事例報告 東映動画労組の歴史と労働者としての権利

私は1986年、東映アニメーション株式会社にアニメーターとして入社し、現在は、制作したアニメ作品の保存・活用などを行うアーカイブの仕事に就いています。今回は東映アニメと、その労働組合である東映動画労働組合の活動の歴史についてお話しします。

版権収入などの売上で好決算に

東映アニメは『ドラゴンボール』など様々なアニメ作品を制作し、現在は代表作として『ワンピース』や『プリキュア』などがあります。ここ2年間の決算は、売上が約500億円、営業利益、経常利益はそれぞれ約150億円、当期利益として約100億円となっており、アニメ制作会社としては異例な好決算です。その主な収入は海外の市場も含めた映像の2次利用やキャラクターの版権収入となっています。従業員数は大泉スタジオと中野オフィスで780人。そのなかで直接雇用が500人で、正規社員が200人、契約社員が300人、社内で作業をしているフリー労働者は、流動的ですが、約250人います。正規労働者と非正規労働者の比率は3対7、直接雇用者とフリー労働者の比率は7対3です。後でも触れますが、同社は2016年まで正規社員以外は労働基準法を適用しておらず、社員以外は2000年まで個人事業主として確定申告をしていた背景があります。

不当な制度の改善と獲得要求を関連業種にも適用する

東映動画労働組合は1959年に一度結成しましたが、準備不足と会社の組合敵視により1週間で解散させられて、その2年後、1961年に正式に結成されました。本来、要求を達成するためには、会社から独立した組織として会社に対抗できる力を培う必要があるわけですが、当時の組合の中心人物は『ルパン3世』のキャラクターデザインをしていた大塚康生さんや、2019年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』で主人公のモデルになった奥山玲子さんでした。結成当初からオープンショップの組合で、会社の従業員が全員加入するのではなく、加入の意思を持った人が入ることができます。組合員は一時期100人以上いましたが、今は44人となっています。

当労働組合の結成当時は、要求の一つに、女性社員が入社時に記入する「子どもが産まれたら退職する」という誓約書の撤回を掲げました。この要求獲得は、団交にたどり着くまで2年以上はかかりました。また、実現した要求は東映アニメだけではなく、東映の映画館のチケット窓口で働く女性などにも適用されました。

こういった取り組みでも象徴されるように、組合活動は不当な制度の改善と、獲得した要求をほかの労働者にも適用させるというのが大きな特徴です。また、その要求獲得までは長期にわたる場合もあり、実現せずに退職していく労働者から新たにそれを引き継いでいく労働者がいるということに意義があると考えています。

出来高制度の定着と人員削減の合理化へ闘争

東映アニメは、設立当初は社員しか働いておらず、主に劇場作品が主体でしたが、1964年からは『狼少年ケン』を皮切りに、テレビアニメ制作が始まります。テレビアニメは短時間で大量の制作数をこなす必要があったことから、同社は新しい契約者を雇い出しますが、契約者のアニメーターなどは出来高払いが主流となっており、それと同時に社員のなかでも出来高払いのほうが収入を得られる人や、会社の介入もあり契約者やフリーになる人も現れ始めます。制作費も厳しく、低い受注額でも利益を確保するために、アニメ産業では出来高制度が定着していきます。

また、同社はもともと親会社の東映が立ち上げた会社であり、採算無視で制作費が投入されていました。しかし、1970年代の赤字経営と映画の斜陽により、従業員319人のうち約半数の170人に対して人員削減の合理化が行われます。

これを受け、当労働組合では1972年に、18人の解雇撤回に向けて裁判闘争を行います。裁判は雇用継続で勝利するのですが、この間に組合員も含め150人以上の従業員が、同社から離れることになりました。高畑勲さん、宮崎駿さんなどは、これ以前に労働者軽視の雇用政策を嫌い、創造性を求めて東映アニメを退職し、その後、スタジオジブリを設立し、日本アニメの文化を牽引していくわけです。

契約社員の登用で多種多様の雇用形態が存在

東映アニメは1965年から1991年までの26年間、正規社員を採用せず、その間の不足する人材を契約社員で埋めていきます。その結果、現在のように多種多様の雇用形態が存在することになります。

シート1は、1990年頃の同社で働く労働者性(労働者の雇用形態)の状態を表したイメージ図です。縦軸は収入月額、横軸は労働者性を表しており、それぞれの雇用集団の数を円の大きさで示しています。これを見ると、左側の雇用関係の最も薄いフリーの労働者から、労基法が適用されている右側の数少ない正規社員まで、幅広い雇用形態の人材が携わっていることがわかります。また、出来高賃金でありながら社会保障もついている専属契約者や、フリーでありながら東映アニメの仕事を優先させる約束を取り付けた優先契約者など、現在の拘束料と思えるような賃金の払い方をするフリー労働者も30年前から存在していました。

