パネルディスカッション:第47回労働政策フォーラム
若者問題への接近:自立への経路の今日的あり方をさぐる
(2010年7月3日)

パネリスト:
藤田晃之
国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官
佐藤博樹
東京大学社会科学研究所教授/日本学術会議連携会員
湯浅 誠
NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局次長
反貧困ネットワーク事務局長
宮本みち子
放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員
コメンテーター:
太郎丸 博
京都大学大学院文学研究科准教授/日本学術会議特任連携会員
コーディネーター:
小杉礼子
JILPT統括研究員/日本学術会議連携会員

コメンテーターからの発言

太郎丸博・京都大学大学院文学研究科准教授/日本学術会議特任連携会員

個人化とライフスタイルの多様化

基調報告は、どれも大変刺激的なお話でした。全体の話に共通して感じたことは、社会が大きく変わっているということです。直接関係があるのは、やはり「個人化とライフコースの多様化」だと思います。

「個人化」とは、一人ひとりのライフスタイルや生き方が多様になってきていること。あるいは、つながりが失われているという文脈でも使われるのですが、こうしたことが起きている。

「ライフコースの多様化」については、戦後のある一時期は、多くの人が共通した人生航路をたどると期待できた時代があったわけです。それに比べて、今は先行きが見通しにくくなってきている。

ライフコースの多様性がない時代、あるいは個人化がある程度弱い時代には、既存の家族・学校・企業の三者による若者のサポート体制はそれなりにうまくいっていたわけです。ですが、決まったレールから一たん外れると、そこをサポートするのが非常に弱い。こうした問題が大きくなってきて、基調講演で触れられたことが必要になってきたということを強く感じました。

昔ならば、高校や大学を卒業すれば、ほとんどの子は就職できた。ところが、今はその移行がうまくいかない。あるいは、退学する人が多く出てくる。また、いったん企業に入ったら、それほど退職や転職は起きないはずなのに、多くの人が転職する。こうした予想外のことが起こっている。こうしたことが起きたときは家族が助けるというのがこれまでの社会のやり方だったわけですが、サポートできる家族ばかりではない。

こういった状況でだれがサポートするのかといえば、やはり政府が何とかしなければいけないということになると思います。それで、いろいろな制度を作る必要があることがよくわかりました。

政策評価と2種類の問題

こうした話をするときに非常に大事なのは、政策効果をどう評価するかということです。昨今話題になっている事業仕分けでも、制度やお金の使い方に効果があるのかということが問題になっています。とはいえ、仕分け人の人たちは決して科学的に政策の評価をしているわけではないわけですね。この辺は、研究者が貢献できる問題だと思っています。

もう一つお話を伺っていて思ったことがあります。複合的なので二つに分けて考えることができると思いました。一つは、働く能力も意欲もあるのに適当な職が見つからない場合、また見つかっても、適当ではない場合です。佐藤先生からは、現状に合った形で、ある程度安定性のある雇用をどうつくり出すのかというお話がありましたが、これは、働く人の側に一定の意欲・能力がある前提で成り立つ話です。

写真:太郎丸博

もう一つは、働く準備が十分にできていない人たちもいる。それは引きこもりも含まれるわけですが、この問題に関しては、雇用を創出しても解決にはならない。それ以前にどうサポートするのかが重要になる。これは教育や医療と関連した問題ともいえます。

ただ、キーワードは何なのかを考えてみると、「統合」「総合」など、似たような言葉で異口同音に言われていますが、やはり「包括的」ということになるのかなと思いました。近代社会は専門分業で合理性を高めるのが大前提の社会です。専門家、プロフェッショナルがいて、その人たちが専門知識を生かすのが大前提ですが、分業するだけで、うまく統合されていないと、実はうまく働かないという問題です。

今まではこうした問題があっても、何とかなっていたのですが、もうどうにもならなくなっていることを、お話を聞いていて理解できました。いろいろなサポート政策の間の連携が必要だと強く言われるようになったのは、大きな変化だと強く感じました。

どのような社会をめざすのか

私は仕事に関する研究が専門なので、脱工業化と若者の関係に興味があります。日本の場合ですと1980年代ぐらいまでは第二次産業に従事する人の比率は増えていった。それが工業化だったわけですが、1986年をピークに第二次産業に従事する人口は減少に転じており、製造業中心の社会とは考えられないということです。

藤田先生のお話で、高卒の子は製造業関係の職種に就いている子が多いという指摘がありましたが、高卒の就職が厳しくなっている一因は、製造業が縮んでいることにあります。ですから、職業高校の方が就職率がいいのは確かで、職業教育を何らかの形で考えなければいけないというのはそのとおりですが、単純に工業高校を増やせば問題は解決するのかというと、そんなに甘くない。

