第5回 旧JIL講演会
深刻化するアジア経済危機の中で
~ILOの取り組みと課題~
(1998年11月6日)

国際労働事務局(ILO)事務局長補
アジア太平洋地域担当
堀内 光子

目次

講師略歴

堀内 光子(ほりうち・みつこ)
 1966年に労働省に入省し、岐阜労働基準局賃金課長、労働大臣官房統計情報部情報解析課長補佐、婦人局婦人福祉課長などを歴任。90年に総理府に出向し、内閣総理大臣官房参事官及び内閣官房内閣内政審議室内閣審議官を兼任。93年より外務省国際連合日本政府代表部公使を務め、96年4月より現職。

1.はじめに

 私がILOに勤務して、ちょうど今月で2年半になります。1996年4月に現在のポストに就任しました。その前は、ニューヨークの国連代表部で勤務しており、このポストを引き受けた時のアジアに対する印象は、東南アジアを中心にミラクルというに近いような発展をしているドラゴン、アジアの竜とか、アジアの虎とかいう、非常に経済が発展してうまくいっている感じがするというものでした。しかし、当時、既にWTOで出ていた貿易と労働者の権利の関係がかなり大きな問題でした。アジアに赴任しての一番大きな問題は、労働者の権利をいかに確保するか、あるいは労働者の権利と貿易との関係をどう整理していくか、ということだろうと、就任前にニューヨークで考えていました。

 まさか就任1年後に、こんな大変動が起こるとは予想もしていませんでした。私がこの職に就いたのが4月末ですので、1年3カ月経った時点でタイバーツの大幅切り下げという状況が出てきたわけです。それ以前からタイの経済成長は減速しており、1997年、バーツの切り下げ半年前に、タイに駐在している国連機関の長から、タイの外貨準備高が急速に減っているので、タイバーツの対ドルレートが現水準を維持できないのは時間の問題ではないかという話がありました。その時私は「それもそうだ」と思ってすばやく対応いたしました。国連の給料はドルで出ているのですが、現地通貨を何割か選択できるのです。これは問題だと思って1月に給料全額をドルに切り替え、タイバーツは最低限にしておきました。秘書と状況を見て「まだ大丈夫、家賃払えるわね」と、ギリギリの状況でやっていました。7月にバーツが切り下げになった時、ほとんどタイバーツが残っていなくて秘書に「いや、さすがに立派だ」と感心されたのですが、その時だけは予想が当たって嬉しいような、しかし同時にこれから先、働く人の生活はどうなるのかと大変複雑な気持ちを持ちました。そういう意味では私がこの仕事に就いて、良い意味では大変興味深くアジアを眺めることができると同時に、アジアの情勢が非常に早く理解できるようになったと思っています。

 本日はアジアの経済危機がメインテーマですが、私の担当はアジア太平洋全域に及んでおりますので、2時間という長い時間をいただいていることですし、アジア経済危機のお話の前に、アジアの情勢を個人的に、あるいはILOとして、どう見ているかというお話を少ししたいと思っております。

2.アジアにおける経済と政治の変化

 まず第1に現在言えることは、アジアは大きな変化の中にある、ということです。表面に見える変化と、表面には見えない変化と両方ありますが、確実にアジアで変化が起きているということは申し上げられると思います。

 2つの変化があり、1つは経済の変化。グローバル化ということが言われておりますが、今回金融危機に見舞われた東南アジアは、世界のどこよりもグローバル化が進んでいる地域で、金融の自由化もかなり進んでいるということです。それとあわせて、今まで規制をしていた国、例えばインドも規制緩和で民営化の方向が確実になっていますし、もちろん中国も市場経済化でかなり開放経済に動いている。経済の大きな流れはもう止められないし、これがアジアに大きな変化をもたらしていると思います。

 2つ目は、経済の変化とあわせて政治がかなり変化してきたこと。特に今年の初めは、韓国では野党だった金大中氏が大統領になったり、インドネシアではスハルトが辞任してハビビ大統領に替わってから急激な政治の民主化が起こりました。

 ILOには、87号条約という結社の自由に関わる、ILOの根幹をなす条約があるのですが、ハビビ大統領は就任直後の6月、この条約をILO総会の開催中に批准いたしました。これは急激な変化と言えるでしょう。その後、インドネシアは労働組合が増加し、現時点で10以上になっています。そういうことで、ILOは法律の専門家を2人インドネシアに派遣して、インドネシア政府と一緒に労働組合法の整備に努めており、引き続き、労働法の整備にも着手するという状況です。そういう意味では政治の変化、民主主義の流れが、アジアに大きなうねりとして出てきていると思います。

