パネルディスカッション:第68回労働政策フォーラム
アンダークラス化する若年女性:労働と家庭からの排除
(2013年7月13日)

写真:壇上の講演者の様子

パネリスト

江原 由美子
首都大学東京大学院 人文科学研究科教授/日本学術会議会員
山田 昌弘
中央大学 文学部教授/日本学術会議連携会員
金井 淑子
立正大学 文学部教授/日本学術会議連携会員
山口 恵子
東京学芸大学 人文社会科学系准教授

コーディネーター

宮本 みち子
放送大学 教養学部教授/日本学術会議連携会員
小杉 礼子
労働政策研究・研修機構 特任フェロー/日本学術会議連携会員

宮本教授

宮本 パネルディスカッションに入ります。本日のテーマは、「アンダークラス化する若年女性」です。そして副題には「労働と家庭からの排除」という、極めて刺激的な題名がついています。まず、これを巡る議論をしていきたいと思います。

前半の講演では、パネリスト4人に、それぞれのご専門の一番強みのところから、この問題にアプローチしていただきました。今日ご参加の皆様もそれぞれ異なる関心をお持ちで、4人のお話のどのあたりに関心を持ったのかは大分違うと想像します。そこで、話ができるだけ拡散しないよう、「アンダークラス化」の定義をもう一度確認させていただきたいと思います。

「アンダークラス化」とは

女性の「アンダークラス化」については、歴史的には1980年代以降のアメリカの大都市で「脱産業化」という時代の状況の中で、製造業が縮小し、慢性的に失業や半失業の状態に置かれる人が増えました。すると、この人たちに対し、階級外の階級、つまり労働者階級に属さない人々という用語を充てるようになっていくわけです。

アメリカの場合は、いわゆるゲットーとされるような、一定の空間の中にそういう人々が集積していく現象が起きました。そのような人々の中から、深刻な貧困や母子世帯の増加、暴力や犯罪にさらされる人々という現象が顕著になっていくわけです。その背景にあったのは、産業の変動と当時の新自由主義的な政策への転換、そして全体としてのコミュニティーの弱体化があわさって、「アンダークラス化」という現象が現出したと言われています。

先ほど、山口先生のお話にもありましたが、これはアメリカで発生したもので、アメリカ特有のある種のレッテルが張られ、ある文脈の中で盛んに使われるようになりました。そして、その言葉がイギリスに渡り、イギリスでも多くの議論を生み、それから欧州大陸でも議論が盛んにされ、そして現在、この「アンダークラス」という言葉を、日本がいま直面している現象に充てることが妥当か否かを検討する価値はあるという状況かと思います。したがって、本日、全体的な共通テーマに「アンダークラス化する若年女性」と掲げたことも、議論のたたき台であり、確信を持ってこの用語を使おうと言っているわけではありません。

その前に不可視化された時代が

もう1点、整理しておくと、この「アンダークラス化」する人々が出てくる前の時代状況に産業化の時代があり、労働者は2つに分断されました。1つは、企業組織へ編入されて家族生活を構築し得る人々。もう1つは、組織化されず、家族生活を安定的に成し得ないような人々です。社会の中で言うと、後者が下層に置かれた人々です。

その後、工業化が進展し、経済成長率が高まるにしたがい、企業組織の中に組み込まれる労働者たちが増加し、組織における生活と近代家族の生活が広く大衆化していく時代になります。そういう中では、いわゆる下層の人々は道徳的な劣位というものが刻印された形で、多数派の人々からは遠ざけられるという、そういう意味では不可視化された時代でした。たとえば日本でも先日、子供の貧困対策法が成立しましたが、少し前までは、子供の貧困問題はまさに不可視化されていて、ほとんどの人はその現象に関心もないし気づきもなかった。そういった時代がある一定の期間続いたわけですが、そういう状況と似ていると思います。

その時代をあらわすのが、ケインズ主義的な完全雇用政策と、福祉国家化だったわけですが、本日のフォーラムが対象としている時代はその後のポスト産業化の時代で、貧困層が膨張したり固定化していく状態です。こういう現象が先進諸国で共通にみられますし、途上国でもみられる状況がある。下層社会の再発見といった問題が指摘されているわけです。

こういう文脈の中で、日本のここ10年の流れの中で起こった現象を位置づける作業と、女性の問題をその文脈に位置づけることができるか否かが本日のテーマだと思っています。

