パネルディスカッション:第61回労働政策フォーラム
若者は社会を変えるか —新しい生き方・働き方を考える—
(2012年6月30日)

パネリスト遠景

パネリスト

本田 由紀
東京大学大学院教育学研究科教授/日本学術会議連携会員
菅野 拓
パーソナルサポートセンター事務局長/大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員
髙成田 健
ワーカーズコープ・センター事業団神奈川事業本部本部長
藤沢 烈
RCF復興支援チーム代表理事
堀 有喜衣
労働政策研究・研修機構副主任研究員

コメンテーター

渡邊 秀樹
慶應義塾大学文学部人文社会学科教授/日本学術会議連携会員

コーディネーター

宮本みち子
放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員

宮本

それでは、パネルディスカッションに入ります。まず、慶應義塾大学の渡邊秀樹先生からコメントをいただき、その後、4つの論点について話し合いたいと思います。1つ目は、「なぜ若者の新しい生き方・働き方の検討が必要なのか」といった、原則的・基本的なことの確認です。2つ目は、雇用にかわる新たな働き方の可能性はあるのか否か。また、現在、日本全体がどのような段階にあると見ることができるのかです。3点目は、復興支援に参加した若者の活動から、持続性のある新しい働き方が生まれる可能性があるのか。最後は、新しい働き方を推進するためにはどのような条件整備が必要なのかについてです。

自らの手で働く場をつくる

ディスカッションに入る前に、今回のテーマを「新しい生き方・働き方」としたことについて、過去3回のフォーラムの流れのなかで少し振り返っておきたいと思います。これまでも毎年1回、この若者に関わるフォーラムを開いてきました。そして、昨年までは、仕事に就くことにもっとも困難を抱えている若者の実態把握とその支援、政策の検討をしてきました。

2000年代中盤くらいから、各地で若者の就労支援の取り組みが展開されてきたわけですが、時代状況としても非常に悪く、若者支援で一番解決が難しいのは出口の問題でした。この間、職業教育訓練や就労支援の取り組みは、10年前に比べると格段の大きな広がりがありましたが、実際には、仕事に就く段階で若者たちが就ける仕事の場は極めて限定されてきました。

写真:宮本

宮本教授

就労に行き着くまでの間に、豊富で多様な訓練、就業体験の場も必要になってくるわけですが、これについても制約があるなかで、人生の再スタートを切るには、社会的な支援は乏しい状況です。

そういったことを考えると、雇われて働くのではない場をつくらなければ、若者の雇用問題は完全には解決できません。そこで、社会的企業やNPOなど、現在はまだ機会の少ない「働く場を自らの手でつくる」といった課題に取り組む必要性が議論されたわけです。この流れはフォーラムを通して出てきただけではなく、全国各地の若者支援に取り組んでいる現場の切実な問題意識だったともいえます。

そういったことも考えて、今日のテーマを設定しました。そのうえで、特に被災地を中心に率先して現地に入り、今までなかったような形で多様なステークホルダーをコーディネートしてつなげている若いリーダーに、これからの日本の展望を見出したいとの思いも込めて、参加していただいたわけです。

強固な日本型循環モデル

では、本題に入ります。渡邊先生、前半の議論を踏まえてのコメントをお願いします。

渡邊

それでは少しだけ感想に近い話をさせていただきます。本田先生からはマクロな視点での見取図、堀先生ほかからは地域レベル、メゾレベルあるいは個人のミクロレベルの事例を紹介していただき、そのマクロな枠組みのなかに、それぞれがどのように位置づくかを、突き合わせながらお聞きすることができました。

基本として、まず、若者問題は社会全体の問題だということです。本田先生には、戦後日本型循環モデルを示していただきましたが、このモデルはなかなか強固です。新規学卒については、1972年にOECDの教育調査団が、『日本の教育政策』という報告を出しています。そこには、日本におけるライフコースがフロントエンド型、つまり就学と就労がくっついている直列型で隙間のないことへの疑問が呈されていました。40年も前のことですが、いまだに大きな問題とされています。

家族と教育の関係では、世代独立的な家族関係への移行についていろいろ言われています。しかし、世代連続的というかパラサイト型というか、そういう家族関係がやはり根強いわけです。そう考えると、このような社会にしみ込んだ文化や構造を揺さぶるには相当強力な政策的誘導が必要であるということになります。

必要とされる若者への多様な対応

髙成田さんや藤沢さんが紹介した若者は非常に多様な若者です。その若者の多様性には一律・画一的な政策ではなく、やはり多様な対応が必要です。その点を踏まえ、私自身が直接話を聞いた、NPO法人「ETIC」の右腕プロジェクトの現場の人や、あしなが育英会仙台事務所の職員の方の震災遺児への対応の話を紹介したいと思います。

写真:渡邊

渡邊教授

震災遺児については、阪神淡路大震災で600人と言われていますが、今回の震災であしなが育英会が特別一時金を支給することを各避難所に掲示したところ、2,000人を超える遺児がいることがわかりました。それに対し、どれだけの寄付が集まったかというと、実際には40億円が集まり、一人に約200万円を配ることができました。海外からの寄付が多かったのですが、寄付制度の問題も想起されます。

レインボーハウスにやってくるボランティアやファシリテーターのなかには神戸で遺児になった学生も来ていて、今回、遺児になった子供たちの相手をしています。子供を連れて来た大人たちのなかには、「この子も将来は、こうした学生のように、なれるかもしれない」と語った人がいたそうです。ロールモデルの大切さです。ロールモデルという表現を一般化してよいかはさておき、髙成田さんや藤沢さん、菅野さん自身が就労や就労創出の重要なロールモデルとなっているわけです。先ほどの髙成田さんが紹介した事業でも、児童デイサービスの職員と子供たちの進路の先に、ほんの少し先を行くロールモデルを置いた方が良いと思うのです。