 これは国によって程度の差がありますが、例えば中国はつい最近、国連の市民的、政治的権利のいわゆる国連B規約──人権規約と言われているものですが、これを署名しました。この条約は基本的人権を確保する条約です。私は国連代表部時代に人権問題を担当しており、中国政府がこれを批准するのはもう少し時間がかかるのではないかと見ていたのです。もちろん、署名だけですべて物事が片づくわけではなくて、批准した後どう実施するかということですが、しかし批准がなければ実施されないのですから、そういう意味では中国も国連の基本的な人権規約を批准できるような状況になっているわけです。また、私が今住んでいるタイでも民主化が進んできて、新しい憲法が昨年制定され、それに伴って労働法も整備されつつあるという状況です。

 そういう意味では、アジアは今、急速な変化を経済、政治両面で遂げているのだということを常に念頭に置いてアジアを見ていく必要があるのではないかと思います。こういう変化は、人々が今まで規制されてきたことに対し、もっと自由に活発に活動ができる、活動したいという要求が強くなって出て来た流れだろうと思います。そういう中で、これから雇用の問題が重要になってくると私は思っています。

3.重要性を増す雇用問題

 この前の月曜日、世銀のシニアの方が私のオフィスに来て懇談した時におもしろい話が出ました。世銀の社会問題は、少し前は環境問題が中心だった。環境問題を社会問題の1つの大きな焦点としてやっていた。それが現在は何が焦点かというと、アンティコラプション、腐敗を止める、あるいはトランスパレンシー、公明正大な行政をやる、それが非常に大きな社会問題としてウエートを占めている。あるいはグッドガバナンスというのでしょうか、良い統治ということが大きい。おそらく次は雇用だと言っておられました。そこで雇用問題の非公式な情報を交換し合いたいというお話でした。

 これはアジアが経済危機にあり、今、失業率が非常に高まっているという問題もありますが、世界の貧困者の過半数が南アジアに住んでいるわけで、アジアでは貧困をなくすためにどうするかということがまだまだ大きな課題です。貧困をなくす、あるいは減らすための最も良い方法は、社会福祉ではなくて、人々のエンパワーメント、経済力をつけること。雇用を創出し、雇用を通じて貧困から脱却、あるいは脱出する。それが重要なテーマになると思いますので、そういった南アジアの情勢をにらんだ上でも、雇用問題は大変重要であると思います。

 もう1つはご存じのとおり、アジアは大変人口が多い。今、中国は12億人、インドはついこの間聞いたら9億8,000万人に達したそうですので、およそ10億人。2つの国だけで22億人です。世界の人口は52億人ですから、世界の人口の4割以上を2つの国で占めている。増え続ける人口に対して、どうしたら人々が人間らしい生活をすることができるのか。もちろん人口政策も重要だと思いますが、それに合わせて人々が人間らしい生活をするための政策が大変重要で、人口との関係でも雇用問題は大変重要だと申し上げておきたいと思います。

4.多様な文化・宗教

 前置きが長くなりましたが、アジアの特徴をILOという雇用を中心にする国際機関から見ますと、「多様性」の一言に尽きると思います。文化圏を見ても、インドを中心にした文化圏、中国を中心にした文化圏、それから日本が1つの独自の文化圏を持っていますから、極めて大きな話をしても3つの文化圏がありますし、宗教をとっても、イスラム圏がかなりあります。

 アジアという場合には広い意味ではいわゆるアラブ諸国がアジアに入るわけで、ILOもアジア地域会議を憲章上の会議としてやりますが、その時には私が担当しているアジア太平洋だけではなく、アラブ諸国も入れたアジアです。そういう意味ではイスラムが非常に多いのですが、私が担当しているアジア太平洋総局はイランまでです。イランまででも、イラン、アフガニスタン、パキスタンがイスラム。それと、インドは主にヒンズー教ですが、実はインドにいるイスラム教徒の人口はパキスタンと同じなんです。インドの人口は9億8,000万人で、うち1割はイスラム教徒なので、大体1億人近いイスラム教徒がインドにいる。これが皆さんの常識と少し違うところかもしれません。更にマレーシア、インドネシア、バングラデシュがイスラム教徒で、インド、ネパールがヒンズー教、それからミャンマーとかタイが敬虔な仏教徒、儒教の国として韓国が挙げられます。それから、フィリピンはキリスト教です。

 実は来年1月に会議の開催計画を立てた際、私どもの頭の中にはラマダンの最終日は1月20日であるという認識はあったのですが、準備の都合上、1月20日を入れた会議にしたんです。後で確認をしたところ、やはりラマダンの最後の日に会議をやるのはイスラム教圏の国から非難されますよ、これは出席できませんよという話がありました。2月中旬は中国の旧正月でこれもダメ。中国の正月というのはタイやマレーシアでも結構やりますし、もちろんシンガポール、中国もそうです。そんなわけで、1月の計画を1カ月前に全面変更したという事態もありました。アジアは、文化と宗教だけ見てもかなりの多様性がある。