中期的な社会の大きなデザイン、10年後を見据えてどういう社会をつくっていくのかということは真剣に考えなければいけない。

性別役割分業と家族の変容

もう一つ、中期的に考えておきたいのは、家族の問題です。非正規雇用の賃金が低いのは、やはり女性は家で家事をして、男性が主に稼ぎ手となって家族を養うというシステムと密接にかかわっています。だからパートや非正規雇用の賃金は低くてもいいという社会的コンセンサスがこれまではあったわけです。

湯浅さんが話された「パーソナル・サポーター」も、相手とコミュニケーションしていろいろなところと連携するという仕事では、どちらかというと女性が得意そうです。けれども、女性が得意そうな専門的な職能は、しばしば非正規雇用の枠に入れられてしまい、賃金を低目に抑えられることがこれまでよく起こってきた。ヘルパー、介護福祉士、学校に導入されたカウンセラーなどそういう事例はいくつもある。やはり現行の性別分業のあり方を見直さない限り、今起こっている多くの問題を解決するのは難しいと思っています。

よく北欧型の福祉社会を目指すべきだと言われます。北欧は女性の労働力率が非常に高く、女性も働いて所得税を払っているということです。つまり、多くの人が働いて税金も払うことで手厚い福祉が成り立っているわけです。ですから、増税する云々という問題もありますが、働く人の数を増やすことを真剣に考える必要があると思っています。

労働市場の要求と能力・意欲の乖離

小杉

これからは、今いただいたコメントなどを下敷きに、議論をしたいと思います。それから参加者の皆様からいただきました質問についても、できるだけ議論の中で吸収したいと思います。

太郎丸先生のコメントの中で困難な若者を対象にする中で2種類の問題が指摘されました。働く意欲があるのに適当な職が見つからないタイプの人たちと、そこまでに至るには十分ではないタイプの人たちがいる。こうした人たちに対してどうやって社会に参加してもらえるシステムをつくっていくか。まず、藤田先生から、このまま就職させようとしても無理と思われる層に対して、どう対応していくべきだと思いますか。

立ちはだかる親御さんの思いと「夢を持とう」(スローガン)の絶対視

藤田

労働市場に入るのに十分ではない生徒に対して、先ほども触れたように、プロフェッショナル・スキル・トレーニングだけに依存することは非常に難しいと感じます。スキル・トレーニングももちろん含み込みながら、「働くって何だろう」ということに対して、より深い理解を子どもたち、とくに高校生たちに持っていただきたい。そのとき、大人側の問題と、高校や中学校の先生方の問題の二つに分けられる気がします。

キャリア教育や社会的自立、職業的自立に向けた子どもたちへの支援をとくに普通科高校で進めようと思ったとき、親御さんたちからは「何言っているんだ。うちの子たちは大学に入るのが第一でしょう」「そんなことは大学に入ってからやればいいんですよ」といわれます。

中学校で先送りしてきたことを、さらに大学まで先送りしようとするわけです。こうした親御さんの期待を無視できる高校は非常に少ない。ですから、大人側の高校教育に対する理解や期待に対する変容をどう促していくのかが大切です。親御さんたちが高校のころには、学歴・学校歴社会が厳然とあったので、かつてのシステムの中における枠組みの話です。その枠組みの変容をどう一般の方々に理解いただくのかは非常に重要です。

もう一つ、先生方の問題として、かつて偏差値輪切りだったころの進路指導改善の一つの目標として「夢を持ちましょう」というスローガンがありました。そこには、偏差値輪切りという闘うべき怪物がいて、この怪物を倒すための一つの戦略として、こうしたスローガンが強調されたわけです。

しかし、そういった枠組みが大きく変わる中で、この古いスローガンを相対化してとらえきれない先生方も、若干残っている。逆にその「無条件での夢賞賛型」とも言える部分が、進路指導、キャリア教育に対する誤解として、そんなものは必要ないという批判につながっている面がある。

実は、進路指導、キャリア教育自体が、ここ10年程で大きく変わってきています。それは、「社会的自立」「職業的自立」というキーワードに代表されるように、もっと社会のリアルな姿も視野におさめて指導しようという動きです。例えば、賃金格差の問題や、長時間労働でワーク・ライフ・バランスがとりにくい社会であるという実態なども、子どもたちの発達の段階に応じて目を向けさせた上で、夢や希望の意義や価値を認めつつ、実際の社会の中でいかに生きていくかを考えさせようということです。理念の上では変わってきていますが、なかなか親御さんに伝わらない。伝わらない一方で、偏差値輪切りの怪物を相手にしていたころ戦略的に強調された部分を絶対視なさっている先生方も残っている。こうした二つのルートから改善していく必要があるのかなと感じます。

小杉

中退の話はどうですか。

見て見ぬふりをしてきた中退問題

藤田

高校中退の問題は、私たちが見て見ぬ振りをしてきた問題の一つです。数値的には2パーセント台で、先進諸国の中でも極めて低い。しかし、ある一定の層の高校の中では非常に大きな問題にもかかわらず、ここの支援システムがつくられていない。

