第16回 旧JIL講演会
プロスポーツの労使関係
~プロ野球の日米比較(メジャーリーグを中心に)~
(2001年6月4日)

スタンフォード大学法学部教授
ウィリアム・B・グールド

目次

講師略歴

ウィリアム・B・グールド (Prof.William B.Gould)

1963年、ロンドン大学大学院卒業。その後、スタンフォード大学、ハーバード大学、ハワード大学、ボストン大学などで教鞭をとる。1994年~98年まで全国労働係局(NLRB)の会長、同94年から合衆国の行政委員会の委員などを歴任。

(主な著書)
  • Labored Relations:Law,Politics,and the NLRB(MIT Press,2000)
  • Agenda for Reform (MIT Press,1993)
  • A Primer on American Labor Law(MIT Press,1993)
    (邦訳「新・アメリカ労働法入門」日本労働研究機構)

グールド氏について(花見忠・日本労働研究機構会長)

グールドさんは米国の優秀な労働法の専門家であると同時に、1994年から98年まで日本の中労委に相当するNLRB(全国労働関係局、National Labor Relations Board)のチェアマンをお勤めになりました。そのときメジャーリーグでストライキが予想され、95年のシーズンでは、開幕試合が始まるかどうかが問題になっていました。グールドさんは不当労働行為のインジャンクション(禁止命令)を出し、開幕にこぎつけ、その年の、たしかレッドソックスとオリオールズの試合でしたか、始球式を行うなどプロ野球にたいへん縁の深い方です。

前回日本に来られたとき、労働委員会50周年記念の東京都労働委員会のシンポジウムで、いっしょにパネリストをやりました。そのとき、都の職員が空港に迎えに行き、グールドさんに、日本に来てまず何がしたいかと聞きましたら「バッティングセンターに連れて行ってほしい」と言われ、びっくりしたそうです。労働法の専門家であると同時に、そんな野球ファンであります。

NLRBでは、大リーグの紛争処理以外にも、仲裁人として、プロ野球選手の交渉の仲裁を行った経験もございます。

たまたま、この何年か日本から大リーグへプレーヤーが行っております。プロ野球のみならず、プロスポーツ選手のグローバリゼーションの中で、契約交渉を含めた問題が非常に注目を集めているところです。日本の球団関係者、あるいは野球ファン、Jリーグファンなど皆が非常に注目を集めている問題について、きょうはお話をうかがいます。

講演(ウィリアム・B・グールド・スタンフォード大学教授)
1 はじめに

本日は、米国における労働者としての選手と、事業主としての球団の関係が発展した歴史と今日の姿、そして問題点についてお話したいと思います。皆様の多くがご存知のように、選手と球団の団体交渉で結ばれた現在の協定は2001年の冬に期限切れになります。新しい協定を作るため交渉しなければなりませんが、問題があるので多くの人が心配しています。

2 保留条項と最高裁の判断

(1) 保留条項(reserve clause

プロスポーツ、特に野球では、オーナーと選手の関係は、通常の事業主と雇用者の関係と違っています。次の二つの点での違いが重要です。初期のチームは、地方をまわり、手当たり次第、試合をしていました。やがてオーナー側は、人々の関心を集めるにはリーグをつくり、リーグ内のチーム間で競争させることが重要だと気付きました。普通の雇用関係では事業主が一緒にリーグをつくって組織的に競争させることなどありません。これが第一の違いです。そして二番目の違いは、選手の技術がいつまでももつものではなく、一時的なものであることです。この2点が合わさっているので問題が厄介になっています。

当初から球団側は、いわゆる「保留条項(reserve clause)」を主張しました。これは、選手が一定期間、実際は生涯、球団側に保有されるということです。そうしなければ、球団としてのまとまりがなくなり、一般の人が興味を失う、と球団は主張しました。このシステムを変えようと、組合は球団側やリーグ事務局と交渉し、「60歳を超えた選手について制度を変え、フリー・エージェント(FA)になることを許可し、更改権を留保しないこととしてはどうか」と提案しました。実際、球団側のほとんどは、50歳、60歳になった選手に関心がなく、現在では40歳の選手でも関心をなくしていることもあります。ところが球団側は、「年齢に関係なく、選手を生涯、保有する必要がある。」と主張しました。

表面的に、この制度は、事業主間の競争を促進する独占禁止法の趣旨に反するようにみえます。個別に保有している選手と取引するのではなく、事業主どうしで決めていました。レッドソックスとヤンキースが話し合って、「OK。レッドソックスがテッド・ウィリアムズ(訳注:打撃の神様で41年の打率は4割6厘)をとって、ヤンキースがジョー・ディマジオ(訳注:56試合連続安打の記録を持つ)をとることにしよう(訳注:両選手のトレード話で、噂はあったが実現しなかった)」などと決めてしまうので、他の球団はこれらの選手と交渉できませんでした。

(2) 最高裁の22年の判断

しかし、独占禁止法は、このように競争を制約したり、抑制したりするために組織間が手を結ぶことを禁じています。当初から、独占禁止法と選手を特定の球団に保有させるシステムとは矛盾していたようです。

選手と球団に影響力があるもうひとつの重要な法律は、労働法令です。最高裁は22年に、保留条項を含まない案件でしたが、野球は独占禁止法の適用を受けないとの判断を下しました。州の境界を越えて商品のやり取りをする事業だけが独占禁止法の適用対象であり、野球は適用対象ではないということでした。最も優れた裁判官であったオリヴァー・ウインデルがこの見解を出しました。私を含む多くの者がこの判断に疑問をもち、「野球選手と同じように裁判官も調子の悪い日はあるもので、この22年の判断は、オリヴァー・ウインデルでも調子が悪いことがある実例だ」と話していました。この最高裁の判断は、合理的な意見ではありませんが、最高裁の判断は法律です。その後、最高裁は何度か、野球が独占禁止法の適用を受けるかどうかの判断を求められましたが、判断を変えませんでした。

(3) メキシコ・リーグ帰国者の受け入れ

我々は40年代に、この判断が変わると思いました。第二次世界大戦直後にたくさんの選手がメキシコ・リーグでプレーするため、アメリカからメキシコに渡りました。球団側は選手に、「メキシコに行くのなら、戻ってきてもアメリカの球団ではプレーさせない」と言い渡していました。このため、メキシコ・リーグが盛り上がらず、やがて選手たちがアメリカに戻ってきても、球団側はリーグでプレーさせませんでした。選手たちは、球団側を相手に訴訟を起こしました。球団側は、最高裁で22年の判断の正当性を争わずに選手たちと和解し、メキシコ・リーグから戻ってきたすべての選手の復帰を認めました。メキシコに渡った選手を帰国後、リーグから締め出したことが、最高裁で独占禁止法違反と判断されることを球団側は恐れたのです。その夏のことをよく覚えています。ミッキー・オーウエン、ダニー・ガルデラ、マックス・レニアらがスポーツ欄に突然、戻ってきました。後で、グローバリゼーションの問題についてお話しますが、既に第二次世界大戦直後に野球でグローバリゼーションが起こっていたわけです。