5.先進国から最貧国を包含するアジア

資料1

 これに経済を入れるとどうなるかというのが、資料(1)にグループ分けでお示ししたところです。アジアはまさに先進国グループから最貧国グループまで抱えているわけです。日本、オーストラリア、ニュージーランドは1人当たり国民所得が非常に高い国ですが、シンガポールも国民所得が3万ドルを超えているということで、先進国と同じです。アジア太平洋の非公式な大臣会議を行った時に、私が先進国グループにシンガポールを入れたら、シンガポールの大臣から「どういう理由でシンガポールを先進国に入れたのか。私どもはそう思っていない」という非常にきついご質問をいただいたのですが、私が「機械的にGDPで分類すると、貴国はもう3.1万ドルにも達しているので先進国に入れました」と申し上げたんです。韓国もウォン切り下げ前は大体1人当たりGDPが1万ドルに達しているので、先進国レベルに到達していると。現在は金融危機で、ウォンの切り下げもあってギリギリの線まで落ちましたが、そういう先進国グループがある。

 4番目の南アジアを見ると、低開発国のグループでネパール、バングラディシュは今、1人当たりのGDPが大体300ドルから400ドルに届こうかという程度で、世界で一番開発の遅れている国を抱えているわけです。

 2番目のグループはこれから説明するアジアの経済危機の国で、急成長したASEANのほとんどの国々が入ります。市場も開放し、グローバル化が非常に進んでいる国です。マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン、香港。シンガポールはいろいろな問題があるので両方に入れてありますが、私はむしろ先進国グループに入れたいと思っています。そういう急成長を遂げている、あるいは金融市場も含めて市場開放が極めて進んでいる国が2番目のカテゴリーです。

 3番目が市場経済移行国ということで、中央計画経済から市場経済へ移行している中国、モンゴル、ベトナム、ラオス。カンボジアもそうですが、カンボジアを入れなかったのは内戦の後遺症で国の基本的なところから修復していかなくてはいけないということです。

 5つ目の南太平洋諸国は、全部私どものアジア太平洋地域総局の管轄に入っています。これらの国は経済規模が極めて小さく、単一産業国です。南太平洋諸国は距離から言うとヨーロッパ並みに非常に大きな地域ですが、人口は全部あわせて700万人。一番大きい国がパプアニューギアで350万人、残りの350万人を小さな国々が分け合っている状況の島嶼諸国ということです。こういう中で私どもは活動しているので、国の実情に応じていかに適切に政策提言をするかというところに、ILOの活動の中心を置いております。

6.アジアが直面する課題

(1)高まる職業訓練へのニーズ

 経済規模あるいは経済形態の違う中で、アジアを覆う現在の課題というのは、ILOとしては、大きく言えば4点あるのではないかと思っています。

 1つはグローバル化への対応をどうするかということです。資本や生産現場が国境を越えて自由に動く。それから、日本だとあまり人が動くという実感がないと思いますが、タイを見ていると人が結構自由に動く。違法な動き方も含めてですが、そういうグローバル化というのは少なくとも物と生産、資本が動くという前提ですので、その中で競争力が激化するのは当然のことです。今、アジアでは、いかに生産性を向上させるかという極めて強い意識があります。そのためにいかに人的資源、労働の質を高めるか。したがって、広い意味の教育、職業訓練が極めて重要な課題になっていると思います。

 これは何も経営者側あるいは政府側だけの問題ではありません。働く人も気をつけなければいけないことは、こういう競争激化の中で資本も物も生産現場も動くので、自分たちの仕事や職場が、かつてよりも非常に速いスピードで変わっていくということです。その中で雇用を確保するためには、継続した訓練や教育が必要だということで、ILOは2年に1回雇用報告というのを出していますが、今年のテーマは「人的資源開発」で、職業訓練を中心に分析しています。その発表をタイで行った時に、執筆責任者がこういうことを言っていました。「私が子供のころは人生の3分の1が勉強、3分の1は仕事、残りの3分の1が老後であった。しかし今は違う。引退するまで学び、学び、学ぶという状況になるでしょう」。まさにそういう状況の中で、働く人々の職業訓練をどうやって自分たちのものとしてやっていくかという大きな転換の時期に来たのではないか。

 そういう意味では、職業訓練は今までは政府、あるいは使用者、日本の場合は特に終身雇用慣行と結びついて、「企業内訓練」が非常に発達していて、使用者あるいは私企業の訓練というのは大変意識されていますが、これからは労働組合の大きな課題になると思います。組合としてこういうグローバル化の中で、しかも雇用を確保するために職業訓練を、自分の雇用確保あるいは産業開発、こういう中でどう位置づけていくのかということがこれからの大きな課題です。そういう意味ではこれから私自身はそういう三者と協力した職業訓練政策を考えていきたいと思っています。