もう一つ客観的な事実として、困難を抱える高校であればあるほど、先生の在任の期間が短い。短いローテーションで異動されるので、「我が校意識」を持ちにくい状況に置かれている。これは高校全体でもう一度考えなくてはいけないし、こうした高校であればあるほど外部サポートが必要なはずなのに、外部サポートを依頼・活用するためのノウハウが蓄積されていない。こうした課題が大きいと思います。

小杉

宮本先生も学校中退のことには随分切り込もうと努力されていると思いますが。中退問題に対して、「子ども・若者育成支援推進法」はどのように関与することができるのでしょうか。

困難な中退後の実態把握

宮本

法律ができてシームレスな支援を作ろうとする際に、そのスタートは、やはり在学中です。学校在学中に生徒と関係機関が関係をつけない限り、社会へ出てからではその把握ができません。これが当初からの課題です。藤田先生のお話のように、進学校の場合、中退はほとんどありません。そのような学校の先生方は、この問題にはまったく関心がない。ところが、学校によっては半分が中退するところもある。

写真:宮本みち子

内閣府が2年前に、支援法のことも念頭において中退した人のその後の実態を把握しようということで、調査しました。私も参加したのです。しかし、名簿を持っている教育委員会が調査に協力してくれない。半分以上の県から断わられました。それでも、10数県が協力してくれて、最終的に郵送の10%だけ回収できました。それでは実態把握が十分でないので、今年は全都道府県の教育委員会に全面協力していただき、中退後2年くらいの方々の状況を詳細に把握しようとしています。しかし、調査設計すればするほど、中退した方々を把握することがいかに困難かがわかってきました。

一方、いくつか地域若者サポート・ステーションがこうした学校と連携して、在学期間中に定期的に生徒と接触し関係をつくり、就職が決まらずに卒業する生徒を、その後も地域できちんとサポートするモデルをつくっています。いくつかのところは成功してきているので、それを全国に広げようとしています。

学校と外部機関が連携に成功する秘訣を簡単に言うと、まず、先生の中に一人か二人の熱血漢がいること。今までの慣習を破ってでも学校の状況を何とかしたいという勇気のある先生が外部に協力を呼びかけること。次は、地域の支援機関の熱心さです。さらにもう一つは、間に行政が入ることです。行政が一生懸命になって間を取り持ちながら、つまり公的な保障をつくりながら関係機関の連携を作る。これらの機関が連携をしようと合意できたところで成功しているんです。こういう動きを全国につくらないと、現状を突破することはできないだろうと思います。

小杉

「包括的」や「シームレスな支援」など、言葉ではワン・ワードになってしまいますけれども、現実は一つひとつの関係を各地で構築していく以外にないということですか。

支援のモデルをつくり拡大させる

宮本

そういうところはありますね。あるところまでモデルが広がっていくと、そこからは加速するのではないかと期待しています。一歩踏み出す勇気がなくても、あちこちでやっているとなると、勇気が要らなくなるんです。

小杉

宮本先生と私がこれまでかかわってきた「子ども・若者育成支援推進法」に関して、地域の若者支援のネットワークやコミュニティレベルで学校や専門家が集まってネットワークをつくり、個人をそれぞれの専門家の力をかりて支援していく仕組みを考えてきました。湯浅さんの「パーソナル・サポート」の話を聞いて、対象は自立が非常に苦しい人たちで、それを全体に広げたようなモデルのような気がするんですが。

湯浅

PSは機能だという話をしましたけれども、分野とPSの関係の整理が課題として残されています。図で示したように「若年自立・就労支援」の隣にホームレス支援があり、障害者支援、高齢者支援があるわけですが、ホームレス支援や若年自立・就労支援は、まだ形がないようなところに今回、ようやく「育成支援法」ができたということです。

写真:湯浅誠

他方、高齢者、障害者については、不十分とはいえ、それなりに形のある分野です。例えば高齢者支援制度などについては、地域包括支援センター場として制度化されている。では、計画どおりに機能しているかというと、なかなかこれは厳しい。その意味でPSは、いろいろな分野と競合するというより、地域包括支援センターや若者就労支援のユース・アドバイザーのある種の人たちがPSとして動くという形になるといいのではないかというイメージです。つまり分野に絡まない機能ということです。

そうはいっても、それぞれの分野との接点は出てくる。とくにホームレス支援分野などは、制度化された領域はないので、今後整理していかないといけないと思います。

これは一長一短で、例えば障害者や高齢者支援制度の一番上にいる人、例えば施設長みたいな人とかがなって、地域包括的な部門の役割を今までの社会福祉法人などが受けることはあるわけです。そうなると、包括的な取り組みが期待されているけれども、実際には分野と施設に縛られてしまうことが、障害者分野でも高齢者分野でも起こっています。

分野から完全に切り離して、「PSで頑張る」と言っても、それぞれの分野がどこも協力してくれないことになるかもしれない。一長一短あります。各分野とPSの関係は大きな検討課題なので、宮本先生のお知恵もかりながら検討する予定になっています。