(4) 二つの敗訴

50年代になると、マイナーリーグの選手にも関係する問題が起こりました。トゥールソンという選手は、ニューヨーク・ヤンキースが彼をマイナーリーグのある球団に移籍させたことを不服として訴訟を起こしました。最高裁は、「22年の判断は有効で、法律の改正が必要なら、議会で変えるべき」とし、トゥールソンが敗訴しました。

そしてセントルイス・カーディナルスでセンターを守っていたカート・フラッドの72年の事件です。68年のワールドシリーズで彼が腕を負傷していながら、センターから下手投げで送球したことを覚えている方も多いでしょう。彼は球場の中だけでなく、法廷でも固い決意で臨みました。セントルイス・カーディナルスが彼をフィラデルフィア・フィリーズにトレードしたとき、彼は移籍を拒否しました。球団は「保留条項」を根拠に、「フラッドは球団の指定するチームでプレーすべきである」と主張しました。これに対し、フラッドは球団を独占禁止法違反で告訴し、72年に最高裁で敗訴しました。

3 フリー・エージェント制(FA) 

(1) 10年5年ルールと年俸調停

この事件の結果、重要なことが起こりました。球団側は、「選手と球団との間で、独占禁止法だの訴訟だのは避けるべきだ。これらは組合と雇用主との団体交渉で解決すべき問題であり、選手側は60年代半ばから選手を代表する組合を組織しているので、我々は団体交渉でこのような問題に対処できる」としました。フラッドが72年に敗訴した直後、野球界に今でも重要な2つの変化が起こりました。

第一に、10年5年ルール(Ten and five rule)です。10年間野球界に所属し、かつ、そのチームに5年間在籍しているときは、自分で希望する場合を除き、トレードは強制されないというものです。フラッドの事件が起きたときにこのルールがあれば、彼はフィリーズへのトレードを拒否できました。

第二に、年俸調停です。私はNLRBの委員長になる前の90年代初め、野球の年俸調停人の一人でした。とても面白い経験でした。というのも73年以降設けられている年俸調停システムの下では、調停人は球団のオファーか選手の要求かのどちらかひとつを選ぶことになっていて、その中間にはできないのです。これは、選手側の強力な武器になっています。アレックス・ロドリゲスについて読んだことがあるかもしれませんが、前はマリナーズにいましたが、今はテキサス・レンジャーズにいます(訳注・2000年のシーズン終了後にフリー・エージェントの資格を得てレンジャーズに移籍)。彼は、2億5千万ドルを受け取る契約を結びました。テキサス・レンジャーズは、2億5千万ドルでテレビ放映権を売り、ロドリゲスへの支払いに充てました。ここで問題が起こりました。年俸調停システムを利用して、他の球団の遊撃手が、その球団には高額のテレビ放映権契約がないにもかかわらず、年俸調停人に対し「私はロドリゲスほど良い選手ではないかもしれないが、ロドリゲスの契約を参考に私の賃金額を決定すべきだ」と主張しました。年俸調停人は、この主張を考慮に入れざるを得ませんでした。年俸調停人は、球団がお金を持っているか否かは考慮に入れないでもよく、他の選手との比較で賃金額を決めるのです。

(2) FA制の始まり

第三の変化は、75年12月に起こりました。調停人(年俸調停人ではない)は、選手たちと球団側で合意した協定書の解釈から、「選手と球団の契約期間終了後も1年間(いわゆるオプション年)働いたら、選手はフリー・エージェント(FA)となる」と認めました。FAとなれば、選手は、どの球団とも交渉できます。以前、フラッドが独占禁止法の適用を受けることで手に入れようとして最高裁で否定された権利を、75年の調停による協定書のもとで、選手組合は実質的に手に入れました。これが米国野球界で選手側と球団側の一連のもめごとを巻き起こしました。選手たちと球団側の協定の期限が切れる度にもめました(実際、これに先立ち、72年に年金制度に関する議論から選手たちのストライキがあり、選手側が勝ちました)。

76年春のトレーニング期間中、球団側が選手をロックアウトしました(訳注:球団が練習場などを閉鎖して選手に使わせなかった)。76年夏に最初の合意が成立します。それによると6年間経過すれば、選手はFAとなり、他の球団とも交渉できるようになりました。81年夏に、球団側がFA権の取得を難しくするため制度を変えようとして紛争が起き、80日以上ストライキが行なわれました。わずかながら球団側の要望はかないましたが、制度は基本的に変わらず、今日も同じです。


(3) FAその後

85年、また紛争が起きました。今度は4~5日の相対的に短いストライキでした。球団側は、年俸調停の対象者の範囲をほんの少し変えることに成功しました。当時ボストン・レッドソックスのエースだったロジャー・クレメンスは、85年の協定変更により、85年末に自分が年俸調停の対象でなくなったことをみつけました。86年には最も優秀な投手に贈られるサイヤング賞を受賞するほどの選手でありながらです。

90年春のトレーニング期間中にまた、紛争がありました。この時は、選手側が基本的に勝ちました。球団側はほんの少しの変更を勝ち取りましたが、ロックアウトの結果、選手に新たな妥協もしなければなりませんでした。これらすべての紛争は球団側が制度を変えようとして起ったものです。

94、95年の紛争では、当時私が委員長をしていたNLRBが関わりました(NLRBは91年の紛争にも関わりましたが、その時は、良い働きができませんでした)。法の下で、球団側と組合側が交渉事項についてこう着状態になるまで話し合う義務があったのに、94年も95年も球団側はそれを怠り、協定の内容を変更しようとしました。多くの球団は、こう着状態になるまで話し合わないでもFA制度を変えたり、年俸調停制度を廃止したりできると考えていたのです。

NLRBは、球団側が交渉時に正しい対応をしなかったとして、連邦裁判所に提訴し、変更禁止命令を得ました。すべての球団がNLRBの行動に反発したのではなく、ボルティモア・オリオールズのオーナーはNLRBの主張を支持しました。変更禁止命令が出たことで、選手は試合に戻り、球団側は協定を作成するため選手側と話し合いました。新協定におけるFA制度は基本的にもとのままで、新協定のおかげで、以前より魅力的でさえある契約が結ばれるようになりました。最高額の契約を結んだアレックス・ロドリゲスについては先ほどお話しました。私がひいきにしているボストン・レッドソックスが、98年にペドロ・マルティネスを前代未聞の年間1,200万ドルで獲得したとき、多くの人は「西洋文明の終わりだ」といいました。マルティネスは、ロドリゲスなどの選手の契約と比較すると自分の契約は控え目なので不満を持つようになっています。

