(72)【労災補償】労災保険給付と損害賠償との調整

7.安全衛生・労災

1 ポイント

(1)労働災害の被災労働者又はその遺族は、労災補償ないし労災保険給付を請求できると同時に、使用者又は第三者に対しては損害賠償請求を行うことも可能である。しかし、これでは被災労働者等の損害を二重に回復することとなってしまうため、労災補償・労災保険給付と損害賠償との間で一定の調整が行われている。

(2)労災保険法に基づく労災保険給付が被災労働者に行われた場合、使用者は労基法上の災害補償責任を免れる(労基法84条1項)。使用者により災害補償がなされた場合、同一の事由についてはその限度で使用者は損害賠償責任を免れる(同条2項)。労災保険給付が行われた場合も労基法84条2項を類推適用して、使用者は同様に保険給付の範囲で損害賠償責任を免れる。

(3)労災保険の受給権者が使用者に対する損害賠償請求権を失うのは、同保険給付が損害の塡補の性質をも有している以上、政府が現実に保険金を給付して損害を塡補した場合に限られる。使用者に対する損害賠償債権額から将来支給予定の年金給付分を控除するべきか否かについては、いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、基本的には控除することを要しない(最高裁は基本的に非控除説の立場)。

2 モデル裁判例

三共自動車事件 最三小判昭52.10.25 民集31-6-836、判時870-63

(1)事件のあらまし

特殊自動車等の分解整備を業とする第一審被告Y(使用者)に雇われていた第一審原告X(当時20歳)は、ある日Yの工場において作業中、ワイヤーロープに吊り下げられていたバケット(重さ約1,500キロ)が突然その頭上に落下し、その下敷きとなった。Xは脳挫傷、頸骨骨折等の重症を負い、結果的に労働能力を喪失することとなった。そこで、Xは民法717条及び715条に基づきYに対し逸失利益や慰謝料を求めて訴えを提起した。

第一審(松山地宇和島支判昭48.3.31 高民集28-2-119)、原審(高松高判昭50.3.27 高民集28-2-87)ともに、Xが勝訴した。ただし、Xは原審において、将来支給される長期傷病補償給付金の分につき損害賠償請求額(逸失利益)から控除すべきでない旨、請求を一部拡張していたが、この点に関しては認められなかった。Xが上告。

(2)判決の内容

労働者側勝訴

使用者の行為等による災害の場合において、被災労働者が労災保険法上の保険給付を受給したときは、労基法84条2項の規定を類推適用して、また、厚生年金保険法上の保険給付を受給したときは、衡平の理念に照らして、使用者は同一の事由についてはその価額の限度において民法による損害賠償責任を免れると解する。

そして、政府が保険給付をしたことにより、受給権者が使用者に対する損害賠償請求権を失うのは、この保険給付が損害の塡補の性質をも有している以上、政府が現実に保険金を給付して損害を塡補した場合に限られ、「いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと解する」のが相当である。

3 解説

(1)労災保険給付と損害賠償との調整

労災補償制度による補償は、被災労働者の被った損害の全てをカバーしているわけではないため、全損害の回復が可能となる労災民事訴訟(使用者または第三者等に対する損害賠償請求)が重要な役割を果たしている。わが国では労災補償制度と損害賠償制度とが併存していることより、労災補償・労災保険給付と損害賠償との間で一定の調整が図られている(労基法84条等)。

第三者行為災害の場合においては、使用者による災害補償および政府による労災保険給付と(使用者以外の)第三者による損害賠償との関係が問題となる。通説・判例によれば、第三者が先に損害賠償を行った場合には、その限度で使用者または政府は災害補償または保険給付を行わなくてもよい。また、使用者または政府が先に補償または保険給付を行った場合には、使用者は民法422条の類推適用により(被災労働者に代位して)、政府は労災保険法12条の4に基づき、被災労働者(あるいは受給権者)が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得する。他方、使用者行為災害の場合にも、被災労働者等が労災保険給付等を受けたときには、同一の事由につき、その価額の限度で使用者は損害賠償責任を免れることになる。

