第14回 旧JIL講演会
IT革命と労働運動
~電機産業の取り組みを中心に~
(2000年12月11日)

電機連合(全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会)中央執行委員長
鈴木 勝利

目次

講師略歴

鈴木 勝利 (すずき・かつとし)
 昭和17年生まれ。昭和32年に東芝小向工場に入社。東芝労働組合書記長、電機労連書記長などを経て、平成8年より電機連合(全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会)中央執行委員長。現在、連合(日本労働組合総連合会)副会長、金属労協(IMF・JC、全日本金属産業労働組合協議会)副議長などを兼ねる。

労働組合運動は時代の反映

 きょうは、たいへんスケールの大きいテーマをあてがえられたわけですが、これからの1時間半いろいろなお話をさせていただきます。労使関係に携わっている方はご存じかと思いますが、私の話は必ずしも、連合なら連合という労働界で、普遍的に認知されている考え方ではありません。ざっくばらんに言えば、連合の中の少数派の意見であります。私の話を聞いて、労働組合全部がそう思っているんだというふうに、誤解なさらないでいただきたいと思います。
 私自身、今こういう仕事をしている中で一番感じるのは、労働組合運動というのは、ある意味で時代の反映だということです。終戦直後の荒廃した時代における労働組合運動、「食える賃金」とか、「米よこせ」というようなスローガンが踊っていた時代、そういう運動は、時代の反映から言えば、当然のことだったと思います。昭和30年代後半からの高度成長時代、労働組合がヨーロッパ並みの賃金を求めて運動を起こし、春闘で大幅賃上げという時代を迎えたのも、いわば時代の反映だったと思うのであります。
 そういう意味から言えば、21世紀を目前に控えた今、日本経済が大きく変化していく中で、労働組合自身もまた、リーダーの考え方、運動のあり方を変えなければなりません。時代環境の変化を容認するか、しないかというのが、リーダーにとってたいへん難しい決断になるわけです。
 60年安保のとき、有名な三井三池の炭鉱争議がありました。約1年間にわたるストライキと、尊い1名の組合員の命を犠牲にして、国会で炭鉱離職者臨時措置法が制定され、炭鉱労働者は新しい職業訓練を受けて職場を移っていったわけであります
 このとき、労働組合運動は、自分の働いている炭鉱が閉山されることに反対する運動として存在しました。しかし、マクロから見て、日本のエネルギーが石炭から石油に代わっていく時代だったということを考えると、炭鉱が閉山に追い込まれていくのは、いわば歴史の必然だったと思うのであります。
 そのときに労働組合のリーダーが、時代環境の大きな変化を見通して、日本のエネルギーがいずれ石炭から石油に代わるということを、洞察していればどうだったか。1年間のストライキ、1名の尊い命を犠牲にしなくても、組合運動は成り立っていたのだろうと思うわけです。しかし、自分の職場がなくなることに対する組合員の心理的な抵抗も、言葉に尽くせないものがあると思います。
 このような目で見れば、まさしく今がまた、そういう時代なのではないでしょうか。私たち自身、終戦直後から築き上げてきた労働運動のあり方が、経済環境や社会環境が大きく変化する中で、通用するはずがないと考えるリーダーと、「夢よ再び」とは言いませんが、今までの惰性、しがらみの中で運動を続けていくリーダーがいて、こうした考え方の相違が、運動論の大きな違いになっているのではないかと思っているわけです。

成熟社会の特徴

 成熟社会では、さまざまな要因が重なり合って、1つの現象が生まれてきます。例えば、いま問題になっている青少年の犯罪についても、人によって、家庭教育に問題がある、あるいは学校の教育制度に問題がある、いや社会が悪い、あるいは政治がだらしない、企業のモラルハザードが悪いというように、さまざまな理由を挙げています。それらはすべて正しいんだろうと思うのであります。
 さまざまな要因が重なり合っていると、1つの要因についてだけ解決しても、問題のすべてを解決することにはなりません。家庭生活がよくなって青少年の教育問題は片がつくのかと言えば、そういうことではない。学校の教育制度だけというのでは、なおさらそういうものでもない。あるいは少年法を改正すれば、それで事足れりというものでもないのです。
 例えば、私たち労働組合が、「こう思う」ということをいくらやったところで、ほかのところで同じような改革が進まないと、結果として世の中はよくなりません。そうなると、正直者がばかを見るわけではありませんが、自分たちだけ努力してもしようがないということで、結局、改革の努力を怠ります。改革の努力を怠れば、何ひとつ改善できず、さらに悪いほうに行ってしまう。そういう思いで、労働運動を考えなければいけないのではないかと思っています。
 いま話題になっているIT(情報技術)革命が、労働運動にどのような影響を与えているかということを考える場合でも、同じ意味において、ITだけが労働運動のすべてを改革、あるいは変えることを求めているわけではありません。さまざまな要因があり、その1つとして、たまたまITもあるんだと考えるべきではないかと思います。

雇用吸収力のある産業は海外へ

 レジュメのチャート(図1(PDF:99KB))をご覧いただきたいのですが、電機連合として、私たちの運動を取り巻く経済や社会の環境が、21世紀にどう変化していくだろうかということを、分析してまとめたものです。
 上のほうに「経済成長」、「グローバル化」、「地球環境問題」など大きな変化をあげています。経済成長を考えた場合、政府の経済戦略会議でさえ、今後は潜在成長率を含めて中長期的に2%程度だと言っています。今までの日本の産業構造では、2.8%ぐらいを境に、成長率が下がると失業者が増え、成長率が3%より高くなれば、失業者が減ります。成長率と失業率とは、相関関係として、そういう傾向を持っていたわけです。ですから、2%程度の成長率が今後も続くとすれば、失業者は増大していく。少子化、高齢化という問題は別にしても、そのように見ておくべきだろうと思います。
 その上に難しいのは、グローバル化という問題が、従来の産業構造を大きく変え始めていることです。いわゆる労働集約型、つまり雇用吸収力のある産業が、日本のように世界で一番コストの高い国で物をつくっていたら、割に合わないのはあたりまえです。ですから、そういう雇用吸収力のある産業の海外進出が、盛んになっています。
 電気機械産業で海外進出している大小さまざまな企業が、現地で雇用している労働者の数を見ますと、昨年末で130万人を超えています。電機連合に加盟している企業だけで調べても、現地で採用している従業員数は80万人を超えています。電機連合は公称80万人と言っていますが、国内における電機連合と同じ規模の組織が、海外で雇用している現地労働者でもう1つできることになります。それぐらい、実は海外進出した先で、雇用吸収をしているわけです。