(2)国民参加型の開発をめざして

 2点目に移ります。アジアの民主化の流れは、もちろんすべてが一直線に行くという状況ではなく、当然踊り場もあり遅れた国もありますが、こういった民主主義とか人権、良い統治、そういったものが非常にポジティブな形で今現れており、この流れを変えることはできないと思います。したがって、今まで、アジアは独裁型の開発モデルでうまくやってきたと言われていますが、これからアジアが直面する問題は、参加型の開発をどう達成するか、ということになると思います。国連機関も市民社会(シビルソサエティ)の活力を活かして、協力しながら仕事をしていく。そういう意味でILOは大変進んだ機関で、政府だけではなく労働者、使用者の3者が政策決定権者として入っている機関です。これからアジアが直面し、取り組まなければならないのは、そういう国民参加型の開発の際に、どうやってうまくコンセンサスをつくり、先に進めていくか。そういう意味では、大変大きな課題を負っていると思います。

 最近ではインドネシアがそうですが、労働組合が1つしかなかったところに一挙に13もできて、どうしたら有効に本来の機能を発揮できるかという点が大きな課題になっています。今インドネシアにはILOの2つの労働者教育プロジェクトがあります。1つはすでに始まっていて、もう1つはイギリス政府の協力を得て、この12月から始めるという状況で、今後労働組合のキャパシティビルディング(能力向上)を支援することを強化しなければいけないと思います。

(3)雇用問題への総合的な取り組み

 3点目の動きというのは大変興味深く、雇用問題は一体何の問題かということです。「経済問題ではない」というつもりもないのですが、国連の中ではおそらく経済社会問題の接点にあるような問題でしょう。どちらかと言うと、社会問題として扱っていたのではないかと思いますが、今や雇用問題というのは社会問題でもあるし、かつ、良い統治も含めて労働者の権利が大枠として入ってきました。したがって、人権問題でもあるというのが極めて強い意識として出てきて、さらにまた根本に戻って、やはり雇用問題は経済問題だということが、皆さんの認識の底に出てきたのではないかと思います。

 もちろん経済学の理屈としては当然のことですが、例えばなぜアジアが雇用問題を経済問題として位置づけられなかったかというと、1つは雇用政策が十分に発達していない。雇用行政が、労使関係やせいぜい職業訓練を中心にしているところがまだまだ多く、その先の、例えば労働市場に即応した職業訓練をどうするか、あるいは経済政策、国の開発計画の中で雇用問題、あるいは雇用率、失業率をどれだけにして開発を達成していくかという側面がやや弱かったと言えると思います。

 そういう中で今、雇用問題を見ると、我々がいくら雇用創出を短期的、あるいは長期的にやろうと言っても、健全な経済成長がないと雇用は生まれない。例えば昨年ネパールの経済企画庁のようなところと協力して雇用問題の総合評価をやった時に、私どもが最初に言ったのは、ネパールが人口に対応して適切な雇用を供給するためには、経済成長率が最低限5%から6%ないとできないということです。雇用の前提として健全な経済成長が必要である。その上で同時に、健全な経済成長の中で公正な所得配分をどうするかという問題が出てくるわけで、そういう意味ではこれからの雇用問題というのは、経済問題であり、社会問題であり、人権問題であるという総合的な取り組みが必要なんだということが、アジアでの現在の課題ではないかと思います。

(4)求められる社会的安全網の整備

 それから、4点目は経済危機と結びつくのですが、もちろん日本も今、失業率が上がっていて雇用問題が大変な問題ですが、アジアとは状況が違う。日本に比べてなぜ経済危機がアジアで深刻かというと、失業保険が全くなく生活保護もない状態の中で職を失うことになるからです。それから、多くの人たちがいわゆるインフォーマルセクターで、小さな物売りとかやっている。職を失った人がそういうところに入ってくるということで、社会的な安全網がない。職を失っても何も支えてくれるものがない。それがアジアの一番深刻な問題です。

 皮肉なことに、中進国が急成長を遂げた時に、こういう安全網をどうつくっていくかを考えていれば良かったんですが、経済が右肩上がりの時にはすべてうまくいくと思って、それにあまり注視していなかった。そこに経済危機が起こって、何の底支えもないことに気付いた。今、アジアの労働者、特に労働組合の中ではアジアの中で社会的安全網をどう確立できるかということが大きな話題になっていて、これが一番頭の痛いところです。お金のない時にお金のかかる仕事をどうやってするかという大変難しい問題を抱えているわけです。