研修生や非正規労働者の雇用改善を要求

1980年代には研修生の採用が始まります。まず1981年には、第1期研修生が演出とアニメーターを合わせて15人ほど採用され、その5年後の1986年には第2期研修生として演出、アニメーター、制作進行を合わせて30人が採用されました。私も第2期研修生として採用され、最低保障として月12万円の賃金が設定されていました。

研修生の採用理由は、アニメ制作の中心となる人材発掘を目指したものです。当時、同社ではアメリカのテレビアニメの下請け制作をしていました。受注額は2,000万円以上にものぼり、日本の約3倍の金額となっていたことから、その制作に必要な人員を補強するための採用であったともいえます。

しかし、1987年には円高ドル安で、アメリカ企業にとっては日本への制作費が膨らみ、下請け制作が打ち切られます。期待していた利益がなくなった同社は、前年までに採用した研修生の処遇を考えます。同期の研修生は配転や転職に追いやられ、残った研修生には厚生年金など社会保障はつけない、将来的にはフリーになってもらうという方針を出してきました。

このタイミングで、研修生の何人かが当労働組合に加入し、研修生や非正規の雇用改善を求めていきます。雇用政策は、東映アニメの親会社である東映本社が握っていたため、当労働組合は、上部団体で、東映グループの労働組合をまとめる全東映労連の支援を受けて取り組みます。毎年の春闘行動は、必ず東京・練馬区の大泉学園から銀座の東映本社に行き、雇用改善を本社労務に訴えていました。結果として、賃上げ、一時金の支給などが、社員とは大きな格差がありながらも制度化され、次第に改善されていきます。

簡単に雇用を切ろうとする会社と、雇用をつなげようとする組合の構図は以前からありますが、特にこの時期は、この後に制作する『ドラゴンボール』などの作品が大きな収益を上げることから、会社としての経営の転換点にもなりました。

個人事業主として扱われていた契約者の給与所得化を実現

1990年頃は専属契約者が60歳定年を迎える年齢になり、退職金の闘争が展開されます。それまでの東映アニメは、社員以外の、個人事業主として確定申告をしていた人たちに対して、退職金を無税で支払っていました。しかし税務署が、この事業主が退職金を受けることに疑問を持ち、2001年に同社に調査に入ります。これを受けて、同社は事務職などを除き、採用してきた契約者や研修生をフリー労働者にしようと考えます。

当労働組合は、積み上げてきた制度を税務署からの指摘ですぐに反故にするような対応に対して、裁判闘争を準備して対応します。この結果、既に2000年に株式公開を済ませていた会社は、個人事業主の扱いを諦め、契約者154人を給与所得化し、年休制度の適用や就業規則なども社員に準じる形で適用します。また、違法派遣であった演出助手、制作進行は東映アニメの直用契約者になります。しかし、東映本社の労務管理者が東映アニメに送られ、優柔不断な対応を取ることがあり、労働基準法の適用にはまた十数年かかることになります。

2010年には、東映アニメで30年近く働いてきた組合員がアニメ制作に限界を感じ、配転を申し出ました。しかし、東映アニメは固定給もなく、完全出来高の賃金だったため、フリーであることを主張し、フリースタッフを雇用することはできないと拒否し、事実上の解雇通告をしました。これは裁判闘争となり、産別組合である映演労連の支援も受けて、東映アニメでの雇用継続という成果を得ました。

出来高中心の雇用制度から労働基準法適用へ

東映アニメは2016年に、契約者に労働基準法を適用します。これは2018年の労働契約法の改正を見越しての制度変更で、2004年までに実現する約束をしていた雇用整備にようやく取り組むことになります。この労働基準法適用は、単に最低賃金を守るというのではなく、正規社員との格差をなくすというものです。私にとっては社員にすることが会社的にも新しい経営展開ができるはずだったと思うのですが、そこは叶わず、残念ながら雇用格差が継続することとなりました。

一般的に契約社員と言うと、アルバイトよりも少し良い制度になるような考えですが、同社の契約社員は賃上げもほぼ社員と一緒で、22歳の基本給20万円から始まり、定年まで毎年7,000円の定期昇給があります。現在の計算でベースアップがない状況でも、定年時には月46万円の基本給が支給されることになります。このほかに各種手当として、一部条件付きではありますが、住宅手当が3万円、扶養者が2人いれば、家族手当が4万円ほどあります。正規社員との差は、若年層の一時金と定年時の退職金くらいになっています。