グローバル化と雇用不安

 国際競争の観点からいけば、技術成熟度が高くて労働集約型の産業は、必然的に海外に進出していく。それは、国内産業の空洞化を非難するという問題ではありません。かつて欧米が世界経済を支配していたとき、安かろう悪かろうという非難を浴びながら、電機にしろ、自動車にしろ、いつの間にか日本が世界の市場を席巻しました。いま、アメリカの大手電機メーカーでは、ウェスティングハウスやGEが残っていますが、家電専業のRCAという巨大企業は結局、身売りをしました。RCAという企業名すらなくなったということは、やはり象徴的なわけであります。
 長時間労働、低賃金労働とやゆされながら、気がついてみると、日本が世界の市場を席巻し、先進国であったアメリカやヨーロッパを駆逐してきました。そのことを、いまわれわれがまた、韓国や台湾、シンガポールにされているわけです。例えば、半導体において、韓国の三星はわれわれとまったく同等の技術水準であります。
 自分たちが駆逐するときは許されて、駆逐されるときは許されないという、こんな不平等、不正義なことはあり得ないと思います。今後、韓国や台湾、シンガポールが今の日本の道を歩むでしょうし、その後には中国やインドネシア、ミャンマーなどのASEAN諸国が、今日の韓国や台湾と同じような道を歩むんでしょう。
 それが終わって中南米だ、アフリカだということになれば、グローバル化というのは、いわば技術成熟度が高くて労働集約型の産業を、それぞれの国の経済発展の度合いに応じて分業していくものだというふうに、考えるべきではないでしょうか。電機連合としては、電機産業のメーカーが海外進出することについて、基本的には反対の意思を持っていません。むしろ、歴史的な必然性にあると思っています。
 日本全体で考えると、そのことは当然、失業率についてマイナスに働きます。このほかにも、国の公共投資を見直すべきだということになれば、日本最大の雇用吸収力になる土木建築産業で、560万といわれる人々の失業問題が起こるわけですから、失業率が増大する要素になるでしょう。地球環境の問題で言えば、経済成長を支えてきた最大のシステムである大量生産、大量消費、大量廃棄という考え方が否定されていくわけですから、それもまた、雇用吸収力から考えるとマイナスに働くのは間違いありません。

生活水準の向上と意識の変化

 マズローの法則ではありませんが、生活水準の向上によって、人々の意識は変化します。「隣が買ったからうちも」、「あの人が買ったから私も」という考え方から、自分だけのものを持ちたいというように変わってくる。
 昭和34年、今の天皇陛下のご成婚のとき、白黒テレビのブームが起きました。そして昭和39年の東京オリンピックが、カラーテレビのブームを起こします。テレビが一般家庭に浸透し始めたとき、われわれぐらいの年代の者はみんな、テレビを通じて流されるアメリカのホームドラマで、1軒1軒の家庭に大きなテレビ、大きな冷蔵庫、クリーナーがあるのを見ながら、「ああいう生活は幸せだな」、「ああいう生活をしたいな」と思ったものです。それが今では、曲がりなりにもみんなの家庭に、そういうものがあふれている。人々はふと立ち止まって、「待てよ、ほんとうにこれが幸せなのか」と考え始めた。今はそういう時代だと言ってよいのではないかと思います。
 さきほど申し上げました労働組合の時代反映ということから言っても、今、連合を含めて各労働組合の議案書の中には、「真の豊かさ」、要は「モノさえあふれればそれでいいのか」、あるいはもっと端的に「モノから心の時代に」という言葉が、盛んに踊っています。
 人々の意識の変化は、個々の自立心を当然のように要求します。隣と同じでありさえすればいいというのではなく、自分の存在や価値をどのように認めるかとか、会社の中で自分は必要になっているかということを、考えるようになるのです。それが、便利さだけを求めてきた工業社会の中から、脱サラをして田舎で少し暮らしてみたいというような欲求につながっていく。また、そういうことがあって、ボランティアやNPOなどの活動分野のほうに、生きがいややりがいを感じ始めるようになっていく。

10%程度の失業率が常態化

 今後の経済成長やグローバル化、あるいは地球環境問題、そして人間の意識の変化を考えた場合、失業率はこれから、10%近い数字で高止まりしたまま推移していくでしょう。そのことを前提にした組合運動を考えるべきではないのかというのが、電機連合としての基本的なスタンスになっています。
 失業率の増加について、チャート(図1(PDF:99KB))の真ん中に「5?8%?」と書いてあります。電機連合総合研究センター(電機総研)のシミュレーションでは、海外進出を野放しでやるなど、最悪の場合で20%近い失業率を想定しています。さまざまな対策を打った上でも、10%近い失業率が常態化するのは、避けられない。そういう考え方に立っているわけです。
 では、そういう社会になったとき、今までのような労働組合運動が、果たして有効に機能するのか。今、約320万人という失業者がいます。それから、求職活動をしていない失業者が約400万人います。それだけ足したって、約9%、1000万近い人たちが、職を持っていない失業者として存在する現実があるわけです。
 そういうとき、労働組合は自分たちの組合員だけのことを考えていればいいのか。かつての高度成長期には、例えば100人の希望退職を募ると、その100人の再就職は可能でした。しかし今では、年齢制限しているわけじゃないでしょうけれども、45歳なんて書いたら、特別の技能や専門的知識を有している人以外は、ほとんど職安に行っても相手にされない。求人広告の対象にはならないというのが、現実なわけであります。
 かつて、失業者の再就職が可能だった時代には、労使がいろいろ交渉して、条件をつけて、肩たたきにならないように希望退職を認めて、企業の再建を図ることも許されました。しかし、辞めていった人の再就職ができないという状況に置かれたとき、残った人間だけで、賃金は上げるわ、ボーナスは上げるわということが、ほんとうに許されるのか。そういうことを、リーダーは考えないといけないのではないでしょうか。
 100人の希望退職を外すため、どのぐらいの人件費、労働条件を譲ればいいかというと、これにはいろいろありますから、そんな単純なことではありません。しかし、少なくとも、「自分たちさえよければいい」という考え方を止めない限り、労働組合が社会的な規範力、運動体としてほんとうに認知されることは、あり得ないのではないでしょうか。
 これは連合の鷲尾(悦也)会長とも話したことですが、今の景気回復がリストラの影響によるものだと力説すればするほど、リストラで首を切っておいて、残った人間だけで、1%の経済成長だから賃上げを要求するという論理は、労働者の連帯に反するのではないか。これからはもう少し、そこの考え方を整理しないといけません。
 そうすると、ナショナルセンターの連合の役割はいったい何になるのか。あるいはナショナルセンターの統一性を保つにはどうしたらいいのか。おのずから、日本の経済社会における最低賃金とか、社会的なミニマム、つまり日本で会社を経営するのに、これ以下では人を雇えないということをつくり上げていくのが、ナショナルセンターの役割になっていくのではないかと思います。

事業構造の改革と処遇システムの見直し

チャート(図1(PDF:99KB))の左側に、「高度情報通信社会の特徴」というのがあり、これがIT化の話につながっていきます。いまニュービジネスということが、喧伝されています。しかし、電気通信審議会の議論でいつも申し上げていることですが、バラ色のことばっかり言っても問題があるのではないでしょうか。情報通信社会、IT化は一面で人員の削減効果を持ちます。それにニュービジネスは、今までのビジネスとはまったく様子を異にしていて、だれもができる仕事ではありません。
 そういう意味で、IT化は雇用に、非常に大きな問題を与えます。電機産業の場合、重電分野から情報ソフトサービスの分野まで抱えていますが、その中はせつぜんと、成長分野と成熟分野とに分かれてきています。情報化に関連した分野はこれから成長しますけれども、重電に代表される分野では、原子力発電所の建設予定とか、電力会社の料金自由化に伴う設備投資の抑制などの要因を考えれば、供給過剰になっていると言わざるを得ません。
 企業が事業構造の改革を進め、これから伸びていく分野にシフトしていくと、働く者にとっては、職種転換を求められます。今までの仕事のやり方が変わると同時に、職業能力のほうも変わっていかざるを得ません。そして、処遇システム、勤め方も含めて変わっていく。そういったことを、どのように考えていくのか。
 数年前、おもちゃメーカーのバンダイが「たまごっち」を開発して大ブームが起きたことは、まだ記憶に新しいと思います。「たまごっち」のソフトを開発したのは、当時確か26歳とお聞きしましたけれども、女性のソフト技術屋さんです。
 彼女は「たまごっち」のソフト開発で、バンダイに莫大な企業利益を与えたわけであります。そのとき、私は東芝の労使懇談会で、「もし彼女が東芝にいてこれだけの利益を会社に与えたら、今の規則でどういう処遇ができますか」と聞いてみました。そうしたら、「100万円の報酬金、社長の表彰状と感謝状」とのことでした。「賃金は」と聞いたら、「まあ長く勤めれば、もう少し上がると言うしかありません」と。そういう制度が、これからの情報ソフト分野で通用するはずがない。
 しかし一方では、熟練を要する現場の労働があるのも事実です。そうすると、1つの企業が1つの処遇体系で全員を処遇していくことは、事実上できません。1つのもので全部を網羅しようとすると、いずれ無理が生じます。そこで、こういう職種にはこういう処遇制度をという、これを電機では複線型処遇と言っていますが、そんな処遇制度を考えるべきだということになります。電機連合では5年前、こうしたことを年功序列型の見直しを含めて提案しました。これも連合の中でたいへん怒られまして、いろいろ言われたわけであります。