7.ILOの児童労働廃止計画

 今、ILOの技術協力の中で一番大きいのが児童労働の廃止計画です。バングラディシュ、インド、インドネシア、パキスタン、フィリピン、タイ、ネパール、カンボジア、スリランカの9カ国について、それぞれ年間100万ドル近くの予算規模で、児童労働の撲滅運動をやっており、中国、ベトナム、モンゴルでも活動を始めたところです。

 何をやっているかというと、働いている子供たちに少しでも教育を受けてもらうということで、NGOの人たちに非公式の教室をつくってもらい、子供たちに1時間でも2時間でもそこで授業を受けてもらうということが主な活動です。それ以外にも例えば、子供たちがバングラディシュの衣服産業で働かないようにということでモニター(監視)をやる。子供たちに学校に行ってもらうために食料を少し提供し、両親の所得創出活動をお手伝いするというようなこともやっていますが、基本はあくまでも子供たちに教育を受けてもらうということが中心です。児童労働は大問題で、早くなくさなければいけないものではありますが、一挙に撲滅するのは無理なので漸進的に減らしていくということで、当面は子供たちの学校教育に中心を置いています。

 来年、ILOは児童労働に対する新しい条約を採択する予定です。新しい条約は、最も劣悪な形態の児童労働を緊急に廃止することを中心にした条約です。最も劣悪な児童労働というのは、長時間労働とか危険・有害労働、児童の人身売買、あるいは児童売春、ポルノグラフィ、そういうセクシャルアビューズ(性的虐待)のほか、例えば麻薬売買といった非合法な活動で、撲滅についてすでに合意に達し、来年、条約ができる予定になっております。

8.アジアの経済危機

(1)主要な原因

 次にアジアの経済危機ですが、原因についてはあちこちで言われているので、本日は詳しく述べるつもりはありません。おさらいだけしますと、アジアの経済危機の主要な原因は、国際資本市場が不完全で、特に短期資本が急激に移動していくというところの、ヘッジファンドが投機的に動いているのに対して国際資本市場が有効に規制できていない。それとあわせて、東南アジアで金融自由化をかなり進めましたが、国内銀行制度が不備であるということの両方です。もちろんそれ以外にも原因はありますが、アジアは、言ってみれば「金融危機」というのが適当だろうと思います。この教訓は、開発における金融制度の重要性で、金融制度を整備することが開発の基本的な柱です。金融制度を整備せずに一挙に資本を自由化するとどうなるか、ということです。

 しかしながら、IMFの対応はうまくいかないとおっしゃる方もいますが、これだけ巨額の資本が短期に移動するということは、アジアが経済危機に陥るまで誰も予想しなかったことです。弁護するわけではないですが、こういう初めての大きな出来事に人間はうまく対応できない。経験の積み重ねで適切な対応がとれるようになるのであって、未経験のことには対応できないという典型例ではないかと思います。すでに言われているとおり、94年のメキシコの経済危機は政府の負債の問題で、アジア金融危機のような民間負債という問題ではなかったわけで、そこの違いも極めて大きいのです。

 こういう中で、一番深刻な影響を受けたタイ、韓国、インドネシア、この3カ国がIMFの資金を借り入れました。現在、IMFの融資額はタイが170億ドル、インドネシアが420億ドル、韓国が586億ドルで、資料に書いてあるような政策をやっているわけですが、金融危機の原因たる銀行制度の整備を第1段階でやっており、少なくともタイ、韓国については銀行制度の整備そのものは順調に進んでいると言えると思います。順調に進んでいるということはまだ終わってないということですが。私はタイに住んでいるので、タイが一番良くわかっていますが、タイではいわゆるノンバンク56行に閉鎖命令が出て完全に閉鎖しました。今は大企業がいかに再編をするかということで、ノンバンクではなく、銀行本体の再編が進んでいます。インドネシアも国立銀行の合併などを実施して、第1段階の金融制度の再編に着手した状況と言えると思います。

 現在の状況はどうなっているのかというと、私が見ているところ、通貨の安定化は図られつつあります。例えばタイバーツは最低で1ドル55バーツで、今は1ドル36バーツまで戻しました。急激にバーツが切り下がった時の前、安定期には1ドル25バーツでしたので、かなり通貨の安定化が図られつつあります。インドネシアも一番ひどい時は1ドル1万6,000?7,000ルピアまで下落したと思いますが、今は8,000ルピア前後で安定している。それから、ウォンも改善しているということで、通貨の安定傾向は見られる。通貨は国際的な信用、信頼の問題で、経済は結構エモーショナルに動くので、一度信頼を失うとガタガタと崩れていくところがあり、そういう意味ではタイは少し信頼を取り戻しつつあると見えます。しかし、今後の回復については不透明要因があるのではないかと思います。

