実践報告3 震災復興の現場で、若者はいかに成果をあげたか:
第61回労働政策フォーラム

若者は社会を変えるか —新しい生き方・働き方を考える—
(2012年6月30日)

藤沢 烈 一般社団法人RCF復興支援チーム代表理事

写真:藤沢 烈

きょうは報告者が全員30代の男性ですが、これには理由があると思っています。震災復興の現場では、実は30代の男女が活躍をしているのです。我々のような民間のNPOに限らず、国、現地の市や町、あるいは企業の震災担当の方もみな30代です。

それはおそらく、若者の新しい働き方に、何か理由があるのではないかと思っています。それについて実例を交えながら、考えていただけるようなプレゼンテーションをしたいと思っています。

私は、民間の人間であると同時に、政府の復興庁の非常勤のスタッフもしています。民間でありながら、国の公務員でもあるという、両面的な立場の人間です。私は流動的なリーダーと表現していますが、固定的な組織にとどまらないリーダーが出てきているのではないかと考えています。そうした実例を紹介したいと思います。

シート1

被災地で活躍する若者たち:右腕派遣プロジェクト

資料:震災復興リーダー支援プロジェクト
http://www.etic.or.jp/recoveryleaders/新しいウィンドウ

まず、現状ですが、被災地に必要なのは物ではなく、人になっています。現地ではさまざまな事業が必要ですが、それを立ち上げる人材があまりに不足しています。右腕派遣プロジェクトというプログラムがあります。これは、被災地域に東京はじめ全国から人材を「復興の右腕」として派遣しているプログラムです(シート1)。これまでに、100人以上の若いリーダーを派遣できています。現地にとって、非常に有効な支援になっています。

派遣された人材のプロフィールを見ると、20代~30代の男女が多くなっています(シート2)。当初は学生が多かったのですが、社会人の割合が増えて66%になっています。会社を辞めて、背水の陣で飛び込んでいく方が、多くいらっしゃいました。

シート2

派遣された右腕のプロフィール

資料:震災復興リーダー支援プロジェクト

派遣された人の仕事内容も特徴的です。もっとも割合が大きい31%は、「コミュニティ・マネジメント」です(シート3)。それから22%の「事業開発・促進」です。このコミュニティ・マネジメントと事業開発という2つが、現地で必要な職種になっています。

現地では、仮設住宅におけるコミュニティをどう支えていくのかが大きな課題となりました。また、被災地で最も大きな産業である水産業をいかに復興させるかという観点で、新しい事業開発が求められます。こういった役割を担う人材として、東京などから現地に人材が派遣されている状況です。

シート3

派遣された右腕のプロフィールと担当職種

資料:震災復興リーダー支援プロジェクト

大船渡のモデルを横展開

先ほど述べた「流動的なリーダー」というのは一体どういうものであるのか、またどのように活躍しているのかについて、4人の事例を紹介します。最初の一人目は菊池広人さん(いわてNPO―NETサポート事務局長)です(シート4)。岩手県で仮設住宅運営の支援をし、成功事例をつくっている32歳の方です。菊池さんは、大船渡、大槌、釜石の仮設住宅に住んでいる1万5,000人向けの支援事業を展開しています。この支援のポイントは、行政と民間の連携です。

シート4

事例① 仮設住宅団地支援

資料:みちのく仕事(http://michinokushigoto.jp/archives/1613新しいウィンドウ

1万5,000人が暮らしていますから、民間だけの動きではとても対応し切れません。行政連携が必要です。ただ、行政だけではきめ細かなサポートはできませんので、民間の知恵も必要になります。行政と民間をいかにつなぐかということが大きな課題です。実は、それができている団体は少ないのが現状です。

そういう中で菊池さんは何をしたかというと、まず、大船渡市を口説きました。口説いた上で、緊急雇用の制度を使って大船渡市で100人を雇用し、4,500人の入居者の支援事業をスタートさせました。スタートさせるだけではなく、民間企業を委託先とし、NPOのノウハウを提供しながら、企業と議論を詰めていく立ち位置も担いました。

さらに、それにとどまらず、県を巻き込んでほかの市町村にも展開させようと、今、大槌町と釜石市に広げています。この取り組みを、32歳の彼がリーダーシップをとってやっています。一組織のリーダーというだけでなくて、あるときは行政側の人間になり、あるときはNPOの人間になり、企業の人間とも向き合いながら事業をつくっています。

