緊急コラム #029
コロナ禍における社会規範と価値観の多様化

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JILPT理事長、慶應義塾大学名誉教授 樋口 美雄

2023年1月6日(金曜)掲載

『WORK & LIFE 世界の労働』2022年第6号より転載
本コラムは日本ILO協議会より転載許可を得て掲載しております。

コロナ禍における意見の対立

コロナ禍において友人と話しをすると、必ずと言ってよいほど話題に上るのが政府の取るべき危機対応策である。ある人は「感染拡大防止のために政府は国民に外出を禁止すべきだ」と言う。その一方で別の人は、「いやむしろ経済を活性化させる必要がある。飲食店の休業要請を解き、GoToトラベル、GoToイートを実施し、入国規制を緩和して、人の往来を自由にすべきだ」と主張する。

リーマンショックの時にはだれもが、「何よりもまず金融市場を安定化させ、財政支出を拡大し、金利を下げて投資や消費を刺激し、内需を拡大すべきだ」と考え、皆の意見はほぼ一致していた。もちろん個人によって温度差はある。無関心の人がいれば、財政赤字に強い危機感を持ち、あまり公共事業はやらないほうがよいという人もいる。しかし政府が景気対策を実施すべきだという点においては、意見の方向性はほぼ一致していた。

ところがコロナ禍になると、そうはいかない。人々の意見は感染症拡大防止のために政府は全力を注ぐべきだという意見がある一方で、経済の活性化を優先させるべきだという考えがある。両者の意見は、人流の拡大を媒介として対立し、ほぼトレードオフの関係、二者択一の関係にある。確かにワクチンの接種や三密の回避を行えば、トレードオフの関係は緩和される。だが有効な薬が普及し、新型コロナウィルスが一般の感染症になるまでは、どちらの対策を優先させるべきか、個々人の考えが問われる。

人々は議論においてどちらの側につくのか、普段からよく考え、明確な答えを用意しておかなければならない。その選択は、本人に基礎疾患があるのか、それとも感染してもすぐに治ると考えているのかによっても異なってこよう。あるいはその人の就いている仕事の業種や職種、さらには出社しなくてもテレワークで代替できる仕事なのか、それとも対面を要する仕事なのかによっても、意見は違ってこよう。公共交通機関による通勤時間の長さ、家族の状況、家の広さはどうか。仕事を休んでも給与は補填されるのか、所得がなくても資産の取り崩しでやっていけるのか。そしてもともとその人がコロナをどの程度恐れているのか。こうした要因によって、個人の意見は異なる。

たとえ同じ会社に勤めていようとも、人によって考えは違うし、意見は多様である。今回の新型コロナウィルス感染症によって、個々人は改めて自分の考え方・価値観について問われることになった。

外出の自粛要請とロックダウン

政府の対策でもう一つ議論を呼んだのは、国民に求める外出抑制策である。欧米諸国では罰則付きのロックダウンを国民に命じたのに対し、日本では緊急事態宣言やまん延防止等重点措置により、不要不急の外出の「自粛」を求めた。「自粛」の場合、政府が外出禁止をはっきり命じているのと違って、個人にとって選択の余地があり、責任はすべて国にあるわけではなく、何となく柔らかさを感じる。

はたしてこのような要請で人々はそれに従うのか。外出の自粛が発せられた当初は、効果について懸念を示す声も聞かれた。だが、実際のところ多くの人は国の要請に従い、外出する人は大きく減った。ところが社会は当初の懸念とは思わぬ方向に展開し、むしろ一部の要請に従わない人に対し、いじめともいうべき社会の同調圧力が働き、ついには行動を取り締まる「自粛警察」までが登場した。

そしてこうした影響もあってか、時間の経過とともに互いに自粛することが暗黙の了解として出来上がり、いつの間にか大きな混乱を引き起こすことなしに日本社会の「規範」が作られ、人々の行動は縛られるようになった。

