治療している人が自分だけで治療方法やクリニックについて調べる負担から解放
 ――ninpathによる不妊治療可視化アプリを通じた取り組み

企業・団体取材

ninpathが開発・提供しているアプリ『ninpath』(ニンパス)では、不妊治療のデータを可視化。当事者が自身の治療データを登録することで、これまでに実施した治療・検査の履歴を簡単に確認・管理することができるほか、自身に近い第三者の治療データと比較でき、その人に合った治療方針や治療方法の選択をサポートできるようになっている。メンタルヘルスの状態も自己点検できるようになっており、必要があればアプリを通じてオンラインカウンセリングも受けられるという画期的なサービスも開始した。

<株式会社ninpath設立とアプリ開発までの経緯>

不妊治療の当事者・経験者の悩みや苦しみを聞いたことをきっかけに起業

代表取締役の神田大輔氏は、2019年に不妊治療可視化アプリ『ninpath』を開発。2020年3月に株式会社ninpathを創業し、Webアプリ版の提供を開始した。同年12月には、Android版、iOS版の提供も始めた。同社はいわゆるスタートアップ企業であり、社員は8人。神田氏と、共同創業者の平岡美哉子氏の2人以外は、副業・兼業をしながら同社の事業に携わっている。

神田氏は、学生の頃から「困っている人や頑張っている人、自分自身で行動している人が報われる世界を目指したい」という思いを持っており、日本のため、社会のためになる仕事に就きたいと考えていた。また、以前、勤めていた医療関連のプラットフォームを運営する企業で培った経験から、医療における自由診療の領域で、患者のためになるような仕組みづくりや環境改善に携わりたいと考えていた。

当初はどの分野の事業を始めるか、決めていなかったが、のちに同社の共同創業者となる平岡氏に出会う。平岡氏は「不妊・不育治療の環境改善を目指す当事者の会」の設立メンバーであり、自身も長い不妊治療期間のなかで治療を受けたり、悩みや苦しみを経験していた。平岡氏や不妊治療当事者、経験者とディスカッションを重ねるなかで、不妊治療には様々な課題があり、同じように苦しんでいる当事者たちが集まることができる場をつくりたいと考えた。

「子どもを望んでいる人たちがとても大変な思いをして頑張っているにもかかわらず、治療環境や社会的支援は足りない。複数の課題が複雑に絡み合っているため、1つの課題を解決すれば全てがうまく回っていくものでもないということがわかった」

友人のなかに不妊治療経験者がいたことから、神田氏自身もある程度、不妊治療に対する知識や課題感は持っていた。しかし、ディスカッションを通して、治療に関しては友人関係であっても話しづらいことがあることや、自身の想像以上に当事者が苦しみを抱えていることを知り、ショックを受けたという。当時はこの分野の事業を実施する企業・団体もほぼなかったため、「この状況をわれわれの手で変えていくしかない」と思い、同社を立ち上げた。

根本的な課題は「患者自身が調べて意思決定しなければならないこと」

起業当時、不妊治療はほとんどの部分が保険適用の対象外であり、経済的負担が大きいことが国などでも取り上げられていた(2022年4月からは保険適用の範囲が拡大されている)。高額な治療費がかさみ、治療を受けられない、続けられない人が出てくることも課題の1つだった。

ほかにも、多くの課題が存在するが、ディスカッションを重ねるなかで神田氏がたどり着いた根本的な問題とは、「患者自身が治療やクリニックの情報を調べて、どの方法、どのクリニックにするのかを自分で考えて選択しなければならないこと」。

「例えば、がん治療患者が病院で検査を受けた場合、次のステップとして担当医から治療方針や適切な治療方法、費用や治療期間の説明がある。より詳しい検査は大学病院、より高度な治療は国立がん医療センターなど、ステップアップも含めて提案があることが普通だ。一方、不妊治療は治療方法やどこのクリニックで受けたらよいかという情報があまり提示されないため、患者自身が調べて、全ての意思決定をしなければならない。患者の情報リテラシーで治療内容の充実度が大きく分かれてしまう」

直接専門家からアドバイスを受ける機会はまずないため、書籍やインターネットなど、散らばっている膨大な情報から、最適な情報を探すことになる。それでは、どの情報を信じてよいのか判断するのが難しい。そこで、患者の治療情報を可視化し、その患者に合わせた情報をパーソナライズするサービスを提供したいと考え、不妊治療可視化アプリ「ninpath」をつくった。

