議事録:第1回旧・JIL労働政策フォーラム
構造改革と労働政策
(2001年9月4日) 

目次


講師プロフィール

花見  忠(はなみ ただし)
日本労働研究機構会長。上智大学名誉教授。中央労働基準審議会会長、中央労働委員会会長等を歴任し、2001年より現職。主な編著(共著)に『IT革命と職場のプライバシー』(日本労働研究機構、2001年)。労働法専攻
島田 晴雄(しまだ はるお)
慶應義塾大学経済学部教授。内閣府特命顧問、経済財政諮問会議専門委員(2001年~)。政府税制調査会委員、産業構造審議会委員等歴任。主な著書に『明るい構造改革:こうすれば仕事も生活もよくなる』(日本経済新聞社、2001年)など。労働経済学専攻。  
菅野 和夫(すげの かずお)
東京大学法学部教授。主な著書に『労働法(第5版補正2版)』(弘文堂、2001年)など。労働法専攻
伊藤 庄平(いとう しょうへい)
前労働事務次官。職業能力開発局長、労働基準局長等を歴任し、1999年7月~2001年1月労働事務次官。主な著書に『新労働時間法制の理論と実務』(労働新聞社、1994年)。

はじめに

【花見】 ただいまから第1回労働政策フォーラム「構造改革と労働政策」を開催させていただきたいと思います。
 今日、日本の経済、雇用労働が、ある意味では未曾有の危機に直面しております。ごく2~3週間前までは不良債権問題の処理に伴う失業問題をどう吸収するかというようなことが最大の関心事でございましたが、先週になりまして、失業率が5%になるというような事態、それから大手電機メーカーが続々と人員削減計画を発表するというようなことで、かなり失業問題、雇用問題が差し迫った緊急の課題になっております。新聞などを見ておりますと、危機感がますますエスカレートしているような感じもいたします。
 今日お見えになっています島田先生や私が40年近く大変親しくしているロバート・E・コールというカリフォルニア大学の社会学者と、たまたま昨日、雑談をしておりました。彼は『ジャパニーズ・ブルーカラー・ワーカーズ』という本で大変有名になりました日本研究者でございますが、彼によると、アメリカの日本研究者たち、特に経済の専門家は、日本経済は本当に崖っぷちに立たされているのではないかと考えています。
 島田先生は、ご承知のように小泉内閣になりましてから、首相の特使としてアメリカに行かれました。CNNなどのニュースに島田先生が登場して「ジス・キャビネット・ウィル・チェンジ・ジャパン(この内閣は日本を変えます)」というメッセージを送っておられるのを拝見しました。アメリカの人たちも日本の構造改革が進む中で、雇用問題をどのように解決するかということをかなり意識して見守っております。
 コール氏と話していてわかったのは、日本経済は依然として世界で第2番目の経済圏であり、うまくいかないと、世界全体の経済に問題が起きるのではないかという危機感をアメリカの人たちも抱いていることでございます。失業問題が深刻化することによって、構造改革がうまくいかなくなり、さらには、世界経済にとっても決定的な問題を起こすのではという懸念です。
 日本労働研究機構では、従来から基礎的な労働問題についての専門調査研究機関としてさまざまなプロジェクトを行ってまいりましたが、こういう時期に当たりまして、日本の労働政策そのものについて、政策研究機関として研究を進めると同時に、その研究成果に基づいた政策論議を積極的にやっていこうという趣旨で、新たに労働政策フォーラムを設けることにいたしました。
 本日は、まず今申しましたような雇用の問題を最初に取り上げさせていただきます。この雇用の問題は非常に重要、緊急の課題であります。言うまでもなく、今日の雇用問題、労働問題の深刻化は、グローバル化、産業構造の変化、私どもの働き方、労働様式、ワーキングライフスタイルが大きな変革に直面しているなかで起こっています。私なども大学に入ってからちょうど50年、労働問題に関心を持ってきたわけでありますが、これまでの既成概念で処理できないような新しい問題に直面しております。
 危機というのは、新しいチャレンジでございまして、問題に積極的に取り組むための非常にいい機会でもあるわけでございます。島田先生は530万人の雇用創出が可能であるという立場で内閣にアドバイスをしておられますが、この間、島田先生とお話をする機会があり、うかがったところ、これは5年間にグロスで530万人増やすという話でありまして、ネットで言うと、連合、あるいは日経連が出しているように百何十万という創出が可能であろうということで、一方における失われる雇用の数は何百万ということでありました。そうすると、その間に5年というタイムラグがあるわけです。このタイムラグを埋めていくためにどのような政策が考えられるかということが1つの問題で、第1ラウンドではその話をお願いしたい。
 それから、従来から議論のある日本の雇用制度、解雇ルールについてもどのような検討が必要であろうかという問題であります。これに関連して、我々は近代社会になってから基本的な前提として従属労働、雇用労働というものを中心に労使関係、労働関係を考えてきたわけでありますが、先ほど申し上げましたような労働のスタイルの変化というのは、その枠を大きく外れています。つい先日も、研修医の問題が出てきましたが、従来の保護法のスコープを外れたところで非常に深刻な問題が起きている1つの例であります。研修医のような、従来の法制では必ずしもカバーできないような労働が、実は非常に大きな問題となってくるわけです。
 その辺のことをどうしていくかというのが2番目の問題であります。これについては私どもが1998年の労働基準法の改正時にかなり積極的に思い切った施策を考えたわけでありますが、なかなか十分な政策を実現することができなかった。私自身は中央労働基準審議会(中基審)の会長をやっておりまして、大変じくじたる思いをしました。契約法制、労働時間法制、裁量労働といった問題についても、より積極的な規制緩和というものが今日の段階になって、さらに構造改革の中で議論がなされており、こういう問題につながるわけであります。保護法の基本的な再検討、この辺のことを第2ラウンドでご議論いただきます。
 最後に、この問題は同時に労使関係制度そのもの、労使そのもの、あるいは労使関係のステークホルダー、労働組合の役割、紛争処理といった問題につながってくるわけであります。これが本日の第3ラウンドで扱う個別紛争処理の問題でございまして、実は10月1日の第3回労働政策フォーラムでも、再び菅野先生にご登場願って、この問題を取り上げたいと思っております。なおその後で時間がございましたら、皆様からのご意見、ご質問もお受けしたいと思います。大体そういう趣旨で今日の会議を進めさせていただきたいと思います。
 もう既に触れましたように、島田先生、菅野先生は、ともに今日の日本の労働問題の専門家で、経済と法律それぞれの分野を代表する第一人者でございます。伊藤さんは厚生労働省が発足する前までの労働事務次官でございまして、行政の立場から厚生労働省として現在行っておられる施策、そして新しい対応について専門的な知識を持っておられます。この3人の方から今申し上げたような問題についてご発言をいただき、相互の意見交換、最後に皆様との意見交換をしていただきたいと思っております。
 それでは、まず島田先生からお願いいたします。

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セッションⅠ 雇用・労働市場の機能を高めるために

【島田】 本日は、日本労働研究機構のこういうシンポジウムにお招きいただきまして、本当にありがとうございました。日本経済がかなり深刻な前途を見据えながら、構造改革に挑もうとしているとき、労働問題が最も重要な問題であるということになりつつあると思います。日本の戦後史で言うとおそらく終戦直後、労働問題が大変重要な問題であり、日本の命運を左右すると言われた時期があったと思いますが、そういう時代に比すべき、また新しい意味で改めて労働問題が日本の将来を左右することになってきているのではないかと思います。そういうときに、こういう重要なシンポジウムが開かれるということは、本当に素晴らしいことで、日本労働研究機構というものの存在意義がここでもう一度認識されるのではないかというふうに感じます。

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小泉構造改革の3本柱

【島田】 小泉政権の考えております構造改革というのは、大きく分けると3つの固まりになるのかなと思います。1つは後始末型の構造改革。つまりバブル崩壊以降の不良債権の処理を先延ばししてきたため、大変な規模になってしまった。これを処理いたしませんと、将来のリスクにチャレンジする企業にお金を貸せないんですね。したがってこれはぜひ処理をしなくてはいけないという問題があります。
 それから、もう1つはバブル崩壊以降ではなくて、日本が敗戦直後からもう必死になって工業化を成し遂げたわけですけれども、世界の先進国、成熟国になってからというもの、そこで新しく求められる対応を本格的にしてこなかった。おそらく1970年代後半以降、四半世紀にわたって日本はある意味では思考停止状態だったんではないかと思いますけれども、そのために累積したさまざまな問題がございます。それを変えていく。これは背骨の手術をするような本格的な構造改革ですね。それが郵政3事業であり、特殊法人改革であり、特定財源であり、地方交付税でありというような問題になってきているわけなんですね。
 この2つの固まりのほかに、もう1つ明るい構造改革というのがあります。
 この3つが小泉改革の全体像だと思うんです。後始末型の構造改革をしなければならないんですけれども、これをやりますと、真っ黒な債権を処理するだけでも60万人ぐらいの仕事が消えると言われていますね。グレーのところまで手をつけると、100万人以上の仕事が消えるのではないか。そのうち何人が本当の失業者として残るかわかりませんが、そのように言われている。政府の数字でそう言っているわけですね。そういう大変厳しい効果が想像されます。
 本格的な背骨を変えるようなことをやると、どういうことが起きるか。例えば特殊法人を民営化する。やがてこれはいい姿になるのかもしれませんが、その過程ではいろんな問題が生じますよね。あるいは交付税の見直し。交付税の見直しというのは、交付税を減らすだけじゃなくて、地方自治体の自主財源を増やすことともパッケージになっているはずですけれども、交付税に依存してきた仕組みから考えると、マイナスということが当面は想像される。後始末型の構造改革も、背骨を直す構造改革も、当面のところ非常に大きなマイナスが生じてくるんじゃないかと思われるわけですね。
 したがって、小泉構造改革では、マイナスを吸収して、うまくいけばプラスにする明るい構造改革というものも3本柱の1つで組み入れているわけです。今日はその3本柱の話の3番目についてあまり世間では議論されていませんので、少しコメントしたいと思います。

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明るい構造改革とは

【島田】 この明るい構造改革というのは、雇用を創出する、雇用をつくるタイプの構造改革なんですね。私はこのほど「内閣のアドバイザーのような役割をしろ」と仰せつかって、事実上の補佐官なんですけれども、民間人の立場を失わない形で補佐官のような仕事をするという意味で内閣府特命顧問という前代未聞の役職を考えてくださったわけです。雇用問題については「攻めの雇用」と「守りの雇用」があると思っておりまして、守りの雇用はセーフティネットと世間で言われているやつですね。これの中身は、後ほど伊藤前次官が詳しくお話しくださるかと思います。もう1つは、攻めるに勝る守りはないわけで、雇用を創出する、つくるのが重要ですね。ということで焦点を絞って活動していこうと思っております。
 先ほど明るい構造改革と申し上げて、今、攻めの雇用と申し上げました。これは雇用を創出するというものですね。世間では530万人雇用創出計画がしばしば言及されます。あれは政府の経済財政諮問会議の専門調査会が研究をして、世間に提案したものでございまして、私が深くかかわっています。これは先ほど花見先生がおっしゃられたように、何もないところに530万人の雇用が生まれてくるというような話ではありません。
 例えば過去10年間を振り返りますと、経済は「失われた10年」と言われ、停滞しておったんですけれども、停滞している経済の中でどんどん収縮する部門がありました。それはどういうのかというと、製造業であり、農業であり、政府部門ですね。合わせて230万人ぐらいの仕事が失われている。ところが他方、第三次産業、とりわけサービス産業で、同じ期間に400万人ぐらいの雇用が増えている。経済というのは生き物ですから、必ずそのように変化していくんですね。80年代はもっと激しくそういう動きがありまして、第三次産業では650万人も増えている。日本の第三次産業比率というのは雇用で言いますと、総雇用の6割ですけれども、アメリカでは7割、フランスやイギリスでは六十数%です。おそらく先進国では、一方で生産性を上げて製造業の効率を高めると同時に、人々の生活をより充実させるためのサービス業をどんどんつくり出してきているわけです。ここでの雇用吸収力は非常に大きい。
 歴史の流れがそっちへ向いているわけで、ほうっておいても、おそらく2000年代には10年間に500万人ぐらい第三次産業で雇用が増える。私どもの考え方というのは、それを政府が意図的に背中を押して、最初の5年間で500万人ぐらい雇用をつくれないかということであって、荒唐無稽な話をしているわけではないんですね。
 連合も日経連もいろいろな雇用創出の提案をなさっていますが、実を言うとその530万人計画の中の半分ぐらいは同じことを言っています。むしろ、連合や日経連の計画も、半分はグロスだと思いますね。そのまま他の雇用が変わらずに、ああいう雇用が新しくつけ加わるというふうに考えてはいらっしゃらないと思います。ですから、基本的には同じようなことを言っているだろうと思いますね。
 

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補助金なしのスキームを

【島田】 これをどう攻めの雇用で実現していくのかということが重要だと思います。530万人雇用創出計画のうち半分ぐらいの雇用は、別に政府が何もしなくても自然に伸びていくようなものです。対個人サービス、家庭サービス、事業所サービスというのは、おそらく自然に伸びるものだろうと思いますね。半分ぐらいは政府が背中を押したほうが確実に伸びる可能性があるものです。昨日の日経新聞の1面にケアハウス1万カ所建設という話が出ておりましたけれども、今日はその例を引いて、どういうことなのかということを1つ申し上げたいと思います。
 同じような考え方は子育ての支援や学童の保育、住宅問題などいろんなところに実はかかわるんですね。政府がどういう形で後押しをすればよいかということですが、これは逆説的ですけれども、補助金を出さないほうが良いというものです。雇用創出というのは、補助金を出せばいいじゃないかという説があるんですけれども、補助金を出して雇用創出をすると、補助金が消えたときに雇用は消えちゃうんですね。そういうのは本当の雇用創出ではないだろうと思います。昔の失業対策事業と同じ姿になるので、そういうものではない。
 ケアハウスの話は以下のようなことです。今、全国に280万人ぐらい要介護の高齢者の方がいらっしゃいますけれども、このうち特養(特別養護老人ホーム)老健(老人保健施設)という施設に52万人の方々が収容されているんですね。この方々は4人から6人の大部屋に居ます。とてもつらい状況の中で生活しています。20年前から中産階級の人が入ってもいいですよということにしたために、これは応能主義ですから実費を取ったんですね。ですから20万円、25万円取られても1人部屋という方がたくさんいらっしゃいました。しかし、2年前に介護保険が導入されてからそういうのはなくして、最高は全部5万円にしたんですけれども、それでもこの成熟社会で「そういうのはたまらん」と思っている人がたくさんいらっしゃる。そういう方々のニーズを先取りして、厚生省では、ケアハウス、軽費老人ホームというのをつくっていた。これは1人部屋なんです。今度政府が考えているのは、これに加えてケアサービス、「介護保険適用で1人部屋」という、ようやくヨーロッパ並みの1人部屋で老後が全うできる、年金の費用でそれができるというスキームを考えたわけですね。これは素晴らしい、530万人雇用創出計画の中で大きな分野を占めるだろうということで、厚生労働省の方々と一緒に作業してきたのが、いよいよ具体的な、もうすぐ実現という姿になってきた時に大きなバリアのあることが見えてきたんです。
 それは何かというと、50人ぐらいのお年寄りの方が暮らすケアハウスで1人部屋が50室できるわけですが、600坪ぐらいのなかなかいい施設です。これが4億円までなら補助金が適用になるということなんですね。そこに国が2分の1の補助金を出す。2億円ですね。そして、県が4分の1の1億円、あとは事業者がやってくださいと。市町村でも社会福祉法人でも民間企業でも結構ですと。社会福祉法人がやる場合には特別な事業団融資がありますから、ほとんど無利子融資ができるので、コネのある社会福祉法人はそれをいただきますということになっているわけです。
 問題は、国庫から負担する補助金が1カ所2億円ずつくらいかかる。これが最高ですよと言うと、民間ではどういう行動をとるか。全部最高のところへ貼りついちゃうんですね。ですから、2億円の補助金になります。国の補助は来年度予算でどんなにがんばっても、この分については100~150億円ぐらいしか取れない。そうすると50~80カ所しかできない。1カ所あたり厚生労働省基準だと9人の従業員なんで、500~800人ぐらいしか雇用が生まれません。そういう話なんですね。それ以外ありようがない。

