JILPTリサーチアイ 第24回
日本型雇用システムと解雇権濫用法理の形成

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研究所長 濱口 桂一郎

2017年12月15日(金曜)掲載

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雇用システムと労働法との関係は単純ではない。事実認識の社会科学としての産業社会学や労働経済学が現実の雇用社会をもとに構築してきた日本型雇用システムの理論は、少なくともある時期までは価値判断に基づく規範の体系としての法解釈学たる労働法学とは縁が薄かった。しかしながら一方で、労働法学が現実の雇用社会で生起する諸事象に対し裁判所が下した判断の集積である判例を踏まえた議論を展開するようになればなるほど、それはそれら諸事象が生起した文脈である雇用システムのロジックに関心を向けざるを得なくなる。かかる労働法学からの雇用システムへの関心を集約したのが、菅野和夫『雇用社会の法』(有斐閣、1996年。2002年新版)であった。同書は日本型雇用社会を長期雇用システムを中心としたものと捉え、身分的包括的雇用関係、組織的集団的雇用関係といった特徴を引き出しつつ、それを表す法的ルールとして解雇権濫用法理が示されている。

この認識は必ずしも間違っているわけではないが、これをやや安直に理解して、解雇への制約の存在を日本型雇用システムの最大の特徴と捉えることは、アメリカ以外の欧米先進諸国との比較法の観点から見てもあまり適切とは言えない。比較法的にはアメリカのみが解雇自由原則を未だに維持しているという点で特殊であり、他の欧米諸国では程度の差はあれ解雇に正当事由を要求する法制が発達してきている。この観点からすれば、欧米諸国では立法によって展開されてきた解雇に対する規制が、立法を経ることなく、もっぱら裁判所における判例の蓄積によって進められてきた点に日本の特徴があるといえる。解雇権濫用法理と日本型雇用システムを単純に同一視する発想は、解雇自由なアメリカという特殊例を普遍的なものと考える点で誤っているのみならず、日本型雇用システムの変容が不可避的に解雇規制の緩和に帰結するかのごとき認識をもたらしかねない点で危険性を孕んでいると思われる。

そこで、JILPTが第3期研究計画期間において取り組んできた「雇用システムと法」プロジェクトの一環として、筆者は解雇権濫用法理の歴史的形成過程を分析することにより、日本型雇用システムと解雇権濫用法理の関係を発生論的に明らかにすることを試みた。その結果は、JILPT Discussion Paper 17-03『日本型雇用システムと解雇権濫用法理の形成』として取りまとめたところである。以下、その概要をできるだけわかりやすく解説したい。

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1945年に制定された旧労働組合法は、「使用者ハ労働者ガ労働組合ノ組合員タルノ故ヲ以テ之ヲ解雇シ其ノ他之ニ対シ不利益ナル取扱ヲ為スコトヲ得ズ」(第11条)と不公正労働行為たる解雇を禁止したが、その効果としては直罰主義を取り、無効構成とはしなかった。そのため刑事事件として有罪判決が確定しても、直ちに民事上の効力を有さないため、復職するためには別途民事訴訟を起こす必要があった。鶴岡東宝事件では山形地裁鶴岡支部(昭和23年5月27日)、仙台高裁(昭和24年12月16日)と有罪判決を下しているが、労働組合側は別途仮処分申請を行い、山形地裁鶴岡支部は昭和23年11月24日に地位保全を認める判決を下している(労働関係民事事件裁判集2号38頁)。この判決において、「強行法規である右労働組合法第十一条に違反する前示解雇の申入は法律上当然に無効のものと解しなければならない」とされたのが、不公正労働行為たる解雇を民事上無効とした最初の判決であり、これが1949年改正労働組合法下においても受け継がれていくこととなる。

労働組合法は1949年に全面改正され、それまでの解雇等不利益取扱いに加えて団体交渉拒否や支配介入をも「不当労働行為」という枠組みに取り入れ、それまでの直罰主義を改めて、労働委員会による救済命令方式をとった。これにより原職復帰を含む救済命令を発する権限が規定されたため、直罰時代の解雇無効判決とも相まって、不当労働行為たる解雇は無効であるという考え方が一般化していった。

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日本で下級審レベルで解雇権濫用法理が形成され、確立していったのは1950年代であった。この時期における解雇権濫用法理の形成過程を詳細に分析したのは劉志鵬『日本労働法における解雇権濫用法理の形成-戦後から昭和35年までの裁判例を中心として』(国際労働法フォーラム、1999年)である。それによると、1950年代前半期には解雇自由説、解雇権濫用説、正当事由説が拮抗していたが、1950年代後半期になると圧倒的に解雇権濫用説が主流になっていった。

民事訴訟の基本原則からすれば、正当事由説を採れば使用者側に立証責任が課せられるのに対して、権利濫用説を採れば労働者側が立証責任を負い、この点に両説の違いが生ずることになるはずであるが、日本冷蔵事件(仙台地判昭25年5月22日労民集1巻3号391頁)は権利濫用説を採りながらも、「一般に不当な解雇であることを被解雇者側において立証するのは甚だ困難であるが、これに較べると、会社側においてその正当性を立証するのは容易であるから、本件においても解雇の正当性については被申請会社においてその立証をなすべきである」と述べ、これが以後の裁判例の通常の処理方式となった。初期に東京地裁で正当事由説に立つ判決を下していた柳川真佐夫は、自らの正当事由説に取って代わって有力となった権利濫用説が、その実質において全く正当事由説と変わらないことを強調している。