<不妊治療可視化アプリ「ninpath」でできること>

自分の治療データ管理だけでなく他のユーザーのデータとの比較が可能

「ninpath」の機能ではまず、「マイデータ」という不妊治療記録・管理機能がある。患者が自身の治療した日付や方法など、必要な情報を一括で記録。治療の周期単位で書き込むことができるので、治療方法や使用する薬が変わった際も結果を分けて管理することができる。どの治療方法でどのくらい効果があったか、グラフ等で時系列による把握が可能だ。

また、「みんなのデータ」という他のユーザーの統計的な治療データの閲覧機能も搭載している。アプリ側で、各ユーザーの治療記録をまとめて、個人が特定されない形での統計データを作成し、属性やセグメントごとに情報を開示。自分と同じ年代・状況のユーザーたちが、妊娠・出産に至るまでに選択した治療方法や薬、その治療による効果や、各クリニックの治療実績などを確認することができる。自身に合う可能性の高い治療方法や薬が色の濃淡で表示されるなど、視覚的にもわかりやすく示されており、妊娠・出産に至るまでの治療ルートの傾向が読み取れる。

「色が濃い部分が必ずしも自分に合った治療であるということではないが、SNSやブログに掲載されているような背景が全く分からない情報よりも、自分と似ている状況の人が成功しているデータを参考にすることで、自分に合った治療やクリニックを選択しやすくなる」

なお、同社では2021年4月から、不妊治療を終えた人に過去の治療記録をデータとして寄付してもらうため、「不妊治療データドネーション」の入力フォームを開設。「今やこれから不妊治療をする人たちの明日をつくる道筋となる」という思いから、フォームに記録してもらえるよう協力を呼びかけており、このデータも蓄積データに含まれているという。

2018年時点のユーザーの傾向をみると、1人目の子どもの不妊治療データの登録者は8~9割で、2人目以降の不妊治療データの登録者数は約1割となっている。不妊治療を終えて出産済みのユーザーも約15%いる。

「一番多いのは、悩むことが多い体外受精を実施しているユーザー。また、現在不妊治療を検討している人もアプリへの登録は可能。同年代で不妊治療をしている人が最初にどのような検査、治療から始めているのか、検査結果でどのような異状が出ているのかを知ることができるので、治療に向けた第一歩につながる」

メンタルヘルスのチェックリストを提供し、クリニックとも連携

アプリのポイントの1つが、2022年1月から不妊治療によるメンタルヘルスケアに関する機能『ninpathケア』を盛り込んでいる点だ。

アプリ内で、誰でも無料で定期的にメンタルヘルスに関するチェックリストを入力することが可能。結果を可視化、スコアリングすることで、自分が安定している状況なのか、メンタル不全へのリスクが高まっている状況なのか確認できる。

また、同社はいくつかのクリニックとも提携している。提携クリニックの患者がアプリでチェックリストを入力し、メンタル不全へのリスクが高い結果が出た場合は、提携クリニックに通知が送信され、次回の通院でケアが必要であることを知らせる。その通知をもとに、担当医には診療時に状況を把握してもらい、フォローや、必要に応じてカウンセリング受診の提案をしてもらう形だ。

「通常ではどうしても、医師は患者1人につき診療時間が1~2分しか取れないため、常に患者のメンタル状況を気遣う余裕がない。リスクが高いときだけこちらから通知をすれば、医師も必要な時にケアできる環境を整えることができる」

不妊治療専門の心理ケアを行う生殖心理カウンセラーとも提携しており、有料でオンラインカウンセリングを受けられるサービスも提供。アプリから提携カウンセラーを予約して、必要に応じたカウンセリングやセルフケアの提案などを受けることができる。提携カウンセラーは提携クリニックと連携し、カウンセリングの情報を共有していることから、患者は双方からの密接なケアが受けられるようになっている(患者がカウンセリングで話した情報はすべてが共有されるわけではなく、必要な情報のみとなっている)。

子どもを望む思いや治療の段階に合わせたカウンセリングが必要

「不妊治療患者へのカウンセリングには特殊な状況が存在する」と神田氏は語る。一般的なメンタルケアの場合、仕事が原因でうつ病の傾向が出ている人に対しては仕事を休むことを提案するなど、不調の原因と考えられるものをいったん止めることが通常の対応となる。そのため、不妊治療専門でないカウンセラーが不妊治療患者に対しカウンセリングを行うと、「不妊治療を休むのはどうかという話になることが多い」という。

