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(参考資料)能力を生かす多様な働き方の例
1 正社員
Aさん [社会福祉法人職員 家族・・夫、子供2人(15歳,14歳)] Aさんは、結婚を機に、29歳で、事務職で働いていた建設会社を退職した。子供が生まれ子育てに専念していたが、家庭の中だけにいると社会的な視野が狭くなると感じていたので、何か仕事をして手に職をつけ社会貢献をしたいと思うようになった。33歳の時、ある病院の行っている在宅の病人の入浴ボランティアを始めた。その後、同病院の栄養科の給食部門で有給のパートタイム労働を経て、知人の紹介で行政書士事務所にパートタイム労働者として就職、3年間程勤めたが、そこで福祉関係の仕事をしている人と知り合い、講習を受けてホームヘルパー3級の資格を取得、そのまま勤めを続けながらボランティアとしてホームヘルパーをしていた。 Aさんは事務所の仕事よりホームヘルパーの方が自分の適性に合っていると思い、地域で市民運動を行っている福祉会に所属、高齢者への福祉活動を行うようになった。Aさんはそこで頭角をあらわし、同会の運営委員として活躍、やがて、痴呆症のお年寄りを中心として世話をする宅老所を作り活動を行っていた。 そんな時、阪神大震災が発生、それを機に新たな問題意識が生まれ、ある医療団体と協力して社会福祉法人を設立、デイサービスセンターの活動を開始した。 同社会福祉法人の発足に当たって、Aさんは、ボランティアではなく正規職員を希望し、43歳で寮母職という専門職で採用された。ボランティアとして宅老所で高齢者の世話をしている中で、様々な経験や知識を蓄え、ボランティアではなく職業として責任を持って働きたいという意欲が生まれたからである。 Aさんは、現在も、仕事の傍ら、介護福祉士の国家資格を取るため、通信教育で勉強に励むとともに、日々、福祉全般に関する情報収集を怠らない。仕事をしながら学習するのは、大変なことだが充実感がある。 将来も高齢者福祉の問題については、自分のライフワークとして若い人達とも一緒に取組んでいきたいと考えている。 |
Bさん [会計事務所社員 52歳 家族・・・夫、子供2人(27歳、23歳)] Bさんは、結婚1年後、定期預金担当として働いていた信用金庫を退職し、24歳で専業主婦となった。 専業主婦時代、子育てをとても楽しく思っていたが、漠然と仕事をすることへのあこがれがあり、子育ての手が離れてくると、何か働きたいと強く思うようになった。そして、35歳の時、新聞の求人欄で募集していた会計事務所のパートタイムに応募した。応募には、簿記の資格が必要であったが、自分は応募資格に当てはまらなかったものの、信用金庫で働いていた頃から簿記を勉強したいと思っていたので、勉強して資格をとるので、資格をとったあと採用してほしいと応募してみると、経営者が柔軟な態度で「資格がないのなら、指導します。」と言って採用してくれた。 採用してもらえることになったものの、下の子供がまだ小学校入学前だったので「午前中しか働けないし、子供に何かあってすぐに帰らなくてはならないこともあるかもしれない」ことを相談すると、経営者が、繁忙期だけ、元帳や試算表を家で作成するという在宅勤務を提案してくれた。当時、伝票1枚20円で、再就職後初めてもらった給料は月4万円だった。 その後5年間は、在宅勤務者として、確定申告時1ヶ月間だけパートタイム労働者(午前中勤務)として働いていた。 39歳の時、所長から正社員にならないかとの誘いがあり、自信はなかったが、やってみようと思い正社員になった。正社員はパートタイムと違い仕事に責任を持たなくてはならないので大変だったが、家族に励まされ頑張った。 現在の主な仕事は、事務所にいる7人の税理士が顧問先からもってくる伝票、領収書等の資料を整理、パソコンへの入力、試算表や経営分析等のデータの作成、決算書の作成、税務署への提出等会計業務のほか、会社の経理、パートタイム労働者の雇用管理等である。正社員になってから、東京都の職業訓練所の簿記、工業簿記の講座や市役所主催のワープロ講座を受講し、自己の能力開発に努め、簿記検定にも挑戦している。 再就職して、自分で給料を取れること、様々な人に会えることが楽しい。在宅勤務から始めてここまで続いたのは、始めて会計の仕事をしたとき、数字をぴたりと合わせることに面白さを感じたこと、小さい会社であったためか、経営者が、子育て中の自分に柔軟に対応してくれたことが理由であると思う。 Bさんは35歳で再就職して、「家事よりも、断然仕事の方が楽しい」と感じている。35歳から再就職することについて大変だったとは思っていない。 現在、納税の仕事に少しでも携わり国のためにも働いていると思うと世の中に少しでも役立っているようで、1年でも長く働いていたいと思っている。 |