4 大リーグの課題

(1) スーパースターと球団数

ボストン・レッドソックスは今シーズン、外野でも指名打者でも使えるマニー・ラミレスを獲得しましたが、彼は67年のカール・ヤストレムスキー以来の3冠王になる可能性があります。マルティネス、ラミレス、ロドリゲス、イチロー、野茂、これらの選手は外国から来ました。野球のグローバリゼーションを目の当りにしています。

外国人選手が増えていて、いろんな国から来ています。これら選手の多くは、先ほどあげたロドリゲスら5人のようにとても才能のある人たちです。現在、大リーグには30球団あります。非常に才能のある人たちが何人か現れたことにより、才能ある選手への妄想を抱いて球団数が増加していますが、多くなりすぎです。才能のある選手を見つけることはますます難しくなっています。

多くの人は、球団数が増えたことで、今日の野球の状況が変わったと考えています。80年代にFA制度が導入された後、多くのチームは大金をつぎ込みましたが何も得られませんでした。今日の大リーグには、とても素晴らしいスーパースターがたくさんいると信じている者がいます。みんな、才能に関して考え違いをしていたのです。

(2)お金のないチームは優勝できないのか

今日、間違いを犯すことは難しく、愚かでも金持ちなら勝つことができます。オーナーたちは、「金持ちが前代未聞の勝ちを続けている」と言っています。今、アメリカでは、野球が昔と比べて競争的かどうか議論されています。皮肉なことにメジャーリーグのセリグ・コミッショナーは、「シーズン前から優勝の見込みがないチームが多すぎ、競争的でなくなっていることが野球にダメージを与えている」と言っています。コミッショナーの主張には、間違っている点もあれば、正しい点もあると思います。

現在の大リーグの順位を知っている人ならわかるでしょうが市場が小さくチームに金をかけられないチームの典型で、優勝の見込みがないと思われていたミネソタ・ツインズがアメリカン・リーグ中部地区で2001年6月6日現在1位となっています。これは、コミッショナーが間違っていることをはっきりと示しています。10月には、状況が変わるかもしれませんが、優勝するかどうかの運命はシーズンが始まる前に定まっていないのです。どこが優勝するかわかりません。ツインズがこんなに良いチームになるとは誰も予想できませんでした。フィラデルフィア・フィリーズは、報酬が低いのにナショナル・リーグ東部地区で1位です。シアトル・マリナーズは、FAでケン・グリフィー、ランディー・ジョンソン、そして、アレックス・ロドリゲスと3人の名選手を失い、どんなに悲惨な結果になるか想像もできないほどでした。しかし、今、野球史上まれにみる高成績です。低い報酬しか払えないチームに希望がないといえるでしょうか。

昔は、希望がないチームがいつもありました。ワシントン・セネタ?ズは、いつもアメリカン・リーグで最下位でした。セントルイス・ブラウンズ、フィラデルフィア・アスレチックス、これらの球団は、自チームのベスト・プレーヤーをペナント争いしているチームに放出していました。このようなことが行なわれた40年代、50年代、60年代が現在と違うのは、当時は、チームがお金を得ていたことです。レッドソックスは、セントルイス・ブラウンズからバーン・スティーブンズ、ジャック・レイモー、エレス・キンダーを得、レッドソックスは、6人のマイナーリーグの選手と当時では大金である30万ドルをブラウンズに渡しました。ポイントはブラウンズがお金を得たことです。今日では、FAのおかげで、球団ではなく選手がお金を得ています。

5 解決策

 

(1) 球団数増加による方法

とはいうものの、コミッショナーの言っていることに正しいこともあります。具体的にいうと、現在はチーム数がたくさんあります。当時は16チームしかありませんでしたので、私は、当時、毎年、すべての選手の打率、投球成績を覚えていました。現在は、チーム数が倍になり、今の子供たちが同じことをするのは難しい。チーム数が増えたことにより、優勝するまでの道のりが長くなり、優勝の可能性は少なくなりました。競争を促すにはどうしたらよいでしょうか。この問題に完全な解決策はありません。しかし、多くの人は、部分的な解決策として、更に2チーム増やして32チームにし、4チームずつの8つの地区をつくることにより、競争を強化できると考えています(訳注:現在のメジャー・リーグは、30チームを2リーグに分け、さらに各リーグを東部、西部、中部の3地区に分けている)。優勝するには、地区で一位でもシーズンの終わりにプレー・オフを勝ち抜かなければなりません。4チームずつの8地区にすることにより、地区の一位争いに絡むチームが多くなります(訳注:アメリカン・リーグ4地区の各地区の一位4チームでプレー・オフを行い優勝したチームと、ナショナル・リーグの各地区4地区の一位4チームでプレー・オフを行い優勝したチームとで、ワールドシリーズを行なうことを想定している)。地区別になる前の66年のシーズン最終週、ヤンキースタジアムに、私が応援しているボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキースの試合を見に行きました。レッドソックスが勝てばレッドソックスが9位で、ニューヨーク・ヤンキースが10位に確定する試合で、うれしいことにレッドソックスが勝ちました。しかし、球場には我々のように熱中している人はあまりいませんでした。

(2) 球団数削減による方法

チーム数が増加したことによる問題は、野球がより儲かるようになったにもかかわらず、いくつかの球団が経済的に窮地に立たされていることです。モントリオール・エクスポズは、英語のラジオやテレビ放送がなく、フランス語のものだけで、視聴者は非常に少ない。さらに問題なのは、フロリダに新しくできたタンパベイ・デビルレイズやフロリダ・マリーンズで、かなり厳しい。アリゾナ・ダイヤモンドバックスの観客数は、1試合2万人以下へと大きく落ち込みました。フロリダやアリゾナは引退した人が多く住んでいるところで、新しくできたチームより、自分たちが前に住んでいたシカゴ、ボストン、ニューヨークのチームに関心があります。球団経営は大変な失敗です。

