オランダの光と影

国際研究部主任調査員 天瀬 光二

空から見るとパッチワークのようにきれいに区画された畑を縦横に水路が結んでいる。「そういえば小野(現浦和レッズ、当時ロッテルダム・フェイエノールト所属)もここでは外国人労働者だよなあ」などと考えながら、外国人労働者受入れの実態調査をするためスキポール空港に降りた。風車とチューリップ、美しい風景で知られるオランダの移民の歴史は長い。この調査では移民の「社会統合」というテーマに力点を置いた。オランダの社会統合政策は充実している。調査の途上、コーディネーターの方の紹介で社会統合プログラムを実際に受講しているというある日本人女性にインタビューする機会を得た。

無料でオランダ語を習得

Nさんはオランダ人男性のパートナーとしての査証を取得、一昨年オランダに入国した。結婚はしていない。オランダはオランダ人もしくは永住権を持つ外国人の家族呼び寄せを認めている。このときパートナーが婚姻関係にあるか否かは問われない。同棲を目的とする移住も認められているのである。「どうして結婚しないのですか?」「その必要を感じないからです」こともなげに彼女は言った。制度上のデメリットを受けなければ、確かに結婚なんて紙切れ1枚の宣言に過ぎないのかもしれない。

入国と同時に彼女は社会統合プログラムを受講、オランダ語の勉強を開始した。入国前のオランダ語の知識は皆無に等しかったという。しかし 1年たった今はすでに日常会話を難なくこなせるレベルにまで到達しているらしい。「オランダ語だけで授業が行われるので最初は大変でした。でも教科書代等をのぞいてほぼ無料だし、文句は言えません。」笑いながら話してくれたがその努力は大変なものだったろう。彼女はもうじきこのプログラムを修了する。ほとんど無料でオランダ語のスキルを手に入れた。

社会統合のターゲットはトルコ系とモロッコ系

しかし実は、オランダの社会統合はこうした人達(先進国からの移民)をターゲットに行われているのではない。トルコ系、モロッコ系の移民が主なターゲットとなっている。なぜか。これらの人々は 1960 年代の経済復興期、当時の労働力不足解消のため受け入れられた労働者であり、労働需要が弱まればまた自国へ帰すつもりで連れてこられた人々であった。ところが政府の思惑とは別に、帰国せずに残った一部のトルコ人モロッコ人は、その後家族を呼び寄せるなどしてその数を増やした。現在は2世、3世が中心となっている。この層は教育程度が低いため就業機会が少ない。社会からドロップアウトする若者も多く、今日治安上の懸念要因となっている。オランダがこの層をターゲットにしている理由だ。しかし、だからといって、制度上はトルコ人モロッコ人だけを差別強制的にプログラムに参加させるわけにはいかない。政府が導入した「社会統合プログラム」は、1998 年以降新規にオランダに入国する基本的にはすべての外国人(短期滞在を除く)に対して受講を義務付けるというものであった(1998 年以前からいる移民は旧移民プログラム)。これら統合コースにかかる費用は年間一人当たり 6000~ 7000 ユーロにのぼるという。

寛容な態度に変化の兆候

オランダは元来外国人に対して寛容な国と見られてきた。受け入れた外国人に対しては文化・宗教観が違っても、彼ら(彼女ら)を歓迎し隣人として接しようと努めてきた。最近まで移民をめぐる大きな暴動も起こっていない。しかし 2004 年11月、こうしたオランダ人の寛容な態度を変化させるある事件が起こった。映画監督などで知られる著名な文化人テオ・ファン・ゴッホ氏[1]の惨殺事件である。この犯人は犯行直後「ジハード(聖戦)」であるとの声明を出し、オランダ社会に挑戦状を叩きつけた。この事件の犯人がイスラム教徒の移民であり、イスラム教を批判したという理由で儀式的な殺害が行われたという事実は、市民に少なからぬ衝撃を与えた。このとき移民を担当する要人として脅迫状を受け取った一人フェルドンク移民統合大臣は、「今までわれわれはあまりにも単純に人々が共存できると思い込んでいた」と、異文化社会に対するあからさまな批判を公の場で初めて口にした。

光と影

社会統合にかかる膨大なコストは税金として国民の肩に重くのしかかる。税率が高いオランダのような国では、外国人に対する嫌悪感が高じると、こうした不満がいっきょに外国人排斥運動に高まるリスクは十分にある。かといって社会統合をやらずにこの問題を放置すれば将来的に社会不安を抱えるという一方のリスクが増大する。

オランダの移民学者エッチンガー教授(エラスムス大)は、オランダの現在の政策を「 40 年前の失策(1960 年代の単純労働力導入を指す)の穴埋めに過ぎない」と自虐的に評した。オランダのように受入れがうまくいっていると思われていた国でも、すべてがうまくいっているわけではない。光があれば必ず影がつきまとう。

ハーグにある法務省移民政策局での聴き取りを終え、タクシーを使わず駅まで歩いた。途中、ふと視線を感じて振り返った。マウリッツハウス美術館の壁面にかかるフェルメール「青いターバンの少女」の巨大なポスターだった。何か物言いたげな少女の表情にオランダの光と影を思った。

( 2006年 5月 10日掲載)


[脚注]

  1. ^ ゴッホ監督はイスラム社会に対する批判的な作品および挑発的言動で知られる人物だった。