PSは地域包括的にするために横串

小杉

対象者別のピラミッドのてっぺんを横でつないでいますよね。つなぐことのメリットは何ですか。

湯浅

「コミュニティ・ソーシャルワーク」や「ジェネラル・ソーシャルワーク」と言ったりもしますけれども、各種の制度は対象者ごとにカテゴリーを区切っています。しかし、例えばホームレス状態の人の中には、知的障害者、精神障害者の人が多数いるわけです。高齢者は、年をとればとるほど障害を持ちやすい。若者サポート・ステーションに相談に来ている人たちの中にも精神疾患や発達障害を持っている人もいます。

ですから、分野で切るのは、本人のニーズに必ずしも対応したものではない。「地域の死角をなくす」と言っていますけれども、貧困というのは社会の「死角」だと思っています。その死角になっている部分を埋めていこうと思えば、それぞれの対象で概念的に切るよりは、重なる部分を見ていく必要がある。やはり地域包括的な発想に立ち、横串を入れていかないと、「死角」はなくならないですね。

小杉

宮本先生、ヨーロッパでのこうした取り組みはどのようになっているのですか。

欧州で広がるコミュニティ・ソーシャルワーク

宮本

1982年に有名なイギリスのバークレイ報告が出て、福祉のあり方として地域社会を基盤としたソーシャルワークが必要だと提起されました。これが「コミュニティ・ソーシャルワーク」で、欧州では広がってきている手法です。地域の中にはいろいろな生活上のニーズがあるにもかかわらず、そのニーズについて縦割り行政の中では総合的に把握する責任を持つ人がだれもいない。そこで生活上の課題を抱えている人や家族に、契約に基づいて対面式のカウンセリングも取り入れながら、総合的・包括的に解決していく手法のことを「コミュニティ・ソーシャルワーク」と言っているわけです。

日本の場合、その仕組みも、専門的な担い手も養成できていないのが現状で、湯浅さんの言われている「パーソナル・サポーター」はその担い手だと思います。「子ども・若者育成支援推進法」のもと、子どもや若者の持っている総合的なニーズに対応できる「ユース・アドバイザー」は、医療、福祉、教育、雇用など広くコーディネートできる能力を持って一人ひとりに継続的にかかわれる人という意味です。

また、地域若者サポート・ステーションは、イギリスのコネクションズをモデルにしています。コネクションズは、パートナーシップであり、キーパーソンは「パーソナル・アドバイザー」です。その役割は、「コミュニティ・ソーシャルワーク」を背景に置きながら、一人ひとりのニート状態の若者をサポートしていくということです。

地域若者サポート・ステーションは全国に100カ所になりましたけれども、そのワーカーがフットワーク軽く地域内を自由に動きまわり、きちんとつなげていくようになることが望ましいと思いますが、その役割を担える人材は財政上の理由で圧倒的に少なく、また育てるところまではできていない。

そこに湯浅さんの「パーソナル・サポーター」の構想が出てきたわけです。これも含めて、「コミュニティ・ソーシャルワーク」の考え方を日本で確立できればよいと思います。

性別役割分業観・家族観との関係

小杉

太郎丸先生のコメントにあった「性別分業と家族の変容」ですが、佐藤先生に伺いたいのは、「新しい正社員」と役割分業の考え方とはどう関係するのでしょう。

男性だけが働くモデルは見直しへ

佐藤

写真:佐藤博樹

これまで日本企業が正規社員として想定していた人材はやはり男性です。人材活用でも女性は、ある時期に結婚し、家事・育児は妻がするという男女役割分業を前提としたものでした。妻が家事・育児をするわけですから、男性は子育て期でも、残業するし、転勤もする。正社員の処遇も、仕事にリンクしたものだけではなく、配偶者手当などの生活関連手当も含む構造になっていました。それが、非正規との処遇差をより大きくすることにつながっていました。

しかし、妻が専業主婦で男性でも家事・育児をしない人はどんどん減ってきている。けれども、企業の人材活用は大きく変化していない。そうすると、活用できる人材がどんどん減り、また女性の中にも意欲・能力があり働き続ける人も増えてきた。女性が結婚して子どもを持って働き続けられる仕組みをつくらなければいけないということで、ワーク・ライフ・バランス支援を行っていくためには、従来の男性だけが働くモデルを想定した処遇は見直さざるを得なくなる。ここが変わっていくことで正規・非正規間の処遇の均等・均衡が比較的やりやすくなると思っています。

小杉

企業としても、その方がやりやすくなる?