気仙沼の復興協会を立ち上げた慶應義塾大学の大学院生の事例も興味深いものです。彼は、気仙沼の階上中学校の卒業生で、階上中が避難所になったときにボランティアに入りました。最初は物資を配ったり、清掃や瓦れき処理をしていたのですが、被災者のなかに食事の時間になると並ぶけれど、それ以外の時間はすることのない人がいることに気付き、「生活リズムを維持し、働くリズムを途絶えさせてはいけない」と考えました。復興協会の立ち上げには、若者も含め、働くことを剥奪された人たちに、まずは働くというリズムを維持してもらい、徐々に継続的な就労につなげてほしいという意図がありました。髙成田さんの言う、就労の段階的プロセスの第一段階です。南三陸の水産加工業の20代の息子さんは、家業継続が不可能になり、昨年は仙台の建設業で働いていましたが、今年は家業再開に向けて歌津に戻りました。就労の第二段階に進んだわけです。今夏、カキ養殖船の進水式がにぎやかに行われましたが、働くという生活のリズムを保持し、その次に、やりたい仕事につなげていくというプロセスに入ったわけです。

弱い紐帯の持続を

こういう事例を通して何が見えてくるかと言いますと、そういった取り組みで、地元にいる人たちと藤沢さんや菅野さんのように全国から被災地に行く人とのつながりができてくるわけです。この地元と外部との弱い紐帯を持続させながら仕事の機会を創出・維持していくことが大事ではないかということです。

あるいは、ネットワーク論で言うボンディングとブリッジングという枠組みがあります。ボンディングとは、要するに1つのシステム、地域のなかでの仲の良さ。いわば「絆」です。ブリッジングは橋をかけるという意味。外とその地域・地元との架け橋となる。この両者のバランスがすごく大事だと思うのです。いま、被災地への外部からのブリッジングは、震災が起きたことでたくさん入ってきたわけですが、そのブリッジングとボンディングのバランスをこれからどう維持していくかが課題だと思います。

論点1 若者の新しい働き方の可能性の検討

宮本

ありがとうございました。渡邊先生のコメントを、具体的な討論に折り込みながら話を進めたいと思います。ではまず、雇用に代わる新たな働き方の可能性が、被災地に限らず全国を見渡してあるのか。髙成田さん、労協における若者の状況をみて、雇用に代わる新しい働き方の可能性がどのように見えていますか。

ワーカーズコープで仕事起こしの萌芽が

髙成田

先ほど、若者が職業訓練から社会的な課題に対する仕事起こしに挑戦している話をしましたが、これは決して神奈川だけで起きているものではありません。全国的な動きであり、ワーカーズコープ全体で同様の取り組みが起きています。まだ数が多いわけではありませんが、萌芽は確実に出てきています。

職業訓練以外の動きもあります。例えば、私たちは指定管理者として、学童クラブや児童館を全国で200カ所ほど受託していて、そこで働いている若手が400~500人います。最近、学童のなかに障がいを持ったお子さんが増えていて、行き場所がない問題が起きているということで、自分たちも挑戦してみようとなり、ここ1、2年、全国約20カ所で児童デイサービスと呼ばれる自立支援法(平成24年4月より児童福祉法 放課後等デイサービス)を活用した障がい児の居場所づくりを行っています。

若者が、効率や平等を前提にした公的サービスだけでは支え切れない地域の課題や困難とされる分野に対し、全国一律とはいかなくても地域ごとに、障がい児の親や行政、地域の人を巻き込んで形に変えていくことが起きています。

指定管理者制度の枠を超えた取り組みを

宮本

ワーカーズコープの仕事づくりの比重から考えると、「指定管理者制度で仕事を受託し、それを中心に仕事づくりをしていく」のが中心になっていると思いますが、そこには可能性とともに限界があると思うのです。持続的に生活を維持できるのかどうかについてはいかがですか。

髙成田

写真:髙成田

髙成田本部長

今までは、例えば清掃は委託事業で最初から収入が決まっている、といったところから始まっていました。介護保険の介護の仕事などでは、出来高払いとなって、自分たちで収入を増やして生活を安定させていく経過があります。指定管理者制度は、最初から一定程度、国からの金額が確保されており、常勤として採用できるので若手の雇用が広がっています。

ただ、指定管理自体が大体3年とか5年の契約になっていて、その後も更新できるか否かは自分たちの出す結果次第といった不安定さがあります。また、やはり指定管理だけでは解決できない地域のニーズも見えてきているので、指定管理の枠を越えた仕事を起こしていくこともセットにして公共サービスを変えていかないと、自分たちが継続して働けるようにはなっていきません。指定管理の内容だけをやっていれば安定的かというと、決してそうではないのが現実です。

新しい働き方の2つのタイプ

宮本

ありがとうございます。堀さんは、報告の最後で、多様な若者の意識と就業行動の実態のなかから見えてくる課題を整理していました。見えてくる課題のなかで、雇用に代わる新しい働き方の可能性についてはどう感じていますか。それからJILPTで昨年、堀さん、小杉さんを中心に若者支援の社会的企業調査をやっていますが、調査結果から見えてきた新しい働き方の可能性についても触れていただければと思います。

今日、議論されている新しい働き方には、2つあるような感じがします。1つのタイプの若者は、たいへん自律性の高い若者。NPOなどを1つのキャリアとして形成していく、藤沢さんが紹介したような非常に立派な若者です。もう一方は、おそらく髙成田さんや菅野さんが対象としているのだと思いますが、なかなか一人で移行するのが難しいタイプの若者です。

