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 優良賞((財)婦人少年協会長賞)

  作品名「これからの社会で私たちができること」

  小田島彩子(25歳、北海道)





 「この人たちがあなたの同僚となる人です。」通された会議室で、初対面の弁護士2

6名を見回した私は、その約半数が女性だということに目を見張った。3年ほど前、

「日系企業担当マネージャー」という肩書きでシンガポールのある法律事務所に就職し

たときのことである。若い人を始め、見るからに家庭を持つ年齢に達している女性弁護

士たちは、新卒で外国人の私を暖かく迎えてくれた。そのあと、50数名の職員全員に

紹介されたが、その多くは年齢層の幅広い女性たちだった。

 小さい頃から共稼ぎの家庭で育った私は、女性が仕事を持つことに対して、何の違和

感もなく育った。中学生から米国へ留学し、大学を卒業するまでボストンで暮らした。

中学、高校時代はホームステイをしながら学校へ通ったが、ホームステイ先の両親もそ

れぞれ仕事を持っていたし、父親が家事を分担することも当たり前だった。「男女の

差」というものがあることを否定していたわけではないが、どこか貧富の差が激しい遠

い国のこととしか考えていなかった。

 10年間の留学生活を終えて帰国した日本で、就職活動を通して初めて男女差という

ものを目の当たりにした。帰国前に、邦字新聞などで、「企業に資料請求すると今年女

子は採用してないといわれ電話を切られる」という記事を読んだが、実際に面接会場で

一緒になった女子学生から「第7面接の身体検査まで受けて、女子は今年採りませんと

いわれた」ことなどを聞き、驚いた。アメリカなどでは訴訟問題になりかねない話であ

る。私自身、経歴を珍しがられ、海外生活が長すぎて日本の事情が分かっているのかと

いう質問を受けたぐらいで、最終的にはどこからも採用されなかった。

 自分が勉強してきたことやそれまでに得た経験を活かせる職場が見つからなかったと

いうこともさる事ながら、性別が就職にも影響していることを知り、少なからずショッ

クを受けた。半分絶望的に迎えたその夏の終わりに、半信半疑で訪れたシンガポールの

法律事務所で総責任者との面接は、理想的なものだったといえる。大学での学習内容、

及び経歴を履歴書に沿って説明するよう求められた。彼は、私の話に耳を傾けてくれた

後、仕事経験の有無よりも大切なのは仕事に対する責任感だと強調した。

 採用が決まり仕事を始めてみて、この「責任感」という言葉の重さを実感した。私の

職場だけでなく、その国では一般に職場における男女平等というものは欧米並みかそれ

以上で、女性の管理職も珍しくないことを知った。その上、管理職だからといってキャ

リア一筋で結婚はあきらめているというわけではなく、家庭を持っている人が殆どであ

る。私の職場でも、結婚して子供が数人いる女性が何人もいた。お腹に5人目の子供が

いて、なおかつ法廷に立って仕事をする弁護士もいた。同時に、仕事の中身も全くとい

っていいほど男女の差はない。仕事の成績が、直接昇進昇給に結びつく。厳しいがフェ

アな社会だと思う。

 2年間という短い期間であったが、シンガポールでの職務経験を通して他にも見えて

きたことが2点ある。1つは、女性の社会進出が、男女平等を掲げる倫理的なものばか

りではなく、共稼ぎは急激な高度成長が生みだしたインフレを生き抜くための経済的手

段であること。そして、そのキャリアウーマンたちを支えているのは、フィリピンやイ

ンドネシアからの安い賃金で働く出稼ぎの女性達であること。メイドさんたちは、住み

込みで朝早くから夜遅くまで掃除や、炊事、子守りなど何役も勤め、雇い主によって週

に1日休みがもらえるかどうかという扱いを受けている。彼女たちの多くは、本国に夫

と我が子を残して出稼ぎにきている。ある国の女性たちの社会進出が別の国の女性たち

を犠牲にしていることに私は違和感を覚えた。

 1年間の英国での留学生活を得て、昨年から日本で勤務しているが、女性に対する社

会の目は3年前とそう変わっていないように思う。暗黙の了解で、「結婚すると仕事は

辞める」ことになっていたり、女性は何年働いても昇進がなく「女の子」でしかない職

場がいまだに多いのではないだろうか。

 しかし、だからといって海外からの安い労働力を雇い、その人たちに家事や育児をす

べて任せてしまうことにも疑問を感じる。自分たちの家庭は夫婦で責任を持ち、家の中

の仕事は分担する。また、それが当たりまえの社会にしていかなければならないと思う。

女性が生きがいを持てる仕事を持つためには、社会の協力が必要である。それは、公立

の託児所の保証であったり、父親育児休暇の常識化、勤務時間の柔軟性など行政や社会

の理解を得るものである。しかし、重要なのは私たち自身が、「何を言ってもどうせ変

わらないだろう」と諦めるのではなく、少しでも暮らしやすい社会を築いていくために、

周囲に働き掛ける心構えだと思う。







 優良賞((財)婦人少年協会長賞)