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「安心ハウス」で雇用創出

【島田】 補助金なしでそんな事業をやる人はいないというのが、どうも行政関係者のお考えのようでした。戦後何十年、補助金、補助金でやってきたために、そういう考え方になってしまっているんです。しかし本当にできないのか。他方に230万人の方々は行く所がなくて、年金をもらって貯金も持っているんです。その間をつなげないのかというのが我々の素朴な疑問でございまして、あえて私は総理大臣と相談して補助金のないスキームをつくろうとしています。ただ、ケアハウスというのは関係者が一生懸命努力されて補助金で固めた、規制で固めた仕組みにもう既になってしまっているので、それをひっくり返すととんでもないことになるおそれもある。いかに小泉さんといってもできない。ですから、完全に補助金のないスキームで、「安心ハウス」です。
 それがどういうものかというと、15万円の料金を人々からいただきますと、そのうち食費は5万円です。あとの10万円はどうするかというと、7~8万円はそこに働いている方々の給料分の負担ですね。どういう方が働いているかというと、最大は調理師さんで4人です。それから生活相談員と看護婦さんと院長さんを入れると9人になります。個々の家でそれをつくれば必要ですけれども、日本にはいわゆる昼食フードサービスという産業が非常に発達している。ファーストフードもそうですが、何万食という食をつくって、O-157を一度も出したことがない。そんなものが一度でも出れば、会社はつぶれてしまいますからね。果たして4人の調理師さんが必要なのかと言えば、そういうネットワークを上手に使うと調理師は1人で足りるはずです。
 というようなことをすると、本当は7~8万円もかからない。おそらく5~6万円でできる。とすると、粗利が3~4万円生まれるわけです。粗利が3~4万円生まれ、これを減価償却費に使うと、実は3億5,000万円の建物でも、4億円の建物でも、20年から22~23年で償却が済みます。そうすると、それ以上営業することになれば、民間でも補助金ゼロで成り立つスキームなんですね。
 どうして、それをやらないのかと言うと、そんなことを言ったってやる人がいませんよという話です。私は全国各地を歩きましたが、市長さん、町長さん、信用金庫の理事長さん、事業者、建設者、やりたいと言われる方々はかなり多い。しかし、補助金の制約があるためにできないんです。そしてコネがない人は入れないからできない。これが日本の姿なんですね。子育ても、さっき申し上げた生活者に関するさまざまな分野でも大同小異です。日本というのは、補助金がないと仕事ができないというカルチャーをつくってしまったんですね。
 ですから、これを改革する。郵政3事業もそうでしょうけれども、一番重要なのは、生活者に直結するところのこういう話だと思います。仮に1万件と言うと多いように見えますけれども、全国3,240の市町村がありますから、町や村で1カ所ずつ、中都市なら20カ所、横浜みたいなところは200カ所。こういう姿なんですね。そうすると、これはルーズベルトのニューディール政策にも似て、それならできる。
 全国各地の道路工事のなくなった建設業者さんは飛びつきたいんですよ、実を言うと。4億円の補助基準になっているときの単価はどうかというと、1坪72万円なんですけれども、同じ業者がマンションで競争するときには40万円で必死になって闘っている。どうして福祉になったときだけ72万円になるかというと、72万円が最高上限だから、天井に貼りつくんです。福祉と防衛というのはよく似ていまして、タンカーでは血の出る競争をしながら、イージス艦1つつくると数年間造船会社は生きているわけですね。そういうのは国民のためになるか、ならないかということなんです。というようなことで、キャンペーンをやりたいわけです。これは1つの例ですけれども、こういうのが明るい構造改革なのでやっていきたい。

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めざすのは「IT生活立国」

【島田】 他方、日本は今、先ほど花見先生がおっしゃられたようにグローバリゼーション、IT(情報通信技術)の波の中でどんどん揺れています。例えば電機メーカーが次々と大規模な雇用削減を打ち出していますね。あれは何を意味しているかというと、IT産業のパラダイムが大きく変わりつつあって、先進国ではもはや、半導体をつくらないわけですよ。みんなソフトとネットワークに転換している。それに向けてすごい勢いで動いています。実は自動車産業だって、アメリカにはかつて自動車会社が100社あったのが、今では3社です。世界中の自動車会社がそろそろ4大系列にまとめられる状況の中で闘っているという激しい変化が起きているんですね。
 こういう中で、どう雇用を確保していくのかというと、大局観は明らかです。日本のように高度に成長した成熟国では、ITとグローバリゼーションの中で雇用は徹底的に効率化せざるをえない。しかし、IT立国という言葉がありますけれども、私はITだけで立国することはありえないと思っています。包丁を研ぎ澄ますように効率化し、雇用を吸収しないのがITですからね。徹底的に雇用を削減して、スリムにしていくのがITです。
 逆に、「IT生活立国」というのは見事に成り立つと思っています。ITで研ぎ澄ました効率を使って、人々を非常に豊かにする。例えば子育て、ケア、教育、医療、いろんなところにものすごい人手がかかるんですね。こういう人々のかゆいところにすぐ手が届くようなサービスのほうに、ITの効率化のおかげで雇用が生まれてくれば、ITと生活を組み合わせたIT・生活の2本足なら立派に先進国は成り立ちます。そっちの方向に向けていくということがサービス産業化なんですね。
 幸い日本は1,400兆円という膨大な貯金を持っている。ほかの国にはありません。これを今お話ししたような生活を豊かにするところに使っていくことで、貯蓄の氷山が解け、消費の水位が上がってきますから、投資が起きて、好循環になっていく。こういう方向に向けての衣がえに今チャレンジしている。それが明るい構造改革なんです。
 私はそのことを先行したいと思っておりまして、不良債権処理に多少時間がかかってもしようがない。それよりもむしろ、早く今申し上げたような、生活者にとってこんなに便利なサービスがあるんだ、そこから雇用が生まれるんだとわかる形にして目に見せて、さわってみていただき、これが小泉構造改革なんだと納得していただきながら、不良債権の処理という背骨の手術のようなほうに入っていくことが可能になれば、日本は見事に21世紀には繁栄する国家のスキームをつくることができるのではないかと思います。
 

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解雇ルールの法制化は中期的課題

【花見】 島田先生自身おっしゃったように、構造改革というのは、カルチャーとかなり関係があり、改革のネックにはカルチャーの問題がかかっている。カルチャーを変えるのが政策であろうと思いますが、それにはかなり時間がかかります。島田先生の考えておられるように雇用の「喪失」と「創出」とのギャップをどのように埋めるかということが1つの緊急な課題ではないか。そういう観点から、セーフティネット、解雇ルールといった問題について法律学の立場から菅野先生にご発言をお願いしたいと思います。
【菅野】 島田先生は、相変わらず気宇壮大、自由闊達で、しかも実際的に考えておられ、大変感心しました。それから私の後の伊藤前事務次官も実際の政策の形成、遂行をやっておられるわけで、今日のテーマにはふさわしいわけですが、私自身は非常に地味な法律学をやっているものですから、一番ふさわしくない人間がいろいろ無理して言うかもしれませんが、お聞きいただきたいと思います。
 雇用や労働条件を良くしていくためには、経済が良くならないといけない。それには構造改革というのがやっぱり必要だろう。しかし、今雇用・失業情勢が非常に悪くなっている。これで本格的に構造改革をやるともっと悪くなって、政治的には構造改革の政権自体がもちそうにない。要するに雇用問題が、構造改革の命運を左右しようとしている。これは大変に困ったことでもあるわけです。しかし労働に関与している人間としては、やりがいのある時代なのかもしれません。
 構造改革を進める上での法制度の枠組みで言えば、労働移動を支援する制度としては、最近3~4年間の雇用保険法や職業安定法、労働者派遣法の改正、あるいは今年の雇用対策法の改正などで大体整えられました。今はそういう枠組みを使って実際にどういう政策を行うかということであります。まさに緊急の雇用の創出、それからマッチング機能の強化、教育訓練、能力開発のいろんなプログラムなどを、政府を挙げて島田先生もお入りになってやっておられるわけで、これはこれでぜひ全力を挙げて遂行していただきたいと思います。
 今日は構造改革と労働政策ということで、労働法制の観点から若干お話しさせていただきます。緊急の対策については、例えば派遣法の中で60歳台前半の人たちについての特例を設けるかなどということがあると思いますが、解雇ルールの法制化とか、労働市場の規制緩和をもっと大きく進めるかということは、実はもう少し基本的で中期的な問題ではないかと思っております。
 花見先生から解雇という、雇用を失うほうの問題を考えてくれということなので、ちょっとお話ししますと、例えば最近の電機産業での大幅な人員削減でも、従来の石油危機以後に樹立された日本型の雇用調整の手法の線でやっているわけでありまして、解雇という手段は使っていないわけです。もちろん中小企業等では、解雇は行われていると思いますが、大企業、中堅企業では、やっぱり従来の長期雇用システムの枠組みに沿った人員削減が起こっているわけであります。現在、解雇ルールの基本となっている判例法というのも、これを前提にした長期雇用システムを補強するルールをつくってきたわけでありますが、それをどうこうしたからと言って、現在の人員削減がどうなるというものでもなさそうに思います。中小などで恣意的な解雇が行われたとすれば、それに対応するようなルールはあるわけです。
 ただ、もちろん問題はあるわけでして、解雇には正当な理由が必要だという基本ルール自体が立法化されていないで不明確であるということとか、そのほか解雇の要件、救済の法律効果、手続きが不明確であるとか制度化されていないなど、いろいろな問題があります。これらはいずれ変えなくてはいけない、整備しなくてはいけないことだとは思いますが、そんな簡単なものではないと思っております。有期労働契約の期間制限をどうするかということも同様であります。果たして「今の緊急対策の中で、これをやることが必要か」というような問題なのかという気がしております。

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日本型の社会的合意づくりを

【菅野】 こういった労働法制を今後どうするかは、すべて関連しております。大きく言えば日本の雇用のシステムを今後どのようにしていくかということです。実際、法律で雇用システムがどうあるべきかを決めているわけではなく、民間の労使、企業それ自体が決めていくことですが、法律はそれを補強したりするわけですね。それに影響を与えたりする。そういうものであります。
 この雇用システムが今大きく変わりつつあるのですが、しかし、長期雇用システムというのは、かなりまだ維持されている。そのもとで一企業にとってはコスト高である正社員がどんどん削減されていて、片方ではパート等の非正規の労働者が増えていて、そのコントラストがますます激しくなっている。しかも、長期雇用システムの中の、例えば生活給とか、年功システムというものが、大きく修正されつつある。国際競争なんかを考えると、企業にとっては大変な負担になってきているという状況ではないかと思います。
 今後の雇用システムをどうするかということを考えますと、新しい不公正さ、時代に合わなくなったデメリットがあるわけで、例えばその典型が年齢制限の問題です。それからパートと正社員の間の待遇の格差といった問題、それから日本社会全体として、雇用をどう分かち合うかという問題も生じてきています。そういう中で日本の雇用システムをどうするかということについて、労使が今後のグローバルな競争の中で考えていかねばなりません。
 雇用対策そのものについては、労使、日経連とか連合の考え方はかなり共通していて、基本的なコンセンサスができているように見られます。政労使の間でかなりの合意ができているように見られますので、雇用システムそのものについても真剣に検討して日本型の社会的合意というものをつくって、それに対応して労働法はどうすべきか、そこにおける公正なルールはいかにあるべきかということを考えていく。その基本は解雇になるわけですが、有期雇用の規制でも何でもすべて関連しているわけであります。それを設計していく。こういう道筋ではなかろうかと思っております。

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5%台に突入した完全失業率

【花見】 それでは引き続いて、伊藤さんからこれまで触れられました雇用問題について、行政の立場から基本的なスタンスについてご説明いただきたいと思います。政府の「雇用セーフティネット」では、非常にさまざまなメニューが提供されておりまして、これをいかにうまく機能させていくかということが、これからの我々の課題ではないかと思うわけであります。ただ、これが今の緊急な事態にどの程度有効にワーク(機能)するかということは、非常に難しい問題ではないかと思っております。その辺について伊藤さんからお話をいただきたいと思います。
【伊藤】 両先生から、構造改革、それに絡む経済労働問題、また法制の問題について、私も今一緒に勉強させていただいていたところでございますが、やや実務的な話のほうに変わりまして申しわけございません。私は今、役人のほうに片足、そうでないほうに片足の状況でございますので、あまり実務的にならないように、これからこの難しい状況の中で、厚生労働省が雇用労働政策をどう進めていかなくてはいけないのか、その辺の方向性を中心にお話を申し上げたいと思っております。
 1つは完全失業率です。ご案内のように5%と大変厳しい数字になりましたが、その辺の受け止め方を簡単にお話ししておきたいと思います。ここしばらくの間と言ったほうが正確だと思いますが、完全失業率が非常に高い水準で高止まりをいたしております。4.9%というのがこのところ続いておりましたし、昨年も5%台が懸念される状況はあったわけですが、ただこの基本として、需給の構造的なミスマッチによる影響が非常に大きいということがあります。
 島田先生のほうからもお話がありましたように、いろんな構造変化の中で、去年あたりはかなりリード役になって製造業全体の新しい求人増を引っ張ってくれていた情報機器、電子関係、半導体などの産業の求人意欲が、ここにきてかなり停滞を余儀なくされるようなことも加わって、5%台突入になったわけです。労働市場の様相が大変厳しいことには変わりない、厳しさが増したことにも変わりないわけですが、様相が一変したわけではありません。問題はずっと一貫しているわけですから、この5%という数字に、いわば慌てふためいて、真の解決策である構造改革を遅らせるようなことになってはいけないだろうと受け止めております。