佐藤

企業は、生活関連手当はなくしたい。できれば仕事に関連した処遇だけにしたい気持ちは強いと思うけれども、それに反対しているのは、旧来のこうした働き方の恩恵を受けている人たちです。そこはなかなか難しいところだと思います。

小杉

高校生には、社会の性役割分業観みたいなものが反映してくるわけですよね。

学校教育に入り込む性役割分業

藤田

それは非常に多いですね。日本の場合、性役割分業が学校教育のいろいろなところに入り込んでいる。例えば、女の子が生徒会長をやると、「女子なんだけど、いい働きぶりだよ」と言われる。褒められてはいるのですが、性別的にはイレギュラーだという前提が無意識に働く。こうしたなかで女の子が育ち、女子高、女子大の先生も、「女子しかいないので、リーダーシップが育つ」と言う。これでは、男子と一緒だと女子のリーダーシップは育たないことになってしまう。

また、育児休業をとる男性の先生はごく例外的存在でしかない。ですから、こうしたロールモデルを学校の中に探すことも非常に難しい。そうした中で、女の子がどうしても非正規の職業に足を踏み出していくことも起きてきてしまう。

ただ、学校だけの責任にされてしまうと、先生方は浮かばれないと思う。日本で育児休業を取る男性は、増えてはいるものの1パーセント台。「男らしさ」「女らしさ」の中で縛られている私たちの認識とそれを前提とした社会的慣行を日常的なレベルで私たち自身が考え直す機会があれば、働き方も大きく変わってくるのではないかと思います。

悲観的な話ばかりしていますが、変わるとなったら速いと思います。実は、私は大学院のときに子どもが生まれまして、妻はフルタイムで働いていました。そのため、私が子どもを抱えながらスーパーマーケットで買い物をしなければならないことが多かった。今から20年近く前ですが、男が女の子を抱えて買い物をする姿はほとんどなかった。ですから、レジに行くと、毎回必ずじろじろと、この子はほんとうにあの人の子どもなのかと疑念の目で見られるんです。でも、今、スーパーではそういう男の人がたくさんいます。ですから、変わるとなったらスピードは速いと感じます。無論、意識的に変えていかないと変わらないですが。

小杉

女の子にとって自立イメージは難しいというのがありますか。

学校で重要なロールモデル

藤田

ロールモデルの問題だと思います。女の子たちが接する仕事、あるいはドラマ等で女性の仕事として扱われる内容は随分変わってきていますが、最終的にロールモデルを見つけにくい。そういうものを私たちが意識的に提供しようとはしてこなかった。それは大きな問題としてあります。

ただ、固定的性別分業の認識の再生産を断ち切る働きかけについても、遅々として進まずという事態からは脱しつつあると思います。例えば家庭科の教科書も、かつては、調理場面の写真は女性しか写っていませんでしたが、今はどの教科書でも、男性がごく普通に登場しています。

かつての日本社会全部がダメではなく、その時々のよさ、あるいは今の問題点、そういったものをすり合わせながら、どういう社会をつくっていけばいいのか。こうしたことが高校生たちの議論に上るような、そういう意識を高めていきたいと思います。

小杉

湯浅さん、自立の支援現場で、ジェンダーとか、女性の自立の話はどう対応するんですか。

女性の力を引き出せないのが問題

湯浅

手短に言うと、自立って何だという話になります。先ほども触れた「日常生活自立」「社会的生活自立」「経済的自立」の三つのトータルで自分の生活をコントロールしていくのが自立だとすれば、傾向的には男性よりも女性のほうが現に自立しているし、バランスのとれている人が多いですよね。

写真:壇上の様子1

男は、経済的自立はできているけれども、日常生活自立はさっぱりしていない。例えば、定年退職したらもう何していいかわからないような社会的生活自立ができていないおじ様たちは何100万人かいる。けれどもこの問題は、家族の人がフォローしていることで表に出てきていない。

そういうことも含めて自立を考える必要があると思う。経済的自立だけ取り出して、自分が生活できる賃金をどう稼ぐかという話だけに絞れば、女性の就労条件をもっとよくしていく以外に解決のしようがない。保育サービスを含めていわゆるM字型カーブを解消し、就業率をアップさせ、税の問題も含めて考えていかなければならない。障害、女性、高齢、ホームレス、若者、全体もそうですが、その人の能力を開花させられるような条件を整備できないのは社会的損失だという発想に立つ必要がある。

日本はそういう意味で女性の力を引き出せないというのは、人口の半分の人たちの力をうまく引き出せていないことになる。そういう状態にある社会の側に問題があるという認識が必要だと思います。

そういう中で、数としては圧倒的多数の女性たちの力を発揮させるための社会的条件をどうつくれるかという形で問題を立てていかないといけないという気がします。

会場からの質問に答えて

小杉

ありがとうございました。

会場からもたくさんご質問が来ていますので、パネリストの方から最後に回答を含めたメッセージをいただければと思います。

生きる力をつけさせる教育改革を

宮本

自立できない若者は、家族・家庭の問題があるのではないかというご意見を何人かからいただいております。問題提起で紹介したビッグイシュー・ジャパンの調査結果をもう一度お話しますが、50人の若年ホームレスに聞き取り調査を行った結果、中卒と高校中退が62%、高卒が22%で、大卒もいるけれども、圧倒的多数は高学歴社会の中で学歴的に一番低い人たちです。なぜ低いかというと、たくさんの不利な条件を抱えているのです。3人に一人が片親、養護施設出身者が3人、親の離婚・再婚・行方不明を経験している人が半分以上で家庭崩壊が背景にある。