放課後の勉強の空間を確保

2つ目の事例ですが、「カタリバ」というNPOの今村久美さんという方がいます。今村さんは、今回の被災地の教育支援でもっとも成功している事例をつくった人です(シート5)。

シート5

事例② 教育支援

資料:NPOカタリバ(http://www.collabo-school.net/新しいウィンドウ

被災地で生じたのは、クローズな学校教育だけでは今回の教育復旧のサポートは十分できなかったという問題です。津波によって、家以外にも、子供たちが遊べる場や、学ぶ場所などすべてが流されてしまいました。そういった中で、学校という機能だけでは教育が支え切れなくなり、また、放課後の学習の場がないという問題も生じました。その状況を見た今村さんは、放課後に場所をつくって子供たちに来てもらい、心のケアとともに教育する放課後学習の場を教育機関と連携して提供しています。

学校の中にいる間のサポートというのは、通常の学校機関だけでも可能で、大勢の学校の先生方に被災地以外からも来てもらって支援が十分できました。しかし、仮設住宅に帰れば勉強する空間は全くなく、弟や妹がいれば、どうしても騒がしくなってしまって勉強どころではありません。

今村さんは、非常に多くのリソースをオープンに集めたというのが特徴です。まず教育委員会に働きかけをしました。またそれだけではなく外資系金融機関から数千万円寄付をいただいて、地元の塾で講師をやっていた先生を雇用し、夜に使える学校を承諾を得て借りて、事業を運営しています。女川町の子供たちの半数以上がこの「コラボスクール」に通っていますが、生徒の成績もかなり上がってきています、本来なら進学をあきらめなければならなかった子供たちも夢をあきらめずに進学しているという成果も出てきています。

大小の組織を活用して迅速な支援

シート6

事例③ 水産業支援

左写真:水産加工支援イメージ(河北新報よりhttp://www.kahoku.co.jp/新しいウィンドウ

3番目が水産業支援の事例です。水産業では、漁協がうまく役割を果たせなかったことが問題になっています。漁協は大きな組織ですが、組織の論理で公平に支援を行き渡らせなければならないという面がありました。現地に行けば支援はいくらでも必要なのですが非常に時間がかかり、支援が被害度合いに応じて分配されていないなどの問題がありました。

茂木崇史さんは、企業の支援を借りながら、個別の事業者や漁協などと連携をしていって、ネットワーク型で個別の事業を支援しています(シート6)。彼も流動的なリーダーです。それは、大手企業の支援をベースにしながらも、同時に現地に団体を持ちつつ、大きな組織としての顔と小さな組織としての顔の両面を持ちながら現地に入って、具体的な案件をつくっているためです。そういった動き方でスピーディーな支援を実現できています。

地域の翻訳機能を担う

最後がコミュニティ支援の事例です(シート7)。岡本敬史さんも変わった経歴を持っている方です。もともとディズニーランドで働いていて、その後にニコニコ動画というサイトを運営している会社で働き、それから復興支援に入っているというユニークなキャリアです。彼は今、釜石の仮設住宅に入居して、そこで寝泊まりをしながら地域のコミュニティ再建の仕事をしています。

シート7

事例④ コミュニティ支援

左写真:まちづくり協議会イメージ(碁石地区まちづくり協議会より
http://ofunato-city.ecom-plat.jp/group.php?gid=10033新しいウィンドウ

今、市町村と各自治会や住民の関係が、どこも劣悪な状況になっています。すべての人が100%満足できる支援ができない中で、住民は、市町村の説明から「何か隠しているんじゃないか」という疑心暗鬼に陥っています。行政の方は、震災の前に大きな合併が行われているために、人的なリソースが欠けており、個別の丁寧な説明が全くできていないということが、やむを得ない事実としてあるのですが、住民の皆さんにはそうした事情が伝わりにくい面があります。それが不信感が芽生える原因となっています。

こうした中で重要なのは翻訳機能です。行政が何を考えているのか、あるいは住民の皆さんが今何を思っているのか、それをつなぐ役目というのがコミュニティ再生では非常に重要なポイントになってきます。

岡本さんは現地の仮設住宅に入っています。地元の皆さんからすると、こいつは本気だというふうに思うきっかけになります。また、マラソンが得意なので、現地の中学校の駅伝の監督になり現地に入り込みながら、市町村の職員とも議論をして、あるときは住民の皆さんと飲みながら議論することを繰り返しています。