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雇用対策の新たなコンセプト

【伊藤】 雇用のセーフティネットと言うときの、このセーフティネットについてですが、「これから日本が避けて通れない構造改革を進めていく上でのいわば不況対策が、構造改革のセーフティネットにもなる」という意味合いで受け止めております。これからの対策に、本当に心して知恵を出さなくてはいけないという厳しい局面を迎えていることだろうと思っております。
 ここ数年大変厳しい雇用情勢が続いてきておりましたから、そういうものを受けて労働行政は、緊急の雇用対策をはじめ、労働市場で言えば需給調整面の職業紹介事業、労働者派遣事業等々についての抜本的な規制緩和を重ねてまいりました。この春は雇用対策法、職業能力開発促進法等一連の法律を改正いたしまして、いわばコンセプトとしては、新しい産業構造の下で新しい雇用の配置をつくり出していく仕事に取りかかるという考え方を鮮明にしたわけです。これに魂を吹き込めるかどうかというのが、正念場だろうと思っております。
 ただ、失業率5%というのは、これからの構造改革を円滑に進めるためのいわばセーフティネットでもある雇用対策に本当に今、血を出して打ち込まなくてはいけないという重みを持つ数字です。これから秋の補正予算の編成もにらみ、雇用対策にどう具体的な新しい知恵を織り込んで緊急対策を追加してやっていくか。今、まさにそうしたことの知恵を出し合っているさなかでもあるわけです。
 これから構造改革を本格的に迎え、緊急の対策を追加していくに当たって、心しなくてはいけないことは、(雇用対策が)単に失業者の生活保障等々に終わってはならないということです。これから産業構造が変わり、働き方も変わり、時代が求める知識や技能、技術も変わっていく。そういう中で、多様な選択肢を持ちながら新しい雇用機会を選択していける。また、同時にそういう選択肢が多くなる中で、本当に自主的な選択が可能になるような、いわば労働市場面の需給調整機能の機能アップを進めていかなくてはならない。そういう本格的な雇用対策が方向性としては確立されているわけですから、そことの連続性を十分意識しながら緊急対策も積み上げてほしいと思っております。
 時間もございませんので、一、二の例だけ申し上げれば、市町村など各地域の自治体がその地域に住む、生活する人たちのニーズをくみ取り、例えば高齢者のお世話とか、あるいは教育の現場に社会人を活用していくとか、環境の問題とか、いろんな事業を考え出したり、今ある事業を大胆に民間にアウトソーシングしたりしていく。あるいは民間自体がそうした事業を立ち上げよう、手がけようという際には自治体としても積極的に支援していく。そういうことを行いながら、需給調整機関との連携のもとで失業者を吸収していく。そうしたことが各自治体で展開できるような基盤づくりを行う。
 島田先生がおっしゃったように補助金行政に戻ってはいかんと思いますけれども、いろんな知恵を出して、自治体が手当てをしていく。そのための財源についても新たに準備していければいいと思います。その際に先ほど来、お話が出ているような「攻めの構造改革」と言いますか、明るいほうの構造改革といったものにつなげていく。530万人なら530万人の雇用創出への先鞭をつけるんだとか、誘い水になっていくんだということを念頭に置いて、こうした事業を展開していかなくてはいけないだろうということが1つですね。

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マッチング機能を強化するために

【伊藤】 それから、今日のテーマでもあります労働市場、民間の需給調整機関の規制緩和とも絡みますけれども、官民挙げての労働市場の需給調整機能を高めていかないと、新しい雇用機会の創出があっても、なかなか実際のマッチングが進まないということになるわけです。既に厚生労働省は、この8月8日でしたか、「しごと情報ネット」という官民挙げての求人情報の提供体制をスタートさせました。既に、2~3週間で20万件を超えるアクセスが出ているようでして、実績を上げ始めています。
 また、近く実際に動き出すんだろうと思いますが、就職困難な方々が再就職していく場合に、安定所での紹介には助成制度があるのに、民間の紹介にはないということについても、官民、就職経路を問わず、助成をしていこうというような、官民挙げて需給調整機能を高めていくような方向へ確実に滑り出している。こういうことは評価していただいていいと思うんですね。
 そのほか、今まで抜本的な規制緩和を重ねてきましたけれども、改めてその機能向上のために見直すべきところは見直すというような検討の準備にも入ったようでございます。これから関係者の論議を待たないとなかなか微妙な問題も多いと思いますけれども、期待して良いのではないかと思っております。こうしたことの積み重ねが本格的な構造改革の展開のもとでの雇用対策につながっていくことを私としても念頭に置いて、労働行政が進むことを期待しております。
 

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労働者保護の広がり

【伊藤】 先々をにらむと、いろんな難しい局面があると思いますが、1つだけ挙げておきます。労働行政の基本任務は労働者の保護というところにあるわけですけれども、この労働者の保護という概念が本当に広まってきているのではないかと思うんですね。現在、最低労働条件の履行確保ということで労働基準法がある。また、職業安定法のほうで例をとって申し上げたほうがいいかもしれませんが、「求職者の希望と能力に見合った職業紹介をしなくてはいけない」という適格紹介という原則がある。
 ただ、この「希望と能力に見合った」と言うときの、希望と能力というのは、あくまで現時点での希望と能力なんですね。私はそうではなくて、これから非常に変化が進む。働き方も、またその人たちが持たなくてはいけない知識も能力も、それから働き先のいわば業種、その他も変わる。そういうことを考えますと、これから変わっていくことを前提にした希望と能力を持っていただいた上での職業紹介が必要になってくるのであって、あまり現状を守るというような意味のスタティカルな労働者保護ではもうなくなってくる。そういう意味では、強くなろう、能力を身につけよう、時代とともに自分は強くなっていくんだ、という労働者を積極的に支援していく。今までの労働者保護のスタティカルな概念からダイナミックな概念に広がってきている時代背景があるということを念頭に置いて、これからの雇用対策を進めなくてはいけないだろうという思いをいたしております。
 以上、現在の厚生労働省の気分というところをお話し申し上げて、終わらせていただきたいと思います。

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解雇法制と雇用削減

【花見】 それでは、3人のスピーカーから、第1ラウンドの話をうかがいましたので、他の2人からお話のあったことについてコメントがございましたら、ご発言をお願いします。
【菅野】 離職者がたくさん出ているわけですが、整理解雇とか、そういうのをできるだけ防ぐことにおいて法の役割というのはどのくらいあるのかなと私はいつも考えています。もちろん事業の再構築は必要なんで、ある程度の人員削減とか、自然減を中心としたものや、早期退職ないし希望退職募集というのが必要になるわけですが、経営者のモラル、あるいは労使で雇用をできるだけ守るというモラルが継続することが基本で、これがあるところでガタガタと崩れるのが一番恐いというのが、私の感じであります。
 法律、判例が果たしてきた役割などは、たいしたことはないのではないかと実は思っておりまして、そういう意味でも、先ほど申し上げましたように、解雇法制などというのは中期的な問題であると考えているわけです。
【花見】 今の点は非常に重要だと思いますが、一方で解雇法制については構造改革を進める上において、直接的にはおそらく企業のリストラクチュアリングを実行する上において拘束的になるという指摘が経済学者のほうから行われています。それについて、私の考えは、大体は菅野先生とあまり変わりありません。現在日本が持っております解雇制限、特に整理解雇についての判例法理というのは、実際はかなりフレキシブル(柔軟)なものですから、そう拘束的ではないんです。
 最近の情勢を見ておりましても、この数日間だけで日本の電機メーカーが次々と人員整理の計画を発表しております。これは菅野さんご指摘のとおり、自然減も含めてのもので、おそらく解雇ということにはただちにつながらないかと思います。一方でIBMがごく最近、2年間で6,000人の雇用を増やす計画を発表しておりました。IBMは5年前、既に世界的に4万人の人員整理を行って、リストラが完了しているので、こういう形になる。逆に言うと、日本の企業はこの点で著しく立ち遅れているということが言えるわけであります。
 そうなると、例えば判例法理についても、前向きの人員整理というものをどう考えていくかという問題があるのではないでしょうか。直接的に今、解雇法制そのもので何か手当てをするというのは長期的な話になると考えますが、その辺については菅野先生、あるいは島田先生、伊藤さん含めてどう考えておられるか、ご意見ございましたらお願いします。
【島田】 最近、大規模な雇用削減計画を発表した某電機メーカーの話ですけれども、1万8,000人という人員の削減を数年で達成するということです。数年間で1万人は自然減耗で処理できる。そして8,000人については希望退職をとる。そうするとほとんどただちにこれが満たされたということなんですね。退職金を2年分ぐらい上乗せすると言うと、4,000万円もらえる人が5,000万円近くもらえるということで、この方々はざっと見て800万円ぐらいの年収なんですけれども、新しい仕事というのはよほど運のいい人じゃないと300万円ぐらいの仕事しか手に入らない。それでもハッピーだと。ハッピーと言うかしようがない。と言いますのは、退職金の上乗せ分を家のローンの返済の残りに充てる。自分の家だからそういうものだろうということなんだそうです。
 菅野先生がおっしゃったように、生木を裂くような解雇はしていないんですね。ただ、この会社、おもしろいことに、「数字はちょっとオーバーに言っていますよ」と最高責任者の方が言っておられました。理由は何かというと、そうしないとムーディーズ(米国の有力格付け会社)が良い評価をくれないということなんですね。ですから、昨今の電機メーカーは大体押しなべてアナリスト向けにちょっとオーバーな数字を言っているんだそうです。
 では、自然減耗ということで、新規採用を抑えているんですかというと、そんなことはない。ただ、それは同時に発表しません。片一方で辞めてくれと言っているのに、片一方で新人をとりますとは言えないじゃないですかということで、500人規模の採用をしているわけですね。ですから、IBMなども実は似たようなことをやっており、現状の日本の法制度の中でぎりぎりの選択をしているわけです。そして、企業のオペレーションは半導体の生産からソフトのほうへ徹底的に動かしている。これは世界の流れですから。そういうグローバル化、技術革新、法制度、与えられた状況の中でぎりぎりの対応をしているのが日本の企業だと。こういう姿が浮かび上がってきます。

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セーフティネットの中身の議論を

【島田】 伊藤さんが先ほど、厚生労働省はセーフティネットを一生懸命やっているとお話しくださいました。私も今般こういう仕事をすることになったものですから、何度も厚生労働省にうかがって、何十時間というヒアリングをさせていただきましたが、まあよくやっておられますよ。残念ながらそのことが世間に通じていないというだけの話で、もう素晴らしくいろんなことをやっておられます。さっきの「しごと情報ネット」もそうですけれども、かつて日本の労働省というのは、世界で最も大規模なコンピューターを中心に置きながら、広域職業紹介をしていたんです。最近はネットになっていますけれども。それは六十いくつの職業紹介団体にリンクして、スタートしたのは先月からですよね。たちどころに20万件の問い合わせがあったと。これは多分世界で一番進んでいるインターネット時代の官民協力広域ネットワークでしょうね。
 では、そういうのはどのぐらい世間で知られているかというと、あまり知られていないんですよね。もっとすごいことをやっていますよ。人の能力開発をモジュール化して、個人の属性に合わせてシステマティックにアドバイスを出せる仕組みが開発されました。いろんなことをやっている。情報提供でも、訓練でも一生懸命やっている。
 労働力調査では330万人失業者ということになっていて、現状はもうちょっと増えています。ただ、今のところ失業保険をもらっている方は110万人ぐらいですよね。そのほかに、失業保険の給付期限の330日が切れた人を、訓練を受ける形でどのぐらい延長できるかというと、ことしは11万人ぐらいの予算で、大体使い切っちゃう。来年度は16万人ぐらいの予算ですね。
 そういうことが世間で言われているセーフティネットと比べてどういう意味を持っているかということですが、ちょっと問題提起したいのは、先ほど私が過去10年間で230万人の仕事が一方で失われて、400万人の仕事が第三次産業で出てきたと言いました。と言うとすごい変化ではないかと皆さん思われるでしょうけれども、確かに産業構造、就業構造から見ると大変化なんですけれども、では、だれがその新しい仕事に入って、だれの仕事が失われていくのかというと、これは年齢がものすごく大きな意味を持つのです。
 年々70~80万人の新規労働力が労働市場に入ってきているわけですよ。ですから、みんな新しく生まれる産業に入っていってくれれば5年間で400万人ぐらいになっちゃう。10年間だともっといっちゃうわけですよ。ですからはっきり言うと、新規労働力だけで増加分の新しい産業を全部こなせてしまうんです。
 では、古いところはどうなのかというと、最近の工事現場を見たらすぐおわかりですけれども、毎年、毎年、現場で働いている方の年齢層が1歳ずつぐらい上がっています。農業もそうです。農業の平均年齢は今65歳を超えました。そうすると、今までと全然違った仕事につかなきゃいけないという人はどのぐらいいるのかと言うと、年間、最大規模でおそらく20~30万人じゃないですかね。多分。
 それについては厚生労働省の職業訓練システムがあるんですけれども、大体全部受け入れられるぐらいのキャパシティーを持っているわけです。それから(失業保険給付の)延長についても、3カ月間ですけれども、さっき申し上げたように16万人の延長をやれますので、大体今のキャパシティーでいける。ですから、セーフティネットはそういう意味では大体足りているんです。ですから「セーフティネットの拡充を」というような議論が新聞に毎日のように出ていますけれども、中身についてはほとんど本格的に新聞の論説で論じられていない。今日は新聞記者の方が何人もいらっしゃいますので、私が声を大にして言いたいのは、「セーフティネットの中身にもう一歩踏み込んでいただきたい」ということです。そして実際の労働市場で仕事を変えなきゃならない人は一体何人ぐらいいるのかということを考えていただきたいと思います。
 例えば、仮に銀行がグレーの債権について償却の準備金を積むということをしたときに何が起きるかです。貸出先については翌月から融資が多分止まりますよね。そうすると血の流れをとめますから、政府が言っているように、100万人ぐらいの仕事が失われる。100万人失われると3分の1はもう高齢者ですから、やめましょうという選択になり、3分の1はどっちみち自力で新しい仕事につき、3分の1が就職できなくて、失業者として残るのではないかと政府は言っています。この中年の人たちのところが残りますと、これは大きな問題です。真っ黒な債権の場合には60万人の仕事が失われ、失業者が残るのは20万人と言っていますけれども、グレーなところまでやりますと、流通や建設、そういうところから割合に中年の働き盛りがアウトになりますから、こういう人たちが30~40万人出てくる。これをどうするかというのは結構大きな問題ですよね。
 それに対して、失業保険制度はどう対応するのかというと、今もらっている人は110万人ですね。既にずっと保険財政は赤字です。これを今労使で賃金の1000分の6ずつ出していて、使用者側はそれに3.5を足しているわけですね。両方合わせて1,000分の15.5出しているわけです。そこに中年の人が30~40万人加わると、例えば労使で1,000分の1ずつぐらい上乗せしないと対応できないとか、そこに数千億円の新しい予算を突っ込まなくてはいけないとか、そういう話が出ますよね。というようなことが問題ですが、ただ、これもその程度の調整でできるはずなんです。ですからセーフティネットというのは割としっかりしているわけですよね。

