実践報告1 閉塞が一瞬だけ開けた被災地
―ソーシャル・アントレプレナーと産・官・学の関係についてのケーススタディ―:
第61回労働政策フォーラム

若者は社会を変えるか —新しい生き方・働き方を考える—
(2012年6月30日)

菅野 拓 一般社団法人パーソナルサポートセンター事務局長
大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員

写真:菅野 拓

私からは、被災地におけるセーフティーネットの事例、アクティベーションの事例を紹介しながら、最後に、ソーシャル・アントレプレナー的な働き方を可能にした土俵や、そういった土俵をもっと豊かにしていくにはどうしたらいいのだろうかという、3点について、述べたいと思います。

まず、自己紹介と、被災地支援にかかわる経緯についてお伝えします。いま被災地で活動しているのですが、昨年3月19日に被災地に入り、緊急支援を実施すると同時に、仮設住宅入居者の福祉や就労のサポートの事業を立ち上げてきたというのが、これまでの1年3カ月の動きになります。

シート1

自己紹介と被災者支援に関わる経緯

私のキャリアですが、1998年に高校卒業ですので、ことし30歳になります。大学時代は農学を学び、野村総合研究所に就職して、3年後(おととし)、都市問題に興味があり大学院に戻りました。実は今も大学院生のままなのですが、休学して、2011年3月、大学院時代に関係のできたホームレス支援全国ネットワークに行き、緊急物資などの支援をしていこうということになりました(シート1)。

東日本大震災では、津波で家がなくなり、いわばホームレス状態の人々が多く出ました。本人たちからすれば、ホームレスと言われてしまうと、困惑するかもしれませんが、状況としてはそうなのです。そうした人々を支えなければいけないということで、ホームレス支援全国ネットワークの被災地支援対策本部の事務局長として現場に入って、緊急物資支援を3カ月ほどしました。

次は、仮設住宅が建つという段階になり、仮設住宅の入居者に対して福祉的なサポートをしなければならないということで、一般社団法人パーソナルサポートセンターというところで事業の立ち上げをしました。パーソナルサポートセンターの法人自体は、被災の一週間前にできていました。ただし、その時にはスタッフもいない、口座もないという状態で、ただ単に登記してあるというだけでした。事務所もないところから、新しく事業をつくっていきました。

民間の避難所を支援

シート2

発災後、NPOなどが連携し宮城県全域に物資支援を実施

シート2は、最初に、NPOが連携して物資支援を行ったところをマップに落としてみたものです。福岡市に本拠地がある生協のグリーンコープさんとタッグを組んで、宮城県下にトラックを8台ぐらい入れて、物資が届かないところに物資を運んでいました。

シート3にあるようなところに物資を運んでいました。指定避難所、民家・寺・集会場、高齢者福祉施設などです。指定避難所というのは、皆さんが考えられる避難所です。ほかに、民間で勝手につくってしまった避難所が多数あったのです。そういうところが一番物資が届かなかったという現状がありました。

というのも、そうした避難所は、どこにできているか行政が把握していないので、物資を持っていけない。だから、何とかそれを見つけて、結局、指定避難所も含めて計256カ所に物資を運んでいきました。

シート3

物資配送先の分類と箇所数

シート4

物資補給

社会福祉施設なども実は物流が止まっていたため困窮していました。高齢者用のおむつや衛生用品がないなどの状況が起きており、そういうところも含め、もっとも困窮しているところへ物資を運ぼうと、民間ベースでやっていました。

シート4の写真ですが、グリーンコープのトラックがあります。こんなリスの絵がかかれたトラックが物資を運んでいって、1回だけではなく、同じところへ2回、3回と物資を運んでいくのです。すると、「あー、またリスが来た」と言ってくれる。そこに野菜などの物資を置いていく。そんなことをしていました。