  作品名「伝えたい 支え合う大切さ」

  三浦昇(51歳、北海道)





 「男がいやなことは、女にだっていやなんだよね」

 結婚して2年ほどたったある日、1歳になろうとしていた長女の傍らで、妻はひとり

ごとみたいに言う。私は趣味の写真の整理をしながら、その言葉をつけっぱなしのテレ

ビのように聞き流すが、「いや」という言葉だけが耳に残った。「何が嫌だって?」。

少し間をおいてから妻の方を振り向く。

 「誰だって明かりの点いていない、冷たい部屋に帰るのはいやだよね」。おむつをた

たむ手を休めず、妻はさらに言う。私は一瞬ドキリとして、ネガを持つ手を止めた。大

学のゼミでボーヴォワールの「女にうまれるのではなく、女はつくられる」と読んだ時

も衝撃を受けたが、妻のその一言はそれまでになく強烈だった。

 私は自営業の家庭で育っている。大正生まれの父は20歳の頃、単身で山形県から北

海道へ移り住み、職を転々とした後に運送業を始め、それから家庭を持った。母は父を

手伝い、一緒に車に乗って助手をつとめたりしていたが、専業主婦であった。

 私の幼い頃の記憶には、自分でシャツのほころびを繕ったりごはんを炊いたりする父

の姿があるが、食事時になると車を降りて、慌てて家に戻り台所に立つ母の後ろ姿も覚

えている。その頃の私に性別役割分担のことなど知るはずもなかったが、「女だから、

男だから」とあまり意識することなく育てられたと思っていた。

 東京で学生生活を始めてからも自炊することや、掃除、洗濯の類をこなすことに苦痛

などなかったし、結婚してからだって私なりに家庭経営に参画してきたつもりでいた。

しかし、妻にはまだまだ不足と感じていたらしく、長女の出産を機にそれがピークに達

したようだ。穏やかな言い方ではあったが、「いや」という言葉には重い響きがあった。

 男と女の間には物事のとらえ方に大きな隔たりがあると思う。例えば男に「料理」の

ことを尋ねると、切ったり、炒めたり、いわゆる調理の部分だけが料理なのであり、食

べてしまえば完結すると思っている。しかし、料理をすることは献立を「考える」こと

から始まり、食材を「吟味」し、「買い」求めて「調理」をし、食した後は使った鍋や

食器を「洗い」、生ゴミを「処理」して終わるのだが、男からはその前後の作業が欠落

してしまっている。つまり、男にとって格好が悪いこと、面倒くさいこと、非生産的な

ことは、「いや」なこととして排除されるのである。それは女にとっても「いや」であ

るはずなのに……。

 社会のシステムや考え方など、すべてがそうである。性別役割分担は男にとって「い

や」なことを巧妙に、代わって女にやらせるのを本質としている。妻の一言は私にその

ことを教えてくれた。

 学生時代、妻は弁論活動を通じて市川房枝と知り合い、共感する気持ちを私にも熱心

に話してくれていた。ゼミで「第2の性」を選択したのは、彼女の影響があったのかも

しれないが(彼女は別なゼミ)、私にあまり深い考えはなかった。

 私たちは卒業と同時に結婚したが、私は結婚というものに特別な感情や意味を持たせ

ていなかった。現行民法では姓を選択できることになっているが、結婚に際してそれを

話し合ったことはなかったし、私は自分の姓を名乗ることに何の疑問も持たなかった。

 あとになって妻から「あの時、あなたの気持ちを逆なでするのがいやだったから、姓

の問題には触れなかった。男も一度、姓を捨ててみるといい。違う自分になってしまう

女の気持ちがわかるから」と言われたことがあった。それまで私は、姓なんて符号に過

ぎないと思っていたが、捨ててもいいとは思わなかった。姓の選択は一方の価値観を他

の一方に強要するものではないと分かっていても、実際に選択を迫られるのはいつも女

の方であり、夫の側に妻の人格までもが同化されてしまっているのが現実である。男っ

て勝手だと思う。

 妻は生活の中で、いつも自分を主張した。「おかしいことはおかしい」と。それで議

論したりけんかもしたが、冷静になってみるとなぜか妻に正しいことの方が多かった。

一緒に暮らして、もう28年になる。2人の娘はすでに北海道を離れ、また妻と2人だ

けの生活が始まった。

 社会のシステムを変えるための法律や制度は必要だが、それ以上に自分の中に潜む不

条理や、生活の隅々にまで根を張っている性別役割分担意識を改めなければと思う。私

は妻とのいい関係を築いてきたと自負しているが、専門学校の講師として働く妻からは、

「まだ甘い」と一喝されるに違いない。

 しかし、そんな生き方であっても娘たちには、男女が支え合うことの大切さをしっか

りと伝えていきたいものである。








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