労組で経営診断のソフトを開発

 事業構造の改革が進む、あるいは日本全体の経済構造がシフトしていくと、職業再教育が、絶対的に欠かせなくなってきます。そうなれば当然、労働組合の最大問題として、職種転換を求められる人たちに対する職業教育の問題が、浮かび上がってきます。国や社会制度も、そちらのほうにシフトすべきだということになります。
 いま見直しが進んでいますが、かつて「失業者を出さないために」ということでやってきた、一時的な不況に対する雇調金(雇用調整助成金)にしても、毎年もらう産業が出たら、それはもう一時的な不況とは言えないわけです。そうしたものにお金を使うよりも、職業再教育という部分にお金を惜しむべきではないという政策制度の要求が、電機連合として出てこざるを得ません。これがまた連合へ行くと、「そうもいかんだろう」ということになっていく。
 一方、成熟分野の重電では、供給過剰でありますから、これから企業の自然淘汰が起きてきます。構造改革に失敗した企業は自然淘汰されて、倒産などになっていくのは目に見えています。そうした分野での産業政策が、ますます求められるようになってきています。
 21世紀型の組合運動を考えた場合、雇用を確保するためには、労働条件の柔軟化を避けて通れません。むしろそれがある意味で、労働者の連帯であります。もちろん大前提として、経営者が適切な経営戦略を持ち、それがほんとうにやむを得ない人員問題の提案につながっているのかということについて、われわれ自身が分析する能力を持たないといけません。
 そういうことから、電機連合では経営診断のソフトを開発しました。労働組合のリーダーが、企業経営で発生した雇用問題について見極める能力を持たないで、反対だ、賛成だと言ったところで、それはまやかしであります。そういうところで力をつけなければいけないということが、経営診断のソフト開発という具体的な運動方針につながっていったわけです。

春闘は「ストック」重視で

 春闘ひとつをとっても、これまでお金、お金で来ましたが、いま実は大きな価値観の転換を迎えています。1万円のお金と1日の労働時間短縮、休日と、どっちが人間にとって価値があるんだということを、ほんとうに問わなければなりません。身の回りにモノさえあれば豊かで、家庭も顧みずに長時間労働、残業、残業でやってきた今までの生活が、人としてほんとうに幸せだったのかということを、もう一度考えるべきではないか。そして春闘というものが、会社のトータルの経費からいくらかの費用を使わせるということであれば、お金というフローよりも、むしろ制度というストックに費用を使わせるべきだ、あるいはその制度化を図るべきだということになります。
 今思い起こしますと、昭和39年、電機連合の先輩の皆さんが初めて、隔週2日、土日連休の時間短縮を実現しました。当時、私は工場の支部の組合リーダーをしていたわけでありますが、時間短縮に反対したことを覚えております。反対した理由は、土日休んだところで、こんな低賃金なら使う金がない。休んで何をするんだと。それよりも10円よこせという主張だったわけです。
 しかし、そのときのリーダーは、組合員の何割かが反対した中でも、労働時間の短縮がこれから大きな問題になるということで取り組みました。週休2日制が実現した今、土曜日を振替出勤にしてみたら、その1週間の長いこと長いこと。そういう環境ができることによって、組合員の意識は変わっていくのです。
 ですから、リーダーが時代の変化を洞察しながら運動していく部分と、環境が変化したことによって人々の意識全体が変わっていくという部分が、相互に影響し合いながら、変化していくんだろうと思うのであります。
 春闘もそういう形で変わっていくということであれば、ストック重視で、賃金交渉は2年に1回でいいではないかということが、電機連合の春闘改革方針になってきます。「2年に1回の賃金交渉」という部分だけがマスコミの皆さんに喧伝され、スポットを浴びることになるわけでありますが、今申し上げたようなことが背景にあって考えているわけです。
 この3カ月間、職場討議していただきましたが、結論から申し上げますと、2002年からそういう方針をとることについて、方向性や考え方に異論はないのですが、2002年からの実施は時期尚早ということになりました。2002年も2003年も相変わらず、連合の方針に沿って賃金を要求することになります。けれども、考え方の中で、そういう部分は今後避けて通れないということでは、何とか全体の意識は統一されたのではないかという思いであります。
 2000年春闘では、電機で約50の組合が、年金の支給開始年齢引き上げとの関係で、2001年から61歳、2013年から65歳への雇用延長を獲得しました。そして、エイジレスな社会をつくるべきだという方針のもとに、数年のうちには、エイジレスな制度の要求に踏み切ろうということで、いま論議をしています。
 エイジレスのような仕組みをつくる場合、雇用調整をどうするかというところが、一番頭の痛いところです。労働組合みずからが率先して、解雇を認めるわけにはいきません。いわゆる企業としてそういうことをやる以上、社会的なコスト負担が必要であり、そういった条件を明確にしようかなということで、いま内部の担当レベルで議論しているところです。

電機産業職業アカデミー構想

 職業訓練の問題は労働組合にとって欠かせません。電機連合では、将来的に職業訓練学校をつくる構想(電機産業職業アカデミー構想)を持っています(資料2参照)。大言壮語になってもいけないので、当面は大手6社の会社側に、企業が持っている教育訓練施設を提供してもらい、労使で委員会をつくって、共同のカリキュラムをつくります。それを卒業した人は、国家認定資格みたいに、どこへ行っても例えばAの評価であるというようにします。賃金水準などは企業によって高さ低さがありますが、この試験を受かった人はAの評価だという、横断的な評価基準につなげていきたいということで、この12月にやっと労使の研究委員会の発足にこぎつけました。
 当初、この提案に対して大手企業は、「卒業生を引き受けないといけないのか」ということで、だいぶ渋っていたわけです。しかし、率直に申し上げて、いま大手企業では「IT技術屋」が決定的に不足しています。一方、中間管理職を含めた一般事務では、余剰感、過剰感を大きく持っている。そういう人たちの職業再訓練という見方から見ても、この提案に乗ってもいいのではないかということがありました。まだどうなるかはわかりませんが、職業訓練がこれからは欠かせないという考え方から、この構想は出ているということです。
 そういう制度ができると、将来は、人材派遣の仕事にも労働組合が乗り出すことになります。「生活できないから賃金を上げろ」というのではなくて、自分はこういう職業能力を持っているから、これだけのお金で買えという賃金交渉になる。いわば、職能別組合の要素を持つようになるでしょう。それが、今の企業別組合の組織と職能別組合の要素を持った複合産別として、電機連合の将来を想定していこうという考え方になっています。