シート5

行政の網の目にかからない避難所

シート5の写真のとおり、指定外の避難所は行政の網の目にかからないので、避難した皆さんはこうやって看板を出すのです。ここは色川さんのお宅の中にできた避難所で、5世帯ぐらい住んでいらっしゃいました。行政は、要請があって物資を届けたり、指定避難所には物資は持って行けるのですが、こういうところは民間ベースでないとなかなか物資を持っていけない。

私自身は、物資を運ぶ方もやっていましたけれども、主にはコントロールを担当していました。例えば、生協さんから物資を調達する仕事や、トラックを入れる段取りをするなど。あとは、足りない物資が出てきますから、そういうときは、企業のCSR部門の方にお願いして、物資を届けてもらったりしました。

まずは孤立、孤独を防ぐ

物資の支援は最初の2カ月ぐらいが山ですが、同時に、仮設住宅が建つということも、最初の段階からわかっていたことでした。そこを何とかしなければという思いを持ちながら物資支援の活動をしていました。その思いの受け皿になっていくのが、一般社団法人パーソナルセンターでした。この組織の中に、セーフティーネットの施策や、アクティベーションの施策を入れ込んでいって事業立ち上げを行ったわけです。

シート6の「パーソナルサポート」というのは、内閣府のモデル事業で、まさにアクティベーションの施策を狙ったものなのですが、現実には、仙台は自治体が手を挙げなかったためモデル事業の実施は叶いませんでした。そこで、パーソナルサポート事業の普及・啓蒙をしようとつくったのがこのパーソナルサポートセンターだったのです。そこが仮設住宅の中でパーソナルサポートを理念とした事業を行うことになってしまったのです。

シート6

2011.3.3に設立し、仮設住宅サポート事業の受け皿に

実際にセーフティーネットとアクティベーションの施策で何をやっているか、を示したのがシート7です。左側がセーフティーネットの施策です。仮設住宅入居者は、やはり、孤立とか孤独死が心配されました。阪神淡路大震災のときも相当数の自殺者が出ました。人が死んでしまうということはまず避けなければいけないということで、要は見守りに行きます。仮設住宅に支援員が見守りに行って、「どうですか」と戸をたたきながら福祉的なサポートへつないでいきます。

シート7

仮設住宅入居者への「見守り・福祉的サポート」と「困難層向けの仕事を通じたコミュニティ形成と就労支援」を実施

もう1つが、コミュニティ・ワーク創出事業で、就労支援を主とした事業です。仮設住宅に住んでいらっしゃる方の最大の問題は雇用です。どちらも、仙台市とペアを組んで実施しています。高齢者や障がい者など、なかなか仕事に就くのが厳しい人ほど、雇用の場につなげるのが難しいのです。そういう人で、まずは簡単な仕事を通したコミュニティをつくってもらって、そこから一般的な就労につながってもらうことを意図しています。また、コミュニティという言葉は、地域の仕事に就いてもらいたいという意味もかかっています。

被災者の雇用者も一緒に

シート8は、ちょっと細かいのですが、安心見守り協働事業を詳しくみたものです。日常的な見守りを、仮設住宅入居者の方に行うのですが、ただ行っているだけでは何のサポートをしているのかわからないということで、必ず、「暮らし再生プランナー」という福祉の専門家を入れて、被災者雇用で支援員を雇う。こういう仕組みで、専門家と、新しく被災者で雇用された人が一緒にやっていくのが安心見守り協働事業です。

シート8

絆支援員と暮らし再生プランナー(連携NPOスタッフ等)が仮設住宅入居者と関係機関をコーディネート

実際に、仮設住宅を訪ねていって、「どうですか」と話しながら会うのですが、人によっては、生活保護につなげなければならなかったり、児童虐待、DV(家庭内暴力)の問題が出てきてそれを専門機関とともに解決していかなければいけないこともあります。要は日常的に見守りをしながら、生活上の問題の解決のコーディネートもしていきます。