マスクの着用に関する社会規範間の摩擦

コロナ禍にあって、もう一つ新たな「社会規範」となったのが、マスクの着用である。日本ではもともと冬になるとマスクを着用する人がいたこともあってか、マスクの着用に欧米ほど違和感を覚えず、法令によって着用を命じなくても、人前に出る時にはマスクを着用する慣習が出来上がった。

しかしほかの国では必ずしもそうではない。たとえばドイツである。法令により、職場において必要床面積や対人間隔1.5メートルを確保できないなど特定の場合に使用者にマスク提供を義務づけ、労働者に対しても、提供されたマスクの着用を義務化するなどを内容とする、保護規則が制定され、感染状況に応じ何度か改正され対応されてきた(山本(2022))。しかしわが国では、職場における感染防止について、厚生労働省によりチェックリストの提供や業界団体によるガイドラインの作成はあったものの、基本的には法令化されなくても、社会規範に基づいて自然のうちに対応されてきた。

社会規範はあくまでもその社会に生きる人々の間において出来上がった暗黙の了解である。国が違えば、違った規範が成り立つ。その異なった規範を持った人と人との交流が再開されると、時にはその社会規範同士がぶつかり合い、摩擦を引き起こす。こうした衝突は、職場においても起こりうる。企業における暗黙の規範に戸惑う外国人社員など、しばしば目にする。

そしてその社会規範が慣習を作り出し、それがつづくと、外出時にはマスクの着用がいつの間にか当たり前のことと受け止められるようになり、マスクがないと不自然さ、そして危険を感じるようになる。そして公衆衛生上は屋外にいるときなどマスクを着ける必要がなくても、慣習としてそれを着けるのが当たり前のこととなり、ほかの人が着けていないと不安を感じたり、違和感を持ったりするようになる。他方、海外では、この場合、もはや外ではマスクを着けないでもよいことになった。その人が日本に来て、マスクを着けないことに対し注意を受けたり、旅館やレストランへの入室が断られたりすることでトラブルが生じたりする。日本政府もそうした社会規範の衝突を避けるべく、いかなる時にはマスクを着けないでよいか、細かなガイドラインを明文化する動きが見られる。

企業における規範と多様な価値観の衝突

社会規範は明文化されていないだけに、それに反したからといって、すぐに罰則が科されたりするわけではない。しかしその反面、それに従わない人に対しては同調圧力がかかり、ときにはそれによって社会から排除される可能性がある。この同調圧力が人々を社会規範に縛り付け、深い考えを持たないまま同じ行動をいつの間にか取らせるようになる(ブリントン(2022))。その反面、この同調圧力によって、社会秩序が維持される場合が多い。

社会規範は明文化されていないだけに、それを議論などによって変えていくことは容易ではない。たとえそれが、その個人にとって合理的でなくても、みんなと同じ行動を取っていれば楽に生きていくことができるからだ。このため、表面だって反対行動を起こす人は少ない。それでもその社会規範を無視して反した行動を取る人は「変人」というレッテルが貼られ、社会から排除されていく。

その一方、一般的に社会規範の基になる暗黙のルールを変えて行くには莫大なエネルギーを要する。それでも自分の価値観に基づいた行動が社会の規範と衝突すると考える人が増えてくると、いつの間にか今までの規範を当たり前のこととして主張することはできなくなり、規範は徐々に変わっていかざるを得ない。だが、それには時間がかかる。

いま、企業で働き生活している人の間で、社員はいかにあるべきかという暗黙のルールを企業規範と呼ぶならば、近年、この従来の企業規範は新しい価値観を持った人の行動としばしばぶつかり合うようになった。たとえば従来の企業規範が「会社ファースト、仕事第一主義」であったりする場合には、個人の生活を犠牲にしても仕事を優先させるのは当然であると思われた(ブリントン(2022))。そしてこうした企業規範に従う人こそが企業にとっては「正社員」であり、コア人材であると見なされた。労働者の中にはそうした企業規範に縛られることを嫌い、あるいはそれに従うことができず、ときには仕事よりも家庭を優先させ残業を断ったり、早退したりする人もいた。そうした人たちは少数派と少なくとも建前上は見なされ、正社員ではなく、「非正社員」として扱われてきた。

