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先進諸国の雇用戦略—福祉重視から就業重視への政策転換—

開催日:平成16年2月26日

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

配布資料

諏訪 康雄  法政大学教授

石油ショック以前と最近の失業率の比較

法政大学の諏訪でございます。後ほど、パワーポイントを使って少しご説明させていただきますが、その前に少しだけ共通認識を再確認させていただきたいと思っております。

図 1から図 4までが載っている資料をちょっとご覧になっていただけますでしょうか。図 4「石油ショック以前と最近の失業率の比較」が、OECD及びEUの雇用戦略、あるいは雇用研究を背後で促進したところのデータでございます。図の左側には、1973年の石油ショックの前の高度成長の時代、各国の 60年から 73年までの 13~ 4年間の平均失業率が、図の右側には90年から 95年のOECDやEUのその頃の認識を形づくった失業率の統計が入っております。

1960年代から 70年代にかけての時代は、失業という問題では何と幸せな時代であったことでしょうか。日本の平均が1.3%であったということも、思い返せば遠い昔ですが、しかし、もっと驚くことに、それが世界で一番失業率の低い国であったわけではなく、もっと低い国、ニュージーランドとかドイツ、オランダ、ノルウェーなどがあったわけです。当時、失業率で一、二位を争っていた先進国というのは、イタリアと米国であり、アングロサクソン型の資本主義、市場経済を代表する米国も、ライン型の市場経済の代表の一角を占めていたイタリアも、高い失業率を一方で持っていたかと思うと、他方で、アングロサクソンの国である豪州、ニュージーランド、あるいは英国も失業率は低く、ライン型の資本市場国であるドイツやフランスなども失業率は低い。というわけで、今から 30 ~ 40年昔に戻りますと、最近議論しているような失業、雇用をめぐる違いというのは、あまり意識されなかったわけです。

ところが、1990年代の前半になりますと、70年代に2度の石油ショックを経験して、鈴木先生のご説明でも、80年代にフランスで雇用対策のコストがすごく高まったのが見られたように、この頃から各国ともいろんな手を打つわけです。それこそ、ありとあらゆると言ったら言い過ぎでしょうが、少なくとも 60年代から 70年代に効果があった政策を次から次へ打って、結局、ほとんど効果が出ない結果、90年代前半に失業率は図のように上がってきてしまいました。トップを切ったスペインは約 20%、フィンランドはノキアなどが出てきてかなり改善されておりますが、この頃は 10%を超え、フランスやドイツも今もって 10%ぐらいであるということはご存じのとおりであります。

そして、EUが非常に問題にしております若年失業、これは社会の不安定要素とも重なりますし、中長期的な観点からしますと、その国の人的資源を非常に劣化させてしまうという危険を持っているのですが、その失業率は、どの国も基本失業率というか平均失業率の約 2倍です。事実、スペインは1990年代のこの頃は約 40%の若年失業率になっており、日本も全体の失業率の平均が 5%前後に対して若年は 10%と高い。このように幾つかの例外となる国を除いて、若年失業が大変な状態になった時期が 90年代です。

欧米諸国の雇用調整

雇用戦略の議論は、こうした時代背景のもとになされたと私は理解いたしております。そこで、図1「欧米諸国の雇用調整に対する考え方」に戻っていただきますと、この図は、経済産業省が 2年前に『通商白書』に載せていろんな議論があったのですが、 1990年代の動きとしてはそうおかしな図ではないと思います。1960年代から 70年代にかえりますと、実は位置関係がすごく変わります。

イギリス、米国についてですが、図 1の左上の「失業率が高く労働市場の柔軟性が高い」――と言えたかどうか、その頃は難しいんですが――そういう国が、数学で言うと第 2象限から第 3象限に下がった。逆に、ラテン型の国は、「労働市場の柔軟性は低く失業率も低い」という第4象限から第1象限に上がったんです。これが今、問題にしている時代の背景でありまして、それぞれの持っている基本パターンというのは、環境要素が変わってくると上がったり下がったりする可能性を秘めているのではないか。そういう意味では、経済産業省がつくったこの表を固定的に考えるのはおかしいという批判がありましたが、私も全くそのとおりだと思っております。

失業・就業の容易度

そこで、図 2「失業・就業の容易度」をごらんください。同じように、1989年、91年頃の数値を使って書いた図ですが、OECDの雇用研究の中から毎年、レポートがたくさん出まして、これが我々の先進国の雇用をめぐる認識のレベルを上げてきたことはご存じのとおりです。これは毎年7月頃に出る『 Employment Outlook 』の 93年版です。半年間だったと思うのですが、一定期間中に失業者のプールに入る人たちの就業人口中の比率が横軸、これは一種失業の危険度と呼んでいいと思うのですが、縦軸は失業者のプールにいる人が同じ期間中に今度は就業していく比率を出しており、ちょうど真ん中で切ってみると、4つのグループができ上がるわけです。

アメリカとカナダは失業の危険度が高い、つまり「簡単に失業するけれども再就職もしやすい」という第1象限、A型であります。そして、OECD諸国では、「失業し易くて、いったん失業したら再就職しづらい」というBパターンの国ではなく、圧倒的に多いのは第3象限のCパターンでして、この中の一番左のほうにドイツ、フランス、イタリア、ポルトガルと大陸の諸国が並んでいます。現職にしがみついていれば簡単に失業はしないけれど、いったん失業したら、つまりバスからいったん降りて停留所に並ぶようにウェイティングリストに載ったら、次の就職機会、つまり空いたバスはなかなか来てくれないというグループです。

そして 1990年前後、スウェーデンは幸せな国でありまして、失業のしやすさ(危険度)は低く、再就職もうまくいっていたというDパターンでしたが、今日ではCパターンの中に入っておりますから、いま世界にはAかCしかない。Aは、「簡単に首になる代わりに、すぐ次が見つかる」というパターンであり、Cは「(解雇規制などにより)容易にクビにならないが、いった失職したら再就職は困難」というパターンであります。

