基調講演
生涯現役社会の実現を目指して

1 世界に類を見ない高齢化

生涯現役社会というのは、働く意思と仕事能力のある人が年齢にかかわりなく、その能力を十分に発揮できるような社会ということです。どうして今、この生涯現役社会が必要なのでしょうか。いうまでもなくその最大の理由は、日本が世界に類を見ない高齢化を経験しつつあるからです。

世界のどんな国よりも高い高齢人口比率

日本が世界に類を見ない高齢化を経験しつつあるというとき、それは3つくらいのディメンション(次元)で言えるのではないかと思います。1つは、高齢化の水準が世界に類を見ない高さであるということ。1つの社会、あるいは国が、どのぐらい高齢化しているかということをはかる指標に、総人口に占める65歳以上の人口の比率があります。直近の人口動態統計によると、この比率がもう日本では26%になっています。ちょうど1年ぐらい前の、去年の夏にこれが25%を超え、日本の人口の4分の1が65歳以上の高齢者になっています。

これは、世界のどんな国よりも高齢人口比率が高い国になったことを意味します。日本よりも先にヨーロッパ諸国で高齢化が進みました。しかし、かつて日本よりも高齢人口比率が高かったドイツやイタリアなどでも、まだその比率は20%を少し超えたあたりのレベルです。しかも、日本のこの26%というのはまだ通過点であり、例えば今年生まれた赤ちゃんが成人になるころ、2035年には、この65歳以上の高齢人口比率が33%を超え、人口の3分の1が65歳以上になる見通しです。

さらに、今、大学で学んでいる学生たちが高齢者になるころ、2060年ぐらいになると、この比率は40%に達し、人口の5人に2人が65歳以上の高齢者ということになります。おそらくその時点ぐらいまでは、日本の高齢人口比率というのは世界のどんな国よりも高い比率で推移します。この高齢化の水準の高さが、日本の高齢化が世界に類を見ないということの第一の証左だと言えます。

高齢化のスピードは他の国より2~4倍速い

日本の高齢化が世界に類を見ないということのもう1つのポイントは、高齢化の速さ(スピード)です。高齢化のスピードは、65歳以上の高齢人口比率が7%になったところから14%になるまでに何年間かかるか、ということで測られることになっています。日本では、65歳以上の高齢人口比率が7%になったのがちょうど1970年。大阪で万国博覧会が開かれた年でした。日本がいつ先進国になったかということについては諸説ありますが、1964年のオリンピックのころすでに先進国だったかというと、かなりまだ厳しいところがあったかと思います。しかし、1970年になると、今から振り返ってもようやく日本は先進国と言えるようになっていたなという感じを持ちます。高齢人口比率が7%を超えると、その社会は、英語でいうとaging society。エイジという言葉にINGという進行形がついた「高齢化社会」と言われます。どんな国もだいたい先進国になると同時に、高齢化社会に突入するわけです。

そしてこの65歳以上の高齢人口比率が14%を超えたのが1994年です。14%を超えると、その社会はもはや高齢化社会ではなく、高齢化の「化」という字が取れ、「高齢社会」。英語で言うと、aged societyとなります。日本は1970年から1994年までの24年間で、高齢化社会の時代を卒業して高齢社会になったのです。

これに対して、日本よりも一足先に高齢化社会に突入したヨーロッパ諸国では、7%から14%になるのにだいたい50年から100年ぐらいかかっています。長い国になると、フランスでは1864年に7%を超えてから、1978年に14%を超えるまで114年かかっています。ですから、フランスなどと比べると日本は4倍のスピードで、ほかのヨーロッパの主要な国と比べても、2倍~3倍、4倍のスピードで高齢化が進んでいます。それだけ高齢化に対応して社会の仕組みなどを速やかに変えていかなければなりません。

