基調講演
職場のいじめとパワハラ─人間関係のワークルール

職場いじめ問題が提起したもの

職場いじめには、基本的に三つのパターンがあります。一つは、仕事をさせない、もしくは意味のない仕事をさせる。二番目は孤立化。三番目は、人格を損なうような発言や叱責で、こうした職場いじめ自体を違法行為とする一連の裁判例があります。

重要なのは、これらの類型に応じて、職場人格権、もしくは労働者人格権とも言うべき新たな権利が、ここ30年ぐらいで形成されつつあるということです。

新たな権利について具体的に言うと、一つは、働くこと。今まで労働というのは労働契約上の労働者の「権利」ではなく「義務」であり、仕事をさせないこと自体が問題になることはなかった。しかし、いじめ事案を通じて、仕事をすること自体が労働者の権利だということで、仕事をさせないこと自体が損害賠償の対象になる。

二つ目は、私的領域の確保。職場においても市民的なセンスや自由を持っていたいという意味合いから、大きく二つの領域で権利が実現されている。その一つは、自己決定権で、例えば、制服、制帽、化粧、髪型などの問題については職場でコントロールを受けない。もう一つは、プライバシーの問題。主な論点として、健康診断の受診義務などが挙げられます。体についての情報はプライバシーの中核であり、健康診断を法的に強制されることが許されるかということで、有名な最高裁判決がいくつかあります。

ハラスメントの背景にある保護法益、つまり何を守っているかという点は難しい問題ですが、私は人間としてのプライド(尊厳)がその背景にあるのではないかと考えています。プライドを守るということで、一連のセクハラやパワハラの判例法理が形成されているのではないでしょうか。

パワハラの実態

ハラスメントについて、二つの報告書が出されています。一つは平成24年の厚生労働省の報告書(「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」)。同報告書は、パワハラについて、①身体的な攻撃、②精神的な攻撃、③人間関係からの切り離し、④過大な要求、⑤過小な要求、⑥個の侵害─の六つの類型に整理しています。

また同じ年に、この報告に基づいて実施された実態調査(「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」)の結果が公表されています。非常に興味深い結果で、パワハラの予防・解決の取り組みを進めるに当たっての課題として、多くの企業が「パワハラかどうかの判断が難しい」「権利ばかり主張する者が増える」の二つを挙げています。おそらく企業の本音なのでしょう。パワハラの問題では、パワハラ禁止の権利性自体が必ずしもはっきりしないし、最も困るのは基準が明確ではないという点です。

セクハラとパワハラとの関係について簡単に述べると、パワハラの議論でも、セクハラに関する一連の裁判例の流れが前提になっています。セクハラに関する裁判例の特徴は、一つは、被害者に寄り添い、被害者がどう思ったかが中心になる。主観的なものを前提として法的なルールが形成されてきた。

二番目の特徴は、今まではセクハラ的な行為は私的な領域の行為と捉えられてきたのですが、それが権利義務の問題として捉えられるようになったということ。

三番目には、今までの労働問題は「会社対個人」だったが、ハラスメントの問題は事実上の発言や行為を理由とする損害賠償であり、加害者が個人として出てくるという点。そうすると、被害者と加害者の人間関係的な紛争という色彩も帯びてくる。

四番目はごく最近の特徴ですが、二つの紛争のパターンがあること。一つは、被害者が加害者もくしは加害企業を訴えるという損害賠償のパターンで、もう一つが、セクハラの加害者に対して使用者が処分を行い、処分の適否について加害者が会社を相手どって争うというパターンです。

セクハラの議論のパワハラへの一番の影響は、ハラスメントといういわば主観的な側面が、職場の上司、部下や業務命令と絡んで問題になるという点です。パワハラの一番難しいところは、被害者の気持ちをどう考えるかということが中心になるという点。セクハラの場合は比較的理解しやすいのですが、パワハラの場合も同じように考えることができるかというのが大きな問題になります。もう一つの影響が、セクハラと同じように、私的な領域だったものが権利義務化したという点です。

一方、両者の違いですが、非常に大きな点が一つあります。それは、セクハラは処分事案(会社が加害労働者を処分した事件)が比較的増えてきているのですが、パワハラでは処分事案はほとんどないという点です。

企業の本音で言うと、パワハラの場合、仕事熱心のためにやったんだという意識もあるのかもしれません。

パワハラの法律問題

パワハラに関する最近の労働判例を調べると、膨大な数の事件があります。ただ、リーディングケースとなるような最高裁の判決はまだありません。下級審の裁判例が非常に多い。

裁判例を概括すると、まず、パワハラでは目的が違法とされることはほとんどありません(カジマ・リノベイト事件、東京地裁判決など)。目的が問題になるのは、権利主張への報復で起きるケースです。

パワハラについて、基準が難しいということをはっきり言っているのがP社事件(東京地判)です。同事件では、パワハラを行ったとされた人の人間関係、当該行為の動機・目的、時間・場所、態様など、いろいろなファクターからパワハラかどうかを判断しなさいと指摘しています。したがって、使用者の声が不愉快であるからといってパワハラに当たるなどということはない。通常は、目的はほとんど問題にならず、行為の態様が問題になります。

では、パワハラの具体的な行為はどのようなものかというと、一番の典型は暴力です。二番目は、暴言や叱責で、特に侮辱的、人格を損なう叱責が問題になります。この種の事件は非常に多い。日本ファンド事件(東京地裁判決)では、威圧的な言動を部下に対して行うというのが常態化していること、つまり、アクシデント的なパワハラではなく、常態化しているということを裁判所は重視しました。