では、どうすればよいのでしょうか。検討されている選択肢のいくつかを手短にお話します。ひとつの方法は、チーム数を減らすことです。オーナーたちは、「経営に失敗して重荷になっているチームがこれだけある。現在のチーム数を減らそうじゃないか。これで野球の問題が解決する」と主張しています。多くの人はこれを臆病者のとる方法と言っています。というのは、チーム数を減らすことには、明らかに2つ問題があります。ひとつは組合です。1チーム減らすごとに25人の職がなくなるので、組合は、チーム数を減らすことに反対です。4チーム減らせば、100人の職が失われます。組合は難しい時を過ごすこととなります。もうひとつの問題は、これらのチームは、大リーグの一員となるため、大リーグ事務局に大金を支払っているので、大リーグから除外する場合は事務局が補償しなければなりません。チーム数を減らす場合、これらの大きな問題があることが議論されています。

(3) どこに新チームを作るのか

先ほど説明したように、チーム数を30から32に増やす案では、最後の最後まで優勝争いに絡むチームが増えるので競争を促すことができます。では、どこにチームをつくればよいのでしょうか。これが問題のひとつです。チーム数の増加との関係で大リーグのグローバル化をうんぬんしているのは空騒ぎで、まじめな議論ではありません。というのも、時差が問題となるからです。カリフォルニアは、今、昨晩の真夜中です。シーズン中の試合はとても難しく、東京にメジャーリーグの球団を設けるわけにはいきません。でも、一回ならできます、例えば、メッツとカブスの開幕試合を東京で行なうことはできます。では、時差のないメキシコシティではどうかというとたくさんの問題があります。

どこにチームをつくったらよいのでしょうか。具体的に、米国内のいろいろな候補地が検討されています。北ヴァージニアにもうひとチームつくることについては、ボルチモア・オリオールズ(訳注:隣のメリーランド州が本拠地)オーナーのピーター・アンジェロスが「観客の奪い合いになる」と反対しています。オークランド・アスレティックスは、経営上の問題があり、球団側がサンノゼに本拠地を移動することを検討しています。サンノゼは私の家に近いので私は歓迎ですが、サンフランシスコ・ジャイアンツは、サンフランシスコでジャイアンツの試合を見る人の多くはサンノゼから来ており、客の奪い合いになることを恐れて反対しています。また、公共団体が徐々に財政支援に消極的になっているなかで、新球場の財政基盤にも疑問符がつきます。シアトル・マリナーズは、公的支援を受けていますが、サンフランシスコ・ジャイアンツは実質的に支援を受けていません。

(4) 国際アマチュアドラフト

それでは、これからどうしたらよいのでしょうか。2001年から2002年にまたがる冬に選手と球団側で結ばれる新協定に関して大きく浮かび上がりつつある問題にどんな解決策が見出せるのでしょうか。アマチュアのドラフトを国境を越えて実施することが、野球経営面の問題を解決する方法のひとつです。これは、最近よく議論されます。先日行なわれた野球のドラフトは、ご存知のように、米国内の選手にしか効力がありません。組合と協議しないで、ドラフトの適用範囲を拡張すると、独占禁止法上問題が生じます。しかし、組合は、国境を越えたドラフトの実施に興味がありません。というのも、組合は、外国から大リーグ入りする、キューバ、日本などからのアマチュア選手は、ドラフトの適用外で、どのチームとも交渉できるので、ドラフトが適用される者より高収入が得られることを知っています。ドラフトが適用されると1チームとしか交渉できません。もし、ドラフトを外国のアマチュア選手にまで適用すると、全体の賃金水準を低下させることになるので、組合は、何か合意できる条件提示がなければ、国際ドラフト制度に賛成しません。

ところで、日本やベネズエラなど野球が盛んな国で持ち上がりつつあるもうひとつの問題は、これらの国の野球がこれからどうなるかということです。日本で野球の観客が減少していることが問題になっていますが、イチロー、野茂などの選手が大リーグに行ったからか、景気が悪いので人々が娯楽にかけるお金を減らしているのか、私は知りません。しかし、主役級の選手たちを米国に輸出したので日本の野球観客数が減少したのだと考える人がたくさんいます。米国野球はグローバル化を推進し、日本の選手を獲得しつづけ、そして日本の野球にダメージを与える。これでは、金のたまごを生むガチョウを殺すことになります。日本に大リーグを売り込んだり、日本人選手をもっと獲得したりするためにも日本での野球人気を高める必要があります。それは米国野球を繁栄させることにもなります。それで、これから交渉で、アマチュアドラフトが大きく浮かび上がってくるでしょう。

(5) 球団間の収入分配制度

球団オーナーたちは、「最近、いつも問題になっているのは、金持ち球団と貧乏球団の差だ」と言います。コミッショナーが設置した特別委員会は、収入の分配について提言をまとめました。金持ち球団は、貧しい球団にもっと資金援助すべきであるということです。しかし、スタインブレナー(訳注:ニューヨーク・ヤンキースの名物オーナー)は、シアトル・マリナーズにお金を渡そうとはしないだろうし、仮に、お金を渡したとしても、球団から選手にそのお金が渡るかどうかわからない。この問題に対し、特別委員会は、「各球団に、一定の金額を使うことを義務付けると同時に、使うことのできるお金の上限を設けることにより解決できる」と言いました。オーナーたちが前から設けたがっていたサラリー・キャップ(Salary cap:報酬の上限)です。オーナーの一部は金を一定額以上使う金持ち球団からお金を徴収し、貧乏な球団にまわし、一定額以上のお金を使わせたいと考えています。しかし、金持ち球団からお金を出させることには反対が多すぎるし、選手の報酬に上限を設けることには選手からの反対が強い。

70年代、80年代からいつも球団側は、選手の報酬に上限を設けようとしています。アメリカン・フットボールやバスケットボールでは報酬の上限値が決まっているのに、何で野球ではそうしていないのか聞く人がいます。アメリカン・フットボールやバスケットボールでは、リーグの収益の一定割合を選手に還元することが保証されています。野球では、リーグ側が収益の一定割合を選手に還元したいかどうかわからない。近々、協定更改時期となります。国際アマチュア・ドラフト制度、金持ち球団が貧しい球団を助ける収益分配制度、金持ち球団が使えるお金の上限値を設定し、事実上の報酬の上限を設定することに関する問題が議論されることとなるでしょう。

(6) 野球ワールドカップ構想

このような状況の中で、米国では、アリゾナ、オークランド、モントリオール、フロリダなど危機的状況にある一部地域を除き、野球は盛んです。野球は、かつてにも増して盛り上がっています。その理由の大きな部分は、イチロー、野茂、佐々木のような人たちの貢献です。これから、グローバリゼーションがさらに進むでしょう。私が期待しているのは、野球のワールドカップの実現です。野球のワールドカップを実現するためには、競い合う国が必要です。