日本はその当時、比較的スウェーデンに近い良いパターンだったんですが、それから10年、ずっと下のほうへ下がってきています。伊藤先生のグループが、日本はEUの戦略のほうが学ぶことが多いとお書きになっているのは、こうした基本パターンからするとそのとおりかもしれない。日本が直ちにアメリカ型に移れるかというとそれは難しい。日本にとっては、失業の先進国という意味で、今やヨーロッパは大いに学ぶべき国になったわけです。ありとあらゆる手段を講じても雇用政策の効果はほとんど上がらない。これがヨーロッパの諸国の厳しい経験であります。

それは、ヨーロッパの産業が全体として非常に古くなってしまい、IT産業など、新たな時代を牽引するような産業が立ち遅れてしまっているからですね。そういう国で、雇用だけが独立変数としてうまくいくなんていうことは考えられないわけで、とりわけ若い労働力というのは新たに伸びてくる産業に入るわけです。

いま日本では多くの若者が失業者になっていますが、雇用の現場の人たちに聞きますと、若い人は随分勝手だと言われます。例えば、いわゆる 3K (危険、汚い、きつい)という程ではない製造現場とか福祉の場など、いろいろなところがあるわけですが、若者は来てくれない。とりわけ将来性のない産業、つまり将来中国に行ってしまうのではないか、あるいはアジアに負けてしまうのではないかと若者なりに思っているような産業に、若者に来いと言ったって来てくれない。

あの高度成長の最中だって、若者はどこに就職したかといいますと、圧倒的に当時の新規産業に吸収されていったわけですから、結局、雇用政策で一番いいのは雇用創出であり、雇用創出の基本は新規産業をいかにうまく育てて、それが成功できるかどうかだということです。OECDあるいはEUの雇用戦略の 20年間にわたる苦闘を見ていますと、率直にいってそういう印象を持っています。

勤続年数の国際比較

では、なぜヨーロッパの場合、日本とある意味で似ていて、雇用戦略において労働市場の硬直性で苦労しているかというと、図 3「勤続年数の国際比較」をご覧ください。こちらもOECDの『 Employment Outlook 』のデータだと記憶しておりますが、これによりますと、日本は先進国の中で一番勤続年数が長いというものではありません。男女合計のデータという要素もありますが、一番長いのはギリシャ、それからイタリア、スウェーデン、日本はポーランドと並んでいる。いずれにしても、その後にフランス、フィンランド、ドイツ、スペインが並び、これらが全部いわゆるライン型、大陸型の経済構造、大陸型の市場経済、あるいはドイツの言い方をかりれば、社会的市場経済というような社会性に配慮した国々であります。

それに対して、一番右の米国や英国はアングロサクソン型で、デンマークやオランダもある意味ではそこに近い部分を、特にオランダの場合は持っているとよく言われておりますが、こうした長い勤続期間、逆に言えば 1つの組織で長く働く、つまり1つの内部労働市場に労働者を長く所属させ、雇用を維持・発展させるという基本パターンが、20世紀後半の最後の部分で非常に厳しくなってきた。この戦略をどうするか。この 20年間ほど一生懸命やってきたけどうまくいかなくて、最後にEUは新しい戦略を立てるわけです。

それは何かというと、OECDが言うような規制緩和、規制改革の一定部分は認めましょう、市場が持っている機能は素直に認めましょうということです。しかし、市場にすべて任せていいのか、市場にすべて任せてうまくいくなら国家なんて要らなくなってしまう、そんなことはやはりないでしょうと、考えてきたのではないかと思っております。

<欧州と日本の雇用戦略>

これは全く個人的な考えなのですが、雇用戦略というのは、20 世紀の終わり頃から 21世紀にかけて、個々の働く人たちのキャリアを支援する戦略という形で再編成がなされつつあるのではないかと考えております。こういう結論に行く前に、本日の報告者の研究成果を私なりに理解したものを、まずご説明させていただきたいと思います。

雇用戦略の基本哲学

欧州の雇用戦略で第 1に目につくことは、基本哲学があるということです。それでは雇用戦略の基本哲学とは何かというと、それは組織と市場、あるいは国家と個人というのが、それぞれ分担関係を持って社会を運営し動かしていく。そのどちらか一方でなく両者ともが必要であって、その組み合わせ方が時代ごとに違うということです。 20 世紀は組織の時代、国家の時代であり、大きな組織がそこに参加する人たちに対していわばパターナリスティックな配慮をする。これがうまくいくのがすばらしいんだという考え方であった。社会主義国の崩壊が、その最もシンボリックな出来事でありましたが、それ以外にも、 20 世紀の終わる四半世紀ごろから「スモール・イズ・ビューティフル」などと言われて、大きな組織の弊害が多々あらわれてきました。

そこで欧州は、福祉国家の見直し論にだんだん入っていくわけですが、その福祉国家を単に再構成するだけではうまくいかない。というのは、とりわけ福祉国家の最先端をいっていたスウェーデンが、1990年代の初頭に大変な国家的危機に見舞われ、銀行等が非常に厳しい状況になって多大な不良資産を抱える。さらに失業率がどっと 10%あるいはそれ以上に上がってしまった。それ以前の失業率は 1%ぐらいだったわけですから、大変なショックを与えました。国債等も引き受けてもらえなくなるという国家的な危機が起きた。こうなってきますと、福祉国家の再編成ぐらいではとてもやれないだろう。これが 1990年代の初頭、多くの人たちの問題意識であり、その上でOECDも規制緩和をまずやって、そうして時代の変化に対応しなきゃいけないという考え方が出てきたのではないかと思います。

ところが、OECD型でやってみますと、EUの場合は労働組合も強いし、伝統というものが非常に強く、また既得権組織、既得権構造というのがはっきりと社会の中に組み込まれておりますから、市場原理で一挙にそれをつぶそうとすると、大変な反発が出るわけです。私自身も、最も親しい友人をテロリストに殺されました。彼は、まさにこういう雇用戦略の改革をやりました。彼と私は 1996 年に『失業者の法』という本を出しまして、その中で、失業者に関する問題をどのように労働法の中に位置づけるか。今まで、失業者というのは全くマージナルな存在として考えられてきたけれど、これからはそうはいかないというような問題提起をして、彼自身も市場改革に乗り出したのですが、テロリストに非常にうらまれて殺されてしまいました。

