(70)【労災補償】脳・心臓疾患
(いわゆる過労死を含む)

7.安全衛生・労災

1 ポイント

(1)脳・心臓疾患(脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、心筋梗塞など、さらに過労死も含む)に関する「業務上の疾病」該当性の判断については、これらの疾病の発症には被災労働者の素因・基礎疾患(高血圧や動脈硬化など)や生活習慣等の影響も大きく、その業務起因性の判断は容易ではない。

(2)脳・心臓疾患は、業務上の疾病の中で例示された職業病等には該当しないため、労基法施行規則別表第1の2「包括規定疾病」(旧9号)に当たるか否かにより、労災補償の対象とされるか否かが決められてきた。しかし、平成22年の同表改正以後、「長期間にわたる長時間の業務その他血管病変等を著しく増悪させる業務による脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、心筋梗塞、狭心症、心停止(心臓性突然死を含む。)若しくは解離性大動脈瘤又はこれらの疾病に付随する疾病」(8号)が追加されたことから、脳・心臓疾患は同8号に該当する場合、基本的には「業務上の疾病」と認められる。

(3)脳・心臓疾患に関する業務起因性の判断に関して、勤務形態や実際の時間外労働時間等を重視し、くも膜下出血等の発症に至るまでの相当長期間にわたる慢性的な疲労を考慮に入れた上で業務の過重性を判断し、労働者の過重な精神的・身体的負荷が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至らしめたと判断できる場合、業務と発症との間の相当因果関係は肯定できる。

2 モデル裁判例

横浜南労基署長(東京海上横浜支店)事件 最一小判平12.7.17 労判785-6

(1)事件のあらまし

支店長付きの運転手として自動車運転業務に従事していた第一審原告X(当時54歳)は、昭和59年5月11日早朝、運行前点検をした後、支店長を出迎えにいくため運転中にくも膜下出血を発症した。Xは休業することとなり、労災保険法上の休業補償給付の請求をしたが、第一審被告である労基署長Yは、業務起因性を欠くことを理由に不支給の決定をした。

Xはこの処分の取消しを求め提訴した。第一審(横浜地判平5.3.23 労判628-44)ではXが勝訴してYが控訴。原審(東京高判平7.5.30 労判683-73)は、「Xの…疾病は、加齢とともに自然増悪した脳動脈瘤破裂が、たまたまXが従事していた…業務の遂行過程において発症したもの」であり、業務起因性は認められないとして第一審判決を取り消した。これに対しXが上告。

(2)判決の内容

労働者側勝訴(原判決破棄)

Xの業務は、支店長の乗車する自動車の運転という業務の性質上、精神的緊張を伴うものであったうえ、支店長の業務の都合に合わせて行われる不規則なものであり、その時間は早朝から深夜に及ぶなど拘束時間が極めて長く、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は決して低くはなかった。Xは本件くも膜下出血発症に至るまで相当長期間にわたってこのような業務に従事してきた。特に、その発症の約半年前からは1日平均の時間外労働が7時間を上回っており、このような勤務の継続がXに慢性的な疲労をもたらしていた。しかも、その発症の前月及び発症直前10日間には時間外労働に加えて1日平均の走行距離も長く、また、発症前日のXの睡眠時間はわずか3時間半程度であった。Xには、くも膜下出血発症の基礎となりうる疾患(脳動脈瘤)等が存した可能性が高いものの、治療の必要がない程度のものであり、他に健康に悪影響を及ぼすような嗜好も特には認められなかった。

これらのことを踏まえると、「Xが[その]発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷がXの[有していた]基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、[その]発症に至ったものとみるのが相当で」あり、「その間に相当因果関係の存在を肯定することができる」。

3 解説

(1)業務上疾病における業務上・外認定

「業務上の疾病」、特に過労死までも含めた脳・心臓疾患においては、被災労働者の素因・基礎疾患や生活習慣等の影響も大きいため、業務上・外認定を行うこと、すなわち実質的には業務起因性の有無を判断することは容易ではない。このため法律により一定の疾病が職業病として定められ(例えば、腰痛、じん肺症や白ろう病など)、特定の業務に従事していた者がそのような疾病を発症した場合には業務起因性を推定することとされた(労基法施行規則35条・別表第1の2)。しかし、脳・心臓疾患等は職業病として規定されていなかったため、従来は「その他業務に起因することの明らかな疾病」(同表・旧9号)に該当するか否かによりその業務上・外認定がなされてきた。もっとも、現在は同表8号に規定されている(平成22年改正により追加)。