2 在宅就労
Cさん [在宅の地域プランナー 家族・・夫、子供3人(10歳、8歳、6歳)] Cさんは現在40歳。大学卒業後、Y研究所に4年間勤めた。地域プランナーを目指してZ社に転職したが、出産を機に退職した。Z社には在宅勤務を実施する制度も前例もなかったため、制度的には退職の形を採り、プロジェクト単位で仕事を請け負う在宅就労者となった。 結婚後の働き方として在宅就労を選択したのは、@危機管理の視点から、子供の近くで仕事を継続したかったこと、A家庭の延長として、地域社会での活動にも参加しようと考えたこと、B実態ある地域との関わりを通して更に地域プランナーとしての資質を高めたいと考えたことなどである。 仕事はZ社のスタッフとして地域プランのアイデア出しやアンケート調査の設計・分析等を1件1〜10万円等の金額で請け負っていたが、不況とともに外部の業者扱いとなり、アイディア等の付加価値部分や交通費等の実費の支払いがカットされた。その頃から以前勤務していたY研究所との関わりが再開し、口約束ではあるが、月10万円をアルバイト料として確保し、研究プロジェクトに加わるようになった。仕事は次第に広がり、子供も次第に大きくなった。夫の転職を機に夫の職場と同じ区内に転居したことで、夫婦の役割分業も大きく変化し、夫は家事や育児を楽しみ、Cさんは仕事量を増やしたり出張に出かけることも可能となった。パソコン通信やインターネットの活用により、仕事の効率性も格段に上がるとともに、新たな費用負担も生じている。そんな中で、この春個人開業し、より独立的に仕事を展開するようになった。 自分の能力開発については、より望まれる地域プランナーとなるため、経験的実践を踏むべく地域のボランティア活動に参加したり、必要に応じて近くの大学の講義を聴講したり、在宅ならではのメリットを感じながら情報収集にも力を入れている。また、自らの経験を踏まえ、仕事と生活の調和に可能性を拓く在宅型の働き方に着目して在宅ワーク研究会を主宰し、多様な働き方をする仲間とともに市民活動型の自主研究を行っている。 家庭との両立には夫の協力が不可欠ではあるが、在宅就労という就業形態を選択したことにより、3人の子供を育てながらも、自分の専門性を活かして仕事に取り組んでおり、仕事と家庭の両立が自然な形でできていると思っている。 |
Dさん [フリーライター 家族・・夫、子供2人(12歳、9歳)] Dさんは、大学卒業後すぐに結婚、夫の不動産業を手伝っていたが、25歳の時に、長男が生まれて専業主婦となった。しかし、その間も働きたい、自分の能力がどれだけ社会で評価されるのか試してみたいという気持ちが強かった。31歳の時に医学専門書の販売会社にパートタイム労働者として再就職した。新聞等の求人欄を見て他にも10社程応募したものの、他はどこも小さな子供がいる等の理由で採用してもらえなかった。もともと、読書や文章を書くことが好きだったので、仕事をしながらアマチュア誌の原稿を書いたりしていたが、人からプロのライターになることを進められ、専門学校に1年通い、35歳でフリーのライターとなった。現在は、定期的な雑誌原稿の執筆を1件担当しているほかに、テレビ、ラジオ等の仕事も手がけている。 育児をしながらの再就職は大変で、特に、次男の保育園がなかなか見つからず苦労した。また、自分としては人並み以上に働いているつもりでも、常に家庭責任の問題がついて回り、仕事か家庭かの選択を迫られる場面がよくある。一般的にも、個人としての能力評価ではなく、子持ちだからということで再就職女性の能力は低く見られていることを感じるし、継続就業していた者との経験・能力等の蓄積量の差も感じる。 しかし、再就職して本当によかったと思っている。自分の能力が社会で評価されることへのやり甲斐、経済的にも自分で保険料、税金を納めて自立できていることに喜びを感じる。 一度、専業主婦を経験しているため、家事・育児の重要性は良く認識している。家庭を犠牲にするような仕事の仕方はしたくない。家事・育児にも関わりながら仕事をしていきたいと思っているし、これは男女を問わず新しい働き方だと思っているので家族や地域社会等の場で問題提起していきたい。今後は、現在執筆中の連載を本にまとめて出版したいという希望も持っている。 |
3 女性起業家
Eさん [パソコンソフト会社経営 家族…夫、子供2人(25歳、24歳)] |
4 ワーカーズ・コレクティブ
Fさん [ワーカーズ・コレクティブ 家族・・夫、実母、子供(17歳、15歳、13歳)] |
5 ボランティア的就業
Gさん [保育ボランティア 39歳 家族・・夫、子供2人(8歳、5歳)、義母] |