論のあるところです。

手続の開始については、相手方の承諾を問わないという形にしております。改正前の雇用機会均等法の下での機会均等調停委員会では、相手方が同意した場合に手続が開始されるということでしたが、労働審判手続では、相手方の意向如何にかかわらず手続を始めることになっております。

審理の内容は、先ほど申しましたように、調停を試みつつ速やかに争点・証拠の整理を行い審理を進め、調停で解決できない場合には、権利義務関係を踏まえつつ事件の内容に即した解決案を出すということです。三回以内ということですから、第一回の期日までに相当な準備を行った上で争点と証拠の整理を行い、ニ回目と三回目でいわば証拠調べを行い ~ この証拠調べが民事訴訟的とどの程度違うのかは、今後の運用にもよるかと思いますが ~ それにより結論を出すことになると思います。

審判の効力ですが、異議の申し立てが双方ともに無ければそれで確定し、裁判上の和解と同様の効力を持ちます。これに対して、異議のある当事者が異議申し立てを行った場合には労働審判自体は効力が失われることになります。ただ、この点は、訴訟との連携において考える必要があり、異議が申し立てられた場合には、労働審判の申し立てがあった時に訴えの提起があったものと見なされる仕組みになっております。つまり、審判に異議があれば訴訟が提起されたものと同様の取り扱いをすることで、審判に異議がある場合には、本格的な訴訟手続で争う道を用意するという位置づけになります。

その他にも幾つかの議論がありました。例えば、審判に異議がある場合には必ず訴えの提起をしなければいけないということにすると、審サの申し立ての当事者と原告・被告が逆になってしまうこともあります。そこで、審判の申し立てが訴えの提起として扱われるという位置づけになりました。また、異議を述べるということは本格的な訴訟で争うことになるわけですので、逆に言いますと、訴訟を覚悟するか、そうでなければ調停または審判で紛争を解決するかの選択になります。従って、実質的には、調停ないし審判で事件が最終的に解決する事例も多いのではないかと思われます。

それから、審判体が事案の性質上、迅速な解決が適当でないと認めた場合には、例外的に審判を行わないで審判手続を終了できる(この場合も訴訟に移行します)ということになっており、例えば当事者が多数で非常に複雑な事案ですと、三回では到底終わらないという事例が出てくるのかもしれません。以上、ごく簡単に審判制度の概要をご紹介しました。

3.労働紛争解決システムの今後

(1)各システムの課題と役割

ここでは、紛争解決システムの今後について若干お話しさせていただきたいと思います。

各システムの課題と役割についてですが、まず、労働審判制度は未だ法案も完成しておりませんし、具体的な姿やイメージがどのようになるのか、詰めるべきところが多くあると思います。いずれにせよ円滑な運用のために様々な準備が必要になってくると思います。権利義務関係の紛争を取り扱い、訴訟移行を前提とした制度ですから、申立書をきちんと書けるように、例えば、雛型を用意するというような準備、また、手続の進め方等に関する紹介パンフレットの作成など、手続の存在自体あるいは内容について周知する仕組みも重要だと思われます。それから、三回で争点整理を行い証拠調べを終えるということですから、後で木下先生、水口先生にも伺ってみたいところですが、当事者あるいは代理人のほうで、これまでとは異なる準備や手続への臨み方が必要になってくるかと思われます。その意味では審判官となる裁判官や関係当事者の了解・努力が重要になっていくでしょう。

もう一つは、人材にかかわる点です。きちんとした専門的知識・経験を持つ人を選任するプロセスも重要かと思いますが、知識・経験は持っていても紛争解決への参画は初めてという方もおそらく多いと思われますので、労働審判に対応できる能力の育成が非常に重要になってくると思われます。本日のフォーラム主催者である労働政策研究・研修機構では、東京労働大学講座の中で、労働紛争解決能力養成コースを新設する方向で現在検討が進められていると伺っております。紛争解決能力の養成の必要性は労働審判制度に限るものではありませんが、このような人材の育成は、制度の成功を左右する非常に大きな要素になるものと思われます。

労働審判制度が導入されると労働事件の訴訟自体も増えると予測されますので、裁判所でも、労働事件を担当する裁判官の研修がこれまで以上に重要になってくると予想されます。

行政における個別紛争解決システムについても、これまで件数が相当増えていますので、例えば人的体制は、要員も含めて一層の対応が必要になると思われます。人員に関する予算上の手当ももちろんですが、そのほかに、紛争解決能力の一層の強化ということの重要性を改めて意識する必要があると思います。これは労働委員会の個別紛争処理あるいは集団的な紛争処理についても同様に言えることです。

制度的なもう一つの課題としては、いろいろなシステムができてきますと、それぞれのシステムがどのように役割を分担していくのかという点があります。つまり、都道府県の労働局には紛争調整委員会があり、また裁判所には労働審判制度があり、かつ地方労働委員会のあっせん制度もあります。個別紛争だけをとってみても幾つかの制度が併存することになりますから、どのように役割を分担していくのか、棲み分けになっていくのか、あるいは競争関係になっていくのか、そうした点が将来の課題になるかと思われます。ただし、情報提供や相談については、変わらず行政の役割が大きいであろうと思われます。

