(71)【労災補償】過労自殺
~過重業務によるうつ病等発症後の自殺~
7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)労働者が過重な業務等により精神障害に罹患して自殺するに至った場合(過労自殺)、その労働者の遺族が、業務上の災害として、労働基準法又は労災保険法に基づく労災補償又は労災保険給付を求めたり、使用者に対し損害賠償請求をしたりできるか否かが問題とされてきた。
(2)過労自殺の業務上・外認定について、一般には、自殺した労働者が従事していた業務と自殺との間に相当因果関係が存するか否か、より厳密に言えば、業務と精神障害の発病との間、及び、その発病と自殺との間にそれぞれ相当因果関係が存在するか否かが判断の基準となる。また、損害賠償請求の認否についても、この相当因果関係が存することを前提に、その他の要件を満たしているかどうかが判断基準となる。
(3)使用者は、労働者が業務の遂行に伴い疲労や心理的負担等の過重な蓄積により、心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っている。したがって、上司が労働者の長時間労働や健康状態の悪化を認識しながら、その負担軽減措置等を採らなかった場合には、過失があるものとして使用者の損害賠償責任が肯定されることもある。
2 モデル裁判例
電通事件 最二小判平12.3.24 民集54-3-1155、労判779-13
(1)事件のあらまし
大手広告代理店である使用者Yに勤務していた労働者A(大学卒の新入社員)は、2ヵ月半の新入社員研修を終えた後、ラジオ局ラジオ推進部に配属されたが、その後外回りの営業業務等をはじめ長時間に及ぶ時間外労働を恒常的に行っていくようになり、うつ病に罹患したうえ、入社約1年5ヵ月後に自殺した。第一審原告であるAの両親Xらは、Aの自殺はYにより長時間労働を強いられた結果であるとして、Yに対し、民法415条又は709条に基づき約2億2,260万円の損害賠償を請求した。ちなみに、Aは、健康で、スポーツが得意であり、その性格も明朗快活、素直で責任感が強く、また、物事に取り組むに際してはいわゆる完璧主義の傾向も有していた。
第一審(東京地判平8.3.28 労判692-13)及び原審(東京高判平9.9.26 労判724-13)判決はともに、Aの長時間労働とうつ病、及び、うつ病とAの自殺による死亡との間の相当因果関係を認めた。また、Y側の過失の有無につき、Yの履行補助者(Aの上司ら)による安全配慮義務違反の存在を肯定した。第一審はYに約1億2,600万円の損害賠償の支払いを命じたが、原審は過失相殺を行い、損害額の7割をYに負担させるのが相当として減額した(約8,910万円)。Y、Xらともに上告。
(2)判決の内容
遺族側勝訴
(なお、原審の過失相殺判断における遺族側敗訴部分についても破棄差戻し)
使用者は「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」。それゆえ、使用者の履行補助者である上司等は、このような注意義務の内容に従って労働者に対し業務上の指揮監督権限を行使するべきである。
原審は、Aの常日頃からの長時間にわたる残業実態、疲労の蓄積に伴う健康状態の悪化、これに対しAの上司らが何らの措置も採っていないこと、及び、うつ病に関する医学的知見を考慮に入れている。そのうえで、Aの業務遂行とそのうつ病罹患による自殺との間には相当因果関係が存在するとし、Aの上司らがAの健康状態の悪化等を認識しながら、その負担軽減措置を採らなかったことにつき過失があったとして、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定した。このような原審の判断は正当であり是認できる。
3 解説
(1)過労自殺等の業務上・外認定
過労自殺とは、労働者が日々の長時間労働や業務上の精神的負荷(ストレス)等によりうつ病などの心因性精神障害を発病し、その後自殺するに至ること等をいう。そもそも自殺は、本人の自由意思に基づいて行われると考えられることにより、通常は労災保険法12条の2の2第1項にいう「労働者の故意による死亡」に当たり、労災保険給付の支給対象とはなしえないため、過労自殺の場合にはどのように取り扱われるのかが問題となる。ただ、過労自殺の業務上・外認定は、脳・心臓疾患の場合に個々の労働者の素因や基礎疾患等が介在してくるため困難を極めるのと同様、労働者個人の事情や要因等が影響を与える場合も多いことにより容易ではない。