どういう女性が「アンダークラス化」しているか

今日はとりあえず括弧付きで「アンダークラス」という言葉を使って議論を進めてみたいと思います。まず、議論に際して、どういう女性たちが「アンダークラス化」しているのか。他の国々の経験や同時並行的に進んでいる現象と並べてみたときに、すべての国に共通する現象もあれば日本の特殊性もあるでしょう。そのあたりについて、先生方それぞれの角度からどういうふうにみているのかをお話いただけたらと思います。

江原教授

江原 まず、「アンダークラス化」という問題とは別に、私は、産業化時代に家族に包摂されるものとして位置づけられた――これは日本型雇用慣行のもとでという意味でも良いのですが――女性たちの中にも貧困はあったし、むしろ家族内に包摂されているから、暴力によって非常にひどい目に遭っても、そこから逃げられない女性たちもいた。そういう問題は、過去も現在もあると思います。DVや女性・子どもの貧困は、「いわゆるアンダークラス」の中にだけでなく、中間階級や労働者階級の中にもみえない形で存在する。こういう問題が、過去と連続性のある問題が、現在にもあると思っています。

貧困リスクの増大が主要領域に

その上で現在の若年女性の問題に限定すると、仮に「アンダークラス化」ではなくその構成要因の1つである「貧困化」ということでいうと、労働による包摂からも家族による包摂からもはみ出すという「貧困化リスク」が若年女性で高くなっているということがもっとも大きな変化だと思います。この問題は、したがって、他の国と同じような形で、就業の継続性が不安定になっている時代の影響を被っていると思っています。

けれども、若年女性の大半は「貧困化リスク」が高まってはいても、まだ「貧困化」しているわけではない。 その意味では、山口先生や金井先生にお話いただいたような層が抱える問題とは異なる。また、山田先生がお話くださったような、主観的には大変幸せだと思っているような層もあると思います。つまり、「アンダークラス化」という概念の中で「貧困リスクが高くなる」という問題なのか、「現に貧困なのか」というところで、問題を丁寧に見ていくべきかと思います。

もう1つ「アンダークラス化」という概念には、山口先生がおっしゃった、非常に否定的な形でラベリングされている「アンダークラス化」という意味とはまた違った、「社会的に不可視化されている」という意味を含めてもよいのかなというようにも感じています。私は若年女性の貧困化は不可視化されているという意味で、「アンダークラス化」されていると思っていますが、ラベリングという意味では、アメリカのシングルマザーに対する酷いラベリングの形での現象は、日本ではそれほど起きていないのではないかと捉えています。どういう概念を使って日本の現象を分析すべきかについては、今後慎重にやるべきだと思っています。

誰が排除されるか予言できず問題になりにくい

宮本 山田先生はいかがですか。

山田教授

山田 私も宮本先生の問題意識と一緒です。工業化時代は、女性であっても、なろうと思えばかなりの確率で正社員になれたし、正社員と結婚しようと思えばできた。そんな時代が1990年ぐらいまではあったと思います。それ以降、その両方が劣化してきた。まともな仕事に就きたくても就けない。かつ、親の状況も困難である人が出てきているし、まともなパートナーと結婚しようと思ってもできない。もしくは不安定な雇用のパートナーと一緒にいなくてはいけない状況に陥る。そういう女性が増えてきていることが、私にとっての「アンダークラス」の1つの定義です。

ただ、私は、若いことと女性であることから完全に排除されているということもそうですが、予備軍になっている状態のほうが将来の不安要因です。予備軍であっても希望が持ててしまう。しかし、希望が持てても、それは実は宝くじほどではないかもしれませんが、全員が当たるような希望ではなく、20年後、30年後にまともな仕事からも家族からも排除されてしまう確率が非常に高い。とはいえ現状は、誰が排除されるかは予言できないので、なかなか問題になりにくいのです。そういった状況を政府などが隠しているのでは、とのご意見もありますが、私は意図的に隠しているとまでは思いません。ただ、そういったことをみないように、あまり対策を考えないようにしているのが現状ではないかと思っています。

規範モデルの自由度の拡張を

宮本 金井先生、どうですか。

金井教授

金井 報告の中でお話したように、私は、「アンダークラス化」という概念が、もしかしたらはじいてしまう、その概念によって不可視化されてしまう現代女性の生き難さの問題をどう問題化あるいは可視化するかに自分の関心を焦点化して考えましたので、もうそれ以上のことはお話できないのかな、というふうに思っています。