しかし、「不妊治療患者は治療がしんどい、辛いと感じること以上に子どもに恵まれたいという思いの方が強いので、治療を休むという選択肢が取れない場合が多くある」。治療の段階によっても状況が変わるという。「例えば体外受精であれば、人によって治療方法が異なるが、最初に卵胞を成長させるホルモン剤を投与して、十分に成長したら次に排卵を誘発する薬を投与して、成長がちょうど良く止まるタイミングで卵子をとるというサイクルを行うのに、1カ月の期間を要する。卵子の成長を開始しているタイミングで治療を休めば卵子が無駄になってしまい、妊娠の可能性は減ってしまう」。

ホルモン剤の投与によりホルモンバランスが崩れることもあるため、そのタイミングでメンタルヘルス不調を抱える人も少なくない。そのため、不妊治療の内容についても知っているカウンセラーが接しないと、カウンセリングのタイミングが読めないこともある。だが、一般社団法人日本生殖心理学会が公表する認定生殖心理カウンセラーは、日本にわずか80人程。各都道府県で設置されている無料の不妊相談窓口やクリニックでも、心理カウンセリング環境を整えているところは少ない。「常駐してカウンセリングができない部分がほとんどのため、『ninpath』と連携させることで、少ない人手のなかでできるだけ多くの不妊治療患者に寄り添ったケアができる環境を提供することができる」と神田氏はninpathの強みを強調する。

クリニック情報を可視化し医師やパートナーとコミュニケーションを取りながら治療継続を

提携クリニックには、ninpathケアのチラシをまとめて置いてもらい、医師から患者に対し「クリニックではできない、メンタルケアや専門家のオンラインカウンセリングが受けられるサービスがある」と勧めてもらうことで利用者が増えるケースが多いという。

もちろん、「ninpathケア」自体は提携クリニックに通院していない患者の利用も可能であり、個人が生殖心理カウンセラーのオンラインカウンセリングを受けることも可能だ。神田氏は、「どうしても合わないクリニック、その患者に合った治療が受けられないクリニックもあるので、要望があればカウンセラーからクリニックを紹介するということもある」とした一方、「不必要な転院を防ぐため、今、通っているクリニックで適切な治療を受けられるかを可視化し、医師やパートナーとコミュニケーションを取りながら治療を続けていければ良い」と考えている。

<ユーザーからの反響や評価>

不妊治療に協力的でなかった夫と話ができるようになったユーザーも

アプリの利用者からはどのような声が寄せられているのか。神田氏に尋ねると、「自分が検査していない項目やほかの治療にステップアップする際に、何をやらないといけないのかが整理できた」など、その患者に合わせた選択をしやすい環境が整えられていることがわかるコメントなどを目にし、喜びを感じているという。

また、クリニックは基本的に夫婦がそろって受診することを求めるが、女性治療者のなかには夫が不妊治療に協力的でない場合も多くある。

「『自分は大丈夫だから』『自分の周りでも不妊治療をしている人はいないから』といった理由で、治療に同行しない夫が多く、治療指針もなかなかすり合わない。『アプリを通して、同じ年代の男性でどれだけの人が不妊の原因を抱えていて、不妊治療している人がどのくらいいるかというデータを、ある程度統計としてみることができた。夫と話ができるようになった、泣かなくなった』という感想をみると、当事者の流れる涙を止めたいとの思いでサービスを提供し始めたところもあるため、胸が熱くなった」

<「女性のライフプランとキャリアの両立支援事業」の展開>

両立支援に向けた職場の制度づくりのサポートや社員向けの啓発セミナーを実施

同社はほかにも、経済産業省が実施する「フェムテック等サポートサービス実証事業費補助金」の採択事業として、中小企業に向けた「女性のライフプランとキャリアの両立支援事業」を2021年度に実施。不妊治療を含む、女性ホルモンに関連する不調と仕事との両立支援や職場の環境づくりに向けた取り組みを行っている。

中小企業においては、不妊治療まで含んだ就労環境が整備されている事例が少ないため、取り組みでははじめに、経営者や労務担当者に対して不妊治療の基本的な知識を提供。企業における理想的な支援の形を示したうえで、現状の就業規則でどこまで支援ができるのか確認し、必要に応じて不妊治療休暇を新設したり、現行の休暇制度の利用目的に不妊治療を加えるなどの措置を提案している。