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重要なのは「明るい構造改革」を信じること

【島田】 問題はそういうところにはないんです。一番大きな問題は、「日本の経済は先行きだめなんだな」と多くの人が思ったとき、セーフティネットはもたないということです。どうしてかというと、人々が「だめだから、車は買わない、家は買わない」、「だめだから投資はしない、倉庫・駐車場はつくらない、生産を減らす」、数千万の人たちがそういう行動をとると、これはけたが違ってきます。さしもの厚生労働省のセーフティネットでも手が届きません。
 今、日本がそうなる可能性があるんですね。つまりこれ全部先行きの話なんですよ。今何が起きているかというと、構造改革で失業が生じているのではないんです。小泉構造改革は、まだ実際には一歩も踏み出していません。ただ、「やりたい。やります」と言っているだけです。竹中(平蔵・経済財政担当)大臣も「骨太の方針」では「目次を出しているだけ」という説明をされました。その次は時間割だというので、「改革工程表」を決めることになった。「中身」よりもむしろ「形から入るんだ」と言っているわけですから、改革は実際には何もやっていません。何もやっていないのに株価が激落しているんですね。そして失業が増えている。この失業の原因の大半はアメリカなんですよ。自動車も電機も何もかもパラダイムが変わりつつありますから、事業の再編をするというのが今出てきているわけです。
 ということで、何もやっていませんよ。不良債権の処理なんて全然やっていませんよ、今のところ。しかし、そういうことになっている。「先行きの日本は悪いんだ」と思ったらだめになりますね。「先行きの日本は、結構おもしろいよ、チャンスがあるよ」ということになれば、そんなものはみんな吸収しちゃう。というところへ来ているんですね。ですから明るい構造改革を信じることが重要だということを申し上げたい。

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解雇ルールの法制化の課題

【菅野】 積極的なリストラと解雇という問題ですが、韓国の法制がこの問題に対応したと私は理解しています。韓国がアジア経済危機の後で、IMFにせっつかれて解雇法制を整備して整理解雇ができるようにするというので、結局、労働基準法の中に日本の判例の4要件に非常に似た、結構厳しい整理解雇の4要件を規定しました。それでも韓国の人々、労働組合等は、整理解雇ができると法律上認めたということで、大変激しい抵抗をしたわけであります。しかし、その4要件では厳しすぎる。特に整理解雇をするには、まず第1条件として「緊急の経営上の必要性があること」が必要とされたのですが、「積極的に企業の合併や分社化などで事業の再構築を図っていく場合に、余剰人員が出るのを整理できるようにしてほしい」という経済界の要請で、その後それを緩めました。そして、経営上の必要性の要件について、「積極的な事業の再構築については緊急の経営上の必要性があるものとみなす」というように改正されました。
 このことはいくつか日本にとっての示唆があるわけで、まず解雇法制をつくる場合、そういう4要件を規定すると、硬直的になって千差万別のケースに対応するのが困難となりうることです。その時々の時代の要請もありますし、それから企業ごとの違いもある。雇用調整の仕方の違いもあります。そのときの経済状況に対応するような、そして、それぞれの業界、市場、労働市場、企業の実情に合った判断ができるように立法できるなら、それがいいということであります。
 現在、日本では4要件と言っていますが、実は個々の下級審段階での整理解雇の判断を見ていくと、かなりのバリエーションをつくっています。積極的なリストラと言う場合、それ自体認めた上で、公正さとして何を経営者に対して要求すべきか。例えば解雇される人について再就職の支援をどのくらいしたのかというようなことを見ていく。そういうバリエーションがいくつか出ておりますので、それをもけしからんという見方もありえますが、私は実際には、裁判の現場で対応されていると言っていいのではないかと思っております。
【花見】 大体、菅野さんが言われた限りでは、賛成です
【島田】 小さい質問ですが、2つのケースが仮にあったとして、ある流通産業グループが全国に支店を、例えば800持っていて、それはブロック別に会社化されていたとします。銀行がチェックをして、地域別のパフォーマンスを見て、例えば「(経営が思わしくないので)東北ブロックかどこかのブロックに引当金を大幅に積み、融資を減額します、あるいはやめます」ということになると、(そのブロックの会社は)立ち行かなくなりますよね。その会社は整理ということになりますよね。そうしたときの対応がどうなるのか。
 別のケースとして、ある単体の建設会社が、銀行が引当を積んで、融資が止まって、立ち行かなくなって終わったというとき。これは経済的条件ですから、そのままストレートに行ってしまうんですよね。
【菅野】 事業が廃止されるんですね。
【島田】 そうですね。だけど、前者の場合は完全に独立していないグループですから、そういうときはどうしたらいいのですか。
【菅野】 それは話すと非常に長くなります。しかし基本的には、その法人格ごとに独立の判断がなされる。ある会社が倒産、あるいは事業廃止をすれば、そこで働いた人はしようがないというのが基本なのですけれども、全く法人格が形骸化していた場合は、親会社のほうに何か責任が起こるかとか、そういう問題が生じるということです。

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「予測可能性」を高めるために

【伊藤】 解雇ルールの問題ですが、私ども行政のほうの受け止め方として、いろんな論議が最近ありますけれども、いわゆる今まで判例が積み上げてきた解雇権濫用の理論、整理解雇の法理にしても、やはり決して硬直的なものではない、ある意味では時代とともに生きている部分があるんだという受け止め方をしています。最近の判例の変化についても菅野先生からお話があったとおりだろうと思います。
 ただ、島田先生が今ご質問なされたように、行政的にも気になりますのは、やはり判例法理ですから、非常に個性のある一つ一つの事例に対する判断を積み重ねてきたので、いざ自分の会社のケースを当てはめたらどうなるんだということの予測可能性というのが非常に低いんですね。そういう意味での戸惑い、そういうことが、いろんな企業がこういう変化する時代に企業経営行動をとっていく際の、いわば抑制材料になってはいけないという意味合いでは(現在の日本の解雇ルールが抑制的という指摘を)ある程度は理解するわけです。
 ただ、こうした判例法では、解雇の問題だけではなくて、解雇要件を緩くすれば、ある程度逆に出向、配転というほうでも長期雇用を前提にした部分が崩れ、今度はあまりむちゃしちゃいかんという方向に行く部分が出てくるのではないかとか、いろんな問題が解雇権理論の問題にはありますので、私もやはり中長期的な課題にならざるをえないと思っています。
 ただ、行政のほうでは、今まで事業所の方にこうした解雇ルールを知っていただくためということで、代表的判例を判例のままパンフレットにして提供しているんですね。これはわかりにくい。もっと類型化したり、一般化したりして、一種のガイダンスと言うか、指針的に使えるように工夫して、行政として予測可能性を高める努力を、まず差し当たりしなくてはいかんのかなと思っております。
【花見】 うかがっていて一番感じたことは、これまでの議論は、法制度もそうですし、我々のこれまでの考え方、政策の立て方も「長期雇用」というものを前提、あるいは中心に考えながら、例えば解雇について今度どうするか、あるいは年齢制限についてどう考えるかというような発想をしてきたのではないかと思われます。私は98年の基準法の改正のときに「セキュリティーからオポチュニティーへ(安定から機会へ)」ということを言ったわけでありますが、解雇の問題よりも、これからの雇用機会の確保・拡大へと発想を大きく転換していく必要があるのではないでしょうか。

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セッションⅡ 労働保護法の再検討はどこまで必要か

【花見】 2番目の問題は従属労働といった基本概念、あるいは労働保護法の基本概念について、我々は考え直していかなければならないということです。単に労働力の流動化、労働市場の流動化だけではなくて、我々の仕事の実態というものが大きく変わりつつあるのではないか。私自身の日常感覚から言いましても、おそらくメール、あるいはインターネットを使わないで仕事をするということが、今日の日本ではあまり考えられなくなりました。主要な産業、特に先進的な産業では第三次産業のみならず、製造業でもそうなってしまったということでありまして、これは10年前までは、考えられなかったことではないかと思います。
 この結果起きたことは、私の表現で言いますと、労働の場のバーチャル化、抽象化ということでありまして、例えばiモードというようなものが労働の場になったわけでございます。ところが、今の基準法を中心とした法制というのは、あくまで工場という労働の場、あるいはオフィスという場を前提にしているわけであります。今は指揮命令というものが抽象化すると同時に、希薄化している。これは労働の実態の革命的な変化ではないかと思っております。
 それにしては、私どもの持っている法制度というのは、基本的に50年前とあまり変わっていないのではないか。これをこの危機的な状況の中で新しい構造改革に対応するように変えていく。菅野先生がおっしゃったように、労働法というものは、現実をフォローしていくものでありまして、実際には現実の変化、現実の改革というものは、労使の当事者がおやりになるものだと思います。それにしても他方で当事者の自主的な変革に対して拘束的なことになっている部分が相当あろうかと思います。契約法制や労働時間法制というようなものについては、そういう部分がかなり残っているのではないか。これをどう考えていったら良いかということを第2ラウンドでおうかがいしたいと思います。

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時代に合わなくなった労働法制

【菅野】 大変大きな問題ですが、産業構造が変わったり、技術革新が進んだり、それから雇用の仕組みそのものも大きく修正ないし変化していますし、それから何と言っても多様化が進んでいます。働き方も、働く人々の価値観、行動等々の多様化、雇用形態の多様化が進んでいて、労働法制というのが時代に合わなくなってきているんじゃないか。基本的に言えばそういうことだと思います。
 近年、特に1985年以降、我々は「立法の時代」と言っているわけですが、労働立法の制定、改正のラッシュがありまして、近年でも労働基準法は2回、大改正されました。男女雇用機会均等法も改正されましたし、職安法と派遣法の大改正、それから会社分割法制の労働関係部分とか、今年は「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」ができたわけで、そういう意味で労働法がどんどん変わっていることは確かです。変わっていながら、しかしそれでも、根本的には変わっていないのではないか、根本的にもっと変えなくてはいけないのではないかという問題が起こっているということかと思います。雇用の仕組みもそうだと思いますが、法律というのは常にその利害調整の結果として過去との連続で変わっていくものですから、根本的に変えるような革命というのは難しい。まず敗戦後にあったような労働法体系の再編は、非常に珍しいということも反映しているかと思います。
 ただし、今日の状況の特色を端的に言うと、従来は考えられなかったような問いかけがなされるようになりました。例えば、年齢差別禁止法を制定すべきかということで、募集、採用における年齢制限(の禁止)が雇用対策法の改正で努力義務として規定されましたが、さらに定年制も含めたような年齢差別禁止というのが、議論の課題として挙げられるようになりました。あるいはパートと正社員の均等待遇原則、これも長期雇用システムのもとで、正社員と非正社員の格差というのは、それなりに社会的に日本型のシステムの一貫として長い間容認されてきたんだと思いますが、こういうのにも問いかけが行われるようになりました。それから、労働組合の組織率の低下などとも関連して、従業員代表法制とか、紛争解決制度を抜本的に再構築すべきではないかということで、この次の第3セッションのほうのテーマなどが出てきています。
 そういう中で基準法制も労働保護法制も今まで手直しを重ねてきましたが、もっと根本的に考える必要が生じているのではないでしょうか。それは契約の期間の規制とか、労働時間の規制などであります。そもそも労働法制の適用対象者を画している労働者という概念そのものも各国では見直されつつあります。『コンパラティブ・レーバー・ロー・ジャーナル』という労働関係の国際的な雑誌がありますが、3号くらい前に労働者概念の特集をやっていまして、花見先生が言われたような、労働態様の変化の中でどう見直すべきかという論文が掲載されています。
 法の中身においても、労働基準法1つをとっても、やっぱり働き方の変化、雇用形態の多様化などに対応した、あるいは知的なプロフェッショナルな労働の増加や指揮命令の希薄化に対応した法制度の内容の検討が必要となっております。その一番が、ホワイトカラーや、プロフェッショナルの人たち、それからマネジメントをする人たちの労働時間法制だろうと思います。
 それからもう1つは、我が国では労働契約法制というのが実はないのです。取締法規としての労働基準法制があるわけですが、労働契約関係の民事的なルールを体系的に定めた法律がありません。解雇のルールなどというのは、その最も中心的なものです。ただし最近では、雇用機会均等法や育児介護休業法のように労働関係についての罰則なしの強行法規ないし請求権付与法規が出現してきておりまして、さらに最近の会社分割に関する労働契約承継法は、民事法としての労働契約法のごく部分的な姿なわけであります。労働契約法が断片的に立法され始めたとも言えます。
 ただ、私は例えば労働時間法制を検討するにしても、非常に時期が悪いという感じがいたしております。今企業は人員削減を進めており、かつて石油危機後に減量経営というのが行われ、人員よりもたくさんの仕事があって、恒常的な残業が行われた時代がありましたが、それに似たような状況にあるのではないでしょうか。こういう中で例えば労働時間の法制を自由化するというようなことについて、労働者側からの危惧の念というのは、どうしても生じざるをえないわけです。しかし、今後の大きな検討課題であることは確かだと思っております。

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画一的規制からの転換

【伊藤】 まず、セッション2で問題が指摘されております契約法制なり、労働時間法制の関係ですが、労働基準法を中心とした法制になるわけです。労働基準法についてはご案内のように、週40時間労働制という大きい課題を達成しました後、女子保護規定の解消とか、その後、契約期間の上限の一部延長、あるいは労働条件、解雇理由の明示とか、企画業務型についての裁量労働制の導入といった一連の改正を行ってきています。
 この中にはもちろん労働条件の明示、解雇理由の明示というふうに、将来、労働契約法制的な側面を考えていくことにつながっていく可能性を秘めた改正もあるわけですけれども、最大の特徴は今まで労働基準法というものが同じ場所で一斉に同じ仕事をすることを前提に規制を行っていくことを旨としていた中で、いわば個人個人の事情を重視していくと言いますか、一律、画一的な規制ではなくて、それぞれの事情を考慮した規制をしていくタイプのものがそこにいくつか、部分的ですが、入ってきたことにあるんではないかと思うんですね。
 その代表的なものが、例えば女子保護規定の解消でして、女子保護規定を解消する一方、育児や介護といった個別の事情を抱えておられる方については、必要なら本人が深夜業とか、ある程度の時間外労働の免除を請求することによって、そういう形から外れていくという、いわば画一規制から本人の事情にかなり重きを置いた形に変わってきている。例えば企画業務型の裁量労働制についても非定型的な業務をこなすホワイトカラーですから、本人の同意を前提にして通常の労働時間規制を外して、むしろ自律的に働いてもらう。みずからが問題を発見して解決していくという、いわば創造的な労働をしやすい形に持っていく。こういうものが基準法体系の中に入り込んできているわけですね。
 ただ、これらいずれも、正直、賛否両論ある中で、労使で相当な調整と妥協を重ねながら、ようやくそこまで進展してきた事柄ですから、ある意味では「ここまで」と思っていた面がそこまで行っていないというものが相当含まれていることも事実だと思います。そういう議論がなされた経済社会の背景を考えますと、これから構造改革なり、そういうものが進展していく中で一層変化の度合は大きくなっていく可能性もあるわけです。そういうことを視野に置けば、提起されていたいろんな問題で、「ここまでは」というものがまだそこまで行っていないとか、新たな要素があれば、常に検討のまな板に乗っけていこうという姿勢は、非常に大事なんだろうと思っております。
 労働基準法というのは、大変不器用な法律でして、すべて罰則付きなんです。労働基準というものにのっとった労働契約を結ぶ、その契約で働いている中では具体的に出向、配転、あるいは移籍もある。いろんな企業の組織の再編統合等を契約で働いている中で具体的に展開していく。そして終了を迎える。その中には労働基準という側面だけではなくて、いわゆる契約法制的な側面が、こういう時代になると、かなりいろんな意味で問題になってくる事象が増えていることも事実なんですね。そういうものを全部労働基準法という罰則付きの中で処理しきれるかと言われると、大変つらいものを持っている。そういう性格の法律です。いわば労働契約の契約法制的側面に光を当てた法体系、法整備というものが、時間がかかるとは思いますけれども、そういう検討自体はそろそろ射程圏に入れなくてはいけない時代背景が出てきたのかなという気持ちは持っております。ただ、これもなかなか難物で、労使含めて、もちろん各界各層の英知を集めていかないといけない課題だろうと思っております。
 それから、労働者性の問題ですけれども、労働者性の判断というのは、非常に難しい側面があるんですが、いわば労働行政の出発点でもあるんで、労働者性の判断基準をつくること、そういう整備にはかなり力を入れてきているわけです。ただ最近えてして、建設業分野の手間請け労働者のように雇用関係が不明確になりがちという労働者が、そういう問題に限らず、非常に範囲を広げてきている。SOHOとか、テレワークと言われるような委託形式で働く人、企業とかなり密接な経済関係は持ちながらも、雇用という形式によらずに企業の業務の一部を担う人。そういう人の中には、ある意味では企業と対等の交渉力を持ち、かなりプロフェッショナルな知識や技能を武器にして働く人もいる。社会福祉施設やボランティア組織を見ると、実際、雇用類似の働き方というのはあるわけですね。当事者を見ると、意識の面でも、今まで中心にされてきた支配従属関係という意識はほとんどない。非常にそういうものが弱い働き方もある。それが広がってきていることは事実ですね。
 どういう人たちがいて、その人たちがどういう保護を求めているかというのは、これだけ広がると本当によくわからないところがあります。そういう面の実態把握について、日本労働研究機構でもそうした契約労働やテレワークの実態など研究されている方がいらっしゃいます。そういう方の材料も本当に活用しなくてはいけないと思いますし、さらに突っ込んだ調査等もそろそろ考えなくてはいけない段階にきているのかなという感を持っております。