ただ、いまアッパークラスの女性たちも深いジレンマの中に置かれている状況があると申しましたことについては、女性たちは働くことのチャンスは手にしたわけですが、そのことによって失うものや手に入れられなくなるものの大きさにも気付いている。降りられないジレンマの中で身動きがとれなくなっている。次第によってはそれが酷なメンヘル問題にもつながってしまう。若い女性たちのそういう現実も視野においた議論をしたいということです。

そういうなかで、「おひとりさま」的な生き方もかなり出てきているのですから、女性の子どもの産み方について社会の視線や政策が柔軟になったらもっと生きやすくなるのではないか。この「おひとりさま」的な生き方をしている女性が、ある時の出会った関係の中で子供を産んでおこうと思ったら産めるような社会にすること。それはつまり、フランスがPACS法でいわゆる事実婚選択のカップルにも法律婚の中のカップルとまったく同じような処遇をしたことで少子化問題を解決したように、日本の制度的な現実のほうを規範モデルといったものから、もっと自由度を拡張していくようなあり方を考えるべきなのはないでしょうか。

そういった意味では、女性がまともな働き方ではない働き方をむしろ自己主張していくことが、いわゆるパートタイマーと正規労働者との賃金格差を是正していくといったような、江原先生が一貫しておっしゃられていた、社会システムの側をディーセント・ワークが実現できるようなシステムに変えていくことにもつながるのではないか。そこから性別役割分業によって非正規化されてきた女性の働き方を是正し、なくしていくような取り組みをしなければならないとおっしゃったこともあわせて考えたいと思います。

多様な層それぞれに問題が

宮本 金井先生に補足の質問をさせていただきたいのですが、ここで言うところの「アンダークラス」と、それとは対照的な「アッパークラス」の女性とを設定されたわけですが、実は女性をグループなり層にわけてみると、もっと多様な層にわかれていて、それぞれが現代的な問題を抱えているように思うのです。

たとえば、高等学校という段階の現場でみると、問題が非常にグループ化していて、かなりわかりやすいと思います。エリートではなく、とくに有利な何かがあるわけでもないけれど非常に悪いわけではない、いわゆる普通の高校生。これはちょっと言い方が適切でないかもしれませんが、話をクリアにするために、あえてそういう表現を使いたいと思いますが、高校に通う普通の女の子たちが、先が全然みえていない。そして、先ほどの金井先生の言葉を借りると、消費者として消費する側に回るわけです。けれど、その後、社会に出て何が待ち構えているのか。そして、それに対してどのようにすれば生きられるのか、といった情報が現状ではまったく与えられない状態になっています。だから今は「アンダークラス」ではないけれど、一歩間違うと予備軍になっていくだろうと思われる女性が増えているのです。あるいは、もう少し別の角度で言うなら、かつてだったらごくまっとうな市民、女性になる高校生たちが、そういう意識も環境もなくエリートにもなれないまま高校生として彷徨っている状況です。

そして、これは大学に置き換えても同じことが言えます。いま少なくない大学の各現場で女子学生の半分以上がフリーターで卒業していくという現実があります。その彼女たちに何の力を与えることもできずに大学は送り出さねばならない現実がある。こういうような形でみていくと、いろいろなグループがあると思うのです。そのあたりの中間部分について、金井先生はどうお考えになりますか。

高校教育段階で既に予備軍が

金井 これは私が先の報告でもう1つ省いたところにある、「保健室の少女たちが、保健室にも行かなくなってどこかに消えてしまった後、彼女たちはどこに着地しているのだろう」ということで考えてきた問題とまさにつながっています。それから学校におけるジェンダー研究の領域からの問題意識で言えば、学校文化の中の女性に対するダブルバインド的な規範、つまり学力への適応度や学校文化の中にもある女らしさの適応度でプラスマイナスを考えること、女らしい優等生と男まさりの優等生、普通の女の子、どっちにもひっかからない非行少女という分類の中で、その非行少女の多くは家庭にさまざまな問題を抱えながら学校の文化の中にも適応できずに保健室に行くようになる。そういう子供たちの負っている問題が3年後なり4年後なり、彼女たちがどこにいるのかといったときの問題です。

つまり、女子の教育というものが、将来の女性の生き方・ライフデザインをどう構築するのかと無関係という――これはフランスの教育学者M・デュリュ=ベラが『娘の学校』という本の中で明らかにしていたことだと思いますが――まさに中学卒業後の高校教育の段階での今の序列化というか、そういう権利をあらかじめもう剥奪されている状態ですよね。私は、これはまさに「アンダークラス化」の予備軍であろうと思っています。

