医療・福祉や運輸、接客など社会インフラを支える職業での「キャリアラダー」構築の重要性を提起
――厚生労働省の「2025年版労働経済白書」
スペシャルトピック
厚生労働省が9月に公表した2025年版労働経済白書は、「労働力供給制約の下での持続的な経済成長に向けて」をテーマに掲げた。労働供給量の制約があるなかで、今後、持続可能な経済成長を実現するには労働生産性の向上の推進が最も重要だと指摘。また、社会インフラに関連する分野での人材確保に焦点を当て、医療・福祉や運輸、接客などの社会インフラを支える職業が他の職業よりも賃金が低いことや、スキルや経験の蓄積が賃金に十分に反映されていないことに言及したうえで、スキルや経験の蓄積に応じて賃金が段階的に上昇する仕組みである「キャリアラダー」の構築の重要性を提起した。
分析結果などを報告した第Ⅱ部に絞り、主な内容を紹介する。
1.持続的な経済成長に向けた課題
1-1 GDP成長率と労働力供給量の推移
1990年代、2000年代の実質GDP成長率は主要国中最低
白書ははじめに、日本、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリアの6カ国(以下、主要国)の1980年以降の過去約40年間の実質GDP成長率をみた。日本は米国、英国よりは低いものの、フランス、ドイツとほぼ同水準となっている。
年代別に実質GDP成長率の推移をみると、1980年代の日本は4.5%で、旺盛な消費需要、活発な設備投資、輸出の拡大などを背景に主要国で最も高かった。しかし、1990年代、2000年代はバブル経済の崩壊の影響を受け、主要国で最も低かった。2010年代以降は、ドイツ、フランスと大きな差がなくなっている。
女性の労働力供給量は増えているものの、生産年齢人口は減少の予測
日本の労働力供給量の推移をみると、1990年代以降は緩やかに減少していたものの、2021年以降はほぼ横ばいとなっている。男女別にみると、男性は1990年代以降減少傾向が続いているが、女性は2010年代以降増加傾向にあり、白書は「働き方改革の推進や多様な働き方の広がりなどによる女性の労働参加が労働力供給量にプラスの影響を与えている」とした。
生産年齢人口の2040年までの将来推計をみると、米国、英国は増加傾向が見込まれるが、日本、ドイツ、フランス、イタリアは減少が予測されている。
労働生産性の向上の推進で持続的な経済成長を
そのうえで、労働力供給制約が今後も続くことをふまえ、持続的な経済成長のためには、労働力供給以外の要因に着目することが必要とした。
GDP成長率の変化は、労働力供給量の変化と実質労働生産性の変化で表せることから、白書は要因分解を行い、これらの実質GDP成長率の変化への寄与を確認した。
1980年代は労働力供給量の増加が実質GDP成長率の上昇に寄与したが、労働力供給量の増加よりも実質労働生産性の上昇が大きく、実質GDP成長率を押し上げていた。しかし、1990年代以降は実質労働生産性の寄与が低下し、成長率の鈍化につながった。
こうした分析もふまえて白書は、労働力供給量をできるだけ維持することを前提としつつも、「持続可能な経済成長には、労働生産性の向上を推進していくことが最も重要」と主張した。
1-2 労働生産性の向上に向けた課題と対応
「ICT投資」の寄与度は米国よりは低いが、英国・ドイツとは遜色ない
名目労働生産性の上昇率について、その要因を、スキル別の労働者の構成比率を表す「労働者の構成比」、研究開発費、人的資本投資およびソフトウェア投資を含む「無形資産投資」、PCなどのハードウェアを中心とする「ICT投資」、建物、機械、付属設備投資などの「非ICT投資」、技術革新、社会構造変化などの「その他」に分解したうえで、それぞれの寄与度を国際比較した。
日本の「非ICT投資」の寄与度は米国、英国、ドイツよりも高い。「労働者の構成比」の寄与度は英国には及ばないものの、米国、英国、ドイツと比較して遜色がない。「ICT投資」の寄与度は米国よりは低いが、英国、ドイツと異なりプラスであり、非ICT投資と同様に英国・ドイツと比較して遜色がないという状況となっている。
そのうえで白書は、日本においては組織の再編や従業員への追加的なICTスキルに関するトレーニング費用を避けるため、企業が独自のIT機器を使い続けたことなどにより、ICT資産を非効率に活用してきた可能性があるとの考え方を示した。
「無形資産投資」の寄与が低い背景にソフトウェア投資の遅れ