IT化の影響は産業革命に匹敵

 ITという問題がどのような影響を及ぼすかということについて、レジュメの3ページ(資料3)からいくつか書いています。
 最初は、IT化がマクロ経済にどういう影響を及ぼすのか。これは、電機総研が独自に研究したものでありまして、必ずしもまだ精査してあるわけではありません。しかし、こういうことが考えられるということです。
 1番目に、それは産業革命に匹敵する影響を持つだろう。いわゆるニュービジネスとして、企業間の商取引が圧倒的に変化します。例えば、ゼネラルモーターが仲介手数料のビジネスに乗り出すように、まったく新しい、「えっ、こんな仕事が」ということが、続々と生まれてきているわけであります。
 あるいは、いわゆるプロしかやれないという専門性が、IT技術が本格化すればするほど、壊されていく。また、ネットワーク化が決定的に進んでいって、在庫管理や生産管理が大きく変化していく。むしろ、こうした変化ができない企業は、立ち遅れていかざるを得ないということになると思うのであります。

すさまじい経済効果

 技術革新による経済効果というのは、ものすごいわけです。例えば、いわゆる黒電話に留守番機能がつくまで約15年かかっているわけですが、携帯電話の端末更新は1年です。新しい機種を発表したということは、もう次の機種の生産予定に入るということです。いま「次世代」が話題になっていますが、各社では3世代、4世代の開発につながっていっています。そういうものによる経済効果は、ものすごく大きいということであります。
 新しいものがどんどん出てくれば、古いのを持っていると何となく不安になってきます。そして、これはほんとうにありがたい話ですが、狭い4畳半の部屋に30インチのテレビを買ってくれる。お客も来ないのにどんどん氷ができる冷蔵庫を買ってくれる。そういう新しい欲望をつくり上げていくという部分は、情報の新機種競争を見ていただければ、おわかりになろうかと思います。職場でどういうものを研究開発しているかなんていうのは、組合の役員だってほとんどわかりません。「えっ、こんな」っていう感じの連続であります。
 では、わずかな投資で莫大な利益を上げることが可能になると、どのようなことが起こるのか。さきほど「たまごっち」の女性ソフト技術屋さんのお話をしましたが、優秀なエンジニア1人と普通のエンジニア100人がいた場合、優秀な1人のほうが、企業にとって価値を持つようになります。そういう時代にこれから入っていかざるを得ません。情報通信のソフトの分野では。
 企業経営にとっておっかないのは、「一発逆転」があることです。市場でシェア1番になったって喜んでいると、ライバルメーカーがそれに代わる新しいものを出し、それが一夜にして意味を持たなくなることがあります。
 私たちの技術開発の基本は、先に行った技術をいかに陳腐化させるかということです。そして、よそがやれるようになったら、自分のところは次のものを出しているという考え方に、なっていかざるを得ないのです。いいか悪いかは別にして、そういうことであります。
 それから、手を緩めると所得格差が拡大します。この間もNHKでやっていましたが、シリコンバレーでメーカーに勤めていながら、家賃が高いためにホームレスをしている人がいます。家賃は急騰して25万円ぐらいだと言っていましたから、普通に勤めているサラリーマンでは、とても家が借りられない。

忍び寄る「負の効果」

 次に、ITを活用することによる生産性の向上についてですが、在庫管理、電子取引、生産と生活の場が身近になるということで、顕著になります。ただ、影の部分は間違いなくあり、4ページ(資料3)に忍び寄る「負の効果」として、いくつかあげています。
 まず、アクセスだけではあんまり問題ないんですが、1度マスコミに取り上げられると、圧倒的にアクセス数が増大するということがあります。東芝のクレーマー事件がそうですし、近くでは、自民党の加藤(紘一)さんのインターネットを新聞やテレビが取り上げたとたん、アクセス数が増大していくということがありました。
 それから、「大企業は悪いに決まっている」という印象が、日本の場合、非常に強うございます。そういう部分で言うと、インターネットが企業の悪いイメージを増幅させていくことが、起きてくるでしょう。
 インターネットで一番嫌らしいのは、自分に有利な点だけを強調できることです。おかしいと言ったその人のホームページにアクセスし、書き込みをすることが、すべてできるわけではありません。いわば「言いっ放し」ができるという弊害があります。
 最近とみに多くなったのが、企業における正社員の内部告発であります。企業への忠誠心がなくなったとか、いろいろ経営者の方はおっしゃるんですが、かつて私が東芝に入ったときは、会社のボールペンを1本持ち出すのに、警備室の前を通るときビクビクしたものです。しかし、今はパソコンを家と会社に持ち歩く時代であります。会社のもの、自分のものという公私の区分は、経営者の皆さんが育ったころの環境とは決定的に違っています。これは、会社の中で知り得たことを外に漏らすなんていうことに、何の抵抗もないという時代への変化であります。
 また、昔みたいに、労使が寄ってたかって企業の不祥事を覆い隠そうとすると、それがばれたときのほうがはるかに問題が大きい。そういう時代に入っていることを、労使は気づかないといけません。職場に何か問題があったとき、労使が一緒になって表に出ないようになんてすることは、これからは絶対にできません。むしろ、悪い問題が起きたら起きたで、最初から謝るぐらいの決断をしないといけない。うそをついてばれたときのほうが、はるかに問題が大きくなるということに、気づくべきでありましょう。企業別労働組合は、こうした問題を深刻に受け止めておかないといけないだろうと思います。

社内メールの傍聴は合法か

 われわれがパソコンでアクセスすると、実はそのアクセスすることによって、自分がどういう人間かということが、わかってしまいます。レジュメでは花粉症の人の例を取り上げていますけれども、Aさんはこういう人だということが、知らず知らずの間に漏れていく。ですから、業者が名簿を売る以外に、アクセスのしかたによって個人情報が漏れるということを、われわれは知っておかないといけないでしょう。
 それから、社内において社員が行うメールを傍聴した場合、違法か合法かという問題があります。アメリカでは、すべて合法ということです。社内メールの監視ソフトもできていますし、裁判で提訴した従業員側はいずれも負けています。監視ソフトを入れることによって、従業員が会社に対して不信感を持つとすれば、それが会社の経営にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。また、IBMでは、時間中に違法サイト、風俗サイトにアクセスした場合、懲戒対象になることを就業規則で明確にしています。
 IT化がどんどん社内や家庭に入ってきたとき、このようなことを私たちは考えておかないといけません。また、それによって、労使関係上の新しい問題も起こり得るということです。

消えゆく中間管理職

 今後の大きな流れとしては、電子取引、メーカーと消費者との直接的な取引によって、「中卸」という職種がなくなっていくのかということがあります。そして、いわば宅急便が栄えていく。
 会社の中で社長にメールで直接言うことができれば、小規模な企業における中間管理職はほとんど不要になります。大企業においても、中間管理職は半減できます。すでに電機の場合、大手メーカー各社の中間管理職は、2年前から半減しています。
 そのときの労使関係上の問題は、部下を持たない管理職を組合員にするかどうかでした。日本の企業社会では、「課長になる、非組合員になるから君は頑張れよ」と役職任命をし、それをモラールアップの道具に使ってきました。ですので、これを外すとやる気をなくしてしまいます。しかし、役職制度を社内のステータスに使うということは、これからあまり意味を持たなくなってくるのではないだろうかと、私たちは見ております。

