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別紙2

平成9年度 建設業に働く若者からのメッセージ 入選者一覧表

 

  タイトル 氏 名
労働大臣賞 続けじいちゃんの後継 飯沢 広美
建設大臣賞 入社2年目の経験 竹内  崇
雇用促進事業団理事長賞 地震・自身・自信 近藤  淳
全国建設業協会会長賞 建設業の魅力 十河  徹
日本建設業団体連合会会長賞 私の夢 工  あい
全国中小建設業協会会長賞 建設機械と私 三野宮 治
全国建設専門工事業団体連合
会会長賞
憧れから始まった私の人生 副島栄美子
日本建設業経営協会会長賞 「造るイメージの大切さ」 土谷 賢一
全国建設産業団体連合会会長
あの日から 仲田 浩子




○平成9年度「建設業に働く若者からのメッセージ」労働大臣賞入賞作品

「続けじいちゃんの後継」

  • 筆者  :飯 沢  広 美
  • 勤務先 :小笠原建設(株)(代表者 小笠原  一男)
  • 従事業 :現場監督
  • 経験年数:6年3ヵ月

 「今日の酒は、なんぼうまいんだが」と言って帰ってくる大工のじいちゃん。幼い頃の記憶がなんとなくある。そんなじいちゃんの声も小学校卒業する頃には、聞かなくなった。じいちゃんも所謂"年"だった。両親が共働きだったため、私は、そんな環境の中で育ってきた。そんな私も、建設会社への就職が決定した。これから始まる社会人1年生にとって「私って何をする人だ?」って疑問から始まった。「体だけは大事に、体力勝負だ。」と言うじいちゃん。体力?エッ!もしかして"重労働"というイメージが焼きついた。でも、実際働いてみると違った。私の仕事は、建築技士。現場に出て指揮をとる、あの現場監督だ。体だけは大事にと言った、じいちゃんの言葉の意味がわかったような気がした。
 月日は、季節と共に過ぎ、4度目の秋も終わりに近づくと、上司は、「500uの工場1棟を代理人になってやってくれ、工期は2ヵ月間しかない。」と肩をたたかれた。私は、この現場で自分を試してみようと思った。通常は3ヵ月程の工期だが、2ヵ月と言われ無理だと思った。反面「やってやろうじゃないの、私にできないことはない」と自分を信じた。10月からの工事はスタートした。うまくいけば12月31日で終わる。もし、1つでも間違えれば、正月どころか、新年を新工場で働こうとしている人たちに、工場を引き渡せなくなる。もうミスは許されない。掘削から始まった。だが予想しないことに、砂混じりの土だった。地下水は湧いてくる。暗渠パイプも埋設されている。しかも大雨のため、地盤は緩んで掘削した所から崩れていく。時間はないのにあせる気持ちで周りが見えなくなっていた。現場をスムーズに進められない自分に苛立ちも感じた。現場での人手も少ない、どうしたらいい。そうだ、自分も手伝ってみよう。自分の仕事は暗くなってからでもできる。現場は昼しか動かない。そう思うと手にスコップを持ったり、鉄筋を組んだりしていた。意外にもやればできる、その調子だと思った。やっと現場もリズムが整ってきて流れに乗ってきた。そう気を抜いたときだった。「事故発生」。ダンプが電話の線を切るという事故だった。現場付近の2件の電話を不通にしてしまった。困った。どう処理すればいい。うまく言葉が出ない。まずは、電話を復旧せねばと思った。幸いにも、早急に復旧できた。残るは、現場サイドでの問題解決だ。私は、その日解決したはずの事故に納得がいかなくてずっと考えていた。なぜ?と思う気持ちが起きて現場から離れられない。暗闇に現場事務所の明かりを見つけたのか、上司が来てくれた。「どうした、こんな時間まで」と言われ返す言葉がなかった。次の日も冴えない顔色で出勤すると会社の人から「どうした」と肩をたたかれた。やっとの思いで打ち明けてみた。するとその人は、話が済むと「あなたの立場は、そのぐらい責任のある立場なんだぞ」と言われ、その発した言葉の意味がどれほど重いのか気付いた。忘れていた。私は、代理人だった。昔、じいちゃんに言われた、人を指揮する現場監督なんだ。心を入れかえて現場に戻り、作業員とのコミュニケーションを図った。もう1ヵ月も時間を使っていた。残る時間は1ヵ月、その間に、完成にまでこぎつけなければならない。工程表を書くたびにどうやっても終わらない工期に悩まされ、今度はどうやって乗り越えよう。自分との戦いも始まった。鉄骨が建った。これからは多数の業者が混在する。そのため、タイミングをうまくセットしないと次の業者に響く、更には工期にまで。それこそ私は、その点に非常に気を使った。そんな張りつめた空気の中にときどき工場の方が顔を出して「毎日、ごくろう様」と言ってくれる。なにげない言葉がすごく身にしみてくる。そんな時、私は私でしかできない仕事をやっていると誇りがもてた。業者との連携プレーの中、12月も中旬に入ると私には読めた。この仕事が成功することを。私は目標を定めた。12月31日大晦日、現場と新工場内を一回り清掃して帰れるように30日で完成させよう。そして、新年をすがすがしい気持ちで迎えようと思った。そして、私は自分で自分の中にある目標を達成し、建物を見上げた時「やった。」と心の底から笑顔が生まれた。その笑顔の奥には、多くの方の努力と協力があったから今こうして自分に自分で語りかけ、誇りが持てるのだと思った。目まぐるしい時間の中で私は、使命感も責任感も味わえた。
 新年になり新工場落成の日、工場の方から「時間がない中で本当に頑張ってくれました。ありがとう。お陰様で私達も新工場で新鮮な気持ちで仕事ができます。」と感謝された時、やっぱり私は、腕っぷしの強いじいちゃんの孫、やればできる、続けじいちゃんの後継と心に叫んで祝杯をあげた。やっぱり今日の酒は最高だったよ、じいちゃん。


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