一方、「無形資産投資」の寄与度は米国、英国、ドイツと比較すると低水準で、2010年代の日本はほぼ0%となっている。
無形資産の動向をより詳細に確認するために、無形資産をソフトウェア投資、データベースなどが対象の「情報化資産」、研究開発、著作権、デザインなどが含まれる「革新的資産」、ブランド、企業特殊的人的資本、組織改編費用が対象となる「経済的競争能力」に分けてみている。
それによると、日本の「革新的資産」「情報化資産」のGDP比は、米国、英国、ドイツと比較して遜色がない。しかし、「情報化資産」の多くを占めるソフトウェアの資本ストックについては、非製造業で米国、英国、ドイツと比べて伸びが低迷していることから、「非製造業におけるAI投資の中核を構成しているソフトウェア投資の遅れが課題」と指摘した。
2.社会インフラを支える職業の人材確保に向けて
2-1 社会インフラを支える職業が直面する人手不足の現状
「社会インフラ関連職」は就業者全体の35%
白書は、人手不足がみられ、安定的な人材確保が求められる社会インフラを支える職業として、「命に関わる仕事」「物流・インフラに関わる仕事」「日々の生活に関わる仕事」の3つを想定し、これらに対応する職業を「医療・保健・福祉グループ」「保安・運輸・建設グループ」「接客・販売・調理グループ」(以下、3つのグループ)に分類したうえで、これらを「社会インフラ関連職」と定義し、その現状や特徴を確認した。
就業者全体に占める「社会インフラ関連職」の割合は、「医療・保健・福祉グループ」が約11%、「保安・運輸・建設グループ」および「接客・販売・調理グループ」がそれぞれ12%で、3グループあわせて約35%となっている。
2015~2024年の就業者数の変化について、「社会インフラ関連職」と「非社会インフラ関連職」に分けて比較すると、「非社会インフラ関連職」は322万人増加しているが、「社会インフラ関連職」は58万人の増加にとどまっている。この動きをもとに白書は、「全体として就業者数が増加する中で、社会インフラ関連職については相対的に就業者の増加が緩やかであり、人材確保が非社会インフラ関連職に比べて難しい状況にあったことが示唆される」とした。
「社会インフラ関連職」での女性参画が相対的に進まず
また、男女別に就業者数の推移をみると、「非社会インフラ関連職」は男女ともに増加傾向で、特に女性の増加が顕著となっている。「社会インフラ関連職」では女性は増加しているが、男性は緩やかに減少している。ただし、女性の増加幅は非社会インフラ関連職に比べて顕著ではなく、これが社会インフラ関連職の就業者数の伸び悩みに影響しており、白書は「女性の就業者数が全体として増加しているなかで、社会インフラ関連職における女性の参画が相対的に進んでいない」と指摘した。
2-2 社会インフラを支える職業の特徴
賃金・賞与ともに「非社会インフラ関連職」より低位
平均賃金をみると、きまって支給する現金給与額は「社会インフラ関連職」が約32万円で、「非社会インフラ関連職」の約36万円より低い。3つのグループ別にみると、「医療・保健・福祉グループ」「保安・運輸・建設グループ」が約33万円、「接客・販売・調理グループ」が約27万円となっている。
また、年間賞与その他特別給与額にも差がみられ、「非社会インフラ関連職」が約107万円に対し、「社会インフラ関連職」は約57万円にとどまっている。
年間所得は「非社会インフラ関連職」が約541万円に対して「社会インフラ関連職」は約436万円と、100万円以上の開きがある。
「社会インフラ関連職」に見られない賃金分布の高所得層への広がり
白書はさらに、賃金を「平均」でみると一部の高所得者によって押し上げられている可能性があることから、賃金の「分布」にも着目した。相対的に人手不足が深刻でない事務職は、社会インフラ関連職よりも高所得者層への賃金の広がりが相対的に大きくなっていることを指摘し、その背景として「事務職が多様な業務内容を含むうえ、スキルや経験の蓄積に応じて賃金が上昇する仕組みとなっている」ことをあげた。
そのうえで白書は、「事務職は経験などによって高所得を得る人が一定数存在するため、月額賃金の分布が相対的に高所得側に偏った形状となっている一方で、社会インフラ関連職にはそのような高所得層への広がりはみられなかった」ことや、「こうした違いには、スキルや経験の蓄積に応じ、処遇が段階的に改善される『キャリアラダー』の有無やその運用の違いが影響している可能性がある」ことに言及した。
