日本の大学は多すぎるのか?

副主任研究員 堀 有喜衣

11月初旬、大学が多すぎることを主たる理由とした(と推測される)新設大学の不認可問題が大きな社会的関心を集めた。結局はこの3大学は認可となったが、「大臣のやり方はまずかったかもしれないが、認識は正しい」という趣旨の意見が世間ではよく聞かれる。しかし本当に日本の大学は多すぎるのだろうか?今回は、「大学が多いこと」と、「学生の質の低下」や「未就職問題」との関連を少し考えてみたい。

一般的に大学が多すぎるとされる代表的な理由は、大学の増加に伴って「学生の質の低下」や「未就職問題」が生じたと考えられていることにあるようだ。もっともよく考えてみると、「大学が多い」ということがオートマティックに「学生の質の低下」「未就職」という帰結を導くわけではない。

まず大学生の「質の低下」について考えてみよう。

大学が多くなってもそれぞれの大学が入試のハードルをそれほど下げなければ、少なくとも入学段階での「質」である大学生の学力低下は起こらない。だが、ハードルが高いままだと学生が集まらなくなることが考えられる。学生数が一時的に減少しても、「質」を確保して学生をきちんと大学時代に教育し社会で高い評価を得れば、より多くの学生を集めることにつながっていくだろうが、こうした長期的な試みに多くの私立大学は経営上耐えられないだろう。

日本は私立大学の割合が国際的にもかなり高い。こうした構造のもと、学生の確保という経営的な課題に多くの私立大学が対応した結果、入試段階において学力を問わない入試が普及し、学力が低下したと認識される事態が起きたという関係性も考えられる(注1)。学生の「質の低下」を説明する際に、大学の数というのは重要だが一つの変数に過ぎないのではないだろうか。「私立大学が多いという構造」→「大学の増加」「少子化」→「何が何でも学生集め」→「大学が学力試験回避し、結果として学力低下」という構図である。

未就職についても、大学が多すぎることが学生の未就職に結びついているのかどうかはわからない。未就職は大学ランクの下位に位置づくマージナル大学で主に生じているが、マージナル大学は景気が回復しても、上位大学ほど未就職率が改善しない。アカデミックでもなければ職業教育に力を入れるわけでもないという大学教育の質における課題が、未就職率と深くかかわっていると推測される。大学での勉強の成果を評価しないという企業側の言説を背景に、「大学の増加」「少子化」→「大学進学率が高かった時代と変わらないアカデミックな大学教育」→「マージナル大学における未就職者の析出」、という見立てもできるだろう。大学が増加するにあたり職業教育的な要素の強い大学が増加していれば、今ほどマージナル大学の未就職率は高くなかったかもしれない(注2)

いずれにしても、今後の大学教育改革を論じる際に、「大学が多すぎる」ということを議論の出発点とすることには問題がある。「大学が多すぎる」という判断は、多方面にわたる実証を要するからである。例えば個人や社会にとっての大学教育の効用、知識社会化や労働市場からの需要など論点は多岐にわたるが、それぞれの観点によって望ましい大学・学生数は大きく異なることが予想される。多くの人々の関心を集めたことをひとつのきっかけとして、議論が活発化することを望みたい(注3)

注1.学力的な変化はあまりないと指摘する研究もある。舛田博之,2011,「近年における大学生の一般知的能力の経年変化」PDF『日本労働研究雑誌』No.614より)

注2.ここでは職業に直結した大学教育を受けない大学生を念頭に置いている。

注3.最新の『日本労働研究雑誌』(2012年12月号)では、「『大学』の機能分化と大卒労働市場との接続」というテーマの特集を組んでいるのでぜひご参照いただきたい。

(2012年11月30日掲載)