「集中と選択」の徹底

 6ページ(資料4)以降は、IT化が企業経営に具体的にどういう影響を与えているか、与えていくだろうかということであります。(5)の組織のフラット化というのは、今の中間管理職の問題であります。
 あれもこれもやっている、いわゆるデパート方式のところは、必ずしも機能しなくなります。スケールメリットとか、大きいことはいいことだということが、むしろ足かせになる時代です。そうなると、事業計画における集中と選択というものが、徹底的になされていく。
 電機産業におけるライバル会社を含めた技術提携、資本提携、分社化もそうです。きのうまで不倶戴天のライバルとしてきた日立と東芝が、原子力発電で同じ会社をつくる。そして、そこでは日立と東芝が手を握るけれども、こっちの分野では、日立とNECが、あるいは東芝と富士通が手を握る。
 この間、うちの担当者に技術提携、資本提携の相関図を、大手企業だけでいいからつくってみてくれと頼んだら、「クモの巣以上だから書けません」と言われました。それだけ、業種の大括りだけではなく、個々の製品ごとに、さまざまな企業の連携等が、活発に行われているということです。
 そうなると今度は、産業の中における企業の枠を越えた人の移動をどう考えるかということについて、電機連合という産別組織として、考えないといけないわけです。あるいは、さきほども言いました企業倫理、危機管理などさまざまな問題が、これからの企業経営に起きてくる。その中で、労使関係に及ぼすものはいったい何なのかということで拾い上げたのが、次の7ページ(資料5)です。

職場の仕事に裁量性を

 1つは、働き方の問題であります。例えば、経理という事務にしても、何も経理の担当者が会社に行くことはありません。伝票を家のパソコンに送ってもらい、家で仕事をして、3時なら3時までにまとめて、いわゆる経理の本体に送り返せばいいということになります。コンベアや機械など生産手段を有している場所へ行かないと仕事にならない仕事は別ですが、間接部門は、在宅勤務の余地が拡大していくでしょう。在宅勤務のいい面としては、例えば女性労働者の職場進出を促しますし、育児と業務の両立が可能になります。
 一方では、裁量労働をどう考えるかという側面が、必要になってきます。それで、職場の安全衛生、健康管理をどうするかということを、今から労働組合は考えておかないといけません。裁量労働はサービス労働の温床だから反対とだけ言っているようでは、おかしいのではないでしょうか。
 確かに私は、裁量労働がそういう側面を持っていることを否定しません。しかし人が働く以上、自分のやっている仕事に、いかに裁量性を持たせるかということは、労働組合運動にとって重要な仕事だと思っています。チャップリンの「モダンタイムズ」じゃありませんが、会社の時間管理のもとで、言われたことだけの仕事をして定年を迎えるのが幸せなのか。人生の過半を過ごす会社生活の中で、労働を通じながら自分自身を高めていくとか、やりがいや生きがいを感じるという精神的な側面を重視すれば、いかに会社の仕事の中に裁量性を持たせるかを求めていくのが労働組合運動なのだと、私たちは思っているわけであります。
 しかし、現実にそういう制度を入れたとき、この間の電通の過労死問題ではありませんが、悪乗りする経営者がいて、裁量労働をいいことに毎晩、毎晩の徹夜でこき使うということがあってはならないことについて、異論はありません。
 そういう制度を入れて、レアケースとして悪用する経営者が出るということは、現実に起こります。ただ、そのレアケースの状態がでてきたことによって、裁量制度そのものを否定すべきではないと思います。人が人として働く以上、裁量労働は正しいと思っているわけです。正しいけれども、悪用されるとすれば、その悪用をどうやって止めるか。どうやってそのマイナスを減らしていくかということに全力を上げるのが、労働組合の仕事であって、だから裁量労働がだめだという論理は、こからの時代に成り立たないと思っています。

問題点の多いストックオプション制度

 評価主義の場合も、どのように評価するのか、労働組合がどうかかわり合うのかということを、組合運動の中心に据えるべきだということになります。評価主義でも、能力主義でも、実力主義でも、査定主義でも何でもいいんですが、そういう賃金制度をつくる場合、労使協議をして、どのようなフレームをつくるのか。いかにその運営が公正に行われ、透明性、客観性を保つのか。納得性を得るのか。だれでも、一生懸命働いたって結果に結びつかないようなことがあります。これは私たちも日常の仕事の中で経験しているわけですが、そういうときに、苦情処理のケア活動をどうするのか。労働組合はそういうところに、全力を費やすべきではないかということであります。
 それから、処遇条件の中では、いかにしてやる気、モラールを上げるかということが、大切になってきます。ただし、今はやりのストックオプションについては、労働組合はもっと関心を持ち、止めるんなら今のうちに止めておかないといけないと思います。ストックオプションというのは、いわば会社が恣意的に行える処遇制度で、株を配るだけでいいわけですから、決算のときも問題になりません。ましてや労使交渉のときにも問題にならない。社内にそのような制度をつくることに、労働組合が指をくわえて見ていることは、断じて容認されないだろうと思います。

人材のミスマッチが顕著な時代に

 IT技術を持った人は、そんなにマーケットにいないと言われます。今は失業率4.7%ですが、IT技術関係の求人は実は4倍で、引く手あまたであります。将来の日本が少子化になっても、失業率があまり落ちないだろうと思う最大の理由は、能力のミスマッチがもっと顕著になるということがあるからです。企業、あるいは産業にとって、必要だと思う人は足りない。しかし、代替がきくような仕事の人は余っている。こうしたことが顕著に出始めていることを、組合は考えておかないといけないだろうと思います。
 社内でOJTだとか、社内教育が大事だと経営者がおっしゃってくれるのはありがたいのですが、しかし、いくらそうやって教育して、優秀にしたからといって、その人が定着する可能性は少ない。そこが、これからの企業経営者が一番頭を悩ますところだと思います。高い専門的な能力を持っている人は、処遇をちょっと間違えたらもう転職する。これからは、ますますそういう人が増えてくるでしょう。転職の中には、「隣の庭はきれいに見える」式に辞めていく早まった考え方もあるでしょうが、そういうことを考えておかないといけません。
 レジュメ7ページ(資料5)の(3)に派遣労働者について書いてありますが、今までの派遣労働は、わが社のここの分野が3人足りないから、派遣で3人受け取るという程度でした。これからはむしろ、仕事を丸ごと派遣会社にお願いする、アウトソーシングする傾向がだんだん強まります。それは当然、社内における正規社員の減少を招くわけであります。
 それから、8ページ(資料5)に移りまして、いわゆる在宅でできる作業が、自分の会社にどのぐらいあるのかということです。インターネットなどを使うことによって、在宅勤務が可能になる作業が、どのぐらいあるのか。そういうことが、絶えず問題になるでしょう。

