研究報告 労働需要側から見た高卒就職:第34回労働政策フォーラム
高校生のキャリア教育と就職支援を考える
―学校・企業・ハローワークの連携の中で―
(2008年10月 6日)

筒井 美紀 京都女子大学准教授

京都女子大学准教授 筒井 美紀:20081016フォーラム

今日お話する内容は三つの構成になっています。最初に、2007年がどういった労働需要だったのかを、(1) 「高学歴代替の戻り現象」(2) 「二つの循環的変動」(3) 根強い高卒選好:三つの理由と問題点――の三点に整理しました。次に、採用選考と学力の実態を(1) 工業選考/学科不問(2) 出題レベルと合格レベル――の二点に絞りました。最後に、論点提起をしたいと思います。

高学歴代替の戻り現象が

まず、最初の「07年はどういう労働需要だったのか」の一つ目です。「高学歴代替の戻り現象」というからには、過去のある時点との比較をしています。労働政策研究・研修機構の前身である日本労働研究機構が1997年に同じような調査を行っており、今回、追跡調査のような形で調査した企業が幾つかありました。そのなかで、ある企業は97年の時点では「高校生の採用を止める」としていました。「高校生はすぐ辞めるし、仕事を教えても覚えないし、資質が下がっていてだめだ」ということで、実際に大卒採用(正社員十契約社員)に切り替えて、「すごくうまくいっています」と97年時点で話していました。しかし、07年に「10年経ちましたが、どんな感じでしょうか」と伺ったところ、「実は高卒採用を復活することにしました」との回答でした。

高等教育大衆化のインパクト

その理由については、まず「高等教育大衆化のインパクト」があります。その企業の言葉を借りると、「専門学校にせよ大学にせよ、今のように進学が容易になってしまうと、『おいおい、大丈夫なのか?』という学生も多くいる。ならば、高校卒業時点で採用して育てたほうが良いのではないか」と。要するに、高等教育からの労働供給が心配になってきたため、高卒採用を復活した、ということです。考えてみれば、10年前の時点では、「高卒はもうだめだ」と考えた人はたくさんいたでしょう。なぜなら、当時は景気が悪化傾向にあるうえ、まだ底も見えない状況だったからです。そういう時に「大卒に切り替えた」と言われれば、「もう、高卒はだめかな」と考えがちになってしまっても不思議ではない、と思うのです。

労働需給の状況で採用言説も変化

このように、事後的に後知恵で振り返れば、企業も試行錯誤していることに気付きます。ある採用行動を取ったからといって、それを一時点で評価するのではなく、やはり経過を見なければいけないということがとてもよくわかるわけです。つまり、07年時点での採用は、「失われた10年」期の主流のビジネスモデルが活用されていた。正社員を中核の人だけ残し、後は流動的な社員で運用するといった採用行動が通用したのは、ほんの一時期だったことが窺えます。

だとすれば、採用言説は労働需給の状況で変わっていくのではないか。人手が要らない時には、「最近は仕事が高学歴化したので(高卒採用は)無理だ」などの言説が流布し、人手が要るようになったら「これからは高卒を育てていかねばならない」という言説が広まり、それに影響されたりします。その時々の労働需給如何によって実態と言葉の表現との乖離が大きくなったり小さくなったりすることに留意しなければならないのです。

景気と従業員構成という循環的変動が

続いて「二つの循環的変動」です。今回、いろいろな企業に聞いたなかで、「必ずしも業況は回復していないが高卒を採り始めました」という話がかなり出ました。つまり、循環するものは景気の変動だけではない、従業員の構成も循環する。退職する人が出ていけば人が足りなくなるから、(採用して)従業員構成のバランスをとっていかねばならないという意味で、従業員構成も循環的だといえます。その組み合わせを考えると、のようになります。

このの「1」は「景気がいいから人手が必要になった」こと、「0」は「人手が要らない」ことを意味します。例えば、パターン(1) は「景気もいいし従業員も足りない」から「1.1」の労働需要が膨らむパターンになります。パターンは表のように四つあり、ここ数年間の高卒就職はパターン(1) とパターン(2) が混在していた状況だと思います。

表:20081016フォーラム

少し心配なのは、今年以降はどうなるのか?もしかすると、いまは「0.0」のパターン(4) に移行しつつある時期かも知れません。私は大学におりますが、大卒就職でもパターン(4) の気配がひたひたと迫ってきている感じがしています。

高卒選好の光と影

そこで三番目です。なんだかんだ言っても、高卒選好には根強いものがあります。ただ、光の後ろには必ず影があるので、合わせて整理しておきたいと思います。まず、「高校生は素直だから採用する」と言われますが、これは「言われたことしかできない」とどう違うのか。採用してすぐの頃は「素直でいい」だったのが、時が経つにつれて「言われたことしかできない」とならないようにするには、どう教育訓練すれば良いのでしょう。

次に「高卒の初任給は安い」と言われます。職種別賃金でなく、学歴別賃金があるからこそ、出てくる話ですが、これをどう考えたら良いか。この問題は、「同一価値労働同一賃金」にもつながっている問題です。ちなみに、アメリカの現業労働者は正社員でも時給換算ベースです。今後、地域によっては、高校生を非正社員で採用する動きも増えるでしょうし、そうなった場合、正社員と非正社員の仕事の均等処遇を考えておかなければ、「自分は『非正社員』という理由だけで正社員のだれそれとこんなに給料が違う」といった話にもなっていくでしょう。この問題も考える必要があることを指摘しておきます。

