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5 作用機序に関する最近の知見
要旨
ダイオキシンの作用機序について1999年以降に発表された文献のうちTDIに関係す
ると思われるものを中心にまとめた。
ダイオキシンの毒性作用発現にダイオキシン受容体(アリール炭化水素受容体、
AhR)が深く関与していることはよく知られている。このAhRの遺伝子転写因子として
の働きに関与する多くの分子が発見されており、それらの遺伝的多型や相互作用によ
り、ダイオキシンの毒性に対する感受性に変化が生じる可能性が示唆される。
本論
5.1 ダイオキシン受容体レプレッサーの発見
藤井らのグループは、AhRについて国際的にも高く評価される研究を行っており、
同グループによるAhRの調節作用についての最近の総説(Mimura et al., 2002)は、ダ
イオキシンの健康影響再評価にも参考になる情報を多く含んでいる。AhR遺伝子産物
と類似の分子構造をもつ蛋白質がいろいろと発見されているが、その1つにAhRレプ
レッサー(AhRR)がある(Mimura et al., 1999)。AhRR遺伝子はダイオキシン-AhR複
合体により発現が誘導される遺伝子群の1つである。AhRと結合して毒性発現に関与
する分子の1つにAhR核移行分子(Ahr nuclear translocator, Arnt)があるが、
AhRRはAhRと構造が類似しているため、Arntと複合体を作る。こうしてAhRRはAhRと
Arntを取り合うことにより、AhRの作用を抑制する。つまりAhRとAhRRはダイオキシン
の毒性発現に関して、ネガティブ・フィードバック・ループをなしているのである。
慢性的なダイオキシン暴露がAhRRを誘導し、ダイオキシンの毒性発現を抑制すること
が考えられる。つまり、ダイオキシン暴露の経歴により、ダイオキシンに対する感受
性に差が生じうるのである。
最近、わが国の研究者により、ヒトのAhRRには遺伝的多型があることが発見された
(Fujita et al., 2002)。ヒトのAhRR蛋白質は715アミノ酸からなるが、その185番目
のものがプロリンからアラニンに変化したもの(Pro185Ala)と、110番目がロイシン
からプロリンに変化したもの(Leu110Pro)があり、これらの多型によりArntとの結
合性にも差が生じる可能性が考えられる。日本人の陰茎短小患者59人と対照群80人で
多型の頻度を調べたところ、Pro185ホモ個体の頻度が陰茎短小患者群では46%(27/59)、
対照群では27%(22/80)と、陰茎短小患者で有意(P=0.03)に高かった(Fujita et
al., 2002)。例数が少ないので、これだけの結果から結論を出すのは早計であるが、
Pro185ホモ個体ではAhRRのArnt結合能が低いために、ダイオキシンに対して感受性が
高なり、胎生期ダイオキシン暴露によりダイオキシンの女性化作用の影響を受けやす
くなったとの可能性が示唆される。
5.2 ヒトのダイオキシン受容体及び関連分子の個体差
前項ではヒトのAhRRの遺伝的多型によるダイオキシン感受性の差の可能性について
触れたが、マウスではAhRの多型性によりダイオキシンの毒性に対する感受性に著し
い系統差が生じることがよく知られている。ダイオキシン感受性の高いC57BL系と感
受性の低いDBA系でAhRを調べると、DBA系では375番目のコドンがアラニンからバリン
に変化しており、また、C端末が長くなっていて、これがAhRとの親和性を低下させる
ことが明らかにされた(Ema et al., 1994)。ヒトのAhRについても、第554番目のコド
ンがアルギニンからリジンに変化している遺伝的多型のあることが報告されているが
(Kawajiri et al., 1995)、この多型ではAhRのダイオキシン親和性に差は出ないよう
である(Wong et al., 2001)。しかし、AhRやこれに関連した分子の多型により、ヒト
でもダイオキシン感受性に個体差がある可能性は依然として残されている。
5.3 ヒトのダイオキシン受容体の体内リガンドの発見
AhRは長らく生理的リガンドが不明で、その生理的機能も不明な孤児(orphan)受
容体とされてきた。AhR遺伝子ノックアウト・ホモ・マウスでは生殖能力の低下
(Abbott et al., 1999)や肝臓の血管形成に異常が認められる(Lahvis et al., 2000)
ところから、AhRは何らかの生理的機能をもっていると考えられる。紫外線あるいは
オゾン処理されたトリプトファン産物がAhRのアゴニストとして働くことが報告され
たが(Shidhu et al., 2000)、Adachiらは尿中に排泄されるインディルビンがダイオ
キシン受容体と親和性の高い体内リガンドの一つであることを示した(Adachi et al.,
2001)。一方、食品中のフラボン類(Ashida et al., 2000)や、体内にある7-ケトコ
レステロール(Savouret et al., 2001)がAhRのアンタゴニストとして働くことが報告
されている。このような体内リガンドの濃度が高ければ、これがAhRへの結合をダイ
オキシンと競合することによって、ダイオキシンの毒性発現に影響する可能性がある。
このような体内で作られたり、食品中に含まれるAhRリガンドの存在も、ダイオキシ
ンの毒性評価に当たって考慮に入れる必要が生じてきた。
5.4 ダイオキシンの内分泌かく乱作用の疑いについて
ダイオキシン類のTDI設定に利用されている動物実験の毒性指標には、生殖に関わ
るものが多く、ダイオキシンの内分泌かく乱作用の理解は、TDI検討に際して重要と
思われる。さまざまな新知見が報告されつつある現時点で、複雑なネットワークをな
している作用機序をTDI設定に関連付けるのは時期尚早であろうが、AhRや性ホルモン
受容体でのシグナルトランスダクションとその相互作用(クロストーク)についての
最近の報告例をいくつか紹介する。ダイオキシンは性ホルモン受容体に直接結合はし
ないとされるが、種々の経路を経て性ホルモンの作用を乱す。たとえば、TCDDはエス
トラジオール(E2)によるマウス子宮粘膜の増殖を抑制するが、AhR遺伝子ノックア
ウト・ホモ・マウスではこの抑制はみられず、この作用はAhRを介することが明らか
になった(Buchanan et al., 2000)。AhRと種々のエストロゲン受容体(ER)の間には
さまざまなクロストークが報告されている。いろいろなin vitro実験系で、リガンド
と結合したAhRがERα、COUP-TF (chicken ovalbumin upstream
promoter-transcription factor)、ERレプレッサーαなどと直接相互作用することが
認められた(Klinge et al., 2000)。COUP-TFはAhRの作用をDNA結合で競合することや
タンパク質同士の相互作用により制御している可能性が示唆されている。AhRとERα
を発現するヒト乳がん細胞株を用いての実験で、TCDDはプロテアソーム(細胞質内の
タンパク質分解装置)依存性にAhRとERαを分解することが明らかになった(Wormke
et al., 2000)。このようなAhRアゴニストによるERの分解がダイオキシンの内分泌か
く乱作用に関与しているのかもしれない。
以上のように、TCDD暴露から毒性発現に至るさまざまな過程で、遺伝及び環境要因
によるダイオキシン感受性の変化が生じる可能性がある。その幅を推定することは現
時点では困難であるが、TDI設定に際して用いる不確実係数の設定には慎重な検討が
必要であろう。
参照文献
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