私どもの調査によれば、前者のNPOをひとつのキャリアとして活躍する若者についてはまだ社会的な評価は定まっていないものの、一定程度は出てきています。他方で、一人で移行できないタイプの若者が、支援機関を離れて社会へ移行するのは難しいことが見出されています。その背景には、NPO等をはじめとする社会的企業の経営基盤の脆弱性が存在しています。(調査内容の詳細は『ビジネス・レーバー・トレンド』2011年10月号で既報)。

復興現場が中間的労働市場拡大のきっかけに

話を戻して、新しい働き方がどのぐらい広がっていくかについて、昨年度の調査結果からいうと、量的に大きな規模になっているとは思いません。

写真:堀

堀研究員

藤沢さんの示す、 (1)社会的評価の確立 (2)ボランタリー組織のマネジメント強化 (3)専門トレーニングの導入――といった復興支援の現場で活躍する若者の拡大・再生産に向けた課題は、去年の私たちの調査結果とかなり共通する部分があります。復興支援の凝縮された現場でも、若者の社会的企業の現場でも、かなり共通した課題だと思っています。

そういう意味では、かなり悲観的な見方になるかも知れませんが、まだ社会的企業が生み出す中間的労働市場は、決して大きな規模にはなっていないと考えています。ただし、萌芽は見えてきていて、それが大きくなるきっかけの1つとして、復興の現場があるのではないかと3人の報告から感じました。

論点2 雇用に代わる新たな働き方の可能性は

宮本

私からみても、まだ社会的企業が力強く振興を始めた段階ではないと感じられます。しかし、被災地というのは、非日常の世界です。かなりの大きな金額のお金が動き、外部の大量の人たちが入り込み、そこに弱い紐帯も生まれてきている。特に20代、30代の人たちが積極的に活躍できる世界が開かれたとも言えると思います。問題はその復興支援に参加した若者たちの活動が、今後、持続的な新しい働き方へつながっていくのか。藤沢さんと菅野さんに、それぞれ思っていることをうかがいたいと思います。

求められる関係ベースの働き方

藤沢

先ほど、「固定型のリーダーから流動型のリーダーへ」という言い方をしましたが、少し言葉を変えると、「契約ベースの働き方から関係ベースの働き方へ」になると思っています。

写真:藤沢

藤沢代表理事

契約ベースとは、組織に従属して、組織のミッションの中で働いていくことです。その点、今の被災地に行っている人は、もちろん個別の契約はありますが、それよりも、現地や行政の方、東京から支援してくださる企業などとの関係がまずあって、契約はそれらを組み合わせながら必要に応じて行う程度の話だと思っています。

やや話がそれますが、復興を考えたときに、遅れている部分と進んでいる部分があるわけです。現地に行けば明確にわかるのですが、市街地の復興はもの凄く遅れています。逆に集落や漁村、農村といった小さいところは非常に進んでいます。その違いは、コミュニティの有無が決め手になっています。

コミュニティがあったところは、はじめから「市町村が支援するわけがない」と、勝手に復興を始めています。一方、市街地の方は「自分の家はこれからどうなるんだろう」とずっと支援を待っていて、何も起きなくて行政批判をしています。関係ベースの生き方は、まさに漁村や農村といった集落にあることを強く感じており、そこからは「関係性をつくると人は生きていける」ということを逆に学んでいます。そして、それをもう少し市街地で展開できないかということについて、日々、模索しています。

持続性ある働き方の2つのポイント

そういう整理のなかで、ご質問いただいた「持続性のある新しい働き方」には2つのポイントがあると思っています。1つは、関係ベースの働き方があったとしても、今は、関係ベースではそれほどお金になりません。ソーシャルキャピタルのようなものは得られるかもしれませんが、自分自身は、別のところで経済的な収入を得ていて、その余力のなかで支援活動をしているのが現実です。それを何とか逆転できないものかと思っています。どうすれば、そういった社会的な資本や関係性があることで生きやすくなるかを考えていかねばならないでしょう。

もう1つ、先ほど申し上げた漁村、農村のようなコミュニティ、渡邊先生が指摘されたボンディングが残っているエリアの特徴を、市街地エリアでどうつくりあげるかも課題です。市街地は、どちらかというと東京に近いイメージで、隣に誰が住んでいるかもわかりません。そんな世界を復興させるのは、このままではかなり厳しいと思っています。

組織を維持・発展させる仕組みと資源が

菅野

私からは、仙台で実際に事業を展開してみて、困ったことから説明したいと思います。というのも、形が何もないところに2億円のお金がついてしまったのです。大量のお金が動いた時に何が起こったかというと、まずファイナンスの問題が処理できませんでした。

「2億円は精算払いです」と言われたら終わってしまうのです。当時は、起業して間もなかったので、就業規則もなければマネジメントの仕組みも一切ない状態でした。たまたま、リーダーがいて、頑張ってやってきた仲間たちがいたから今もうまく運営していますが、非常に苦労したことは事実です。

社会的企業には結局、組織を維持・発展・拡大させていくための仕組みや資源がほとんど整備されていません。市中銀行はお金を貸してくれませんし、どこでお金を借りたら良いかわかりません。マネジメントといっても、コンサルタントを雇うお金は当然ない。組織を拡大する部分で難点がたくさんあり、それが持続性の担保を妨げています。

