基調講演 ソーシャル・キャピタルからみる日本の違和感──企業に求められる姿勢

基本的な問題意識

ここ20年、日本に違和感

本日は、「ソーシャル・キャピタル」を中心に企業の不祥事の話と、最後にパラレルキャリアについてお話ししたいと思っています。

私はここ20年くらい、日本に違和感を覚え続けています。今日は企業セクターの話になりますが、連日報道されているように企業の不祥事が後を絶ちません。社会の生活の中にある、目に見えないけれど人の心に与えるいろいろな辛い部分を考えていきたいというのが基本的な問題意識です。

ソーシャル・キャピタルとは

人・組織間ネットワークとそれが醸成する信頼・規範

ソーシャル・キャピタルとは社会関係資本と言いますが、「定義」は、人や組織間のネットワークと、それが醸成する信頼や規範。私は心の外部性を伴うネットワーク、信頼、規範と言っています。行為の当事者だけではなく、第三者に影響を与えます。もちろん望ましくない影響もあります。もともとこのソーシャル・キャピタルは、社会を個人レベルと社会レベルの相互から分析しようという概念です。その基本的な目的として、集合行為のジレンマがあります。社会全体からみれば最善策があるのに、個人レベルでは目先の利益に走ってしまい、次善以下の策に落ち着いてしまう。

また、「関係流動性」という言葉を紹介します。関係流動性とはリレーショナル・モビリティと言い、対人関係の選択自由度を意味し、新規出会いの機会と関係形成・解消の自由度の2つから構成されているものです。関係流動性が高いというのは、新規の出会いがあり、関係形成・解消が容易という状況です。残念なことに、39カ国比較した結果では、関係流動性は日本が最も低い。要するに新規の出会いがなくて関係形成・解消が難しい状態にあるということです。

もう1つ紹介したい概念は、「マイクロアグレッション」です。日常的な言動、行動、そして環境を通した侮辱を指し、発信者側の意図の有無にかかわらず、敵意・軽蔑・否定的なメッセージを、対象とされた集団や個人に伝えるということ。些細な攻撃、些細な侮辱、些細な無効化という3種類があり、知らず知らずのうちに他の人を傷つけているということです。

会社におけるソーシャル・キャピタルの特性と変化

会社では垂直型のソーシャル・キャピタルに

普通のネットワークは、例えば普通の町内会なら、みんな平等で、お互いに情報をやりあうので、矢印が両方に向かいます。ところが、会社のネットワークは垂直型のソーシャル・キャピタルが特徴で、往々にしてトップの人のほうから一方的に情報が行くわけです(シート)。

部下は意見を言うことが許されない──そういう世界が会社におけるソーシャル・キャピタルの特徴です。しかもトップが会社の中で内向き志向の結束型社会関係資本の形成を望むケースがとても多い。一体感を作り上げて、神輿の上に乗りたい、かつ側近取り巻きのインナーサークルを作りがちです。正式な意思決定機関は取締役会ですが、その前に意思決定してしまう。

社員間のコミュニケーションが困難になり不祥事が頻発

会社単位の強い絆は、顧客を含め、そこから排除された人々には負の外部性が生じることが多い。社内でも権力者のインナーサークルは、そこから排除される人々のやる気を失わせる。これはもう、あらゆる企業不祥事を起こした企業でみられることです。

そして、雇用形態が多様化して、社内の人間関係もとても複雑になっています。多くのグループに分断されて、正規雇用者から非正規雇用者に対するマイクロアグレッションが多発している。社員間のコミュニケーションがより困難になっています。そういう状態の中で企業不祥事が頻発して、生産性も低下している状況だと理解しています。

日本経済の凋落が、間違いなく影響していると思っています。名目GDP(国内総生産)の世界経済に占める国別GDPのシェアの動きをみると、1990年~2018年の間にほぼ6割減少しており、日本の凋落の大きさを表しています。そして問題は、1人あたり実質GDPの成長率が低い。日本経済の凋落は、企業セクターの凋落そのものです。生産性も伸びていません。

経済成長には経営者の資質も反映する

経済成長の3要素は、基本的に資本・労働・技術と考えると、全要素生産性というのは、資本と労働の投入量の増加で説明できない、残りの成長部分を一区切りに表しているわけです。そうすると、全要素生産性は、資本と労働以外のあらゆる要素の影響を反映します。具体的には、マクロ的には産業構造の変化や制度変更の影響、地政学的リスクまで含みます。ミクロでは、企業単位では労働の質の問題や現場のチームワークであり、これはまさにソーシャル・キャピタルです。