(2)回復への道程

 回復については、次の3点がポイントです。結局、大量の資本輸入とモラルハザードについては、銀行システム自体が弱まっているので、これをいかに強化できるかというのが1点目の問題。

 2点目は通貨が切り下がっているので輸出競争力が高まり、輸出によってGDPが上がるのではないかという期待があります。GDPの要因としては、誰が考えても国内消費が上がるなんて思えない。それから、投資ですが、投資が完全に冷えているのと、銀行の貸し渋り。日本もそうですが、貸し渋りがあってなかなか投資はできない。そうすると、結局はGDPを動かせるかどうかは輸出にかかってくる。ところが、意外に数量ベースでも上がっていない。というのは結局、輸出をするために必要な信用供与が貸し渋りで得られないために、輸出ドライブがかけられないということがあり、そういう意味での輸出能力自体が十分に戻っていない。どこまで戻るかということが2点目です。

 3点目は今言ったように経営の不透明。借入比率の高さということもありますが、貸し渋りがあってうまくいかない。それから、労働者のことを別にすると、経営のリストラをやらないと乗り切れないというのが一般的な見方ですが、貸し渋りの中で果たしてどこまで企業のリストラができるか。これが相変わらず不透明ではないかという感じを持っています。

 しかし、通貨の安定で明るい兆しが見えていることも確かで、例えばタイは今年マイナス成長ですが来年には底を打ってプラスに転じるのではないかという予測も出ています。

(3)経済危機の影響

資料2

 気の早い私どもとしては、タイの経済危機に対して何をするかということはすでに終わったことで、今後金融危機に見舞われた国が回復過程に向けて、何が一番重要で、何に協力しなければいけないか、ということに力を注ぎたいと思っているところです。

 今、経済危機よりは回復の方向を考えなくてはいけないと言いましたが、どれだけ経済危機のインパクトが大きかったかということをお見せするために資料(2)(各国の実質経済成長率と失業率)を載せました。例えばインドネシアの実質経済成長率は推計でマイナス15.0%。政府予測もこれにかなり近い。15%も経済規模が縮小する状況というのは通常ないわけで、インドネシアは10数年前の状態に戻ったと言われております。韓国、タイが8%近いマイナスで、マレーシア、シンガポールもマイナス、もちろん韓国も香港も、ということで、これだけ軒並み経済規模が縮小するという状況はかつてなかったので、大変深刻な状況と言えるでしょう。

 そうした中で失業率の推計は、いろいろなところがやっていますが、ほとんど10%に近くなっています。一番深刻なタイ、インドネシア、韓国は10%近い。また、フィリピンも14%と極めて失業率が高くなっている。経済の動向と雇用の影響には時差があるので、私どもは来年度まで雇用、失業情勢は悪化するだろうと見ています。大方の見方は来年の初めというか、第1四半期か第2四半期に雇用が底を打つだろうという見方をしておりますが、来年の初めは一番深刻な雇用、失業情勢を迎えるだろうと思っています。

 とりわけ深刻なのはインドネシアで、資料に載せたのは失業率の推計だけですが、私どもが8月にインドネシアで発表した雇用報告では、国民の何割が貧困層に属するかという推計もしています。これは国際基準に沿ってやると、貧困層は都市部で大体60%、農村部が50%、すなわち、過半数が貧困層に属します。機械的に計算すると、インドネシアの人々の6割が貧困層に属するという推計になります。機械的と申したのは、インドネシアはこれだけ通貨が切り下がっていますので、通貨の切り下がった評価で推計すると、インフレを勘案してどれだけ実質的に通貨の価値を評価できるかという問題があるからです。私自身は少し過剰推計かなとは思っていますが、かなりの多くの方がインドネシアで貧困層に落ちたことは確かです。そういう意味ではアジアの経済成長で最大の成果と皆さんが言っていた失業が減った、あるいは貧困が少なくなったり、ゼロ近くになったというところから一挙に元に戻って、貧困層が増えたということが大変深刻なアジア経済危機の影響だと思っています。

9.経済危機下のILO活動

 それでは、ILOが何をやっているかということですが、私どもは4点の対策を講じており、1つは失業・貧困対策、2つ目は労働者の権利を守るという国際労働基準。それから社会的対話、労使関係があって、4つ目が社会保障、社会的安全網。こういうことを中心に、国別に支援を行っています。しかし、ILOはそれほど資金が潤沢な機関ではないので、あくまでも技術機関としての支援が中心です。

 支援の大枠をつくるために、今年の4月にバンコクでアジア金融危機に関する会議を開催しました。アジア経済危機の国が全部参加しており、この中で大変大きなことは、ILOのメンバー国が世銀、IMF、アジア開発銀行と対話を実施してほしいということで、ほぼ1日これら諸機関との対話を行いました。現在、世銀、IMFなどと密接な対話を続けているところです。