2060年には75歳以上の高齢者比率が75歳未満の倍に

もう1つ、高齢化の問題を考える際に注目される点は、日本の高齢化の深さです。これは何を言っているかというと、高齢者が増える中でさらに高齢の人の比重が増えていくということです。現在、65歳以上の高齢人口比率が26%であるという話をしましたが、実は今は、その半分ほぼ13%は65歳~74歳までの比較的若い高齢者です。そして、残りのほぼ13%が75歳以上の高齢者となっています。つまり、65~74歳までの人、1に対して、75歳以上の人が1というバランスになっています。

ところが、今からほぼ10年経過すると、2025年、団塊の世代の人たち(1947年から49年に生まれた人たち)がすべて75歳になる年には、65歳以上の人口の中の比率でみると75歳未満が2に対して、75歳以上が3となり、若い高齢者の1.5倍ぐらいに75歳以上の高齢者の比重が増えてきます。そして、日本の人口の3分の1が高齢者になる2035年ぐらいになると、この比率は3対5になり、今の大学生が高齢者になるころ、2060年ぐらいになると65歳以上の人の比率が40%になるのですが、なんと75歳未満の人1に対して、75歳以上の人が2と、より年をとった高齢者が比較的若い高齢者の倍になる。このことが、医療や介護のニーズを幾何級数的に増やしていくということにもなるわけです。

2 高齢化と経済成長

こうした世界に類を見ない高齢化が、たとえば社会保障の問題や、国の成長力の問題など、さまざまな問題を引き起こします。高齢化と経済の関係を考えてみると、両方向の因果関係があります。1つは、経済の成長が高齢化をもたらす。つまり、経済成長、経済発展の結果としての高齢化というのが当然あるわけです。高齢化をもたらす第一の要因は長寿化です。

経済成長で栄養、衛生、住環境、医療を改善

終戦直後、1947年の人口動態統計、ここで戦後初めて正確な人口動態統計がとられたのですが、1947年の日本人の平均寿命は男性50歳、女性54歳でした。ところが、今やこれが、男性80歳、女性の場合には87歳に近づこうとしている。何でこんなに寿命が伸びたのか。平均寿命というものは定義上、ゼロ歳児平均余命をもって平均寿命と言われているわけです。つまり、オギャーと生まれたばかりの赤ちゃんが今から何歳まで生きるかということについての統計的期待値、これを平均寿命といっています。ですから、何も終戦直後は皆50代の前半になるとばたばた死んでいったということではなくて、多くの人たちがゼロ歳とか1歳とか、生まれたばかり、あるいはほんとうに幼いころに亡くなってしまっていたので、平均をとると50歳とか54歳になったということです。

何でそんなに早く小さなころに亡くなってしまったのか。1つは、栄養状態がよくなかったからです。多くの子供が栄養不足のために、あるいは簡単な感染症に対して抵抗力がないために亡くなってしまった。もう1つは、衛生状態がよくなかった。下水道などが完備していなかったので、多くの子供が消化器系の感染症などで簡単に亡くなってしまいました。そして、3つ目には、暑さ、寒さをしのげるような住居の状況が整備されていなかったことがあげられます。4つ目は、何といっても医療の水準が立ちおくれていたので、病気になった人が十分な医療を受けられなかった。そのことが寿命をこんなに短くしていたわけですが、戦後の経済発展、急速な経済成長の結果、これがすべて克服されたわけです。

今では、栄養不足を心配するどころか、栄養過多を心配するようになっています。衛生環境もものすごくきれいになりました。そして、夏の暑さ、冬の寒さをしのげる住環境がほとんどの家に行き渡るようになった。時々、何かの理由で夏にエアコンがとまってしまって、熱中症のためにお年寄りが亡くなるなんていうことが、ニュースになるくらいです。そして、何といっても医療の水準が高くなってきた。これは何も医療の技術だけではなく、日本の場合には、世界に冠たる国民皆保険が実現して、全国津々浦々、一定のお金を払えば一定のレベルの医療を受けることができるようになった。これらの好条件がすべて相まって、日本人の寿命を世界一、男性80歳、女性87歳というレベルまで引き上げてきたわけです。

