第7回 旧JIL講演会
グローバル化時代の産業立地と雇用創出
~先進モデルに学ぶ雇用・人材開発・技術蓄積~
(1999年4月19日)

獨協大学教授 桑原 靖夫

目次

講師略歴

桑原 靖夫(くわはら・やすお)
 1967年にコーネル大学大学院修了。労働経済・労使関係論専攻。日本労働協会(現日本労働研究機構)主任研究員を経て、85年から獨協大学経済学部教授。93?94年にケンブリッジ大学ウルフソン・カレッジ客員教授、95年から放送大学客員教授、96年から獨協大学国際交流センター所長なども務める。主な著書に『労働の未来を創る』(編著、第一書林)、『先進諸国の労使関係』(共編著、日本労働研究機構)、『国境を越える労働者』(岩波書店)など。

1.失われる雇用機会

 きょうは「グローバル化時代の産業立地と雇用創出」というテーマでお話しいたします。残念ながら日本は、ほかの多くの先進諸国と並んで、きわめて高い失業率の国に仲間入りしてしまいました。そうした日本の今後の雇用政策について、これまで余り指摘されなかった観点から若干の問題を提起したいと思います。新しい世紀を目前にして、多くの点で目標を見失っているかのように見える日本の将来を考えるについて、短期的な視点ではなく、長期的な観点から重要と思われる幾つかの問題を検討していきたいと考えております。

資料1

 図表1は1990年から98年までの日本の完全失業者と完全失業率の推移を示しております。今年に入り状況はさらに悪化をいたしまして、2月の失業率は4.6%、失業者の数にして313万人という、今までにない記録的な高い水準に達してしまいました(3月にはさらに上昇し、4.8%を記録)。

 日本は長い間、先進諸国の中では例外的に失業率の低い国として知られていました。多くの国が日本を半ば羨望の感をもって眺めていたわけです。しかし、今や日本の失業率は、数値の上で見ますとアメリカの水準を上回り、日本の経済運営への信頼は大きく失墜してしまいました。政府発表によると、景気はほぼ下げ止まりの状態に入ったといわれております。しかし、景気の先行き不透明感は消えることなく、リストラの名のもとに、企業は人員削減をさらに拡大する傾向を見せています。

 なによりも雇用を重視するという企業の考えは、これまで失業率を低いレベルに抑え、日本的雇用慣行の最も重要な柱と考えられてきました。けれども今日の状況を見ますと、人員削減を実施する多くの企業にとって、これまで半ば聖域だった雇用に手をつけるというかつてあったためらいは、なくなったようであります。政府の経済政策が「何でもあり」という節操のない状況に入っているので、企業の生き残りのためには、人員削減も合理化策の中で最後にとるべき手段ではなくなっているという風潮が生まれたとさえ言えるわけです。

2.思想なき雇用政策

資料2

(1)雇用政策の転換点?雇用の創出と喪失のメカニズム

 雇用についてみると、残念ながら現在は、思想なき雇用政策という段階にあると考えております。高まる失業率への不安を背景に雇用問題の重要性はさまざまなに強調されていますが、失業改善のための施策という点から見ますと、一貫した思想の下で展開しているとは、少なくとも私には感じられません。

 セーフティーネットの補強が一方で叫ばれていますけれども、失業対策としては、いわば事後的な施策にすぎないわけです。その反面、規制緩和が新しい産業、企業を生むといわれておりますが、規制緩和がそのまま雇用機会につながる保証もありません。この雇用が生まれたり失われたりする実態、あるいはそのメカニズムについて十分に目を向けない政府の政策担当者や一部の経済学者の無責任な発言は、かなり憂慮すべきものだと考えております。

 世界的には大体1970年代、第一次石油危機の直後から、雇用政策の面において大きな思想的、政策的な転換が見えてきました。つまり、事後的な措置、すでに発生してしまった失業者をどうやって労働市場、雇用の中へ再吸収するかということに多大な資金とエネルギーを投下するよりは、むしろ雇用機会を積極的に創出することのほうがはるかに建設的であるという認識が次第に共有されるようになってきたのです。その結果、雇用を生み出す側と、なぜ雇用がなくなってしまうのかについてのメカニズムの研究が進みました。どんな産業や企業が雇用の吸収力を持ち、期待できるのだろうかという点について、かなりの調査が進行したわけです。

 一つの例をあげますと、1979年にアメリカ・MIT(マサチューセッツ工科大学)のジョン・バーチという都市計画分野の研究者が、アメリカの雇用の大部分はそれまで軽視されてきた小企業が創出しているという内容で、かなりセンセーショナルな問題提起をしました。それがきっかけになり、多くの研究が進みました。

 世界各国ではかなり以前から雇用創出、つまりジョッブ・ジェネレーションの側面に関心が集中したのですが、日本について見ますと、長らく低失業だったこともあり、雇用の創出という政策課題への取り組みは、どちらかというと余り重視されてきませんでした。私はかなり前から、この面に重点を置いて、幾つかの問題提起をしたり、あるいはOECD(経済協力開発機構)でほかの先進諸国の人たちと作業をしたことがあります。日本でこの側面への関心は、比較的最近になってようやく部分的にあらわれてきたという感じがしております。

(2)ミクロ的な裏づけのない雇用創出策の横行

 今の段階になっても、地域振興券のばらまきだとか、ミクロ段階での計画的な裏づけのない、一方的な公共支出の増加といった、いわば思想のない政策が日本をかなり支配していると考えております。

 雇用の創出策が効果をあげるのは、ミクロ的な基礎(ファウンデーション)がある場合においてであります。私は幾つかの府県レベルでの地域振興プロジェクトにかかわったことがございますけれども、支出が先行するプロジェクト、思想がない公共支出政策、雇用政策が残念ながら多分に見受けられます。

 もちろん、増加した失業者をどのように吸収するか。彼らのために短期的なものであっても新しい雇用の場をどう提供するか考えるのは必要なことでありますけれども、それだけでは未来がないと考えています。簡単に生まれた仕事というのは、簡単になくなってしまう。これは雇用の創出、あるいは喪失、ジェネレーションとディストラクションの膨大な研究の中で明らかにされていることであります。公共支出を増やして土木工事の雇用機会が短期的に増えたとしても、消えるときは簡単に消えてしまう。21世紀の到来を目前にして、新しい展望のもとでの雇用政策の設定が、今ほど必要な時はないのではないかという気がいたします。