資料3

 会議の結論が資料・にありますが、おそらく皆さんが思うようなことはみんなこの中に入っています。例えば雇用政策をちゃんとやってほしいとか、教育・技能のレベルアップとか、労働市場政策とか、雇用創出とか、ビジネス環境の整備。経営者の方も重要な意見を出されています。外国投資促進のためのビジネス環境整備というのは経営者側のご意見です。あるいは国際労働基準の中で健全な労使関係をやるとか、解雇労働者の手当の確保とか、労働基準監督官の強化とか、社会保障をちゃんとやれとかというのがずらっと出ていますが、皆さんがこの会議で大変大きな問題だと言ったのは、やはり押し寄せる失業という問題でした。雇用・失業は自分たちにとって深刻な問題だと。

 彼らにとっては失業保険なしに放り出される中での深刻さで、緊急避難的な雇用対策をやってほしいということから、今ILOで一生懸命やろうとしているのが公共事業です。世銀とかアジア開銀もいくつかのプログラムを提示していますが、1つは大きな公共事業の推進で、ILOも地域プログラムを発足させ、雇用を増やすような公共事業を推進するために、例えばインドネシアと協議に入る予定です。

 もう1つはコミュニティレベルで雇用をつくる。コミュニティレベルでマイクロクレジットというか、多少のお金を貸し付けて技術訓練をやり、マーケットリサーチも行って、私どもは「零細企業の推進」と言っていますが、零細企業あるいはひとり親方のような企業をつくるということです。例えばタイでは、世銀がそのための資金を出したので、ILOはどうしたらそういうプログラムが地域で推進できるか技術支援をするということで協議に入っており、具体的なノウハウをILO側が提供するということで実際に進んでいます。したがって、緊急避難的な雇用対策として私どもはノウハウを提供し、資金は世銀などにご協力いただくという状況でやっております。しかし、多少のドナーのご援助で、実際の事業もいくつかの国で推進しているところです。

 雇用不安が一番大きな問題でしたので、緊急避難的な雇用とあわせて、雇用終了とか解雇に至る時の条件整備が必要だということで、まずは解雇しないですむようなオプションにはどういうものがあるか、それから雇用終了・解雇に関してはどういうことを守っていかなければいけないのか、について協議するための会合を今年11月24日から27日までソウルで開催する予定です。日本の政策はアジアの中で飛び抜けて進んでおり、日本の政策なりやり方に学ぶところがありますので、この会議にはリソースパーソンも日本から来ていただき、パネスリトも日本の労使の方に入ってもらいます。日本の経験を金融危機に瀕しているアジア各国で多少でも役立ててほしいと思っています。

 国別に見ると、私どもが今一番力を注いでいるのはインドネシアです。インドネシアに関しては、国連システム全体が雇用研究をやってほしいということでILOが中心になって雇用総合研究というものを発表しました。先ほど申し上げた貧困の推計値も、この雇用総合研究の成果です。それから、インドネシアは基本的方針が劇的に変わったので、労働組合法制定、雇用関係法制に関して9月以降、ILOが政府の技術顧問のような格好で協力しています。また、労働組合が一挙に増えているので、労働組合がいかにその役割を効果的に果たせるかという支援プログラムを実施しております。デンマーク、イギリスが直ちに資金支援を表明し、その援助で実施しております。日本からの援助としては、女性の雇用拡大のプロジェクトがインドネシアで金融危機になる前に始まりましたが、プログラムの焦点を少し金融危機の方にシフトしています。例えば工場が多い地域などで実施しています。

 タイが7月に通貨不安に陥った時に、私はタイの首相と会談する予定が入っており、2週間後に首相にお会いしました。当時の首相は初代労働大臣だった方で労働問題に大変ご関心が深く、長い間、首相の顧問も交えて会談しました。その時に、金融危機からの回復のために、ILOにぜひ協力してほしいという要請がありました。そのためILOとしては昨年の11月に会合を開き、そこでの結論に沿って事業を着々と進めているところです。例えば失業保険の導入、労働統計・労働市場の整備、生産性向上、人的資源開発とか、主に政策提言という形でやっています。タイはILOにとっては最後の国になるんですが、今年10月に国別の総合雇用政策評価を始めました。10月に本部からミッションが来て始まったところで、現段階でタイの雇用の中心課題を押さえて、中長期的な雇用政策評価を、できれば来年の秋、1年経たずに完了したいということでやっています。失業保険についてはすでにILOが提言しているところですが、タイにはまだ導入の予定はありません。