デジタル・デバイドの背後にあるもの

 俗に言うデジタル・デバイドについてですが、一番困ったところは、その本人が自分はデジタル・デバイドだと思っていないことであります。自分はもう命令するだけで、部下や秘書にやらせている。パソコンを使わない人は、情報を活用したらどのぐらいのことをやれるのか、ほとんどわかりません。使ってみないとわからない部分もあります。
 電機連合ではサイボウズで、中のものは全部LANで、ひとりひとりがいちいち打ち合わせをする時間を、もうほとんどとらないようにしてあります。そういうものを活用すると、どう変わっていくのか。さまざまな専門部でいま何をしているかということが、瞬時にわかるようになると、仕事のしかた全体が変わっていきます。そして、作業者の意識をも変えていくという側面が、もうはっきり出始めているわけです。
 もっと困るのは、自分がわからないのは、よく教えてくれないからだと、人のせいにする人たちです。まあ、われわれの年代の人はみんなそうなのでありますが、若い人たちはそんなことではなく、自分から率先していろいろなことを探求します。中高年者と若い人たちとでは、この意識の差が決定的に大きいと思うのであります。
 それから、いずれ問題になるんでしょうが、単純労働は別にして、技術屋さんの外国人労働者問題があります。本当に優秀なエンジニアが日本に来るのかというのが、実は心配なのであります。どうもいろいろ聞くと、やっぱりシリコンバレーに憧れるということでした。
 この前NHKでやっていましたけれども、インドのサンスクリット語の文法が、非常にコンピューターに向いているというお話でした。だからインドは潜在的に数学などに強いんだと。
 いまシリコンバレーの技術屋さんは、約4割がインド人だと言われています。アメリカのビザ発給者を出生国順に見るとこういう状態でありますから(レジュメ8ページ参照)、いかにアメリカが、インドのIT技術屋を呼んでいるかということです。
 これに比べれば、日本はまだまだ知れたもので、富士通、NEC等で数十名程度であります。今そこではソフト開発専門の子会社をつくって、ぜんぶ外国人労働者の技術屋さんでやってもらうという仕組みをとっています。

ルールの明確化で、社会的に安心できる仕組みを

 次の9ページ(資料6)は、マクロ面から見て、IT革命・情報化時代が労働運動にどういう問題を与えるかということです。さきほどもいくつか申し上げましたが、人材のミスマッチが最大の課題です。このため、連合、労働組合は、職業訓練に最大の力を注いでいかないといけません。
 しかし、そういうことがあっても、現実にはうまく機能しないわけで、どうしても救えないものが出てきたときのため、社会的に安心できる仕組みをつくっておく必要があるのではないかと、私たちは思うのであります。
 失業保険の問題や、職業訓練に大きくお金を割くべきだという考え方もありますが、働く意欲と健康さえあれば、失業しても再就職が可能になるような仕組みを、経済全体の中でどうやってつくっていくかということについて、政府も、経営者団体も考えておくべきではないでしょうか。もちろん、労働組合としてもであります。
 表現のしかたとして適切ではありませんが、失業率がいくら高くても、失業者がローテーションしているうちは、社会的には大きな問題になりません。問題なのは、1人の人が1年も2年もずっと失業を続けていくことであって、大体1年ぐらいしたら再就職が可能だよというシステムができていれば、例えば失業率が8%でも9%でも、私はそんな大きな社会問題にはならないと思っています。そういう仕組み、システムを、日本の社会の中につくっておく必要があります。
 さきほど雇用延長、エイジレスと雇用調整の話をしましたけれども、企業が人を採用した以上は、その人を解雇するとき、例えば3年間分の賃金は絶対保障しないといけないとか、逆に言えば保障したら解雇してもいいとか、それだけでいいという意味じゃないですよ、そういうルールを明確にしておくべきではないでしょうか。
 整理解雇の4要件というのがありますが、私に言わせれば、労働基準法上は1カ月間の予告手当を払えば、人を解雇していいわけです。それが不当だと訴えたとき、たまたま今の裁判官がそういうことを基準に考えてくれるだけで、これから失業率が5とか6になったら、「今の時代、そのぐらいで首を切られるのは当たり前でしょう」という社会通念ができ上がる。それは、もう目に見えているわけであります。
 そうなったとき、最近の裁判は反動だって非難してもしようがないわけです。ルールじゃないわけですから。慣行法だと言いますけれども、この間の根保証の保証金担保の問題だってそうです。過去ずっと、根保証の保証人として、はんこを押した以上は、その債務者が新しい借金を借りたとき、保証人もずっとついて回るということでした。それが、つい1年ぐらい前にそうではなくなった。やっと、そういう社会になったということです。判例というのは、社会が変化すると変わるものだと思っています。そういう意味からいけば、もっと明確にルール化しておくべきだと思います。

苦情処理をいかにして行うか

 労働形態の面からいきますと、結果の平等、機会の平等、均等化をどうやって、それぞれの個別企業の中で、システムとして担保できるかということです。企業別労働組合は、もう少しきめ細かな配慮をしなくてはいけません。ITが取り入れられることによって、これから、ますます職場の仕事自体が細分化されていく。その場合の労働条件のあり方などについて、今から手を打っておく必要があるのではないかと思っています。
 そして、一番大きな問題は、苦情処理をいかに行うかということです。レジュメに「対応を誤れば、すぐに外部に訴えられる時代」と書いてありますけど、これはもう電機連合がそうなのであります。全国一般(全国一般労働組合)がインターネット上の「お助けネット」で、一般の相談を受けているんですが、そこに電機連合の組合員が殺到しているわけです。苦情で。わが組合に言っても取り上げてくれないから、松井(保彦・全国一般)顧問のところへ行っちゃう。恥ずかしい限りです。
 ただ、そういう苦情が多く出るということは、それだけ変化のスピードが速いことの証明です。だから、まあ、いいんですとは言いませんけれども、苦情が多いということは、やむを得ないと思います。今までのやり方から180度変わることによって、人間の意識がついていけず、悩みが多くなることはしようがない。そういう苦情をよそでなく、自分のところ、社内で解決できる仕組みを、労働組合はもっと考えないといけないのではないか。これは、企業別労働組合の弱点なのかもしれません。
 それから、インターネットを労働組合運動がどう使うかということについて、そろそろ考えないといけない時代です。
 余談ですが、連合が来春闘の白書のゲラ刷りを配ってきたとき、ぜんぶに文句をつけたからいいんですが、ITに触れたところで、生活においても会社においても、あまり大きな影響は持たないと書いてあるから、何を考えているんですかと。そこだけはさすがに書きかえてもらいましたけれども、労働組合の運動は、やはり従来の塀の中の労働運動、現場労働者の労働運動の残滓を、引きずり過ぎているのではないかと思います。今ご紹介しましたように、全国一般がインターネットユニオンを立ち上げていますが、そういう構想について、連合の取り組みはきわめて遅々として進んでいません。

めざすのは「頼りがいのある労働組合」

 職業訓練の必要性、重大性についても同様であります。IT革命がどんどん進行し、企業の中においても、日常の私たちの生活の中においても、それが進んできたとき、組合員の意識変化、個人の自立意識の高揚が起きます。そのとき、労働組合の団結と組合員ひとりひとりの価値観、多様性の調和とをどう図るか。そういう対応策を急がないといけないと思っているわけです。
 では、私たち労働組合はこれから、従業員の生涯設計にいかにかかわっていくのか。不平や不満だけを聞いてくれる組織ではなくて、例えば、ある組合員が、自分はこの仕事に向いているとか向いていないとか、そういうことが相談に行けるような、頼りがいのある労働組合になっていかなければならないだろうと考えています。
 そして、転職も前提に考えた、配置転換を含む適職への助言、その従業員が、人間として、労働者として、どう成長していくかということについての助言を行うのです。それは、退職後の把握まで含め、生涯にわたって1人の生活に労働組合がどうかかわっていくのかという新しい視点が、運動に必要になってくるということです。