3.産業立地・集積への関心の芽生え

資料3

(1)大量生産時代のたそがれ

 1980年代のアメリカにおいて再工業化政策(リインダストリアライゼーション・ポリシー)の議論が高まったことがありました。1970年代後半から80年代にかけて日本の製造業が台頭し、競争力をつけて、自動車、鉄鋼などの企業がアメリカに直接投資を行うようにまでなりました。日本産品の強い競争力がアメリカ製造業を相当程度痛めつけていた過程で、なんとかアメリカの製造業を復元できないか、製造業で働いている労働者の雇用をかつてのように取り戻すことはできないか、という問題意識から、再工業化政策が一時かなり流行したわけです。結果を見ますと、実はほとんど意味がなかったと申しますか、余り効果のない政策でした。時代の歯車を逆転させるようなところもなかったとは言えません。

 そういう中で、一つの新しい議論が提示されてきました。前世紀から今世紀にかけて世界をリードしてきたいわゆる大量生産様式の時代がたそがれてきたのではないかという議論です。それはポスト・フォーディズム論争と呼ばれました。フォーディズムといわれる自動車産業に代表される大量生産、つまりコンベアーベルト様式で大量マス・マーケットに製品を送り込むシステムが経済の基盤を構成する時代がしだいに終わりを告げて、次の新しい時代が来つつあるのではないか、新しい時代に期待される産業や雇用のイメージはどんなものなのか、という議論が少しずつ出てきたわけです。

 もう一つの流行は、アフター・リーン・プロダクション(After Lean Production)という言葉であります。大量生産様式時代のたそがれの過程で、いわゆる大量生産工業がさまざまな形でぜい肉を落とし、すっきりとした効率的な生産様式を目指そうと考えたわけです。他方、トヨタのジャスト・イン・タイム・システム、トヨティズムなどという英語すら出てきたわけですけれども、基本的には大量生産様式を基盤に持ちながらも、そこにおける効率を最大限まで求めてみる。すると、例えばトヨタの生産システムに代表される生産様式は、むしろフォーディズムを極限にまでおし進めたものだという考え方と、それ自体が時代の新しい生産様式の一つの機運をつくり出しているという見方もあり、議論は必ずしも特定の方向に収斂しているわけではありません。

(2)第二の産業分水嶺

 この議論の過程で世界的に話題になった一つの著作があります。アメリカの経済学者、どちらかというとラジカルな制度派経済学者といったらよいのでしょうか、制度派に近いマイケル・ピオリとチャールズ・セーブルという、一人は労働経済学、一人は政治体制論の学者、その二人が1984年に『The Second Industrial Divide』という本を出したわけです。日本では93年に筑摩書房から翻訳されました(邦訳題『第二の産業分水嶺』)。

 この著作は、アメリカの状況を基本的に踏み台にしています。再工業化政策についての反省を含んでいるわけですが、彼らが何を言ったか申しますと、巨大企業、ビッグビジネスとケインズ主義的な福祉国家観という二つの特徴に支えられた現代アメリカ経済、あるいは資本主義の大量生産体制自体が非常に大きな危機にさらされており、それが80年代アメリカ経済の世界的な凋落状態の源泉、根源になっているという見方であります。

 この二人は、アメリカ経済史を回顧してみまして、大体19世紀後半に最初の分水嶺、「Industrial Divide 」があった、そこで現代アメリカ産業組織のひとつの大きなパラダイムが形成されたのだと強調しています。

 その分水嶺に際して、アメリカは何を選んだかといいますと、まさにフォーディズムであり、大量生産様式の時代をずっと経験してきたわけです。それがまた新しい分かれ目、第二の分水嶺にさしかかっており、ここでどんな選択をするかによってアメリカの将来が決定するという問題提起をしたわけです。

(3)クラフト的な生産様式への回帰

 二人の著者が提案したのは、クラフト的な生産様式──日本語でクラフトと言うと、職人の手工業というイメージがありますけれども、それはいずれ少しずつ解きほぐしてお話しするとして、そうしたクラフト的な生産様式への回帰を選ぶべきである、大量生産様式時代の終えんを目前にして、そちらへ転換すべきであるということを提示したわけであります。

 世界を少しグローバルな展望で見てみますと、彼らの問題提起を実証するような幾つかの地域が確認されております。アメリカでも有名なシリコンバレーだとか、あるいは東海岸、ボストンのほうにルート128という先端企業の集積した地域があります。

 それから、鉄鋼業などをご存じの方はおわかりでしょうけれども、ミニミルといいまして、非常に身がわりの早い、例えばくず鉄などを原料に使って、しかもマーケットに近接して立地をした効率のよい、しかし規模の経済性という意味ではかつての大規模生産様式を放棄した工場、企業がかなり注目されました。巨大高炉から圧延工場まで抱え込み、動きのとれないようなシンボリックな工場、例えばシカゴのミシガン湖のところを鉄道に乗ってみるとわかりますが、地平線のかなたまで延々と古い赤さびた、外から見ると残骸のように見える巨大な工場があるのですが、そういう工場ではありません。ミニミルは、現在でも非常に活発に活動しております。

 また、ピオリとセーブルの著書でとくに有名になりましたのは、のちほどご説明いたします第三イタリアといわれる地域でした。この地域は、二人の著書でたいへん有名になり多くの観察者を生み出しました。

 経済学をご専攻の方はご存じかもしれませんが、1920年代にアルフレッド・マーシャルという著名なイギリスの経済学者が『Industry and Trade』(産業と貿易)という本を書いております。その中で、実は今まで申し上げたようなことのかなり原初的な理論化を試みています。それから、ピオリ、セーブルの論理と少し重なり合う話として、特に最近アメリカで最も活躍しているクルーグマンという国際経済学者が、地理学と産業、貿易との関係にたいへん関心を持っており、新しい観点からさまざまな問題を提示しています。

4.産業集積の解体と再生

資料4

 そこで、重要なひとつの概念は、産業集積です。産業集積というのは、簡単に言ってしまえば、ある産業がある特定の地域に、一つの群をなして累積しているような状況です。そういう伝統的な産業地域は世界にたくさんありました。例えばアメリカでは五大湖の地域、あるいはニューイングランドなどです。そうした産業集積地域が、グローバル化の進展によって大きく基盤を揺るがされ、解体・再編の大波に揺り動かされてきたことは説明するまでもありません。世界の産業立地が新しい形での再編を迫られる時代に入りました。

 大量生産工業の時代からしだいに決別することになって、それでは新しい時代にどんな産業が台頭してくるのかという意味で、新しい産業集積の重要性が注目を集めるようになるわけです。産業の集積がない限り、雇用の集積も実は期待できません。わかりやすく言えば、過疎地域に雇用を生み出すことは非常に難しい。そういうわけで、産業集積と雇用創出との関係はたいへん重要な意味を持っています。