申し上げるまでもなく、栄養状態の改善、衛生環境の改善、あるいは住環境の充実、そして医療の発展など、これらはすべて経済の発展、成長がなければ実現できないわけです。もう少し正確に言えば、1人当たりの所得の上昇がこれらの条件改善を可能にしたわけです。その意味では、高齢化をもたらした第一の要因である長寿化、これは日本の経済成長、発展の結果だと言えます。

成長の結果の少子化がまた高齢化の要因に

もう1つ人口の高齢化の要因に、少子化があります。実はこれも経済の発展成長と正の相関をもっています。長い歴史スパンで見ると、貧しい社会は多産多死の社会でありました。これが1人当たりの所得が上昇していくと、子供はもうそんなにたくさん産まない。そして産んだ子供は必ず元気に育つという少産少子の社会に変わってくる。まさに戦後以降の日本がそうでありました。ここでもやはり経済の発展、成長が出生率を下げるという形で高齢化をもたらしていることが言えるわけで、経済、あるいは経済の成長が高齢化をもたらすという方向の因果関係は間違いなくあります。

高齢化のネガティブな影響のまず1つは財政悪化

ところが、他方で、高齢化が経済、あるいは経済成長に対してネガティブな、マイナスの影響を与えるという因果関係も出てきています。その象徴的なものが財政です。日本の国や地方自治体、特に国が中心ですが、国債を中心に国の借金、公の借金が既に1,000兆円を超えています。日本のGDPは500兆円ほどですから、GDPの倍以上の借金をもう既に抱えているということになります。その借金がこれだけ増えた最大の理由は何かというと、社会保障給付です。

年金、医療、介護などを中心とした社会保障給付総額は、既に110兆円を毎年超えております。このうちの6割ぐらいは社会保険料で賄われていますが、残りは税財源によって賄われている。税財源といっても、今、税収はそんなにないわけですので、そのかなりの部分が実は国債という形で将来の世代につけ回されているのです。

高齢化が社会保障給付を増やし、最終的には財政を危うくすることで負債が高くなると、市場のリスクも高くなります。日本の借金がこれ以上高まっていき、日本の国債の信用度が損なわれて、国債価格が暴落するようなことになれば長期金利が急騰しますので、もうこれは国の破産、破綻ということになりかねない。

少子高齢化で生産力・内需が減退

もう1つ、経済に影響を与えるのは少子高齢化で、人口減少が進むことによって労働力人口も減ってきます。労働力人口が減ってくると、生産性がそれに見合ってきちんと上がらない場合には、生産量も減ることになります。つまり、マクロ経済の供給面、生産の面で、とくに少子化が成長の阻害要因になる。同時に、高齢者が引退して年金生活者になると、働いて勤労収入を得ているときに比べれば収入が少ないですから、それだけ消費、つまり内需が低下してしまう。つまり、高齢化が消費を低下させるということによって、マクロ経済の需要面でも成長の阻害要因になりかねない。

3 解決策は生涯現役

そこで、それを何とかしなければいけない。そこで出てきたのが、「生涯現役社会」という考え方です。仮に人口が減ったとしても、労働力人口が減らないようにする。つまり、労働力率を高める、すなわち、人口の中で働く人たちの比率を高める。そうするには、今は働いていない人に働いてもらわざるを得ない。1つは、専業主婦の人、もう1つは高齢者の人たちということになります。

高齢者がもっと働いて、社会保険料を納める、税金を納めるという側に立ってくれれば、財政の負担が軽くなる。特に若い人の負担がその分、軽くなる。また、高齢者がもっと働いてくれれば、労働力が減ってしまうことによる生産の減退もある程度解消されます。そして、高齢者が働き続けて、高い勤労収入を稼いでくれれば、それによってもっと多くの消費がなされ、需要面において経済の成長が促されるということになります。