企業にとっても生活保障の対象となるのはこうした規範に従う正社員たちであり、こうした人たちには諸手当や賞与・退職金が支払われ、暗黙のうちに福利厚生の対象となり、人材育成もこうした正社員に限定されると暗黙のうちに想定されてきた。その一方、こうした規範に従わないとされた人たちは非正規労働者として扱われ、制度上は能力開発や生活保障、人材育成の対象とはならないといつの間にか考えられてきた。そして、定昇のないまま基本給は低く押さえられ、諸手当や賞与・退職金も支払われないままにされてきた。しかもそれは当然のことだとされ、だれもおかしいとは少なくとも言い出せなかった。

これまでは家庭を優先させる人は既婚女性に多いと考えられていた。ところが最近になると男女を問わず若者を中心に家庭生活を大事にしたいと考える人が増えている。しかも企業では正社員として採用され、コア人材として想定されている人の間でも、「自分の生活第一主義」あるいは「家庭第一主義」さらには「ワークライフバランスを優先させる」人が増えるようになった。そして「会社第一主義」の人と表面上は言い争わないまでも、心の中でしばしば対立し、衝突する人が増えている。そしてこういう人に、かつては当然と思われた残業や長時間労働、そして休日出勤を求めることは難しくなっている。

価値観が衝突した場合、原点に立ち帰り、現代の社会において、「会社第一主義」が合理的であるのか、それとも「ワークライフバランス」を尊重する人が合理的であるのか、冷静に考え直していく必要があり、人によってその答えは異なるであろう。

企業における社員の考え方を短期間で変えるには、どうしても大きな外圧が必要になる。それが人手不足下における求人を行う際の若者の考え方の変化であったり、社会の求める少子化に対する対策であったり、夫婦そろって働く際の就業の条件であったり、世界的な経済環境の変化であったりする。そして時にはそれを後押しする法令であったりする。

成熟社会になれば、自分の価値観を犠牲にしたくないと考える人が増えるのは当然のことである。人によって価値観は多様である。独身を貫こうという人がいれば、一方で子供を産み夫婦生活を楽しみたいと考える人もいる。そこでは個々人が自分の価値観を実現できるように、ともに仕事を続けキャリアを形成したいと考えるのは当然の権利となる。社会が豊かになれば、仕事と同時に家庭生活を大事にしたいと考える人が増えてくる。おまけに高度成長期のように賃金が上昇しないとなると、夫だけがその会社にしがみつき仕事を続け、妻が家庭を守っていくという生き方は不合理であり、許されなくなる。

少子化が進展する中、長期的に見ても人手不足の状況が深刻化するとなると、企業にとっても就業形態にかかわらず、労働時間の長さに関わらず、働く場所にかかわらず、だれもが意欲と能力を発揮できる状態を作っていくことが求められる。そうしたメリハリの利いた就業環境を整えたほうが、個々人のやる気は高まり、生産性は向上する。そして社会にとっても仕事と生活を両立できる状況を構築していくことが必要となる。

社会における暗黙のルール、企業規範を変えていくには、法令改正により新しい規範を後押しする力も必要であろう。そのとき、働き方改革関連法も重要な役割を演じる。かつて社会の価値観を変える啓蒙的な役割を演じる法令として挙げられたのが、たとえば1980年代の男女雇用機会均等法などがあろう。これが制定された当時は、男女の募集・採用、教育訓練、配置・昇進・福利厚生、定年・退職・解雇を均等にすることを企業に求めることは時期尚早であるという意見があった。しかし今後を見通した時、そして社会のあるべき姿を考えたとき、男女の職場における社会規範を変えていく必要があるとの考えから、啓蒙的存在かもしれないが、「男女雇用機会均等」の考えが社会に広がっていく必要があると判断され、法制化された。そして、今やそれが当たり前の社会になった。

