基調講演
女性の貧困とアンダークラス化はなぜ進むのか

講演者
宮本みち子
放送大学副学長/日本学術会議連携会員
フォーラム名
第74回労働政策フォーラム「アンダークラス化する若年女性Part2~支援の現場から~」(2014年6月21日)

本フォーラムの題名である「アンダークラス化」という言葉は、歴史的には1980年代以降にアメリカで使われるようになった言葉です。その後、この言葉自体、賛否両論の議論がアメリカ国外でも多く繰り広げられてきました。

この時代はポスト工業化の時代で、アメリカの大都市では製造業が縮小し、失業や半失業の状態に慢性的に置かれる人たちが増加しました。これらの不安定な状態を繰り返している人々に対し、労働者階級にも属さない人々(階級外の階級)という意味で、「アンダークラス」という用語を当てるようになりました。この言葉の中には、労働意欲がなく働かない人々というニュアンスが多分に含まれ、スティグマのある言葉となったわけです。日本の場合、「アンダークラス」という言葉で、現在生起している問題を論じてよいか、まだ議論の段階であり確立しているわけではありません。

アンダークラス化する若年女性を論じるといっても、一律に論じられるわけではありません。そこで大まかに3つのグループにわけてみました。

1つ目は、ひとり親世帯。とくに母子世帯における貧困の再生産の問題です。2つ目は、予備軍の状態にあるグループです。厳しい時代状況の下、結婚や子供を持った時点で貧困や暴力、離婚に遭遇する女性たちの問題です。3つ目は、比較的恵まれている高学歴グループに入る女性たちですが、ライフコースが明確に目の前にない、今の時代の中で自立の道がみえない女性たちです。

次に、とりわけ若年女性に関しては貧困がみえにくいということを押さえておきたいと思います。その理由は、女性の場合、若い男性以上に独立した生計を営むという社会的な位置づけがない、あるいは低いからです。暗黙の前提として、扶養すべき家族を持たない人たちと想定されています。さらに、多くの若者は親と同居しており、同居率は女性のほうが男性よりもより高い。

女性の非正規雇用が男性以上に増加している状況があるにもかかわらず、女性の賃金・給与=小遣いや結婚資金という位置づけがますます強くなり、困窮の先送りになっていくことが懸念されます。

この10年間、結婚しない、あるいは結婚しても夫の扶養に頼れない、また子供や親を自力で扶養しなければならない女性が非常に増えています。若い女性を取り巻く条件が、いつの間にか大きく変わったことで、女性の貧困化あるいはアンダークラス化の問題が顕在化したのではないでしょうか。

もともと女性は生計維持者ではないという社会的位置づけの下にあらゆる制度が仕組まれていましたが、時代の状況が変わり、気づいてみたら女性が生計維持者の役割を果たさなければならなくなってきたというのが現在の状況だと思います。離婚した、或いはその可能性を秘めた女性たちが増えていく。また、パートナーからの暴力に晒される女性たちが実は非常に多いという問題があります。

同時に男性自身の貧困化があって、男性が貧困化すれば、そのパートナーの女性の貧困化は当然、同時に進行する関係にあります。それにもかかわらず、自立できる経済力を持てる女性が依然として僅かしかいません。その低い経済力に比して家族の変動があまりにも激しく、経済力の低い女性が守られないのです。女性が守られないだけでなく、そこから生まれた子供も守られない。

親や夫という後ろ盾のない女性生計維持者が低賃金、非正規労働者の状態を続けながら中年期に差しかかると、その後は高齢期の女性の貧困問題が待っています。

もともと日本では既婚女性のパートタイム労働者が多くいたので、女性の非正規雇用化というものが珍しい現象ではなかったわけですが、新しい現象として、1985年の男女雇用機会均等法が成立し、労働市場における男女の平等性が法的に打ち立てられたはずの時期以降に増加した働く女性の3分の2が非正規労働に流れ込んだのです。

いま、働く女性の約5割が非正規雇用にあり、女性パートの賃金は男性正社員の40%台、週40時間働いても年収200万円程度しか稼ぐことができない状況です。これは、未婚期で親の後ろ盾がある女性だけではなくて、子供を抱えて生計の維持者になっている女性たちの置かれた状況でもあり、低賃金から脱出することができないのです。

