発注者側に経営トップの関与や定期的な協議の実施を求める
 ――内閣官房と公正取引委員会が「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を公表

スペシャルトピック

内閣官房と公正取引委員会は11月29日、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を連名で公表した。急激な物価上昇が進むなかで、原材料費やエネルギーコストと比べて取引価格への転嫁(価格転嫁)が進まない労務費についても、転嫁を促すことが狙い。発注者側には、経営トップの関与や定期的な協議の実施を要請したほか、価格交渉を要求されたことを理由とする取引停止をしないことも求めている。受注者側には相談窓口の活用などを求めた。指針に記載した行動に沿わないような行いをする企業には、独占禁止法および下請代金法に基づき、公正取引委員会が厳正に対処するとしている。

持続的で構造的賃上げには中小企業での取引環境の整備が重要

指針ははじめに、今回の指針策定の背景を説明。原材料価格やエネルギーコストのみならず、賃上げ原資の確保を含めて、適切な価格転嫁による適正な価格設定をサプライチェーン全体で定着させ、物価に負けない賃上げを行うことは、「デフレ脱却、経済の好循環の実現のために必要」であり、その際は「労務費の適切な転嫁を通じた取引適正化が不可欠」とした。

最近の賃金の動きをみると、2023年の春季労使交渉の賃上げ率は約30年ぶりの高い伸びとなったものの、「急激な物価上昇に対して賃金の上昇が追いついていない」と指摘。そのため、この急激な物価上昇を乗り越え、持続的な構造的賃上げを実現するためには、「特に雇用の7割を占める中小企業がその原資を確保できる取引環境を整備することが重要」としている。

労務費の価格転嫁は原材料やエネルギーと比べて低い水準

指針は、警備業や情報サービス業といった労務費が占める割合が高い業種を重点的な調査対象とし、公正取引委員会が2023年に実施した「令和5年度独占禁止法上の『優越的地位の濫用』に係るコスト上昇分の価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査」の結果をもとに、労務費の価格転嫁の現状を示している。

それによると、価格転嫁の要請に対する実際の引き上げ額の割合を示す転嫁率は、中央値でみると原材料価格が80.0%、エネルギーコストが50.0%となっているのに対して労務費は30.0%にとどまっている。平均値でみても、原材料価格が67.9%、エネルギーコストが52.1%に対して労務費は45.1%となっている。

指針に従わない発注者には独禁法・下請代金法に基づき厳正に対処

特別調査の結果を踏まえ、指針は「事業者は、多くの場合、発注者の方が取引上の立場が強く、受注者からはコストの中でも労務費は特に価格転嫁を言い出しにくい状況にある」と指摘したうえで、「発注者」「受注者」「発注者・受注者の双方」それぞれに対して12の行動指針を示した(図表)。

図表:「発注者」「受注者」「発注者・受注者の双方」に求められる12の行動指針
画像:図表

(公表資料から編集部で作成)

また、指針の性格について、発注者がこの行動指針に沿わないような行為をすることにより、公正な競争を阻害するおそれがある場合には、「公正取引委員会において独占禁止法及び下請代金法に基づき厳正に対処していく」と記載。指針に記載の全ての行動を適切に採っている場合には、取引条件の設定に当たり取引当事者間で十分に協議が行われたものと考えられ、「通常は独占禁止法及び下請代金法上の問題は生じないと考えられる」と明記した。

発注者は経営トップによる対応を

「発注者」に対しての採るべき行動、求められる行動からみていくと、発注者には6点の行動を求めた。

1点目は、経営トップの関与で、「①労務費の上昇分について取引価格への転嫁を受け入れる取組方針を具体的に経営トップまで上げて決定すること、②経営トップが同方針又はその要旨などを書面等の形に残る方法で社内外に示すこと、③その後の取組状況を定期的に経営トップに報告し、必要に応じ、経営トップが更なる対応方針を示すこと」と記載した。

理由について指針は、「発注者の経営トップが、自社の取組方針として認容していなければ、労務費の転嫁の実現は困難である」とするとともに、「経営トップが取組方針として認容していたとしても、交渉現場の担当者が、その方針を認識し、認容していなければ、労務費の転嫁の実現は困難である」と指摘した。

また、「当該取組方針が、社内に留まっている限り、取引先である受注者は知ることができない」ことから、「発注者の経営トップが、たとえ短期的にはコスト増となろうとも、労務費の上昇分の取引価格への転嫁を受け入れていく具体的な取組方針及びその方針を達成するための施策について意思決定し、社内の交渉担当者や、取引先である受注者に対し、書面等の形に残る方法で同方針又はその要旨などを示す、といった経営トップのコミットメントが求められる」と述べた。