このようにヨーロッパは今、年金改革でも大変なストライキがあり、学生なども、日本ではストライキは生まれてから一回も経験したことがないけど、ヨーロッパ旅行に行ったら年がら年中汽車が止まったり飛行機が飛ばなくなると言っていました。こうした激しい抵抗との間で、市場原理と対峙するようなものの再発見だけでもない、かといって 19世紀型資本主義に戻るわけにもいかないということで、出てきたのが社会的統合、ソーシャル・インテグレーションです。社会全体をうまく再統合していく。その基礎は連帯、ソリダリティーだという。これが、欧州の雇用戦略の基本にある哲学ではないか。要するに、連帯や社会統合というのを基軸にして、新たな組織と市場の役割分担、分業と協業の関係を再模索しているというのが現状ではないかと私は見ております。

社会的統合の具体策

では、具体的に何をやろうとしているか。基本方向は 4本柱だと小倉研究員の分析の中にもあります。まず第1が、基本になるのはOECDのような 90年代前半におけるインパクトの強い問題提起でありまして、制度や組織、あるいは組織の中の組織である国家といってもいいのですが、こうした制度や組織に依存した方式から、市場、そこにおいては個人が自由に活発に動くということが前提になりますが、こうした個人の創意や動きをできるだけ開放していくという規制緩和、あるいはそれへ向けて制度を中立化していく、現代化していくという規制改革の議論が起きるわけです。しかしそれだけではやれない。今度は規制改革が持つさまざまな限界や欠点に対応して、社会経済的な活力、競争力の維持という議論が出てまいります。1980年代から 90年代初頭にかけて、欧州は全体として沈みゆく国だという社会経済的な閉塞感があったわけです。その後、EUの新規展開その他の中で、だんだん新たな希望を見つけていきますが、その希望の方向は、社会経済的に、つまり、経済的に効率的であればいいというのではないライン型の発想がやはり主流の考え方になってきた。これなども、閉塞感にとらわれている日本にとって、一定の範囲で有効な考え方かもしれない。

それから、フル・エンプロイメントというのは、我々は完全雇用と思っていたわけですが、今ヨーロッパでフル・エンプロイメントというときは、「完全就業」のことであります。報告の中では、全員就業と訳されておりますが、要するに何らかの形で仕事につくことです。国民の中で仕事についていない人たち――普通の統計で言う従属人口というのは、生産人口を分母にして、15歳未満、それと 65歳を超えている部分を分子にして計算しますが、ここでの就業率というのはそうではなく、全人口の中でどれぐらいが就業するか、あるいは生産人口の中でどれぐらいが就業するか 2つの出し方があるのですが、ともかくこうした意味で完全就業させていく。仕事に就かないというのは、いろんな意味で社会的認知が得られない、あるいは当人も非常につらいといったようなことがあります。日本でも最近、「チャレンジド」という運動があって、障害者も税金を払えるような政策を指しておりまして、仕事を持てば当然一定の税を払う、そして国家という組織体の会費である税金を分担してその正規のメンバーとして認知される。こうした方向に行くべきだという。そのためには、就業力とでも訳し直してもいいエンプロイアビリティを育成しようじゃないか。これが 1980年代から 90年代にかけてますます言われるようになりました。

それから、ある組織に所属したら、その中でだけキャリアを展開するという静的な雇用の安定から、動的な就業創出へということがもう一つ言われます。このためには、新たな雇用創出に向け、起業家精神、アントレプレナーシップを高めなくてはいけない。そして、若者にそういうアントレプレナーシップを高めるための戦略だとか、地域におけるフレキシブル・スペシャライゼーションと呼ばれるようないろんな地場産業といったものを活性化させて世界を相手に商売をさせる。スウェーデンの造船業がちょうど今の日本の産業と同じように、当時日本に追い立てられたときの再編成とか、あるいはノキアだって、もともと携帯電話をつくっていた会社ではありませんで、ごく保守的な伝統的な家電などの企業グループであったわけですが、そうしたものを変えていく。こうした動的な就業創出という議論が出てまいりました。

3 点目は、ヨーロッパは硬直的な制度や慣行に心身ともにむしばまれて、イギリス病とかドイツ病とかフランス病とか、いろんな病気名で呼ばれてたことがあったのですが、こういう硬直的な制度・慣行を時代に対応させていく。企業も個々の労働者も、あるいは労働組合やさまざまな関係者が時代に対応していくアダプタビリティを持とうじゃないか。エンプロイアビリティ、アントレプレナーシップ、アダプタビリティというのは、単に経済の、市場の活性化ということだけでなくて、人々全体に対して意味があるものにしていこうじゃないかということです。

先ほどの動的な就業創出あるいは完全就業と裏腹にあるわけですが、閉鎖的な分断化された労働市場の中に男女のジェンダーや、内国人と外国人などにとっても、機能的な労働市場、最適な資源配分と最適な資源活用が可能になるような市場にする。そのためには、機会均等、イコール・オポチュニティが不可欠であるとも言っています。

雇用戦略の基本手法

雇用戦略の基本手法としては、何といっても総合戦略を最終的にとるに至ったということが第一です。つまり、従来型の行政に全部押しつけて、日本で言えば、公共事業に全部押しつけて雇用を生もうとしたことは、どれもドブに金を捨てたような結果になった。と言ったら、言い過ぎかもしれませんが、相当程度そういうことがあった。80年代初頭の頃に高まった失業率が、ヨーロッパの国では、2000 年になった今でも下がっていない。こういう国は、ある意味ではドブに金を捨てたと言っていいかもしれません。少なくとも、失業状態から逃れられない人たちはそういうふうに文句を言うだろうと思います。それを、もう一度原点へ戻って、雇用を核とした社会統合、雇用を核とした連帯という観点から、総合戦略として立てていこうとしています。