男女雇用機会均等法は一体何をもたらしたのでしょうか。男女が家庭を持ち子供を育てながら、それぞれが仕事を持ち、互いに経済的に協力しながら家庭生活を維持するというモデルは成り立たなかったということです。つまり、平等を求めるなら男性並みに働くべきという想定になりました。その男性の働き方というのは、家事や育児をすべて担う専用の働き手(専業主婦)を家庭の中に確保している男性たちが(妻の健康管理も受けて)長時間労働をいとわず働くモデルです。そうした働き方が次第に女性にも拡大していき、多くの女性たちはドロップアウトしたのです。

労使協定があれば事実上、青天井の残業が可能という状態の中で育児をしながら共働きをすることは不可能です。

欧州では男女平等を求める過程の中で、男女双方の労働時間規制を強め、仕事と家庭の両立モデルを働き方の標準モデルとし、女性の経済力が上がっていきました。

家族の多様化は欧州の方が日本よりずっと進んでいますが、現在の日本が抱えているような深刻な女性の貧困化や母子・子供の貧困化が起こっていないというのは、女性の経済力が高まったからだと理解することができますし、それを可能にする環境整備が進んだからです。超低出生率から欧州諸国が脱出した要因もそこにあります。

貧困化する若年女性に関して、私たちはどこに焦点を当てて議論する必要があるのか、少し整理しました。

まず、母子世帯の母親の学歴は、ふたり親世帯の学歴より低いことが統計データ的にも示されています。また、母子世帯の貧困や諸困難の背景には低学歴という問題があります。学歴が低いほど就業率が低くなり、正規雇用率が低くなる。したがって現在、母子家庭の母親に対する自立支援策へと転じていますが、低学歴という問題を解決しないと仕事になかなか就けませんし、就けたとしても家庭の経済が成り立つような仕事ではありません。

母子世帯の母親の就業率は学歴で異なります。一番厳しいのは、低学歴の母親が母子世帯になり、経済的に自活しなければならないとなった場合です。個別的な支援や個人的な努力では低学歴女性層の就業問題は解決しません。

OECD加盟国の若者の実態についてのレポートが2011年に出ています。このレポートでは26カ国のニート比率(ニートの定義は失業者及び不就業者で日本の定義より広義)について書かれています。ニートは、失業のリスクが高い集団として、中退、移民マイノリティー、貧困地域、農村部、過疎地に多い若者であり、「置き去り層」と名づけられたグループです。日本で言うならば、まずは低学歴層の男女がこれに該当するでしょう。

それから、もう1つのグループは、労働市場への統合が不完全な新規参入者と言っていますが、安定した技能を有しないまま社会に出て、短期雇用、失業、無業を繰り返している人々です。こうした若者たちには早期の介入が必要であり、就学前教育の強化、義務教育で学力をつけること、そして後期中等教育の修了を支援する必要があると整理しています。

底辺校という言葉は露骨ですが、高校は偏差値で輪切りになっているので、小・中学校ではなかなか発見できない、あるいは認識されない現象が高校の段階で(ある高校グループに)集中して現れることがあります。

底辺校で一体何が起こっているのか、いろいろな高校の先生や高校の現場の話を聞いてきましたが、ある高校の先生が、「ここの学校は女子生徒が多いので、就職指導をしてもなかなか盛り上がらない」と言っています。つまり、女性には逃げ道があると思って、なかなか就職する気持ちにならない。就職ができないまま、あるいは高校時代のアルバイトのまま実社会に出ていく女子生徒がその後どういう人生を歩むのかを考えると、高校は女子生徒が多ければ多いほど盛り上がるような指導が必要です。

経済的に恵まれない人々が男女ともに増えていく今の時代、男性も女性もそれぞれ特有の問題を抱えています。いま日本では、安定した生活基盤を持つことのできない男女が生み出され、子供の生育環境が破壊され、貧困化が進むといった悪循環が起きているのではないでしょうか。