(2)労災保険の将来給付分の控除

労災保険給付が年金として支給されるようになると、この年金給付と損害賠償との調整をいかに行うべきかが大きな問題となってきた。モデル裁判例は、将来支給予定の年金給付分を使用者が賠償すべき損害額から控除できるか否かが争点となったケースであり、使用者行為災害の場合における初めての最高裁判決として重要な意義を有し、また、昭和55年の労災保険法改正(調整規定の新設(現在、同法64条))の契機ともなった重要な判決でもある。このモデル裁判例で最高裁は非控除説の立場を採用した。なお、モデル裁判例において敗訴した使用者Yは、その後国を相手取り、控除されなかった年金給付分につき民法422条に基づき代位請求した。高裁では使用者の労災保険給付に対する代位取得が肯定されたものの、最高裁では否定されている(三共自動車(代位取得)事件 最一小判平元.4.27 民集43-4-278、労判542-6)。

他方、第三者行為災害の場合についても、モデル裁判例判旨にも参照として引用されていたが、非控除説に立つことが最高裁によって示されていた(仁田原・中村事件 最三小判昭52.5.27 民集31-3-427)。ただし、寒川・森島事件(最大判平5.3.24 民集47-4-3039)において、最高裁は、地方公務員等共済組合法に基づく遺族年金に関して、「被害者又はその相続人が取得した債権につき、損益相殺的な調整を図ることが許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られる」と述べたうえで、遺族年金につき、「支給を受けることが確定した遺族年金の額の限度で、その者が加害者に対して賠償を求め得る損害額からこれを控除すべきものである」との判断も示している点に留意しておく必要がある。

また、長時間労働や配置転換に伴う業務内容の変化・業務量の増加等が原因で精神障害を発症した状態の下、過度の飲酒行為によりアルコール中毒から心停止に至り死亡したシステムエンジニア(労働者)の遺族らが使用者に対して行う損害賠償額の算定に際して、遺族ら(相続人)が「遺族補償年金の支給を受け、又は支給を受けることが確定したときは」、この「遺族補償年金につき、その塡補の対象となる被扶養利益の喪失による損害と同性質であり、かつ、相互補完性を有する逸失利益等の消極損害の元本との間で、損益相殺的な調整を行うべきものと解する」と論じたうえで、「相続人が遺族補償年金の支給を受け、又は支給を受けることが確定したときは、制度の予定するところと異なってその支給が著しく遅滞するなどの特段の事情のない限り、その塡補の対象となる損害は不法行為の時に塡補されたものと法的に評価して損益相殺的な調整をすることが公平の見地からみて相当である」(最一小判平22.9.13 民集64-6-1626等参照)と判断したフォーカスシステムズ事件(最大判平27.3.4 労判1114-6)がある。

(3)労災保険給付の控除と過失相殺など

労災民事訴訟において損害賠償の額を算定する際、被災労働者に過失があった場合の過失相殺と労災保険給付の控除との先後関係が問題となる。被災労働者等にとっては不利となるが、最高裁は、損害額につき過失相殺した後で、労災保険の給付分を控除すること(控除前相殺説の立場)を明言している(鹿島建設・大石塗装事件 最一小判昭55.12.18 民集34-7-888、労判359-58;高田建設事件 最三小判平元.4.11 民集43-4-209)。

なお、労災保険給付は、被災労働者等の財産的損害を補償することを目的としているため、慰謝料等には影響を与えないことから、被災労働者等は保険給付との調整とは無関係に慰謝料等を請求できる(東都観光バス事件 最三小判昭58.4.19 民集37-3-321、労判413-67)。また、特別支給金については、その性質等に鑑み損害賠償額から控除できないとされている(コック食品事件 最二小判平8.2.23 労判695-13等)。さらに、総合福祉団体定期保険契約に基づき従業員の遺族に支給される保険金(弔慰金)につき、損益相殺の対象とすることはできないと判断した裁判例に肥後銀行事件(熊本地判平26.10.17 労判1108-5)がある。