問題は、就職、社会に出ていく、あるいは結婚に包摂されるもっともっと前段階で排除されていく女性たち、この10歳代の少女たちに対してどのような社会的な包摂というか対応があり得るのかという問題なのだろうと思うのです。

宮本 この「アンダークラス化する女性」という場合には、アンダークラスに既になっている問題群の女性たちをどうするかという問題と、その予備軍の人たちの問題があるわけです。多分、日本では、この問題は非常に新しく認識された現象ですので、予備軍の問題のほうが、より理解がされやすい話かもしれません。この予備軍の問題について、既にアンダークラスになっている人々の研究をやってこられている山口先生はどうお考えになりますか。予備軍とは一体どういう人たちなのか。どういう形で「アンダークラス化」していくのでしょうか。

ホームレス状態の人も「予備軍」

山口准教授

山口 やはり広くホームレス状態にある人たちが気になります。先ほど、ハウジングプアに触れましたが、ホームレスと一言でいっても、多様な状態があります。ホームレス状態の人すべてが貧困の固定層かというと、そうでもなく、時々仕事に行き、仕事に行けないときはいろいろなやり過ごし方をしているような、かなり広いホームレス状態の人たちもいるわけです。

予備軍という言い方をするのであれば、私はまず広いホームレス状態がそうであり、その人たちにはやはりサポートが必要で、より困難な状態になることをどこかで止めなければいけないと思います。

また、ホームレス状態の人だけではなく、「施設に来られる子はまだいい方だ。家で虐待を受けながらもそこで我慢している子がたくさんいる」というような話をいろいろな方から聞きました。いわゆるホームレス状態ではなくても、家族や親戚の中に包摂され、とりあえず家はあるけれど、そういう虐待も含めて困難な状態にあるような子たちも、一番みえにくいと思いますがある種の予備軍というべきではないでしょうか。

女性が安心して出産できる社会保障を

宮本 ありがとうございます。私たちが日本の社会というものを何とか健全に維持できるために、「アンダークラス化」する予備軍の部分に歯止めをかける必要があると思います。そのあたりについてはいかがでしょうか。

江原 もちろん非正規労働者の男性と同様に、職における不十分な状態もあると思います。しかし、日本社会に本当に徹底的に欠けているのは、女性が安心して出産できるような社会的な保障が家族以外に与えられていないことです。

ちゃんとした社会保障の健康保険に入っていればともかく、そうでない場合には経済的にも非常に困難であることです。妊娠したときにどこに相談に行っていいかわからないことなど、女性が出産に際して直面するリスクは、男性とはまったく違ったリスクだと思うのです。この部分をしっかりカバーするようなものがない点で、若年層にはかなりリスクが高いと思っています。

出産・子育てがうまくいかなければ、職も失うし家族も失う。また、そのことによって住宅も失うし、親子関係も切れてしまう。妊娠・出産したことによって、恋人が去り、親や実家から追い出され、なおかつ失業するなどが同時に起きる場合が結構ある。こういう非常に高いリスクを多重的に背負う可能性は、もしかしたらかなりの人に言えることかもしれないのです。何らかの条件さえ悪ければ一気に多重リスクに陥ってしまうようなところにいるのが若年女性です。それなのに、そこに対する十分な配慮のある施策がないと思っています。いつも強調してお話しているのですが、日本社会はリプロダクティブ・ヘルス/ライツについての十分な社会的支援というか認識がまったくないまま、若い女性を放置していると思っています。

宮本 要するに、女性は産む性であるということが、それ自体リスクであり、それに対する保障体制がないところでは、女性は直ちに貧困に陥り、命の危険にさらされるというようなことですね。山田先生、いかがですか。