堀さんが話された、自立性がある人とそれに引っ張られていく人の2つの若者については、私も同じように捉えています。自立性のある人にとって、震災復興はある種のチャンスの場であったと思います。お金が大量に動くし、日本の縮図が本当に目に見える形で現れてくる。ただ、自立性のある人が創ったものに人が引っ張られ、その人たちが働く場が雇用という形になる。すると、組織やマネジメントの拡大、ファイナンスなどの仕組みの整備が必須になってきます。

会社で培ったネットワークやつながり

宮本

藤沢さんも菅野さんも、被災地での社会的企業としての活動のベースになっているのは、大学卒業後の民間企業での数年間の経験だとお見受けしました。つまり、民間企業での数年間の教育訓練がベースとなって初めて自由な働き方ができる。しかも、「現地では金にはならないが外で稼げる」と言えるほどの力がついています。そういうあり方が若者層に広がっていかねばならないと思うのですが。

藤沢

私は卒業後、外資系のコンサルティング会社にいました。そこでの経験は確かに大きく、その後の仕事につながる機会としては、会社に所属していたことが重要だったと思っています。ただ、その期間自体は2年間だけです。正直に言って、そこで自分にスキルがついたとは、あまり思っていません。それ以上に、会社にいた時に培ったネットワークや大手企業とのつながりといった、弱い紐帯のようなものを社会のなかでつくったことが大きかったと思います。

単純にスキルをつければ良いという話よりも、ある種のネットワークや自分の自信のようなものも組み合わさって、「これなら何とか生きていけるのではないか」と思うようになっていきました。

菅野

私も藤沢さんと同じ意見で、単純なスキルトレーニングではないと思っています。会社には3年間いましたが、どちらかといえば水が合わない状態で過ごしました。何を培ったかといえば、社会的企業の領域では、どちらかというと企業が反面教師になるので、問題意識などを培ったのではと思います。

宮本

そうですね。スキルではなくネットワーク力とか、いろいろな側面で力を付けてこられたのでしょう。第3者からみると、その数年間はきっと、本人が感ずる以上に重要なステップだったように思います。

論点3 復興支援の活動から、持続性のある新しい働き方は生まれるか

もう1つ、藤沢さんや菅野さんは30代のリーダー層ですが、被災地に入ってくる人の圧倒的多数は20代で、この人たちは1年くらいで戻ってしまうわけですね。この人たちが被災地で経験したことが、やがて新しい働き方に広がっていく可能性はあるのでしょうか。

蓄積した経験を活かせる受け皿づくりが

藤沢

その可能性は今のところまだ半々です。期待もしている半面、元に戻って何もなかったことになってしまう可能性もあるでしょう。戻ってから、被災地のような場で1年過ごした経験を活かせるような空間は必ずしもあるわけではないということが課題です。

パネルディスカッション

半々といいましたが、もしかすると2・8ぐらいかも知れず、活かし切れない危惧があります。ただ、だからといって、これからもだめだという話でもなく、むしろ自分たちの努力が重要だと考えています。彼らの経験を活かせるような受け皿づくりをしなくてはならないし、放っておいたらうまくはいきません。

菅野

私も、もし戻ってしまうのなら、そういう結末なのかなと思います。できれば戻らないでいて欲しいというのが本当の願いです。リーダーになるまでに、そんなに長い時間は要しません。例えば、3年間やれば、それなりのリーダー的な資質を持って帰れます。しかしいま、3年いられるような公的資金のスキームはほとんどありません。本当なら、被災地に3年程度とどまって、一定の蓄積を得てから帰ったほうが良いと思います。

論点4 新しい働き方の推進にどのような条件整備が必要か

宮本

この話は最後の論点「新しい働き方を推進していくためには、どのような条件整備が必要なのか」につながっていくと思うのですが、髙成田さんからみて、いかがですか。

働きやすい法的整備を

髙成田

私がこの活動をしているきっかけは阪神淡路大震災です。大学1年のときで、10日後には被災地に入っていました。戻ってきた後、大学で3年間、地域のボランティア活動――障がい児、自閉症の子供を預かる活動や地域のお祭りの実行委員会などをやっていました。藤沢さんと菅野さんの話を聞きながら、「それで今があるな」と思ったので、やはり大学のなかでそういう活動の場があったことが大きかったと思います。

この間、若者の仕事興しをみてきたなかで3点ほど感じています。まず1つは、働きやすい法整備です。私たちでいえば、協同労働の働き方についての法が整備されていないことは、非常にマイナスです。ならば、NPOで事業がやりやすいかといえば、決してそうではない現実のなかで、やはり協同で仕事を興せる仕組みが欲しい。

2つ目は仕事を出す側の意識です。私たちは「コミュニティ事業支援条例」というものを提案しています。行政が公的サービスを民営化する流れのなかで、何でも自由競争とするのではなく、地域のなかでNPOや協同組合が時間をかけて行った方が良い分野もあります。介護保険が好例です。民間企業がどんどん参入しますが、結局、制度のことしかやらないので、制度と現実の狭間が抜け落ちたままです。そこで、制度に付随する周辺領域もしっかり捉えられる団体がそういった公的サービスを担っていけるようにするコミュニティ事業の支援条例が必要です。

最後に、特に若手が立ち上げ時に困る給与の問題です。やはり1年間でもいいので給与保障の仕組みがあれば、もっと事業が立ち上がっていくと思います。

NPOと市民側にも大きな問題が

藤沢

条件整備について一点だけ、いいですか。私が今回、国の仕事をしながらつくづく思うのは、「(日本は)もう小さい政府になってしまった」ということです。復興庁の役目はまだまだありますが、職員が300人ぐらいしかいない組織にできることには限りがあります。そこにあまりに過大な期待を寄せるのはどうなのかと思います。