 それでは、どんな集積の形態が望ましいのでしょうか。これまでの議論や調査から浮かび上がってきた特徴点ですが、一つは、柔軟性と専門性をその産業集積の中で持つことです。ピオリ・セーブルの言葉で表現するならば、「フレキシブル・スペシャリゼーション」(flexible specialization)、「柔軟な専門化」といったよいのでしょうか、この概念はその後、この分野で非常によく使われるようになりました。それからもう一つは、ミクロ経済的な調整機能の高さ。これは、柔軟な専門化をもらたす非常に重要な要素でありまして、その地域における分業の調整費用の安さ、低さといった内容を持っています。

 これから構想される新しいクラフト的な生産体制を模索する動きが台頭しました。経済レベルがまだ低い時代、人々はフォードのT型車を一台持つことで満足感を得ていました。しかし、生活水準が上がっていきますと意識が変わり、その後は、車でも、隣の人とは少しでもモデル、車種、色の違った車を持ちたい。そうでない限り充足感を持てない時代に入りました。そういう時代に企業が生き残るためには、少品種大量生産といった方式を半ばあきらめて、非常に細分化、個別化した消費需要に対応する供給体制を準備しなければならない。しだいにその中で、規模よりも品質を重視する。高い付加価値を追求するという方向が顕著になりました。

 数年前にイギリスのケンブリッジ大学に客員として滞在していた頃、ケンブリッジの町にソニーの電気製品の代理店がありました。ほかの電気製品の店と違って、いつも若者がたくさん出入りしていましたけれども、なかなか買わないのです。話を聞くと、とても品質がよくて欲しいのだけれども、少し高くて買えないのだという。戦前それから戦後しばらくの間、メード・イン・ジャパンという言葉は、まさに安かろう悪かろうという言葉だったわけですけれども、それがある時期から全く反対の意味に変転した。要するに、品質はよいのだけれども、ちょっと値段が高い。ただし非常に信頼度が高い。そういう品質を重視する風潮がしだいにクローズアップされてきました。

 それから、最近のインターネットの発展に代表されるように、これからの時代は、やはりインターネットあるいはデジタル革命の中で生き残り得るような産業集積でないといけない。さきほどのアメリカ鉄鋼業ではありませんけれども、ひところに比べまして、産業立地が流動的な時代に入りました。二、三年前にあった企業が、あっという間にほかのところに移っていることは珍しくない。私の学校時代の同級生に、カメラケースのメーカーの経営者がおりました。親代々からの経営者なのですが、国内の工場を全部、台湾とフィリピンに持っていった、日本の工場はもう閉鎖したというのです。この前手紙が来まして、今度は全部中国へ持っていってしまった。中国でつくったカメラケースを、日本など一番近い需要地へ輸送する。世界最適調達・生産の仕組みと一般にいわれておりますけれども、企業の大小を問わず、世界市場との関わり合いを考えねばならない時代に入っています。

5.高度技術社会の産業集積モデル

資料5

 グローバル化の進展とともに、産業の再編が急速に展開しています。ただいまの例のごとく、これまでグローバル化といったものに余り縁がない、例えばローカル・マーケットを相手にしているイメージが固定的にあった中小企業といえども、原料ソース、製品市場の面で国際的な次元に接触しなければやっていけない時代に入りました。産業立地の大幅な変動は、中小企業の分野にとっても、激震という言葉で表現してよいくらいの変化で進行しています。

 そういう状況の中で、日本ではしばしば企業家精神への待望論、企業家よもっと出よという提案がたくさん新聞その他に出ておりますけれども、その多くはかなり安易な期待であると思っています。企業家精神が花開くためには、さまざまな手だてを講じないといけません。単に精神論だけでは、企業家は生まれてこない。

 それからもう一つは、かつてのアメリカもそうだったわけですけれども、やはり日本の大きな誤りは、サービス産業と公共支出への安易な依存だといったらよいかと思います。サービス産業は、しばしば第1次産業、第2次産業を取り除いて、その残りといいますか、産業の中身としては複雑なために必ずしも明解にされておりません。けれども、コーリン・クラークの法則のように、産業の重点はしだいにサービス産業へとシフトしていくという期待があるわけです。製造業よりはたくさんの雇用を吸収してくれるのではないかという期待感もありました。しかし、そうしたものに余り過度に依存するのはたいへん危険なことであります。

 幾つかの心ある先進国では、高度な研究・技術を開発できる能力を持った人々の育成に国家的な目標が移っています。雇用の生まれるプロセスの研究から明らかになったことですけれども、アメリカでは、高度に革新的な産業が全国平均の倍以上の雇用を生み出しているという事実が見いだされています。いずれの国でも、経済の段階が高度になってきますと、低次元の産業は、後続する開発途上国に移譲していかねばならないわけです。すべての産業をワンセットで全部国内に抱え込むのはほとんど不可能です。先進国の目標として設定すべきは、研究・技術開発型の人材をどういう仕組みで生み出すことができるかということでありましょう。

 かつて、アメリカやイギリスの科学分野のレポートでしばしば強調されていましたのは、科学技術の開発能力が国家の盛衰を定めるということです。サッチャー政権の時、コンピュータ産業に競争力を持たないと、次の世紀でイギリスは開発途上国の仲間入りをするというショッキングな内容のレポートすら出たことがありました。ハイテク産業を中心として、高度な技術産業の分野で勝利を得ることは、これからの国家にとって最も大事な政策の一つであります。 

 そこで大事なのは、最近ではテクノロジカル・アントレプレナーシップともいわれますが、高度な技術的背景を持った企業家精神をどうやって生み出すか。そういう人たちが生まれるような風土をどうやってつくり出すかということに力点が置かれるわけです。こうした人々はただ放置しておいたのでは生まれてこない。計画的に育成する必要があるということです。

6.産業集積のパターン

資料6

 高度な能力を持つ人たちの育成の基盤、いわば揺りかごのような役割を果たすのが産業集積であります。この点に関連して注目しておくべきは「産地型」といわれている産業集積のあり方です。日本で例をあげるならば福井県鯖江の眼鏡、飛騨の伝統家具などが典型的であります。あるいは、イタリアの経済学者やILO(国際労働機関)のウエルナー・センゲンバーガーなどが以前から研究していたわけですけれども、ピオリとセーブルの本によって有名になりました第三イタリアといわれる地域です。プラートの毛織物の産地だとか、あるいはボローニャの食品包装の機械製造など、多くの例をあげることができます。