数十年後には深刻な社会的分断が

山田 私も1つ言いたいことがあります。日本はやはり家族主義が凄く強いので、いわゆる社会全体でアンダークラスの人をどうしようというような意識が薄いのではないかという気がしています。先日、ある新聞で、いわゆる孫に1,500万円の教育費を非課税にすることについての対談をしました。私は反対の立場で、賛成の立場の人と討論したのですが、私が、「いわゆる親から援助がなかなか得られない人に対しても、そういう手当が必要ですね」という趣旨の話をしたところ、その賛成の立場の人が、「社会にばかり頼るのはけしからん」というような話をしはじめたわけです。それでは、「えっ、あなた、親に頼るのは良いの?」となりますよね。親や祖父母などの家族に甘えるのは良くて、社会に甘えるのはけしからんという人がどうも増えているらしい。というのも、日本学術会議の『学術の動向』というシンポジウムで、ある先生が朝日新聞の記事を引いてきて、「豊かな家庭の子供ほどよりよい教育が受けられることをやむなしとする保護者が、それを問題視する保護者の数を上回った」という内容を紹介していました。何か日本は、新自由主義と言いながら、実は新自由主義以上に、封建主義にだんだん意識が戻っているのではないか、という気がしています。でも、そうなってくると、社会というものが本当に分断していく。今はまだ中高年以上の層は経済的にそれほど分断していないと思いますが、10年、20年後に今の若年女性が中高年女性になったときに、もっと社会の分断が起きているような気がするのです。

だから、正社員になるか正社員と結婚するか以外のモデルで生活できるようなものを創り出していかないと、20年、30年後にもっと深刻な社会的な分断が起きているのではないかと非常に懸念しているところです。

複合化した問題を抱える女性を生み出さない施策を

宮本 今もう議論は社会保障のあり方に入っていると思います。新しい社会保障制度に求められるものは、長い人生のなかでの前半期の社会保障制度をいかにして強化するかということであり、その議論が進んでいると思います。今、6人に1人の子供が貧困状態にあり、そこにお金を投下しない限り、問題は解決しないという話です。それを含めて、この「アンダークラス化」する女性の問題を解決するためには、人生前半の社会保障の強化をどういう形でやるのかにつながっていくと思うのです。金井先生、とくに女性にフォーカスしたときに、この問題についてはどのようにお考えになりますか。

金井 今の問題設定にダイレクトに絡むと思うのですが、先ほど来の問題にかかわって1つお話したいのは、やはり高校という教育現場が今の若年女性の問題の一番の予備軍になっているということです。定時制だったり、こういう言い方は私もちょっと口ごもってしまうのですが、いわゆる底辺校と言われる高校が非常に問題を抱えていて、ここがやはり現代社会の若者問題のある意味では基地みたいな感じです。そこをどういうところとつないで、そこで起こっている問題にどう取り組んでいくか。つまり、私が10歳代少女の保健室の話を取り上げたのは、実はそのことがありました。ですが私自身、自分のなかでまだ煮詰まらないまま今日ここに並ばせていただきました。横浜女性協会が取り組んでいるようなガールズ自立支援の事業であるとか、地域の中にも自助グループ的な活動が結構起こっていますから、保健室という問題も、そうしたところとうまくリンケージを組むことで、その後の複合化した困難な問題を抱える女性たちを生み出さないための施策ができないか。それが1つの具体的な方向性なのかなと思いました。

そして、そういうところにこそ、まさに人生前半期の福祉予算というものが必要です。福祉のあり方、どこにお金をかけていくのかについては、たとえば摂食障害の子を抱えている親の会などに参加していて思うのですが、そういった人たちがいろいろなカウンセリングの場面に関わっていくには、凄くお金も要ることなのです。ですから、そういうようなことに補助をするようなことも考えられないかと思いました。

「何をしてはいけないか」を考える

宮本 山口先生、いかがですか。

山口 いろいろお話を聞いていると、女性の貧困に関しては問題が山積みで、どこから手をつけていいのかわからないような状況です。最初に言いたいのは、最後のセーフティーネットの生活保護がむしろ削られそうになっていることです。生活保護などの公的扶助が今、縮小されるというのは、あり得ないことです。

生活保護へのバッシングがさかんに行われていますが、女性の貧困といった場合、日本はとくに公的扶助の割合がもの凄く高いのです。諸外国には、もっと住宅給付や家族給付などの手当があるのですが、日本は本当に公的扶助の割合が高いので、これがなくなったり縮小されることは、死活問題になるのです。なので、「何をしなければいけないか」というより、とり急ぎ「何をしてはいけないか」を考えると、やはり生活保護などの公的扶助を縮小していく方向は非常に間違っていると思います。

非正規男性の問題解決で

小杉特任フェロー

小杉 司会を交代させていただきます。これまで、パネリストの方々の専門性からお話がありました。これまでのそれぞれのお話を伺って少し補足・コメントしたいとか事前にフロアからいただいた質問を受ける形で、ご発言いただきたいと思います。江原先生からお願いします。