実は市民側の課題が大きいのではないかと思っています。2つ問題があって、まずNPOが、あまりに地域や一般市民からの支持が得られていない現実があります。確かにお金は足りないし、基盤整備もできていないのですが、NPOセンターにせよ各NPOにせよ、寄付が集まっていません。もっと開かれて支持を得られるような組織にNPO自身が脱皮しないとなりません。いつまでも公的資金に頼っている場合ではないだろうと、自戒を込めて思います。

市民の側も、公共的なことはまず自分たちが担うという意識を持つことが重要です。順番としては、まず市民が自ら行動を起こし、それが担えない部分を行政が行うべきなのに、今は完全に逆転しています。復興においてもまずは行政が何をするのかというところが注目され、そのなかの一部を、自分たちが担うといった感覚です。何とかそこを逆転するようなメンタリティーになっていけないかと思っています。

見過ごされがちな中堅人材

宮本

それでは本田さんコメントをお願いいたします。

本田

私はやはり教育とか訓練、人材形成に関心が向いてしまいます。先ほど、堀さんから自立的な若者と困難を抱える若者といった2つの分類がありましたが、その自立的な若者も、今日来てくださっているお三方のように、コンサル会社などでスキルを磨き、かつ意識が高く、社会的課題の支援などにも取り組んでいける超ハイスペックな方々と、堀さんの事例にあったような、すごくハイスペックではないけれど一貫した専門性をよすがにしながら何とか道を切り開いていくような若者に、さらにわかれると思うのです。

写真:本田

本田教授

またそれとは別に、髙成田さんのセンターに来ているような障がいをお持ちの方も含めて、一般の労働市場ではかなりつらい若者がいて、粗い分け方をすると3つぐらいのグループになります。それぞれに対して新しい働き方を準備するうえで、教育や訓練、生きていきやすくするための働きかけは、別々にあり得るように思います。

ハイスペックな若者たちについては、もうロールモデルが作動し始めている感があり、そういった人たちは自ら育っていってくれそうな気がします。

一方、一番見過ごされがちなのが、実は堀さんが紹介したような中堅人材の若者ではないでしょうか。彼らは注目されにくいですし、そのための教育訓練機関の制度的な整備も進んでいません。巷では、グローバル人材とか人間力といったような抽象的な人材イメージばかりが語られますが、特定の確実に発揮できる力を若者に身につけてもらえるようなルートをつくるには、後期中等教育や高等教育の改革が必要だし、実際にできるところもあると思います。

そういうことについて、既存の学校教育機関とか職業訓練制度でも良いのですが、そこの部分での提案はありませんか。

大学で社会活動の経験を積む

菅野

私は大学院生ですので、その観点からお答えします。私の大学は大阪市立大学で、都市問題の分野ではかなり研究熱心です。大阪は社会問題が分厚くあるフィールドを抱えていますので、そういう教育研究をずっとやってきました。コンサル企業に勤めていた時代もそうですが、大学院でもプロジェクト型の教育でスキルをつけさせてもらっていると感じています。

写真:菅野

菅野事務局長

実際にフィールドに入って事業を動かしながら、調査にしても幾つかの法人と付き合いながら、政治的な関係性ももちながらいくつかのプロジェクトを実施しました。そのうちに、いわゆる学問ではなかなかわからない、社会で生きる術というか現実的な仕組みの部分がわかってくると思います。学術的な研究も必要なものですが、それだけに留まらないプロジェクト型の教育のようなものがもっとあっても良いのではないかと思います。

髙成田

やはり、大学のときにもっと社会活動を積むことが大事だと思っています。今、私たちは、日大藤沢の生物資源科学部の大学生と一緒にデイサービスの高齢者の畑づくりをしたり、高齢者のニーズ調査(訪問調査)をしています。そういう活動が、もっと学生時代からあると良いのではないでしょうか。

インターンを手段として組み込むことへの疑念

藤沢

例えば今、インターンシップがありますが、それが完全に手段になっている気がします。就職するためにインターンを経験しないと、職業が身につかないしスキルも身につかない、となってしまっている。でも、私は、それは逆じゃないかと思います。別にインターンでなくてもよく、ボランティアでもいいわけです。手段ではなく、あくまで今これにコミットするんだといって飛び込んでいる人間は、そこで関係ができて、それによって新しい価値観が入ってきたり新しい機会が生まれたりして成長すると思うのです。

高等教育で行うべきなのかはわかりませんが、自分自身が行うある種のプロジェクトを、手段的にとらえるのではなく、目的にコミットする機関として設定し、そこで関係づくりをしていくことをしないと、ゴールをイメージし過ぎてそこの機関でやることがすべて手段に陥ってしまう。人は本来、偶然の出会いのなかで関係をつくるはずなのに、「就職のために付き合う」とか「この人と出会えば新しい仕事をするのに有利になる」などと考えている人には限界があると思っています。

<フロアからの質問>

宮本

ありがとうございます。では、ここでフロアからの質問を受け、それも踏まえた形で、最後にお話いただきたいと思います。

質問者A

高齢化社会になり、高齢者がどんどん仕事をすると若者の仕事がなくなってしまうとの議論があります。世界一の高齢化社会の日本における、これからの若者の就職と高齢者の継続雇用の兼ね合いについてお聞かせ願いたいと思います。

質問者B

企業内でも正規と非正規の格差が大きすぎる問題があり、今日の話でもなぜ、(被災地支援に行った若者が)元の企業とかに戻らなくてはならないかといえば、正規社員で働いている条件と、社会企業などに関わっている人との収入差がある感じがしました。正社員(の賃金)を下げれば、総体的に「あっちのほうが収入が良い」「こっちが低い」というようなことがなくなり、社会的企業でも働きやすくなったりするかと思いますが、どのように感じていますか。