アニメ業界の労働者が一般企業の賃金制度で雇用されることは異例であるため、この制度で良いアニメ作品ができるのかという考えを持つ人もいるかもしれません。アニメーターや演出は、欠勤しなければ基本給は必ず支給されるのですが、一方で、出来高計算もあり、9万円分の出来高を超えればその分が賃金として支払われます。また、裁量労働でない労働者には時間計算もあり、労働時間が長くなった場合は残業代も支払われ、先ほどの出来高計算と残業代の多いほうがもらえるという仕組みになっています。

出来高中心の雇用制度から労基法適用、社員型昇給制度までこぎ着けたのは、東映アニメの経営が良い成績を残していたからという見方もあります。しかし、研修生の多くが会社から見放される状況でありながら、その後のヒット作『ドラゴンボール』『セーラームーン』『聖闘士星矢』『プリキュア』の制作スタッフとして継続して働いていた背景があります。同社がこれらのスタッフの重要性をその当時把握していたとはお世辞にも言えません。また、当時のスタッフが制作に埋没し、安い賃金で働いていたら、海外で受け入れられる作品になっていたのか、それも疑問に思います。

給与所得化時の税務署の調査、2018年の労働契約法改正などは、結果的に組合の要求実現の助けになりましたが、同時に偽装請負を明確にし、会社の都合ではなく労働者の権利を正当に主張し続けた結果とも言えます。

フリー労働者の労働条件改善が課題に

改めて振り返ると、会社は採算を得るために労働条件を低く抑え、その手法として、雇用の分断を行います。当労働組合はこれに対抗し、労働者としてのまとまりを作ってきました。1976年には、分かれていた社員の労働組合と契約者のスタジオ労働組合が一緒になり、現在は社員組合が発足して59年、契約者組合とも一緒になって45年になります。フリーのアニメーターも受け入れ可能としていますが、残念ながら、フリー労働者の要求改善まではつなげられず、現在、フリーの組合員はいない状況です。また、雇用格差を強く訴えてきたためか、ベテラン社員の退職後は正規社員も加入していないため、これからの課題だと考えています(シート2)。

東映アニメに限らず、日本の多くのアニメ会社は、制作スタッフに労基法を適用せず、最低賃金も守らないで長時間にわたり働かせており、個人事業主とは名ばかりで、その実態は偽装請負です。しかし、劣悪な条件でもアニメ制作に携わりたいという労働者もいます。多くのアニメ会社は、困難な経営状況から労基法適用を回避し、違法がないように働いてもらう状態だと思います。

これまでの私の組合活動は、社員型の年功序列の賃金体系を適用させることを目指しており、結果として、東映グループ内の正規社員の闘争や、全国規模の春闘行動として、回答を引き出すことができました。一方で、出来高単価はアニメ産業での相場ができており、打ち破るのは相当な力が必要です。制作現場の組合員も含め、多くの労働者は出来高単価アップの要求が強くありながら、仕事に埋没し、組合活動は二の次になってしまいます。出来高単価アップの活動は、東映アニメの限られた人員が闘っても勝ち取ることができません。正規社員だけでなく、フリー労働者の組織がなければ実現はできません。

アニメの2次利用で得られる利益を現場に還元する

松永さんの著書『アニメーターはどう働いているのか』には、力量の差や経験の差こそあれ、出来高賃金を基礎とする同じ条件の労働者の結集が報告されています。X社の技術の向上やトラブルへの対応などを読ませてもらうと、職能としてのアニメーターの職場の在り方を考えさせられます。今後も継続して欲しいと思っています。

今、アニメの市場が年間2兆円と言われていますが、日本のアニメ制作現場に落ちてくるお金は、私の計算では、総額で500億円を超える程度だと思います。『ワンピース』や『プリキュア』などの30分テレビアニメは、年間50本の制作とすると、計5億円ほどの受注額で作られているわけで、その作品の内容からすれば、価値に見合わないという大きな矛盾を感じます。また、その後の海外市場ではそれが数十億円という利益になります。アニメの2次利用の利益を制作者に還元することも求められていると思います。

コロナ禍の中、テレワークなどで離れていても、コミュニケーションが取れる時代になってきました。これらを活用して、不当に低い出来高賃金を改善させる運動を起こして欲しいと思います。できれば、アニメーターの人たちが仕事だけに埋没するのではなく、毎年の春闘に参加して、出来高単価が上がっていくことを願うものです。

プロフィール

沼子 哲也(ぬまこ・てつや)

東映動画労働組合 副委員長

1986年、東映動画株式会社(現・東映アニメーション)に第二期研修生のアニメーターとして入社。1987年に東映動画労働組合に加入。上部団体の全東映労連・映演労連の執行委員も経験。アニメ労働者のつながりを求めてAリーグ(アニメーションサッカーリーグ)の事務局も担当。東映動画労組結成の1961年に生まれ、来年に組合とともに定年を迎える。

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