江原 若年非正規女性が問題から排除されてきた原因の中に、「若年非正規男性の問題が解決してちゃんと収入が得られるようにすれば、自然に結婚相手である女性の方もうまくいくはずだ」という考えがあったのではないか。その辺についてどう思うかという質問がありました。私も、恐らくそういうこともあったと思います。ただ、そのときに、結婚しない人もいるとか、既にシングルマザーになっている人も考えたのかとか、いろいろなことを考えると、それだけで済むものではないことを考えるべきだと思います。

20代女性の自殺率が高まる理由

小杉 ありがとうございます。続きまして、山田先生、お願いします。

山田 「なぜ、20歳代女性は一番満足度が高いのに自殺率が増えているか」という質問をいただいています。それは多分、格差が大きくなっている証拠だと思っています。相対的にみれば、この年齢層の女性は、家族、親、とりあえず収入のある夫、自分の仕事で包摂されている割合は、まだまだほかの世代に比べれば多いと思います。ただ逆に、(仕事、親、結婚の)3つからこぼれている人も増えてきていて、それが自殺率に影響しているのだと思います。自殺者数というのは、全体からみれば本当に少しです。でも、その少しの自殺率が徐々に増加しているということは、やはりここ10年ぐらいの間で、状況が悪化している若い女性が増えている。逆に言えば格差が拡大しているということだと思います。

あと、「男性と女性と共働きして家族に包摂されるという選択もあるのではないか。年収200万円の非正規労働で共働きして、その水準で生活することが可能なのではないか」との質問です。それは、私もそう思います。そういう形でのモデルというものをつくらないまま、とにかく正社員の男性と結婚するか、そうでなければ正社員として一人で自立するかのどちらかしかないというモデルの貧困さが、今の問題を生み出していると思っています。

消費社会での男目線の衰退

小杉 ありがとうございます。続きまして、金井先生、いかがでしょうか。

金井 私は、共通の質問および私個人にあてられた質問ではありませんが、「いわゆる『ママカースト化』というような形で出てきている現代社会の女性の生きがたさについては、大変共感を持って受け止めさせていただきました」というコメントをいただき、私としては大変、意を強くしました。

そのうえで今、消費社会における男目線というものが、かなり衰退している現実もあります。それは、女の欲望という新しいマーケットがある種登場していると言ってもよろしいかと思います。「女子」や「女子会」の登場は、商品としての女性ではなく、商品を評価する消費者としての女性の目線が、現代の男女関係を象徴するキーワードとして支持されます。そういう関係、つまり選ばれる女から選ぶ女へのある種の変化。ほんとうに微細な記号的な差異を競い合う、ある種ゲーム的な女性の差異化であるわけですが、私はこういうところにも現代女性の中の生き難さなり自分のアイデンティティーの立て方の変化というものを感じ取っていくような、センシティブな女性学の方向を考えたいと思っています。

支援者をつなぐコーディネーターとは

小杉 ありがとうございます。では最後に山口先生、お願いします。

山口 まず、「支援者をつなぐコーディネーターのイメージについて、もう少しお聞かせください」との質問をいただいています。例えば、家庭で困難を抱えている子が万引きを繰り返すので話し合いをしたい、といったとき、学校や地域の保護司さんや福祉の方など、いろいろな方が資源を持っています。しかし、その資源を持っている人たちに、いつ、どこで、この子のために会議をしましょうなどと呼びかけること自体が結構大変なことです。

そもそも、それぞれの人がその子にとってどれくらい役に立つ資源を持っているかということ自体も知っておかなければいけません。資源を持っている人たちの日程調整をして、場所を確保して会議を開くことも結構な手間です。

地域にはいろいろな資源が確かにあると思うのですが、それをちゃんとつないで、具体的に呼びかけてコーディネートする。そういうことができる人がいれば、大分風通しがよくなるというか、複数の人が断片的な情報を持っていてたらい回しになっているような状況も減りそうです。そういった専門のコーディネーターがいれば、もう少し困難を抱える人に具体的に関わり、また、いろいろな資源を動員できるということがあり得るのではないかと思いました。

ホームレス男性から映る女性の姿

宮本 ありがとうございました。それでは、整理をする役目を仰せつかっていますので、最後に少しお話させていただきます。

今日は女性の問題を取り上げていますが、貧困や「アンダークラス」の問題は、男性と女性が非常に複雑な形で利害対立し、ややこしいところがあります。私の手元に、民間団体が行ったホームレスに関する調査で、59歳の男性が話した内容が載っている記事があります。これをみるとよくわかるので、ちょっと読ませていただきます。