質問者C

堀さんがおっしゃっていた二タイプの若者の「一人では移行がなかなか難しい若者たち」に対して、自立性の高さを求めない支援の構築において、具体的に行政、教育機関、民間それぞれはどういったことができるのでしょうか。

質問者D

雇用を解消することが厳しい法的側面の結果、正規社員は、問題社員や上司が注意・指導しても改善のない社員でも容易に解雇できない現実があり、非正規との格差を小さくすることが問題の解決に役立つのではないかと痛感しています。正規社員が擁護され過ぎている現実に手を打っていくべきだと思うのですが。

質問者E

中学、高校の中等教育に、どういう形で職業教育を取り入れていくのか。先ほど、いろいろなプロジェクトに参加するとのお話がありましたが、大学の18歳段階では意識などの点でかなり手遅れと感じられる部分も正直あります。一方、中等教育段階で職業体験などをやっていますが、人にもよりますが、あまり身になっているようには思えません。

<質問への回答とまとめ>

宮本

では、それぞれの立場で答えられることがあれば、それを含めて「若者は社会を変えるか」という今日のテーマに関して最後の発言をしてください。本田さん、18歳では手遅れの実態があるとの質問について、中高教育を含めた教育の課題をお話ください。

高校段階で専門教育の構築を

本田

私は、今の荒れた労働市場に対し、生きていく具体的な力をつけるうえで、特に高校とか高等教育機関がもっとできることがあるはずだと提言してきました。中学校は義務教育なのでどこまでできるかわからない部分がありますが、少なくとも高校段階では、もっと特定の分野に立脚しつつ柔軟な展開の可能性を含んだ専門教育を構築できると思っていますし、それを広げていきたいと思います。

Cさんの質問は、堀さんに対するものでしたので、それ以外の質問についてごく短くお答えします。高齢化社会については、これからもの凄い勢いで進みます。年金で支えていけるのかいけないのかわからないような状態が来ますので、お年寄りであっても働いていただいた方が望ましいことは否定できないと思います。その際、高齢者が仕事をしたら若者の仕事が減るというようなゼロサム的な雇用の奪い合いで考えていては展望が開けません。仕事を創るとか興すといった発想が必要ではないでしょうか。あるいは、お年寄りも、できれば若者に対して知識やスキルを伝えたり生きていく場を創り出す方向で、椅子を奪う形ではなく、これまでの経験を活かして欲しいと思っています。

何がディーセントな働き方か

BさんとDさんのご質問は、正規と非正規の格差の問題ということで関連しています。これについて私は、正規・非正規の両極化は非常に大きな問題だと思っていて、その間を架橋するような限定型正社員などを提唱しています。そしてそれは、実質的に正社員側から非正社員側に対し、賃金の財源を分配することにもつながってくるかと思います。

ただ、これについては注意が必要です。全体の非正規化などと軽々しくいうと、低賃金で劣悪な方に労働条件の水準を下げていくことになりかねません。そうではなく、何がディーセントな働きなのかを考えたときに、今の正規でも非正規でもなく、それにまたがるところにあるはずだというような展望を持って、新しい働き方を構築していくべきです。

パイの奪い合いにならない形を

菅野

高齢化社会の問題に対して、実は私の組織でも起業していくなかで年配の方々の年の功を借りています。今、幹部層が5人いますが、そのうち2人は60歳を超えています。

起業段階では、やはり年配の方の知見が生きてきますし、年配の方がいるからこそ生まれる他の仕事もでてくる側面があります。起業とか新しい領域で何かを立ち上げる職場があれば、パイの奪い合いにはならないでしょう。

Cさんの質問の、一人ではなかなかしんどい人に対する現場の取り組みですが、実際には一人ひとりに個別に対応しています。たいがいは、それぞれ異なる複数の課題を抱えています。メンタルの問題だったり、発達障がいの問題、家庭環境の悪さ、仕事での厳しい経験から立ち直れないなどです。これらをゆっくり時間をかけて、一つひとつ適切に解決していっています。

事業型NPOへのマネジメントの支援を

髙成田

同じ質問に対して、私たちは、事業型NPOなどへの支援をやっていきたいと思っています。今でもNPO支援センターがありますが、設立の支援にとどまっている気がしていて、事業のマネジメントをサポートするというところはまだ数が少ないと思います。

私が知っているだけでも若手の起業家が50~70人ぐらい横浜で学んでいて、その中から社会的事業を立ち上げている人も出てきているのですが、皆、その後どのように事業を軌道に乗せ発展させるかを悩んでいます。ワーカーズコープは、多様な事業活動をやっているNPOの1つとして、全国組織を生かした多様な事業のロールモデルをつくってきたので、それを提供していきたいと思います。

ワーカーズコープ・センター事業団も15年前は清掃と物流の事業しかやっていませんでした。それを若手や女性、働く人たちが話し合い、自分たちで覚悟を決めて新しい仕事興しに挑戦してきたからこそ今があるわけです。日本の若者は意欲もスキルもあると思っていますので、それを生かせる機会や仕組みをつくっていかなくてはなりませんし、その法整備を認めてほしいと思います。