コロナ禍で問われる「自分の生き方」と「働き方改革」

新たに法制化されたものが真に実現されていくためには、現場においてそれを実行に移す人々の考え方の改革が必要である。これがないと、企業によって制度は設けられても実行力は伴わず、画餅に終わってしまう。企業に男性育休の取得促進が義務化されようとも、取得率を上げ、真の効果を高めるためには、夫婦ともに子どもを育てていこうとする本人たちの考え方が必要であり、周囲の人たちが法制化をきっかけにそれを尊重しようとする考え方の改革が期待される。こうした考え方の変革があってこそ、男性育休の実効性は高まる。

働き方改革を実現し、多様な価値観の人が一緒に働き、生産性を向上させるには、社会規範の改革といった根の深い問題が潜んでいる。確かに法律が改正され制度はできても、それが多様な働き方を拡大し、だれもがウェルビーイングを高めることのできる働き方改革が実効性を高めるためには、こうした問題をクリアーしていかなければならない。

働き方改革関連法として、いくつもの法令が改正された。時間外労働の上限規制、勤務時間インターバル制度の導入促進、年次有給休暇の確実な取得、フレックスタイム制の拡充、高度プロフェッショナル制度の導入、雇用形態に関わらない公正な待遇の確保、同一労働同一賃金など多数の関連法が改正された。こうした制度が実効性を上げるには、それぞれの労働者の価値観、そして生き方を尊重していくといった「企業規範」を使用者と労働者、上司と部下、そして労働者の間で共有していく必要がある。

働き方改革関連法案の一つの柱として、「同一労働同一賃金」がある。同じ価値の仕事をしているのであれば、雇用形態や外見の違いにとらわれることなしに同じ賃金を支払うべきだという考え方である。すでにいくつかの企業では基本給も含め、付加価値が同じならば、同じ賃金を払うといった改革に乗り出している。たとえばある企業では、フルタイムの社員と短時間・有期雇用社員について、同一職務等級制度を適用し、同じ能力評価尺度に基づき評価され、基本給が支払われるように改定された。これにより労働者の職域は拡大し、能力発揮が促されるとともに、社員区分間の移動が円滑に行われるようになった。結婚や出産などを契機に短時間で働きたいという人たちの離職率は下がり、再びフルタイムの仕事に戻る人も増えた(水町(2022))。こうした制度が企業に根付いていくためには、どうしても経営者とともに各社員の考え方の改革がなければならない。

男性育休を含む育児休業制度の拡大適用や介護休業制度などが企業に根付き、実効性を高めていくには、それを利用する人はもちろんのこと、周囲の人たちも含め、職場や家庭における性別役割分担からの脱却が求められ、互いのキャリア形成の考え方が十分に理解されていく必要がある。

生きるための最低限の条件を求める法令であれば政府が企業に対して強制することは不可欠であるかもしれないが、それを越えて社会の一歩先を走る啓蒙的な内容の法令であればなおさらのこと、実効性を上げるためには制度の背後にある考え方を共有していく必要がある。

企業規範は明文化された法制度とは異なり、政府が価値観を強制できるものでもない。政府ができるのは、あくまでも制度の構築など表面的なものにとどまり、それを通じて考え方の変革を促すのはそれぞれの企業であり、価値観の自主的な変革ができるのは個人である。

コロナ禍において、人々は自分の生き方を問われた。人によって求める生き方は違っており、求める働き方が異なっていることが明らかになった。さらには同じ個人であっても、周囲の環境によって大切にしたいものは変わりうる。互いの価値観を尊重し、各自が持つ考え方を実現できる働き方をどのようにすれば求めていくことができるのか。そしてどのようにすれば、企業は存続できるのか。ウィズコロナにおける真の働き方改革は、個々人の考え方を互いに尊重することの上に成り立つ。

『WORK & LIFE 世界の労働』2022年第6号より転載
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