自分で役割の限界を設けない

4つの事例に共通しているのは、「自分は市役所の職員だから」とか、「このNPOのスタッフだから」と、役割を決めない点です。ある問題が起きたら何が求められているのかを考え、置かれた立場ではなく、機能的に自分が求められたことを、あるときは市に働きかけ、あるときはNPOの立場で実践し、あるときは大手企業の名前を使って各分野で支援する。それが、ご紹介した方々が一定の成功を収めている要因になっているのではないかと考えています。

成功の背景として、プロフェッショナリズムとソーシャルネットワーキングの必要性というものをシート8に書きました。左側が従来組織、右側が、新しい働き方だと思っています。

シート8

プロフェッショナリズム+ソーシャルネットワーキングの必要性

左側には3つの組織があり、それぞれの組織の中に人がいます。その人同士が、会議や文章でやりとりしています。組織対組織の中に個人が入っているのが従来の組織の特徴だったのだと思います。

右では、個人がまず先に立ちます。その個人があるときは行政の職員であり、あるときはNPOの立場であり、あるときは企業の顔をしています。顔を使い分けながらも、個人同士は携帯電話やツィッター、フェイスブックに代表されるようなインターネットのツールを使い、日々、連携をとり合います。現地に行くと、いろんな若い方がいるのですが、きょうは復興庁の立場でとか、きょうはNPOの立場でというふうに、立場を柔軟に使い分けます。それぞれが個人の固有名詞で日々付き合いながら、その時々に応じてある種演じながら、必要な機能を果たしている特徴があるように思います。

専門性とツールの両方を保有

もちろん、ツールが使えれば復興支援ができるわけではありません。共通しているのは、組織の論理を十分わかっている人間であるということです。

大手企業の中でそれなりに成果を出してきて、その後、独立し、インターネットのツールも理解しながら専門性を持って動けるというのが特徴だと思っています。そういう意味では、新しい働き方ができているのは、非常に一部の人間だろうと思っています。こうした動きをいかに一般の人にも適用可能にするかということが課題だと個人的には考えています。

拡張するには社会的評価が必要

最後に、活躍する若者の拡大/再生産に向けてというシート9を紹介して終わりにしたいと思います。拡大、再生産には、ここに書いてある3点が必要だと考えます。

シート9

活躍する若者の拡大/再生産に向けて

今の被災地の状況でいうと、30代の若者たちが3年以上現地に残るのかというと、限界があります。復興そのものは10年間かかります。被災者の方から見ても、支援者は、実際には半年ぐらいで帰る人が多く、多少、残念な気持ちをもたれているのも事実です。

現地で組織の枠を超え、市や企業とも渡り合える人間が、必ずしも多くいるわけではないのが現状です。どうやって3年以上、10年そこにいながら、新しい働き方をし続けられる人間ができるか。そのために、まずは社会的評価の確立が必要です。

今回復興支援に入っている若い人は1,000人以上出てきていると個人的に実感していますが、彼らの活動は評価しにくい状況です。今、被災地に行っている人は、評価されなくても、戻れば十分に活躍できる人材ですので構わないのですが、今後の拡張を考えると、被災地での活躍をどう評価していくかが課題になってくると思います。

二番手を育成できる余力を

2つ目は、団体組織のマネジメントです。今、現地に入っている人のほとんどは、個人技に頼っているのが現状です。二番手のメンバーを育成し切れてはいません。というのも、本人はお金がなくても稼げる人間たちですから、特に困らずにやっていますが、一般の方はそういうわけにはいきません。しかし、人材を育成する余幅が非営利の団体にはありません。国や助成機関からの投資も開設当初はほとんどないのが現状です。いかに寄付を増やし、組織の強化をするのかというのが課題だと思っています。

非営利分野での専門性の確立を

3つ目として、専門トレーニングの導入があげられます。従来の企業社会とはまた違った専門性を体系化してトレーニングする必要があります。

余談的に言えば、復興庁にいながら思うのは、職員一人ひとりは復興とは何かということをトレーニングされているわけではないということです。復興庁には300人ほどのスタッフがいますが、各省庁の寄せ集めですので、各省庁の流儀、仕事の仕方の中で仕事をしてしまいます。復興とは何であり、どういう関係性を各市町村やNPOとつくるのかということを体系化して、復興庁に来る人にもう少しトレーニングしないといけないと、いま痛切に思っています。非営利の部門はすべて同様で、組織的に専門性を確立できるトレーニングを導入する機会が今後必要になってくると思っています。