三番目の類型は、揶揄やいびりです。執拗な揶揄、からかいというのは、先輩が行うケースが多い。この場合、どこまでが会社の責任かが、言いにくいケースもあります。ただ、パワハラについては、被害者の人格権の侵害のほか、適正な職場環境を維持する会社の義務(債務不履行構成と言いますが)も認められており、そういった職場環境を放っておいたということを理由に損害賠償の請求が認められることもあります。

四番目は、私生活への干渉です。就業時間外にもかかわらず、「自分につき合え」と言って拘束したり、飲酒を強要するなどのケースです。

五番目は孤立化で、その人とつき合わせなかったり、つるし上げを行うということ。孤立化を巡るリーディングケースでは、関西電力事件(平成7年の最高裁の判決)があります。民青同盟員に対して、ロッカーの調査や尾行、忘年会等に呼ばないなどの孤立化が行われ、これらの行為を理由とする損害賠償の請求がされた事件です。

この争いは最高裁まで行き、最高裁は、職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、またプライバシーを侵害するということで人格的利益を侵害するとし、労働者人格権について正面から最高裁が認めた最初の例となりました。この最高裁判決以来、職場人格権や労働者人格権が、比較的広く使われるようになっています。

六番目としては理不尽な業務命令があります。最近の興味深い事件として、化粧品販売会社において上司が化粧品販売担当者の研修の時に、勤務成績が悪いことを理由に「占い師のコスチュームを着て研修に参加しろ」と言って、それをビデオに撮って、ほかの機会にも使ったということで、損害賠償請求されたというものがありました。

最後の七番目は仕事のさせ方で、不当に、過度に仕事をさせたという例があります。

おそらくパワハラの問題で一番難しいのは、研修・教育、指導の際のパワハラをどう考えるかということ。この点について裁判所は、会社に対して非常に厳しい判断をしています。

会議中の同僚の前での非難、叱責を巡っては、三洋電機コンシューマエレクトロニクス事件があります。ただ、この事件では、労働者が録音していたことが高裁段階でわかり、労働者のほうが使用者のパワハラ的な言動を誘発する行為をしていたとして、パワハラではあるけれども、損害額を地裁判決から減額しました。

会議での罵倒もパワハラとされています。重要な裁判例があり、一つの例は新入社員に対するパワハラに関するものですが、新入社員であることを配慮して叱りなさいという判断が示されています。もう一つは、派遣労働者についてで、派遣労働者は弱い立場にある点を配慮すべきだという判断が示されています。

ハラスメント法理の問題点

最後に、一連のパワハラについての裁判例の問題点を挙げます。

一つは、基準としての明確性に欠けるという点。膨大なパワハラの事件をチェックしても、明確な基準を出すのははっきり言って不可能です。デリケートなケースになるほど、基準は非常に不明確です。

二つ目は、一連のハラスメントの事件で、職場における適切な解決が難しくなってきたということです。実は日本における企業内での紛争処理の特徴の一つは、例えば、何か職場で苦情があった場合、誰に相談するかというと圧倒的多くは上司です。ところが、ハラスメント事案では上司が加害者になるので、これまで有効だったこの紛争解決手段が使えない。紛争を企業内で適正に解決するのが難しいことから、外部に持ち出すことになり、場合によっては裁判で争うことになる。

三つ目として、職場秩序との関係で、相対立する二つの側面が明らかになってきた。一つの側面は、先ほど述べた研修・教育や指導という場におけるパワハラ事件が非常に多くなったことをどう考えるか。被害者に着目すると、どうしても抑圧されたとか、不愉快な目に遭ったなどという点を重視せざるを得ない。しかし、教育や研修は、会社の強制力が不可欠なものです。そういう強制的なメカニズムとパワハラという法理がなかなか両立しにくいという側面がある。

一方、最近の事件を見て痛感するのは、パワハラの弊害は、被害者の人権を損なうだけではなく、職場のモチベーションが下がるということです。パワハラは健全な経営をも阻害するという面も重視する必要があります。

また、パワハラや人格権侵害の研究をして痛感するのは、プライバシーや自己決定に関しては比較的わかりやすいのですが、ハラスメントをどの程度、法的な形で的確に処理できるかということが問題となる。法律家が細かい議論をすればするほど、実態から離れるという典型例が、このハラスメントの領域の問題ではないかと考えています。

プロフィール

道幸 哲也(どうこう・てつなり)

北海道大学名誉教授

1970年北海道大学法学部卒業、小樽商科大学助教授を経て1985年から北海道大学教授。2011年同大学を定年退職し、現在放送大学教養学部教授。1982年から2012年まで北海道労働委員会公益委員、北海道地方最低賃金審議会会長、NPO「職場の権利教育ネットワーク」代表理事、日本ワークルール検定協会会長。

主な著書に『不当労働行為の行政救済の法理論』(有斐閣)、『職場における自立とプライヴァシ-』(日本評論社)、『不当労働行為の行政救済法理』(信山社)、『不当労働行為法理の基本構造』(北大図書刊行会)、『労使関係における誠実と公正』(旬報社)、『ワークルールの基礎』(旬報社)、『労働組合の変貌と労使関係法』(信山社)、『パワハラにならない叱り方』(旬報社)、『労働委員会の役割と不当労働行為法理』(日本評論社)等がある。