しかしながら、それであれば端的に正当事由説が通説になって不思議ではないはずである。そうならずに解雇権濫用法理が通説となっていった背景事情として、レッドパージ解雇事件と駐留軍労務者解雇事件があった。前者では共産党員及びその同調者という名目で組合活動家が企業から大量に解雇された事案について、解雇有効という結論を導くために実体的にはほとんど変わらない正当事由説ではなくあえて権利濫用説を採った。とりわけ駐留軍労務者関係事件では、「軍が「保安上の理由」と称してその理由を明示しなかつたとしても、軍隊において「機密保持」の要請の存在することも否定できない」等と判示し、正当事由が明示されなくても解雇権濫用にはならないという結論を導くべく極めて特殊な状況下において解雇権濫用法理が形成されていったのである。

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しかしながら、解雇をめぐるここまでの判例法理の展開に、日本型雇用システムは明示的にその姿を現してこない。むしろ、同時期の1951年に西ドイツで解雇保護法が制定されていることを考えれば、雇用システムの如何を問わず正当性を欠く解雇を規制しようとする先進国共通の動きが、日本においては裁判所の判決という形をとったという面が強いように思われる。実定法ではなく判例法でのみ対応するという特徴を日本型雇用システムとの関係で説明することはできない。すなわち、解雇権濫用法理は、少なくともその形成確立期においては、日本型雇用システムを構成する基軸として構築されたものではないのである。

解雇を無効とする理由付けとして日本の長期雇用慣行に言及する裁判例は、1960年代になって幾つか見られるようになる。たとえば、山陽電気軌道事件(山口地下関支判昭39年5月8日労民集15巻3号453頁)は、重大な懲戒理由があっても解雇を限定すべき理由として「終身雇傭」を挙げている。一方、アメリカ企業の日本支社に雇用されたアメリカ人の解雇事案について、シンガー・ソーイング・メシーン(仮処分)事件(東京地判昭42年8月9日労民集18巻4号872頁)判決は、解雇権濫用法理を日本独自の「終身雇傭」に求めつつ、解雇権濫用法理がアメリカ人には適用されないという理屈で解雇を認めている。かかる定式化は、解雇自由を維持するアメリカ企業のアメリカ人労働者との比較においてはもっともらしく見えるが、日本型雇用システムを共有していないが解雇に対しては一定の規制を加えている欧州諸国との比較では必ずしも的確とは言いがたい。この意味で、解雇権濫用法理を日本型雇用システムによって正当化するという過度に単純化された議論のスタイルは、駐留軍労務者事案やアメリカ系外資系企業事案によって作り出された面があると言えよう。

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1970年代は先進諸国を共通に石油危機が襲い、大量の整理解雇が発生した時代である。日本ではこれに対応して下級審レベルで多くの整理解雇に関する裁判例が出され、そこからいわゆる整理解雇法理が形成されることとなる。そして、それら判決においては日本型雇用システムが理由付けとして用いられることが多く、ここで初めて雇用システムを根拠とする判例法理として確立していったものということができる。

地裁レベルの判決でも多く見られるが、最も人口に膾炙したのは東洋酸素事件控訴審判決(東京高判昭54年10月29日労民集30巻5号1002頁)であろう。同判決は「我国における労働関係は終身雇用制が原則的なものとされており、労働者は、雇用関係が永続的かつ安定したものであることを前提として長期的な生活設計を樹てるのが通例であつて、解雇は、労働者から生活の手段を奪い、あるいはその意思に反して従来より不利な労働条件による他企業への転職を余儀なくさせることがあるばかりでなく、その者の人生計画を狂わせる場合すら少なくない。したがつて、…企業運営上の必要性を理由とする使用者の解雇の自由も一定の制約を受けることを免れないものというべきであ」ると述べ、日本型雇用システムを理由とする整理解雇法理を確立させた。

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皮肉なことに、日本型雇用システムを体現する整理解雇法理それ自体は、今日に至るまで最高裁判決という形を取っておらず、厳密な意味では「判例」ではない。しかし、日本の労働法政策において解雇規制の緩和がアジェンダに上るようになった2000年以降、その焦点の一つは整理解雇法理、とりわけその第2要件(要素)とされる解雇回避努力義務の在り方をめぐるものであった。

しかしながら、公労使三者構成の労働政策審議会の議論を経て2003年に立法された労働基準法第18条の2は、整理解雇法理ではなく、解雇権濫用法理のみを忠実に条文化するものとなった。同条はその後2007年に労働契約法第16条に移動した。これらの立法の際、解雇の金銭解決制度の導入についてさまざまな提案がなされたが、結果的に何ら実現に至らなかった。そして近年再び、厚生労働省に設置された「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」において議論がなされ、2017年5月に出された報告書では、実体法上に労働者に金銭支払請求権を規定するという方向を打ち出している。

今後、労働政策審議会において再度解雇法制の在り方が議論されることとなろうが、本稿で示したような歴史的認識を踏まえてなされることを期待したい。