「余りにも仕事がない。つまり、男というだけで死ぬほどの重労働を強いる企業が多すぎ。だから誰も定着しない。『男には厳しく女には優しく』という価値観(まちがった考えだ!)がますます強まり、誰でもできる仕事はみな女性がまかない、男はできもしない荒い仕事しか残っていないからである。最近の流行歌を聞くべし。女性は愛されるだけの至れり尽くせり、男は命がけで働く守る奴隷のごとく。(中略)残っているのは工場で体を壊すか、いじめ地獄か体力不足でクビ」(愛知県男性50歳から59歳)『生活保護での就労に関するアンケート』(賃金と社会保障 No.1563(2012年6月上旬号))。

要するに、日本の最底辺の労働の現場はこういう状態なのではないか。そこで痛めつけられた男性たちは、家族も持てない状態にあり、その男性たちからみた女性たちは、「社会から大事にされて至れり尽くせりで労働から解放されている」かのように映っているということです。

実際には、これは現実とはかなり乖離しています。しかし、ある面からみれば、このようにみえるような構造があるともいえます。またサービス産業中心の時代においては、仕事は女性たちに移動し、女性たちはそこで低賃金の不安定労働を強いられているのです。このような中で、男性、女性それぞれが、もっと人間的な生活ができるためにはどうしたらいいのか。そのことが本日のテーマのなかでまさに問われている課題だろうと思います。これについては、今日は問題提起ですので、今、日本がアンダークラスの問題を議論するような段階に来ていることを私たちが共有したいと思います。

高校での盛り上がる就職指導を

もう1つ、私が日ごろから「どうしたら良いのか」と感じていることをお話します。先ほどもお話が出ましたが、たとえば高等学校で、就職希望者が多く、課題が山積みしているような学校の生徒たちは、そのまま行けば「アンダークラス化」していく現実があると思います。ある進学校からそのような学校に異動されてきた教師は、「これが同じ日本かと思った」と言われていました。こういう問題は偏在しているので、普通の生活をしている人にはなかなかみえない世界であり、それが今、どんどん広がっている感じがします。

一方、ある高校の教師が、「ここの学校は女子生徒が多いので、就職指導をしてもなかなか盛り上がらない」と話していました。女子生徒なので、やはり逃げ道があると思っていて、なかなか就職する気持ちにならない。高校としては、それを放っておくというわけではないけれど、結果的に盛り上がらないまま生徒を卒業させていることになるのだと思います。しかし、そこを卒業した高校生、とくに女子生徒が、その後どういう人生を歩むのかを考えると、高校は女子生徒が多ければ多いほど、盛り上がるような指導が必要ではないかと感じます。

求められる総合的な支援

今、全国でいろいろな取り組みが行われています。先生方と地域のいろいろな専門機関が、一人ひとりの生徒をどこかにつなげるように地元の中小企業その他に協力をしてもらい、引き受けてくれる場所をみつけていくような取り組みをしているところは成果が上がっています。また、数十年前の高校の指導というのは、結構そういう時代というのがあったと思います。今もう一度、そういう一人ひとりの状況に応じた、きめ細かで総合的な支援が求められているのではないかというようなことを考えたりします。

本日のテーマは大きな話でした。工業化時代からポスト工業化の時代の50年の間に、日本の社会がどう変わったのか、そして今改めて女性のアンダークラス化を議論する段階に来ているという問題意識を共有させていただくということで、シンポジウムをおしまいにしたいと思います。ありがとうございました。

プロフィール ※報告順

江原由美子(えはら・ゆみこ)

首都大学東京理事・副学長、同大学大学院人文科学研究科教授/日本学術会議会員(19期・20期・21期)

1975年東京大学文学部卒業、1979年同大学院社会学研究科博士課程中退、博士(社会学)。東京都立大学助手・お茶の水女子大学助教授などを経て、2001年東京都立大学人文学部教授、2005年同改組により首都大学東京大学院人文科学研究科教授、2009年より、同理事・副学長。主な著書・著作に『ジェンダーの社会学入門』(共著、岩波書店、2008)、「ジェンダーフリーのゆくえ」(友枝・山田編『Do!ソシオロジー』、アロマ選書、有斐閣、2007、第7章)、『ジェンダーと社会理論』(共編著、有斐閣、2006)、『女性のデータブック』(共編著、有斐閣、2005)、『ジェンダー秩序』(勁草書房、2001)など多数。

山田昌弘(やまだ・まさひろ)