これは、イギリス、スウェーデンもそうですが、経済政策が大きく影響する雇用創出と、従来型の雇用政策、それは実際には雇用対策だったのですが、そこへ行く教育訓練、スクール・トゥー・ソサエティーといったような学校から社会への橋のかけ方がヨーロッパはうまくいきませんで、学校は思い切り古くて、時代の変化についていけなかった。それを変えようとした。こうして、政策的対応の総合性、統合性というのを目指したということが、我々としては非常に注目される部分だろうと思っております。政府全体で取り組む姿勢を、我々もさらに強化する必要があるのではないか。

それから、事後の対応。これが消極的労働市場政策でありまして、市場で落ちこぼれた人をセーフティ・ネットで拾い上げるという事後の対応で、いわば援助策になりがちなわけですが、それに対して事前の対応へ移ったということです。事前の積極的労働市場政策や賃金の助成といったようなものが、フランスや他の国でも見られますが、それだけではなくもっと積極的な政策へと移っていった。

先ほどのキャリア・カウンセリング、日本ではキャリア・コンサルティングと言っているようですが、カウンセラーが個別に初期失業などに対応する。失業者に対して、最初の 2週間に対応することがどれぐらい効果を上げるかということで、ヨーロッパで1990 年代の初めに出た 『ロングターム・エンプロイメント(長期失業)』という本の中に各国のレポートがありますが、唯一効果があったと言われたのが、こうした事前の対応、そして機敏な対応ということでした。それから、ウェルフェア・トゥー・ワークといって、福祉から就業へ。先ほどの「チャレンジド」、「障害者などにも税金を」というのは、そういう政策の一つであります。

ヨーロッパの場合は、多かれ少なかれ集団対応でありました。労働組合も強いですし、また業界団体その他もかなりの強さを持っていたのですが、そうした手法が徐々に個別対応に変わっていった。カウンセリングなどがその典型であり、「集団から個へ」といったら言い過ぎでしょうが、「集団に加えて個を」ということであります。

政策的効果をきちんとやる、これも重要な変化でありまして、とりわけ事前のチェックポイント、中途でのチェック、事後の評価、いわゆる企業で言うところの「プラン・ドゥー・チェック」といったような、サイクルを政策にもとり入れていこうということが、しきりに言われてきています。

こういう欧州を日本と比べますと、日本では、社会経済哲学においては成り行き任せのプラグマティズムが強くてお気楽できたところがありますが、もう少しこの時代の先は何なのか。終身雇用、長期雇用、あるいは年功序列といったようなコンセンサスが崩れてきた現在、新たなコンセンサスの軸をどこにつくっていくのか、そして雇用戦略をどう統合していくのかということが重要ではないかという感じがいたしております。

雇用戦略の基本方向

雇用戦略の基本方向というと、ここでは類似性と異質性があります。例えば、1990 年代の半ば頃に、雇用における安定と柔軟性と言われたような考え方は、実は相当程度日本のレポートが影響しております。実は私も、1990 年頃にILOやそういう方面向けに 「Security and Flexibility in Employment 」というペーパーを書いたことがありますが、その頃日本は、一方で安定と柔軟性をそれなりにうまく保っていました。例えば配置転換や職務を大きく括る、または出向などいろんな方法を使ってきた。こういうことに着目をしていたのですから、そういう意味では似ていたわけです。

しかし、異質な部分もかなりあると思います。一番大きいのは、雇用政策そのものに一般会計から財源を大きく投入するということが少なかった。日本の場合、雇用保険など特別会計では対応してきましたが、一般会計ではほとんど対応してこなかった。あるいは、教育と雇用創出といったような分野においては、今まで遅れ気味で、最近になってインターンシップやトライアル雇用など、若者向けの対応にようやく目が向いてきましたが、長らくそこにはいかなかったということなど、異質というか幸せな遅れ方をしていました。

一方、雇用戦略の基本手法では、統合的対応における不徹底さがありました。なぜ統合的対応が不徹底かというと、その一つの原因は、単に関係省庁の縦割りの強さ、あるいは日本の政治におけるリーダーシップの欠如ということだけではなくて、やはり我々が統合の核になる軸を共有していなかったからではないかと私は思っています。

ヨーロッパの場合は、社会統合とか連帯とか、それをあげると錦の御旗として人々がついていくものがあるし、アメリカでは、セルフ・ヘルプと言えばみんながそれに乗っていく。我々は一方ではセルフ・ヘルプに引っ張られ、他方ではこういう連帯に引っ張られ、股裂きというか行ったり来たり揺れているわけでして、我々の基軸が定まらないことが、統合的対応における不徹底さを呼んでいると思っています。

では、基軸となりうるものは何かというと、キャリア支援政策なのではないか。個々人が持っている人生キャリア、さらに言えばその最も重要な核となりうる職業キャリアをどう支援していくかというのは、実は、大切な雇用政策なのであって、その職業キャリアがうまく回っていくようになれば雇用全体もうまく回るし、社会全体も活力がもう一度生まれてくる。まして知識社会においては、個々人のそうした創意工夫やセンス、知恵といったものが重要ですから、そうしたものが伸びてくるのではないかと個人的には思っています。ただし、ここは全くの私見でありますので、後ほど時間があればご説明させていただきたいと思います。

ディスカッション

【伊藤】  どうもありがとうございました。非常にわかりやすいまとめ方で、もやもやとしていたところが再整理されたのではないかと思います。本日のテーマは、内容の間口が非常に広くて、当初、ヨーロッパでも大変悩まされている若年失業者の問題と長期失業者の問題の両方について触れようかと思ったのですが、とても時間がない。先週、やはりこのフォーラムで若年失業者の問題を取り上げていますので、そこはさらっと触れて、その後、長期失業者の問題を取り上げたいと思います。

今の諏訪先生のお話で、職業キャリアの形成の支援がうまくいかないと、長期失業に落ちていくわけです。好調な企業というのは企業内でキャリア形成をうまくやっているのですが、終身雇用の慣行を大切にしてきた日本を代表する家電メーカーが、1万人以上の早期退職に追い込まれたというニュースがありました。家電部門では儲からないということで、テレビを組み立てていた人を、マグネシウム合金の難しい射出成形に転換させようとしたら、2割しか転換できなかった。それで退職割増金をつけて早期退職となったわけですが、そのような対応を個別企業だけに任せておくと、退職した人たちは労働市場に放り出され、戸惑ったまま長期失業化するという構造になってしまいます。