 もう一つの類型は、「複合型」といったらよいかと思います。一つの立地にいろいろな産業が並立して、時には時間的格差をもって存在している。例えば静岡県の浜松市が好例です。歴史的な形成の順番でみると、遠州織物から始まって、ホンダのモーターサイクル、スズキなどの自動車、それからヤマハ、河合などの楽器です。今は浜松の北の方にハイテクのサイエンスパークの原型のようなものが形成されつつあります。

 別の観点から注目されますのは、「都市型」集積です。よく皆さんご存じなのは、大田区の中小企業、あるいは秋葉原の電気街、これも世界の半導体やコンピュータ産業の人たちに言わせると、最も新しい製品がそこに行けばわかるという意味でたいへん興味の的でありますけれども、そうした地域です。それから、アジアではシンガポールです。あるいはフィンランドのヘルシンキですね。ここにはノキアという携帯電話やPHSなどで世界的に有名な企業があります。巧みに時流に乗って製品開発を行い、今や世界的なメーカーとして確固たる地歩を占めています。都市という人口集積、そして別の見方をすると知識集積のメリットをいかに活用するか。

 さらに、一歩進んだ形として、現在多くの研究者あるいは都市開発分野の人たちが関心を持っている「サイエンスパーク」というタイプがあります。シリコンバレーやケンブリッジ、フランスのソフィア・アンティ・ポリスなど多くの例をあげることができます。先端科学技術だから先進国に限るのではという予想に反して、その拡大は先進国にかぎりません。たとえば、インドのバンガロール地方にもあります。インドのソフトウェア開発能力は抜群に高いものがありますので、時差を活用してアメリカの会社がインターネットでインドへ開発を頼み、すぐまた製品を送り返してもらうということが可能になっています。それから後ほど少し詳細をお話する台湾の新竹(シンチュウ)科学工業園区。これらの例は典型的、ある意味で組織だった産業集積と言えるかもしれません。

7.第三イタリア

資料7

 いくつかの有名な例をお話しましょう。まず第三イタリアのケースから始めましょう。これはいろいろおもしろい特徴を持った産業・技術集積でありまして、日本でも紹介している文献が幾つかありますので、余り深く立ち入らず、カルピ(Calpi)といわれるニットウェアの産地を簡単にご紹介しましょう。

 カルピはたいへん歴史のある地域であります。中世以来、最初はわらで編んだ女性のストローハット、イタリア語でパグリエッタの産地として知られていました。それが、男性の帽子産地に移行していきまして、そこでつくられた帽子が週末にボローニャの市場で売られるような形でだんだんと集積が進みました。帽子はその後しだいにファッションの世界から忘れられていきましたけれども、第二次大戦の後、蓄積されてきた技術を何とか生かしてニット製品の分野へ出ていけないかと考え、そちらに産業集積の中身を移行していきました。

 第三イタリアの集積地の特徴として、together but separateとよく現地の人たちのいう言葉があります。カルピには約2000の企業があり、大多数は非常に小さなマイクロ企業で、大体五、六人の家族企業が集積しています。それぞれが皆セパレート、まさに一つの個体として分立しているわけですけれども、その地域ではお互いに必要な情報を交換し合い、まさに集積の力を発揮するのです。

 中世以来、例えば町なかのバーで、親方たちが昼に集まってビールを飲みながら、今どんな製品が売れているとか、今度どこかで見本市をやるとか、新しい機械がどこかで発明されたそうだとか、そういう情報を非常にインフォーマルなネットワークで吸収していった。それがしだいに新しい形で編成されていき、カルピのメーカー間のネットワークとして今日まで伝わっているわけです。大体50人以下の企業で地域の生産の7割近くを押さえている。ですから、一つ一つをとったならばたいへんもろい存在ではありますけれども、全部束ねて産地としてみるとベネトンの規模に相当するという、一つの強力なモデルになるわけです。

 この地域は印象的な成功をおさめたわけですが、決していつもよいことばかりあるわけではなく、やはり今日のグローバル化の衝撃にさらされています。とりわけ非常に賃金コストの打撃が大きく、そこからどうやって逃げるかということになります。しばしば現地を見る機会がありましたけれども、そこで進んでいるいろいろな変化、その中で一つの傾向を申し上げますと、今までたいへん孤立、分立していた企業の中に緩やかな変化が起きてきて、次第に垂直的な階層構造が出来上がっている。わかりやすく言えば、下請けのような形の階層構造が少しずつ出来上がってきているということです。

 もう一つは、伝統的に家族経営の思想がたいへん強い。イタリア人の一つの考え方として、家族、親族以外は信用できない。ですから、企業規模の拡大はみんな望んでいない。インタビューすると、異口同音に、もうこれで十分だと。せいぜいこれからは、高い付加価値を求めるということでした。規模のメリットには目を向けないのが顕著な特徴であります。さらに最近ではこうした産業立地に熟達した専門経営者がしだいに入り込んできている。彼らは家族経営を束ねて変革し、専門的な経営能力で新しい道を切り開こうとしている。

 それから、イタリア語でCITERといいますけれども、エミーリアロマーナ地方にある繊維産業群を束ねて、いろいろな情報を注入する繊維産業情報センターといったものが出来上がってきました。ですから、伝統的な産業立地である第三イタリアにも新しい変化は、やはりひたひたと、あるいはかなり強い波として押し寄せているわけです。

8.シリコンバレー

資料8

 次にあげる例はシリコンバレーですが、ここはもともと非常に高度な産業集積のモデルとみなされてきました。現在行ってみますと、分業構造が非常に複雑化しておりまして、たいへんわかりにくいのですが、半導体や最終製品の開発、生産をする企業が中核になっている。まさに世界最高レベルの研究開発のコンプレックス(複合体)を構成しているわけです。

 ここにも、いろいろな特徴があります。まず、圧倒的に中小企業が多い(約89%が中小企業)。それに、産学共同の仕組みがうまくいっているといったらよいかと思います。例えば、私のおりましたイギリス・ケンブリッジのサイエンスパークもそうですが、大学で開発したものが産業界へ巧みにスピルオーバーして流れ込む。あるいはその逆があるということです。この点は日本が考えねばならないひとつの課題です。

 それから、エンジェルといわれておりますけれども、望みがありそうな起業家を支える個人投資家がいて、出資してくれる。また、これからの話に関係しますけれども、アジア系の技術者がたいへんな力を発揮している。シリコンバレーの研究者のほぼ50%強がアジア系、要するに中国やフィリピン、台湾などからやってきた人たちであり、高度な研究開発の中核部分を構成している。

