緊急コラム #009
9月入学と就職

著者写真

人材育成部門 主任研究員 堀 有喜衣

2020年5月8日(金曜)掲載

9月入学が注目を集めている。9月入学の社会的影響は多岐にわたるが、学校教育についての議論が中心となっており、就職との関連については現在のところあまり考察されていないように見受けられる。これまで9月入学によって就職が変わるかのような報道も見られているが、筆者は9月入学それ自体によって現在の新卒採用の基本的なあり方は変わらず、雇用が悪化する時期においては課題が大きくなる可能性が高いと推測する。以下では、9月入学と就職に絞って考えてみたい。

今回の9月入学は、就職については基本的に採用・就職時期の変更に帰結すると考えるのが無難である。これまでも大卒者の就職活動開始時期に関するルール(かつての就職協定)はたびたび変更されてきたが、在学中に訓練可能性を指標として内定を出す新卒一括採用は揺らぐことはなかった。例え9月入学であっても時期の変更のみにとどまる以上、基本的なあり方には変更は生じないだろう。

ただし一般に同世代が多い場合に就職難になりやすいということは広く知られているため、就職難を避けるためにはある学年だけ人数が増えるという事態は避けなくてはいけない。特に現状のようにただでさえ悪化しつつある新卒労働市場に例年よりも多い新卒者を送り込めば、フリーターや若年失業者等が増加する恐れがある。悪影響を避けるためには、雇用状況がよい時期に、生まれ月の調整により卒業年を5年程度にわたって分散させるのも一つの方法である。

企業側については、4月採用のために中退させて入社させるような企業はあまりないだろうから、9月入学という与件に対応することを迫られる。ただし採用は他の企業との競争でもあるため、卒業と同時に就職するという規範がまだ根強い日本社会において、卒業後に内定を出すという他の社会で見られるような採用に変更する企業も少ないだろう。また9月入学になったとしても、多くの日本企業が日本の学生を採用する場合にグローバルな採用と同じ基準で行うことは現在のところ考え難い。よって時期のみが変更された従来通りの新卒採用が維持され、9月入学によるグローバル化のメリットはきわめて限られたものになるだろう。すでに各所で指摘されているように、新卒者が4月に入ってこないために人手不足になる企業については、他の手段でタイムラグを埋めることも必要になる。

卒業が他の社会でよく見られるように6月になるのか、あるいは7月または8月になるのかよくわからないが、高卒者と大卒者についてそのまま現在のスケジュールを4月開始から9月開始にスライドして考えてみる。

高卒就職は現在最終学年の7月1日に求人が解禁され、9月16日より採用選考となっている。よって9月より新学期が始まるとすると12月1日に求人が解禁、2月16日より採用選考ということになる。高校生活は全日制の場合3年間しかなく、最終学年のみの就職・採用活動で卒業までに就職を決定するためには、スケジュールにあまり選択の余地はない。

現在の大卒就職は、大学3年の3月1日に広報解禁、大学4年の6月1日より採用選考ということになっている。よって3年生の終わりに位置する夏休み中の8月1日に広報解禁、4年の11月より採用選考になる。これまでは時間の取れる3年生の夏休みにインターンシップを行う学生が多かったが、2年生の夏か、3年生の冬休みないしは春休み(春休みがあるとすればだが)に行うことになる。大学生の進路選択や学生生活の過ごし方は大きく変わることになるが、大学生活は4年あるため、現在の採用スケジュールを変更することを含めて様々な調整ができるだろう。

以上のように、平時で雇用状況がよい時期に、それなりの時間と手間をかけて卒業年を分散化し、タイミングを選べば、9月入学の準備は可能だと考えられる。とはいえ就職という観点からのみ考えると、時期の変更にこれだけのコストを払うだけの価値があるのかどうかについては疑問が残る。

他方で、新型コロナウイルスの影響による新卒労働市場に対する影響はかなり大きくなることが見込まれている。雇用が悪化する時期に9月入学のような大きな変更が突然行われれば、新卒労働市場はさらに混乱し、安定した状態で労働市場に入っていける若者層はさらに減少することになることを懸念される。

不況下ではかつての就職氷河期のように新卒で正社員として就職できず、いったんフリーターや無業となったあとに正社員に移行する(ないしはフリーターとして滞留する)という移行形態が多くみられた。日本社会として、特に人口減少下において稀少な若者の不安定な移行過程を支える準備が再び必要となる可能性が高い。そうだとするなら、ここにリソースを割くのが現実的な選択肢であろう。

(注)本稿の主内容や意見は、執筆者個人の責任で発表するものであり、機構としての見解を示すものではありません。