現在、明らかにアメリカの野球は、その名の通りメジャー(最高の)・リーグとなっていますが、将来、すべての資源が一国に集中してしまうようでは、国と国が競い合うことはできません。私の友人が野球帝国主義とよぶような状態ではなく、国や州が野球で競い合うような状況になることが必要です。だから日本やラテンアメリカなどで野球がますます盛んになることを期待しています。キューバには、驚くほどの才能がある人たちがいます。来週、私は中国に行きますが、中国でも野球が行われています。花見会長は、中国からアレックス・ロドリゲスのような人が千人出てくるかもしれないと言っています。上手にもっていければ、世界中のいたるところでワールドカップの試合が行われるようになるでしょう。51年にジャイアンツとドジャースが争ったプレーオフでボピー・トンプソンがホームランを放ったときのような試合が世界中で行われ、観られ、楽しまれることでしょう。この構想の将来は、米国や日本を含む各国で賢明に進めることができるかどうかにかかっています。

6 質疑応答

質問

日本では野球の選手が労働者かどうかというのが問題になっています。日本では、労働者には労基法が適用されますが、個人事業者になりますと労基法や組合法の適用になりません。日本にも野球選手の組合はありますが、労組というよりは同業者組合とみなされているのではないでしょうか。

また、建設労働者やトラック運転主については、使用者が労基法や労働・社会保険の適用を免れるために、労働者であるにもかかわらず、彼らを個人事業者とみなして扱うことがあります。

米国ではプロ野球選手も労組法の適用を当然受けるというお話ですが、個人事業者と労働者の区分、あるいは適用される法律の違いなどあるのかという点について、おうかがいしたいと思います。

回答

米国労働法には、独立契約者(Independent Contractors、訳注:独立したコンサルタントやフリーランスの労働者などで自営か賃金労働者かにかかわらない)の適用除外規定があります。しかし、ある人が特定の組織の仕事をしているときには、その人が事業を行う者として、その組織に関わっている場合のみ独立契約者となります。独立契約者の場合、通常の労働者が受けとる報酬ではなく、手数料の支払いを受けたり、その組織との関係で仕事の進め方にかなりの自己裁量が認められていたりします。その人がその組織を経営している場合は、米国労働法の適用除外です。いま議論している野球選手は、球団を経営しているわけではありません。球団を所有・経営している人たちは他にいて、彼らが企業家で、選手たちは彼らのために働いています。選手達は、マネージャーなどの指揮命令を受け、所定の規則に従わなければなりません。従いまして、選手達は米国労働法の下で独立契約者と考えることはできません。

選手の団体は協会(Association)と呼ばれています。日本でもそう呼ばれていると承知しています。余談ですが、日本では選手会が労働組合法上の労働組合と認定されたと読んだことがあります。米国では、組合として認定される必要はありませんが、米国労働法上の労働組織(Labor Organization)とみなされる必要があります。協会でも組合でも労働組織となるのは難しくありません。

メジャーリーグの場合、とても待遇が良いので、選手や選手の協会を、それぞれ労働法上の労働者や労働者を代表する組織と考えることに違和感を覚える人も多いでしょう。しかし、待遇が良いことと労働法が適用されるかどうかは別の話です。例えば、医者は経済的に恵まれていますが労働法の適用対象となります。時には、独立契約者として同時に複数の雇用主と契約しています。医者は医療機関と契約しますが、複数の医療機関と契約している場合、一定の要件を満たせば、労働法上の独立契約者となります。私は、新聞記事を書きましたが、新聞社に雇われているわけではありません。私は、この場合、独立契約者です。今日はニューヨークタイムス、明日はサンフランシスコ・クロニカルに書くこともできます。

質問

大リーグの選手は非常に高い水準の給与を得ていることと思います。そういう収入の高い人がストを行うということについて、一般の人はどうかと考えてしまうと思います。経済的弱者ではなく、収入がずば抜けて高い人にもスト権があるということについて、何か疑問、議論などあるのでしょうか。

ときどき米国でも、飛行機のパイロットのストライキが報道されています。そういったときでも、同じようなことが議論になることはないのでしょうか。パイロットもかなり給与が高いと聞いていますので。こういった点について米国の場合、どのような考え方があるのかおたずねしたいと思います。

回答

野球選手とパイロットの収入は非常に高いので、個人主義的ではないかと思ってしまいそうですが、面白いことに、共通の関心事項に関して団結しています。野球には極めて個人競技的な側面があります。それは、選手別に大量の統計数字があることに現れています。普通の仕事には、個人の貢献をあらわすたくさんの統計数字などありません。野球では選手個人の貢献を統計数字で評価できるのです。もちろん、選手個人の貢献だけではなく、マネージャーやコーチなどの貢献も数字に影響します。特に日本では、米国よりチームのなかでマネージャーやコーチの役割が大きいので影響も大きいでしょう。オーナーたちは、選手が団結しないだろうと思いがちだったので、紛争がたくさん起こりました。オーナーたちが、こう思ったのは、見方によっては試合が個人競技的だからです。また、選手の技術が長持ちしないこともオーナーがこのように思い込む原因でした。事実、それぞれの紛争は、まったく別の選手たちによるものでした。オーナー側は、紛争が起こる度に、選手側は団結しないで試合に戻るだろうと考え、それがオーナー側の対応に影響しました。アメリカン・フットボールでは、82年、87年に大きなストがありました。87年のとき、オーナー側は、「チームの試合運営は続ける。ストをやりたいならどうぞ、ピケを張りたい(訳注:この場合、球場等の出入り口で、ストライキ中の選手の一部が試合に出ないように見張ること)ならどうぞ」と言い、結果としてフットボール選手たちはピケを通り抜けて試合に出ました。

95年のメジャーリーグの紛争では、オーナー側が、95年シーズンの試合を運営することを宣言しました。選手の多くがピケを通り抜けて試合に出ることを期待していたからだと思います。NLRBがオーナー側の契約変更に関して変更禁止命令を得なければ、選手がピケを通り抜けていただろうし、組合の形勢も弱まったとみられるからです。NLRBが選手の形勢を強めたので、オーナー側はNLRBに怒っていました。今日でも、球団関係者は「NLRBがなければ、選手の団結が弱かったので、協定を劇的に変えることができただろう」と言っています。もし状況が違ったらどうなっていたか誰も断言はできません。

面白いことに、72年、76年、81年、85年、90年に起こった初期の紛争すべてで、徐々に選手の形勢が弱くなっていったことについて、オーナー側は、選手の多くが先ほどお話しした75年の調停制度について何も知らなかったからだと思っています。選手達が知っているのは、米国の大リーグ選手の平均年俸は約2百万ドルだということです。ニューヨーク出身であろうが、ドミニカ共和国出身であろうが、日本出身であろうが、貧しい環境から来た平均的な選手達は、「俺は2百万ドル稼いだ。俺が使える金だ。75年の調停なんか興味ない。FAについての組合の考えなんか興味ない」と言います。経営者側はアメフト選手と同様に野球選手もピケラインを越えて試合に出ることを期待していました。しかし、面白いことに、アメフト選手とは対照的に、野球選手はピケラインを越えたり、組合の指示に逆らったりしませんでした。選手達は自分たちの年金制度、健康保険、年俸、身分など労働条件の改善には組合がリーダーシップをとることが必要だと考えていました。