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労働契約を基本に据えた法体系の整備を

【島田】 両先生のコメントでこの問題も大体尽きちゃったと思うんですけれども、ちょっと蛇足を付けさせていただきたいんですが。
 労働基準法は罰則規定の厳しい法律だという伊藤さんのご指摘ですけれども、もとを正せば、これは工場法からきているわけですよね。工場法というのは、どこの国でも経済発展の中期的段階に、大変な努力とコストを払ってつくった法体系です。資本主義経済が発展していく過程では、余剰労働力があるという状況の中で、景気がちょっと下方局面になったときには、果てしなく賃金が下がる、あるいは果てしなく労働時間が延びるという性質を持っているわけですね。どこかで歯止めをかけないと、労働者が疲弊しちゃうということで、工場法というのはできて、戦後の世界各国では大体労働基準法が整備されてきたわけです。
 そこで日本の経済のことを考えますと、終戦直後から急速な発展、工業化をしたわけですね。アメリカという大きな市場に工業製品を売り込むという形で資源が総動員された時代が数十年続いたわけですから、その現状を前提にして大規模な製造業を中心とする職場のあり方、そこでの労働者の働き方ということから見て、この現状の労働基準法はほとんど何の矛盾もなかったんだろうと思います。しかし、当時はサービス業の比重なんていうのは非常に少なかった。終戦直後は農業労働者が半分ですからね。そして、製造業が急速に伸びていくという経済構造だったわけですけれども、この20年ぐらい急速に製造業の生産性が高まり、雇用吸収が少なくなって、もちろん第一次産業は非常に少なくなり、第三次産業が雇用構造の半分を超えました。今6割ぐらいになっていますけれども、あと10年もすると7割になるんでしょうね。
 ですから、サービス業が2割、3割しか占めなかった時代、製造業が就業者の半分を占めていた時代を前提にして構築されている法体系にいろんなところで矛盾が出てきているのは当然のことだと思うんです。それに向けて今両先生がご指摘のように、さまざまな工夫が今行われているんだろうと思うんですね。両先生がおっしゃったように、労働契約というものを基本に置いて、個人の労働者と仕事との関係を労働契約と自由意思で決定する。「労働契約」というところに基本を置いて、全体系を整備し直すときに今来ているのかなという感じがいたします。
 矛盾はもうあまりにも明らかで、先ほどSOHOの話も請負の話も出ましたけれども、自営業者、フリーター、短時間労働者、いろんな方々がいるわけですね。日本の失業者は今340万人くらいいますけれども、これは労働力統計ですよね。失業保険統計だと110万人にしか失業保険を渡していない。あとの230万人はどうしているんですかということですけれども、失業保険をもらえるまでに3カ月待てという人が何人かいるとは思いますが、きちんとした形で自営業主の保険に入っていない人たちが拾われていないということもあるでしょうし、フリーターがほとんど拾われていない。それから短時間の女子労働者が拾われていないですよね。
 果たしてそういうことでいいのか。失業者が340~350万人いると言って、110万人が保険をもらっていて、二百数十万人の人がもらっていないという実態をどう考えるのか。あるいは、税金の問題、年金の問題をどう考えるのか。こう考えると男女共同参画だ何だと言いながら、大変な矛盾があるんですね。
 ですから、基礎研究をしなくてはいけませんけれども、基礎研究でゆっくり法体系を考え直しているほどの余裕はおそらくない。しかし、法体系というのは、非常に重要な問題で、基本ルールですから、1度つくったら来年変えるというわけにも多分いかないんで、よく研究してつくらなくてはいけないんだけれども、なかなか大変です。矛盾がもう大きすぎますよ。
 経済の流れから言いましても、私はよく「ストック型の労働からフロー型の労働へ」と言っております。一昔前はアメリカに追いつくためにアメリカの技術を導入して大規模生産することが生産性を上げるということだったんですけれども、20年ぐらい前からもうアメリカより給料が高くなっていますので、そういう姿がうまく合わなくて、資本設備もリースでやる時代になりましたが、労働もリースでやる時代になってきている。もちろんストック型の雇用のほうがいいという方もたくさんいますけれども、実はリース型のほうがいいという人もいるわけですね。
 例えば家庭の主婦は、家庭の論理が優先しますから、余っている力で就業したいということですと、ある会社に一生没入するわけにはいきません。これは当然短期、短時間の組み合わせのモザイク型労働がいいに決まっているわけで、中高齢者にもそういう問題がありますよ。そうしますと、だんだんそっち(フロー型)の比重が大きくなってくる。そういうことを考えても、矛盾が出てくるのですから、個人の自覚を主体に置いた労働契約を整備する必要があるでしょう。
 しかし、果たして個人ってそんなに強いものかというと、非常に高い技術を持った人は企業と対等にやれるでしょうけれども、弱い個人が「自覚で労働契約を」と言われても、多分なかなか難しい問題が出ますよね。
 そうすると、基準法の場合にはひとまとめにして、集団労働で保護したんですけれども、個人の場合は一体どうするのか。現状でもフリーターなどはそういう保護も何もなく、自覚もなくてフラフラしているという事態にどんどん移っている。そこら辺のところをどうするか。いつも私は解決のための提案をするタイプの人間なんですが、これはちょっと難しいですね。ほとんど解決がないですね。がんばってくださいと言う以外ない。

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重要なのは改革のタイミング

【花見】 一言だけこの第2ラウンドについて蛇足でちょっと申します。菅野先生は「改革は必要なんだけれども、今は非常に時期が悪いよ」とおっしゃって、これは私、全く賛成でございます。しかし私がこれまで労働行政に間接的ながら関与してきた経験から申しますと、いつの時代にも改革は痛みを伴い、抵抗があるわけでありまして、審議会制度の中でも、改革をやっていくのは、いつでも時期が悪いんじゃないかということで、今まで引き延ばされてきたのではないか。私は(98年まで中基審の会長を務めていて)、今では責任がなくなりましたから勝手なことが言えるわけでありますが、私自身の反省も込めて申しますと、今度、規制改革の中で指摘をされております契約法制の問題、労働時間法制の問題、裁量労働法制の問題、これらはすべて、98年の改正のときにもっと大胆な改革をやっておけば時代遅れにならずに済んだのではないかと思います。先ほどIBMと日本の電機産業のリストラの話をされたわけですが、島田先生がおっしゃっているとおり、やっていることはそう変わらないわけですね。しかし、重要なのはやっぱりタイミングなのではないかと感じてお話をうかがっておりました。

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身分から契約へ

【花見】 それから、もう1つ、島田先生が「契約中心でやっていくべきだ」とおっしゃっていましたが、これは法律の立場から言うと、「そんなことを言ったって、(今でも労働契約は)契約なんだよ」という話でありますが、実は島田先生が言っておられるのは、大変重要な指摘であります。100年ちょっと前に我々法律学者はだれでも知っている「フロム・ステータス・ツー・コントラクト(身分から契約へ)」という古代・中世法から近代法への変化をそういうふうに表現したメーン(Maine,Henry James Sumner)という有名な法制史家がいました。彼の言葉から言うと、近代法というのは、すべて身分から契約に転換をしたはずなんですが、どうも日本の労使関係、これは労使関係だけには限らないんですけれども、日本の契約関係というものは、本当の意味での契約になっていない。これまで特に雇用においては長期雇用における身分保障ということを中心に我々は考えてきて、これが日本の労使関係の成功、あるいは経済の成功の要因であると言ってきたわけですが、実はこのことが今日の時点においては、非常に大きな桎梏になっているのではないか。
 そういう意味で島田先生の「契約で考えていこう」という指摘は重要です。ただし、我々がこれまで議論してきましたように、契約であるということについては非常な痛みを伴うわけであります。セーフティネットを考えながら、ソフトランディングさせることが必要だと思います。しかしソフトランディングしている時間があるかどうかという問題もありまして、我々は議論しながら、英知を傾けていかなければなりません。

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セッションⅢ 労使関係個別化に伴い労使関係制度の根本的見直しが必要か

【花見】 今までのお話で、島田先生は労使関係に限らず、日本の産業全体の中に自助精神が欠如しているというようなことを言われました。これは非常に大切だと思います。実は第3番目のテーマの個別的労使関係、それから労使関係そのものについて、今まで議論してきた労働政策もそうですが、労使間で問題を自主的に解決する精神が不十分である。諸外国に比べて日本の労使関係の最大の問題はそこにあるのではないか。特にその場合、先ほどから議論していただいているような意味での労働形態の変化、労働市場の変化の中で、労働組合の役割というものを労使関係の中で考え直していかなければならないのではないかと思います。
 個別労使紛争の問題は、10月1日の第3回フォーラムでまた議論し直しますので、詳しい話はそこでまたやっていただきたいと思いますが、そういう問題を含めて3人の方に時間の許す限りご発言をお願いしたいと思います。

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司法制度改革と個別紛争処理制度の創設

【伊藤】 セッション3の司法制度改革の流れ、個別紛争処理制度に絡んでですが、後ほどこうしたフォーラムを予定されているようですので、簡単に申し上げたいと思います。
 厚生労働省はこの10月1日から全国の労働関係の出先機関で、いわば雇用、労働問題全般についてワンストップ・サービス、そういう体制による相談体制をつくり上げていくことと合わせまして、いわば個々の労働者と事業主の間の労働関係のトラブルについて労働局長が助言指導し、それで解決を促進していくということをさらに発展させて労働局に紛争調整委員会をつくり、最終的にあっせんということまで含めて解決の促進を図っていく形をスタートさせます(図参照)新しいウィンドウ
 これには前身がありまして、先ほども出ていました労働基準法の改正の際、そういった助言指導までして解決促進を援助していこうという制度が、98年から入っているわけです。ここ1年間の数字を眺めてみましたら、そうしたことを前提にして窓口に来るのが大体年間5万件近くあるんですね。そのうち実際、労働局長の助言指導で解決するというころまで発展していくのはかなり絞り込まれます。そういう状況を受けて、さらに雇用労働問題全般について次のような体制を整備しました。
 労働局を中心として行うこうした紛争処理制度の性格を簡単に申し上げておきます。これは本来なら、企業内、職場内で解決されていく、あるいは労働組合等があって、集団労使関係の中で、いわば苦情処理システムがあり、そこで解決されていくはずのものも含めて、働く人の身近なところで、かなり日常的なトラブルを迅速に解決してあげるという制度です。ですから、今日トラブルで悩んでいる働く人がいれば、1週間で解決してあげる。長くても1カ月かけないという基本姿勢で運用されなくてはいけない性格の、非常に日常的な個別紛争の解決促進制度であろうと思っております。
 司法制度改革審議会が労働調停制度の導入などADRと呼ばれている裁判外の紛争処理手続きについて、将来そういう分野の充実についての提言を出しております。そうしたADR等と労働局の紛争処理制度が併存していることは望ましい。こうした日常的な紛争処理制度が要らなくなるのは、労使関係があまねくあって、集団的労使関係の中で日常的なトラブルについて紛争解決のシステムを内包しているときです。そのようになれば要らなくなるかもしれませんが、日常的な紛争処理制度としては、かなり成果を上げるんじゃないかと期待しているわけです。もしADRのほうが充実されていけば、この制度にとってはありがたいことで、そういうものが後ろに控えていると、解決が早まることにもつながりますし、ADRのほうで集積される事例が活用されていくという姿になるだろうと思います。そういう位置づけで考えております。

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日常的な労使協議の場が必要

【伊藤】 それから、もう1つ問題提起のありました組織率の低下と労働者の意見を代表する機能の問題ですけれども、これはよく言われることですが、日本の経済がここまで発展して、安定した社会を展開してこられたということも、やはりそこに良好な労使関係があったからです。それから、ナショナルセンターを含めて、労働組合が社会的パートナーの一員としてうまく機能してきた。そうしたことが背景にあることは疑いの余地がないだろうと思います。これからの構造改革が産業社会、経済社会はもちろん、雇用労働という面でも深いかかわりを持って展開されていくわけですから、こうした良好な労使関係とか、また労働組合もそうしたものを受け止めて社会的パートナーの一員として、建設的な役割を果たしていくということが、どうしても不可欠だろうと思います。そうしたことは今後も我が国の貴重な財産として維持されていかなくてはならないだろうと思っています。
 ただ、労働組合の組織率低下等がこうした役割に陰りをもたらしていくことになると、あまりいい形にはなりません。むしろ、いろんな変化を遂げていくためには、マイナスの働きをしかねないと思っておりまして、連合が目下取り組んでいる地域中小企業での組織づくりとか、クラフトユニオンの組織づくりとか、いろんな努力を一緒に期待して見守らせていただいております。
 労働者ヴォイスの代表組織について新たに施行するかという投げかけもあります。これからいろんな構造改革の展開、そして産業構造、働き方の変化が出てくる。そうしたものが、個々の職場にいろんな形で問題を投げかけていくんだろうと思いますね。そういう個々の職場で投げかけられた問題をそれが労働組合員の問題であれ、非労働組合員の問題であれ、あるいは労働組合のあるなしにかかわらず、また団体交渉は団体交渉事項として、とにかく日常的に、建設的に労使が協議していく場が必要です。
 企画業務型裁量労働制の議論のときに労使委員会というようなものを一生懸命つくって仕込んだんですけれども、ああいうものが、個々の職場で現れてくる雇用労働問題について、日常的に、建設的に話し合っていく場としてうまく工夫されていくといいなという理想論は持っております。そうしたことがあれば、組合のない中小企業等でも働く人の意見を集約して、それで協議するということがいかに効率的なことであるか、また前向きの良い結果を生むかということを知っていくきっかけになるんではないかという期待も込めて、これからの連合その他の活躍に期待をさせていただいているところでございます。