そのほか「社会インフラ関連職」の特徴として、労働時間が長いこと、テレワークが進んでいないこと、働く人の仕事への価値観において「奉仕・社会貢献」「良好な対人関係」「達成感」「自律性」といった項目で満足感を得やすい傾向にあることなどを紹介した。
2-3 社会インフラを支える職業の人材確保に向けて
「社会インフラ関連職」は経験に対する賃金の伸びが限定的
次に白書は、長期的なキャリアを支える制度の構築について検討した。「社会インフラ関連職」と「非社会インフラ関連職」の賃金カーブを比較すると、「非社会インフラ関連職」は若年期から55~59歳にかけて賃金が年齢とともに上昇しており、賃金カーブは山なりの形状を示している。これについて白書は、「年齢をスキルや経験の代理変数と捉えた場合、年齢の上昇に伴ってスキルや経験が蓄積され、それによって労働生産性が向上し、結果としてより高い賃金が得られるという構造が成り立っている」とした。
一方、「社会インフラ関連職」では、年齢とともに賃金が上昇する傾向はあるものの、賃金カーブの傾きは緩やかで、経験に対する賃金の伸びが限定的となっている。また、3つのグループに分けて賃金カーブを確認すると、「医療・保健・福祉グループ」では年齢上昇に伴う賃金上昇がある程度みられるが、「保安・運輸・建設グループ」「接客・販売・調理グループ」では年齢の上昇に伴う賃金上昇が相対的に小さい。
さらに学歴別に賃金カーブを分析すると、事務職の大学卒以上では年齢とともに賃金が上昇し、いわゆる山型のカーブを描く傾向がみられる。しかし「社会インフラ関連職」の大学卒以上では、賃金の上昇は事務職と比較して緩やかで、年齢による賃金の伸びは限定的となっている。
高校卒は、「医療・保健・福祉グループ」「接客・販売・調理グループ」では全体として事務職よりも賃金が低い水準で推移している。「保安・運輸・建設グループ」では、若年層では事務職よりも賃金水準が高いが、40代後半以降は賃金の伸びが緩やかになり、50代前半以降は事務職を下回る傾向となっている。
スキルや経験の蓄積が賃金に反映されていない傾向は学歴別でより顕著に
こうした統計をふまえて白書は、「社会インフラ関連職では、スキルや経験の蓄積が賃金に十分反映されていない仕組みとなっており、その傾向は学歴別にみたときにより顕著となる」と指摘。長期的に安心して働くためには、「社会インフラ関連職」においても、スキルや経験の蓄積に応じて賃金が段階的に上昇する仕組である「キャリアラダー」の構築を進めることが、人材の長期的な確保と育成において重要な要素となるとした。
3.企業と労働者の関係性の変化や労働者の意識変化に対応した雇用管理
3-1 企業と労働者の関係性の変化
転職市場が拡大し、入職者数が8,000万人を超える
白書は、企業と労働者の関係性の変化および労働者の意識変化に対応した雇用管理のあり方を検討するため、①企業と労働者の関係性の変化②労働者の意識変化③継続就業を促す雇用管理――について分析した。
企業と労働者の関係性の変化については、転職市場を中心とした労働市場の動向に着目した。求人動向をみると、ハローワークにおける新規求人数は、景気変動の影響を受けつつも、全体として増加傾向となっている。また、1990年代以降は民間の職業紹介事業所数が増加しており、白書は「転職市場が拡大してきた」と指摘。転職市場の拡大に伴い入職者数は増加傾向にあり、1991年に約6,000万人だった入職者は2023年に8,000万人を超えている。
さらに、年功賃金に着目した分析も行った。新卒での採用時から継続的に同一企業に就業している労働者を「生え抜き社員」と定義し、その賃金カーブをみると、年齢・勤続年数に従って賃金が上昇する年功的な賃金体系が確認できる。ただし、1993年以降の賃金カーブの変化をみると、長期的にはフラット化している。
また、年齢階級別に生え抜き社員割合の推移をみると、25~34歳では上昇しているものの、35~44歳、45~54歳では長期的には低下傾向にある。
3-2 労働者の意識変化
仕事と余暇のバランスを重視する方向に価値観が変化
仕事と余暇との関係性について、NHK放送文化研究所「『日本人の意識』調査」をもとに確認すると、「余暇も時には楽しむが、仕事のほうに力を注ぐ」とする人は、1973年は36%だったが、1993年は21%、2018年は19%と減少している。一方で「仕事にも余暇にも、同じくらい力を入れる」とする人は、1973年は21%だったが、2018年には38%となっている。
