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7 我が国におけるTDI再評価
要旨
2000年以降のEC、JECFA、UKのダイオキシン類評価で使用されているデータセット
は、1999年に我が国で行われたTDI再評価で用いられたものとほぼ同じであるが、Faqi
ら(1998)やOhsakoら(2001)の報告が、最も感受性の高いエンドポイントであった
ことを重要視して体内負荷量を計算し、TDI算定のための出発点として使用している。
しかし、現時点でもFaqiら(1998)の低用量で観察された精子指標(1日精子産生、
精巣上体精子数)に対する影響については異なる実験間での整合性は解決されておら
ず、Ohsakoら(2001)の報告に認められる軽微なAGD短縮の毒性学的意義も弱いと考
えられる。したがって、いくつかの影響(開眼促進、精巣上体精子数の減少、雌性生
殖器形態異常、遅延型過敏症の抑制)を基に1999年に算定した最低の毒性発現体内負
荷量:86 ng/kgは、今回の再評価においても妥当であると考えられる。また、不確実
係数に関しては、数字の振り分け方法は我が国とEC、JECFA、UKの評価では異なるが、
いずれの機関でも概ね同じ値を用いており、LOAELでの体内負荷量に対する不確実係
数10は妥当である。したがって、現時点でも1999年に我が国で設定された
TDI:4 pgTEQ/kg/dayを変更する十分な科学的知見は得られていない。一方、EC、
JECFAのダイオキシン類評価では、ダイオキシン類の長い生体内消失半減期を根拠に、
1週間あるいは1ヶ月あたりの耐容摂取量を勧告しているが、我が国におけるリスクマ
ネージメント及びリスクコミュニケーションの観点から誤解を生じる恐れが高く、以
前のように1日あたりの耐容摂取量として設定する方が妥当であると思われる。但し、
短期間でTDIを越える暴露があっても体内負荷量が大きく変動することはなく、長期
間の平均暴露量がTDIを下回れば有害影響が現れることはないということを強調する
必要がある。
本論
7.1 体内負荷量
1999年(平成11年)の我が国TDI再評価においては、86ng/kgを最低の毒性発現体内
負荷量と判定したが、その根拠となった報告はGrayら(1997a,b)及びGehrsら(1997)
の報告で母動物にTCDDを投与した場合に児動物に見られる開眼促進、精巣上体精子数
の減少、雌性生殖器形態異常、遅延型過敏症の抑制であった。しかし、これより低い
体内負荷量で現れた生体内影響、すなわち1日精子生産量の減少(Faqiら1998)、肛
門生殖突起間距離(AGD)の短縮(Ohsakoら2001{当時は学会発表時のOhsakoら(1999)
のデータを引用した})及びアカゲザルの子宮内膜症誘発と児動物の神経行動学的発
達異常(Rier et al.,1993、Schantz and Bowman, 1989)等の報告は、用量依存性、
試験の信頼性と再現性、影響の毒性学的意義の観点から、ヒトへの外挿に使用するた
めには十分ではないと考えられた。
一方、最近のEC、JECFA、UKのダイオキシン類評価では使用されているデータセッ
トは、1999年に我が国で行われた再評価で用いられたものとほぼ同じであるが、Faqi
ら(1998)やOhsakoら(2001)の報告が最も感受性の高いエンドポイントであるとし
て体内負荷量を計算し、耐容摂取量算定のための出発点として使用している。そこで、
この耐容摂取量算定に大きな寄与を与えていると思われるFaqiら(1998)及びOhsako
ら(2001)の報告を再評価した。TCDDの精子細胞、精子に対する影響については多く
の報告があるが、特にFaqiら(1998)の報告で認められる1日精子生産量などの精子
指標への影響はより高用量投与による実験においても再現されないなど、他の実験結
果と整合性がとれていない。また、Ohsakoら(2001)によるAGD短縮は、体重補正が
行われておらず、しかも軽微な変化が断続的に認められただけであり毒性学的な意義
が弱いと考えられる。さらに、1999年以降これら精子数変化の再現性・整合性問題や
AGD短縮の毒性学的意義付けを解決あるいは補強するような報告はされていない。
JECFAの評価でもFaqiら(1998)やOhsakoら(2001)の両報告を用いて様々な体内負
荷量の計算を試みているが、結局、どちらか単一の報告を基にするのではなく、両報
告から得られた体内負荷量のレンジの中央値をTDI算定の出発点としたことからも、
この両報告に対する毒性学的意義付けは必ずしも確定していないことがうかがい知れ
る。また、Rierら(1993)及びScantz and Bowman(1989)のアカゲザルに対する影響も、
1999年以後、未だにその実験の信頼性に関する問題は依然解決されておらず、EC、
JECFA、UKにおける耐容摂取量算定のための定量的評価にも実質的には使用されてい
ない。以上のことから、今回の再評価においてもTDI算定の出発点となる最低の毒性
発現体内負荷量の算定のためにFaqiら(1998)やOhsakoら(2001)の両報告結果を用
いる積極的な理由はなく、したがって1999年のTDI再評価に用いた最低の毒性発現体
内負荷量:86 ng/kgを変更する必要はないものと考えられる。
なお、体内動態に関する知見(Hurst ら, 2000a)より、妊娠ラットにTCDDを経口投
与したときの吸収率はこれまで86%より約60%とするのが適当であることが示されてい
る。これに従うと、1999年の我が国TDI再評価における最低毒性発現体内負荷量の判
定根拠となった報告のうち、次世代の遅延型過敏症の抑制を引き起こす際の体内負荷
量は60 ng/kgと算定されることとなる。しかし、その他の影響(Grayら, 1997a,b)
は実測値を用いているので、吸収率換算の影響は受けない。1999年当時あるいは現時
点においても、最低毒性発現体内負荷量の判定は、複数の報告の再現性及び信頼性を
基に評価しているので、計算上一部のエンドポイントによる最低毒性発現体内負荷量
が86 ng/kgを下回ることがあっても、実測値に依存した体内負荷量:86 ng/kgをTDI