人生80年のうち40年を働かないのはバランス欠く

昔は60歳ぐらいで引退した人が多いのかもしれませんが、少なくとも65歳までは現役で働くことが標準形になりました。年金の支給開始年齢も65歳に引き上げましたし、高年齢者雇用安定法という法律が改正され、日本の企業はどこも、希望する労働者を65歳まで雇用しなければならないというルールに変わりました。

しかし、それでは65歳まで働けばいいのか、あるいは65歳まで雇えばいいのかというと、それでは済まないだろうと思います。先ほど、平均寿命の話をしましたが、ここで65歳の人の平均余命を見てみましょう。簡易生命表からそれは容易に見てとれるわけですが、65歳になった人が、あと何年平均的に生きるか。65歳の人の平均余命を見てみますと、直近の統計では男性が約19年、女性が約24年です。つまり、65歳になって、「はい、今日から高齢者です。年金ももらえますよ」と言われた人たちは、男性の場合だと今から19年、つまり生まれてから大学1年生になるまでと同じぐらいの期間、女性の場合は今から24年、生まれてから大学院修士課程を修了するのと同じぐらいの期間、高齢者と呼ばれて過ごすことになるわけです。これはちょっと長過ぎです。

たとえば、今は大学を卒業して働き始める人が多いわけですが、20代の前半あるいは半ばぐらいから働き始めて、60代の半ばまで働くとすると、40年ちょっと働くということになります。しかし、そこから男女平均すると20年ちょっと引退期間があるということは、働く期間約40年に対して引退期間約20年、ざくっと言えば働く期間2に対して引退期間1ということになる。また働き始めるまでに20年ぐらい社会に扶養されている期間があるわけですから、そうすると80年の人生の中で40年働いて、40年は働かずに誰かの負担で生活する。これはやはりバランスとしてはまずいわけで、日本のように世界で一番寿命が長い、しかも高齢人口比率の高い国では、もう少し長く働く必要があります。

日本の高齢者の就業意欲は高い

おそらく日本では、長期的には70歳ぐらいまで、そして最終的には働く意思と仕事能力のある人は年齢にかかわりなく働き続けることができる生涯現役社会というものが求められると思います。そして実は日本はこの生涯現役社会を実現する好条件にも恵まれている。というのは、日本の高齢者は働く意欲が非常に高い。数年前、フランスで当時まだサルコジ大統領だった時代に、サルコジ大統領が、年金の支給開始年齢を引き上げて引退年齢をちょっと引き上げようとしただけで、ゼネスト状態になりました。ヨーロッパの人たちは、もうとにかく早く引退させてくれ、高齢になってから働くなんていうのは嫌だという人のほうが多いわけです。

ところが、日本はそうではありません。65歳になる直前の5年間、60から64歳の男性でみると、働く意思のある人(労働力人口)は76%で、4分の3以上は働く意思を持っている。これに対して同じ60代の前半の男性でみると、日本に次いで高いのはアメリカ、イギリスといったいわゆるアングロサクソンの国ですが、それでも60%ぐらい。ヨーロッパ大陸に行くとぐっと下がってドイツなどでは50%ぐらい、フランスなどではまだ20%台です。こうした高齢者の就労意欲をぜひ生かす。これが生涯現役社会のために必要なポイントだろうと思います。

4 必要な雇用制度改革

問題はそれを阻害していることがいくつかあるということです。1つは定年退職制度です。定年というのは、どんなに働く意思や能力があっても、一定の年齢になると、年齢だけを理由に退職を強制する制度ですので、これほど生涯現役とバッティングをする制度はないと言っても過言ではない。もう1つが年金制度です。とくに、今の厚生年金は、年金の受給資格を得た後に働き続けると、働いたことによって得た収入に応じて年金が減らされる。つまり、年金制度自体が働くことにペナルティーを科しているわけです。これではなかなか生涯現役に前向きにはなれません。