 シリコンバレーで注目されるひとつの変化に、総合企業の後退ともいうべき現象がみられます。集積を構成する企業がしだいに専門性を高め、その領域では並ぶものの少ない企業として生きてゆく方向です。競争が激しい産業だけに、幅広く間口を広げたのでは競争力が無くなってゆくということを反映しているといえます。

 そして、こうした先端地域においても、構成企業群がお互いに相手方を知っているというイタリアの産業立地と同じ「顔の見える関係」が特徴的です。

9.新竹科学工業園区

(1)沿革

資料9

 さて、次に少し時間をかけてお話するのは台湾のケースです。台北の南西に新竹科学工業園区という世界的に注目を集めているサイエンスパークがあります。台北から車で大体1時間半ぐらいのところです。沿革を申しますと、1980年の12月に開設されまして、現在250社近くがこの地域に集中しております。

 私も何度か訪れていますが、行くたびにたいへん大きな衝撃を受けて戻ってきます。先月行きましたときには、もう完全に日本は負けている、これではだめだという絶望感さえ感じたくらい、非常に活力をもって繁栄しているところであります。

 どういう仕組みになっているかと申しますと、開設時に約600ヘクタールの土地を台湾政府が供与いたしました。政府はその後、過去20年近い期間に約6億ドルのインフラ投資をしてきました。

 園区の中は工業区と、そこに働く人たちの居住区、それからレクリエーション区の三つのブロックに分かれています。園区管理局が管理して、その中に立地している企業、研究所が十分な研究開発活動を行えるよう、さまざまなサービスを提供しています。例えば学校まで幾つか出来上がっておりますし、幼稚園や郵便局、税関、税務署、銀行までありとあらゆる支援組織がそろっている。ここでも、企業家の間に緊密なネットワークがありまして、さきほどの例と同じような特徴を持っているわけです。

(2)主要な産業

資料j

 園区の主たる産業は、図表2に示しているとおりですけれども、現地では大きく六つのグループに分けておりまして、いずれもかなり高率の成長を示しております。園区の売り上げは、97年に約14億ドルで、前年比20%近い伸びをみせています。台湾はご存じのとおり、今回のIMFショック、アジア通貨危機のプロセスで、アジア諸国の中では例外的にほとんど影響を受けていません。もちろん多少の影響は受けていますが、それをはね返して、たいへんに活力がある。その活力の源泉はいくつか考えられますが、近代的部門についてみると、その一つの産業的基盤が実はここにあるのです。

 ほとんどの企業は国内資本で出来上がっており、202社が国内企業、43社が外国資本であります。外国企業は少なく、アメリカとヨーロッパの企業が幾つかある程度です。資本の拠出者も8割が国内の民間資本。どの企業をインタビューしても、自分のところは政府のお世話にならないといいます。政府が土地だけ、インフラだけを供与してくれれば、あとはもう自分たちの力でいく。政府が関与するとろくなことはないというわけです。シリコンバレーもこの点では典型的でありまして、政府の助成をお断りするグループというのが出来上がっており、自立していく姿勢が明確に出ております。こうした産業区分であり、ハイテクの主要な部分をすべてカバーしている状況であります。

(3)園区同業公會

資料k

 園区にはさまざまなネットワークが、フォーマル、インフォーマルな形で出来ております。図表3に一つの仕組みを示しましたが、園区同業公會というのがありまして、会員の代表大会の下に、理監聯席會(理事・監事の会)、その下に企画管理委員會や人力資源委員會、財務会計委員會、智慧財産権工作委員會、工業工程学會など全部併せて20ぐらいの組織があって、お互いに情報交換しております。競争と共同の微妙なバランスが大事なのです。それをどうやって域内で保持していくかというところが学ぶべき一つのポイントです。

(4)研究開発

資料l

 園区では、言うまでもなく研究開発に最大の力点を置いておりますから、そちらに充てる投下資本額は非常に大きい。例えばどのぐらいかと言いますと、昨年の売り上げの5.4%をR&D(研究開発)に充てたといっております。普通の台湾企業は大体1%ですから、その5倍以上を充てている。特にIC産業は世界的に競争が激しいので、一昨年には売り上げの27%に相当する額を研究開発に充てたといっておりました。園区には研究開発に従事する高度なスタッフがたくさん働いております。インセンティブをつくり出すために、園区の管理局が、戦略的な製品やプロセス、部品の開発に成功した企業を助成するというイノベーション産品についての奨励金を出しています。

(5)園区の雇用成長

資料m

 ここの成長をまさに歴然と示すのが、雇用の成長であります。1983年からほとんど前年比プラスで伸びてまいりまして、今ではこの園区だけで約7万人近い雇用、しかもこれからお話ししますけれども、たいへんレベルの高い雇用を生み出している。そこにおける高度な研究開発が台湾経済のほかの地域へスピルオーバーする。また、台湾政府は97年に第二のサイエンスパークもつくっております。台南に昔ありました台湾製糖という日本が関与した企業のプランテーション跡を活用・再開発しています。

資料n

 園区の企業や管理局で人的な構成を聞くと、図表6にあるようなことを誇らしげに答えてくれます。たいへん高度な知的マンパワーがそろっていて、発展の原動力になっている、博士(ドクター)の取得者が1.2%、修士が12.4%、学士が18.9%、大学教育の修了者が大体40%強ある、といっており、それらは毎年上がっています。

 平均年齢は約31歳で、男女比だと女性のほうが少し多く49対51です。台湾では女性の活躍がすばらしいですね。訪問したある企業の人事部長、若い女性でしたが、私の質問に対して実に的確に答えてくれる。質問に対応する資料もすっかりそろえてありまして、日本のどの会社に行ってもあれほど打てば響くような回答には到底お目にかかれないと思うくらい立派に回答してくれます。しかも英語で。こういう企業がかなり多いのです。

 新竹園区が高い研究能力を持つ人を磁石のように引き寄せようと主体的に努力しているのはもちろんですが、台湾の一つの特徴でもあります。台湾では一時、母国の将来を悲観して高度なマンパワーが海外に流出してしまいました。とりわけアメリカやヨーロッパへ流れてしまい、帰ってこない。その一端がさきほどのシリコンバレーでの活躍ですけれども、そうした人々を何とか台湾の発展のために還流、送り戻すことはできないかという努力をしたわけです。この努力が実りまして、300社弱ある企業のうち97社は帰国者の持ってきたアイデアといいますか、企業家の種で設立されたそうです。