こうした経年での変化をもとに白書は、「余暇の重要性が相対的に高まり、仕事と余暇のバランスを重視する方向へと価値観が変化している」と指摘したうえで、「こうした働く意識の変化は、様々なライフイベントがある中で価値観の多様化を反映しており、労働者の意識変化に応じ、それぞれのライフイベントに合わせた働き方が可能となるよう雇用管理を行うことが必要」と主張した。
20代、30代で高い「転職を通じたキャリア形成が望ましい」とする割合
さらに、JILPTが2025年に実施したアンケート調査の結果をもとに、世代間の働く意識の差異についても分析した。
現在の勤め先での継続就業の希望については、いずれの年齢階級でも「現在の企業で長く勤めることが望ましい」とする人のほうが「転職を通じたキャリア形成が望ましい」よりも多かった。しかし、20代、30代は「転職を通じたキャリア形成が望ましい」とする割合が他の年齢階級よりも高くなっている。
仕事の価値観については、20代、30代で賃金水準を重視する傾向が顕著で、若年層ほど処遇面への関心が高いことがうかがえた。仕事スタイルについては、30代でタイムパフォーマンスを重視する傾向がみられた。
若年層が転職しない理由は、訓練の充実や多様な経験機会など
現在の勤め先で就業を継続する理由をみると、若年層において「教育訓練・研修制度が充実し、スキル向上が可能」「ジョブローテーションがあり、多様な経験がつめる」「自分が希望するポジションへの応募が可能であり、自律的なキャリア形成が可能」といった理由をあげる割合が高かった。
自主的な能力開発の実施状況を年齢階級別にみると、年齢が低いほど「能力開発を行っていない」とする割合が低い。また、「仕事に関する専門的知識(AI・IT以外)」「業務に関する資格取得に必要な知識」などに取り組んでいる割合は、若年層のほうが高い傾向となっている。
こうした結果をもとに白書は、「若年層では継続的な雇用を望む意識が相対的に低く、仕事内容よりも賃金水準を重視する傾向があること、自己成長への関心も高いことが明らかとなった」「30歳台では効率性を重視した働き方を志向する姿勢がみられる」と指摘した。
そのうえで、企業における若年層・中堅層の長期的な定着を促す施策について、「処遇面の改善に加え、仕事の効率性を高める仕組みづくりや、適切な能力開発の実施を進めていく必要がある」とした。
3-3 継続就業を促す雇用管理
働きやすい職場環境が労働者の継続就業を促進
白書は、人手不足下において、労働者の意識変化やライフイベントに合わせた働き方が可能となる雇用管理が具体的にどのようなものか確認する分析を、JILPTのアンケート調査をもとに行った。
まず、労働者の職場環境への認識をみると、「働きやすい」が約28%、「まあ働きやすい」が約56%、「働きにくい」が約16%となっている。
労働者を「働きやすい」「まあ働きやすい」「働きにくい」の3つのグループに分け、各グループの「現在の企業で長く勤めることが望ましい」と考える労働者の割合をみると、「働きやすい」では約88%、「まあ働きやすい」でも約72%にのぼるが、「働きにくい」では約39%となっており、「働きやすい職場環境が労働者の継続就業を促進するために必要」と指摘した。
「働きにくさ」の要因は、慢性的な人手不足や相談できる人材がいないなど
働きやすさの要因(複数回答)についてみると、「働きやすい」「まあ働きやすい」とする労働者の約61%が「残業が少ない」ことをあげており、約50%が「柔軟な有休制度の導入・推進」をあげた。
働きにくさの要因(複数回答)については、「働きにくい」とする労働者の約68%が「慢性的な人手不足」をあげており、「人手不足対策と働きやすい職場環境づくりは両輪で進めていく必要があることがうかがえる」とした。さらに、「職場で仕事上の相談ができる人がいない」「管理職層から働き方改革関連の発信がない」「長時間労働に対する指導・助言の徹底がなされていない」といったマネジメント面の課題も、働きにくさに影響を与えている要因であると主張した。
こうした分析から白書は、「継続就業希望を高めていくためには、働きやすい職場環境をつくっていくことが重要」としたほか、「労働者は残業が少ないことや柔軟な有休制度があることによって、働きやすいと感じる一方で、人手不足の環境や仕事上の相談が出来る人がいないといった環境を働きにくいと感じている」と指摘した。
(調査部)