高齢者が働くと若年雇用が減るという固定観念は間違い

そしてもう1つが、さまざまな固定観念です。とくによくない固定観念は、高齢者が働くと若い人の雇用機会が減るのではないかという考え方です。これが間違いだということは、実は経済協力開発機構(OECD)が出した報告書の中で繰り返し確認されています。1995年に最初に「エンプロイメント・アウトルック」でそれが指摘されて以来、最近でも2011年にOECDの報告書「ペンション・アット・グランス」で同様のことが国際比較データを示しつ述べられています。

ヨーロッパでは1970年代の終わりごろから90年代の初めまで、若年の失業率が非常に高くなり、それを何とかしなければいけないというので、実は高齢者の引退を促進するような政策を一時とりました。たとえば、フランスなどは、年金の支給開始年齢を引き下げた。ドイツやイギリスは、年金の支給開始年齢は65歳のままですが、障害年金を非常に柔軟に給付する。それから、失業保険を高齢者の場合は非常に長期に給付するという形で、早く引退してもらう。そうすれば若い人の雇用機会が増えるのではないかと思ったわけです。

しかしこれが大きな間違いで、そうした政策をとった結果、高齢者の引退はものすごく早まったのに、若者の失業は一向に改善しなかった。これは当たり前と言えば当たり前で、ベテランの高齢者の仕事を未熟練の若者に置きかえることは、経済合理性からいってもなかなかできなかったわけです。

そこでヨーロッパ諸国は慌てて90年代の初めぐらいから政策を180度転換し、アクティブ・エイジングというような言い方で、むしろ高齢者の雇用を促進し始めました。しかし、一旦冷え込んでしまった高齢者の就労意欲をまたもとに戻すということはなかなか難しい。これを最近のOECDのレポートでは面白い言い方をしていて、lump of labor fallacy と言っている。ランプというのは、ひとまとめ、ひとくくり。労働ひとくくりの誤謬ということですね。つまり、高齢者と若者というのをひとくくりに考えて、高齢者が引退したら若者が雇ってもらえるだろう、あるいは高齢者が働き続けたら若者の雇用機会が減るんじゃないかというような誤った認識があったために、こうした政策の失敗があったということが言われているわけです。そうした固定観念をしっかりと科学的な分析をもとに見直していくということも必要かと思います。

年金の65歳支給開始時には65歳定年で

そこで、1つは、定年制度の変革が必要です。現在、30人以上労働者を雇っている企業の約93%に定年退職制度があります。そして、定年制度がある企業のうちの約82%は、高年齢者雇用安定法のもとで定年年齢の下限である60歳に定年を定めています。しかし現在はほとんどの企業が60歳定年の後の再雇用、あるいは継続雇用という形で、一旦定年した後、65歳までの雇用継続を行っている。私は、当面は定年は60歳のままで65歳までは継続雇用というのはやむを得ないと思いますが、やはり最終的には、とくに厚生年金の支給開始年齢が65歳になるときまでには、年金の支給開始年齢と定年が接続していないと、社会の中での企業の責任を果たしたことにはならないだろうと思っています。

よくこういう話を、とくに大企業の経営者の方とすることがあるのですが、わかっているけど難しいですよと言われます。確かにそういう面があります。1つは、私どもの研究からもわかっていることですが、年功賃金です。

年齢、あるいは勤続年数に応じて賃金が上昇する。あるいは、年齢に応じて職位が上がっていく。そういう仕組みのままで定年を65歳まで延長すると、企業の中には賃金の高い人、職位の高い人が滞留してしまう。今どうやっているかというと、そういうことが起きないように、60歳定年の後は賃金をがくっと下げる。定年のときの6割とか、せいぜい7割とかに下げる。そういう形で調整をしていますので、今度は働くほうの意欲も落ちてしまう。