(2)労働紛争解決のスキル

労働紛争の特色

労働紛争の解決に当たる人材の育成に当たって、紛争解決のスキルをどのように考えるかは、労働紛争にはどのような特色があるのか、または労働関係そのものがどのような特色を持つのかに関わってくるものです。

私個人の見ますところ、これには二つの特色があるように思われます。一つは労働関係は組織的な性格をもつということです。通常、企業は多数の従業員を組織して事業活動を行っており、その運営のために人事制度や人事手続の役割が大変大きくなります。そこでは複雑で様々な制度や手続が存在しており、最近では特に、新たな制度E手続が導入されている状況にあります。そうしますと、労働関係における人事制度・手続を熟知していることが紛争解決のスキルとして必要になります。また、制度の運営においては、組織である以上は集団的な利害調整の色彩を帯びてきます。個別紛争は、一人の個人が紛争当事者になるものですが、紛争解決に当たっては、その制度が組織あるいは手続全体において、どのような役割あるいはインパクトをもたらすかを考える必要があると思います。そのような意味で、労働関係の組織的性格を生かした解決が必要になると思われます。

もう一つは、労働関係は継続的な性格を持っているということです。日々労働とは継続していくものであり、その中では、個別的な商取引と異なり契約で細かく全てを決めておくことが難しいので、労使自治や慣行で補充せざるを得ない面があります。そこで、労働関係における紛争解決のためには、労使自治の役割、あるいは労使慣行の役割を十分認識しておくことが重要になると思われます。

このような労働関係の特色を捉えて労働紛争の解決にあたることが大切だと思います。労使関係の専門的知識や経験を持っている方は、長年の経験から身につけてこられた方が多いと推測されますが、先ほど述べたような紛争解決という観点からは、そのほかのスキルも必要になるかと思います。

解決手法の特色

紛争解決システムそれ自体に関して、例えば労働審判手続や紛争調整委員会の手続等の運用のあり方をよく知っているとか、あるいは特に労働審判制度の場合は、中立・公正な立場で判断に当たるということをきちんと自覚することが挙げられます。また、これは調停・斡旋で重要になるわけですが、話をよく聞いて説得するといったコミュニケーション能力、それから審判に携わる場合は、証拠の評価において、出された証拠や証言の信用性を判断する能力 ~ これも経験が生きる場所ではないかとは思いますが ~ そのような事実認定のスキルを磨く必要があります。さらに、これは裁判官も含めてでしょうが、審判での解決案や調停案の作成のあり方といいますか、解決案の内容を考えるスキルも必要になってきます。その他、知識・経験があるといっても、例えば労働判例や法令は時々刻々と変わっていきますから、法令・判例の知識、それから人事管理・労使関係についても新たな制度が設けられた場合には、それらに対する知識も必要になると思われます。

このような労使紛争解決のためのスキルを身につけられるかは、能力開発に当たる各機関の課題とも言えるのではないかと思います。

(3)企業内紛争解決・予防システムの役割

最後に、やや違った視点になりますが、紛争を企業内で解決する、あるいは予防するという点について若干触れておきたいと思います。

予防ができればそれにこしたことはないわけです。紛争が生じてしまうと、解決システムとして簡易・迅速なものがあったとしても、労働者側には時間や収入面でのロスがどうしても生じてくると思いますし、企業側においてもコストがかかり、従業員のモラルという点でも問題が生ずる場合があります。これまでは、労使関係において、あるいは上司が緩衝地帯になることにより、不満を持った従業員がいても、苦情、紛争と表面化する前に何とか解消してきたことが多かったと思いますが、そのような背景が次第に揺らいでおります。労使コミュニケーション調査を見ると、紛争に至らないまでも不満を持っている従業員が統計的にもかなり増えているという現状があります。

そうすると、企業内の紛争予防あるいは解決システムを新たにつくり直すことが必要ではないかと思います。特に今後、外部的なシステムが充実してくると、外部に行く前に企業内部で紛争を解決するシステムの重要性が一層高まると思います。アメリカでは、企業内の苦情処理が、組合のない企業も含めて非常に充実しておりますが、これはおそらく、訴訟など外部で紛争を解決するシステムが非常に強力であるが故に、その影響を受けて内部的な手続が充実していったという背景があると思われます。おそらく我が国でも、いろいろな形で外部的なシステムが充実してくるにつれて、内部的なシステムを整備する必要性が強まってくるものと考えられます。

いずれにしても、個別労働紛争解決促進法という行政による新たな紛争解決システムができたところに、裁判所においても新たな紛争解決システムができるということになり、こうした行政・司法両面における新たなシステムが整備されたことの意義は大変大きいと思います。ただ、新たな制度である故に、特に今後実現する労働審判制度をどのように運用していくのかが課題となります。従いまして、運用の中でどのような課題が生じるかを具体的に把握して艪ュこと、それから制度を適切に運用できるような人材を確保すること、このニ点が大変重要になるのではないかと思っております。

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