(2)脳・心臓疾患等に関する行政通達

行政機関が脳・心臓疾患等に関する認定を行いやすくするため、これまでに一連の行政通達(認定基準)が出されている。現在の平成13年通達(平成13.12.12基発1063号;平成22.5.7基発0507号第3号)は、平成7年に出された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成7.2.1基発38号)と題する通達等を改正したものである。この改正は、長期間にわたる過労の蓄積を過重負荷として認めた点で大きな意義を有している。また、業務の過重性を判断するに当たり、労働時間の評価の目安を示し、さらに不規則な勤務、作業環境、及び、精神的緊張を伴う業務などの具体的負荷要因等を示した点で特徴がある。なお、業務の過重性の判断基準(対象者)に関しては、平成13年通達では、「当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、基礎疾患を有していたとしても、日常業務を支障なく遂行できる者」と改訂されている。学説・裁判例上は、当該労働者本人を基準にするべきであるとする説などもあるが、見解が分かれている。

モデル裁判例は、業務の過重性判断においてXの勤務形態や実際の時間外労働時間などを重視し、くも膜下出血発症に至るまでの相当長期間にわたる慢性的な疲労を考慮に入れたうえで、Xの過重な精神的、身体的負荷が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至ったものと判断し、相当因果関係を認めている。長期にわたる慢性的な疲労(過重業務)を認めた最高裁判決として大きな意義を有し、また、平成13年通達への改正に大きな影響を与えた重要な判決でもある。

(3)脳・心臓疾患(過労死を含む)に関する近年の裁判例

脳・心臓疾患等に関して業務(ないしは公務)起因性が肯定された最近の裁判例として、心筋梗塞の既往症を有する職員の親睦バレーボール大会参加中の急性心筋梗塞発症による死亡のケースにつき地公災基金鹿児島県支部長(内之浦町教委職員)事件(最二小判平18.3.3 労判919-5)、本務以外にQCサークル活動等にも従事し、死亡前1ヵ月間の時間外労働時間数が106時間超であることに加え、その職務が強い精神的ストレスをもたらす性質のものと判断された工場の班長相当職にあった労働者が、心停止を発症しそれに続き死亡したケースにつき国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件(名古屋地判平19.11.30 労判951-11)、及び、水質検査等の事業を行う生活科学検査センターの企画営業課長が、上司である総務部長より数十分間大声で怒鳴り散らされたり、見積書等の決済を拒否されたり(「異常な出来事」)した4~5日後に心肺停止、蘇生後低酸素性脳症を発症したケースにつき国・島田労基署長(生科検)事件(東京高判平26.8.29 労判1111-31)等がある。最後の事案では、異常な出来事の評価期間に関連して、「新認定基準に該当しない事例については当然に相当因果関係が否定されるという論理的な関係にはない」と示された点にも特徴がある。

また、業務起因性が肯定された他の裁判例として、上腸間膜動脈の閉塞発症前に少なくとも5ヵ月以上の長期間にわたり月平均100時間以上の時間外労働を行い、多忙かつストレスも多く精神的緊張を伴う「著しい疲労の蓄積」をもたらす業務に継続して従事していたプロジェクトマネージャー(システムの保守業務等を担当)が、腸閉塞に係る手術の翌日に死亡したケースである国・中央労基署長(三井情報)事件(東京地判平25.3.29 労判1077-68)がある。同事件で裁判所は、問題となった「疾病について業務起因性があるということができるためには、労働者がその業務に従事しなければ[その]結果(疾病)が生じなかったという条件関係が認められるだけでは足りず、両者の間に法的に見て労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)があることが必要である」(熊本地裁八代支部公務災害事件 最二小判昭51.11.12 判時837-34参照)と述べ、また、このような相当因果関係の有無は、その疾病が、その「業務に内在する危険の現実化として発症したと認められるか否かによって判断すべきである」(地公災基金東京都支部長(町田高校)事件 最三小判平8.1.23 労判687-16参照)と述べたうえで、今回の「疾病(血栓症または塞栓症による上腸間膜動脈の閉塞)の発生機序は、血管の閉塞を原因とする脳・心臓疾患に類似するから、その業務起因(相当因果関係)を判断するに当たっては、脳・心臓疾患に関する新認定基準の考え方を参考とするのが相当である」と論じている。業務起因性の判断方法について同様の最高裁判例を参照・引用している事案には国・常総労基署長(旧和光電気)事件(東京地判平25.2.28 労判1074-34)、及び、約4ヵ月の間に3度のブラジル出張をした後に脳梗塞を発症したケースである国・中央労基署長(JFEスチール)事件(東京地判平26.12.15 労判1112-27)等がある。

なお、国内出張後に外国人社長等に同行し14日間にわたる海外出張中に十二指腸潰瘍を発症したケースにつき、業務上の疾病に当たると判断された事案に神戸東労基署長(ゴールドリングジャパン)事件(最三小判平16.9.7 労判880-42)がある。