来年度、日本でも若年者対策が相当充実する計画になっています。この点に関して、各省庁が集まってつくった「日本版デュアルシステム」が随分知れ渡っていますが、小倉研究員のほうから、その元祖であるドイツの現状と問題点を簡単に説明していただきたい。

【小倉】 デュアルシステムというのは、ある程度の教育段階が終わった、日本で言えば高校卒業ぐらいの年齢の時点から、企業での実習と外の学校での理論学習というんですか、その 2つを同時に行うことで職業人としての養成をする制度というふうにご理解いただいた上で、今ドイツで幾つか出てきている問題点について紹介します。

まず最大の問題は、そもそもこのデュアルシステムというのは、ある種の紳士協定であり、法律上、企業が職業訓練生として受け入れた人を雇用しなければいけないという義務はない。ですから、景気が悪くなって、あるいは産業構造が転換していく中でそれに追いついていけない企業や業界が増えてきて、訓練生の受入先が減りつつあるという状況にあるのだと思います。

もう一つは、産業構造が変わって、製造業の中でIT関係の技能が求められてくる、あるいは、サービス業で新たな技術が求められてくるという中に、デュアルシステムの企業と公共の訓練学校での教育というのが、必ずしも追いついてきていない。時代の変化に対応し切れていないという問題もあるようです。反対に、訓練生たちの問題として言われていることの一つは、日本で言う義務教育のレベルが下がっている。最初の基礎的な教育のレベルが下がっているので、その後の職業教育というところになかなか来れない。そこに入ってもドロップアウトしてしまうという全体的なレベルの低下が指摘されているわけです。

ヨーロッパでは、イギリスでも特に対策が取られているわけですが、義務教育の中に人間教育の部分、朝きちんと起きられるかとか、服が着られるかというそれこそ基本的な、社会の中で生きていく意味での教育の必要性も叫ばれている。そういうような問題点があり、ドイツのデュアルシステムというのは、真似すればいいということはなくて、日本でもやはり注意した上で考えていかなければいけないと思います。

【伊藤】 鈴木先生と諏訪先生は、日頃から大学で若い人と接しておられるので、学校から社会というか、職業に就くまでの問題点など感じていらっしゃることを、少しお話ししていただけたらと思います。

【鈴木】 ドイツのシステムでインターンシップと根本的に違うのは、5年、6年という非常に長期的な教育と職業訓練が組み合ったカリキュラムで、単に夏休みに企業で働くというような代物ではないんですね。ですから、職業教育と教育とのブリッジが割と上手くいっていて、ある職については、しっかりした伝統を持っていることだと思います。

残念ながら、日本の大学で職業についたときに役立つような教育というのは非常に限られております。これまでは企業に入って長期雇用の中で職を覚えるという形だったと、学生たちもいまだに思っているんですけども、ヨーロッパやアメリカの経験を総合しますと、これだけ産業構造あるいは企業変革が進んでいくときに、企業べったりのキャリアというのはだんだん難しくなってくるだろう。そうしますと、大学を出たら教育や訓練が終わってしまうのではなく、30代、40代、50代というところで再教育を個人の権利としてどう担保していくかというのが、多分ヨーロッパと日本の共通の問題として出てくるだろうと思います。

諏訪先生は今、社会人教育をやっていらっしゃいますけど、土曜日の夜の開講という過酷な状況ですので、これでは非常に意思の強い人を除いて無理です。やはり、日中、普通の曜日のときに自分の教育に当てる、これを権利として担保するというのが一般重要なポイントではないかなと思っています。

【伊藤】 ヨーロッパへ調査に行った折、「何で金曜の午後に来るんだ」と嫌みを言われ、午前中で切り上げたことがありました。家のペンキ塗りに帰るという人もいれば、鈴木先生がおっしゃるように何か学びに行くという人もいましたから、日本のように恒常的に残業が多い職場で働く人たちは、たぶん生きているのがやっとという感じを持っているのではないかと思います。

【諏訪】 結局、組織の側が人をうまく育てて使っていくということに以前ほど責任を感じなくなっている、あるいはそういうことが現実にやれなくなっていくと、どこかでだれかがそれを補完しませんと、個々人のパワーが落ちていってしまう。つまり、日本の人的資源の総体的な力というのが落ちてしまうわけです。それでは、そこを国とか自治体とかがカバーできるのかというと、それもなかなか難しい。残るところはやはり個人が何らかの形でそういう問題に目覚めていく、それを社会や企業あるいは国が応分に支援していくという視点が大事になるのではないかと思っております。

今、若者のデュアルシステム(学校教育と就業の結合方式)ということがしきりに言われておりますが、実はこれは日本も昔やったことがあるのです。企業内に定時制高校や定時制短大をつくって、半日あるいは午後の 3時頃まで働いてその後は学校に通う。そして、それが終わると高卒の資格とか短大卒の資格が得られる。こういうことは、養成コースとして日本企業はずっとやってきたわけです。

ではドイツのデュアルシステムとどこが違うかというと、企業内に囲い込むことを前提にやるか、囲い込まなくてもやるかということであり、ドイツの場合は業界や職種の範囲では囲い込みますが、個々の企業に囲い込むわけじゃない。日本では、個別の企業の利益にならなければやらない。進学率が上がり時代が変わっていく中で、だんだんその限界が顕になってきて、かつてのような座学と体験学習とのすばらしいコンビネーションを実現できなくなっていったわけです。

このドイツ型のデュアリズムというのは、フランスとか他のヨーロッパの諸国も真似してやってみたのですが、なかなかうまくできていません。そして、若年失業の統計を見ますと、比較的低いのはドイツとアメリカなんです。ドイツの場合は、おそらく若年のデュアリズムがそれなりに効いているのだろうと言われておりますが、アメリカも一時期、このデュアルシステムを入れようと一生懸命やった時代があります。ところが、アメリカの労働市場のパターンあるいは国民性からうまくいかないんです。アメリカは、例えば独禁法の関係で業界団体は日本みたいに強くありません。ドイツみたいな形でありませんからなかなか難しくて、そこでアメリカが取り入れたのがインターンシップです。

