2007年6月の図書紹介(2007年4月受け入れ図書)

1.大沢真理著『現代日本の生活保障システム』岩波書店(viii+251頁,B6判)

 現在の福祉国家は新しい社会的リスクに対応できず、社会参加等が困難な社会的排除が頻出、従来の社会保障が機能不全に陥り、生活を脅かしているという。格差の拡大、ワーキングプア・生活保護世帯の拡大が、このような実体に対する現象であるとすれば、著者が主張するように「生活の協同」の再建が必要であろう。

2.二木立著『介護保険制度の総合的研究』勁草書房(viii+304頁,A5判)

 本書は、批判的な介護保険制度史である。厚生労働省の非公式文書等にも基づく政策研究の書であると同時に、著者自身も実態調査を実施、政策研究と実態調査の統合の書となっている。高齢化が進行し続ける日本社会にとって、これまでの経緯を批判的に分析し、介護保険制度の将来像を描くことは喫緊の課題である。

3.谷内篤博著『働く意味とキャリア形成』勁草書房(viii+189+x頁,B6判)

 知命の坂を越えると、「働くことの意味」など考えるのは気恥ずかしくなるが、著者は多くの著書を参照、キャリア発達・設計論からその意味を明らかにしようとする。哲学的・倫理学的労働観から、一歩現実味をおびた労働観研究といえる。生活の充実のためには、その枢要な部分を占める労働の充実こそが重要である。

4.金谷信子著『福祉のパプリック・プライベート・パートナーシップ』日本評論社(xi+288頁,A5判)

 NPOの数的隆盛は著しいが、内実はどうであろうか。予算・マンパワー不足が特に懸念されるが、非営利法人の本質も客観的に見つめ直す必要がある。本書は米国との比較に基づき、日本の政府と民間セクターのパートナーシップのあるべき姿を明らかにしようとしている。NPOの一層の発展には不可欠な作業である。

5.一條和生他著『シャドーワーク』東洋経済新報社(254頁,A5判)

 企業における目に見えないワークスタイルであるシャドーワークは、自分の創造性をフルに発揮できる側面を持ち、イノベーションを支えているという。多くの優良企業分析から、その特徴を析出しているが、シャドーワークを存分に含む企業が世界を制するとすれば、世界企業はますますシャドー化していくのだろうか。

6.島田晴雄他著『少子化克服への最終処方箋』ダイヤモンド社(xxii+247頁,B6判)

 少子化対策は、政府、企業、地域、個人をまきこんだ政策課題である。小泉内閣で少子化問題に深く関わった著者2人は、国際比較研究も踏まえ、斬新であると同時に具体的・現実的な対策を提案している。しかし、世界情勢を鑑みれば、少子化対策よりも、出生力の減退を前提とした対策こそが必要なのではないだろうか。

  1. 内田樹著『下流志向』講談社(231頁,B6判)
  2. 水谷英夫著『職場のいじめ』信山社(xiii+237頁,B6判)
  3. 井村圭壯他著『日本社会福祉史』勁草書房(vii+164頁,A5判)
  4. 冨江直子著『救貧のなかの日本近代』ミネルヴァ書房(v+295+19頁,A5判)
  5. 橋本宏子著『戦後保育所づくり運動史』ひとなる書房(327頁,A5判)
  6. 辻村宏和著『組織のトラブル発生図式』成文堂(2+3+219頁,A5判)
  7. 小峰隆夫他編『人口減少社会の人づくり』日本経済評論社(xiii+334頁,B6判)
  8. 青木紀他編著『現代の貧困と不平等』明石書店(327頁,B6判)
  9. 田中幾太郎著『本日より「時間外・退職金」なし』光文社(251頁,B6判)
  10. 設楽清嗣他著『ユニオン力で勝つ』旬報社(173頁,B6判)

今月の耳より情報

 人はそれぞれ、自分にあった情報処理技術を身につけているものである。古くは京大式カード、数年前に一世を風靡した超整理法、最近ではRSSを利用したブログ情報の自動収集などである。時代を経るごとに技術は進歩するが、人の情報処理能力がそれに呼応して伸長するわけではないので、情報が自動的に収集できても利用されずに無駄になることが多い。また、多量の情報から有用な情報を抽出するのも並大抵な力業ではかなわない。より多くアクセスされる情報から順番に表示されるとしても、多く閲覧された情報がより貴重な情報とは限らない。最後は、利用者の識見に依存することになる。しかし、時間の節約は、IT活用により容易になった。現場に行かなくとも、また専門家に聞かなくとも情報収集は可能である。そこで、当館は現在提供している文献関係のデータベースの横断的検索を模索するつもりである。これまで図書、報告書、雑誌・紀要論文をそれぞれ検索して必要な情報を収集していたが、例えば、「ワーキングプア」という言葉で関連する図書も報告書もさらに論文も同時に検索できたら、大いなる時間の節約となろう。このような試みが実を結ぶかわからないので、最後に筆者の技能的な情報処理方法を披露しておきたい。それは、左手でマウスを操作するというものである。多くの人は右利きであるので、メモをとるときはマウスから手を離さないといけない。訓練すればそれほど困難ではないので、マウスを動かしながらインターネット上の情報をメモすることによって、若干ながら時間の節約に貢献できるであろう。

図書館長のつぶやき

 先月もつぶやいたが、最近の出版物のいいかげんさには目に余るものがある。思い出すまま例をあげると、今をときめく経済学者を社会学者と断定したり、大阪市大の労働法の大家を当機構の研究員と間違えたり、バブルは90年代後半にはじけたと述懐したり、と枚挙にいとまがない。引用文献の孫引きは当然、タイトを間違えることも日常茶飯事である(なお、例示した前者2点については、老婆心ながら編集部に電話して指摘した。余計なお世話と思われたかもしれないが、放置はできない。はたして再版で訂正されるだろうか)。これだけ情報入手が容易になったのだから、確認するのはちょっとの手間である。不確かな情報なら確認すべきである。その手間を惜しんでどうしようというのだろうか。ワープロの変換ミスも多い。「にもかかわらず」は「関わらず」ではなく「拘らず」である。また、広辞苑も認めるようになってしまったが、「なかみ」は中身であり、中味ではない。これでは「なかあじ」である。中味を「なかみ」と読ませるのは湯桶読みである。天下の岩波書店が「中味」を認めたとしても、小子は「中身」を貫きたい。このように言葉に対する注意力が薄れてきたのは、世の中が忙しくなると同時に、情報量の急激な拡大により、些細だと思われたことは、読み飛ばされる傾向が強くなったからではないか。心血を注いだものしか文化は蓄積されず、一時的に消費されるだけである。後世から、平成時代は文化の不毛期と呼ばれるのではないか、と心配をするのは、身のほどもわきまえない、まさしく杞憂にすぎないが・・・。