ジム・バートン(訳注:元ヤンキースの投手)の「Ball Four」をお読みになったことがあるかもしれませんが、この本には、ヤンキースやシアトル・パイレーツの選手が60年代にやっていたことが書かれています。今日では、「Ball Four」のような本を書くことはできません。今日では選手は個室なので,ミッキー・マントル(訳注:当時のヤンキースの名打者)のような選手が他の選手とホテルで相部屋になることはありません。相部屋だった人が本を書いて,ミッキー・マントルがやった乱暴なことやおかしなことをみんなに伝えることなんてできません。選手はみんな豪華ホテルの個室を使うので最大限のプライバシーが確保されています。これも労使協定で決まったからです。これが、選手達が自己主義的で選手生命が短くても強い団結を示す理由です。

「高所得」とは何かが基本的な問題です。私は、両親が夢にも思わなかったほど高い収入を得ています。私は、一流大学法学部の教授で、自分の収入に何も不満がありません。しかし、私は、自分を高収入だとは考えていません。特に、ドット・コム産業が隆盛を極めている時代においてはです。どの程度から高収入というのでしょうか。昔から、その人が事業主かどうかをみることになっています。自分で自分のことを決めているかどうかです。事業主又は独立契約者なら、自分でできるだけのことをして、事業をする人として競争すれば良いのです。しかし、その人が、雇用契約で働いていて他の人に管理されている場合、収入額の如何に関わらず、それで十分かどうか判断するのは難しいことです。

野球界の紛争は、選手側がより高い要求を出したからではなく、球団側が制度を変えようとして起こりました。すべての紛争はオーナー側がきっかけをつくりました。今、オーナー側は、制度を変えようとしています。オーナー側には、労働法の下で一定期間経過後に一方的に労働条件を変えたり、選手をロックアウトしたりする権利があります。

他にも指摘したいことがあります。私がこれまで話してきたことはすべてメジャーリーグにしかあてはまりません。マイナーリーグにはあてはまりません。マイナーリーグは全く違う世界です。マイナーリーグの選手は百万ドル稼げません。メジャーリーグの選手はごく少数です。マイナーリーグの選手達は田舎の町から町へバスで移動します。チャータージェット、豪華なホテル、高額の年俸とは縁がありません。

メジャーリーグの選手の多くはスタンフォードのような大学から直接来ています。ご存じかもしれませんが、今度の金曜日に、スタンフォードは大学ワールドシリーズの第一試合があります。スタンフォードは3年連続で大学ワールドシリーズに出場しています。スタンフォードからたくさんの選手がメジャーリーグ入りしました。スタンフォードの生活は素晴らしいが、大学野球の選手は、報酬をもらっていません。今日、多くの人は、大学野球の選手に報酬を出すべきであると考えていて、米国で激しい議論がまきおこりました。大学スポーツの売上げはすべて大学の懐に入り、選手達は何ももらえません。もちろん、彼らの多くは、プロになることを望み、毎日5時間練習し、勉強を犠牲にすることもあります。スタンフォードのような大学ですらも大学野球が一大ビジネスになっています。大学野球やマイナーリーグの選手は、エリート・グループ(メジャーリーグ)入りするために懸命に努力しているのです。メジャーリーグの組合は、マイナーリーグや大学野球選手の組織化は困難と考え、やってみようしたことすらありません。

質問

日本ではマスコミの影響からかある特定の球団、セントラルリーグに人気が集まっています。2つのリーグがあるのに1つしか人気がない。米国の場合、2リーグ制ですが、人気の問題をどのように解決すればよいのでしょうか。

日本ではプロ野球の人気が下がってきています。能力ある選手が大リーグにいってしまう。今後、日本のプロ野球の人気を回復させるにはどうしたらよいのか少しおうかがいしたいと思います。

回答

私が日本に来た理由の一つは、日本の野球の状況、問題点、改善するにはどうしたら良いかについてみなさんから教えてもらうためです。私が一番聞きたいのは、日本の野球が現在抱えている問題は、選手がメジャーリーグに行ってしまったことが原因なのかどうかです。景気や、米国の野球が変化しているのに日本の野球は変化していないことなど、たくさんの他の要因があると思います。例えばFA制度にしても、選手がチームを去ると地元のファンが関心を失うのでオーナー側は、ひどい制度だと考えています。

昔は、「2チーム間の大型トレードほどエキサイティングなことはない」と言われていました。私が十代の頃、クリーブランド・インディアンズとデトロイト・タイガースが、ロッキー・カラビートとハービ・キューという注目されている2選手のダイナミックな豪華トレードを行いました。クリーブランド・インディアンズのユニホームを着ていた選手が、ある日突然、デトロイト・タイガースのユニホームを着るのです。47年のシーズン中には、レッドソックスが一塁手をシカゴ・ホワイトソックスにトレードしたことも記憶に残っています。とても興奮しました。ある日、2つのチームが対戦しつつ、その選手がユニホームをトレードしたのです。レッドソックスとヤンキースがテッド・ウィリアムズとジョー・ディマジオをトレードしようとしているという噂がありました。しかし、嬉しいことに、これは実現しませんでした。ロジャー・クレメンス(訳注:レッドソックスから移籍した投手でサイヤング賞を史上最高の5回受賞し、数々の記録を持つ)がレッドソックスの本拠地に現れると、レッドソックス・ファンが名指しでやじったりするのを見れば、フリー・エージェント制度が野球をエキサイティングにしていることがわかります。ほんの一瞬前まで彼は、レッドソックスの偉大なヒーローで守護神だったのです。私は、個人的に元のレッドソックス選手達について違った受け取り方をしています。私は、彼らを卒業生、拡大した家族の一員と考えていて、ロジャー・クレメンスに少しも憎しみは感じません。

フリー・エージェント制度は野球をよりエキサイティングにしたと思います。このような変化は日本でも問題解決の一助になるかもしれないと思います。アメリカでは、今年、ストライク・ゾーンを高い方に広げました。この変更は、ピッチャーとバッターの力関係を変えます。ピッチャーの成績が一年前より上がり、バランスが再構築されました。日本でも、野球を面白くし、盛り上げるために変化をもたらそうと検討していると聞いています。私は5年間も日本に来ていないので、日本の話を皆様に講義できません。