一方、私が昨年かかわったある定時制高校の詳細な聞き取り調査でも、その特徴は、半分以上の生徒の家庭が非常に貧しいこと。貧しいために授業料はもちろん、小遣い、場合によっては親や兄弟の生活費までバイトで稼いでいるような実態がある。

親も不安定雇用の状態や破産しそうな商売を転々としていますから、安定した仕事について働き続けるロールモデルが家庭の中にはない。おそらく地域の中にもない。あるケースですが、19歳男性で、父親と二人暮らしで生活保護受給です。小さい頃から親戚や養護施設を転々とし、最後に父親と同居に至りました。父親は1日中酒に溺れていて、コミュニケーションが成り立ちません。以前は暴力も振るわれていたのですが、今は体力的には防御できるようになりました。お金は父親が握っていてまったく自由になりません。携帯電話が壊れて2年以上になりますが買うお金がないのです。ホームテレフォンが鳴っても常に酔っ払った父親が出るという状態。地域で完全に孤立した家庭で暮らしているのです。このような家庭で育つ青少年が、ある高校に偏在するのです。

これに対して、ソーシャルワーク的な機能が高校にはない。メンタルな相談だけはスクール・カウンセラーが行っていますが、メンタルな問題が起こる背景がたくさんある。親が元気で力があって、情報を集め、お金の余裕のある家庭は、いろいろな形で子どもを支援して困難を乗り切る。その資源がない生徒たちは、今の困難な状況を乗り切ることができません。

そういう高校が座学中心、教科書中心の普通教育だけでいいのかという問題も強く感じるところです。その人たちが社会に一番早く出るわけですから、社会に出て生きていけるための具体的な力をつけてやれるような教育改革が必要ではないかと思います。

就労支援でコスト面でも国にプラス

湯浅

いくつか質問をいただいたのですが、「福祉や雇用対策にかかわっていると、想定されている支援を受けざるを得なくなった人ではなくて、制度があるために頑張らなくなってしまい、過剰に期待してしまう人が出てくるのではないか」という、よくある質問です。少なくとも私は、支援する側の力量の問題だと受け止めています。対応してうまくいかない人は、こちらの工夫が何か足りなかったのではないかと考えてみる。それでもうまくいかない場合もありますが、少なくとも、そう考えようとする意欲をこちら側が持たない限り、何も打開できない。PSになるためには最低限必要な態度だと思っております。

コストに関するご質問も幾つかありました。2週間ほど前、私が委員をしている厚生労働省のナショナル・ミニマム研究会が貧困による経済的損失推計を出しました。積極的な就労支援がどのような費用対効果があるかをシミュレーションしたわけです。18歳の人に2年間、生活保護レベルの生活保障と、それから集中的な職業訓練などの就労支援をやるときにかかる費用は458万円です。けれども、その人がその後就労して平均的な人生を送ってくれれば、税や社会保険料で約6,000万円のプラスになると試算されました。いろいろなバリエーションで試算しましたが、30歳からの5年間の場合1,133万円のお金がかかるわけですが、それでもその35歳以降ずっと働くことができれば、国の収支としてプラスになる。コストもとても大事で、プラスになることを押さえておく必要があると思います。もちろん、成功する人ばかりではないですが、最大の振幅で見ると、18歳から2年間支援して、20歳から64歳まで正規雇用で勤められれば、1億円プラスになるそうです。100人サポートすれば100億円となる。就労支援する人は、これはもうお金をつくり出している人たちだ、成長の源泉だという発想になれるといいなと思っています。

写真:壇上の様子2

あとは、PSはどうやったらなれるのかという質問もありました。これについては、7月からの専門委員会で検討していきたいと思います。イメージとしては、研修を受ければなれますとか、現場経験3年あればなれますという形にはしたくないと思っています。今まで現場でやってきた限りではPSは、どの分野にもいます。民生委員の人が100人いれば、2~4人はPS的な動きをしている。今出ている一つのアイデアは、これは実現可能性を度外視して言いますけれども、地域投票みたいなことをやったらいいのではないか。そういうふうに動く人は地域で見えているはずなので、それを評価できるようにすべきです。

資格を取ったらとか、現場で何年やっていたらみたいなことを言うと、いろいろな人が入ってくる。そして、だれでも名乗ればPSになるけれど、そのかわりワーキング・プア街道まっしぐら、ということにならないための仕組みを考えたいと思っています。