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労使が将来を見据えた議論を

【菅野】 第2セッションと関連させて申し上げますと、今の第3セッションの問題も時代の変化に合わせて労働法制をいかに変えるかという問題ですが、時期が悪いと言ったのは、労使が将来を見据えた議論をしてほしいということでもあります。現在は非常に経済の状況が悪い、雇用、失業情勢も悪い、職場でも非常に働き方がきついというような状況になっているわけです。しかし、その状況がいつまでも続くわけではないので、島田先生の言うように明るい自信を持った見通しというものが必要であり、将来において日本経済が回復したような場合、雇用の仕組みというのはかなり変わっているだろう。それに応じて、労働法制というのも変えていく。現在も相当に変わってきていて、それに合わせるということもありますが、そういう議論をしてほしいということでもあるわけです。
 あと、島田先生が労働契約法制を基本に据えた労働法制にしてほしいというか、すべきではないかと言われました。それは適切な問題提起だと思います。契約法制を基本に据えた労働法制で何が重要になるかと言うと、紛争解決システムなのです。基準法制であれば行政機関が取り締まりを行い、それによって守らせるというわけですが、契約のルールであれば、その遵守を担う基本は裁判所です。ただし、裁判所にすべての紛争を持ち込むわけにはいかないので、裁判所以前において裁判に代わる紛争の相談及び解決の仕組みを整える必要がある。しかし、それですべて紛争が解決するわけではないので、裁判所においても労働関係の紛争に合った仕組みを、つまりは簡易、迅速に職場、産業の実情に合った解決が図れるような仕組みをつくる必要があります。
 こういう課題が生じてきていて、裁判に代わる公的な紛争解決の仕組みとしては、いち早く厚生労働省が対応して、「個別労働関係の紛争の解決の促進に関する法律」でその仕組みをつくり上げてくれました。今後の課題は裁判のほうに移るわけでして、司法制度改革の全体的な流れの中で労働関係についてもその仕組みが検討されていく状況だと言ってよかろうかと思います。
 第3セッションのテーマである労使関係の個別化というところから、労働者、働く人たちの職場での声をどのように代表していくのかという問題も生じているわけです。これはもちろん組合にがんばってほしいという話でもあるわけです。法制度的に言うと、日本の労働組合法では、非常に労働組合の結成が簡単なのです。もちろん、経営者側の抵抗はありますが、法制度的に言えば、組合の結成要件は非常に簡単で、しかも交渉権の取得も非常に簡単になっているわけでありまして、アメリカの排他的交渉代表制のような要件もありません。そういう法制度ですので、必要があれば、労働者、働く人たちはもっと組合をつくってもいいじゃないかという感じもあるわけです。逆にそれとは別に、従業員代表制というのを法律制度としてつくってうまくいくかということもあります。
 正社員を基盤とした企業別の労働組合運動というのは縮小していかざるをえない面があるわけでして、やっぱり組合として、今、伊藤さんも言われたように、それ以外の運動を進めていただきたいと私も思います。
 もう1つ法制度的に言うと、伊藤さんも言われたように、基準法や今度の会社分割の法制でもそうですが、過半数代表組合、あるいは過半数代表者の権限というのがどんどん増えてきているわけです。ですから、企業としては労働者の過半数を代表する各事業場の労働者の機関があったほうが便利ですし、それが必要だという状況が進んでいくのではないかという気がいたします。その面での法制度的な対応は、まだ全く不十分であって、統一的な制度化が進んでいない感がありますので、その面での対応が必要かなと思っております。

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開かれた法曹資格・養成制度への改革案

【島田】 2つの問題がここに提起されているんですが、1つは司法改革ですけれども、私も司法改革は数年前からエコノミストの観点から強い興味がありまして、いろんな論文なども書いたりして、司法制度改革審議会でも第1回目ヒアリングでお話ししました。その関心はどういうことなのかと言うと、日本の司法制度というのは、明治20年代に最高裁判所を中心にした非常に精緻な、多分当時は世界の諸国の中で最も精緻に構築された司法制度をつくったものなんですね。
 つくったんですけれども、本当に機能してきたのかというと、素人がそういうことを言っては恐縮なんですけれども、これにかかわったのは大変偉い先生方ばかりで、日本で一番難しい試験に通った人たちが構成しているからすごいんですけれども、はっきり言って、ほとんど仕事ができなかった。あまりに偉いんで座敷牢に入っていたんじゃないかという感じがしているんですね。
 なぜそういうことになっているかと言うと、明治初年の不平等条約を取っ払うために、日本も先進国だということを示すために、精緻なものをつくったんですけれども、実はいつの間にか役所がすべてを仕切って、司法の機能を非常に矮小化してしまうという歴史を何十年か続けてきているんですね。すなわち、いわゆる消極司法です。しかし、皆さんプロですから精密司法ですけれども、消極的で、例えば1票の重さだとか、憲法問題だとかというのには、かなり腰が引けていますよね。政治に対しても行政に対しても腰が引けている状況できた。ただ偉い人たちだったことは認めますけれども。それが日本の司法だったのではないかと思います。
 日本では一般の庶民にとって法律というのは遠いんですね。何かトラブルがあると、「弁護士を立てるぞ」という言い方をする。それで裁判になれば、「とうとう裁判ざたになったか」と言われる。「ざた」という言葉がつくのは、例えば「刃傷ざた」ですよね。刺すか殺すか。裁判というのはそういうことかと言うと、冗談じゃないんで、あらゆることは裁判から始めるべきなんです。裁判で冒頭陳述して事実関係を明らかにして、それからじっくりと判断していくべきなんで、何事もまず裁判に持ち込むのがいいんですね。近代司法制度というのはそういうふうにつくられているんです。
 ところがそうなっていなかったわけですね。それはなぜかと言うと役所が強いのと、もう1つは庶民の間で「裁判ざたか、恥だ」ということになるからです。いろんな方々がおられて、村長もいれば、おばあちゃんもいれば、そういう人たちの判断で、なあなあでまとまる。和をもって尊しとするエートス(気風)があったわけですね。家族制度があり、企業制度があり、いろいろあった。ということで、それなりの予定調和でやってきた。
 ところが、この10年ぐらいで崩れちゃったんですね。経済システムを機能させる最後のアンカーが崩れた。基本的に言うと官僚機構、もっと基本的に言うと大蔵省ですね。これが崩れて、金融問題を処理できなくなった。そこには必然的な理由があった。日本が閉鎖国家なら大蔵省は依然として強いんですけれども、いまや世界にオープンですから、結局コントロールするのは無理なんですね。ですから、必然的に崩れました。
 そうするとだれがシステム全体の面倒を見るのかというと、面倒を見られないんですね。だから今大混乱ですよ。経済関係でやっている若い弁護士さんは、ゲーテの「もっと光を」じゃないですけれども、「もっと弁護士を」とでも言えるほどで、若い弁護士さんの中では仕事のしすぎで現に死亡する人が出ているぐらいですからね。そういう大混乱。つまり役所が仕切ってくれないならだれが世の中を仕切るのか。これは司法制度に決まっているわけですよ。
 それから今度は家族のエートスというのが消えた。家計が個計化していますからね。日本には4,400万家計があるんですけれども、1,000万家計が一人者です。もう20年すると5,000万家計、そのうち1,600万家計が一人者になると言われている。そうするとおばあちゃんや親戚の出番でもない。会社でもそうですよ。会社はみんな機能的集団になっちゃって、企業一家なんてだれも今信じていませんから。そういうエートスがみんなもうない。
 そうすると、みんな何に頼るのか。今までの司法というのは民事と刑事、要するに離婚と詐欺と「切った張った」でしょう。ところがこれから出てくるのは、経済問題や環境問題、権利問題、後見人など、もうものすごく多いんですよ。だから「一家に一人弁護士」と。これからはホームローヤーというのがいなければだめなんです。今いわゆる弁護士さんその他法曹というのが何人いるかというと、2万1,000人しかいない。2万1,000人というのは何をやっているんだと言うと、裁判に参加できる人だけが法曹だと言うんですよ。区役所の人はどうなんだ。会社の法務の人はどうなんだ。税理士さんはどうなんだ。みんな法律を担当していますよ。こういうのは身分が低いんだと。冗談言うなと。この人たちの数を数えると20万人になるわけですよ。この人たちがいなかったら、近代国家は成り立たない。
 ところがやっぱり、法曹三者というのは偉いんですね。これは検事、裁判官、弁護士です。2万1,000人しかいないんですから。みずから矮小化しているから座敷牢なんだと私は思って、これを20万人ぐらい正々堂々たるローヤーという名前でやったらどうか。ただ初級ローヤー、中級ローヤー、上級ローヤーというふうに分けて、機能も分けて、切った張ったの、離婚騒ぎだけじゃなく、民事、刑事だけじゃなく、経済法や行政法など4つぐらいの分野に広げて、そこそこの学識のある人はみんなリーガルな資格を持っているというような国にしたらどうか。そうでなかったら、司法参加だ、参審制度だと言うけれど、適切には機能しないでしょう。
 というようなことを最初の司法制度改革審議会で述べたら、委員の皆さんは驚かれていました。ところが今、結局、ロースクールをつくることや、法曹一元で弁護士が裁判官になれる司法にすることを検討している。弁護士をやっている人はなかなか裁判官になんかなりたくない。収入が激減しますからね。ですから、「何をやっているんだ」という感じになりそうですけれども、それはこれまでの話で、いよいよ国会にかかって本格的に議論するんですから、やっぱり20万人ぐらい、今実際にリーガル(法律)をやっている人たちを正当なリーガル職種として認めて、そのうちの偉い一部を弁護士その他にして、やがて50万人、100万人、200万人ぐらいの人がとにかくリーガル・エデュケーションを受けてそれなりのことができるようにする。役所がつぶれて家族制度のエートスが消えた社会ではこれをやる以外にない。そういう中でのサブセットとしての労使関係だろうと思うんですね。

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労働組合はエージェントの役割を

【島田】 労使関係の労働法というのは、基本的にはアメリカの全米労使関係法をコピーしたわけですけれども、本家本元の判断が変わってしまい、日本でも理想主義みたいなことを言っていたわけですけれども、そのうちに日本の大企業の中ではあんな法律と関係なく、労使関係でなあなあのエートスで立派なものができたわけです。これが戦後日本の経済成長を支えたのかもしれない。ですから、アメリカの法律をモデルにした日本の労働法制度というのは、大企業の枠外でごちゃごちゃやっていた。ところが状況は変わりました。
 もう1つ、やっぱり官が強かったのは、日本の戦後労働組合の公的部門が大きかったからですよね。公共企業体その他もろもろ。だから官の影響があって、民間のほうは大体なあなあでやっていた。だからリーガルな話というのはあまり表に出てこなかった。やっぱり座敷牢だったと思うんです。ところがこれからはものすごく出ますよ。
 つまり会社がばらばらに分割されていく。グローバルな力に追いまくられる。そういう中で個別労働者の問題がどんどん出てくる。集団的労働関係というのはむしろ少数派になるときが来る。そうしたらどうするんですかということで、裁判にそれを全部持っていくわけにはいかないですから、ADRということも伊藤さんがおっしゃったわけですが、これは大問題になりますよね。つまりあらゆるコンフリクトは事実関係を明らかにして、粛々と処理していく。解雇にしても契約にしても予測可能性であることができるような法基盤、システムをつくって、ADRも整備しなくてはならない。まだ委員会の答申が出ただけで、これから国会ですから、関係者の皆様におかれましてはどんどんがんばって、所期の本当にいい制度をつくっていただきたいとお願いしたいと思います。
 それから、もう1つは労働組合ですけれども、労働組合の組織率がどんどん減っているというのは日本だけではないんです。基本的には何かと言うと、労働組合というのはもともと集団的な労働関係で工場の中で働いていた人たちが手を結んでやるということですよね。アメリカなんかは非常に明らかになっていて、職員は労働組合に入っていない。日本は工職一体ですから、企業別組合でやってきた。ところがやっぱりこれは製造業中心なんですね。サービス業がどんどん出てくると、やっぱりなじまない。基本的にいろんな労働形態だし、契約形態だし、個別労働ですからなじまない。そこへ持ってきて、日本の労働組合の問題点は、大企業の労働者だけで組織されている。下請は組織されていないわけですよ。サービス業においても全然やられていないですよね。
 ですから、私は、今度は1つの解決策を出します。私の解決の方向というのはやっぱり個別労働関係、個人がベースになります。つまり一人一人の勤労者というものが労働者としての権利を認められて、それをバックアップする団体があるという姿です。先ほど、「個人の契約関係だけ重視したら、弱い個人はどうするのか。その解はありません」と言いましたけれども、これをバックアップするものがなければだめです。情報を提供する、その人たちの利害調整を代理してやってあげるエージェントがなければだめですよ。だから労働組合は、そのエージェントの役割を果たすべきなんですね。おそらくこれから6割、7割が正規労働者じゃない人、長時間労働じゃない人、短期で雇用形態が流動的で請負的な関係の人となります。この人たちを労働組合は組織できなかったら、労働組合の存在意義なんかないですよ。
 では、「どうやってこれを組織するんだ」ということですが、メンバーシップ制なんだから、メンバーシップフィーを取ればいいじゃないですか。そして、取ったフィーに応じたサービスを提供すればいい。ICカードの時代なんだからクレジットカードみたいなものをつくればいい。ドイツではやっていますけれども、組合に属していると、あらゆるものが低利で手に入る、旅行もできる、教育もできる、家も建つ。とにかく組合に入ることはメリットなんだということを実は近代工業化時代、みんなやっていたわけですよ。ジョン・R・コモンズの歴史の分析を見ても、「組合を組織していれば賃金が高くなる」というのが100年前の姿です。今は賃金なんかが高くなったってしようがない。家のローンの問題が解決できなきゃ。だから、組合に入っていたら、教育や旅行、医療などについて、「組合に入っていない人よりもメリットがありますよ」というクレジットカードメンバーシップみたいになればいいんですよ。その一部として長期労働者も入っているという姿になればいい。
 これが基本的に落ち着く方向だと思います。個人は弱いです。弱いけれども、組合がそういうクレジットカードでナレッジやビジネス、ライブリフッド(生活に役立つもの)を提供するということで、弱い労働者も情報化時代ですから、組合メンバーシップによって守られる。1時間労働だろうが、3時間労働だろうが、50時間労働だろうが、みんなそれなりにメンバーシップに応じて守られるというコンセプトをつくるべきではないでしょうか。