限界集落から学ぶべきことが

藤沢

新潟県に山古志という村があり、2004年の中越震災のときに全村避難しました。今は皆さん村に戻って復興を遂げています。

私が行ったのは、10世帯ぐらいの小さい集落で、75%の人が65歳以上のスーパー限界集落でしたが、そこに住んでいる人全員が物を売っているのです。集会場があり、そこでお米を売ったりパンをつくって売ったり、山古志牛というブランドをつくって値札をつけて売っていました。そこにいるリーダーに聞いたら「値札が重要だ」と言いました。「値札があると、人は入ってこられる。値札がないと、村の人しかそこに滞在できなくて外から人が来ない。だから、正直売れないけど、値札をつけている」と聞かされて、なるほどと思いました。

要は、定住人口に対して交流人口がとても多いということです。その小さい10世帯の20人に300人のスポンサーがいて毎月来るのです。その話を聞いた時、「ここは限界集落だけど、残る。町で働いている人が定年になったら、多分ここに来たいだろうな」と思いました。限界集落のまま維持されるだろうと思ったのです。

今回の震災でも、復興が進んでいるのは、むしろ限界集落的なところです。東京にいると「高齢化が進んで人がいなくなるから、そんなものは集約してしまえ」という意見が必ず出ますが、今起きていることは逆なのです。むしろ市街地の人がどんどん出ていってしまっている。この話は高齢化社会ともつながると思います。高齢者にはいろいろなノウハウや絆、つながり、関係づくりがあって、そこから生かせるものや参考になるものがあるのだろうと思っています。

正規社員と非正規社員の格差について尋ねられた質問もありましたが、私はどちらでも良いと思います。大切なのはそこに人との関係があるかどうか。非正規社員であっても、関係があるのであれば、仕事は流動化しながらも続けていけると思っています。

支援機関への滞留を肯定的な評価に

私にいただいた質問は、「自立性が高くないタイプの若者に対する支援をどうしていくか、行政、教育機関、民間のそれぞれについて意見があれば」ということでした。最初に個別的な対応からスタートしたとしても、やはり若者の場合はそこから必ず集団的な支援につなげていくことが重要だと強く思っています。若者の支援機関に対しては、支援機関への滞留の問題がずっと指摘されてきました。この問題を逆手にとった方が良いのではないかと最近は思っています。居場所を丸ごと職場にしてしまうようなことを肯定的に評価していくような形もあり得るのではないか。その際に行政、教育機関、民間の役割がどうなるかについては、若者のタイプによって違ってきますので、それぞれが強い結びつきを持って支援を行っていくことが重要ではないかと感じています。

渡邊

最後の教育の質問に対してですが、キャリア教育を隔離するのではなく、学校全体あるいは学校を取り巻く地域や家族、それをコーディネートするNPOもすべて含めた形で全体のカリキュラムとする事例も、小学校や中学校の段階であります。そういうものも参考にしながら全体で取り組んでいくことが大切だと思います。

大きい若者間格差と重要な全体の底上げ

宮本

では、最後に若干の整理をして、終わりにしたいと思います。

日本では若者の参画の問題が極めてないがしろにされていて、この10年間、若者の自立支援や就労支援は行ってきたけれど、若者が社会の主人公として参加・発言し行動することが奨励され、その力が社会的に評価されるという動きをつくってくることができませんでした。2010年に「子ども・若者育成支援推進法」ができた時、いろいろな困難を抱えている子供や若者に対する支援体制をつくることと、子どもや若者が社会に参画することが盛り込まれましたが、実際は自立困難な若者支援にほとんど特化して、参画に関してはほとんど手つかずの状態にあったわけです。この法律をもとに、「子ども・若者ビジョン」ができたとき、ビジョンの最初の方に「子ども・若者の社会への参画を推進する」との条項が入り、昨年からようやく内閣府を中心に検討がなされていますが、ヨーロッパ諸国や北米大陸などに比べたら、ほとんど政策になっていない段階です。

若者の雇用問題についても、いかに就職させるか、失業率を減らすかに焦点が当たり、もっと積極的に若者が社会を変えながら、それが自分たちの仕事になり生計を支えるものになっていくといった動きをなかなかつくれない状態にあるのではないかと思います。

そういう意味で、今日、実践報告した3人は、まさに日本の若者のトップをいく動きをされていると改めて感じました。同時に、若者の間の格差は非常に大きく、支援しなければならない若者の数が少なくない一方で、トップの若者たちは主体的に活動していることも痛感しました。今後、いかに全体の底上げをしていくかが大変重要だと思います。今日は短い議論でしたが、教育の問題が出たことは、重要なことであり、日本型雇用の枠組みにとらわれない生き方ができる若者たちをどう育てていったら良いか、引き続き課題としていくべきだと思います。

社会的企業の水準向上で雇用の場の拡大を

2つ目として、今や国主導で物事が進む時代ではありません。地域社会に多様で複雑な課題があるなか、今後ますますNPOや社会的企業、協同組合に対する期待は高まることでしょう。ならば、その力をどうやって高めていくか、そして水準を高めていくかを真剣に考える必要がありますし、これが実現すれば若者の雇用の場は拡大するはずです。

それには法整備や寄付制度の課題があります。韓国は早々と社会的企業法をつくり、若者に対しても3年間は支援を行い、若者にやらせることにしました。例えば、若者が数人で会社をつくると3年間は人件費が国から出ます。また、若者が仕事をつくることを国の政策として奨励しているフィンランドでは、仕事を立ちあげようとする若者たちに対し、情報提供、教育訓練、資金提供、交流の場の提供を国や自治体が徹底して行っています。そういった整備をしない限り、若者が自ら仕事をつくる気運は生まれない。

最後に高齢者の問題が出ました。リタイアしたあとは、年金をもらって暮らすという老後は、もはや考えられません。若者と高齢者の利害調整をしながら、すべての世代が社会に参画するためにはどうしたらいいのか。若者が雇われるだけではいけないのと同じように、高齢者も自ら仕事を興すことが必要になってくるでしょう。それにより、世代間の利害調整はできると思いますし、地域の多様なニーズに対してもあらゆる層が何らかの形でコミットすることが可能になるのではないでしょうか。