「新しい正社員」で実態に合った雇用保障を

佐藤

二つの分野についてご質問があって、一つは「新しい正社員」にかかわるものと、もう一つは非正規の中でのキャリア形成です。

第一に私が提案したのは、「仕事や職場を限定し、その仕事や職場がある限りと条件付きの特約付きの無期の雇用契約」です。合理的な理由で仕事がなくなれば、一定の手続を踏んで契約解除できる新しい正社員を提案したわけですが、有期で更新されている状態よりも雇用保障が安定しないのではないかという質問です。

しかし、私は現状よりも安定すると考えます。なぜかというと、現状の有期契約の中で仕事がある限り契約更新している企業もありますが、他方、雇用を継続すると、雇用期間を定めないとみなされる可能性があるというリスクを企業が考え、契約更新を2回しかしないとか、5年で切るケースは結構多い。「新しい正社員」が導入できればこうした企業がなくなり、そこでは雇用が継続されることになります。

もう一つは、そこを通じて従来型の正社員に転換することができる。ですから、有期で継続雇用している企業の人材活用の実態に合った雇用保障を選択できるようにすべきではないかということです。

では、そういう仕組みをつくるときに、法改正をする必要があるかです。先ほど説明したように整理解雇の4要件は、従来の正社員であれば、仕事がなくなり事業所を閉鎖しなければいけない場合でも、一定の解雇回避努力をしなければならないわけです。例えば、配置転換や教育訓練をしてほかの仕事に移すようにもとめるなどで、これは法律ではなく、判例法理です。

そういう意味で、現行ルールの中でも企業が個別契約を結び、仕事がある限りは無期契約だけれども、それがなくなった場合、一定手続で契約解除しますという特約付きの雇用契約を結べば、多分、問題はないと思います。しかし、経営側からすると、もし裁判になった場合に契約解除が無効とされる危惧があるのです。現行法でも「新しい正社員」を導入することはできると思いますが、判例法理のために本当に大丈夫かという危惧が経営側にあるのです。

あともう一つは、企業はコストを考えて常用・非正規を使っているので、無期に移らないのではないかという話もあります。ただし、私はコストだけで非正規社員を増加しているわけではないので、ここの部分も動いていくのではないかと考えています。

もう一つは、同一労働同一賃金で処遇の均等・均衡を図れという主張もあります。正規と非正規なり、「新しい正社員」と従来の正社員、「新しい正社員」と有期との処遇の均等・均衡を図らなければいけない。しかし、私がまず言いたいのは、雇用保障の均衡・均等です。雇用保障の均等・均衡と処遇の均等・均衡の両者が必要です。

もうひとつの非正規の能力開発、キャリア形成ですが、非正規でも能力開発の機会がある人たちもいるので、ここが見えるような仕組みとして、一つはジョブ・カードがそうだろうと思います。

もう一つは、先ほど触れたように正社員だから自動的に能力開発機会が充実するわけではない。正規・非正規にかかわらず能力を高める機会を提供する方が、モチベーションが上がり、企業にとってもプラスだという情報を出すと同時に、働く人にも、正規・非正規にかかわらず、どのような能力開発の機会があるかどうかの情報を流通させることが大事だと思っています。

地域と関連機関の連携が不可欠に

藤田

質問をたくさんいただきましたが、集中しているのが、普通科高校におけるキャリア教育が不活発な理由や、天職を中心的に考えてしまう若者が逆にキャリア教育によって形づくられているのではないかという指摘だったと思います。

写真:藤田晃之

先ほども触れましたが、天職や夢を無条件に軸にしていた時代がありました。10年前くらいから、社会的に自立して生きていく力をどう育てるかに変わってきているにもかかわらず、若者に十分伝わっていないし、社会的にもまだ認知いただいていない。これを変えていくことによって、普通科でも実践していただけるのではないかというのが最初の答えです。

次に多かったのが、スクール・カウンセラーのようにキャリア・カウンセラーを派遣する制度、あるいはイギリスのコネクションズ・パートナーシップのような地域と関係機関の連携が日本でも必要ではないかとのご意見ですが、私も全面的にそう思います。

ただ、丸投げは絶対やめてほしい。やはり学校教育の中に子どもたちの自立を支えるさまざまな学びがある。社会科しかり、体育しかり、家庭科しかりです。そういった学びと外からくる専門家が分断されて、先生方が「おれたち知らねえよ」と言ってしまったら、学びの重要さが見えなくなってしまう。やはり社会的自立を果たす上でも、そして大人になる上でも、学校で勉強することとリンクしていることは、是非とも子どもたちに知っていてもらいたい。さまざまな困難を抱える高校は、とくにこうしたリンクを張っていくことが重要だと思います。

最後に、自立支援のコストの問題についてです。若者自立塾は事業仕分けの対象になってしまいましたけれども、そのモデルであるアメリカのジョブ・コアは、コスト調査が済んでおり、1ドルの投資につき2.2ドルの回収があり、投資に見合うということになっています。ですから、若者の自立支援をきちんとしていくことがトータル的にはコスト・パフォーマンスもいいことを社会的な認識として広めていかなくてはならないし、こうした認識を持てるデータをきちんと公表していかなくてはいけないと改めて思いました。