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労働組合の変化に期待

【花見】 島田先生のお話では、紛争処理の問題はステータスからコントラクトへという発想とつながります。コントラクトというのはインディビデュアル・コントラクトなんで、紛争処理は究極的には権利義務の関係として裁判所で処理すべきであるということです。これは伊藤さん、菅野さんのお話ともつながるわけですけれども、法的紛争権利義務に関する問題の解決は、究極的には裁判所ですが、やっぱりその前に労使による自主的な解決があるというのが基本であります。我が国ではステータスに基づいて、つまり長期雇用を前提とした労使の関係の中で、極めてインフォーマルな紛争処理がうまくいってきたというのが、ごく最近までの実情であります。
 国際的に比較して争議の数も少ないし、公的な紛争処理、裁判所の労働事件も数が少なかったわけですが、これがワーク(機能)しなくなって、個別紛争が解決できない、既存の解決機関で処理できない問題の処理を地方労働局でこの10月から新しく国の制度としてやらざるをえないわけです。私は、これはやっぱり次善の策であろうと考えます。この問題の解決は、これまで紛争処理を企業内で非常にうまくやってきた労働組合が新しいタイプの労働力をいかに組織し、紛争処理できるように脱皮していくかにかかっている。もしそうでなければ、労働組合は滅亡するであろうと思うわけであります。
 デンマークの労働省がやったプロジェクトのリポートで『フロム・コレクティブ・バーゲニング・ツー・ソーシャル・パートナーシップ』という本が出ております。ここで言うソーシャル・パートナーシップとは、従来ドイツ流の使用者団体と労働組合というソーシャル・パートナーということではなくて、もう少しステークホルダーが多様化しておりまして、NGOやNPOが例えば地域の失業問題を解決するなど労働組合だけが当事者ではない、そういう多様な労使関係というものがヨーロッパでは展開をしております。
 それから、もう1つはスウェーデンの労働組合に見られるように、パート、派遣などの労働者、臨時労働者ももちろんそうですけれども、100%近く組織をするという労働組合のあり方です。これは単に組織の政策ということだけではなくて、私は労働組合運動のスピリチュアルな側面が非常に大切なのではないかと思うわけです。法制度によって、日本の労働組合がこういった今まで組織されていない労働者を代表するように工夫する必要があります。今日は申し上げませんけれども、私はそれについて、かなりラディカルなアイデアを持っております。そういうことと同時に、労働組合自体が変化をすることが望まれるわけであります。労働政策としては、それをどのようにお手伝いするかということを考えていかねばなりません。

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質疑応答

【質問】 島田先生の3つの構造改革のお話を非常に興味深くうかがったんですが、あえてマクロの経済政策のことにお触れにならなかった理由は何かなということをずっと疑問に思いながらうかがっていたんです。財政政策はもう効き目がないとか、金融政策をやれと言って日銀がやったけれども、さっぱり効果が出ないとか、学者の中でも野口悠紀雄さんみたいに、構造変化の時代だから、財政金融はだめだという考えもありますし、リチャード・クーさんのようにあと2~3年景気を維持すれば何とかなるという説も片方にあるわけですが、島田先生ご自身はお差し支えなければマクロの財政金融政策と、今お話になった雇用政策とのかかわりについてどんなふうにお考えかお聞かせください。

【島田】 これはまた、もう1つセッションを設けないといけないような大きなテーマです。一言だけ肝心なことを申し上げますと、財政政策が効かないですよね。金融政策がどうなのかということで、本当にわずか残されたぎりぎりのところです。財政政策でリチャード・クーさんみたいにもうちょっとという言い方はあるんですが、よくナイフエッジと言われますけれども、確かにそれができればいいけれども、ちょっと出すぎますと、国際社会の、日本の国債に対する評価が、多分すぐ変わるだろうと金融関係者はみんな見ているわけですね。だから非常に危ないところへ来ている。ほとんど(財政金融政策の)余地がないんじゃないかということなんですね。
 そういうマクロの財政金融の中で1つやれるとしたら、借り手はいないんですけれども、金融の効果で為替レートを使い、マネーサプライを無理して増やす形です。国際金融市場を通じて為替レートが下がることが仮にあるとすれば、理論的には下がると思われますけれども、下がらないほかの要因もあるんですが、下がるとすれば、少しデフレが止まって、デフレが止まれば不良債権の自己増殖も止まります。今非常に恐いのは、どんなに銀行が無理して自分の利益をつぎ込んで不良債権を償却しても、片一方で気がつくと資産の価値が資産デフレで収縮していますので、自動的に不良債権が増えてしまうんですね。ですから新しい不良債権がどんどん今出ています。それを止めるのはもうデフレを止める以外にないんですけれども、マクロのケインズ的な処方の中ではデフレを止める方法がちょっと見えないんですね。唯一期待されるのは金融政策の為替を通じての変化なのかなと。為替が下がりますと、物価がそれなりに上がるはずですから、下がっている物価に上がっているのをぶっかければ、デフレが少し弱まるだろうという期待ぐらいですね。
 ですから実はものすごく難しいところに来ちゃっています。そこで、私はさっきから明るい構造改革と意識的に言っているんで、時間があればもっとマクロのことを申し上げたかったんですけれども、世間の理解があまり明るい構造改革のほうにないものですから、意図的にそれを言っています。補助金さえなくせば、世界最大の貯蓄が解ける可能性がある。日本のように、何千万もの人たちが働いて働いて、世界最大の貯蓄を持ちながら、住宅は売ったらただになるとか、子育てしようと思ったら仕事が続けられないとか、高齢になったときにどこに行けばわからないとか、こんなばかな国はないんですよ。これでは過去30年間、生活者を幸せにしようという発想の政策がなかったとすら言わざるをえないんだろうと思いますね。この知的停滞を止めるためには、とりあえず補助金をゼロにして、みんな自分で持っている資源を使う。
 最後に1つ申し上げますけれども、皆さんご存じですか。全国に2万4,000の小学校がありますけれども、教室が11万教室空いている。全国の地方自治体にもやたらに空いた土地がある。それが民間の活動に一切使えないというのはご存じですか。どういうことかと言うと、公有財産と、普通財産というのが分けてあります。公的目的のために小学校をつくるということで、公有財産として国民の資金がつぎ込まれる。それを別の、例えば保育所に使う、老人ケアに使うと言うと、これを普通財産に転換しなければいけない。けれども、普通財産に転換すると文部科学省から財務省に所有が移りますので、文部科学省は譲らない。
 地方自治体だったら、市長の判断でできます。ただ市長の判断で公有財産を普通財産に移すと何が起きるかというと、もう減価償却が終わっている建物なのにそれまでにつぎ込まれた公的資金を全部返せと言われるんです。そんなお金が市にあるわけがないですから、地方債を発行して払おうとすると、「普通財産を根拠にして地方債は発行できない」と地方自治法に書いてある。だからできない。じゃ新しく保育所をつくる、ケアハウスをつくるのにはどうすれば良いのか。これは全部国民の新しい税金で賄わねばならない。
 こうしたことはもともと憲法89条が障害になっているのです。憲法89条というのは宗教団体や公の支配に属さない団体の教育と福祉事業において公金を使ってはならないと書いてあるんです。おそらくマッカーサーが靖国神社のことを心配して書いたんだろうと言われています。これが民間団体に福祉をさせない理由です。だから公の支配に属する私というのを無理してつくった。それが社会福祉法人なんです。社会福祉法人は一見「私」の顔をしていますけれども、国に土地を提供するという意味で公の支配に属するわけですが、高率の補助金が出る。それがやがて利権組織になったわけですね。だからこの分野には民間企業がほとんど入れない。しかし、関係者の大変な努力で、先月ようやくPFI法 を使って、ケアハウスをつくるものについてだけ、本当は一般に貸すべきなんですけれども、公有財産を普通財産扱いにしていいという細い糸がつながったんです。
 それをもとにして私は「1万軒つくれ」と言っている。ところが厚生労働省の方々は「それは困難だ」と言っているんですね。なぜかと言うと、多額の補助金を出す社会福祉法人をパートナーとして長年やってきたからでしょう。
 日本というのは豊かな資源のある国なんですよ。それをそういうばかげた仕組みで使わせないというだけの話なんです。金融政策でも、速水日銀総裁を批判してもあまり生産的ではない。総裁は「お金は出すだけ出している」と言っておられる。むしろ借りる人がいないと言っておられる。それは確かに正論です。為替レートをどうするかという議論は承知しています。しかしそれは意図的に動かせるものではない。むしろ最も本質的な問題は、補助金頼りの人たちを何万人とつくったこの国家の構造を変えて、「自分の力で空いている土地を使ってやるんだ」というようなシンプルなことをすればいいだけの話なのです。

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注釈1 530万人の雇用創出

 政府の経済財政諮問会議の「サービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会」(会長・牛尾治朗ウシオ電気会長)は2001年5月11日に緊急報告(巻末に参考資料として掲載)を発表し、雇用拡大余地の大きいサービス産業部門で構造改革を進めれば、5年後に約530万人の雇用を創出できるとの見通しを示した。それによると、健康支援産業などの「個人向け・家庭向けサービス」で約195万人、情報サービス産業や人材派遣業などの「企業・自治体向けサービス」で約90万人、「中古住宅関連サービス」と「医療サービス」でそれぞれ約55万人、「高齢者ケアサービス」で約50万人などの増加を想定している。この「530万人雇用創出プラン」は、政府が同年6月26日に閣議決定した「今後の経済政策運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針、経済財政諮問会議が答申したもの)に組み込まれた。島田教授は同専門調査会の会長代理。


注釈2 連合と日経連の雇用創出プラン

 連合は2001~2003年度(2年間)の政策課題として、介護・福祉や教育、環境保全などの分野を中心に140万人以上の新たな雇用創出を提案している。一方、日経連は政府の「530万人雇用創出プラン」の実施にあたって、サービス産業5分野(住宅、情報通信、環境、医療福祉、労働者派遣・アウトソーシング)を中心に雇用創出をはかるべきだと主張している。
 


注釈3 解雇ルール

 日本では民法上、使用者は従業員を自由に解雇できることになっている(民法627条)。労働基準法でも第19条で一定の解雇制限(産前産後休業中、労災休業中の解雇制限など)を設け、第20条で解雇予告期間を定めているにとどまる。裁判所は、失業が労働者の生活に与える重大性に配慮し、経営者の解雇権の行使が「客観的に合理性を欠き社会通念上相当として是認することができない」場合、権利の濫用として無効になるという判例を確立してきた。これが「解雇権濫用法理」と呼ばれる。
 特に、企業側が整理解雇(企業が経営危機を打開するため従業員を削減すること)を行うことは、長期雇用を前提とする日本企業では最後の方法であり、裁判所もその適否について厳しい条件をつけている。具体的には、①人員削減の必要性がある(必要性)、②配転、出向、一時帰休、早期退職者の募集など解雇を回避するための努力を行った(回避義務の履行)、③被解雇者の選定が妥当(被解雇者選定の合理性)、④労使間で事前協議するなどの手続きをとった(説明協議等手続遂行)、という4つの要件(整理解雇の4要件)を満たさなければならないとされている(解題参照)。
 


注釈4 従属労働

 近代市民社会では、雇用契約の一方の当事者である労働者は、労働契約の下で使用者の指揮命令に従って、自己の労働力を提供し、その見返りに生活の糧(賃金)を得る。したがって、使用者が優越的地位に立ちやすく(労働者の従属制)、そのような観点から、労働者保護的な労働法制が構築された。
 


注釈5「研修医の問題」

 急性心筋梗塞で死亡した関西医大病院の研修医の両親が、「研修医は労働者ではない」として月6万円の奨学金しか支給せず、共済制度の加入手続きも取らなかった同医大に損害賠償などを請求した裁判で、大阪地裁堺支部は2001年8月29日、「研修医が労働者に該当することは明らかで、共済制度の未加入は違法」として、同医大に賠償金などの支払いを命じる判決を出した。研修医を労働者と認定した司法判断はこれが初めて。医師免許を取得した者は通常2年間、臨床能力を養うために大学病院等で研修医として経験を積む。病院側は研修医を実際には労働力として活用しているにもかかわらず、彼らを労働者と認めずあいまいな身分にしておき、法定基準に満たない劣悪な労働条件で働かせているという批判がある。
 


注釈6「1998年の労働基準法改正」

 主な改正内容は、①労働契約期間の上限延長(注20参照)、②企業の中枢部門で企画、立案等を行うホワイトカラー労働者について、新たな裁量労働制を導入(注29参照)、③時間外労働の上限基準を設定、④女性労働者の時間外労働を規制していた女子保護規定の解消(注28参照)に伴う「激変緩和措置」の導入、⑤労働契約締結時に労働時間などの労働条件を文書で明示、⑥退職する労働者から請求があった場合、退職事由を付した退職証明書を公布、など。
 


注釈7「中央労働基準審議会」

 労働大臣の諮問に応じて、労働基準法などの施行及び改正に関する事項などを審議し、また、労働条件の基準に関して関係行政官庁に建議することを目的に設置されていた。2001年1月の省庁再編後は「労働政策審議会」に統合され、賃金、労働時間関係の案件は同審議会の労働条件分科会で扱われることになった。

 


注釈8 契約法制

 通常の契約は、自由で対等な当事者間の合意(「契約自由の原則」)や、故意または過失によって他に損害を与えた場合に限り、その賠償責任を負う(「過失責任主義」)ことなどを原則に、市民法(民法、刑法)による規制を受けている。雇用契約についても契約の一形態として民法第2章 契約 第8節 雇用(第623条~第631条)による規制がある。しかしながら、使用者が優越的地位に立ちやすい(労働者の従属性)ことから、劣悪な労働条件の契約を形成しやすい。市民法におけるこれらの問題に対処するため、各種の労働法が制定され、労働契約が規制されている。この中で労働基準法第14条による労働契約の期間の定めの上限規制が問題となっている。
 


注釈9「裁量労働」

 実際に働いた時間数にかかわらず定められた労働時間を働いたとみなす制度。1987年の労基法改正で一律の労働時間規制を見直し、研究開発や情報処理など業務の性質上、その業務遂行方法や労働時間の配分を労働者の裁量に委ねるのが適当な一定の専門労働者を対象に、裁量労働制が導入された。さらに98年の労基法改正で、企画、立案、調査に携わるホワイトカラーに労使委員会の合意などを条件として、裁量労働制を導入した(注29参照)。
 


注釈10 労使関係のステークホルダー

 ステークホルダー(stakeholder)とは、利害関係のある当事者のことを言う。労使関係は、従来、労働者と使用者の関係(個別的労働関係)、労働組合と使用者または使用者団体との関係(集団的労使関係)を主としていたが、雇用形態の多様化に伴い、独立自営業者、請負業者など関係者が多岐にわたり、今までの枠組みの見直しが必要となってきた。
 


注釈11「地方交付税の問題」

 地方交付税は全国どこでも一定の行政サービスを受けられるよう、地方自治体間の財源の均衡化をはかる目的で設けられている。所得税、法人税、酒税、消費税、たばこ税の一定割合を財源とし、各地方自治体に配分される仕組みになっている。小泉内閣は財政構造改革の中で、国と地方の財政の健全化をはかり地方の自律性を高めるためとして、地方交付税の見直し(削減)を検討項目にあげている。
 


注釈12「第三次産業」

 産業を第一次(農業・林業・牧畜・狩猟・水産業)、第二次(鉱業・製造業・建設業・ガス電気供給業)、第三次(卸売・小売業・飲食店・金融業・保険業・不動産業・運輸通信業・サービス業・公務)に分けている。経済発展に伴い、第一次産業から第三次産業に労働力人口が移動するとされる。
 