また、なぜこうした制度が必要かということを従業員にも知ってもらうため、従業員向けのセミナーを開催し、ライフイベントと仕事を両立することの意義を説明。セミナーのなかでは、不妊治療やホルモンについての情報も説明し、今後のリスクや、今からできることも伝えている。セミナーの最後には、女性の不妊治療患者が最初の検査で実施する項目の一部を、希望する女性従業員に提供。検査結果はアプリ『ninpath』に登録し、みられるようにしている。

「一般的に知られていない検査として、例えば、2、3年後に卵子がどのくらい残っているかがわかる検査がある。10年後に子どもがほしいと考えている人でも、今から自分のホルモンや精子、卵子の状況などを知っておくだけでも、将来取り得る選択肢は変わるので、そういった面を知ってもらおうと思った」

同事業は2022年3月までに、中小企業5社、合計従業員数330人に対して実施。セミナーには79人が参加し、セミナー実施後のアンケートでは、ライフイベントと仕事の両立について、「自分ごととして捉え、考えるようになった」と答えた社員が7割を超えた。「セミナーを通じて、今後、実施しようと思ったこと」では、「検査や病院の受診をパートナーや家族に相談してみようと思った」「保険の見直しや資産運用を検討しようと思った」など、具体的なアクションに移る人もみられた。

話を聞いて知ってもらう場面に男性を増やすことを課題視

ただ、その一方で、神田氏は男性の参加が課題に感じた。セミナーは男性も対象にしていたものの、男性の参加率は15%にとどまった。

「不妊治療の継続には、同僚や上司・部下など、男性も含めた周りの支援や理解を得ることが重要。最初の段階に男性が参加してくれなければ、あとの行動にもつながらないので、話を聞いて知ってもらうところに、いかに男性を引っ張り出すかが課題だ」。今後は、告知の文面や、トップから従業員に告知をしてもらうなどの工夫をしていくという。

2022年度は自治体連携のオンラインカウンセリング推進事業と両立支援事業結果の検証

2022年度の「フェムテック等サポートサービス実証事業費補助金」の採択事業にも選出された。今年度は「不妊治療当事者のウェルビーイング向上のための心理ケア事業」として、全国の協力自治体を通じて、生殖心理カウンセラー、不妊カウンセラー、キャリアカウンセラーによる心理ケア・仕事やキャリアとの両立サポートを目的としたオンラインカウンセリングを受ける機会を提供する。

「すでにオンラインカウンセリングを受けた人へはインタビューを行い、そのフィードバックを持っているものの、取り組みを今後自治体や企業に広げていくために、計量的なデータで、『専門家のカウンセリングを受けるとどのように変わるのか』というエビデンスをつくっていきたい」

また、オンラインカウンセリングがあること自体を知らない不妊治療患者もたくさんいることから、自治体と連携したオンラインカウンセリングの推進を行うと同時に、「自治体を通して、住民への告知や、クリニックに対しても自治体で行っている事業を患者に伝えるなど、啓蒙していきたい」と考えている。

<今後の展望>

誰もが自動的に最適な治療を選べる方法やライフデザインを当たり前に考えられる社会へ

今後の展望について神田氏は、「とても勉強したり考えたりしなくても、誰もが自分に合った一番良い治療を受けられる情報提供を目指している」と話す。

「今はアプリで各患者に合った情報や意思決定をサポートする情報を提供しているが、さらに発展させて、例えばAIを活用することで、意思決定をしなくても最適な治療方法が提案されて、患者は受けるだけで大丈夫という将来をつくっていきたい」

また、「キャリアプランを考えたり、結婚後のお金のことを考えることと同じくらい、将来子どもを望むことに対して、早い段階から考えることが当たり前になる世界をつくるために、企業を介して環境を提供していきたい」と強調する。

これまでの経験から神田氏は、特に若者は、個人に対して情報を発信しても自分ごとになりにくいという傾向を感じていたという。両立支援事業などを通して、「企業の取り組みとして従業員に浸透させることで、自分ごとにならなかった人たちにも情報を提供できる仕組みが見えてきた」ことから、企業を通して将来に向けたライフデザインが当たり前にできるような社会づくりを進める考えだ。

(田中瑞穂、荒川創太)

企業プロフィール

株式会社ninpath新しいウィンドウ

所在地:
東京都港区
設立:
2020年3月
代表者:
代表 神田大輔
従業員数:
8人
事業内容:
不妊治療可視化アプリ『ninpath』、人材紹介サービス『ninpath career』の運用など