基調講演 企業の人事権と転勤──古くて新しい課題

今、なぜ転勤問題なのか?

今から四半世紀以上前に遡りますが、当時の労働省に「転勤と勤労者生活に関する調査研究会」が設置され、1991年に報告書が出ました。私も研究会のメンバーで、その時の議論のテーマは「単身赴任」でした。子どもの教育・受験や持家管理などから、夫の転勤に家族が帯同できずに、自宅に残るといったいわゆる単身赴任への対応策を議論しました。報告書を読み返してみると、転勤を議論するためには、人事システム全体を見直す必要があり、中期的課題であると書かれています(図1)。つまり、転勤の課題には、人事システムを大きく変革しないと解決しない部分があるということです。そのため30年近く経った現在でも、いまだに人事管理には、転勤の課題が残っているのだろうと思います。

図1 古くて新しい課題=転勤を巡る中期的な課題

(労働大臣官房政策調査部編『転勤と単身赴任(転勤と勤労者生活に関する調査研究会報告書)』大蔵省印刷局、1991)

「従来のように従業員を自由に動かせるという前提にたった発想では転勤をめぐる摩擦を増大させるであろう。人員配置の変更を行う必要性と当該従業員を当てることの合理性を十分考慮し、従業員に対しては事前に転勤にあたっての個別事情を十分把握することが必要である。人を動かすには慎重な対応が必要であるといった考え方に立った人事システムの確立、人材配置、人材育成システムの根本的改革が求められると考えられる。」

「企業経営の中核を担う人材を育成する目的で行う広域的な異動とその他の異動を区別して、住居変更を伴う転勤の範囲を企業経営上真に必要とされる範囲に絞り込むといった努力とともに、会社への入り口(採用時)からの転勤の有無を区別した採用、転勤のある者への労働条件面での思い切ったメリットの付与、あるいは転勤を条件とした社内公募制などが考えられる。」

参照:配布資料2ページ(PDF:234KB)

現在の転勤問題は何かと言えば、家族の事情だけでなく、社員本人も転勤できない、または転勤したくないというケースが出てきたことです。共働きが増えていることや、子育てだけでなく親の介護の問題もあります。あるいは自己啓発のため大学院に通っているなど、様々な理由から勤務先での転勤を受け入れたくないという社員が増えてきています。

企業が従来のような転勤施策を続けていくと、人材の確保や定着に影響が出てくるかもしれません。他方で、人事管理において社員の個別事情を配慮することには、管理コストがかかります。転勤を受け入れる社員との公平性の確保という新しい問題も出てくるでしょう。最近は、「女性の活躍推進」の視点から、配偶者が転勤した場合への対応も大きな課題として浮上しています。

一方、これまでは、配置や異動に関して包括的な人事権を会社が有しているという前提で、様々な人材活用の仕組みが作られてきました。会社が、配置業務を限定せずに社員を採用し、OJTや異動を通じて人材育成を行い、そのなかで転勤も含めた人材活用を行ってきました。最高裁判例(図2)でも、異動に関して会社の包括的な人事権が認められてきたように、会社主導のキャリア管理が行われてきました。転勤は、居住地変更を必要とする異動であり、人材育成にとって必要な面もあった訳ですが、人材活用における転勤の必要性と社員の個人的な都合のバランスをどう考えるかが、企業にとって重要な課題になってきています。

図2 企業の人事権と転勤

「東亜ペイント事件」の最高裁判決(1986年7月14日)

転勤命令が妥当であるとする裁判所の判断基準として、①「業務上の必要性」があること、②労働者に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合」でないこと、という2つが示され、これ以降この2条件が個別に判断されてきた。特に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」の程度は、厳格に判断される傾向が強かったことから、転勤命令に社員は従うもの、との認識が一般的となる。

参照:配布資料6ページ(PDF:234KB)

転勤だけでなく異動の現状把握も

企業が転勤施策の見直しをする際には、転勤だけでなく異動も含めて、異動の目的と頻度などを把握することが必要です。その後、人材育成や組織活性化にとって異動が本当に必要かどうかを検討することです。癒着や不正防止が異動・転勤の目的であれば、休暇を取得させるなどで対応できるかもしれません。異動の目的に応じた代替措置の検討も必要です。また、異動が社員の育成に不可欠なのかといった、能力開発の視点からも検討することも大切です。

このように、異動させるメリットや効果を測定・勘案した上で、不必要な異動は削減するわけです。異動の削減は、転勤の削減につながります。その上で、転勤の必要性がある場合には、赴任期間が適正かどうか、また個別事情に配慮して猶予時期を設定できないかといったことも検討し、転勤施策の運用の見直しを図っていくことも必要でしょう。

勤務地限定制度をどう設計・導入するか

転勤の見直しを検討する上でのもう一つの課題は、勤務地限定制度をどう設計・導入するかということです。勤務地限定制度を導入している企業もあれば、敢えて導入していない企業、あるいは社内公募などにより社員が自発的に異動や転勤を選択する制度を取り入れている企業もあります。

大事なのは、異動・転勤の見直しをせずに勤務地限定制度を導入することを避けることです。その理由は、勤務地限定制度を導入する前に、異動・転勤の見直しを行うことで、勤務地限定制度の導入が不要となったり、勤務地限定制度を導入する場合でも、勤務地限定の雇用区分を選択する必要のある社員が少なかったりする可能性があるためです。

転勤の見直しは人事管理システムの見直し

転勤を見直すということは人事異動を見直すことを意味します。人事異動というものは、どのような仕事を経験させながら社員を育成していくかという企業の人事管理システムと一体であるため、転勤の見直しは、すなわち人事管理システムの見直しに直結します。

転勤の見直しの類型として、企業主導型キャリア管理を維持した上で、①現行の「転勤施策のみを見直す」企業と②「異動を含めて転勤施策を見直す」企業があります。他方で、③企業主導型キャリア管理をやめ、社内公募制などを採用して「企業・社員調整型キャリア管理へ移行」する企業もあります。現在は、上記の類型①と②が多いですが、従来のような、転勤に応じる社員ばかりではなくなっている現在、将来的には類型③の「企業・社員調整型キャリア管理」に移行していくことも検討に値するでしょう。

プロフィール

佐藤 博樹(さとう・ひろき)

中央大学大学院戦略経営研究科(ビジネススクール)教授

1953年東京生まれ。1981年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1981年雇用職業総合研究所(現、JILPT)研究員、1983年法政大学大原社会問題研究所助教授、1987年法政大学経営学部助教授、1991年法政大学経営学部教授、1996年東京大学社会科学研究所教授、2014年10月より現職、2015年東京大学名誉教授。著書として、『人材活用進化論』(日本経済新聞出版社)、『職場のワーク・ライフ・バランス』(共著、日経文庫)、『パート・契約・派遣・請負の人材活用(第2版)』(編著、日経文庫)、『ワーク・ライフ・バランス支援の課題』(共編著、東京大学出版会)、『介護離職から社員を守る』(共著、労働調査会)、『ダイバーシティ経営と人材活用』(共編著、東京大学出版会)など。兼職として、内閣府・男女共同参画会議議員、内閣府・ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議委員、経産省・ダイバーシティ企業100選運営委員会委員長、民間企業との共同研究であるワーク・ライフ・バランス&多様性推進・研究プロジェクト代表など。

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