これはもともと定年のときの賃金が高過ぎるということでもあるわけですから、もう少しその前から賃金のカーブをフラットにしていくということが大切です。

一人前の後は年齢や勤続とのリンクを外した賃金へ

年功賃金について、私は、若いときは年功賃金がいい、むしろそうでなければいけないと思っています。若いときというのは、若い人が一人前になるまでです。それぞれの産業や職種によって多少違いがあるでしょうが、最初の少なくとも10年ぐらい、これは先輩が後輩に仕事を教えて、上司が部下に仕事を教えながら若い人が仕事を覚えて一人前になっていくわけですから、そういう間は仕事を教える先輩のほうが必ず、教えてもらう後輩よりも賃金が高い。そして、毎年毎年、大体その間の期間では仕事を覚えて能力は高まっていくわけですから、それに応じて賃金を高めていく。かなり機械的な年次管理がむしろ望ましいのだろうと思います。しかし、一人前になった後は、もう少し年齢や勤続と賃金のリンクを弱めていくことが必要になってくるのだろうと思います。

そうなってくると、年功賃金の持っている、いわゆる世帯主生活給という性格を維持することは難しくなってくると思います。世帯主生活給というのは、要するに、お父さん1人の稼ぎで一家4人を養う。たとえば40代のお父さんが働けば、その給与で家に専業主婦のお母さんを置いて、子供2人ぐらいを大学にやる。そういうような賃金というのはだんだん維持することが難しくなってくるということです。

1つには、日本が国際的な競争をしていくという面で、そういう賃金体系は難しくなってくる。したがって、次第に共働きというのが、標準的な家族、あるいは家計のあり方になってくるのだろうと思います。逆に言えば、それが可能になるようなワーク・ライフ・バランス、労働時間、就労体制が同時に求められるようになるということです。

いずれにしても、これから高齢者の労働力率、女性の労働力率を高めたとしても、人口が急激に減ってくるので、ある程度労働者の数が減ってくることは避けられません。同時に、女性や高齢者にももっと働いてもらうということになれば、1人当たりの労働時間をこれ以上増やすことはできない。むしろ短くしていく必要がある。そうすると、生産量というのは「生産にかかわる労働者の数×1人当たり労働時間×労働時間当たり生産性」という積で定義されますから、3つの変数のうち、労働者の数と1人当たり労働時間が減るわけですので時間当たりの生産性、もう少し正確に言うと1時間当たりの付加価値生産性をしっかりと高めていかないと、日本の経済は維持できないということになってくるわけです。

5 生涯現役社会の前提は能力開発

この付加価値生産性を高めるというのは、何も高齢化に応じた対応だけではありません。円安が多少進んだといっても、日本人の賃金は、ドルではかれば世界一高い賃金の1つです。日本人を雇用して国内で行う仕事は、それでも利益が出るような付加価値の高い製品やサービスを生産するものでなければいけない。ということは、そういう労働者は付加価値の高いものやサービスを生産するだけの付加価値生産性がなければならず、それだけの能力がなければいけないということになります。

その意味で、これからは今まで以上に教育や訓練の必要性が高まってきます。OECDによる成人の能力についての調査(成人力調査)では、日本が非常に高い評価を得ているわけですが、日本企業は、これまでも行ってきた企業内で手塩にかけて従業員を育てるということをこれからもしっかりとやっていく必要がある。と同時に、それは生涯にわたってやる必要がある。

中高年になってもバージョンアップを

これまで職業人生が短かった時代には、若い時に集中的に能力開発をして、あとは、そのときの能力を比較的短い定年までの期間、しかも朝から晩まで長時間労働をするという形で使い切るということでもよかったかもしれません。そういう、いわば短距離競争型の職業人生でも事足りていたかもしれませんが、少なくとも65歳、長期的には70歳ぐらいまで現役で働くということになると、むしろ若いときだけではなく、中高年になっても新しい技術や知識を身につけて、補いながらバージョンアップして、パワーアップして働き続けるということが必要になってきます。

60代、70代でも必要とされる能力を身につけていくためには、やはり生涯において能力開発をしていく。つまり、短距離競争型から長距離競争型の、ちょうどマラソンをしながら途中で栄養ドリンクなどを補給するように、長距離競争型の能力開発が必要になってくる。つまり、生涯現役社会というのは、同時に生涯能力開発社会でもなければいけないということです。