現在、この問題については厚生労働省の発した「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平23.12.16基発1226第1号;以下、「認定基準」という)により、基本的には国際疾病分類第10回修正版(ICD-10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類された精神障害(例えば、うつ病(F3)及び急性ストレス反応(F4)など)を対象疾病として、①対象疾病を発病していること、②対象疾病の発病前概ね6ヵ月間に業務による強い心理的負荷が認められること、③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと、のいずれをも満たす場合、その発病した疾病は、労基法施行規則別表第1の2第9号所定の「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」(平成22年改正による追加)に該当する業務上の疾病として取り扱うこととされている。この認定基準は、いわゆる「ストレス-脆弱性」理論の考え方[注:精神障害の発生の有無は、ストレス(職場における心理的負荷、職場以外の心理的負荷)と個体側の反応性・脆弱性との関係で決まるとする考え方]を前提として作成されている。
なお、損害賠償請求の認否においても、労災認定の場合と同様に、業務と自殺との間の相当因果関係の存否が重要な判断基準となってくるが、加えて、不法行為構成の場合には故意又は過失、債務不履行構成の場合には安全配慮義務違反等の存在も必要とされる。
(2)過労自殺等についての使用者の責任
モデル裁判例は、過酷な勤務条件による過労の蓄積(業務上の過重負担)、うつ病の発症、自殺の間にそれぞれ相当因果関係を肯定し、使用者の損害賠償責任を認めた初めての最高裁判決として大きな意義を有している。労働者Aの常軌を逸した長時間労働を認定したうえで、Aの自殺を業務上のものであると判断し、さらに、使用者YがAの負担軽減措置等を採らなかったことから、健康配慮義務の不履行(過失)を認め、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定している。Aは新入社員にもかかわらず異常なまでの長時間労働が常態化しており、それに伴う疲労の蓄積等を原因にうつ病に罹り、その状態が深まったなかで突発的に自殺したわけで、これらの事実認定を前提とするかぎり、Yの責任を認めた判決は妥当なものといえよう。
過労自殺が問題となった近年の裁判例には、まず、自殺した労働者の遺族が使用者の安全配慮義務または健康配慮義務違反等に基づき損害賠償請求を行ったケースとして、例えば、東加古川幼児園事件(最三小決平12.6.27 労判795-13;原審=大阪高判平10.8.27 労判744-17)、山田製作所(うつ病自殺)事件(福岡高判平19.10.25 労判1103-70)、及び、医療法人雄心会事件(札幌高判平25.11.21 労判1086-22)等がある。次に、労災認定を求めるケース(行政訴訟)として、地公災基金神戸市支部長(長田消防署)事件(大阪高判平15.12.11 労判869-59)、国・八王子労基署長(東和フードサービス)事件(東京地判平26.9.17 労判1105-21)、及び、国・中央労基署長(旧旭硝子ビルウォール)事件(東京地判平27.3.23 労判1120-22)等がある。また、いじめやパワーハラスメントが原因の過労自殺が問題とされた裁判例として、国(護衛艦たちかぜ〔海上自衛隊員暴行・恐喝〕)事件(東京高判平26.4.23 労判1096-19)並びに国・静岡労基署長(日研化学)事件(東京地判平19.10.15 労判950-5)及び名古屋南労基署長(中部電力)事件(名古屋高判平19.10.31 労判954-31)等がある。
(3)過失相殺
損害賠償請求が認容される場合の過失相殺に関して、モデル裁判例において最高裁は、「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない」場合には、その労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないと一般論として述べている。そしてこの事案において、原審が、労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等、並びに、Aと同居していたXらの落ち度(Aの勤務状況を改善する具体的措置を採らなかったこと)を斟酌した点で、法令の解釈適用を誤った違法があると判断している。この最高裁の判断枠組みに則して、使用者からの過失相殺の主張等を否定した裁判例にアテスト(ニコン熊谷製作所)事件(東京地判平17.3.31 労判894-21)等がある。ただし、この事案では私的事情に関連する精神的状態等が一部考慮に入れられて、損害につき3割の減額が相当と判断されている。