中央大学文学部教授/日本学術会議連携会員

1986年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京学芸大学教授を経て2008年より現職。専攻は家族社会学・感情社会学。兼職として内閣府男女共同参画会議専門委員など。「パラサイト・シングル」の生みの親で、その実態や意識について社会調査をもとに分析した著書「パラサイト・シングルの時代」(ちくま新書、1999年)は話題を呼んだ。「希望格差社会」や「婚活(結婚活動)」の名付け親でもある。著書は「婚活症候群時代」(共著、ディスカヴァー21、2013)、「絶食系男子となでしこ姫」(共著、東洋経済新報社、2012)、「なぜ若者は保守化するのか」(東洋経済新報社、2009)、「ワーキングプア時代」(文藝春秋、2009)、「婚活時代」(共著、ディスカヴァー21、2008)、「少子社会日本」(岩波新書、2007)、「新平等社会」(文藝春秋、2006―日経BP社BizTech図書賞受賞)、「迷走する家族」(有斐閣、2005)など多数。現在、読売新聞人生案内回答者、毎日新聞「くらしの明日」連載中。

金井淑子(かない・よしこ)

立正大学文学部教授/日本学術会議連携会員

東京教育大学大学院文学研究科倫理学専攻修士課程修了、倫理学・哲学専攻。長岡短期大学(現長岡大学)、横浜国立大学教育人間科学部/環境情報学府大学院教授を経て現職。倫理学・哲学とフェミニズム・ジェンダー研究の両領域を架橋する問題意識から家族論や親密圏のゆくえについて発言してきている。立正大学では「フェミニンの哲学」「社会倫理学」を掲げて教育研究に携わる。主な著書に『ワードマップ家族』(編著、新曜社)、『ポストモダン・フェミニズム』『フェミニズム問題の転換』(勁草書房)、『岩波・応用倫理学講義5性/愛』(編著、岩波書店)、『異なっていられる社会を』(明石書店)、『依存と自立の倫理<女/母(わたし)>の身体性から』(ナカニシヤ出版)など。新刊に『倫理学とフェミニズムジェンダー・身体・他者をめぐるジレンマ』(同2013年)がある。

山口恵子(やまぐち・けいこ)

東京学芸大学人文社会科学系准教授

東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。弘前大学を経て、2013年4月より現職。専門は都市社会学。主な著書に、山口恵子編『故郷サバイバル』恒星社厚生閣(2012、編著)、石黒格・李永俊・杉浦裕晃・山口恵子『「東京」に出る若者たち』ミネルヴァ書房(2012、共著)、西澤晃彦編『労働再審(4)周縁労働力の移動と編成』大月書店(2011、共著)、羽渕一代編『どこか〈問題化〉される若者たち』恒星社厚生閣(2008、共著)などがある。

◆コーディネーター
宮本みち子(みやもと・みちこ)

放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員

千葉大学教育学部教授を経て現職。労働政策審議会委員、社会保障審議会委員、中央教育審議会臨時委員、内閣府若者の包括的自立支援検討会座長等を歴任。主な著書・論文に、『若者が無縁化する』(筑摩書房、2012年)、『二極化する若者と自立支援』(共著、明石書店、2012年)、「若年層の貧困化と社会的排除」(『新たなる排除にどう立ち向かうか』所収/森田洋司監修、学文社、2009年)、「若者の貧困をみる視点」(『貧困研究』第2号所収/明石書店、2009年)、「若者政策の展開―成人期への移行保障の枠組み―」(『思想』第3号所収/岩波書店、2006年)、『若者が社会的弱者に転落する』(洋泉社、2002年)などがある。

小杉礼子(こすぎ・れいこ)

労働政策研究・研修機構特任フェロー/日本学術会議連携会員

東京大学文学部社会学科卒業。1978年職業研究所(現、労働政策研究・研修機構)研究員。博士(教育学)。兼職として、労働政策審議会委員、同職業能力開発分科会員、社会保障審議会臨時委員などを務める。労働政策研究・研修機構で、「学校から職業への移行」、「若年者のキャリア形成・職業能力開発」に関する調査 研究を担当。主な編著書に『若者と初期キャリア−「非典型」からの出発のために』(剄草書房、2010年)、『若者の働きかた』(ミネルヴァ書房、2009年)、『フリーターとニート』(剄草書房、2005年)、『フリーターという生き方』(剄草書房、2003年)、『自由の代償/フリーター』(JILPT、2002年)などがある。