 とりわけシリコンバレーで成功をおさめた台湾系の人たち、中国系アメリカ人といってもよいかもしれませんが、そういう人たちを中心に華人のネットワーク、中国系の血筋を引く人たちのネットワークがしっかりと出来上がっていて、どこにどういう優秀な人がいるということが全部わかる。その人たちを、時にはかなりの高給をもって呼び寄せる。こうした努力の結果、現在ではノーベル賞をもらえるくらい非常に優れた人たちを含め、年間3000人近い科学技術者、研究者たちが特になにもしなくても台湾に還流してくることになりました。

(6)重要な人的資源管理

資料o

 これからの時代を生きてゆく企業にとって、最大といってもよいくらい重要な課題は、自分たちの企業を発展、あるいは支えていくための高度な人材をいかに確保、あるいは養成して、どういう評価をしていかなる報酬を与えるかということです。HRM(ヒューマン・リソース・マネジメント)といっておりますが、人的資源管理の役割がたいへん大きいわけです。

 たまたま先月、園区のすぐ近くにあります台湾国立中央大学で講演を依頼されました。日本語が達者な方もおられるので、日本語で話すのを中国語に翻訳をするのかと思いましたら、英語で話してくれという依頼です。話し終えたところ、20人ぐらいの学生が一斉に手を挙げまして、非常に的確な質問を次々と出してくる。日本の大学では学生は指名しても返答がないような状況なので、たいへん衝撃的でした。私は気づかなかったのですが、その中に後で訪問した新竹の企業の人事担当者がいました。その企業を訪ねた時、私の話したことについてその人がさらに質問してくるような、大学と企業間の非常によい状況も生まれていました。

 国境を超えたネットワークの形成が彼らにとって非常に大事なのです。そのために、毎年世界各地で高度な人材、やはり中国系の人たちが多いらしいのですが、それ以外の人も含めて、よい人材を台湾へ誘致するためのフェアをやるのだといっております。要するに人材市場ですね。たいへん優れた人がたくさん集まってきますけれども、残念ながら、台湾の一般的な所得水準と、アメリカやヨーロッパの所得水準にはかなり大きな格差があります。そこで高い報酬を設定して、魅力ある環境をつくる。例えば大学の研究室なども整備され、研究分野での日本の立ち後れをひしひしと感じました。研究所の設備や待遇などでも、たいへん人を大事にする風土が出来てきています。

(7)昇進体系

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 この背景には、高度な人材は放置しておくと、モビリティー、移動性が非常に高く、逃げていかれてしまうかもしれないということがあります。そこで、どういう維持策、引きとめ策をしているのか聞きました。典型的な例をお話しするために、インタビューしたA社の技術者の昇進体系を図表7に示しています。台湾企業でありながら、社内用語はほとんど英語です。

 大学、大学院を出た技術者は、この企業ですとレベル1のエンジニアという、一番下のところにまず採用するんだそうです。それから、様子を見まして、大体三年から、早い人は一年ぐらいでレベル2のエンジニアに上がる。その後、適性を見て、その人がいわば研究開発、技術開発のための専門スタッフとしてこれから歩んだほうがよいのか、ある程度管理部門、例えば統率能力を持った人として育成していくべきかという分かれ道で二つのグループに分ける。

 右側がエンジニア・タイプでありますけれども、レベル3にはプリンシパル・エンジニアという名前がついています。それから、レベル4がテクニカル・エンジニア、テクニカル・ディレクター、チーフ・エンジニアという名前でだんだん昇進をしていきます。要するにこちら側は専門家コースです。左側はどちらかというと係長、課長、部長という形で上がっていき、センターヘッド(部門長)のようなところへ昇進していく。

 かなりの企業がこれに類似した方式をとって、それぞれ報酬体系をかなり高レベルに設定しています。引き抜きはないのかと聞きましたら、あるとの回答でした。先端企業が600ヘクタールの中に林立しているわけです。競争企業が隣り合わせのビルに平気で事務所を構えている。自分は去年まで隣の会社にいたけれども、今はこっちの会社に移っている。そういう移動を別に何とも変に思わない。能力のある人が高い給与でしかるべきところに移るのは当たり前ということです。

 それでは人事管理者のほうで困ったことはないだろうかと質問しましたら、実は当初、砂のように動いてしまうので、非常に困ったという。けれども今は、園区の同業公會の仕組みをご説明した中にありましたように、人力資源(ヒューマン・リソース)委員會、要するにパーク内にある企業の人事部課長の会があるわけです。その人たちが定期的に集まって、主要レベルについてかなり詳細な俸給の情報を交換し合うといっておりました。

 では全部そのとおりに払っているのですかと聞きましたら、にやにや笑っておりまして、実際にはプラスアルファをつけたりするのだそうですけれども、基本的にはそういう方針で実行している。そのため、昔に比べて非常に定着度が高まった。ただ、彼らはたいへん重要でおもしろいことをいっておりました。優秀な人材を確保、リクルートしてくるためには、やはりある程度の流動性が必要なのだと。それが、ある適度な範囲におさまっていれば、自分たちとしてはむしろ望ましいことだと考えている、といっております。

(8)報酬体系

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 移動と定着を経済ベースで支える仕組みが、報酬体系です。研究者、技術者たちがやっている仕事をどう評価をして、どんな報酬を与えるか。図表8はある企業の報酬体系を教えてもらったものですが、形態としてはどこも大体こういう形になっているといっています。左側がどちらかというと固定的な部分ですね。アニュアル・ベース・サラリー、それに固定的なボーナスがついて、さらにさまざまなアローアンス、手当が付きます。その上にパフォーマンス・ボーナス・インセンティブ、その人のあげた成果に応じたボーナスを与える。それから、この企業はプロフィット・シェアリング、要するに企業の利潤にスライドした形の利益配分制度をやっています。

 私は、以前から従業員持ち株制度を、特に労働組合側からの従業員持ち株制度をさまざまな意味から提唱しているのですが、日本では余り受け入れてくれるところが少ないので、いささか失望しています。新竹の企業には、従業員持ち株制度が非常に普及しております。アメリカ、イギリスなどでもずいぶん普及し始めました。