6 日本型モデルを

高齢化は日本で一番顕著に進んでいるわけですが、世界共通の問題でもあります。先進国はどこも高齢化を経験しています。東アジアの韓国、台湾、やがては中国も、急速に少子高齢化が進んできます。その中で日本が生涯現役のモデルをつくることができれば、それはまず、東アジアの国々へのよい参考になりますし、最終的には必ずどこかの将来時点で高齢化を経験することになる世界中の国々へのよいモデルになると思っています。

中小企業は役職者でも第一線で活躍

この生涯現役社会モデルを日本の国内でみると、私はとくに地方の競争力のある中小企業にそうした事例が多く見られると思っています。中小企業で、高齢者の能力を年齢にかかわりなく活用できる理由は2つあります。1つは、賃金や処遇が大企業ほど年功的ではないということです。

厚生労働省の賃金構造基本調査などをごらんになるとわかるのですが、年齢や勤続年数に応じた賃金カーブを見ると、初任給は大企業と中小企業は変わりません。一人前になるまでの、30歳ぐらいまでもほぼ重なっています。ところが、大企業の場合は、40代、50代までまだ上昇を続けている。さきほど言いました世帯主生活給の性格がまだ強いわけです。中小企業は、一人前になった後はかなりフラットになっています。つまり、中小企業の場合、高齢者を雇い続けてもそんなにコスト高にならないような賃金体系になっている。

また、年をとった人は、確かに中小企業でも一定の年齢になると部長とか課長とか肩書がついたりするわけですが、何しろ少ない人数で仕事をしていますから、営業課長さんも第一線の営業マンとして仕事を取ってくる。あるいは、生産現場の監督職の人も、培った能力を生かしてよいものをつくり込むということが多い。

とくに、地方でオンリーワンの競争力を持っている企業、よく最近、グローバル・ニッチ・トップというような言い方もしますが、地方で国際的な競争力を持っている企業というのはおしなべて生涯現役の仕組みになっているところが多い。その1つの理由は、賃金体系や処遇の仕組みもあるのですが、実は同時にそういう競争力のある中小企業では、高齢者やベテランの能力が競争力の源泉になっている。製造業の場合ですと、圧倒的に多いのは受注産業で、中小企業が多い。

つまり、わかりきったものを安くたくさんつくるのではなくて、頼まれたものをつくる。日本の中小企業の1つの特徴は、何か頼まれたときに、「それはできません」とあまり言わない。「とりあえずやってみましょう」と言う会社が多い。それができるのは、ベテランの人が多ければ多いほど、過去にいろいろな経験を持っているからです。

もう1つは、かゆいところに手が届くような高度なサービス。これもベテランの人でないとなかなかできない。例えば地方の、圧倒的に競争力のある旅館や百貨店、そういうところにベテランの販売員とか接客サービスの人がいて、高い料金を取ることができる。

大切なのは、そういう高齢者が持っているノウハウや人脈とかいったようなものを、そういう競争力のある企業は必ず、入ってくる若い人たちに伝えているということです。つまり、高齢者が持っている能力を次の世代にしっかりと伝える仕組みと、それを進める土壌がある。

地方のオンリーワン企業が世界標準になる可能性も

私は、こうした地方のオンリーワンのグローバル・ニッチ・トップの企業から真の意味での高い付加価値を持った生涯現役の企業モデルが出てきて、それが日本全体に行き渡り、やがて世界標準になっていく可能性があるのではないかと思っています。

今日ここにお集まりの皆様方も含めて、日本の企業の方々は、そういう日本から世界へ向けてすばらしいモデルを発信することのできるような、生涯現役社会実現のためのさまざまな努力をされている方々だと思っています。ぜひ皆様方の力でそうしたよき生涯現役社会を日本につくり、そしてそれを世界に発信することによって、その面でも日本が世界に貢献できればよいなと思っています。