日本は、このアメリカのインターンシップを遅れて真似しているわけでして、例えばアメリカの大学生は 6割から7割ぐらいがサマー・ジョブというような形で、ある程度長いインターンシップを大学 1年、2年、3年のときというふうに何回か経験して、就職していくと言われておりますが、日本でもこのインターンシップをどうやって根づかせていくか、厚生労働省や文部科学省、経済産業省などが協力して行っている。それと連携したような形で、ジョブカフェだとか、いろいろな若者向けの支援策を打ち出しています。これはある意味では、ヨーロッパ型よりアメリカ型でやっているのですが、もう一度、ヨーロッパ型の試みをもっと本格的に入れようとしているということじゃないかと思います。例えば、都立の六郷工科高校というのは前から有名なんですが、デュアルシステム科というのがあり、そこで半分勉強して半分就業する。あるいは3年生はある時期2ヵ月から4ヵ月の就業体験をする。これは相当程度ヨーロッパといいますか、ドイツ型の真似をしようとしているのかなと思っております。

私は日本の場合は、いろんなシステムの実験をやってみるしかないだろうと思います。大学生に関しては、インターンシップはかなり進んできた。実は私のゼミが、1999年に調査をしたときには、東京六大学の学生でインターンシップを経験した又は経験をしようと希望している人はわずか 3.8%だったのですが、それがたった 4年後の 2003年には 3割を超えました。

【伊藤】 以前、ある技術専門校に関わっていたことがあるのですが、民間企業が使っているような最先端の高速輪転機を買ったところ、せっかくその使い方を覚えた学生が就職しても実践では役に立たないというのが会社の評価でした。なぜ使い物にならないか原因究明をしましたら、訓練校では高速輪転機を 30分しか動かすことを教えませんが、会社は 1台何億円もする機械ですから24時間稼動させる段取りをどうやるかに猛烈なエネルギーを割きます。訓練校はそういうところは教えませんから実践では使い物にならないということになるのです。それではカリキュラムを全部やろうというと、教員が 24時間も動かせないなど、いろんな問題が起きてしまいます。現場から離れた教育訓練というのはなかなか実らない。ただ、全部実らないというわけでなく、ちょっと工夫をして非常にうまくいっている例もあちこち転がっています。

もう一つ、日本で深刻になっているのは既に100万人を超えている長期失業者の問題です。ホームレスの問題もありますし、最悪な事態としては 3万人以上の人が自殺している現状があります。長期失業者対策にどのように立ち向かったらいいのか、諏訪先生、何か妙案はないでしょうか。

【諏訪】 これが一つという決め手はないというのが、世界の結論なんだろうと思います。長期失業者にならないために一番政策効果があったと言われているのは、あるいは経験論的にキャリア・カウンセラーの人たちが言っているんですが、どの国においても、解雇されたあるいは失職した直後、本人が社会から阻害され人格まで否定されたような気になっているのを、そうではないんだということで個別にカウンセリングすることだとされています。家族も一緒に、これは長い人生の中では起きうる事態であってこれを乗り越えていくとまた次のキャリアの展開があるということで説得していく。本人の不満などを聞いて、少し元気が出てきたところで次の展開の可能性を示していく。それから、本人のキャリアを棚卸してあげて、キャリアシートの書き方とかエントリーシートの書き方なんかを教えていきながら、面接のときに本人に癖があれば補正してあげる。労働市場の動向を客観的に説明する。こういうようなきめ細かなカウンセリングをできるだけ早く始めると、全体として再就職までの期間が早くなるだけでなく、そういう人たちが長期失業者になる比率は小さい。ところが、7ヵ月も 8ヵ月もたって、失業生活に慣れきって変に安定してしまった頃になりますと、その段階でキャリア・カウンセリングをやってもなかなかうまくいかない。とりわけ、1年過ぎ 2年過ぎたりしますと、いわゆる「失業の罠」にはまってしまい、そこから抜け出すのはとても難しいということが言われております。

その意味では、失業者がここまで増えてきて、長期失業が比率としてさらに高まる可能性のある現在、やはり徹底的な個別対応を行っていくことが必要になってきています。その資源をどこから出すか、伊藤先生たちの報告書の中に非常にいい例が書いてありますが、例えば、職業安定や職業紹介の現場において、こういう非常に困難な人たちは手間がかかるわけですから、マンパワーをどうやって傾斜的に確保するかというと、やはり周辺の民間や相談員なんかの支援を仰ぐというのが一つ。もう一つは、ハローワークの職員が、就職が難しい人たちに対応することこそが公共政策として意義があるんだということをよく理解をして、自らの自己啓発や再訓練などに取り組んでいくことだと思います。

自分なりに再就職ができるある一定の高学歴者や熟練の人、あるいは転職をくり返しいわば慣れている人たちには何をしていったらいいかというと、例えば、スウェーデンやドイツがそうなんですが、インターネット上に求職情報をどんどん載せていく。求人側も求職側もどんどんデータベースに登録をして、インターネット上でのマッチングをしていく。その分だけハローワークの窓口のマンパワーの余裕ができますので、現場の窓口へやってくる非常な困難者に対してゆっくりと対応できる。2時間待たせて3分なんていうような、一時期の医療機関みたいなやり方を変えていくためには、来る人の絶対数を減らさなきゃいけない。失業給付をもらうために形式的に窓口に行かざるを得ないといったような形の、公共政策としては前向きでないところがたくさんありますから、そういうのを直していく必要がある。

去年の春、スウェーデンの職業安定局に行きましたら、インターネットを使ってやっていました。日本はなぜそれをやっていないんだ、それでは必要な人たちに窓口のマンパワーを回せないだろうと言うから、まったくその通りだとも言えませんので、いろいろ頑張って工夫していると言っておきましたが、現場の工夫には限界があります。とは言え、インターネット上でやりますと、必ずトラブルが起きます。ですから、一定の担当者がインターネットのゲートキーパーになり、1件1件の求人登録なんかをチェックしているのだそうです。1人が 50件ずつぐらい 1日に見ると言っていましたが、インターネットに載せたから何もしなくていいというわけではない。それでも、生産性はずっと上がるし、雇用政策の質が高まると言っていましたね。