算定のための総合的な低毒性発現体内負荷量とすることに、吸収率の違い(86%→60
%)は大きな影響を与えないものと判断した。
一方、体内負荷量の算定法に関しては、1999年の時点では投与用量を基にした母動
物への体内負荷量を算出あるいは測定していたが、最近のEC、JECFA、UKのダイオキ
シン類評価では、多くの試験が単回投与である点と毒性発現の標的時期が妊娠16日の
胎児にある点を考慮し、Hurstら(2000a, 2000b)の研究結果を基に、急性投与で得ら
れる胎児の体内負荷量と同じ体内負荷量を与えるのに必要な反復投与時(定常状態期)
の母動物の体内負荷量を逆算するという方法を用いている。
そこで、1999年に我が国で求めた急性投与時の最低母動物体内負荷量:86 ng/kgを
基に、EC及びJECFAで用いている定常状態期の母動物の体内負荷量を推定する方法
(Power fit model及びLinear fit model)を用いて、定常状態期での母動物の体内
負荷量を算出すると、Power fit modelでは約220 ng/kg、Linear fit modelでは
約150 ng/kgと計算される。
7.2 不確実係数
EPAの再評価では、体内負荷量の概念を用いて、非発がん性の有害影響はヒトのバ
ックグランドレベルの暴露に近いという評価を行っていながらも、閾値のない発がん
性評価を行い、発がんリスクを計算しているが、最近のEC、JECFA、UKのダイオキシ
ン類評価では、WHO-IPCS(1998)や我が国(1999)での評価と同様に、閾値のある毒
性発現がダイオキシンのクリティカルな毒性であるとして、不確実係数を用いたアプ
ローチを用いて耐容摂取量を求めている。また、EPAでは発がんリスクモデルを使用
しているが、本来なら計算されるであろうRfD(Reference dose)はヒトのバックグ
ランドレベルを大きく下回ることから算出せず、WHOでの1〜4 pgTEQ/kg/dayという
TDIはリスクマネージメントの目的としては妥当であるともしている。さらに、現時
点まででもダイオキシン類による遺伝子傷害性に基づいた発がんメカニズムを強く示
唆する知見が得られていない状況から、不確実係数を用いた耐容摂取量の算定は妥当
なところである。
WHO(1998)と我が国(1999)の再評価において不確実係数は、(1)NOAELの代わり
にLOAELを用いたこと、(2)体内負荷量を用いていることから体内動態
(toxico-kinetics)に関する不確実係数はいらないこと、(3)ヒトの方が体内負荷量
の算定となった試験に用いられたげっ歯類より感受性が低いと考えられること、(4)
ヒトにおける個体差が不明なこと、(5)同族体毎の半減期に関する知見が不足してい
ることより、総合で10の値を用いた。一方、最近のEC、JECFA、UKの評価では、上記
の(1)には不確実係数:3を(4)に関しては感受性(toxico-dynamics)に関する個人差
として不確実係数:3.2を用いている。(2)及び(3)に関してはそれぞれ1の不確実係数
でかまわないとしている。(5)に関しては、いずれも十分な議論がされているわけで
はないが、特に追加の不確実係数は使用されていない。したがって、LOAELに対する
総合的な不確実係数としては(9.6=3 X 3.2)10を用いている。
但し、Ohsakoら(2001)の報告に関しては、NOAELが得られているので、NOAELが得
られる体内負荷量を基に計算した1日摂取量に(4)の感受性の個人差に起因する不確実
係数として3.2のみを用いるというアプローチを取っている。
以上のことから、不確実係数の中身の振り分け方法は我が国とEC、JECFA、UKの評
価では異なるが、LOAELでの体内負荷量に対する不確実係数は概ね10とすることは妥
当であると考えられる。
7.3 耐容摂取量と表現法
上述したように、今回はエンドポイントの観点からは最低毒性発現の母動物体内負
荷量を変更する必要性はないと考えられるもの、胎児の体内負荷量を基準とした定常
状態での母動物の体内負荷量をEC及びJECFAの考え方にしたがって算出したところ、
150あるいは200 ng/kgという値になった。この値を用いて、ヒトの一日摂取量を求め
ると、約70あるいは100 pg/kg/dayとなる。(ちなみに定常状態での体内負荷量を得
るための1日摂取量の算定方法に関しては、いずれの評価機関でもヒトの半減期の長
さがわずかに異なるのみで、ほとんど違いはなかった。)この値は、1999年の我が国
の算定値より高くなるが、JECFAでの評価過程でもみられるように、2つのモデルを使
用しながらその中間値を採用していることから、定常状態での母動物の体内負荷量を
確定するのは、現段階では情報が不足していると考えられる。また、現時点では胎児
への毒性が胎児への直接作用によるのか否かについても議論を要する問題として残っ
ている。したがって、より安全サイドに立った評価をする必要があることを考慮する
と1999年に我が国で行った約40 pg/kg/dayをヒトにおけるLOAELとすることが妥当で
あると考えられ、不確実係数10を適用して得られたTDI:4 pgTEQ/kg/dayを変更する十
分な科学的知見は現在のところは得られていない。
EC、JECFAのダイオキシン類評価では、ダイオキシン類の長い生体内消失半減期を
根拠に、1週間あるいは1ヶ月あたりの耐容摂取量を勧告している。しかし、この表現
は我が国(1999)及びUKでTDIを勧告したときに付記したように、「仮に短期間でTDI
を越える暴露があっても体内負荷量が大きく変動することはなく、長期間にわたった
平均値がTDIを下回れば有害影響が現れることはない」という概念を、1週間あるいは
1ヶ月という単位で保証した表現と同等であると考えられる。pg/kg/dayオーダーで数
年摂取しなければ、ng/kgレベルという体内負荷量に達しないというダイオキシン類
のヒト体内動態の性質から考えると1週間あるいは1ヶ月間という単位は中途半端な期
間であると考えられる。また、リスクマネージメントの観点から、我が国では、ダイ
オキシン類の主要暴露経路である食品等の規制基準作成においては1日摂取量を基に