転嫁の協議は「定期的」に実施を

2点目は、発注者側からの定期的な協議の実施で、「受注者から労務費の上昇分に係る取引価格の引上げを求められていなくても、業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回など定期的に労務費の転嫁について発注者から協議の場を設けること。特に長年価格が据え置かれてきた取引や、スポット取引と称して長年同じ価格で更新されているような取引においては転嫁について協議が必要であることに留意が必要」としている。

この理由については、「多くの場合、発注者の方が取引上の立場が強く、受注者からはコストの中でも労務費は特に価格転嫁を言い出しにくい状況にある」ことを踏まえると、「積極的に発注者からそのような協議の場を設けることが、円滑な価格転嫁を進める観点から有効かつ適切」だと説明した。

また労務費に特有の状況として、「発注者においても受注者においても、その上昇分は自社の生産性や効率性の向上を図ることで吸収すべき問題であるとの考え方が深く根付いている」ことから、「そのような状況にあっては、受注者からの協議の要請は非常に困難」と指摘した。

公表資料を合理的な根拠として尊重を

3点目としては、説明・資料を求める場合は公表資料とすることを求めた。「労務費上昇の理由の説明や根拠資料の提出を受注者に求める場合は、公表資料に基づくものとし、受注者が公表資料を用いて提示して希望する価格については、これを合理的な根拠があるものとして尊重すること」としている。

受注者からの労務費の転嫁の求めに対し、発注者の交渉担当者が社内決裁を通す必要等の理由で、労務費が上昇した理由の説明や根拠資料の提出を求めること自体については、指針は「問題はない」としている。だが特別調査では、発注者が過度に詳細な理由の説明や根拠資料を求めたり、受注者が明らかにしたくない内部情報の提出を求めた結果、受注者が転嫁の要請を断念した事例もみられた。また、サプライチェーン上のある発注者が直接の取引先である受注者にこれらの求めを行えば、当該受注者は、この求めに対応するために、その取引先である受注者に対して同様の求めを行うこととなるため、指針は「連鎖的に同様の行為が行われる」と懸念を示した。

公表資料の具体的な例としては、「都道府県別の最低賃金やその上昇率」「春季労使交渉の妥結額やその上昇率」「国土交通省が公表している公共工事設計労務単価における関連職種の単価やその上昇率」「一般貨物自動車運送事業に係る標準的な運賃」をあげている。

サプライチェーン全体を意識した対応を

4点目に、「労務費をはじめとする価格転嫁に係る交渉においては、サプライチェーン全体での適切な価格転嫁による適正な価格設定を行うため、直接の取引先である受注者がその先の取引先との取引価格を適正化すべき立場にいることを常に意識して、そのことを受注者からの要請額の妥当性の判断に反映させること」と、サプライチェーン全体での適切な価格転嫁を求めた。

理由として、「価格転嫁はサプライチェーン全体で取り組まなければ実効性が確保されない」ことから、「直接の取引先やその先の取引先を含めた、取引事業者全体での付加価値を向上させるため、適切な価格転嫁による適正な価格設定をサプライチェーン全体で定着させる必要がある」と説明した。

受注者が価格交渉を求めたことを理由とする取引停止に警告

5点目に、「受注者から労務費の上昇を理由に取引価格の引上げを求められた場合には、協議のテーブルにつくこと。労務費の転嫁を求められたことを理由として、取引を停止するなど不利益な取扱いをしない」として、要請があった場合に協議のテーブルにつくことをあげた。

最後に6点目として、「受注者からの申入れの巧拙にかかわらず受注者と協議を行い、必要に応じ労務費上昇分の価格転嫁に係る考え方を提案すること」とし、必要に応じて考え方を提示することをあげた。

受注者は公的機関等を活用した相談や情報収集を

指針は、「受注者」に求める採るべき行動、求められる行動としては4点を提示した。

1点目は、相談窓口の活用で、「労務費上昇分の価格転嫁の交渉の仕方について、国・地方公共団体の相談窓口、中小企業の支援機関(全国の商工会議所・商工会等の相談窓口など)に相談するなどして積極的に情報を収集して交渉に臨むこと」と言及した。

特別調査によれば、労務費は原材料価格やエネルギーコストとは異なり、固定費であり「発注者と交渉をしていくという問題意識を持ちづらい」という声がある。また、「受注者としてもどのように臨めばよいか戸惑うことも多いことが想定される」ことから、受注者は公的機関等の相談窓口を活用した積極的な情報収集が求められるとしている。