今日、マイナーリーグの人気は上がってきています。もちろん、マイナーリーグのチーム数は、私が子供の頃より減っています。私が子供の頃は、3A(トリプルA)、2A(ダブルA)、A、B、C、Dとありました。たくさんのチーム(訳注:最盛期には400チームを越えていた)、たくさんの選手がいて、とても素晴らしかった。今日では、基本的に4レベルしかありませんが、試合の人気は上昇していて、観客数も増えています。メジャーリーグの試合があるところが遠くてお金がかかりすぎると考えている人はたくさんいます。そういう人は、マイナーリーグの試合に子供を連れて行くことができます。マイナーリーグでは、球場をよりファミリーフレンドリーにし、子供が楽しめる施設を備えているところもあります。私の息子達も小さいときは、たった15分間でも私と一緒に座っていることができませんでした。子供達は、何か他のことをしたくなるものです。今では、球場に子供達が遊ぶところがあります。あなたの妻や彼女が、あなたが女性なら彼が、野球に興味がなくても、球場の中でそういう人が何か他のことをすることができます。日本にこのような設備がある球場があるかどうか私は知りません。

70年代にアメリカでは野球ファンの手に負えない振る舞いが深刻な問題となっていました。両親を試合に連れていったことを思い出します。そのとき私は、まわりの人が言っていることを聞いて怖くなりました。両親は、そのような言葉を何度も聞いたことがあったでしょうが、私は両親に聞かせたくありませんでした。本当に汚らしいことを言っていました。米国の野球界は、ファン規則を定めることにより、これを抑制しようとしました。私の息子達はいつもキャンドル・スティック・パーク(訳注:60年からパシフィック・ベル・パークが昨年稼働するまでサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地球場)に行っていました。とても面白い球場でありましたが、不当に悪い評判がたっていました。とは言うもののこの球場にひとつ問題がありました。つまり、特にダブルヘッダーのときですが、よく、たくさんの若者が飲み過ぎて、無分別で手に負えない振る舞いをしました。このようなことは、今日でもみられますが、新しい規則のおかげで、ファンの振る舞いは前より改善しています。

私が子供だった頃は、選手が相手チームの選手と友人になったり、試合前に話したりしてはいけないと言われていました。というのも、ファンは、選手が全力を尽くして試合をすると信じなくなるからです。

もうひとつ、私が子供達やスタンフォードの学生の野球で好きなところは、両チームの選手が一人一人試合後に握手を交わすことです。メジャーリーグでは、握手しません。試合にもファンにも、もっと厳格さが必要です。

球場は、さらに面白く、私は、昔からフェンウェイ・パーク(訳注:ボストン・レッドソックスの本拠地球場)以上に楽しいところはないと思っています。ボストン・レッドソックスのオーナー達が、新しい球場を建設する話をしたとき、私は彼らに「世界中から、ファンがフェンウェイ・パークで野球を見るために来ているのにそれを取り壊そうとしている。子供達に将来何と言われるか考えてください」と言いました。彼らが、私のコメントに喜んだかどうかはわかりません。しかし、新しい球場は、昔の球場が持っていた特性である上品さを回復していることは認めざるを得ません。

日本の野球関係者がここに来ているなら、「これらのことは既に日本で実施されている。」と言うかもしれませんが、私は、日本の野球の現状についてコメントできるほどよく知っているわけではないのです。

日本の野球選手が米国に渡ることは、日本での野球に対する関心を低下させるのではなく、高めることにつながることを、望み、また、信じています。日本では朝にメジャーリーグを観て、夜は日本の野球を観ることができる。世界のベストを2つ楽しむことができるのです。

質問

代理人制度を外国人にしかほとんど認めないというのが、日本のプロ野球のオーナーです。こういう正常な労使関係を認めないような日本のプロ野球機構について、何かご意見はございますか。

回答

米国の野球制度でも、たくさんの間違いを犯しました。米国野球制度に関心を持つ人はみんな知っていることです。年俸調停制度とフリー・エージェント制度を同時に機能させることは大きな間違いです。先ほど説明したとおり、年俸調停制度の下では、例えば、アレックス・ロドリゲスが2億5千万ドルで契約すると、才能がある選手が「ロドリゲスの報酬を元に私の報酬を算定すべきだ」と主張したら、その選手にロドリゲスと同じ位の報酬を払わなくてはならなくなります。このように、二つの制度が共存することで、双方で賃金をつりあげていくことになってしまいました。賃金の上がり方は、時に、恣意的であり、また、公平ではありませんでした。

これらの2制度が共存することになった経緯についてお話しします。73年に年俸調停制度について話し合った球団側は、「カート・フラッドの事件で勝訴したのでフリー・エージェント制度は実現しないだろう」と考えていました。しかし、2年後、調停人が協定書の解釈からフリー・エージェンシーを認める判断を下しました。球団側は、年俸調停制度とフリー・エージェント制度の両方が同時に機能することになるとは、全く予想していませんでした。米国の野球界はこれら2制度のうち、どちらか一方を選ぶべきです。

オーナー側が一方的に選手の報酬を定めることは公正ではないと思います。ジョー・ディマジオが30年代にMVPとなるなど選手のなかで一番活躍したにもかかわらず、ヤンキースは、「不況なので、賃金カットを受け入れなさい」と主張し、ディマジオは、ついにキャンプに現れ、ヤンキースの提示した金額でサインしました。賃金交渉のすべての権限が一方にあるのは正しくないと思います。選手が発言権をもつ何らかの仕組みを作らない限り、球団側がすべての権限を持ちます。

年俸調停制度では、第三者である調停人がいます。年俸調停制度には、たくさんの問題があります。この制度では、選手と球団の主張の間をとることはできず、どちらか一方の主張を採用しなければなりません。オーナー側は、「調停者が無意識のうちに『この案件で選手の主張を採用したので、こっちは球団の主張を採用しよう』と判断してしまうかもしれない」と考えています。そこで、オーナー側は、無意識の影響をなくすため3人で構成される調停委員会を提案しました。

年俸調停制度に関し公正でないもうひとつの点は、双方の主張がともに公正でないとき、どちらの主張の不当さが大きいかで判断することになり、結果が公正でないことです。球団側が「年俸調停制度は不要である」と主張すれば、選手側は「それなら全員をフリー・エージェントにしてくれ」と言い、球団側は「それはできない」と言うでしょう。