見積もりを行っており、1週間あるいは1ヶ月単位の耐容摂取量を用いると計算が複雑
になると同時に誤解を招きやすいと考えられる。さらに、消費者側から考えると、個
人レベルでは、通常1週間あるいは1ヶ月単位で食事量を管理することはまれで、むし
ろ1食あるいは1食品中に含まれるダイオキシン類の量の方に関心が高いことを考える
と、リスクコミュニケーションの観点からも不透明な表現になるものと考えられる。
したがって、耐容摂取量の表現は、1日あたりの耐容摂取量として設定する方が妥当
であると思われる。但し、上記のように、「仮に短期間でTDIを越える暴露があって
も体内負荷量が大きく変動することはなく、長期間にわたった平均値がTDIを下回れ
ば有害影響が現れることはない」という付記は強調するべきであろう。
以上のことから、現時点では1999年の我が国におけるTDIを早急に変更する必要は
ないものと思われる。しかし、ダイオキシン類暴露量(TEQ)の半分以上がTCDD以外
の同族体であること考慮すると、これら同族体に関する知見は未だ乏しく、また、各
同族体のTEFに関しても、TCDDと同様に体内動態をもとに設定する必要があるという
意見もある中で、低用量における次世代の雄性生殖期間への影響のメカニズムの解明
と共に、今後ともダイオキシン類の健康影響に関する調査は継続する必要がある。
参照文献
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Reproductive toxicity and tissue concentrations of low doses of
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Alterations in the developing immune system of the F344 rat after
perinatal exposure to 2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin.II.Effects
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Gray, L. E., Jr., Ostby, J. S., Kelce, W. R. (1997a) A dose-response analysis
of the reproductive effects of a single gestational dose of
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to low doses of 2, 3, 7, 8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin alters
reproductive development of female Long Evans hooded rat offspring.
Toxicol. Appl. Pharmacol., 146, 237-244
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developing Long Evans rats following subchronic exposure. Toxicol Sci,
57, 275-283.
Hurst, C.H., DeVito, M.J., Setzer, R.W., Birnbaum, L.S. (2000b) Acute
administration of TCDD in pregnant Long Evans rats: association of
measured tissue concentrations with developmental effects. Toxicol
Sci, 53, 411-420.
Ohsako, S., Miyabara, Y., Sakaue, M., Kurokawa, S., Nishimura, N. Aoki, Y.,
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J. (1999) Effects of 2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD) on the
development of male reproductive organs in the rats. Organohalogen
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Ohsako, S., Miyabara, Y., Nishimura, N., Kurosawa, S., Sakaue, M., Ishimura,
R., Sato, M., Takeda, K., Aoki, Y., Sone, H., Tohyama, C., Yonemoto,
J. (2001) Maternal exposure to a low dose of
2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD) suppressed the development
of reproductive organs of male rats: dose-dependent increase of mRNA
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Rier, S. E., Martin, D. C., Bowman, R. E., Dmowski, W. P., Becker, J. L.
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chronic exposure to 2, 3, 7, 8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin. Fundam.
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