シート9が、コミュニティ・ワーク創出事業の詳細です。「個別支援」と「プロジェクト・マネジメント」と「つなぎ先の開拓・支援」を連携させて「就労のステップ」をつくり出すというのがこの事業です。日本の現状というのは、シート9の中の図のような階段状に仕事があるわけではなく、フルタイムの仕事と失業状態が比較的明瞭に分かれており、正社員になる壁は絶壁のようになっているという状況が続いています。そうした状況を何とか解消するために、この階段状の仕事の仕組みをつくり出したいというのがこの事業のコンセプトです。

シート9

「個別支援」、「プロジェクト・マネジメント」、「つなぎ先の開拓・支援」を連携させ、「就労のステップ」を作り出す

図の下の左側に「個別支援」と書いてありますが、実際に仕事に就こうと思っている人たちを相談支援します。右に書いてある「つなぎ先の開拓・支援」で、同時に、中小企業を中心に、仕事の求人を出してもらうよう開拓を行います。それをうまくマッチングさせます。

その間のステップをどうつくるか。それが「プロジェクト・マネジメント」なのですが、福祉的就労の実現を図ると書いていますが、例えば、ろうそくやクッキーをつくって、東京で売って、その収益を被災者に還元する。なかなかそれだけでは生活は成り立たないのですが、ちょっとした仕事が、就労意欲の継続につながり、参加者同士のコミュニティ形成にも役立ちます。

政府系との間の領域で

ここまでが、私が被災地で1年3カ月かけて取り組んできた話になります。最後に、ソーシャル・アントレプレナーということを考えたときに、結局、こういう事業をやっていく上で、どんなことがキーになったのか説明します。

まず、先ほどの安心見守り協働事業では、1年目に2億円ぐらいかかった事業だったのですが、そのお金をどう取ってきたかについてです(シート10)。震災が発生して、プラン自体は3月の3週目ぐらいにはできていました。被災当初、仙台には省庁や宮城県、仙台市の職員などいろいろな人が来ていました。そこで企画書を配るわけです。そうすると、内閣府や厚労省から、こんな事業のフレームでできるのではないかという話が4月半ばごろに出てきて、最後は内閣府と仙台市の人をつないで、合意に持っていきました。要は、国、県、市などとうまく連携を図って、予算を取ってくるというような活動をしていました。

シート10

国・県・自治体への提案の結果、年度総額官民合わせ2億円規模(内、公費1億6340万円)で6月1日より実施

もう1つは、施策提案につながっていく部分です(シート11)。私自身が大学院生だったこともあったのですが、研究者のネットワークが非常に使いやすい状況にありました。例えば、表のように、厚生労働省の事業を活用しながら、仮設住宅のアンケートなどを、仙台市など行政の調査の代替案として行います。そうすると、行政ではなかなか縦割りで見えてこない事実が見えてきたりします。例えば、表では、復興住宅に入りたいと思っている人は、実は今後の生活の予定も見通しもない人ばかりだということがわかったりしました。

シート11

借り上げ民間賃貸住宅入居者の本設住宅移転見通しと想定される住居の所有形態

結局、普段接点がないような行政、大学のようなところの資源をうまく動員して事業を立ち上げていったことだと思っています。シート12は概念図なのですが、市場に存在しないソーシャルな資源があります。NPOは図のなかの間の領域と言われていますが、実は間といっても、ソーシャルな資源ではなく市場の領域でやれと言われているのが今のNPOとかソーシャル・アントレプレナーの領域です。ここは資源の動員が非常に難しい。だから、市場の領域だけでなくソーシャルな領域の資源をうまく事業として持ってこれたというのが成功のキーではなかったのかなと思っています。

シート12

311後のソーシャルアントレプレナーと市場外の資源・アクターの動員

これからのソーシャル・アントレプレナーというのは、市場に存在しないソーシャルな資源を活用していかなければならないし、それを可能にする土台がつくられていなければなりません。大学側が地域に開くとか概念的には言われていますが、本当はもっと研究者個人レベルかもしれません。行政も、もっと外に出て、現場の人と接点を持つということが必要かもしれません。人事の交流なんかもあってもいいかもしれません。何とかこのソーシャルな資源の動員をこれから考えていかなければいけないと、自分の経験から思っています。