 韓国についてもかなり事業を拡大し、7月末には本部から局長級を派遣して、ハイレベルのミッションを実施しております。韓国政府との間では3点の合意事項があります。失業保険、職業訓練評価、雇用サービス制度(日本のハローワークのようなもの)です。その3点の中で、韓国政府とILOの政策提言の中で具体的に実施するということで、すでに職業訓練制度については韓国政府に私どもの提案を提出して、近いうちにほぼ合意がなされて具体的なお手伝いをすることになる予定です。

 地域別にもいろいろなことをやっており、大きいのは、ジェンダー、女性労働者に焦点を当てたテーマで、アジアの金融危機が女性労働者にどういう影響を与えたのかということでアジア工科大学と共同でアジアの5カ国、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国で最終段階の取りまとめに入っています。今月末にタイでワークショップをやる予定で、日本からも大沢真理東大教授に協力をいただいています。

 それ以外に、企業向けには小規模企業の促進、あるいは競争力強化のプログラムを持っていますし、組合向けには組合の機能強化ということで支援をしているところです。

 地域的には来年様々な課題を総括する会議を開く予定です。1月には社会開発サミットのフォローアップを行う予定で、今、技術的なペーパーの最終取りまとめの最中です。当然ながら「アジアの金融危機」は1つの大きなテーマになっております。それから、4月になると思いますが、人的資源開発に関する地域会議もやる予定です。企業フォーラムというのも5月に実施の予定です。これは「社会的な責任を果たしながら成育できる企業」というようなタイトルの企業フォーラムを香港で開催する予定で、金融危機の中で雇用、企業制度に対する援助を強化したいと思っています。

10.国連機関の役割

 最後に、国連機関の役割ということですが、第一義的な責任はやはりそれぞれの国にあり、国が責任を持って政策や事業を進めていくのが根幹で、国連機関の基本的な役割としては今まで培った経験や蓄積したノウハウ、知識などを提供し、国の開発に役立ててもらうというふうに認識しています。これから国連機関が開発途上国にどういう役割を果たしていくのかということは、常に見直し、考えていくべき問題だと思っています。

 「世界政府」というのはないので、あくまでも国が最高の主権者です。国の主権がある中で、国連は各国が集まって世界的な基準をつくりながら、各国の開発のお手伝いするということです。将来を考えると、例えばグローバル化などは1国では対応できない問題です。1国でできないから国の政策でやれる範囲が狭まると解釈するのではなくて、国がグローバル化をにらみながら政策を進める必要はあるのだけれども、その政策を進めるに当たって国際的な流れや動きを十分頭に入れなければならない。ほかの国の動きも十分頭に入れなければいけないという中で、国連機関が国と協力する余地が、今後増えることはあっても、減ることはないのではないかと思っております。

 さらに国際協力の必要性も一方では高まっていると思います。日本のように四方が海に囲まれていると、あまり国際協力ということが認識されていないかもしれませんが、例えば私のいるタイではいろんな会議があって、最近一番大きな会議はメコン河流域の国の協力ということです。メコン河流域には、ベトナム、中国雲南省、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマーといった国々があります。なぜこういう協力が必要かというと、例えばラオスのビエンチャンはタイバーツ圏であると。そうすると、むしろそこと協力をした方がやりやすい面がある。

 さらに、人の流れが結構多いわけです。これは経済の法則で、雇用機会があって賃金も高くて大きな障害がなければ、当然流入してくる。私がタイに着任した2年前には、80万人の違法な移民がいるとタイ政府が発表しました。政府に届け出れば正規に居住させるので、2年間届け出をしてほしいということでタイ政府が規制をかけようとしたんですが、結局、届け出たのは半分で、残り半分は届け出ても2年経ったらとどまれなくなるから、届け出ないほうがよいと。そういうことで国際移動が非常に多いわけです。

 もう1つは、メコン河流域の国の協力で児童の人身売買、あるいは女性の人身売買をなくそうという動きがあります。これは今、私どもの大きな問題になりつつあります。こういう問題は国際協力をやらないとできない問題なのです。1国では解決できない。そういうグローバル化なり、人の移動の自由さということがあって、それが2点目です。やはり国際協力、国際機関の活動の必要性というのは、認識されつつあるのではないかと思います。

 こういう中で、国際機関としてILOが力を入れているのは、技術を磨き、経験を積み、私どもの専門性を高めて多様な選択肢を各国に示し、どういう選択肢を取るとどういうメリット、デメリットがあるかを提示することです。また、情報化時代になって、情報のプロバイダーなり、流通の中心的なフォーカルポイントになるといったようなところが、国際機関として活動できる面ではないかと思います。

 最後に、ILOのILOらしいゆえんは、他の国際機関のおそらくどこにもない人権という問題と、雇用という側面から国の開発という問題をうまく統合して扱っていく機関ということです。そういう意味では私どもが今後、効率性、専門性を高めていけば、21世紀の国連機関の中で生き延びていけるのではないかと思います。