重要なメンタルヘルス対策

 家庭生活ひとつを見ても、メンタルな悩みは絶対増えてくるはずです。つまり、モノの価値より精神的なものに価値を見出す時代になれば、当然人は悩むわけです。大きな時代の変化、価値観の転換のとき、日本で宗教ブームが起きてきたというのは、歴史が証明しています。「何で京都大学を出たあんな優秀な技術屋さんがオウム真理教に入るのか」と言われますけれども、ちょうどそれは、自分自身を問われる、スポーツマンやタレントの大半といっていいぐらいの人が、宗教団体に入っているのと一緒なのであります。人がひとりで生きていく部分の弱さを、そういう宗教団体が吸収するのです。
 では、なぜ労働組合が吸収できないのか。そういう精神的な依存を労働組合が受け入れられないことが問題だと考えれば、これから重要になるのが、メンタルヘルス活動ということになります。そこで、電機連合ではメンタルヘルスの相談窓口を設けました。
 そして、メンタルヘルスの電話相談を設けたら、意外に法律相談が多いのです。このため、法律的な相談について、全国に顧問弁護士のネットワークをつくろうということで、今年の7月からそれを取り入れました。
 また、行政上の問題については、組合費とは別に、個人拠出で年間2000円の地域改革フォーラムなどをつくっています。そこで、個々の行政上の問題について、紹介された議員との連携で解決を図っていく。介護・介助のボランティアのネットワークも、その改革フォーラムでつくろうということで立ち上げます。
 共済制度にしても、結婚や出産などのいわゆる慶び事には一切出さないで、ご不幸に遭ったときの給付を厚くしようということで、充実を図ります。
 そうすると、家庭生活で困ったときの精神的な悩み、法律的な悩み、行政上の問題、または、何か事故に遭ったときのことなどを網羅できます。すると、個人の生活はほぼこれで、電機連合としてカバーできるのではないかと考えています。
 逆に言えば、一生、会社からよく処遇され、苦情もなく、災害にも遭わず、精神的な相談もしない、法律相談も必要ないという人にとって、電機連合の高い組合費はむだ掛けになります。しかし、そこでまた得意の精神論なんですが、だからこそ幸せだったんじゃないのかと。そのあなたの幸せのお金で、困った組合員が助けられた、これが連帯なのではないかという考え方になります。

労働組合の統一性はミニマムで

 あと、賃金など労働条件については、ナショナルセンターが国のミニマムを決めていく。そして、その上に電機連合という電機産業のミニマムを決めていきます。その際のミニマムとは、ある意味で、それ以下ではその会社をつぶしてもいい、つぶれてもいいという考え方です。
 これからその水準を議論しようとしているわけですが、世の中全体から見て、電機連合の言う数字が当たり前だと思われないと困るわけです。労働組合の勝手な水準だと言われては困るわけですから。そういう意味では、社会的な政労使の合意システムづくりが、連合マターにおいても、どの部分においても、非常にこれからは必要に迫られてくると思います。
 ミニマムを決めるときには、中小と大手の格差問題がついて回ります。厳密な比較が必要だということから、職種別の賃金というものを第5次賃金政策で打ち出しています。そして、電機産業全体の職種別賃金のミニマムを決め、それに達しないところは、自動的にストライキに入ってもらうという仕組みを、これからつくろうとしています。ミニマムの例で言いますと、一時金についてですが、業績連動方式を入れようが、交渉しようが、ともかく電機産業のミニマムは4カ月であるということを決めて、今やっています。
 雇用延長の問題では、電機連合に入っているからといって、各企業が金太郎飴みたいに、そろえる必要はありませんということにしました。松下電器には松下電器のやり方があり、日立には日立のやり方があるわけですから。
 では、電機連合の統一性をどこで保つのかということですが、それは3つの条件だけですと。1つは、本人希望が優先されること。2つ目は、組合員であること。3つ目は、正社員に準じた安定した身分であること。この3つの条件さえ満たせば、60歳以降の勤め方は、例えば1日おきであろうと、10時~15時であろうと、処遇、給料を半分にしようが、3分の1にしようが、当該の企業別労使が決めなさいと。電機連合は一切そこに拘束性を持たせないことにしました。
 それで、電機の60歳以上の雇用延長制度は、回答指定日に回答する「17中闘」で、17通りのケースが生まれることになりました。それぞれの企業の置かれた状況、仕事や業種などさまざまなことを考ますと、電機連合で、給料はこうじゃないといけない、こういうシステムじゃなきゃいけないと言っていたら、おそらく各社そろっての雇用延長は実現できなかったんだろうと思うのであります。
 これが、労働組合としての統一性、産別で言えば、産別としての統一性と単組の多様性とをどうやって調和させるか、組合員レベルで言えば、労働組合の言う団結と、ひとりひとりの組合員の多様性とでどうやって整合性をとるかという、新しい時代の労働組合運動のあり方ではないかと思います。
 亡くなった連合の初代事務局長の山田精吾さんがおっしゃっていた「十人十色の幸せ探し」、私はすばらしい言葉だと思っています。今まで労働組合の団結というのは、10人いたら10人勝手なことを言ってはだめでした。しかし、これからは、ひとつひとつの生き方や考え方について、組合運動の中でまとめていくことを否定するわけではありませんが、すべてを満足させるような労働組合運動にしていかなければなりません。
 これはIT化と無縁のようですが、実はIT化が進めば進むほど、さきほど言った個々の人たちの物の考え、自立心というものが、絶対的に強くなってきます。自分はこうだという考え方が、必然的に日常のインターネットを通じながら強くなっていく。運動の中では、そういう部分を大いに活かさないといけないと思います。
 レジュメ2ページ目の末尾に四角で囲っておきましたが、ニュービジネスと言ったって、アメリカでも成功するのはせいぜい1~2%。それから、能力主義、業績評価主義を一生懸命入れていますけど、恵まれる人はせいぜい2~3割です。労働組合は、大多数である7~8割の人たちを、どうするかということについて考えないといけません。しかし、一方では、能力主義を入れないと、これからの技術中心主義の中でモラールが下がります。
 会社にとって必要で高条件の人と、そうじゃない人の平均をとって、わが社の賃金は平均こうですと言っても、何の意味があるんだということに気がつかないといけません。そういう意味で統一性を保つため、これからの労働組合運動はすべてミニマムになっていく。ミニマムから上をどういうやり方にしていくのかということについて、それぞれの産別で工夫していく必要があります。

ネットワーク型組織への転換を

 アウトソーシングや非正規社員の拡大で、パートタイマーは10年前の2倍になり、正規社員はどんどん減っています。こういう状況の中で、労働組合が、メンバーズクラブからいかに社会的な規範団体に脱却していけるのか。こういう話をすると、ヨーロッパと違って規範拘束力、適用拡張能力がないとか、いろいろなことを言う方がいらっしゃるんですが、大体そんなことをやる気がないわけですから、そういうことについても、労働組合はこれから考えていかないといけません。
 そして極端に言えば、ひとりひとりが、ばらばらになっていくときに、労働組合の組織がピラミッド型でいいのか。いま産別統合が大はやりですが、規模を大きくしてしまえばしまうほど、細かいところに目配りがいかないわけです。そういう部分でも、新しい組織論が出てきていい。むしろ、ネットワーク型の労働組合組織があってもいいかと思います。
 それから、日常活動で今日は職場大会だから集まれと言ったところで、いやいや、今日あの人は裁量労働だ、フレックスだ、やれ在宅勤務だということで、いわゆる「生産現場の集まれ労働運動」というのは、もう体をなし得ない。そういうことを考えたとき、どういうやり方をとっていくのか考えないといけません。
 あるいは処遇について、結果の平等、機会の平等と言いますけれども、やはり成果を上げたら報われる制度と同時に、一生懸命やって結果に結びつかないときでも、それが労使のシステムによってきちっと保障される、救われるということが、必要なのではないでしょうか。
 雇用では、将来的に差別の問題を考えたとき、それが時代の流れだとすれば、エイジレスな制度を入れることによって、新しい雇用調整のあり方を、それはアメリカのレイオフ制度がいいという意味ではなくて、考えておく必要があるのではないかということになります。