注釈13「ケアハウス1万カ所建設」

 ケアハウスとは「介護利用型」の軽費老人ホーム(家庭、住宅事情等により居宅での生活が困難な高齢者を対象とした低額料金の老人福祉施設)のこと。全室個室で、食事や入浴などの簡単な介護サービスを提供。高齢者が車椅子やホームヘルパーを利用して、自立した生活が送れるよう工夫されている。
 (当時、産業・雇用問題のアドバイザーとして内閣府特命顧問に就任予定だった島田教授からの提言を受けて、)政府は2001年9月、公設民営方式のケアハウスを全国に1万カ所建設する計画の検討に入った。これによりケアハウス不足を解消するとともに、新たに雇用創出をはかろうとしている。この構想では、施設運営に関する規制を緩和することよって建設・管理費を圧縮し、政府からの補助金に頼らず入居者の利用料だけで建設費を償却できる仕組みを検討。従来の補助金依存型のケアハウスと区別して、「安心ハウス」と名付けて全国に展開したい考え。
 


注釈14「特別養護老人ホーム(特養)」

 寝たきりや痴呆症など心身に著しい障害があり、常時介護が必要で、居宅での介護が困難な高齢者向けの介護施設。
 


注釈15「老人保健施設(老健)」

 入院治療の必要はないが、リハビリ、看護、介護を中心とした医療ケアを必要とする高齢者を対象にした保健医療施設。高齢者の家庭復帰、生活支援に重点を置いている。
 


注釈16 電機メーカーの大規模な雇用削減

 東芝や富士通、日立製作所など国内の大手電機メーカー各社が2001年7~8月、相次いで数千~1万人を超える規模の大幅な人員削減を含むリストラ計画を発表した。
 


注釈17「ITの効率化で雇用が生まれる」

 ITによる効率化はひとりあたりの生産性を向上させることを通じて雇用を削減する効果を持つ。その一方で、技術やシステムを利用することにより効率化すれば、安価で質が高く、多様できめ細かいサービスを提供できるようになるため、いろいろな分野で新たな雇用の需要が生まれる(ここでは子育てやケア、教育、医療などの分野を例示)。
 


注釈18「マッチング機能」

 労働者の技能・技術の形成には時間がかかり、またその地域的移動については一定の制約がある。このため、産業構造が急激に転換する時期には、企業の求める人材(需要)と求職者の希望(供給)とが一致しないケース(ミスマッチ)が生じる。政策的には、職業再訓練、職業紹介、雇用開発などの機能を充実させることにより一致(マッチング)を図ることが考えられる。
 


注釈19「日本型の雇用調整」

 雇用調整とは、企業が不況などで雇用量を削減することを言う。具体的な方法としては、残業規制、休日の増加、パート等の削減、中途採用の停止、配転、出向、一時帰休、定年退職者の不補充、新規採用の停止、希望退職募集、解雇など多様な方法がとられる。長期雇用を前提とするわが国の企業は、残業規制など労働時間数で調整を行い、希望退職や解雇など労働者数での調整は最後の手段とする場合が多い。
 


注釈20「有期労働契約の期間制限」

 労働基準法では、期間の定めのある労働契約を結ぶ場合、契約期間の上限を1年に限定していた。しかし、1998年の同法改正により、①新商品や新技術の開発などの業務に従事する高度の専門知識を持つ者、②新規事業の展開などプロジェクト業務に従事する高度の専門知識を持つ者、③60歳以上の高齢者、を新たに雇う場合に限って上限が3年に延長された。さらに、政府の経済財政諮問会議は2001年9月に「改革先行プログラム」を発表し、こうした有期労働契約の対象となる労働者の範囲の拡大と、契約期間の上限を3年から5年へと延長することについて、調査・検討を行うよう厚生労働省に指示した。
 


注釈21「年齢制限の問題」

 雇用失業情勢の深刻化に伴い、募集・採用における年齢制限の存在が中高年の再就職を阻んでいるとして問題となった。日本労働研究機構「求人の年齢制限に関する実態調査」(1999年)によると、求人に年齢の上限を設けている企業の割合は90%で、上限年齢の平均は41歳。
 政府は2001年10月、改正雇用対策法を施行し、中高年の再就職を促進するため、「募集・採用に当たっては、年齢にかかわりなく均等な機会を与えるよう事業主は努めなければならない」とする規定を設け、募集・採用における年齢制限の緩和に向けた努力を企業に義務づけた。ただし、「例外的に年齢制限が認められる場合」を指針で列挙。「新規学卒者等特定の年齢層の労働者を対象とする場合」、「定年年齢との関係から雇用期間が短期に限定される場合」、「既に働いている他の労働者の賃金額に変更を生じさせることになる就業規則の変更を要する場合」など10項目を挙げている。
 


注釈22「アウトソーシング」

 コンピュータ関連業務、福利厚生、生産などを外部に委託すること。
 


注釈23「しごと情報ネット」

 インターネットを活用した官民連携の求人情報提供システム。利用者はインターネットの端末から、民間職業紹介事業者、民間求人情報提供事業者、経済団体、公共職業安定所等に集まった求人情報を一括して検索することができる。2001年8月からサービスを開始。ホームページアドレスは http://www.job-net.jp/ 
 


注釈24「能力開発のモジュール化」

 職業能力を技能の内容(幅)と水準の視点から単位要素(モジュール)に区分し、体系化するとともに、そのモジュール化された職業能力を開発するためのプログラムに関連づけて、能力開発の段階的、累増的な高度化をめざすもの。理論的には、離職者の場合、再就職に求められる職業能力のうち不足するモジュールの部分の能力開発を重点的に行えば良いこととなる。
 


注釈25「出向、配転で長期雇用を前提にした部分が崩れる」

 出向とは、企業間の協定に基づいて、出向元の企業の従業員としての身分を保持したまま、関連会社や子会社などに異動すること。配転(配置転換)は、同一企業内で労働者の勤務地や職務内容を長期間にわたって変更すること。
 長期雇用慣行のもとでは、企業は従業員の雇用を維持する義務があると考えられるため、解雇について厳しい規制が判例によって確立している一方で、企業が長期雇用システムを維持するために行う従業員の配置に関しては企業側に広い人事権を認めている。例えば、特別な事情がない限り、従業員は企業の配転命令を拒否できない(業務上の必要がない場合などは権利の濫用とされ、配転命令等が無効になるケースもある)。企業が従業員を解雇しやすくするとなると、こうした長期雇用慣行を前提にした配置に関する人事権などついての法制度での考え方も見直しを迫られる。
 


注釈26「従業員代表法制」

 従業員が選挙などの方法により代表を選出し、その代表が従業員の意見、利害を使用者と協議する制度を「従業員代表制」という。わが国では法律で定められていないが、産業別労働組合が主流であるヨーロッパでは設置が定められている国が多い。わが国でも、労働組合の組織率の低下や労働基準法などで労働者の過半数代表の決議を必要とする規定の増加(注42参照)に伴い、制度化が議論されている。
 


注釈27「労働契約承継法」

 会社の分割に伴う労働契約の承継等に関する法律。商法等の改正による会社分割制度の創設とセットで2001年4月に施行された。会社分割に伴う労働契約の承継について、労働者保護の観点からルールを規定。①労働者及び労働組合への通知、②労働契約の承継についての商法等の特例、③労働協約の承継についての商法等の特例、④会社分割にあたっての労働者の理解と協力を得る手続、について定めている。
 


注釈28「女子保護規定の解消」

 労働基準法では女性労働者の時間外・休日労働、深夜業について、年間150時間までとする「女子保護規定」を設けて規制していたが、雇用の分野における男女の均等な取り扱いと女性の職域拡大を図る観点から、この規定は1999年4月に解消された。ただし、育児・家族介護等の家族的責任を有する女性労働者のうち希望者については、保護規定の解消に伴う「激変緩和措置」として3年間、通常の労働者よりも低い水準の時間外労働の限度(年間150時間)を設定。さらに、「ポスト激変緩和措置」として、育児や介護を行う労働者は男女を問わず、一定以上の時間外労働の免除を請求できる制度の検討を行うこととした(育児・介護を行う男女労働者が一定以上の時間外労働の免除を請求できる措置については、2002年4月施行の改正育児介護休業法に盛り込まれた)。
 


注釈29「企画業務型の裁量労働制」

 1998年の労基法改正で創設された新たな裁量労働制(労働時間管理を労働者本人の自主性にゆだねる制度)。87年に制定された専門業務型の裁量労働制とは、導入するための手続等が異なる。対象となるのは、企業の本社等の中枢部門で企画、立案等を行う業務で、その業務の性質上、仕事の段取りなどを大幅に労働者の裁量に委ねる必要がある業務に就く労働者。制度を導入するには、①労使委員会を組織する、②対象となる業務や労働者の具体的な範囲、働き過ぎの防止や健康確保のための措置などについて、労使委員会の委員全員の合意による決議を行う、③対象となる労働者本人から同意を得る、といった手続きを踏まなければならない。2000年4月に施行された。
 


注釈30「手間請け」

 ここで問題としているのは、手間請け労働者のうち、工事の種類等により、総労働量及び総報酬の予定額が決められ、労務提供の対価として実績に応じた割合で報酬が支払われるといった建設業における労務提供方式で働く者。
 


注釈31「工場法」

 産業革命前後の英国で、劣悪な労働条件から工場労働者を保護するために作られた。わが国でも1911年に制定され、女子・年少労働者の保護、労働災害扶助などを定めた。戦後、労働基準法の制定に伴い廃止された。
 


注釈32「フリーター」

 フリーアルバイター。定職に就かず、パートやアルバイトで生活する若者のことを言い、約151万人を数える(平成12年版労働白書)。日本労働研究機構の調査によると、フリーターには、見通しを持たずにフリーターとなった「モラトリアム型」、バンドやケーキ職人など自分の技能で身を立てる職業を志してフリーターになった「夢追求型」、正規雇用や就学をめざしていたり、本人や家族の病気などの理由でやむを得ずフリーターになった「やむを得ず型」がある。
 


注釈33「身分から契約へ(From status to contract)」

 英国の法学者メーンが著書『古代法』(1861年)の中で、人々が身分的に拘束されていた前近代社会から、個人の自由な同意のもとで形成される契約に基づく近代社会への進化について表現した言葉。
 


注釈34「個別労使紛争の問題」

 近年、成果主義の導入など企業の人事労務管理の個別化、雇用形態の多様化や労働組合の組織率低下などを背景に、労働組合と使用者間の「集団的」労使紛争に代わり、労働者個人と使用者間の個別労使紛争が増加している。集団的労使紛争を解決する仕組みとしては労働委員会制度があるが、個別労使紛争を専門に扱う特別の機関は設けられていない。紛争解決の手段として裁判で争う方法もあるが、多くの時間と費用がかかるといった問題がある。このため、個別労使紛争を簡易・迅速・低廉に解決するための制度づくりが求められてきた。
 政府は2001年10月、「個別労使紛争の解決の促進に関する法律」を施行。都道府県の労働局を中心に個別労使紛争の未然防止と迅速な解決を支援するサービスを開始した。主な内容は、①各都道府県労働局の出先機関として「総合労働支援コーナー」の設置、②都道府県労働局長による助言・指導、③紛争調整委員会によるあっせん、など。
 


注釈35「司法制度改革」

 政府の司法制度改革審議会(注37参照)は2001年6月、今後の司法制度のあり方を示す最終意見書を小泉首相に提出した。労働関係事件への対応に関しては、①労働関係訴訟事件の審理期間を半減することを目標に、民事裁判の充実・迅速化に関する方策、法曹の専門性を強化するための方策の実施、②雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する労働調停の導入、③労働委員会の救済命令に対する司法審査のあり方、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否、労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否について、早急に検討を開始、などを提言している。意見書を受けて、政府は内閣に「司法制度改革準備室」を設置。その後、改革の基本方針などを盛り込んだ司法制度改革推進法が2001年11月に成立した。
 


注釈36「苦情処理システム」

 労働者個人の苦情(不平、不満など)を、使用者と労働組合で設置する委員会等で解決する仕組み。わが国では約25%の企業で設置されているが、委員会にかかる前にインフォーマルに解決されることもあり、利用率は低いと言われている。
 


注釈37「司法制度改革審議会」

 国民が利用しやすい司法制度の実現、法曹のあり方と機能の充実など司法制度改革に関する基本的施策について調査、審議することを目的として、内閣に設けられた。
 


注釈38「ADR(Alternative Dispute Resolution)」

 裁判外の紛争解決手段。司法制度改革審議会の最終意見書は、個別労使紛争の増加に対応するためには、「訴訟手続に限らず、簡易・迅速・柔軟な解決が可能なA.D.R.も含め、労働関係事件の適正・迅速な処理のための方策を総合的に検討する必要がある」と指摘した。そして、労働関係事件のA.D.R.として、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を持つ人が関与する「労働調停」の導入を提言している。
 


注釈39「労働組合の組織率低下」

 厚生労働省「労働組合基礎調査」によると、2001年6月時点の労組組織率(雇用者数に占める組合員数の割合)は前年から0.8ポイント低下して20.7%だった。労組組織率は戦後の最も高かった時期には55.8%に達していたが、1976年以降は下がり続けている。この背景として、パートや派遣社員などの非正規従業員や労働組合のない第三次産業で働く労働者の増加に労組の組織化が追いついていないことなどがあげられる。
 


注釈40「クラフトユニオン」

 職種別労働組合。産業や企業の枠を超えて労働者の職種別に組織された労働組合。初期の労働組合によく見られる形態だったが、その後、同一産業に属する労働者が集まった産業別労働組合などが生まれた。我が国の労働組合は、会社ごとに組織された企業別労働組合が主流。
 


注釈41「排他的交渉代表制」

 米国では、労働組合が使用者と団体交渉をするためには、職場、企業など一定の交渉単位内労働者の過半数の支持が必要であり、この代表権限を得た組合が単位内の交渉権限を獲得する制度(排他的交渉代表制)となっている。
 


注釈42「過半数組合、あるいは過半数代表者の権限が増えている」

 労働者の過半数を組織する労働組合(過半数組合)、または労働者の過半数を代表する者(過半数代表者)を一方の当事者とする従業員代表制のことを過半数代表制と言う。日本における過半数代表制の代表例として、時間外・休日労働について定めた労基法36条があり、過半数組合か、そのような組合がない場合は過半数代表者と書面による協定を行い、行政官庁に届け出ることで、時間外・休日労働をさせることができるとされている(いわゆる三六協定)。
 近年、労組の組織率が低下するなかで、過半数代表制を労使間コミュニケーションの手段として定める例が増えている。例えば、98年の労基法改正で導入された企画業務型裁量労働制では、過半数組合か過半数代表者の指名する者が労働側委員として労使委員会に参加し、その労使委員会が裁量労働の対象労働者の範囲や業務内容、健康管理策などを決議することを規定している(注29参照)。また、2001年4月からの会社分割制度の実施に伴い施行された労働契約承継法では、会社側が会社分割について労働者の理解と協力を得るための方法として、過半数組合がない場合、過半数代表と協議などを行うことをあげている。
 


注釈43「ジョン・R・コモンズ」

 米国の経済学者(1862~1945)。制度学派の代表者の一人。ウィスコンシン州政府の労働、公益事業、経済などに関する政策の策定に関与し、全米の模範となる公益事業法、失業補償法等を立案した。
 


注釈44「PFI法」

 PFI(Private Finance Initiative)とは道路や橋の建設といった社会資本の整備・運営に民間の資金や経営手法を導入する政策のことで、90年代初めに英国で行政改革の一環として導入された。日本でも99年にPFI法(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)が制定された。