雇用政策における量の問題だけじゃなくて、質の問題を考えなくてはならないのであって、質というのは最も困っている人に対して必要である。大学病院に風邪の人が行くのがよくないというのと同じであって、職業安定所とか人材ビジネスの現場の少なくとも窓口対応の部分は、何よりもこういう重症の人たちへの対応をすべきなのだろうと思っております。

【伊藤】 昨年、フランスに調査に行ったんですが、日本の厚生労働省にあたる省庁の担当者から、カウンセラーというのはNPOがやっているということを聞きました。フランスはカウンセリングの先進国と言われていますが、だれがカウンセリングやっているんでしょうか。

【鈴木】 フランスの職業安定所をのぞいた程度なんですが、最初にカウンセラーみたいな人がいて、何のために来ましたかと調書をとられました。私はひやかしだからと言って逃げました。単に求人票が置いてあるというような昔のイメージからは、はるかに変わっていたのが非常に印象的でした。

長期失業者の問題ですが、私は全く諏訪先生と同じで、これこそフランスが 20年の経験を持ち、ありとあらゆる手段をとっても妙案がないということだろうと思います。私のレジュメの表の中にもありますが、政権が変わるたびに長期失業者に対する政策を打つと言うんですが、多分、決定打はいまだに出てきていないというのが実情だと思います。

先ほど諏訪先生が言われたように、2週間でカウンセリングしてすぐに再就職しますと、長期失業者がゼロになってしまいますので、そういう意味では、長期失業者というカテゴリーは事後的に階層としてあるかなと。で、この階層がほんとうに一つの階層なのか、一体全体どういう多様な経路で入ってきたのか、これを調べるのが一番最初のところかなと思います。

私の想像ですけど、核になる部分というのは非常に再就職は難しい。雇用に対する助成金で、例えば賃金の50%を補てんするという形でも、長期失業者に安定した雇用を供給することは難しいだろうと思います。ただ、この核になる部分というのが果たしてどのぐらいあるのか、やはり調査する必要がある。その周辺部の人たちというのは、ある意味で景気動向などにより、核が大きくなったり小さくなったりしますので、再訓練とか雇用政策というのがある程度有効ではないかと思っています。

【伊藤】 じつは今、失業に関する調査をやっておりますが、98年に調査を行ったときは、1年以上の長期失業者はまだ少なかった。どういう人たちが長期失業者になるのかというと、おそらく結婚退職と思われる 20代後半から 30代前半の女性のグループにひとつ山があり、もうひとつは60歳前後の男性なんですね。これはたぶん定年退職によるものと思われ、ある程度の安定した生活基盤がある人たちで、それほど心配ないという感じでした。

ところが、最近の長期失業者というのは、職業安定所でデータを見ましたら、年齢階層まんべんなく出てきています。わずか 3、4年の間の変化です。さらに窓口でいろいろ職業相談に乗っている人の話を聞きますと、相談の半分ぐらいは職業相談の範囲じゃないというんですね。どういうことかというと、ストレスに痛めつけられて、もともと病的な疾患を持った人と、ストレスを受ける過程で通常ではない精神状態に陥った人など、とても就職の面接試験を受ける状態の人ではない。ですから職業相談でなく別の窓口を設けないといけないというのが実態です。

決定的なのは、長期失業者は職業情報を知らないことです。自分がいったい幾らで就職できるのか皆目わからない人たちが押しかけてきます。最低でも月給 50万円なんていう提示をしている人たちは、よくよく聞いてみると年収 1,000 万円以上もらっていた大企業の人だといいます。そういうことが現場の実態のようです。

フロアとの質疑応答

【質問者1】 職業訓練が非常に重要だというのはそのとおりだと思いますが、日本の場合はサービス残業、過労死、ついでにパート差別もあり、個人がエンプロイアビリティを高める上で非常に障壁があると思うんです。特に若い人は、正直言うと死にかけているというような大変な状況に置かれている。この辺については法規制の強化も含めて対応が必要だと思うんですが、どのようにお考えでしょうか。

【諏訪】 全く同感です。行き過ぎた残業や休日出勤をなくしていく、あるいは合理化をしていくということは、実はエンプロイアビリティを高めるための非常に重要な政策的基盤であるということがはっきりしていると思います。

政府の調査などで見ましても、生涯学習が必要ですかというと 9割以上の人が必要だと言う。じゃあ、過去1年間に何かやりましたかというと、その率が 45%ぐらいになってしまうわけですね。しかも、具体的に何をやりましたかと訊くと、スポーツや趣味というのが圧倒的に多くて、仕事に関して勉強したというのはそのうちの 9%ぐらい。ほうっておいても勉強する人は 25人に 1人しかいないという割合なんです。では残りの人たちはやる気がないのかというとそんなことはない。何が問題かと聞くと、金と時間だと言います。お金の問題をどうしていくか、それから今ご指摘のとおりで時間をどうするか。

そういう意味では、職業訓練政策を職業訓練としてだけやるのではなく、やはり周辺のインフラストラクチャーを整えるような労働基準政策であるとか、あるいは知識企業あるいは学習企業というのは何なんだと、社員全体がそういうことをやっていくために工夫することももちろん必要だと思います。

私が提案をしているのは、まだだれも聞いてくれないのですが、1つは、一定の失効有給休暇というのをある一定のこうした方面に向けられないだろうかということです。例えば、私の周辺にもたくさんいますが、10年間、1回も連休をとったことがないという人たちがいるとしますと、この人たちの年次休暇が1年に20日とすると、10年間で200日が失効しているわけです。こうした失効年次有給休暇を何にでも使えというわけにいかないし、それをすべて現在価格、つまり今の給与の額で有給にしろというのも無理ですから、せめて無休で、あるいはある一定の助成金などをつけて勉強させる機会をつくれないだろうか。そうすると、例えば半年分があれば、中高年はコンピュータができないなんて言いますが、少なくとも簡単なワードやインターネットぐらいは十分に身につくはずじゃないかと思います。

