事例報告2:岩手県釜石市における震災後の取り組みと活動について
震災から2年、復興を支える被災者の雇用を考える
第66回労働政策フォーラム(2013年3月13日)

事例報告(2) 岩手県釜石市における震災後の取り組みと活動について

鹿野 順一  NPO法人@リアスNPOサポートセンター代表理事

写真:鹿野順一氏

私がコミュニティビジネスに関わったのは2003年からです。当時の県知事だった増田寛也さんがコミュニティビジネスを強力に推進していたことから、これに乗っかるかたちでコミュニティビジネスを支援する事業を立ち上げました。翌2004年には、新たなメンバーを加えて、行政・市民・企業の協働によるまちづくりを実現すべくNPO法人を設立しました。

シート1 交流施設かだって

シート1写真

シート1の上半分は、私たちが作った「まちかど交流施設」、下半分は「まちなか交流施設」です。上は市民活動の拠点として、下はビジネスセンターのように釜石に訪れる方が情報を得るための施設として展開していました。さらにコミュニティビジネスのセミナーや小学校でのキャリア教育事業、福祉作業所によるバザーなども開催していました。

2011年3月11日、釜石市内で「コミュニティビジネス研修会」を開催している時に、震災が発生、続いて津波が襲来しました。シート2は震災後の@リアスNPOサポートセンターで、同じ町内に私が経営するお菓子屋があったのですが、2階天井までほぼ水に浸かるような状態でした。

シート2 @リアスNPOサポートセンター

シート2写真

被災地での居場所づくり

震災後、3月中にメンバーの安否が確認できました。「さまざまな方が支援に来ている中で、自分達は何もしないというわけにはいかないな」と思い、4月3日から仮事務所を借りて、活動を再開しました。活動内容は、被災地域への物資の配送です。ツイッターなどを活用して、釜石の現状とニーズを発信し、集まった物資を配送していました。

シート3 みんなの家・かだって

シート3写真

倒壊した本部の跡地には現在、建築家の伊東豊雄さんが設計した「みんなの家」が建っています(シート3)。伊東さんとは、復興計画のプロジェクトでご一緒したのですが、その際、無理にお願いして、設計していただきました。この建物は、多くの団体、企業から支援をいただき、近隣住民の憩いの場や各種イベントに活用されています。

シート4は、仮設商店街の近くにある「インターネットde かだって」という施設です。こちらは、建築家、難波和彦さんが設計したもので、2012年4月にオープンしました。日本複合カフェ協会の支援でパソコンと常時接続のインターネット回線が設置されており、インターネットカフェのような使い方ができます。震災後、市内のホテルなどでもネット回線が不足していたため、仕事やボランティアで釜石に来る方々に活用していただきました。

シート4 インターネットdeかだって

シート4写真

仲間が街に留まるために

次に緊急雇用創出事業による仕事づくりの取り組みについてご報告します。

本日のフォーラムのテーマは「被災者の雇用を考える」ですが、私はこの「雇用」という言葉にはかねてから違和感がありました。労働者であれば仕事を失っても失業給付を受けることができます。しかし、私のような事業主は何ももらうことができません。商店街の多くの事業主は、街の経済が悪化する中で、なんとか商売を続けてきましたが、津波ですべてを失いました。町の復興を考えるのであれば、まず地域の経済を立て直すのが最優先だと思っており、「雇用の場の確保」という考えには馴染めませんでした。

しかし、そんな中で、なぜ、あえて緊急雇用創出事業に取り組もうと思ったのかというと、事業を営んでいた仲間が震災後、自分の生活を守るために町を出て行かざるを得なかったからです。私は、彼らがこの街に留まることができるためにはまず仕事をつくらなければならないと考えたのです。

緊急雇用創出事業での仕事づくり

県や市の委託を受けて実施した事業ですが、1つは「地域コミュニティ再生事業」というもので、6人の雇用が生まれました。内容は、地域情報紙「キックオフ」の発行や仮設住宅、団地などでの交流イベントを開催するものです。また、復興へ向かう被災地の様子をウェブや写真で紹介する「復興カメラ」も実施しました。