それから「高卒女性は(短大卒や大卒女性に比べて)長く安く働いてもらえるからありがたい」との話もありますが、これは結婚退職が前提になっています。そう考えると、結婚あるいは出産で退職するのであれば、キャリアパスを用意してもペイしないという話にもつながりかねないと思います。女性の雇用を考えていくとき、これをどうするか。

「短期間で一人前」になることに再考の余地が

続いて、採用選考と学力の実態について話したいと思います。冒頭の小杉統括研究員の問題提起にも、工業高校が人気で一人勝ちであることに加えてもう一つ、学科は関係ないという二つの傾向がありました。インタビュー調査では、工業高校を選好する傾向については、技術や設備、メンテナンスといった職種で育て上げていくとの話がありました。これに対し、ラインでの組み立てなどの直接工に当たる採用は学科不問とのことでした。

この学科不問は、これだけ高卒市場が小さくなったなか、門戸が広がるという意味で大変ありがたい話です。ただ、問題は入社後にどうなるのかということです。インタビュー調査では、「手先が器用でハンダづけがすごくうまく、2年目で班長になった」などの話が聞けましたが、こうした話を耳にすると、短期間で一人前になれてしまうことに再考の余地があるように思えました。仮に短期間で一人前になってしまった後、何か目標とか希望の持てるステップアップの階段があるのか。早く一人前になったのはいいが、その後ずっと同じ作業を繰り返すようなことになりはしないのかと思ったのです。それから、出題レベルと合格レベルの実態です。いろいろな企業の採用試験問題の傾向をまとめると、中3から高1程度の漢字の書き取りや四則混合算、2次方程式、英単語の簡単なものなど出題され、合格レベルは半分解ければオーケーとのことでした。

これだと、入社後、数年した時点で問題が顕在化してきます。入って2、3年目までは、上司・先輩の指示通り仕事ができていれば良いのですが、徐々に要求水準が上がってきたときに困ることになるからです。てきめんに現れるのが「(業務に必要な)資格の筆記資格試験に受からない」こと。他にも、簡単な書類が書けなかったり、そもそも仕事で説明しても理解力不足で追いつかない、メモをとる習慣がないから何遍も説明しなくてならない、といったことがインタビュー中に指摘されました。

求人に間隔が空くことを前提とした対応策を

さてそれでは、これまでの問題を三点にまとめて論点提起にしたいと思います。一つ目は、景気が悪くなるにあって、今は従業員構成のバランスがよくなってきているので、新たな人手が要らなくなりつつあることです。ここ数年、若い人材が必要だということで、数は少なくても採用を続けてきた企業が「採り疲れ」もしくは「教え疲れ」を起こすのではないか。入ってきた若い人を育てるのはそれなりに手間暇がかかるし、そもそも人に教えるのはしんどいこと。「何年か若手を採ってきたし、この辺で一息つこうか」といった形で、またごっそり求人が減るのではないでしょうか。

そういった場合、「無理に採用してほしい」というわけにもいかないので、間隔が空く求人を大前提に、何か対策を考えた方がよいのではないか、ということです。求人が生じないときには、何らかの形で教育的なつながりをキープしていく。例えば、キャリア教育の一環としての職場見学のようなことです。これからの時代、より教育的である方が長い目で見たらペイすると考えます。

キャリア形成弱者への対処と基礎学力の涵養も

二つ目は、女性や学科不問の直接工の話をしましたが、こうした「キャリア形成弱者」への対処をどうするかが、非常に大きな問題として起こってくるということです。

三つ目は、基礎学力の涵養です。よく「成績より、やる気とかガッツがあればいい」などと聞きますが、これはやる気の重要性を強調する話し方でありレトリックです。詳しく聞いてみると「実際は両方大事だ」という話が出てくる。したがって、能力やキャリアを形成していく責任の所在がどこにあるのかを考える必要があると思います。

公共性を核に能力・キャリア形成を

スローガン的に「個人主導の能力形成」が言われたりしますが、高校出たての若い人たちにそれを求めるのは非常に酷な話ですし、安易な自己責任論へ陥落しないことが重要です。だからといって「それは官がする仕事です」などという話にしてしまうと、官民の押しつけ合いのような不毛な議論になりかねません。そこで、官とか民ではなく「公共性」を核に考えていく必要があるのではないか。そして、民間にできる公共性とはどういうことなのか、を考えられたらと思います。例えば、従来の「ここの部分はだれそれの仕事」といったような常識的な線引きを再考する必要があると思います。その点、アメリカは地域で取り組むことがとても進んでいるので、それを参照するのも良いと思います。

(プロフィール)

つつい みき/京都女子大学准教授。2002年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。2004年京都女子大学現代社会学部専任講師。2007年より同准教授、現在に至る。主な著書に『高卒労働市場の変貌と高校進路指導・就職斡旋における構造と認識の不一致(東洋館出版社、2006年/日本労働社会学会第3回学会奨励賞、日本教育社会学会第2回学会奨励賞を受賞)など。また、『リーディングス日本の教育と社会第19巻』(日本図書センター)を本田由紀氏との共編著にて近刊予定。