このように、いろんな意味でそうした雰囲気を高めていくというのが大事で、これも温故知新で昔を調べますと、1950 年代から60年代頃、労働組合と企業が二部学生たちに対する対応というのを交渉しているんです。試験の最中ですとか、あるいは通学の便を考えて、定時制高校とか二部の大学へ行く学生には、一定の配慮をするなどということを企業はちゃんとやっていたんです。

ところが今の社会人大学院になりますと、そんな必要はないというのでしょうか、私がおります社会人大学院の学生に聞きますと、半分は会社に黙って来ている。それは、転職したいからじゃない。自分のエンプロイアビリティ、つまり執務能力を高めたい。でも、会社に言いますと、「この忙しくて大事なときに、そんなところへ行く暇があるなら、もっと目先の成果を上げろ」なんてことを言われ、大学院に6時半に駆けつけ、アンパンか何か食べて授業を2~3時間受けて、また10時頃に会社へ戻っている。こんなことをやっているうちに、体を壊したりしています。

社会全体がこうしたエンプロイアビリティをつくる努力を支援する。それは日本のために非常に重要だし個人のために重要だという、キャリア支援に関する基本的な哲学をもう一度つくり上げられるかどうか。実は日本はかつて高度成長の頃にやったことがあったのです。ですから、これをもう少し別の形でやる。フリーターから正規就業する時などみんな同様ですが、いろんな工夫をやっていったらどうかと思っています。

【鈴木】 日本でワークシェアリングが引用される場合、単に雇用を維持する、創出するということがあまりに注目されるんですが、実際には幾つかの柱がある。その一つが、例えば、企業内の労使関係あるいは産業別労使関係の活性化、変形労働時間の問題、それから労働時間というのは労働条件の柱ですので、その労働条件の質を高めるという雇用の質という問題とも絡んでくる。

言いたいのは、やはり一番先に労働時間短縮があって、その後に雇用の創出というのが付随してくる。これが基本的なところだと思います。日本では、どうも緊急避難的なワークシェアリングという形で、時限措置的な労働時間短縮のみ取り上げられているというのが私にとって非常に大きな不満で、やはり労働時間短縮を通じて働き方をもう一度考え直す、そして個人の自由になる時間を増やそう、こういう基本的な考え方があると理解しています。

【質問者2】 人材会社で、オーバー・ワン・イヤーズ・クラブといって、失業1年以上の方を集めて就職ができるまでお世話するという仕事をやっているんですが、半年で 80%就職が決まっているという事実がございます。ですから、長期失業者も必ず就職ができるという確信を持っています。

それから、諏訪先生に質問ですが、ヨーロッパに学ぶということについてはその通りなんですが、日本がこれから政策を考えるときに、やはりアメリカ的な自助努力というか、強い国民を育てるという方向でいくのか、それとも政策で守っていくのか。両方必要かもしれませんが、ヨーロッパに近づいていくんじゃなくて、アメリカとヨーロッパの間の何かすばらしいものを求めていく必要があるんじゃないか。

一つのアイデアですが、例えば雇用保険もガラっと変えて、早く就職したら差額を支給する、再就職しても出だしの給料は前職の2割か3割下がることが多いでしょうから、再就職後の半年間は給料を補填しましょうという、いわゆる利害誘導型といいますか、本人のやりたい気持ちやインセンティブをベースにしたお金の使い方に政策を変えていったらどうでしょうか。

【諏訪】 最初に失業者のオーバー・ワン・イヤーズ・クラブについてですが、仲間でお互いに話し合って、苦しんでいるのは自分だけじゃないと励ましあう失業者サークル、失業者クラブのようなものは外国にもあります。ヨーロッパでもアメリカでもこれはものすごく上手くいくと報告されておりますし、日本でもその類いのものは他にも効果があるということがあり、おっしゃるとおり重要なことだろうと思います。残念なことは、長期失業者のうち、そういうところに行く人が少ないということです。そこへ行くような人たちは、かなり救われているというか、そのようにして立ち直っていくんですね。

それから、今日は雇用戦略を欧州に学ぶということでしたので、何となく欧州みたいになればいいというような誤解を与えたかもしれませんが、私は、ブレアの「第 3の道」ではありませんが、日本は日本独自のキャリア支援政策を基軸にやっていくべきだと考えております。したがって、個人がキャリアをつくっていく基本を、基本的人権としてキャリア権というような考え方を取り入れ、労働法とか労働政策とか雇用政策というのは、みんなでキャリア形成と展開を支援していく政策ということで、もう一度位置づけし直す。例えば時間外労働があまり長すぎるとか、年次有給休暇を連続してとれないとか、こうした問題は個人がキャリアを伸ばす上で非常に障害でして、そうした障害を少しずつ少なくしていく方向で政策的に配慮していく。従来の組織支援型、企業支援型の雇用政策を一挙になくせとは全く思いませんが、それに加えて、徐々にそういう個人に対する支援を行っていく。これは、いわゆるキャリア自律、セルフ・ディシプリンです。自分のキャリアは他のだれかに依存するものじゃない、自分でディシプリンしていくということです。よく自分で立つという字を使いますが、これは誤解を与えるんですね。転職行動したり何かしたりするような風に。そうじゃなくて、自分で律して会社の中でエンプロイアビリティを高めていく。場合によっては転職をしていくかもしれないが、自分で計画を立てキャリアデザインを描いていこうという人たちを、公共政策はさまざまに支援していくべきではないでしょうか。

こういう観点から雇用政策を再編成しますと、おそらく世界でトップ・クラスのものを日本はつくれるはずだし、おそらく他国がこれを見習っていくのではないでしょうか。ある日本人研究者が、1980 年代からにヨーロッパの雇用状況の研究をやったあげく、以上のようなことを言い始めておりますから、ヨーロッパをはじめそのような説をぜひもっと広げていくべきじゃないかと思っております。

【伊藤】 雇用戦略というのはとてつもない大きなテーマで、2 時間ではとても論じ尽くせません。また、長期失業者の問題を研究すると暗く落ち込んでいくので、創業や起業という問題に触れようかと考えていたのですが、最後に諏訪先生から明るい締めのお話があり、良い雰囲気になったところで本日のフォーラムを終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。