 従業員が自分の会社の株を持つことにより、それまで労働者であった人たちが、株主、資本家の特徴をも同時に持つようになるわけです。どういう効果があるかといえば、アメリカのある製鉄工場のエピソードなのですが、今までは、まだ十分に使える溶接棒をどんどんとごみ箱に捨てていた。ところが、わずかではあるけれども自分が株主になった途端、これを捨てれば結局まわりまわって会社が損をして、自分の配当なり賃金に影響してくると気が付いて捨てなくなった。要するに、ミクロレベルでの改善効果にもつながっていくわけです。

 最後はオーバータイムであります。これは主として生産工程部門に適用されます。やはり先端企業分野では、世界の企業、例えばマイクロソフトと競争しているんだとか、そういう意識でありますから、技術者なども非常にモラールが高い。そうした領域はもちろんタイムカードシステムなんてありませんから、自分の好きなときに来て、好きなだけ働いて、その成果で報酬を受けるシステムが普及しております。ですから、企業も活力があり、いきいきとしていて、人々の説明にもたいへん説得力があります。

(9)競争的な環境の醸成

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 さて、園区の人的資源管理の問題を少し総括してお話しいたしますと、全体として、やはり台湾はアメリカ型システムをかなりはっきりと取り入れています。すべてではありませんけれども、たいへんおおざっぱに言って7?8割近くがアメリカ的なシステムです。これは園区外の伝統的な中小企業などには余り見られないタイプであります。どうしてこういう体系が幅をきかせているのかといいますと、そこを支える経営者や研究者、技術者たちがかなりアメリカ型のシステムになじみのある教育を受けていたり、競争的な風土の中に生きることをむしろ好ましいとしている。そういうわけで、アメリカ型にたいへん近い人的資源管理体系がとられています。

 採用、配置などを見ても、日本の企業ですと人事部で一括して採用しますが、ここの企業のほとんどは、各部門ごとに採用しています。コンピュータ開発の末端部門で特定の技術者が必要になっているかどうかは、そこを管理している人が最もよく知っている。現場から遠い人事部の人にそんなことはわからない。だから、自分たちは最も必要な人を最も必要なところから採用してくるのだ、その人に時には非常に高額の報酬を払うけれども、それはその人の能力に対して払うのであり、残念ながらそうでないとわかれば、それなりの対応を次のステップでやるにすぎないということであります。

 彼らは従業員のモラールアップに最大限の配慮を払っています。ロボットを購入すれば、ほぼ買う前からカタログどおりの性能を発揮することがわかる。けれども、労働力は実際に雇っても、その人が本当に持っている能力を100%あるいは120%発揮しているのか、半分さぼっているのか表面的にはわからない。これが労働力とほかの財との一番大きな違いです。どうすればそうした人々の内在的なポテンシャルを引き出せるか。昔のように強圧的な管理体系ではできないことですから、いろいろな新しい仕組みを常に研究している。近隣の大学でもセミナーを恒常的に行うなど、人的資源管理制度についての研究が進んでいるわけです。総体として見ますと、競争的な環境を醸し出す評価・報酬制度が巧みに研究されています。

10.活力ある産業集積から学ぶもの

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(1)分業の厚みと技術の蓄積

 今まで台湾を含めまして、幾つかの典型的な産業立地の状況を見てきたわけですけれども、そうした産業集積から何を学ぶことができるかということが、次の我々の課題であります。

 成功、繁栄している産業立地は、たいへん分業の厚みが深い、あるいは技術蓄積の深度が深い、ということが言えます。これは歴史のある、例えば北イタリアなどの場合は特にそうなのですけれども、分業の厚みは、地域共同体意識によって支えられているのです。台湾の新竹園区のような、どちらかといえば一見ドライな環境であっても、働く人たちの結束した意識をどうやって維持、促進できるかにかなりの関心を持っている。ともすれば忘れてしまうことなのですが、地域共同体意識は考慮すべき非常に大事な要因です。

 それから、やはり勝負は技術力です。その地域の中で競争力ある技術をいかに蓄積していくのか。さまざまな仕組みで高度な人材を取り入れて、その人を媒介にして企業あるいは地域の中に新しい技術を取り込んでいく。そのためには、組織的なネットワークばかりではなく、個人のネットワークも自由自在に使う。できるかぎりのことをして、国境を越えていい人を連れてくる。先端企業で働く人に国籍は問題ないということです。

 アメリカではこのところ、高度な能力を持った専門家とか技術者に対する移民の枠を広げるなど、移民政策がこの方向へシフトしております。アメリカの場合も日本と同じように、熟練度の低い未熟練といわれる人たちを基本的に受け入れていません。メキシコ国境に高い障壁を設定して受け入れない。低いスキルの人材はむしろ発展の障害になるけれども、高い能力を持った人は発展していくための知的ベースとして大事だということで、そこはむしろ枠を広げたわけです。少しひどい言い方をすると、アメリカは自分の教育機関、あるいは産業で育成できない高度な人材について、ほかの国で育成したものをさらってしまう。これが、実は開発途上国にとって頭脳流出といわれる大きな問題であります。

 昨年、中国・上海市の復旦大学で集中講義をしたときに聞いた話ですが、半導体、マイクロエレクトロニクス関係の大学院生が20人卒業したけれども、実に17人がアメリカに行ってしまった。開発途上国がせっかく立派な教育をしても、残念ながら非常に大きな所得、賃金格差のために流出してしまい、中国の大学はこのままだと、先進国の予備校になってしまうと嘆いておりました。ただ、逃げていく人を止めることはできないんですね。祖国の発展が現実に見えてくれば、長い目で見れば戻ってくると考えざるを得ない。その点において、台湾のケースは、非常に巧みな還流を行っているわけです。国際的な人材マーケットをたいへん重視して、そこに突破口を見出し、将来に期待するということです。

(2)市場との関係を密接に

 もう一つ大事なことは、産業集積の場所と市場との関係を密接に持つことです。北イタリアのカントリーノという木工家具の集積地の話ですが、数人でやっている小さな企業を何年か前に訪ねました。そこの経営者はこう言いました。自分のところは、ほかの企業との距離をどれだけ保てるかということを最大の目標にしている。つまり人まねをしないということです。日本の飛騨の産地から調査団が来ると、翌年にはコピー製品が出るといっておりますけれども、彼らはそういうことを非常に嫌い、自分のところでつくっているのは、数は少ないけれども世界でここにしかないんだ、それが競争力の根源だということです。創造性とかユニークさで勝負するのだということであります。

 しかも、自分たちは常に海外の市場にネットワークを持っている。例えば、自分たちの最大の競争相手はスウェーデンやドイツの家具メーカーであるなどというわけです。自分の店の商品を東京で見たかったら、青山通りの何とかという店へ行けばあるのだと。そういう形で、絶えず市場のニーズ、変化を取り入れる努力をする。創造性を常に発揮する雰囲気を絶やさないということですね。