もう1つは「復興まるごと情報広場運営事業」で、先ほどご紹介した「みんなの家」「インターネットde かだって」を運営するスタッフの人件費に充てています。

事業内容別にみると、情報発信は今ご紹介した「キックオフ」、「復興カメラ」、ウェブの3種類です。事業のメンバーは総勢15人ほどですが、地域で何かイベントがあると聞けば、取材してウェブや紙媒体で発信しています。仮設住宅でのイベント開催事業では、支援に来ている方のイベントのコーディネートもしました。

仮設住宅団地支援連絡員配置事業では、90人を雇用しました。これは釜石市全域を8つのエリアに分けて、総勢約80人の支援連絡員を配置し、仮設住宅団地の見守りなどを行うというものです。近隣の大槌市や大船渡市では、独自に事業を実施するのが困難なため、北上市が代行しているのですが、釜石は被災しているとはいえ、行政機能は復旧が早かったことから、自分達で実施しています。NTTドコモの協力により、仮設住宅支援連絡員にはタブレット端末が支給され、リアルタイムで巡回先の様子を把握できるとともに、市役所の担当者とも情報が共有できる仕組みになっています。

被災者の就業を支援する事業も行っています。震災から7カ月が経過する2011年10月以降、失業保険の給付を受け取れなくなる人が出てくると言われており、その時点で就業年数が少ない若い人は職を求めて県外に出て行ってしまう恐れがあったことから、スタートさせたものです。

釜石や大槌の事業所に話を聞きにいき、企業の紹介や求人の情報をウェブで紹介するとともに、ハローワークの求人情報を地域に特化するかたちで加工し、事業者の本音とともに発信しました。

ヤフーやマイクロソフトとの協働も

また、事業者の復興を支援するため、ヤフージャパンと組んで、被災地の生産品を販売するウェブ上の百貨店「復興デパートメント」を設置しています。

さらに日本マイクロソフトとの協働で「東北UPプロジェクト」を立ち上げ、被災者の就業に向け、ITスキル講習と就労支援プログラムを実施しました。

最後に雇用・就労に関する今後の課題について触れたいと思います。先ほど他の報告者の方々からもお話がありましたが、釜石市でも雇用のミスマッチは発生しております。

このような状況下では、求職者個人と事業者の個別ニーズに寄り添ったかたちで、丁寧なマッチングを行い、確実な就業につなげていくことは、ハローワークが実施するサービスを補完する重要な役割を担い、また、地域がもう一度再生・復活するために必要なことだと考えています。

迅速な次の就職先の用意を

緊急雇用創出事業は2013年3月末から随時終了していく予定ですが、対象者に対する出口戦略がほとんどないままで、このままでは終了期限とともに再び失業者を増加させることになりかねません。このような状況を回避し、速やかに次の就職先を用意することが街の復興に対しての、現在実行すべき必須項目だと思っています。

求人数、求職者数を震災前の2011年2月時点と、震災から1年半が経過した2012年9月時点で比較すると、求職者数は震災前の水準まで低下し、緊急雇用事業による雇用創出がうまく機能しているようにみえます。また、求人数も増加傾向にあり、引き続き復興需要が継続しているようです。

求職者の本音は

しかし、この数字は果たして、現実を反映したものなのでしょうか。震災後1年から1年半までの求職者数の推移をみると大幅に減少しています。おそらくその中には就職することを諦めた人も大勢含まれていると思われます。

また、釜石、大槌エリアに住む311人を対象に行ったアンケート調査によると、仕事選びで一番重視するのは「仕事の内容」が約6割を占めていますが、求職活動で困った事として「希望する求人が少ない」ことや「スキルに不安がある」ことをあげる人が多くなっています()。

図 求職者の本音

アンケート結果を図表化した画像拡大表示

(別ウィンドウで画像を開きます。)

そのため、仕事の詳細を把握し、希望に合致するものを紹介して、過度な不安を取り除くことも必要だと思います。また、報道では「正社員希望への偏重」ばかり強調されますが、実際には女性を中心にパートのニーズも大きいことも留意すべきです。

緊急雇用創出事業は、あくまで緊急のものなので、いずれは支援に頼らず雇用を生み出す方法を地元で考えなければなりません。また、雇用される方が雇用する側にまわることがあってもいいと思います。そのためには、さまざまなチャンスを受け入れられる仕組み、受け皿が必要です。

今後は、被災事業者による地域経済の復興促進と長期的な継続雇用を生み出す地場の成長産業を育成していく必要があるのではないかと思います。