経営者の資質も反映します。ミクロの労働の質や、現場のチームワークは経営者の判断で変えることもできる。また、純粋な技術革新も結局、経営者の経営判断の結果であるので、全要素生産性は経営者の能力を反映していると言えます。

労働装備率という概念があります。労働者1人あたりに与えられている設備の量です。問題は、日本の企業経営者は国内の設備投資を渋ってきて、その結果、労働装備率が大幅に低下しました。ここで数式を出すつもりはありませんが、労働装備率の低下は労働生産性の低下を意味します。かつ、経営者は命令系統を簡素化したとしているのですが、現場では非正規雇用や請負が多用され、実際の現場は以前よりも重層化し、コントロールが難しくなっているのです。設備投資は通常、最新の技術を反映しているので、現場では、どんどん陳腐化している既存の設備で、トップから生産性を上げろと言われてきました。現場では、検査飛ばしなどが多発していますが、これはこうした困難な状況におかれた現場の苦肉の策でもあるのです。現場の不祥事が起こると、すぐ現場の責任とされて、コンプライアンス教育の強化で幕引きが行われるのですが、本当の責任は経営者にあるのですから、そんな弥縫策(一時的な取り繕いのこと)は役に立ちません。

2021年度の経済財政白書で、看過できない指摘がありました。「2013年以降は労働生産性上昇率を上回る賃金上昇の動きが見られるが、それまでの労働生産性の蓄積に対して賃金への還元・転嫁の程度が小さい」という指摘があります。賃金という付加価値を削って利益を捻出していた、つまり、個別の現場の問題ではなくて、マクロから見た経営者側の問題があったということです。

ソーシャル・キャピタルから少し外れますが、経営者の評価基準を、付加価値の増加額で評価されるよう変えるべきではないかと思っています。

日本では「企業風土」は「経営者の責任逃れの魔法の言葉」

企業不祥事が本当に2010年代に驚くほど次から次へと出てきたわけですが、そのなかでコーポレートカルチャー、企業風土という言葉があります。欧米では有能な経営者が変革する際の前向きな改革の対象として表現することが多いのですが、日本では、企業風土という言葉は「経営者の責任逃れの魔法の言葉」です。

「企業不祥事」というと、本当は経営者の責任である事案が、肉体も意思も持たないはずの「法人」ないし従業員との共同責任のように響く。実際には、経営者の不祥事は4つのパターンがあり、第1にトップの暴走。今、コンプライアンスもコーポレートガバナンスも制度がきちんとして、いろいろな制度があるのですが、それを社長が自ら切ってしまう。第2はグループ・シンク。正式な意思決定機関にかけないことです。内輪だけで勝手に決めてしまう。第3がサイロ・エフェクト。自分の権力を分散するために、たくさんのサイロを作るのですが、そこが、目が行き届かず不祥事を起こす。第4が院政。社長を辞めて会長になっても隠然たる勢力をもって口を出す。

「法人実在説」、つまり法人を自然人同様に権利義務を持つとする考え方はとても危険で、必ず法人を隠れ蓑に不正やマイクロアグレッションを起こす自然人が出てきます。これは経営者だけの話ではありません。法人実在説に騙されないように、個人を強くする必要が間違いなくあるのです。強い個人は最高のガバナンスの仕組みです。

個人を強くするパラレルキャリア

パラレルキャリアは、間違いなく個人を強くします。私がサラリーマンの時に大変強い立場で言いたい放題言えたのも、やはりダブルメジャーだったからです。強い個人が会社を不正や理不尽なマイクロアグレッションから守る最高のガバナンスの仕組みとなり、最終的には企業の持続性に役に立つと考えています。

プロフィール

稲葉 陽二(いなば・ようじ)

元 日本大学 法学部 教授

1949年東京生まれ。京大経済学部卒、スタンフォード大学ビジネススクール公企業経営コース修了(MBA)、筑波大学で政治学の辻中豊先生の指導で博士(学術)。5年毎に廃止論がでる政府系金融機関に30年間勤務。53歳で退職後、日本大学法学部教授(日本経済論)、17年間勤務し2020年コロナ禍のなかで退職。現在日大大学院法学研究科非常勤講師のほか金融機関勤務時代から始めた社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)研究の知識を生かして、この研究領域の「地域猫」的扱いでボランティア活動。

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