もし選手をみんなフリー・エージェントにすれば、市場に出る選手(FA権のある選手)が増えると報酬を下げることができるので、球団側は助かるかもしれません。例えば、60年代にオークランド・アスレチックスのオーナーであったチャーリー・フィンリーは、ケン・ハロルドソン外野手ともめました。ハロルドソンがフィンリーの悪口を言ったとき、フィンリーは「私のことをそのように言うのなら、私のチームにいてほしくない。あなたを解雇します」と言いました。それで、ケン・ハロルドソンはどの球団と交渉しても良いことになり、ボストン・レッドソックスが67年に破格の5万ドルで契約したと思います。ケン・ハロルドソンが5万ドルももらえるとは誰も予想できませんでした。要は、ケン・ハロルドソンがただ一人、市場で調達可能な選手だったのです。このようなことがあって、選手達はフリー・エージェント制に強い興味を持ちました。「フリー・エージェント制を通じた市場」か「年俸調停制度など市場の役割を果たす仕組み」かのどちらかひとつが必要です。

さて、日本には、最近まで、市場や市場に代わる仕組みがありませんでした。もうすぐFA権を得る選手の一部が「数年でフリー・エージェントになることを考えて、米国のチームより良い条件を出すべきだ」と主張しても待遇改善にはつながっていません。しかし、こういう状況は変わり始めています。私の考えでは、何か「公正な」、と言っても「公正」は望みすぎかもしれないのでこの言葉は使わないことにして、「両者が関与する手続」が必要です。

質問

年間の試合数の決定方法についておうかがいしたいと思います。日本ではプロ野球機構が決定権をもって進めています。試合数を決める場合、球団間の共存共栄という問題もあります。米国で労組、選手の意見は試合数にどのように反映されるのでしょうか。

回答

米国では、集団交渉のなかで試合計画を話し合います。試合数を、組合の同意無しに、オーナー側が一方的に変えることはできません。どれだけ働くのかわからないのでは、報酬を決められないので当然のことです。試合数の他に組合が関与しているのは、スケジュールの問題です。一般的にナイト・ゲームの翌日に別の都市でデイ・ゲームはできません。休養日またはデイ・ゲームでなくナイト・ゲームにする必要があります。これは、チーム数が増加し、全国に分散したことに伴い深刻化した問題で、選手が一定の休養を取れるようにしています。

コメント(池井優・青山学院大学教授)

日本野球は非常な危機に瀕しています。1つはイチローや佐々木など優秀な選手が次々と大リーグに出ていってしまう。下手をすると、日本のプロ野球はロシアのアイスホッケーのように、大リーグのマイナーリーグ化してしまうのではないか。2番目の不安材料は、ファンの野球離れです。最近のスポーツ誌ではジャイアンツが勝っても1面に載らない。サッカーなどによって占められてしまう。巨人戦のTV視聴率の低下、かつて18%もあったのが、11%を下回っている。これをどう変えていくか。

私は3つほどアイデアを持っています。1つは日本の球場の雰囲気を変えることです。それにはあのうるさい応援団を規制することです。明日、彼(グールド氏)は東京ドームの巨人戦に行くということですので、痛切に感じることと思います。

2番目はマスメディアのあり方を再考して、12球団が運命共同体であるという意識を持つことです。そのためには、マスコミが日本の野球を育てていこうという姿勢がないといけません。それから、日本の野球をもっと魅力あるものにしていくためには、たとえば引退した選手への年金の増額です。打撃の神様と言われた川上哲治氏にしても、「年金?、あんなものは孫のおもちゃ代ですよ」という程度だそうです。これでは最近の計算高い若者にとって、日本の野球界に投じるということは、あまり魅力のある世界ではなくなります。

それから古い選手に対して尊敬の念を抱かせるような方式をとる必要があります。米国では有名な選手が来ると、球場じゅうが立ちあがって、スタンディングオベーションをやりますし、オールスターゲームがボストンで行われたとき、テッド・ウィリアムスが車椅子で来て、グールドさんはそれを見て涙したそうです。日本でもそういう古い名選手を大事にするようでないといけません。そのようにファンの意識改革を行わないと、人気も一過性のものになってしまいます。

日本では2000年のオフから代理人制度が公式に認められました。しかし、制約がありまして、日本弁護士連合会に所属する弁護士に限り、1人の代理人は1人の選手しかクライアントにもつことができません。すなわち米国のスコット・ボラスのような、オーナー側には「ドラキュラ」とも言われていますが、そういう何10人も抱えて稼がされたらかなわないということです。代理人制度がもたらす功罪についてもう少し日本でも考えていかないといけません。ヒットエンドランとは何かも知らない弁護士が代理人として勤まるというのは、不思議な現象です。

回答

池井教授のコメントは個別の交渉に関するものだと思いますが、私の講演では、焦点を当てていませんでした。「組合と球団の集団的交渉」に対して「選手と球団の個々の交渉」があります。代理人制度は、米国でとても深刻な問題になっています。代理人が野球を良く知らないことが原因とは思いません。実際、ボラスは野球を非常に良く知っています。代理人は、たくさんの選手を代表しているので、大きな力を持っています。代理人は組合にも影響力があります。組合は、特に力のある代理人のいうことを聞かなければなりません。というのも、組合は、中間レベルの選手たちと同様にスター選手も効果的に代表しなければならないからです。バスケットボールでも同じことがありました。バスケットボールでは、一部代理人が、異常に強い力を持っています。特にある代理人は、組合よりも力を持っていると言われています。実際に、NBAはこの代理人を相手に交渉しています。

ボラスは、テキサス・レンジャースに誰を採るべきか意見しているとみられています。私は、これは、非常に不幸な状態だと考えます。代理人が球団に誰を雇うか、誰と交渉すべきか、を指示するほどの権力、影響力を持つのは行き過ぎだと思います。代理人が代表している選手と監督が衝突すると、時には、代理人が球団に誰を監督にすべきか要求します。代理人は監督を無力化しようとしています。これが、米国の制度の悪い側面で、団体交渉を通してでしか変えられないので、簡単には変えられません。しかも、組合は、ボラスのような重要な代理人と同調しがちです。米国では、球団側が一方的に変えることはできません。というのも、組合と交渉しなければならないだけでなく、独占禁止法の問題にも関わってくるからです。もし、球団側が、選手を代表している代理人を排除したら、独占禁止法違反となります。球団側が、組合と、代理人を排除する件について交渉すれば別ですが。米国のこの問題に良い解決法があるかどうかわかりません。日本では、一人の代理人を一人の選手に限定することに労働法や独占禁止法上の問題はないのでしょう。米国でそのようにすることは不可能ですが、率直に言うと、米国でもそうすることを期待します。私は、ボラス氏が選手を代表していた案件を調停したことがあり、オーナー側の主張の一部に同情するところもありました。

(文責・編集部)