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 優秀賞(女性局長賞)

  作品名「1通の手紙」

  神倉久子(56歳、神奈川県)



 最近、私は1通の外国郵便を受け取った。それはニューヨークに住む65歳になる義

姉からのものだった。手紙には、アメリカのベルリッツ語学校で日本語を教えるかたわ

ら、新たにもう1つニューヨーク大学の講師にも就職が決まり、語学教師として充実し

た日々を過ごしている近況がつづられていた。

 義姉はさらに、いまニューヨークの知識層の間では、定年退職後は体力の衰えを補う

ぶん、頭脳を使う仕事や趣味を始める人が多いようだと書き添えられていた。

 義姉は24才のときにアメリカに渡って以来、アメリカ在住で商社、銀行と勤め、6

0才で定年となり会社勤めにピリオドを打った。その生き方は、すっかりアメリカナイ

ズされ、合理的で、競争心旺盛で、自立心に富んでいる。そして転職ごとに待遇のあが

るアメリカ独特の能力主義がそのような生き方を可能にしていた、というより、そのよ

うに仕向けられたといっていいようだった。独身の彼女は、退社後はずっと語学学校の

日本語教師となって生計を立てている。女ひとり異国で暮らすことは、さぞかし大変な

苦労だろうと思うのだが、以前から、義姉は能力があれば日本で暮らすよりずっと暮ら

しやすいといっていた。

 手紙を読み終えて私は、そうか、お義姉さんはあの歳でまた新しい仕事を手に入れた

のかと、その意欲と、年齢に関係なく仕事を与えてくれるアメリカ社会の懐の深さに感

心した。義姉はまたひとつ自分の居場所を手に入れた。それは自分らしく生きるための

通行手形のようなものだ。

 それにひきかえ・・・と私は溜め息をつきたくなるような苦い思い出がよみがえった。

 私は48才のとき、ミニコミ誌のリポーターであった。書くことに油がのっていた時

期であった。さらに仕事の幅を広げたく、ある紹介者を通して広告代理店に面接に行っ

たことがあった。その社長は私を一目みるなり、

「ああ、うちの欲しい書き手はイキのいい若いものなんでね。あなたは年齢的にちょっ

と合いません。」

というのだった。私の持参した作品に目もくれずにである。そんなバカな、こういう仕

事は体力で勝負するわけじゃあるまいし、物事のとらえかたと文章力がものをいう世界

だというのに・・・と私はひどく憤慨し失望したのだった。

 アメリカの能力主義とはえらい違い、まだまだ日本は年齢制限が幅をきかせている若

者優先の幼児社会であった。終身雇用制は少しずつ崩れてきてはいるけれど、転職には

年齢や学歴がまだまだ幅を利かし、その人の実績で評価されることは少ない。

 あれから八年たって私は56才。2、3の固定した会社から仕事をもらって細々とフ

リーのリポーターを続けている。私はこのままいつまでも書くことが仕事になったらど

んなに良いかと思う。自分が自分らしく生きるには、自分の能力を発揮できる場を手に

入れることだ。しかし、現実はこの仕事をいつまでできるか不安である。

 私はデザイン会社を経営する友人にそのことを嘆いたところ、

 「そりゃあ、同じレベルの仕事をこなすなら若い人の方がいいに決まってるよ。使い

やすいし、給料も安くて済むしね。歳をとっても生き残るためには、その人でなければ

できない仕事をこなすようでなければダメだと思うよ」

 という応えが返ってきた。これが企業側の本音であろう。そのとき私はハッとした。

私は自分でなければできない仕事を身につける努力をしてきただろうか。いままで来る

仕事を選ばずになんでもこなしてきたということは、誰にでもできる仕事をしてきたの

ではないだろうか。はたして、この分野なら私にまかせてというものが自分にあるのだ

ろうか。歳を重ねるということはその人らしさを作ることではないか。そんな自問がわ

きあがってきたのだった。きっと、義姉の場合も、自分の実力を磨く努力をし、チャン

スを与えられるのを待っているのではなく、自分で働きかけて今の仕事を勝ち取ったも

のに違いない。

 歳をとってもヤル気があるのにビジネスチャンスのない社会。老いるということが無

能扱いにされていく社会。そんな社会はとても不幸だけれど、それを嘆く前に、まず自

分らしさを育てて、積極的に社会にアピールしなければ社会は変わらない。自分らしさ

が発揮できる居場所は与えられるものではなく、自ら発見して勝ち取っていかねばなら

ないのだ。そういう努力をしたならば、社会構造は老人パワーを見直し、能力重視の平

等の社会へと動くのではないだろうか。








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