自社の労務費の情報を開示しなくても価格転嫁は認められうる

2点目は、根拠とする資料について述べ、「発注者との価格交渉において使用する労務費の上昇傾向を示す根拠資料としては、最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの公表資料を用いること」とした。

指針は「受注者の自主的な判断で自社の労務費の状況を発注者に示すことを否定するものではない」としたうえで、特別調査において、労務費上昇分の価格転嫁の交渉に際し、根拠資料を用いずに行い価格転嫁が認められた事例や、根拠資料として自社の労務費に関する情報を発注者に開示せずに行い価格転嫁が認められた事例が「多数みられた」と紹介。こうした現状を踏まえ、経済の実態が反映されていると考えられる公表資料を用いるべきとした。

会計年度などにあわせた定期的な交渉を

3点目は、値上げ要請のタイミングについて触れている。「労務費上昇分の価格転嫁の交渉は、業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回などの定期的に行われる発注者との価格交渉のタイミング、業界の定期的な価格交渉の時期など受注者が価格交渉を申し出やすいタイミング、発注者の業務の繁忙期など受注者の交渉力が比較的優位なタイミングなどの機会を活用して行うこと」と明記した。

指針は、発注者に向けては「定期的に協議の場を設けることが求められる」としつつも、受注者からも「労務費の転嫁の交渉を、定期的な協議の場を活用して積極的に行っていくべき」と述べた。

また、特別調査で得られた交渉のタイミングの例として、「発注者の会計年度に合わせて発注者が翌年度の予算を策定する前」「定期の価格改定や契約更新に合わせて」「最低賃金の引上げ幅の方向性が判明した後」「国土交通省が公表している公共工事設計労務単価の改訂後」「年に1回の発注者との生産性向上の会議を利用」「季節商品の棚替え時の商品のプレゼンの機会を利用」「発注者の業務の繁忙期」をあげた。

最後に4点目は、「発注者から価格を提示されるのを待たずに受注者側からも希望する価格を発注者に提示すること。発注者に提示する価格の設定においては、自社の労務費だけでなく、自社の発注先やその先の取引先における労務費も考慮すること」をあげ、受注者みずから希望する額を提示することをあげた。

指針は、「多くの場合、発注者の方が取引上の立場が強く、受注者からはコストの中でも労務費は特に価格転嫁を言い出しにくい状況にある」ことを踏まえると、「発注者から先に価格を提示されてしまえば、その価格以上の額を要請すること、また、交渉によりその要請額を実現することは非常に困難になる」と指摘。そのため、「受注者は、発注者からの提示を待つことなく、関係者がその決定プロセスに関与し、経済の実態が反映されていると考えられる公表資料などを用いて自社が希望する価格を自ら発注者に提示するべき」とした。

定期的なコミュニケーションや交渉記録の作成・保管を

「発注者・受注者の双方」が採るべき行動、求められる行動としては、「定期的にコミュニケーションをとること」「価格交渉の記録を作成し、発注者と受注者と双方で保管すること」の2点を示した。

定期的なコミュニケーションについては、「多くの場合、発注者の方が取引上の立場が強く、受注者からはコストの中でも労務費は特に価格転嫁を言い出しにくい状況にある」ことを踏まえると、「日頃から、些細な話でも気軽に相談できる関係を築けていなければ、受注者の置かれている環境の変化、例えば優秀な人材の流出の危機などに適時適切な対応が行えず、対応が後手に回るといった弊害が生じることも考えられる」とした。

価格交渉の記録の作成・保管については、「双方の認識のズレを解消し、トラブルの未然防止に役立つ」としたほか、特別調査において、「記録を作成する具体的なメリットとして、発注者・受注者ともに人事異動が発生することから、記録を作成することにより、次回以降の交渉をスムーズに開始できる」との声が寄せられたことを紹介した。

価格転嫁が進んでいない業種などで指針の周知活動を行う

今後の対応として、内閣官房は、「各省庁・産業界・労働界等の協力を得て、今後、労務費の上昇を理由とした価格転嫁が進んでいない業種や労務費の上昇を理由とした価格転嫁の申出を諦めている傾向にある業種を中心に、本指針の周知活動を実施する」としている。

公正取引委員会は、発注者が指針に記載された採るべき行動・求められる行動に沿わないような行為をすることで、公正な競争を阻害するおそれがある場合には、独占禁止法および下請代金法に基づき厳正に対処していくとした。また、労務費の価格転嫁の協議に応じない事業者について、受注者が匿名で情報提供できるフォームを設置して各種調査に活用するとしている。

(調査部)

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