労使関係の安定に不可欠な「3つの信頼関係」

 労使関係から見ると、個人の主観が労働組合の方針より優先されるということになれば、組織労働者の中から個別紛争処理の問題が必ずや出てきます。今はまだ、さきほどご紹介しましたように、よその組合のインターネットに行く程度ですが、そのうち、それだけではおさまらなくなります。それはもう目に見えているわけであります。しかも、やっかいなのは、今までは「まあまあ君、そう言うけど、まわりはこうじゃないか」ということで納得してもらえたのが、それでは納得しない人たちが増えてくるということです。
 そういう中で、集団としての労働組合運動は、おそらく今までのままでは機能しない。これからの労使関係の安定は、労使の役員同士の信頼関係、それから職場の職制上の上長と部下との信頼関係、そして労働組合のわれわれ役員と組合員の信頼関係、この3つの信頼関係ができない限り、絶対的にあり得ません。
 労使の幹部同士がいかに仲がよくても、職場の上長と部下は不信だらけであるとか、あるいはこの2つの信頼関係ができていても、組合のリーダーが組合員から何も信頼されていないとしたら、労使関係の安定はもうあり得ないということです。これからは、もっとこの傾向が顕著になり、絶対不可欠な労使関係の安定要因になるのではないかと思います。
 モラルハザードが、いま食品会社とか、電機会社でも出しましたが、単に業務上のモラルハザードだけではもう済まなくなる。労働組合がこうした時代を見越して、労使関係はこうあらねばならない、労働組合もこう変えていこうといったとき、経営者のたった1つのミスが、その労働組合運動のあり方を根本から否定することになるのです。
 電機連合がいろいろなことを言ったところで、「日経連電機連合支部」なんてやゆされてもいるわけですが、何か1つ問題が起きると、「電機連合みたいなやり方をしているから、経営者が甘えて問題を起こすんだ」、「悪のりする経営者が出るんだ」と言われてしまう。
 ですが、ここでもし、われわれが「一生懸命変えようとしてもむだなのか」となってしまったら、ちっともよくなりません。多少人から悪口を言われるほうが、やりがいがあるということで、これは性格もありますけれども、懲りずにやっているわけであります。ここに経営者の方もいらっしゃいますが、労使関係に携わっている以外の経営幹部の皆さんも、やはり絶えず、自分たちの事業活動が労使関係にどういう影響を与えているかということについて、考えながらやっていただければありがたいと思います。

質 疑 応 答

【質 問】 企業内組合ということを再三おっしゃていましたけれども、ヨーロッパやアメリカの場合はみんなそうですが、企業の外側に組合本部があり、組合員が個人加盟で入る。そして、企業外の組合本部から、ストをやるにしても交渉をやるにしても、全部指示が出る。こういう中で、失業者を抱えて、その組織が機能しています。職業紹介などで組合員を守っていくということで。
 また、海員組合(全日本海員組合)では、ガイドラインの問題で、1人の組合員が現地へ行って死ぬ危険に遭うということであったら、その組合員に業務に従えという命令はしない、絶対行かせないということを言っていました。
 命にかかわる仕事以外でも、1人の組合員が、いわゆる生活を奪われようとしたとき、電機連合では、どういう対応をとられるのでしょうか。それと、産業別単一組織に変えていく意欲がおありかどうか。その辺のお話をお聞かせいただければありがたいです。

【回 答】 その辺は、今の組合運動の、ある意味では一番の問題点だろうと思っています。ヨーロッパでは職能別組合が中心、アメリカでは産業別組合、日本だけが何で企業別かと。企業が東南アジアに進出するときもそうですが、いわゆる旧宗主国の労働運動論を持っていますから、タイへ行こうが、マレーシアへ行こうが、企業別組合はイエローユニオン、御用組合ということで、ほとんど相手にされません。
 ただ、労働組合の組織論というのは、もともと労働市場によって生まれてきたんだろうと思います。日本で言えば、昔の徒弟制度に代表されるように、いわゆる終身雇用型の労働市場が縦にでき上がっているわけです。労働市場が縦であれば、労働組合も縦でできるのは当然です。ヨーロッパの例えばギルドみたいに、ここの組合に入っているならば、その職能で採用されるという仕組み、日本なら全建総連(全国建設労働組合総連合)のような組合が中心の社会は、やはり職能別社会の組織論になっていく。
 企業別労働組合には、いいところと悪いところがあります。今までみたいな高度成長期、ただ日本だけのことを考えて、どんどんパイを増やし、大きくしていけばいいという時代には、企業別労働組合運動は有効に機能しました。会社の経営幹部と従業員との情報の共有化を含めて、非常にうまく機能したというプラス面はあったんだろうと思います。
 しかし、一方ではマイナス面もありまして、さまざまな社会的な事象に対する取り組みについて、「わが社だけよければいい」ということに、どうしてもなりがちなわけです。今の日本の産業別組合、電機連合でも、そういう企業別組合の集まりでしかありません。私自身、まだ東芝の籍を持っていますし、変な話ですけれども、今度電気製品を入れるとき、どこの会社の製品を入れるかでいつも悩むぐらい、それぞれ企業意識を持っちゃっているわけです。その部分で言うと、やはり日本の労働運動の原点は、企業別組合にあります。したがって、お金も人もそこに行っているというのが、現実問題としてまずあります。
 ところが、最近のように労働市場が流動化してくれば、当然のように、縦型の労働市場の分野が非常に狭くなってきます。例えば、きのう100人入って、きょう100人辞めていくことが日常的になったら、企業別労働組合は、やはり機能しなくなると思います。それと、ITが進むことによって、ひとりひとりが自立して、組織されなくても生活できるような仕組みが世の中にできてきたとき、集団としての労働組合の組織論は、がらっと変えないと、もたなくなるだろうと思います。そこで、会社を退職したら組合員でなくなる制度はおかしいという議論が、電機の中でも起こり始めています。
 また、さきほどのお話のように、インターネットユニオンは、企業の枠を超えて組織化していきます。すると、そこには産業別という概念がなくなるわけです。入った人たちの職種に応じてグルーピングするような形での、インターネットユニオンに変えていかざるを得ない。産業というくくりだけでは無理ではないかということで、やっと議論が始まったところです。
 わが社だけよければいいという発想で企業別組合があり、その集団としての産業別組合ですから、ご指摘のようなことがあったとき、とても電機の場合は海員組合さんみたいに、例で挙げられたようなことまで決断できるかといったら、私は自信ありません。例えば、何か社会的な問題があったときに、個別企業の利害を超えて、それはだめだよと言えるかというと、なかなか私は自信がない。正直にそれは申し上げておきます。ただ、いずれ、そういうものを克服していかないと、これからの時代の日本の労働組合運動は、残り得ないのではないかと思っています。

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