変容迫られるアカデミズムのあり方

太郎丸

もう屋上屋のコメントはいらないと思いますが、お話を伺っていて感じるのは、非常に頼もしいということです。どういうことかというと、私は社会学をずっと勉強してきたんですけれども、学生時代にこんな実践的なことは、何一つ習ったことがないわけです。欧米の偉い学者がこう言っているとか、この言葉の意味はどう使われてきたかとか、そうした教育しか受けたことがないわけです。

つまり、アカデミズムというか、学問のあり方そのものが今、大きく問われている。もちろん学問には学問の目標がありますから、お金のためとか、政府のために奉仕するものではないわけですが、象牙の塔だけにこもっているわけにもいかなくなった。やはり知のあり方、学問のあり方そのものが大きく変容していると感じさせられました。

やはりいい形で学問が世の中に貢献していける距離というか、関連の仕方が今後問われると非常に強く感じました。

ロールモデルを提供できる仕組みを

小杉

私も最後にコメントを三つ申し上げたいと思います。

写真:小杉礼子

一つがアカデミズムと実際の政策現場との距離が随分縮まってきたのは、とても大事なことだと思います。日本学術会議と労働政策研究・研修機構がこうして一緒にできることが大事です。学術会議の非常にアカデミックな議論と実践的な議論との接点ができたことが、大変うれしく思いました。それを延長して、藤田先生からジョブ・コアに対する科学的な検証の話が出ましたが、もっと科学的に政策の検証をしてなければならないということです。これから、政策すべてに関してコストや成果が問われると思います。しかし、大事なのはやはり科学に立脚した検証です。これまでアカデミズムがきちんとやっていなかったことが、今回、仕分けをされる。それはそれで、ある意味、アカデミズム側が十分反省しなければならないことなのかもしれません。

第2点目は、太郎丸先生の発言にあった頼もしいということとは逆に、大変難しいなと思ったのが、湯浅さんの「パーソナル・アドバイザー」です。政策をつくる人たち、現場で何とかしようと思う人たちは、それぞれに非常に一生懸命やっている。厚労省や文科省に行っても、そう感じます。しかし、今の仕組みがどうしても縦割りにならざるを得ないところがあって、それを通す横軸がなかなかつくりにくい。それを現場でどうするかとなったときに、やはり大きなハードルになる。しかし、そのハードルは越えていかなければいけない。定時制高校の話で具体的に地域サポート・ステーションが入り込むときに、苦労して個人的なネットワークをつくっていった実践があります。こうした現場でやっと一つひとつくっつけていくことができるといった状況です。

認識はみんな一緒だと思います。困難な状況は、就労支援だけではないし、それぞれが抱えているトラブルは違う側面があって、いろいろな支援があって、それを使えば何とかなる。しかし、全体が見えていなし、全体に統合していくことが非常に困難である。この困難を打ち破ることが、大きな課題で、それをどうすればいいのか解決は見えませんが、最後は現場の力だと思います。

第3点目は、藤田先生の話の中にもありましたロールモデルです。自立困難な背景には、育つ過程でどれほどのロールモデルに出会っているかが大きな影響力を持つ。家をつくる途中の過程が見えないという話がありましたが、仕事すべてがPCの中に入っていて、画面は同じようにみえても、実際の中身については見えにくくなっている。こういう時代にあって、どうやってロールモデルや仕事の楽しさ・おもしろさを伝えていくのか。大変難しいが、困難な若者にとってはこうしたことこそ大事だなと思いました。私もいろいろな現場でヒアリング調査をしていますが、早い時期に困難な状況にいる人たちの見えている世界が非常に小さくて、自分の将来についての展望も持てないという状態をつくっているのは、大人たちの責任だと思います。

それを学校だけにもちろん負わせてはいけない。どうやって社会全体として、また企業の中にある潜在力として、「実は手伝ってあげたかったのに」という気持ちとどう結びつけていくか。政策的にできることはこの辺に転がっているのかなと思います。ロールモデルを提供する仕組みを何とか開発できないかという思いを強く持ちました。以上、3点を今日のまとめとさせていただきます。

コメンテーター、コーディネーターのプロフィール

たろうまる・ひろし

京都大学大学院文学研究科准教授/日本学術会議特任連携会員

1995年大阪大学人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪大学准教授を経て、2009年から現職。最近の著作に『若年非正規雇用の社会学』(大阪大学出版会、2009年)、『フリーターとニートの社会学』(世界思想社、2006年)など。

こすぎ・れいこ

JILPT統括研究員/日本学術会議連携会員

東京大学文学部社会学科卒業。1978年職業研究所(現JILPT)研究員。2006年より現職。博士(教育学)。労働政策審議会臨時委員、中央教育審議会臨時委員などを務める。近著は『若者と初期キャリア―「非典型」からの出発のために』(剄草書房、2010年)など。