本日は、大変活発なフォーラムになりました。皆様のご協力に感謝いたします。

プロフィール

※講演順

講演者

本田 由紀(ほんだ・ゆき)

東京大学大学院教育学研究科教授/日本学術会議連携会員

東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授等を経て、2008年より現職。専門は教育社会学。教育・仕事・家族という3つの社会領域間の関係に関する実証研究を主として行う。特に、教育から仕事への移行をめぐる変化について指摘と発言を積極的に行っている。主な著書に、『若者と仕事』(東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、第6回大佛次郎論壇賞奨励賞)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、『軋む社会』(河出文庫)、『教育の職業的意義』(ちくま新書)、『学校の「空気」』(岩波書店)、『「ニート」って言うな!』(共著、光文社新書)、『労働再審1 転換期の労働と<能力>』(編著、大月書店)などがある。

堀 有喜衣(ほり・ゆきえ)

労働政策研究・研修機構副主任研究員

2002年より労働政策研究・研修機構研究員。2008年より現職。専攻は教育社会学。担当テーマは「学校から職業への移行」。就職氷河期世代に属し、これまで同世代についての研究を進めてきた。現在、若者雇用戦略対話WGに参加している。近年の主な成果として、『大都市の若者の就業行動と意識の展開』(労働政策研究報告書No.148)、『学卒未就職者支援の課題』(労働政策研究報告書No.141)などがある。

菅野 拓(すがの・たく)

一般社団法人パーソナルサポートセンター企画調査室長(講演時は事務局長)/大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員

2007年京都大学農学研究科修了。2010年までコンサルティングファームを経て、同年から、大阪市立大学文学研究科後期博士課程在学中。専攻は地理学。東日本大震災発生後、緊急支援活動を経て、仙台で仮設住宅のサポートと被災者の就労支援に関わる一般社団法人パーソナルサポートセンターの事業立ち上げに参画。2012年に事務局長。主な論文に「都市空間をいかに記述するか」(『都市文化研究』13号(2011年)所収)、「復興という「都市問題」に都市はいかに応えるべきか」(『賃金と社会保障』1553+54号(2012年)所収)。

髙成田 健(たかなりた・たけし)

ワーカーズコープ・センター事業団中四国事業本部本部長(講演時は神奈川事業本部本部長)

1997年3月青山学院大学経済学部卒業後、ワーカーズコープ・センター事業団に入団。若者から高齢者まで多様な組合員と共に『協同労働』を通じて、地域に必要な仕事おこしを行い、同時に働く場所も創出。若者自立塾や若者サポートステーションづくりにも携わり、若者が協同労働を通じて変化・成長していくことを推進。2005年より理事、2010年より神奈川事業本部本部長となり、現在は中四国事業本部本部長に就任している。著書に、『協同で仕事をおこすということ』(共著、コモンズ出版、2011年)がある。

藤沢 烈(ふじさわ・れつ)

一般社団法人RCF復興支援チーム代表理事

一橋大学卒業後、外資系コンサルティング会社を経て、NPO・社会事業・ベンチャービジネス設立に特化したコンサルティング会社を経営。3・11後は、宮城県におけるほぼ全ての避難所(400カ所)に関するアセスメントデータを分析し、行政・現地NPO・メディア等に提供する等の活動を行った。現在は、RCF復興支援チームを立ち上げ、震災関連情報の調査・分析や、復興事業立案、コーディネイトを行う「復興支援プロデューサー」として活動している。復興庁政策調査官、文部科学省教育復興支援員も兼務。著書に、『「統治」を創造する』(共著、春秋社、2011年)がある。

コメンテーター 渡邊 秀樹(わたなべ・ひでき)

慶應義塾大学文学部人文社会学科教授/日本学術会議連携会員

1978年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。東京大学文学部助手、電気通信大学助教授を経て、1990年に慶應義塾大学文学部助教授、1995年に同教授。1999年から2003年まで、慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部部長。現在、慶應義塾大学大学院社会学研究科委員長、日本家族社会学会会長、家族問題研究学会会長を務める。主な著作に、『いま、この日本の家族』(共著、弘文堂、2010年)、『現代日本の社会意識:家族・子ども・ジェンダー』(編著、慶應義塾大学出版会、2005年)、『現代家族の構造と変容:全国家族調査[NFRJ98]による計量分析』(共編著、東京大学出版会、2004年)、『家族と出会う』(宮島喬・島薗進編、藤原書店、2003年)、『現代日本人の生のゆくえ』(藤原書店、2003年)、『変容する家族と子ども』(編著、教育出版、1999年)などがある。

コーディネーター 宮本 みち子(みやもと・みちこ)

放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員

千葉大学教育学部教授を経て現職。労働政策審議会委員、中央教育審議会臨時委員、社会保障審議会臨時委員、内閣府若者の包括的自立支援検討会座長等を歴任。主な著書・論文に、『若者が無縁化する』(筑摩書房、2012年)、『二極化する若者と自立支援』(共著、明石書店、2012年)、「若年層の貧困化と社会的排除」(『新たなる排除にどう立ち向かうか』所収(森田洋司監修、学文社、2009年))、「若者の貧困をみる視点」(『貧困研究』第2号所収(明石書店、2009年))、「若者政策の展開―成人期への移行保障の枠組み―」(『思想』第3号所収(岩波書店、2006年))、『若者が社会的弱者に転落する』(洋泉社、2002年)などがある。