(3)日本列島のランドスケープ再生

 そうしたことを考えていきますと、日本の現状は少し心寂しい感じがします。将来ビジョンがほとんどなく、地域振興券でバラまき支出をしたり、その場かぎりの仕事を生むだけの公共支出が目に余ります。日本の将来を考えて、次の世代のために多少回り道でも今なにをすべきかという視点が感じられません。ここで、私がお話するのは、そうした視点に基づいての長期プランの一つの構想です。この他にも、いくつかの構想があります。

 一つは日本列島のランドスケープ(景観)再生案とでもいうべきものです。わかりやすく言いますと、例えば私が外国人を連れて新幹線に乗り、静岡県の小田原、三島近くで富士山がこの辺で見えるという話をします。晴天で富士山が見えるとたいへん喜んでくれるのですが、ある時、富士山はすばらしいけれども、その足下がたいへんアグリー(みにくい)といわれてしまいました。ふもとの静岡県の吉原周辺などでは製紙メーカーの煙突が林立していて、煙を上げている。こんな状態を日本はなぜ許しているのかと。そういうことを言われましてたいへんショックを受けました。一方、左側の旧東海道沿線あたりを見ますと、日本列島改造計画が行われる前は、白砂青松というほどではなかったと思いますけれども、子供たちが海水浴のできるところがかなりありました。清水や興津、熱海でも十分海水浴ができました。けれども、今や海岸線をテトラポットが埋め尽くし、かつての面影はまったくない。

 50年代、60年代の経済成長が非常に大きな経済的成果をもたらしたことは事実でありますけれども、その反面、失ったものも非常に大きいわけです。失ったものを何とか復元して、次の世代に戻す。そのためのランドスケープの再生。自然をもとあった状況に、完全に戻すことなどはできるとは思いませんが、少なくともある程度は復元し、美しさを誇れる国土にしたい。今の日本の技術をもってすれば、決して無理な注文ではない。別に、反工業化政策を提案しているわけではありません。環境、自然との共存を全面に押し出した新しい産業や立地の構想が必要ではないでしょうか。こういう考えが一つの国家的な政策目標になれば、それを通して波及した枝葉の計画が出てくるわけです。今はまさに短期的考えが支配して、将来像がほとんど何もない。とにかく公共支出だけ増やせば、土木事業が生まれるのではないかと。こういう情けない計画が横行しているわけです。

11.日本を再び魅力ある国にするために

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 もう一つ必要なことは、今まで強調してきた高度な、これからの日本を支えていくような知的人材の養成プランをどうやって提示できるかということです。今の日本の高等教育は、完全に荒廃しています。戦後日本の高等教育は、進学率だけを増やし、短期大学まで含めますと今やほぼ50%弱、要するに同世代の2人に1人は大学へ行くところまできました。本来大学に期待する知的な関心ははじめから持っていない層が大学生になってゆく。友達が行くから自分も行く。大学を出ていなければ、職につけないかもしれないから行く。もう少ししますと全入時代といわれて、大学の名前さえ問わなければどこかに入れる。そういう時代が本当に目前に来ているわけです。国立大学も全部含めまして、日本の大学生の知的レベルが急速に低下していることは、いろいろな資料で歴然としています。

 教育には多くの人々が関係しますが、こうした事態を放置してきた文部省にとりわけ大きな責任があると思うのですが、形式的・表面的な部分にしか手を着けていない。しかも、一国の高等教育のあり方を議論する大学審議会のようなところが、大学は卒業試験をもっと難しくするようになどと、子供みたいなことを提言しているわけです。

 きょうの話の関連でいえば、グローバリゼーションの時代には、国籍だとか年齢だとか性別だとかいった属性にこだわらない優れた人材の登用を考えなければいけません。そのためには、いかなる政策が必要なのだろうか。

 目前に迫った次の世紀に日本がどんな産業で生きていくのかというイメージが残念ながらほとんど具体化していないのです。通産省をはじめとして幾つかのレポートが出てはおりますけれども、一般国民には疎遠な感じがしますし、現在の段階でみても新しい世紀におけるイメージはほとんど見えていない。ましてやそれを具体的な人材の教育・開発体系と併せて考えるということには全然なっていない。沈没している船から脱却するための戦略的な思考が非常に欠如している。

 考えねばならないことは非常にたくさんあります。きょうのテーマは、雇用の側面でありましたけれども、雇用の次元だけを考えても雇用政策は成立しません。雇用は、よく知られるように派生需要といいます。それが生まれる前段に幾つものステップがあって、例えば自動車業界で雇用が生まれるためには、自動車が売れなければならない。そのためにはどういう自動車が開発されて、どういう経路をとって売れ、どこのマーケットに売られたかという非常に長いステップが鎖、チェーンのようにあるわけです。ですから、産業と雇用をもっと密接に引き寄せ、広い次元において産業・雇用政策を構想しないかぎり、望ましい政策は生まれてきません。縦割り行政の弊害は、今日のような危機的状況で先鋭に露呈しています。

 グローバル・スタンダードという妙な言葉が流行しています。ひところ、日本的経営とか日本的雇用システムというものが、世界的に採用されるモデルとまではいかないまでも、一つの有力なモデルとして注目されました。しかし、今回の経済危機で、もろくも沈没してしまっているわけです。ただ、やや希望的観測も含めてではありますが、やはり企業は人あっての企業であります。日本の企業が今まで大事にしてきた、例えば人的資源を中心に置くという考え方はまだすっかり消え去っているとは思えません。そこをベースにして、人間重視の経営をどう再構築していくか。働く人たちの生き甲斐と能力を最大限に引き出し、確保できる環境をどのように準備していくかということが、日本の人的資源政策の大きな課題だと思っています。 そのためには、さきほど少し申し上げました世界の高度なマンパワーをむしろ積極的に誘致できるような状況をつくる。日本人だけの雇用というのではなく、必要ならば世界の人材の力を借りて活性化を図る。日本の高等教育機関である大学や産業が世界の人々にとって魅力あるものになりうるか。多くの問題を抱えながらも、アメリカの高等教育や先端産業はそうした課題にひとつの答えを出してきました。アジアの国々の人々がなぜ日本を飛び越えて、アメリカに行くのか。日本は世界にとって魅力ある教育・産業の場を提示できるだろうか。この問いに日本が応えうるならば、次の世紀に日本が新たなモデルとして見直され、再浮上する可能性は残されていると思われます。